本はいつでも新しい  気のまま雑記

古い昔の歌を聞くとその当時のことを思い出す。
その当時の気持ちが風景とともに浮かび上がる。
古い本を読むと、新しい発見がある。
前に読んだときには、起こらなかった気持ちがわきあがったり、これはこういうことなんだとあらためて思ったりする。
本はいつでも新しい。
ボロボロでも新しい。新しい言葉を発見し、新しい気持ちがわいてくる。
だから本は素敵。


本の好きな人に自分の本を貸すのは楽しい。
この人はどう感じるだろう?と。
好きな人から本を薦められるのもうれしい。
その人の心が少し理解できたような気がするから。


昔、学校の図書館がまだ貸し出しカードをつかっていた頃、好きな人の読んだ本を探しだし、自分も借りた。
この本をあの人が触ったのだ、この文字をあの人が読んだのだ、行間に彼の視線が残っているような気がした。

最近読んだ本を書き留めておこう。
ここ1年で読んだ本
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写楽の足の裏  気のまま雑記

5月3日
娘の足の裏、1ヶ月前に木のささくれがささった。数日前から化膿して腫れて、痛くて泣いて寝られないほどだった。今朝、学校に行く前に医者に連れて行った。
腫れているところを切って膿をださないといけない。ドクターが。「針をさすと痛いから、very very gentleにそっと切ってあげる。ガマンできる?」と聞く。娘、すでに半泣きになりながら「うん」とうなづく。
右手で母に抱きつき、左手のこぶしをグーににぎりしめて、足の裏を切ってもらう。娘、動かない。「ううう」といいながら、ポロポロ涙をこぼしながらじっとしていた。すごいぞ。えらいぞ。「いたいー。no−」といいながらも動かないこちらのほうが泣きそうだった。
ドクターに「Well done! You are so brave!」とほめてもらった娘、はじめてにっこり。ご褒美にジェリービーン2つもらう。「やったー!今日はデイビー(医者のこと)が2つジェリービーンくれたー」と大喜び。I am proud of you!

5月4日
驚いた。今朝、娘の化膿した足の裏の傷の絆創膏をとりかえてやるために、はずしたとたん、小さな噴火口のようになった傷口からむくむくと何かが出てきた。黒い細いものだった。ひゃー、虫かと思ったら、なんと木のささくれだった。2センチほどもある木のとげ?が自然に出てきた。
「なんか出てきたー」と傷口に押し戻そうとする娘。あかん、あかん、戻したらあかん。ピンセットで引っ張り出すと、2センチほどもある木のささくれだった。これがはいっていたから、化膿したのね。すごいね、人間の体。ちゃんと自分で異物を出そうとするのね。これでよくなるだろう。

5月10日
足の裏の皮がうきあがり、むけてきた。これでもう大丈夫。
抗生物質も効いたのだろう。今後も木のささくれには注意。
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他人に優しい子ら  気のまま雑記

日本から短期語学研修にきていた高校生が今日帰った。
総勢29人。男子校なので当然男の子ばっかり。

私の高校生の頃って、自己意識のかたまりみたいで、大人になりきれずでもそんな自分を外にみせたくない大人ぶっていたとき。
自分に注目してほしい、でも注目してほしい自分には気づかれたくない。
屈折した自己意識をもてあますようなそんな頃だった。

自意識過剰。それを指摘されると傷つく弱さ。
今考えると、子どもっぽい高校生だった。
ちゃんと他人をリスペクトして話をすることができていなかった。
優しくなかった。

若者たちと話していて思った。
みんなずいぶん優しい。
自然なのだ。
私に対しても先生に対しても友達に対しても。
もちろん、それぞれの立場があるから対等ではないのだが、その立場をきちんと把握した上で、自然に話している。先生に話しかけられても自然。
敬語もしっかり使える。
他人の失敗や他人の欠点(ともいえない欠点)を笑うことで仲間意識を高めるような、そんな子どもっぽいところがない。
他人のいうことを肯定する。そのうえで、自分の考えを言う子が多かった。

素敵な子らだ。

今回は私が引率する機会が少なかったので、あまり話せなかったのが残念。
それでも、「医学部に行きたい」「ピアノを習う意義」「自分の好きなこと」「自分の名前について」「自分はこういうひとだと自分で思う」などなど、話ができた。
高校生と話すの大好き。

