霊のはなしは続く  気のまま雑記

ふっふっふ、こわい話はつづくよ。
8月16日の気のみ気のままを読んで、友人が言った。
「私もいると思うよ」って。

おじいちゃんが亡くなって、49日の法要のとき、友人はおじいちゃんをみたんだって。
祭壇のかげで、こっちをみてニコニコしてたんだって。
こちらに気付くと、しーっと指を口にあてるしぐさをして。
きっと、きてたんだろうね、おじいちゃんは様子をみに。

きっと、いいおじいちゃんだったのだろう。
孫(私の友人)のことをとてもかわいがっていたのだろうね。
ちっともこわくなかったと友人は言ってた。
こっちまでニコニコするようなって。
その気持ち、わかる。
私は、ばあちゃんが死んだとき、大人がいうことにびびったけど、今ならばあちゃんがきてもこわくない。

きっぱり言うけど。
私、いると思います。
霊は。

自分の好きな人の霊は、きっとこわくないと思う。
みたことないから、わからんけど。
その人がどんな気持ちで亡くなったかによって、見えるときにこわいのかこわくないのかがある程度決まるんじゃないかな。
恨みをもったまま亡くなったり、死んでからも苦しんでいる人は、見えるとこわいのかもしれない。
そういうひとがでてきたら、そら、こわいと思うわ。
「うらめしい」なんて言われたら、そらこわいわ。
そんなのみたら絶対、オシッコもらす自信あるね。
恨みという感情は強すぎる。

自殺するとなかなか、成仏できないっていうよね。
それは、魂が浄化されずに、死んでからもずっと苦しいからなんだって。
あまりにも苦しいから、本人(霊)が、自分はまだ死にきれてないのかと勘違いして、
死になおそうとするんだって。
だから、誰かに憑いて、もう一度ちゃんと死のうとするらしい。
でも何度やっても苦しい。
そうして、その霊はそこからどこにもいけずに、地縛霊となる。
そこにやってきた波長のあう人間に憑いて、もう一度死のうとするんだって。
魔のふみきりとか、自殺の名所なんてのは、こういうからくりになってるらしいよ。
ああ、こえー。
こういう話は書いてるとだんだんこわくなる。

私はすごくびびりですが、実際に、身内のひとや守ってくれてる霊に会ったら、こわくないのではないかと思っている。
なつかしい気持ちになるんじゃないかなあ。

どう思います?みなさま。

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アテネオリンピック終了  気のままニュージー

よく観戦しました、今回のオリンピックは。

トライアスロン男子で、ニュージーランドの選手が金メダル・銀メダルをとった。

銀メダルをとった選手のコメントがよかった。
「すごくすばらしい大会だった。ハミッシュが金メダルをとってくれてよかった。自分が銀メダルをとれたのは、彼が常に前を走って、ずっと大会をリードしてくれたおかげ。
彼はすばらしい。本当にファンタステイックだった。」

謙虚で、明るくて前向き。
2位に終わっって悔しい気持ちはあるはずなのに、1位の同じ国の選手を敬う。


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プロポリスはみがき  Beeはっぴぃ

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(プロポリスはみがき粉)

こいつが人気のあるプロポリスはみがき。

うちのおかんは、これが大好き。

ペーストはへんな色してる。うぐいす色。
なかなかいいらしい。歯茎にいいのか、歯が白くなるのか。
私は、もっと安いのを使っているので、よくわからない。
ひとにあげると喜ばれる。

プロポリスの独特の香りがする。
体によさそうな香りだ。
プロポリスって体にいいらしい。
私もたまに飲んでいる。
どういいのかは、よくわからない。
いつも元気だから。
プロポリスがきいているのか、もともと元気なのか。
プロポリスのおかげか、風邪はひかなくなった。

いずれにしても、元気でなによりでございます。
みんな、元気でいようね。
ばばあになっても。


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一番古い記憶  気のまま家族

自分の一番、昔の記憶はいつのことですか?

