どうしよう!
摩尼殿(まにでん)の中はすでに人でいっぱいだ。
後ろにどうにか居場所を確保したけれど身動きがとれない状態。堂内は暗くなるのでこれでは写真が撮れない・・・。
迷った末、思い切って一番前に出ることにした。
ちょっとしたスペースを見つけ座ったが、それまで一番前だった方が私の後ろになってしまうのは申し訳ないと思い謝ると「大丈夫ですよ」と笑顔が返ってきたのでホッとする。
安心して周りを見渡すと、隣には外人さんのカップルが。座布団やひざ掛けを用意している人もいるけど近所の方かしら?
毎年1月18日に行われる書写山円教寺の修生会((しゅしょうえ)=鬼追い会式(おにおいえしき)は、天下泰平や五穀豊穣を祈り悪鬼を追って春を呼ぶとされ、近隣でも親しまれているようだ。
ちなみに赤鬼は毘沙門天の化身、青鬼は不動明王の化身で、「鬼」といわれていても実は山の守護神、護法童子とのこと。
今年は日曜日だが平日にあたった場合、書写山の校区の小学校は授業が2時間で終わるというから、まさしく地域に密着したお寺の行事といえる。
30分ほどして法要が始まった。
修生会は2度目でも、7年振りなのでだいぶ記憶が薄らいでいる。
その分楽しみだけれど、暗い中ちゃんと写真が撮れるかしら・・・とちょっと緊張気味・・・。
床に直に座っていたから仕方がないが、さすがに体が冷えてきて困ったな〜と思っていたら、様子を察してくれたのか、隣に座っていた外人さんが自分の座布団を貸してくれた。
こんな心遣いって本当に嬉しい!
申し訳なかったが、ありがたくご好意に甘えさせてもらった。
大勢の僧侶による読経が続いた。待ち時間から合わせると長い時間になっているのに、子どもたちが静かで驚かされる。土地柄でこういう環境に慣れているのだろうか。
だが読経後、縁起物の鬼の箸(断ち割り削って箸にして使うと健康になるとの言い伝えがある)が配られた時はそれまでとうって変わり賑やかだった。
法要が終わり全ての扉が閉められ、堂内が真っ暗になると規則正しい鈴の音が聞こえてきた。
いよいよ鬼の入場だ。
宝剣を握る青鬼と、槌を背負い松明をかかげ鈴を鳴らす赤鬼は、四股を踏むように大地を踏みしめるが、これは大地を浄めて五穀豊穣を祈る行為とのこと。
暗闇の中、赤々とした松明の炎と周囲を包む煙が幻想的だし、大きく振り下ろす足の音とその振動は大迫力だ。
鬼の入場前に、最初の30分程度は自由に写真を撮ってよいと説明があったので思い切って鬼のそばまで行くことにした。
舞いの邪魔にならないように、そして書写山より招待を受けた佛師の勢山さんの資料撮影という役目もあるので、一枚でも良い写真を・・・と思うと、さらに緊張が増す。
約1時間で赤鬼と青鬼による舞踏祈願が終わり堂内は明るくなった。
元々修正会は夜を通して行われていたそうだから、鬼の退場と共に扉が開きそれまで真っ暗だった堂内が明るくなる様は、夜明けを表しているかのようだ。
参拝者は席を立ち、秘仏の如意輪観世音菩薩像と重文の四天王像の前で手を合わせている。
年に一度、修生会に合わせて公開されるお仏像たちにお会いすることも楽しみにしているのだろう。
快く前に居させてくれた方に、お礼を言おうと振り返ったらすでに姿がなく、言葉をかけそびれてしまったのが心残りだったが、お隣の外人さんとは座布団のお礼かたがたちょっとおしゃべりを。こんなひと時が嬉しい。
千年を超え今に受け継がれている修正会=鬼追い会式。
代々護法童子の役を務めているのは書写山東坂の梅津家だそうだが、長きに亘りその役目を果たしていることの意味を考えると頭が下がる。
自然遺産と文化遺産が融合した空間が、訪れる人々を迎えてくれる書写山は海抜371m。
次回は違う季節に、そして自分の足であちこちを探検しながら山を登ってみたい。
辺りに早春の花々が咲き始めたこの頃、修正会=鬼追い会式を懐かしく思い出している。