当然だがひとりひとり個性があって、生活や環境が違って、ひとりひとりが目指す方向が違う。
30人いれば30通りの夢がある。
それがすごく素敵。



かげで、私を「おばはん」と呼んでめっちゃ(私に)怒られた子もいた。
ははは、ほんまのこと言うただけやのにね。
本当はそんなに怒ってなかったのだよ。


10年後が想像つかないって、すばらしいことだ。
優しいきみたちの10年後の日本が、世界が、生きていて楽しい環境でありますように。

ありがとう!
優しい言葉をたくさんありがとう。自分に向けられた言葉でなくても、優しい言葉は聞いていて心地よかった。
きみたちに会えてよかった。
Good Luck for your future!
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日曜は始まり?終わり?  気のまま雑記

日本のキティちゃんの卓上カレンダーを1月から使いはじめた。

どうも使いにくい。
なぜなら、週のはじまりが月曜日になっているから。
月曜からはじまって最後が日曜になっている。
この並び方って普通なん?

これまでの私が使っていたカレンダーは、日から始まり土で終わる並び方であった。
今私が使っているカレンダーは
日月火水木金土でなく、
月火水木金土日になっている。


確かに、土日はWeekendというから、週の終わりでいいはずだ。
子どもだった頃、1週間を言いなさいというと、「月火水木金土日!」と答えておった。
しかし、英語ではまずsundayから始まる。カレンダーもサンデーから始まっている。
なんでなん?sundayはweekendなのに。

あとで、写楽に聞いてみよう。どう答えるかな?
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優しさは強さ  気のまま雑記

優しい人は強い。
強い人はひとに優しくできる。

みかけの優しさ、みかえりを期待した優しさでなく、心の優しい人はいる。
私にはその強さはない。

強くありたい。
強くなりたい。

本を読むと言葉が増える。
自分の気持ちをあらわす言葉が増えると、強い人と弱い人が見えてくる。
自分の弱い部分を言葉にできる。
自分の小ささと弱さに気づく。
そして落ち込む。

それでも、できることをするしかない。
できないことは、少しでもできるようになるようにやってみることだ。
もしかしたら明日には、少しできるかもしれない。

今年もいい出会いがありますように。
また、高校生がやってくる。
一期一会。
今年は「体調管理」というキーワードもプラスしよう。

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心においしい本(読書雑感)  気のまま雑記

友達に借りた本を読んでいる。
奥田英朗さん、東野圭吾さん、柴田よしきさん、小池真理子さん、などなど。
まだ読んでない本がある状態って本当に幸せ。
これらを読み終えてお返ししても、友達が送ってくれた天童荒太さんの「永遠の仔」全5巻がある。
うーーん、とってもいい。
いただいた週刊誌も5冊ある。
そうこういっていると読みたかった本を友達が送ってくれた。
ニノが映画版に出る原作の「大奥」の漫画、千原ジュニアの14歳、湊かなえさんの「告白」、そして大好きな宮部みゆきさんの「楽園」、とっても読みたかった吉田修一さんの「悪人」などなど。

ああー、いいのでしょうか?
こんな、盆と正月とカーニバルとクリスマスが一度に来た状態。
幸せで踊りだしたくなる。

写楽にも先日、本がどっさりと届いた。ダンボールに一箱。
友達の娘さんが中学生になったので、小学校の頃のもう読まなくなった本を送ってくれたのだ。
写楽も、じっと座って今「ピーターパン」を読んでいる。
「抱っこしてー」とか「おなかすいたー」と言わずに静かに座っているヤツは珍しい。本の力は偉大だ。
5分でもじっとしていないやつを15分座らせる力が、本にはある。
夕食後には、5冊読まされたけど。
子どもの本もはじめて読むとおもしろい。
3回目、4回目になると、「ええ?またこれ読むの?」と大人は飽きてくるのだが。



奥田英朗さんの「最悪」と「邪魔」
ずっと「my読みたい本リスト」に入っていた本なのだが、友達が貸してくれた。
おもしろかった。
感動した。
本の内容にではなく、奥田英朗さんの文章や構成のうまさに。
ミステリーでよくありがちなのは、登場人物が、解説やなぞときをするかのようにベラベラとしゃべること。
つじつまを合わせるかのように、会話の部分が長すぎていやになるときがある。会話でトリックを解説するような、安っぽい推理ドラマのような展開になってしまうと、「ありえへんって!」と興ざめする。
その点、奥田さんの本は、登場人物はそんなにベラベラと会話しない。
それでも、なぜかうまく何かと何かがつながって、前に出てきたことが実は布石であったことが後でわかり、「そうだったのかー」と驚かせる。

