弘前の最勝院六角堂の如意輪観世音菩薩像は、生き生きと光り輝いていました。
夜行バスでの日帰りは少々無謀?と思いながら、憧れていた桜の季節の弘前行きを計画。
六角堂(如意輪堂)は、年に一度旧暦の6月13日にしか開扉されないのですが、今回は急遽勢山さんから連絡を取って頂き、取材と言う事で特別に再会がかなったのです。
六角堂に納められた如意輪さんにお目にかかるのは初めて。
ドキドキしながら、昨年如意輪さんと六角堂壁画納入のため同行したことを懐かしく思い出しました。
扉が開き、美しいお姿が目に飛び込んできました。
極彩色と截金が施された如意輪さんは、蓮弁と童子が描かれた5枚の壁画に囲まれとても居心地が良さそう。お像は仏師の渡邊勢山さん、壁画は載方さんが手がけられ、さすがご夫婦での制作です。
私は感慨ひとしおで、傍らの夫もその美しさに驚いているようでした。
完成したお像の納入に同行する機会は、これまでにも何度かありました。
その都度感じるのは、定められた場所へ安置された瞬間に表情が変ること。信仰の対象として、目に見えない力が加わるのでしょうか。感動のあまり、そんなことをご住職にお話してしまいました。
ぐるりと見渡すと木々は柔らかな緑色の葉をまとい、まだ春遠しという印象だった一年前の納入時とは全くちがう表情をみせています。
案内をしていただいた後は、写真を撮るために山内を散策することにしました。
弘前で唯一現存する樹齢250年のエドヒガン桜に参道で挨拶をして、仁王門をくぐるとすぐ左側に重要文化財の五重塔がそびえ立っています。見ごろの枝垂桜とのコントラストが美しく、訪れた人は立ち止まり記念撮影に余念がありません。
本堂や護摩堂、鐘楼などのお堂は、昨年修繕が完了した六角堂とともに静かな佇まいでした。
最勝院は1532年に開基。二代目津軽藩主信枚が弘前城を築城した折、最勝院六世が地鎮の法式を執り行ったことから、寺禄300石を賜り手厚い保護を受けました。また津軽真言五山の筆頭に位置し、津軽の寺社に大きな影響力をもった古刹です。
長い歴史の中には様々な出来事があったのでしょうが、平成3年9月には大きな天災が津軽地方を襲撃。台風19号、いわゆるりんご台風が最勝院にも大きな被害をもたらしました。
想像を絶する強風は、お堂の屋根や扉を吹き飛ばしガラスを割り、その破片が畳に突き刺さる凄まじさだったそうです。また境内の松や杉、サワラなど53本もの大木が被害を受け、倒れた木が鐘楼を直撃し大きな損害がでました。古刹にしては大きな木が少ないのは、そのためだったのです。
よく見ると、枝先をへし折られた木が残っていて、その姿は痛々しく、仲間を失ったことへの叫び声をあげているようでした。
「寺に木々はなくてはならないもの。人々を癒し神聖さを保ってくれるのは木々のお陰」とご住職。でも中々思うように植樹ができないのが現状だそうです。
何か役に立てることは・・・
おせっかいな私はついそんなことを考え、家に帰ってからもそのことが頭から離れませんでした。
如意輪さんとのご縁がこれからも続くように、たとえ小さな一本の木でも植えさせてもらいたい・・・と家族に話したら皆大賛成。
そんなことを思う人が増えてくれれば・・・と願わずにいられません。
さて、今回のもう一つの目的の弘前公園の桜は、例年より9日も早く4月21日に満開と新聞に。花びらが残っていてくれますように、と訪れた28日にはほとんどが葉桜になっていて少しがっかりでした。(枝垂桜と八重桜は綺麗でしたが)
でも、だからまた行かなければ・・・と、再び弘前を訪れる口実ができ、内心嬉しがっている私です。