昨日、大垣コロナで映画「沈黙−サイレンス−」を観てきました。
原作は遠藤周作の小説です。
監督は巨匠(だそうです)メーティン・スコセッシ。
主演は「スパイダーマン」シリーズに出ているアンドリュー・ガーフィールド。
窪塚洋介をはじめ、浅野忠信、イッセー尾形ら日本人俳優がたくさん出ています。
でも、台湾で撮影されたようなので、台湾人のエキストラも多かったのでしょうね。
映画館でもらったこの映画の紹介によると、
17世紀、キリスト教が禁じられた日本で棄教したとされる師の真相を確かめるため、日本を目指す若き宣教師のロドリゴとガルベ。2人は旅の途上のマカオで出会ったキチジローという日本人を案内役に、やがて長崎にたどり着き、厳しい弾圧を受けながら自らの信仰心と向き合っていく。
というものです。
拷問シーンや惨殺シーンが多いし、非常に重い雰囲気の映画です。
面白いのは、司祭たちはポルトガル人なのですが、会話は英語です(字幕が出ます)。
日本人同士は、日本語で話します。
そして、けっこう英語(ポルトガル語?)を流ちょうに話す日本人が多いんです。
映画制作の都合上、仕方ないでしょうが、あんなにバイリンガルが多かったのでしょうか?
ネットのニュースによると、イッセー尾形の演技がハリウッドで非常に高く評価されているそうです。
アカデミー賞に値するという評価まであります。
彼が演じたのは、(おそらく)長崎奉行でキリシタン弾圧を先頭に立って指示する井上筑後守。
一番の敵役(かたきやく)という役回りですが、残虐行為が好きなわけではなく、人間くさいし、なぜ日本でキリスト教を排除するのか分かりやすく(英語で)説明します。
キリシタンかどうかを調べたり、棄教を迫ったりするのに用いた「踏み絵」。
やはり1回踏めばいいというものじゃないんですね。
そりゃ、そうでしょう。
あとで懺悔(ざんげ:映画中では、ほかの用語)すれば、カトリック教徒の罪は許されるのでしょうから、いくらでも踏むようになります。
「沈黙」は、神の沈黙です。
どうして、キリスト教徒たちが厳しく弾圧されているのに、神様は沈黙しているのかという悲痛な叫びです。
しかし、ロドリゴは少なくても2度、神の声を聞きます。
神は決して沈黙していたわけではない、ということなのでしょう。
原作の出版当時、カトリック信者である遠藤は、教会から批判されたそうです。
日本にキリスト教は決して根付かず、教化したと見えても本来の信仰とは異なるものになっているというようなセリフがありました。
イザヤ・ベンダサン著「日本教について」の指摘と共通しているように思いました。
この映画についての私の評価は、☆☆☆☆
