原谷苑は例年、3月下旬〜4月下旬にかけて二十数種の桜を中心に椿・日向みずき・吉野ツツジ・馬酔木・木瓜・雪柳・レンギョウ・山吹・石楠花・桃ほか色々な花が楽しめることで知られます。
今では花の楽園となっていますが、現在の様からは想像を絶する大変な歴史を歩んできたようです。

京都市内からほんの2kmほどの山間集落なのに原谷開拓団の方たちが開拓に大変苦労されたという歴史に驚きました。
【昭和 初め】
花の好きな二代目が、鷹峯土天井町(松野醤油店の北側)に梅・桜・紅葉などの樹木を植え農園を創めるが、加賀前田公爵の別荘を建てたいとの要望によりその地をお譲りしたため、何処かに花を植える場所が無いかと探していたところ、原谷開拓団の方からお話があり現在の村岩農園の所在地を得ることとなった。
【原谷開拓団】
終戦後、満州から引き上げてこられた方々が国より山林とは言え京のゴミ捨て場状態の荒地の開墾を命じられ、開拓団として入植されたが、火葬場の裏山でもあり余りの辺境さに一夜にして逃げ出された家族もおられたし、残って開拓に一心不乱に取り組まれた方々も果樹園や農園、牛の放牧や養鶏等にも取り組まれたのですが,中々開拓の成果も上がらず、困り果てた方よりお話が有り原谷乾町の一角を譲り受ける事と相成りました。その際には、阪急電鉄から原谷全地域を譲り受け第二の宝塚化計画のお話も持上がっていたのですが、開拓団の都合により立ち消えになりました。
【昭和60年頃〜】
三代目巌が、山で手入れし育てていた北山台杉を植木販売用に園内に植え込みました。この頃は、台杉の販売も順調でしたが、スギ花粉症の影響で売れ行きが落ち込みます。実際は、差し穂で育てた白杉の台杉は、花が付かないし花粉も出ないのですが。又、この頃から入重紅枝垂れ桜が弱ってきたので、大きく成り過ぎた関山等の人重桜を切る。台風や干ばつで枯死した木の植え替えを順次行う。
【平成元年頃〜】
四代目浩司が中心になり、土壌の養分が無くなって来ているので土の入れ替えを順次始める。土場の改良で新しい品種の草木(山吹・つつじ・林檎・石楠花・ミズキ・桃・沈丁花・木瓜等)を植始める。 ※原谷苑パンフ引用
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花見に行くなら・・今でしょ?!


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