昨日は泣きました。
人はこんなにも涙が出るのか・・・というくらい泣きました。
皆様からいただいたお悔やみのお言葉や、
温かい励ましのお言葉、
一つ一つアレフに聞かせてあげました。
本当にありがとうございました。
アレフもきっと喜んでいると思います。
アレフをどうして大阪に帰したのかは
7月5日の
「明治村の乗り物」の下に書きました。
5月に検診を受けたときには
「心臓も丈夫だし、
治療をしなければいけない悪い数値もないから
まだまだ大丈夫ですよ。」と言われていました。
だからこんなに早くお別れが来るとは思いもしていませんでした。
そして将来アレフが虹の橋を渡る時は
私が大阪に帰っている時。
だってアレフは私を待っていてくれるに違いない。
自分の中でそれは確信としてありました。
なのに・・・、
アレフは私に黙って静かに逝ってしまいました。
今となっては遅いですが
私の腕の中で眠らせてあげられなかったこと、
悔やんでも悔やみきれません。
16年間も家族でいながら、何故最後にいてあげなかったのか・・・。
ただ「ごめんね、ごめんね」を繰り返しています。
「アレフ、今日からは欲しいものは何でも食べてもいいのよ。」
「もう『健康のためだからダメ!』って言わないからね。」
甘いお菓子

、果物

、好きだったけれど
下痢をするので長いことあげていなかったミルクコーヒー

などを供えました。
19日、アレフは私達と一緒に関東に引っ越します。
逢いたくなったらPCのファイルにも、
【ジュマんち】や
「一日一笑」日記にもいます。
私達はアレフと過ごした16年間を決して忘れることなく、
そしてこの先も
ずっとアレフと一緒に暮らして行きたいと思います。

ジュマ