最近亡くなった中島らもさんが、著書の中で、母であろう人の乳房が目の前にどんどん近づいてくる映像を覚えていると書いていた。
それは、まだ自分が乳児だった頃のことを断片的に憶えていたということになる。
これより古い記憶を持った人を私はまだ知らない。

友人のボブと、自分が憶えている一番昔の記憶について話した。
ボブは、自分の家の牧場の近くで、肩にポッサム(いたちみたいな小動物)をのせた大人が歩いていたこと。
そして、扁桃腺を切るために、煌々とした明かりのもとに座らされ、まぶしかったことを憶えていると。
ポッサムをみたのはボブが2歳のとき、扁桃腺を切ったのは4歳のときだそうだ。
そのとき、何歳だったかというのは、あとで考えると、ということになる。
記憶は断片的だ。

私が憶えているのは、「たこ焼きを包んだ黄緑色の薄い紙の色」である。
弟が生まれたとき、父に連れられて、たこ焼きを買って、病院にいる母に持っていった。
母がベッドに座っていた。母はニコニコしていた。
私は自分が持っていたたこ焼きの包み紙の黄緑色を憶えている。
たこ焼きは、母と一緒に病院で食べたのか、母のために置いてかえったのかは記憶にない。父が買ったのだ。
私のことだから、きっとすぐに母と一緒に食べたのだと思う。

弟は予定日より2ヶ月早く生まれたので、保育器にはいっていた。
ガラスの中に、赤ん坊がいて、くねくねと手足を動かしていたのを憶えている。
ふーん、と思った。
それもそのときの記憶である。
弟が生まれたのは、私が2歳のときだ。
おそらく「これが弟だ」と印象が、非常に強かったのだろう。
また周囲の大人に「弟だよ。かわいいね」と言い聞かせられたのだろう。
生まれたてはじめて母が家にいなくなって、寂しかったのかもしれない。

母に持っていったたこ焼きの包みの黄緑色を、今でも憶えている。

それにしても、今思うと、たこ焼きを持っていくというのも、貧乏くさいね。
花束とか果物でも持っていけよ、父ちゃん。
母と生まれた弟に会うために、何度か病院には行ってるはずだ。
私が記憶しているのは「たこ焼き持参」のときだけ。
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ボブとコリーンの誕生日  気のままニュージー

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(お箸もセッテイングされたテーブル)

8月25日はボブとコリーンの誕生日だった。
タウポまで会いに行ってきた。
ボブとコリーンは、20歳のときにダンスパーテイで出会ったらしい。
今から50年以上も前の話だ。
なんと二人は、生年月日が同じだ。
生まれた年も同じで、生まれた日も同じ8月25日。
その二人が出会って、結婚するなんて。
長い長い年月のうち、同じ時代に生まれて出会うことだけでも、奇跡にちかい確立なのに、同じ日に生まれた人と結婚するなんて、まさにミラクルではないか。
しかも、驚くことに、彼らのあいだにうまれた一番上の娘さんの誕生日も「8月25日」なのである。

出会うべくして出会った魂なのだ。

誕生日の夜のデイナーは、トラデイショナルなニュージーランド料理。
チーズ、ラムロースト、マッシュポテト、ベイクドベジタブル(クマラ、パンプキン、にんじん、パースナップ)
デザートは、パブロバ。

それをみんなで「お箸」で食べた。
いい夜だった。
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オリンピック 女子自転車金メダル  気のまま雑記

アテネオリンピックの女子サイクリング競技でニュージーランド人のサラさんが金メダルをとった。
彼女、小柄で細くてかわいい。
自転車競技の選手というと、ふとももが異常に太い競輪選手をイメージするのだが、彼女はどこにそんなパワーがあるの?と思わせるほど、小さくてかわいい。

表彰式で、自分がメダルをもらう前に、2位、3位の人と抱き合ってキスしていた。
メダル授与役のおっちゃんが、そのハグがおわるのをメダルを持ったまま、じっと待っていた。
自分がメダルをもらうより先に、一緒に戦ったひとたちと健闘をたたえあう。
メダル授与役の人を待たせたことに、はっと気付き。サラさんは「ソーリー」とニコと笑った。

