2020/5/5
当世のカタカナ言葉反乱に多少なりとも
閉口する方はおられよう。
平時ならまだいいが、
今は緊急事態である。
ならば、敢えて日本語で
この状況に向き合うべきではなかろうか。
ソーシャルディスタンスなんて言わず、
人との距離のあけ方、社会的距離についてと
説明できるではないか。
もちろん、
カタカナ言葉のほうが伝わりやすいものはある。
何もかも日本語でとは言わない。
しかし、何となく薄い包み紙を重ねて、
事の重大性をわからなくしている
気がしてならないのである。
もう、そんな包み紙では収まらない、
みんな生き死にがかかっている…。
合掌

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