Shimaです

昨日は
京都市交響楽団オーケストラ・ディスカバリー第2回目、ナビゲーターの
ロザンさん・指揮者の下野竜也さんと一緒の楽しい演奏会でした

今回のテーマは「オーケストラと指揮者」
指揮の歴史を紐解くと、中世以降に
鍵盤楽器奏者が楽器を演奏しながら頭や腕を振って他の奏者に合図をしたのが指揮の始まり。演奏者の人数が増えるにつれてその方法では通用しなくなり、登場したのがなんと
杖!
鍵盤奏者とは別の人間が木の杖を床に突いて拍子を取るようになり、これが専門職としての指揮者の誕生といわれています

昨日の演奏会では
ロザンの菅さんが杖を使って指揮者体験にチャレンジしてくれましたが、杖の音は気になるもののすっごく演奏しやすくてかなり意外でした
指揮の歴史上、必ず語られる有名なエピソードが、
「リュリの指揮杖による死亡事件
」
リュリは
フィレンツェの粉屋の息子に生まれ、教育をほとんど受けていないのにも拘らず、フランスに渡り
ルイ14世に認められて王立音楽アカデミーを創設。ゆっくりな曲が主流だった宮廷音楽に軽快な舞曲を取り入れたり、フランス風序曲の形式を完成したり、リュリの音楽は後世のフランスバロック音楽に大きな影響を与えました
ちょうど家にお医者さんの書いた音楽家の病跡学についての面白い本があり、この
指揮杖事故も載っているのでご紹介します
1687年1月8日。パリのFeuillants教会でルイ14世の宮廷楽長
リュリ Jean=Baptiste Lullyは王の病気快癒を祝う自作のミサ
「テ・デウム」を演奏するため指揮杖を振って(突いて)いたところ、熱演のあまり曲の途中で杖を自分の足に刺してしまいました
激痛を堪えながら頑張って最後まで指揮したものの、杖は靴を破って骨まで達していたそう

医者からは足の切断を勧められましたがリュリは拒否。結局2ヶ月半後の3月22日に敗血症により55歳で亡くなりました。(当時の医療技術や衛生状況からすると、切断したとしても生き永らえたかどうかは微妙なところですが。)
その後、指揮権は鍵盤奏者やコンサートマスターが演奏しながら合図をする過渡期を経て、19世紀に入ると指揮棒が導入されます。1839年ライプツィヒのゲヴァントハウスにて
メンデルスゾーンが指揮棒を持ち完全に独立した指揮者として演奏会に登場したのが現在のスタイルの始まり

リュリも指揮棒を知っていたら、死なずにすんだのに・・・。
現在では演奏される機会の少ないリュリの作品ですが、私が子供の頃ヴァイオリンを習い始めた時に使っていた教本に
「リュリのガボット」がありました

悲しげな短調で音域も低いせいか、同じ本に載っていた
ゴセックやバッハの明るいガボットに較べると子供たちにはてんで人気がなく、この曲を発表会で弾く子ってあまりいなかったような気がします
しかし大人になった今、
明るく楽しい曲がほとんどを占める子供向け教本にあって、物悲しさが漂うリュリのガボットはあまりにも
特異な魅力を放っていることに気付きます。子供たちにこの曲を教えるたびに
「私もやっと、リュリのガボットの味がわかる年齢になったんだなぁ・・・」と、しみじみ思うのでした。