季節の移り変わりに喜びを感じることはたくさんあるけれど、反面、駆け足で年月が過ぎ去っていくことに対する焦りのような気分が増しているのは、それだけ歳を重ねたということなのだろうか。
だからか、時間が許す限り色々なものを見たり聞いたりしたいという想いは、年々強くなるばかりだ。
1005年が始まりとされている當麻寺の練供養会式(ねりくようえしき)は、中将姫の命日(5月14日)に行われ、中将姫伝説と浄土信仰を現在に伝えている。
本堂の国宝曼荼羅堂(西方極楽浄土を象徴)から、東門近くの娑婆堂(現世を象徴)まで100メートルにも及ぶ架け橋(来迎橋)がかけられ、それぞれの持ち場で準備が着々と進み境内は活気に溢れていた。
開始までまだたっぷり時間があるというのに、露店が店開きをし大勢の人たちで賑わっている。子どもたちの姿も多く見られるので尋ねたら、この日近隣の学校は午前授業とのこと。地域の人たちにとっても、年に一度の練供養は大切な日となっているようだ。
西に太陽が傾きはじめた4時、練供養会式が始まった。
輿に乗った中将姫像が曼荼羅堂から娑婆堂に向かった後、當麻寺中之坊ご住職たちが本堂(曼荼羅堂)に座した。
続いて稚児行列や雅楽衆、僧侶の列が来迎橋を渡っていく様に観客は興奮の様子。時折聞こえてくる鐘や太鼓の音と読経が、さらに厳粛さをかもしだしている。
多くの苦難にあいながら、ひたすら写経を続け千巻を成し遂げたある日の夕方、16才の中将姫は二上山の峯に沈む夕陽の中に極楽浄土を体感したそうだ。
その後二上山麓の當麻寺を訪ね中の坊で剃髪し、自身が感じた光景を一夜で當麻曼荼羅に織り上げたと伝わる中将姫伝説は、現代人のロマンをかきたてるのだろう。
来迎橋の周囲は人がひしめき、身動きができない状態だった。
引き続き現れた観音菩薩と勢至菩薩は、中腰の動作を繰り返しながら少しずつ前に進んだ。面をつけた状態で高さ幅共に1.5メートルほどの橋を、往復200メートルも歩むのだから、かなりの緊張を伴い体力も必要だろうと、その大役の重みを感じてしまう。
現世にお里帰りをした中将姫を迎え、25菩薩が導き極楽浄土に向かう様を表した行列が娑婆堂から曼荼羅堂に戻る頃、太陽はさらに西に傾きあたりは荘厳な雰囲気になった。
「10回のうち8回は雨が降るのですよ」と近くにいたご婦人。
“涙雨”を流すことなく、輝く緑と暖かい西日に包まれたこの日の中将姫は、笑顔で極楽に向かわれたのだろうか。
また、観音菩薩に扮したのは38歳の農協職員で今年が初めての参加とのこと。いきなりの大役だったため先輩たちから熱心な指導を受け、動作の練習にかなりの時間を費やしたそうだ。
観音・勢至菩薩など25菩薩に扮した人々を含め、練供養に参加した人々と晴れ姿のお稚児さんや小さいお坊さんの姿は、この儀式が次の時代に受け継がれていくことの安心感を感じさせてくれた。
積み重ね、伝えてていくことの大切さ・・・
地域に根ざした恒例行事は、忘れてはならないことを思い返す良い機会となるのだろう。
全国で唯一現存する奈良時代の東西両塔(国宝)を配し、いにしえの面影を今に残す當麻寺。心が満たされた想いで振り返ると、二つの塔の間でこいのぼりがはためき、そこにはいつもののどかな風景がひろがっていた。
二上山の向こうに陽が落ち夕暮れが迫っている。
極楽浄土に帰っていく様子を表した、中将姫の輿がふと頭に浮かんだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
練供養会式が始まる前に行われた2009特別イベント。
平城遷都1300年祭マスコットキャラクターのせんとくんと、葛城市マスコットキャラクター蓮花ちゃん(名前は6月1日締め切りの一般公募で決定)の公開初デートも盛り上がったことを付け加えておこう。