【伏見城】
伏見城は、3回も建替えられました。
★『指月山伏見城』
文録元年(1592年)8月、指月の森に豊臣秀吉が自身の隠居所として築城(指月城)。
★『木幡山伏見城』(創建時である豊臣期、関ヶ原の戦災後に再建された徳川期に二分)
※慶長元年(1596年)、慶長の大地震によって倒壊し慶長5年(1600年)に現在の明治天皇陵付近に再建(木幡山城)。この城も関ヶ原の戦いの前哨戦として炎上。
※慶長11年(1606年)、覇権を握った徳川家康は、伏見城を修復するが寛永2年(1625年)三代将軍・徳川家光により破却され、天守を始め多くの建物が二条城、常寂光寺etc、福山城には、櫓、城門、殿舎、湯殿、多聞櫓、土塀など多くの施設が移築された。
【伏見桃山城】
昭和39年(1964年)、伏見城花畑跡に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」と模擬天守「伏見桃山城」建設された。
平成15年(2003年)1月、伏見桃山城キャッスルランドが、閉園。
伏見桃山城は京都市民の運動によって伏見のシンボルとして保存され現在は運動公園として整備されている。京都市が無償で譲り受けたが天守内部は非公開。
平成19年(2007年)10月、時代劇映画「茶々 天涯の貴妃」撮影の為、望楼の下に虎の装飾や鯱を金色に塗り替えるなど大坂城に模して改装。約1億円の改修費は東映が負担。

キャッスルランド跡地は野球場、サッカーグランドに整備

伏見城石@御香宮

伏見城内濠跡の治部池には鎧武者の幽霊伝説あり・・・

伏見桃山城の大手門

伏見桃山城は、大天守閣(右)と小天守閣の連結式

伏見のシンボル・・・威風堂々した天守閣

安土桃山時代を彷彿させる天守閣

真下から見上げると迫力に圧倒されます・・・

映画撮影の為に望楼下に虎の装飾や鯱を金色に塗り替え

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