メダル授与がすみ、頭に月桂樹の冠をかぶったサラさん。
2位と3位のひとに、「こっちにきて」と呼び寄せ、2人ともを1位の壇上にあげて、3人で一番高いところに乗って手を振っていた。
なんていい人なんだろう。
心の底からいい人だ。
心の底からいい人ではない私は、これを計算づくでやっていたとしたら、たいしたもんだと思った。
2位と3位のひとは、自分の力で一番高い段に乗れなくて、悔しかっただろう。
こんなとき、私は負けた人の気持ちになってしまう。
勝利になれていないから。

金メダルをとって、泣くのは、それまでにつらい思いをしてきたからなのか。
うれしいから泣くのか。
つらかった練習や挫折を乗り越えた自分がうれしくて泣くのか。
親孝行できたと思って泣くのか。
それとも親に見せられなかったことを泣くのか。
しばらく、しんどい練習が休めると思って泣くのか。
気持ちいいから泣くのか。

北島康介選手の「チョー気持ちいい」が一番同感できる。
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最近気に入っているのはこいつです  気のまま雑記

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(ましゅまろぴろー)

日本で、298円で買いました。
かわいいやつです。
「ましゅまるぴろー」というのですが、こいつは「冬用」だそうで、かなりふわふわで暖かいです。
ニュージーランドに連れてこられるとは思ってなかったでしょう。

たまにパソコンに疲れると、話しかけてます。
そう、私危ないひとです、かなり。
なあ、カッパちゃん。
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アテネオリンピック  気のまま雑記

ニュージーランドにきて、冬季も含めて、4回目のオリンピックである。
夜に時間があるので、オリンピックをよく観ている。

日本人選手が活躍している様子をインターネットでみるとうれしい。

こちらではもちろん、日本人選手に焦点をあてていないので、日本人選手のでる競技が放映されないことも多い。
ニュージーランド人の活躍が期待できる競技は、馬術、射的、ボート、ホッケー、ヨットなど。

競泳はよくテレビでやっている。
そのおかげで、私は水泳の日本人選手の活躍ぶりはよく知っている。

ニュージーランド人がでている競技は少ないので、他の時間、何を放映するのかというはなしになるが、それがよくわからないのである。
延々とビーチバレーの予選を放映していたり、水球をやっていたり。
ニュージーランドが出ているわけでもないのに。

ニュージーランド人は、水辺の競技が好きなのであろうか。
どの競技を放映して、どれを放映しないかの、基準が、「放映権の価格」によるのではないかと考えた。
つまり、体操など、メジャーなオリンピック競技は「お高い」ので、安く買えるビーチバレーなどを放映するのではないかということだ。
これはあくまでも推測であり、実際のところ、どうなのかはわからない。

競泳の北島康介選手が、100メートル平泳ぎに続き、200メートルでも金メダルを獲得した。
こちらのテレビ解説者は、Kitajimaを、「I like this guy」と紹介していた。ニュージーランドらしい解説である。

日本はニュージーランドより、もっともっと盛り上がって、国民みんなでオリンピックみているんだろうなあ。
こんなとき、日本にいて日本人選手を応援したかったと思う。
ニュージーランドでは、それほど盛り上がってはいない。
ニュージーランド人選手がメダルをとれそうな競技が限られているから。
シンガポールでは、オリンピックの放映自体もほとんどないらしい。
世界中がオリンピックに熱中しているわけではないのだ。

オリンピックをみると、自分が日本人で、自分の国を愛していることを実感する。

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ニュージーランド中を寒波がおそっているようだ。
ウェリントン地方もブリザード(ひどい吹雪)で、食べ物の運搬経路も閉鎖され交通網もストップし陸の孤島となっているとニュースでやっていた。
クライストチャーチも、ダニーデンも雪。

ここロトルアは雪は降らないが、例年以上に寒い。
暖炉を燃やしていても、木をけちってちょびちょび燃やしていると温まらない。
パソコンの部屋は、ガスストーブをつけて、腰から下に2重に毛布を巻きつけてすわっていても、足が冷たく、手はかじかむ。

