2018/2/2
小学生の子どもたちが
絶対だからね、と約束の念を押す。
互いに、重ねて絶対ねという。
誰もが多少なりとも
覚えがある場面ではなかろうか。
大人になると、
今度は絶対などない。
と、感じるようになる。
それは不本意、不条理のもと
にいとも簡単に崩れていくからである…。
それでも心のどこかで、
あの頃思い描いたそれを捨てきれないのだが。
つまりは
揺るがない何かを探しているのだ。
仏教ではこの絶対を「絶待(ぜつだい)」と表し、
善悪や美醜の対比を超えた状態をさすという。
確かにそう考えれば、
探し続ける意味はありそうだ。
今日の一日(ひとひ)、
不確かな空が続く・・・。
合掌

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