早起きが苦手な私なのに、出かける時はしっかり目が覚めるのはどういうこと?と言いたいのは家族の方かもしれない。
暗闇の中家を出て早朝に羽田を出発し、9時過ぎには高松空港に着くのだからやはり早起きは三文の得だ。
雲の切れ目から下界が見え隠れし上空では時折青空が現れ、晴れていたら大興奮だったかもと思いながら、久々の飛行機からの景色見たさに窓にかじりついてしまい結局カメラをとりだしてしまった。
高松城は瀬戸内海に面して築城された海城だ。
現在は一部の櫓と門、石垣や堀しか残っていないが、玉藻公園の高松城跡として親しまれているようだ。
それにしても、高松は父親の故郷なので何度か訪れたことがあり、お城近くの港から船に乗ったこともあるのに、高松城の記憶は全くないから我ながらあきれてしまう。
お城というと小高い場所にそびえているものと思っていたが、高松では水軍を抑えるため海に近い場所の築城が必要だったらしい。
海城ならではで、堀には海水を引き込んでいるので潮の満ち引きで水位が変わるとのこと。
本丸天守台の石垣は修復工事が行われているが、天守がないのはやはり寂しい。
次に訪れた丸亀城は石垣の名城として有名なお城だ。
高松城と違い、標高66mの亀山に築かれているので、バスを降りて天守までの坂がなかなかきつい。
色々な石垣の説明を受けながら天守に到着したが、さすがに見晴らしが良い立地で晴れていればな〜と残念な思いだった。
それにしても私たちって運が良すぎだ。
なぜならばお城見学のためバスを降りると雨がやみ、バスに戻ると雨が降りだすという状況が続き、丸亀を後にすると本降りになってしまったからだ。
はっきりしない空模様が続き3月になっても雨の日が多く、お城めぐり予定日も雨&曇り予報で心配していたがとりあえず1日目はセーフで一安心。
翌日の姫路城はもちろんだが、山城の備中松山城は何とか天気が回復しますようにと、夜のあまりに強い雨音に心配したけれど・・・。
私たちってやっぱり晴れ女仲間!と勝手に喜んで、修復後さらに美しさを増した姫路城をめぐり、バスに戻ったらまた雨が降り始めたのにはびっくりだった。
傘をさして備中松山城へいくことに?
山道を登るのはちょっと大変かも・・・と覚悟していたが、いつの間にか雨がやみ3時過ぎにシャトルバス乗り場に着いた時には、ところどころに青空が見えていたから本当に運が良い。
臥牛山8合目のふいご峠でシャトルバスを降り天守に向かった。
途中高速道路で事故渋滞があり一部一般道を走ったので予定より1時間ほどの遅れだったのだろうか。
「晴れてきて良かったですね!予定通りだったら雨に降られてましたよ」とのガイドさんの言葉に、また自分たちの運の良さを実感してしまう。
山道を登り大手門跡に到着すると、目の前にダイナミックな石垣が現れた。
自然の岩の上に築かれた石垣が大迫力で、築城に関わった人々のエネルギーを感じる。
近年で忘れてならないのは、1人の教師と生徒たち、そして地元の人達の尽力があったからだ。
役目を終え忘れ去られ荒れ果てていた城を麓の学校に赴任した教師が見つけ、図面などを記したことがきっかけとなり、昭和14年にその記録を基に町ぐるみでお城の復興に乗りだしたとのこと。
屋根瓦の運搬には生徒たちも協力したそうだ。
その時情熱をもって修復してくれなかったら現在の姿は見られなかったと思うと、標高430m山上の天守を目の前にして感慨無量だった。
久しぶりの3人女子旅だった。
100名城めぐりを目標にしている友人は念願が叶い嬉しそうだったし、何より日常から離れ共に時間が過ごせたことがありがたかった。
あっという間に時が経ち、城めぐりツアーから2週間余りが過ぎようとしている。
寒さと暖かさの狭間にいるような3月の陽気に戸惑うこともあるけれど、今にも花びらが生まれてきそうな桜の蕾を近所で発見し、やはり暖かさが勝っているのだな〜と実感していたら、もう開花宣言が!
日本の風景の象徴のようなお城と桜は良く似合うので、まだ冬景色だった4つのお城の春の光景を思い浮かべながら、できたらもう一度!と思っている。