毎日ベルビーの無くなった事ばかり悲しんで居ても致し方ないと自分に言い聞かせては居るのだが
すぐ思い出して一人悲しんで居るがたまらなく悲しい時には表に出てベルビチャンの御墓迄出向いて一言二言おしゃべりをして来る。相変わらずお利口して黙って寝んねして居るのである。それで気が休まって次の仕事が出来るのである。本当に一人になってしまったのであるのだから。考えてみるとあの猫一匹どれだけ私の日常において力ずけて居て呉れたのであろうか。ものの言えない動物ではあるが良く私の心を組んで居たのであろう。何か家の事亦自分の事をやって居てもすぐ頭をよぎるベルビーの事。当分は致し方ないと自分を許して居る。以前犬を買って居た事もあったが矢張りなくなった時には悲しかった。子供達がお母さんどうなる事かと心配をして呉れたが未だ私も若くて元気で亦いつの間にか子犬を飼って来てそれを育てて楽しく散歩などをしてすごしていたのだが矢張り未だ私に気力と云うか若さがあったのであろう。一人住まいの手助けをしてくれた犬達も二匹も見送ったのだがその時の悲しさもも何時の間にか癒され、ある日八百屋さんに行ったらお隣の猫だといって可愛い子猫その中のシャムの一匹に目が移りそれを頂いて来たのである。女の子であり途中妊娠などしない様に手術をした事も。四万円 の費用がかかったがこれで安心と女の子を忘れたと云うか一度も赤ちゃんを産む事もなく、私を母ちゃんと思ってあれなりに甘えて居てくれたのであろう。寂しくなるとすぐ外へ出てベルビーのお墓へと足が向くのである。此処のところ猫の事ばかりにとらわれて恥ずかしい限り。もう十月からは元気を出してと自分に言い聞かせては居るのだが。十月からは大学の講座もあるしハッスルしてと月の変る事に期待しようと、自分をなんとなく戒めて

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