お盆休みは、どこかの総理大臣のように読書三昧、とまではいきませんが、買いだめしておいた本が読めました。
内田樹(うちだ・たつる)という人は、すごい人気なんですってね。
彼の熱狂的ファンは、「カツマー」(勝間和代氏のファン)をもじって「タツラー」というそうです。
新聞に「日本辺境論」の書評があったので、それをアマゾンで買おうとしました。
そしたら、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」に、「現代霊性論」がありました。
あれ? こっちの方が面白そう・・・
ということで、買ってみました。
内田氏は、神戸女学院大学文学部教授です。
2005年9月から半年間、大学院の講義を、釈徹宗(しゃく・てっしゅう)氏と一緒に(掛け合いで)務めました。
その講義録に手を加えたのが、この「現代霊性論」。
釈氏は、浄土真宗の住職であり、また兵庫大学生涯福祉学部教授です。
こんな講義が聞けて、それで単位がもらえるなんて、神戸女学院大学の大学院生は幸せです。
本のカバーはちょっとおどろおどろしくて、幽霊とか、霊界のことを論じているのかな? という印象です。
それもないわけではありませんが、宗教を中心に、宗教のようなもの、宗教以前のもの、などをひっくるめて論じています。
たとえば、占いのこと、葬式のこと、などなど。
靖國神社のことも出てきます。
北陸のある小学校の給食で、全員で「いただきます」という風習が、保護者のクレームで中止させられたそうです。
「宗教行為」だという理由です。
この事例を、釈氏が批判し、内田氏が同調します。
でも、私は、何に向かって言っているのか、言わされているのかが問題だと思います。
神様や仏様に向かって、でしたらやはり問題だと思います。
ご先祖様、というのもしっくりきません。
こないだまで生きていた食べ物に対して、その命を「いただきます」というのならOKだと思います。
たぶん、釈氏もそういう前提で、批判しているのだと思います。
新婚時代、私が「いただきます」と言うと、すかさず妻が「はい、どうぞ」と言いました。
「いや、あんたに言ったんじゃない・・・」
と言い返すのを遠慮し、でもシャクなので、ウチでは「いただきます」を言わなくなりました。
でも、大学生の息子は、ちゃんと「いただきます」と言います。
教えてないのにな〜
内田氏は、自身が参列した葬式で、会葬御礼に「お清めの塩」が入っていなかったことを取り上げました。
「そういう死者を弔う儀礼の本質にかかわることを一斎場が決めていいのか」
「こういう賢(さか)しらが僕は嫌いなんです」
「こういう儀礼的な取り決めに『政治的正しさ』を掲げて文句をつける人間たちの儀礼に対する『なめた』態度が許せないんです」
とまで、発言しています。
あれ? そうなの?
「本山の指示により」とかじゃなかったっけ?
そこまで言わなくてもいいのに・・・
と思っていたら、釈氏が、
「実は、お清めの塩を止めようという運動をしているのは、浄土真宗なんです。」
これには、内田氏が大慌て!
「うわあ、申し訳ございませんでした。」
と平謝り。
生の講義ならではの臨場感が、とっても面白い一冊でした。