桜が咲き始めた。
もう3年・・・月日は経ってもあの日の記憶は鮮明だ。
いったい何が起きたのか・・・
ようやく家に帰りつき、目に飛び込んできたテレビの映像にただただ呆然とするばかりだった。
あの日を境に人生が変わってしまい、今も先が見えない日々を過ごしている方が大勢いると思うと胸が痛い。
3月11日が近付くにつれ関連の報道が増え、改めて大震災がもたらした恐怖を感じる。
そして、いまだに続く被災された方の辛さを思うと、やはり胸が痛む。
ある日、ふと立ち寄ったびゅうプラザで目に飛び込んできたのが「復興応援ツアー」の文字だった。
「買って・食べて・ふれあって 楽しみながら復興を応援」というキャッチコピー。
そうだ、自己満足かもしれないけれどこんな応援の仕方もあったんだ。
仙台発の石巻・女川応援号にはお子さん連れもいて満席状態だった。
震災のことを、子どもを交えて話題にしているのだろう。
高速道路を降り最初に訪れたのは、北上川河口に近い釣石神社だ。
地上から5mほどの場所で踏ん張っている巨石には、不思議なエネルギーを感じる。
この巨石が宮城県沖地震でも落ちなかったことから、合格祈願で脚光をあびたとのこと。
急階段を登り下を見下ろすと北上川が一望できた。
川を遡上してきた10m前後の津波によって、社務所や鳥居、周囲の住宅はほとんど流されてしまったそうだ。
次に向かったのは雄勝。
プレハブ建ての仮庁舎や商店などには私たち以外に人気がない。そんな空間が物悲しい。
「こんな場所でご不自由をおかけします」という言葉に、恐縮しながらいただいた昼食の“親方おまかせ海鮮丼”は美味しかった。
苦境の中、海の幸を使い造ったという“浜のふりかけ”のPRに来てくれた“浜のおばちゃん”がバスを見送ってくれ、「これからも楽しい旅を続けてくださいね」と。
それまでの何気ない日常が奪われてしまった心情を思い、突然涙が溢れてしまった。
石巻エリアを抜けてのもう一つの訪問地は女川だ。
語り部ガイドさんの説明を聞きながらバスは街中を巡る。
土地の嵩上げが始められる中、新しく生まれ変わる女川の街並みを示す大きな看板が目立っていた。
突然横倒の建物が目に飛び込んできた。
それは旧交番で、震災遺構として唯一保存されることになったそうだ。
建物保存については賛否両論があるようだが、やはり見ることが一番解りやすいかもしれない。
「瓦礫の量より多い涙が流されています。」
「忘れないでください。そして、また来てください。」
バスガイドさん、多くの説明をありがとう。
たった1日だけ現地を訪れ、できたことは見て聞いて海産物を買ったことぐらいだが、それでも行って良かったのだと自分に言い聞かせた。
いつものように夕ご飯の支度をしていて、明日もし大きな地震が起きたら・・・と、そんな思いが頭をよぎった。
あの日以来時々そういうことがある。
つくづく、普通に生活できることのありがたさを思う。
そういえば、被災地の復興を願ってのあゆみ観音プロジェクトによる“あゆみ観音さま”がお姿を現し始めて1年。
完成の時を迎え陸前高田でお祀りする前に、4月1日から奈良当麻寺・中之坊で公開されるそうだ。
「ちゃんと覚えているから」そして「応援しているから」など、気持ちを表すことは大事なことだ。
ある日のノミ入れ式で、ノミを入れてくれた方が帰りしなに「あゆみちゃん、またね!会いに行くからね〜」と手を振ってくれた事を思い出した。
私も早く、完成したあゆみ観音さまに会いたい。
多くの人の想いが込められたあゆみ観音さまが、陸前高田で癒しの存在になってくれればと願っている。