じっとしていても、汗が体中から流れ出すのにはさすがに驚いた。
体感的にはそれほどの暑さを感じないから、例えるなら低温のサウナに入っているよう。
雨季の最終日?の10月31日はアンコール遺跡群の観光第一日目だ。(雨季4月〜10月・乾季11月〜5月)
お昼頃にスコールを思わせる雨に降られたが、オールドマーケット(食料品から雑貨と何でも揃っている)での買い物の時間で支障はなかったし、午前中のあやしげな空模様が、午後一番に訪れたアンコールワットで青空に変化したのはラッキーだった。
美しさに圧倒され、誰もが写真を撮ることに一生懸命だ。
1860年にフランス人の学者に発見されるまでは、森の奥深くにたたずんでいたアンコールワットの塔は、まさに木の形そのものだと、その全容が目の前に広がった時第一にそう思った。
長い間多くの樹木に覆われていたのだから、たとえ高さ65mの一番高い塔が遠くから見えたとしても周りの木々と同化していたのではないだろうか・・・と、これは私の勝手な想像だが。
クメール王朝は西暦802年に幕開けし、その後30年の歳月をかけて1150年頃にアンコールワット(寺院のある王都という意味)が完成。王朝全盛期の12世紀末から13世紀始めには、集中して多くの寺院が建てられたようだ。
バンテアイ・スレイ遺跡(967)のは東洋のモナリザで有名。他の遺跡と違い堅い赤色砂岩が使われ、その彫刻は彫が深く素晴らしい。
当時の大学としても使われていたプレアカーン寺院(1191)には、当時としては珍しい2階建ての経堂(今の図書館)があった。
最後の栄華を誇ったという「アンコール・トム」(偉大な王都)。バイヨンの四面像はなんともいえない迫力だったけれど、現地のガイドさん曰く「京歌子さんに似ているでしょ」にはついうなずいてしまい、そのせいか親しみをも感じる。
タ・プロム寺院の樹齢300〜500年のガジュマルは遺跡をしっかり抱きかかえ、いまだにたくさんの葉を付けて元気。木の生命力が遺跡を破壊してしまうか、それともそのお陰で原型をとどめているのか・・・。
お互いが一体化しているとしかいいようのないその姿に永遠の力強さを感じ、さらなる感動を与えてくれた。
そういえば、不思議に思ったことがある。
アンコール遺跡は森に囲まれているのに、鳥の鳴き声を全く耳にしなかったのはどうしてだろう?
素晴らしい景色を見ることも、その土地ならではの料理を食べ、習慣や文化に触れることも、そして日常とは違うゆったりした時を過ごすのも全て旅の醍醐味だ。
何時か訪れたいと思っていた遺跡群の景観は想像を超え、自分の眼で見ることで多くの感動と興奮を覚えたけれど、そこに暮らす人々の様子には胸が痛む。
カンボジアには義務教育がないとのこと。特に田舎に住む50〜80%の子どもたちは学校に行かない(行けない?)そうだ。
お土産を売りに来る子どもたちの必死な目に、どう対応してよいのか迷い続けたのは私だけではないだろう。
遺跡で木々を拾い集めていた小さな女の子は、私たちを見て何を感じただろうか。
裸の赤ちゃんを抱いた女性の傍らを大勢の観光客がよじ登っても、彼女は感心を示さない。そのうつろな様子が気にかかった。
雨季との狭間ということもあるのだろうが、まるで洪水のような水浸しの場所で生活している人もいるのに、そのすぐ近くには、まるで別世界のようなりっぱなホテルが建ち並んでいる。
そういう建物の前を通りすぎる時、現地の人たちはどのようなことを思うのだろう。
滞在中、涼しく広々とした空間で食べきれない食事を目の前にするたびに、移動途中などで垣間見た人々の様子や物売りの子どもたちの姿が頭に浮かび、胸がちくりとした。