河合隼雄著「神話と日本人の心」(岩波書店)を読みました。
著者は、日本を代表するユング派心理学者だそうです。
日本神話の特徴が、現代人にもつながる日本人の心情と一致していると説きます。
「一般に神話においては、善と悪の対立が語られ、善が悪に打ち勝ち、悪は消滅して話は終わりとなるが、日本神話においては、アマテラスと対立したスサノヲが『悪』として葬り去られるのではなく、(中略)その後に重要な『英雄』となるところが特徴的である。」
そうですね、日本人は善悪二元論を好まないかもしれません。
世の中、そんなに単純なものじゃないと多くの人が思うでしょう。
「若いころヤンチャやってたけど、今は立派な社長さん」なんてのが好まれますしね。
「国全体のことについて述べたが、小集団においても、日本人は中心統合構造の中心のようなリーダーを嫌う傾向がある。集団の長となる者は、全体をリードする者ではなく、全体の調和をはかる者として期待される。このために、欧米人の観点からすれば、何らの能力もないのに日本では集団の長となっている人があって、不可解に思われたりするのである。」
「リーダー(帝王)のひとつの理想像として、外見上は無為であるが、実際的には自然のうちにその集団の成員がそれぞれの個性を発揮し、『成さざるは無し』という状態になることが考えられるのである。」
吉川英治「三国志」の主人公は、劉備玄徳でした。
この人は、「徳の人」。
とくに武勇や知略にすぐれていたわけではなく、関羽や張飛、さらには諸葛孔明らを心酔させ、それぞれが活躍してくれました。
もとの「三国志演義」は、中国の通俗小説で、やはり劉備が主役だったそうです。
現代の中国人のメンタリティーはどうだか知りませんが、「三国志演義」が広く読まれた明や清のころの中国人も調和型リーダーが好きだったのではないでしょうか?
世論調査において、日本の首相は、しばしば「リーダーシップの欠如」を理由に、「支持しない」と回答されます。
河合氏の指摘が正しければ、日本人はリーダーシップを振りかざす首相を好まないはずなのですが、どうなのでしょう?