うまいなあ、すごいなあ、と拍手したくなる。
そういう本を読んだら、盛り付けの美しい料理を食べたら、予想以上に味も良かったような気持ちになる。
ああ、おいしかった。と。

おもしろい本はおいしい料理に似ている。
料理は、誰かと食べるのがおいしいが、本は基本は一人で読むものだ。
そこが違う。
おいしいね、と言い合いながら食べるのと、おもしろかったね、ここが隠し味だったねといただいた後で言うのとの違いか。


降り続く雨の音を聞きながら、暖炉の近くで本を読めることの幸せをもっと認識しよう。
食べるものにも着るものにも困らず、あたたかい部屋で、本を読めるって、なんて幸せなことだろう。
ミステリーをドキドキしながら読める平和な暮らしに感謝して。


去年の半ばから今年にかけて読んだ本。
前に書き出してからもうずいぶんたった。早いね。

最近、読んで面白かった本は何ですか?教えてください。

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ひらがなは、かわいい  気のまま雑記

一ケ月ほど前から、韓国系ニュージーランド人の14歳の女の子に日本語を教えている。
ハイスクールのyear10の彼女、日本でいうと中3にあたるのか。

その子がこれまでにしてきた質問。
「『が』と『は』の使い分けは?」

「なぜ、日本語では漢字を使うのか?」

そしてまた言う。
「ひらがなは、かわいい!『ん』が一番かわいい!」

「学という字は、so cute!ピピピと頭に毛が生えていて、その下で子どもが手を広げているみたい。かわいい〜。」

日本語は、かわいい。そういう感じ方、新鮮だった。

さ、いってくるか。
今日は、数助詞を勉強する。
一枚、一本、一冊というあれね。
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やめられないとまらない  気のまま雑記

あ、ニュージーランドでも売ってるのね。
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やめられないとまらない、あのスナックが。
日本から輸入してるのかな。


...と、思ったら

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お慕いしています  気のまま雑記

佐藤愛子さんが好きだ。
小学校2年のときに、小説ジュニア、コバルト文庫という少女むけ小説を読んで以来何十年、愛子先生のファンである。

「怒りの佐藤」と言われるほど、すべてに怒っているかのように言われているが、愛子先生の実は、シャイなところ、無礼なようにみえていて決め細やかな気配りをされるところが好きだ。

簡潔で愉快でリズムがあり、愛情に満ちた愛子先生の文章が大好きだ。
何度も何度も読み返している。
読むたびに、ニヤニヤ笑い、そしてふふっと声を出して笑い、そしてなぜだかじわっと涙が出るようになった。
愛子先生の本は、つい「わはは」と声を出して笑ってしまうので、電車の中など人の多いところで読むのは危険だ。

たとえば、こういう文章。
(佐藤愛子著 我が老後シリーズ「まだ生きている」より抜粋。)

『「あの時代、よくがんばったと思うのよ。自分で自分をほめてやりたいわ。」と言っている人がいた。それは結構、と不器用に答えつつ、心の中では「勝手にほめてなはれ」と思っている。マラソンの選手がオリンピックでメダルを取った時ならともかく、この世に生を受けたからには、何があろうと生き抜くのは当たり前のことである。そもそも人間は生き抜かずにはいられないように出来ているのだ。生き抜く力、本能を神さまから授かっているのだ。エライもエラクないもない。本能に従って一生懸命に生きた---それでいい。』


市川房江さんが亡くなった時に、佐藤愛子さんはお葬式に参列したらしい。数回会っただけで、それほど親しくなかったのだが、「私は私なりの敬意と親愛を市川女史に抱いていたのでふと思い立って」葬儀に参列したのだそうだ。市川女史は意外に細かいところがあって、メモ用紙は印刷した紙の裏、反古を使っていたというところにも愛子先生は共感と親しみを感じたと書いておられる。
そのお葬式参列のあと、愛子先生はテレビのインタビューアにマイクを差し出される。

