考古博物館協力会の今年度の県外研修は、6月26・27日に、奈良県飛鳥方面の歴史探訪をテーマに実施したところですが、ご参加いただいた皆様から、そのときの思い出をお寄せいただきましたので、ご紹介します。
亀山惠之助さんの参加記
「橿原・明日香めぐり」の二日間、お世話になりました。事務局八巻・雨宮さん、ガイド向山さん、ドライバー田中さん、参加協力員の方々ありがとうございました。
私は約30年前、亀石近くの明日香小学校を訪れ、校長先生から特色ある学校経営とその実践について学んだ。その後自転車で泥道を走り、石舞台に向かったことを思い出し覚えている。石舞台はあまりにも周囲の状況が整備され、封土はなくなり洗われて、石室や入り口が整えられ、入れることにビックリしました。同じように各地が公園化され、道が舗装され、観光開発が顕著なことです。
高松塚古墳・壁画館等見学日(6/27)のことです。文化庁国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会で石室解体を決め、劣化の著しい壁画を取り出して修復を行うことが報道されました。壁画も守らねばなりません。とはいえ、古墳本体を破壊してしまうことは残念なことであります。勿論修復は当然なことでしょうが、元には戻りません。現在の古墳現場も解体工場のようで見苦しい限りです。
酒船石から亀形石造物をめぐり飛鳥寺へ。本尊飛鳥大仏(釈迦如来像)は、日本最古の仏像で、面長なお顔を拝謁し、バスで帰路に向かった。学習のため、たくさんのパンフ資料をかかえ、これからの研鑽に役立てたいと思っている。この研修は暑かったが天候に恵まれ、またとない機会であった。ありがとうございました。
野口正樹さんの参加記(2部構成)
「飛鳥に古代史を探る」
飛鳥
なんと魅惑的な響を持った言葉であることか。
それは数々の神話に彩られた神秘の地。
それは古代日本の国家成立の舞台。
様々なドラマが演じられ、権謀術数が渦巻き、権力闘争がたたかわれ、血なまぐさい事件が起こり、巨大古墳造成や大土木工事が行われた王権の地。
古代史に登場する人物達はどのような風貌をしていたのか、どのような言葉を話し、どんな価値観や精神世界を持っていたのか。そして彼等の活躍の痕跡は・・・。
限りなく謎とロマンにあふれたその時代に魅かれ、歴史書を片端から読みあさりました。そこで当然の帰結として「古事記」にたどり着いたのです。
今度の飛鳥研修は、そんな私にとって古代史の舞台を実地検証するという意味で最高に魅力的なものとなりました。
橿原神宮、神武天皇陵、孝元天皇陵、山田寺、豊浦寺、河原寺、小墾田宮、飛鳥浄御原宮、飛鳥板蓋宮、蘇我馬子邸・・・。
古事記や歴史書で見た古代史そのものを次々と目の当たりにして、私の心は飛鳥時代へタイムスリップ。そして車窓から初めて見る箸墓古墳と三輪山には、歴史の重みをズシリと感じて言葉もありませんでした。
そして−
橿原考古学研究所附属博物館で何と太安万侶の墓誌と対面できたのです。予期していなかっただけに私の驚きと感動は頂点に達しました。私にとって太安万侶は遠い昔の歴史上の人物でしかなかったのですが、思いもかけぬ墓誌との邂逅に、安万侶その人に会ったような深い感銘と感動を覚え、その実在を実感し、一種親近感をも覚えたのです。「やあ、あなたの著作を読んでいますよ」と・・・・・・・。
この一年間余り、古事記を勉強している私にとって、安万侶と対面する必然を感じさせた一瞬でした。
この研修旅行は私にとってかけがえのない思い出を作ってくれた意義深いものでした。炎天下歩き回った暑さと脚の痛みも今は懐かしく思い出されます。
私にとって史跡は過去をのぞくタイムトンネル
これからも私の史跡探訪は続きます。
「飛鳥幻想紀行」
好天に恵まれ、研修バスは桜井市に入った。目の前に初めて見る箸墓古墳と三輪山がある。もっともミステリアスでもっとも「日本」という国家の始原的なところである。「以て死」した箸墓に眠る卑弥呼とはどんな女性だったのだろうか。その卑弥呼と今対面しているのだ。「昼は人が作り、夜は神が作った」と言われる巨大な古墳は、のどかな田園の現代風景の中に威厳をもって横たわっていた。
その向こうにはオホモノヌシが坐す神秘の山、三輪山がたたずんでいる。かつて額田王がこの山を眺め、「三輪山を しかもかくすか 雲だにも 心あらなむ かくさふべしや」と詠ったその同じ山を私も今見ているのだ。私は千数百年の歴史の重みに押しつぶされ、言葉を失っていた。
翌早朝、小墾田宮跡と豊浦寺跡に立った。宮跡は推古女帝の栄華を偲ぶよすがも今はなく目の前には青々とした美田が広がっている。地主の方が発掘当時の模様などを親切に話してくださった。
豊浦寺跡(現向原寺)に立つ。物部氏と蘇我氏の激しい闘争が信じられないほどあたりは静まり返っていた。御住職の奥様の計らいで拝観した、発掘されわずかに保存されている宮跡と寺院跡の石組みだけが確かにここにあった歴史を物語っている。
飛鳥板蓋宮跡−ここが古代史上最もドラマチックな乙巳の変の舞台となった所か。陰惨な事件の現場は今は明るい陽ざしが降りそそぎ静まり返っていた。
これらは今回の研修旅行で最も印象に残る遺跡、遺物の一つである。
私は次々に眼前に現れる日本の歴史そのものにただただ言葉もなく、意識は千数百年の昔にタイムスリップしていた。
鶴田恵子さんから2作による思い出
(高松塚古墳にて)
主は誰 知ってか知らでか くちなしの花
(山田寺跡にて)
夏草に 風が渡って 大化の香り
古屋広子さんの参加記
長女の名前は明日香です。
高校の国語教師で古寺・仏像が大好きだった義父が、最初の孫にと心を込めて命名してくれました。明日香村を訪ねる今回の研修旅行、30数年前、20代はじめの美しき乙女(?)の頃、発掘調査によって美しい壁画がみいだされ、色鮮やかな衣装をまとった男女の姿に驚き、古代にタイムスリップしたような気分になったことを鮮明に覚えています。その高松塚古墳をはじめ、娘の名前と同じ明日香村への研修旅行は、出発前からワクワクと心ときめくものでありました。その期待どおり1日目の飛鳥資料館、橿原考古学研究所附属博物館、そして2日目の高松塚古墳壁画館、偶然6月27日のその日、東京では石室を解体して墳丘外で修復する方針が発表されました。
巨石を積み上げた飛鳥のシンボルともいえる石舞台古墳、盛土を除かれた日本最大級の横穴式石室は近寄りがたい威厳を感じました。明日香村は、日本人の心のふるさとがあるかも知れない。「また機会があったらもう一度行ってみたいな」と心から思いました。
それから、最近ちょっと疎遠になっている娘の明日香の所にも・・・。
以上、事務局にお寄せいただいたそれぞれの思い出をそのまま、ご紹介させていただきました。

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