雪景色の関ヶ原を通過して、勢山社のバスやトラック3台が岐阜に向かった。
いよいよ大仏様搬入の日、一番の心配はやはり天候だ。関ヶ原付近で雲がたちこめ、雨が降り出した時にはドキッとしたが一時的だったので一安心。
丈六阿弥陀如来坐像の、のみ入れ式が勢山社舞子工房で行われてから早3年。いよいよ完成しこの日を迎えることができたのだ。
初めて乗ったトラックの助手席で、4m近くある大仏様をどうやってお堂に運びこむのか・・・と、私はすでに緊張気味だ。
信長が居城としていた岐阜城(金華山)にも近い岐阜市西荘の安祥院は、およそ600年前に創建された浄土宗西山禅林寺派の寺院。塀を隔てた本寺の立政寺境内には、信長と足利義昭会見の場を記す石碑も建っている。
今はのどかな住宅街に囲まれた安祥院の二階本堂に丈六阿弥陀如来坐像が納まるとの事。関係者や檀家の方々が見守る中、さっそく大仏安置の作業が始まった。
大仏様の頭やお体は、待機していたクレーン車によって30m程に吊り上げられ、回転し空高く舞いながら、お堂の前にしつらえられたステージ上の台車に置かれた。
堂内へは人力で運び込みだ。一番大きな胴体は1トン近くあるというから全ての作業に気が抜けない。そんな緊張感が伝わるのだろうか、私はもちろん、見学者は片時も目が離せない様子。
運び込みを何度か繰り返すと、お堂の中は大仏様の部材で一杯になってしまった。
さあ、次は組み立てだ。
金色に輝くお体に傷がついたら大変!細心の注意を払わなければならないことは私にもわかるが、実際にはどうするのだろう。何しろお堂の天井は、丈六の仏像が入るぎりぎりの高さしか無いのだから。
知恵と技術を駆使し、ほぼ人力のみでようやく胴体と頭部が接合されほっと一息。緊迫感のせいか時間が経つのを忘れるほどだ。それにしても人力に加え勢山さんが考案した特製の治具が大活躍。平成15年に奉安された一丈八尺の千手観音菩薩像(焼津市)の経験が大いに役立っているようだ。
続いて台座と膝部分、そして光背がまるでパズルのように組み立てられた。所要時間はいつしか10時間を越えていたが、ご自分の場所を確保され大仏様も満足そう。
無事完成の願いが込められたのみ入れ式に始まり、材の木取りや荒彫り・仕上げと彫像が進む。
彫刻が完了した後は、漆が塗られ金箔が押されて完成した大仏様には、誕生を願った人だけでなく、制作に関わった人々の想いも大いに込められていることだろう。
大きなお仏像に手を合わせる機会はあっても、制作過程や搬入に立ち会うという経験は誰にでもできるわけではない。そんな機会に恵まれた私にできること・・・それはやはり、それらをお伝えすることだと思う。
寒さが身にこたえた冬は思うように活動できなかったが、もう季節は春爛漫。花々が咲き誇り木々も芽吹き始めたこの頃、大仏様の凛としたまなざしが無性に懐かしい。