そのあと、こう書いておられる。
(同書より抜粋)
『マイクというものは有無を言わせぬ力をなぜか持っている。
それを口元に差し出されると、はねのけて通り過ぎるということが出来なくなる。(中略)葬儀場の出口でマイクを向けられた私は立ち往生した。とにかくなにかいわねばならぬという責務にかられているが、しかし「市川先生はメモ用紙のかわりに反古の裏を使えといって...だから好きになりまして...」などどしゃべるわけにはいかない。こういうとき、普通は市川女史の一筋の人生、男女平等、女性解放差別撤廃への情熱に対する敬意を語るものだろう。だが私はマイクを見ただけで逆上気味になっていたのだ。人は私を「蛮勇のおしゃべり」と思っているようだが、本当はそうではないのだ。蛮勇が湧き出てこない時は才気は眠っているという不器用者だ。特に気が急くと我にもあらずハチャメチャになってしまう。そしていきなり私は言ったのだった。
「人は誰でも死にます...」
「はあ」
とレポーター。この後に、どんな言葉が出てくるのかとその目は期待に輝いている。つづきを何かいわねばならない。仕方なく私はいった。
「そのうち、私も死にます...」
「はあ」
という声を残して私は一目散に逃げた。』


こういう文章がたまらない。
つい、くっくっくと笑ってしまう。
佐藤愛子さんの素敵なところは、シャイなところではないかと思う。
佐藤愛子さんの我が老後シリーズ、私の大好きな本である。
気分が晴れない人、ぜひ読んでみられたし。

私は、愛子先生の本を読むといつも元気がでる。
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Do'nt have to play together  気のまま雑記

写楽の通っている幼稚園に、2月の新学期から友達のフェイドラちゃんも通っている。
人気のある幼稚園なので、最低でも半年待ち。
ウェイティングリストに名前を載せて長く待っていたのだが、やっと順番が回ってきたと喜んでいた。

ずっと喜んで一緒に遊ぶのかと思っていたら、そうでもない。ほとんど一緒にいないらしい。
写楽は、外で虫を追いかけたり水遊びをしたりと泥だらけになって遊んでいる一方、フェイドラはすわって一人で教材であそんでいる。
まだ幼稚園に慣れていないせいもあり、そして年齢は園の中では上なのでプライドもあるのだろう、なかなか友達ができないようだ。


幼稚園の先生であり友達でもあるミッシェルに、「フェイドラと写楽は赤ちゃんのときから友達だったのに、幼稚園ではほとんど一緒に遊ばないの。おもしろいよね。」と世間話感覚で話した。

すると、ミッシェルは「モンテッソーリの教育方針で、園児達にはいつもこういっているの。」

"We are all friends at Hi Jinks. So we do not have to play together always, We are still friends even if we do not play togeter."

ハイジンクス幼稚園では、みんなが友達。でもずっと一緒に遊ばなくてもいいんだよ。一緒に遊ばなくても友達は友達。

なるほどね。
日本人はつい「みんな一緒に」「みんなと仲良く」を推奨するあまり、一人でいる子が寂しいんじゃないだろうかと懸念してしまう。
もしかして、寂しいのかもしれないし、そうじゃなくて一人でいるのがすきなのかもしれない。
いろんな子がいるからね。

この幼稚園では、一人でいる子に対し先生も「一緒に遊びなさい」とは言わない。
しかし、誰かがちょっところびでもしたら、みんながかけよって「大丈夫?」「見せてごらん」「絆創膏はってあげようか」と(寄ってたかって)心配して世話しあっている。
つい笑ってしまうが、とても心温まるいい光景だ。

「みんな友達。みんなで助け合おう。でも常に一緒に遊ぶ必要はないよ。遊びたいときに遊びたい子と遊んだらいいよ。一緒に遊ぶときには、ルールも楽しみも笑いもシェアしあうのだよ。」


いい幼稚園だ。
フェイドラの母であるメラニーが言っていた。
「すごいわ、この幼稚園。フェイドラの態度が劇的にかわった。1ヶ月でこんなに変わるとは驚いた。」と。
何かしてもらったときにサンキューを自然に言える。態度がやさしくなった。集中力がついた。...らしい。


幼い頃にどんな教育をうけるかは、思っている以上に大事なのかもしれない。
写楽は毎日、真っ黒の足にあざだらけ、えのぐだらけ、泥だらけで帰ってくるが、幼稚園が大好きである。
幼稚園から帰りたくないので、迎えにいくと毎回連れてかえるのに時間がかかる。
そんなに好きになってよかった。
フェイドラも幼稚園を好きになるといいな。そすればメラニーもうれしいに違いない。
きっと好きになる。
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