ロトルアの冬は、日本ほど気温は低くないし、雪も降らない。
しかし、寒い。
なぜか。部屋の中が寒いからである。
屋内が寒い。日本のようにエアコンがないので、レストランもショップも家の中も寒い。
冬は寒いから、木を燃やして暖をとろう。
夏は暑いから湖で泳ごう。
暮らし方が、実に自然である。
いいなあと思うけど、でも寒い。

家の建て方が日本と異なるからだろうか。
家の中が寒い。
日本のように床が地面からあがっていないので、底冷えがするのだ。
地面にコンクリートを流し込んで一枚板をかませ、その上にいきなり絨毯を敷いてあるつくりがほとんどではないか。
日本のように家の中は靴を脱いで暮らすようには作られていないし、床の上に寝転がることもまずないので、床にじかに座ったり寝転ぶと、非常に寒い。
日本式に絨毯の上にふとんをしいて寝てみたが、背中が寒くて寝られなかった。
もちろん、ベッドに寝ても、冬は電気毛布であたためておかないと寒くて寝られない。
日本では、電気毛布も電気アンカも使ったことはなかったのに。

寒い。寒い。
「寒いね」といえば「寒いね」とこたえるひとのいるあたたかさ。
俵万智さんのうた。
寒いねとこたえてもらっても、やっぱり寒い。

はやく春にならないかねえ。
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今日は、ばあちゃんの命日  気のまま雑記

ちょっとこわい話するか。
今日は、父方の祖母の命日である。
祖母がなくなったとき、私は中学生だった。
8月16日は、高校野球の星陵高校対箕島高校の大大大延長戦が行われた日だった。

日本ではお盆の真っ只中。
祖母がなくなったとき、大人たちが「今日はお盆の中日だから、地獄の釜も開く日や。きっと、ばあちゃん成仏できるわ」となどと話すのをきいて、非常に怖かった。
当時(今でもだが)私は非常にビビリで、怖い話や幽霊の話、魂の話が苦手であった。

祖母の葬式をお寺でしたのだが、そのときに、一匹の蜂がやってきて、ずっとみんなの頭の上を飛んでいた。
長い間、出て行かずにずっと頭上をブンブン飛んでいた。
父や叔母たちは、「ああ、これはばあちゃんや。ばあちゃんが蜂に姿をかえてみんなにお別れをいいにきた」と言った。
中学生の私は、そんなことを真面目に大人がいうことに対しても、すごく怖かった。
ばあちゃんて!蜂やんか!
ばあちゃんは、蜂かい、と思った。

お寺に安置されている祖母の体を守るために、通夜の日の夜は、父をはじめ何人かの親戚がお寺で泊まることになった。
「猫が亡くなったひとの体をまたいだら、死人が踊るというから、猫がこないようにみはるんや」と誰かが言う。
ひえー、やめてくれ。と思った。
真面目な顔で、あたりまえのようにそう語る大人たちが怖かった。

それから8月16日になるといつも、「地獄の釜も開く日や」と思うようになった。

祖母が亡くなって1年半くらいたった頃、あるところで、祭壇のある部屋にはいるとなぜか私は泣けてきた。
なぜかわからないが、泣けて泣けて仕方なかった。
そこにきていた偉い人が、私をみてこういった。
「この子は幸せな子や。おばあちゃんが、ついてるわ。守られてる。」と言った。
そのとき、そういわれて、私はまた怖かった。
やめてー、後ろにいるとか言わんとってーと思った。

最近になって思う。
まだばあちゃんは私の後ろについてくれてるのかな。
いうことをきかんわがままな子供だった私を、なくなった祖母は心配していたのかな。
もう、愛想つかして後ろから離れたかなとも思う。
この歳になって、生かされている自分、守られている自分を感じられるようになった。

本当に祖母がついていてくれたのなら、ありがたいことだと思う。
今もうしろにいてくれるのなら、さらにありがたい。

私には霊感がないので、なにも見えないが、目に見えない力が存在することがわかってきた。
8月16日になると、そんなことを考える。
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