ハンガリーからスロヴァキア・オーストリア・チェコの中欧四カ国を巡る・・・
というと大旅行のようだが、ゴールデンウィーク後半を利用しての6日間の旅だった。
2月に娘とフランスへ行ったばかりで贅沢?とも思ったけれど、今回は連れ合いさんからのお誘い。
誘われたら断る理由は何も無い・・・多分誰でもそう?
懐かしのシャルル・ドゴール空港で乗換えをし、ホテル到着は我が家を出発してから1日近く経過。だのにまだ出発日で、いつもの事だけど変な感覚だ。
街路樹の、ぶどうの房をさかさまにしたような形の花が、暗闇に白く浮かび上がっているが何だろう?
緑につつまれたヨーロッパは初めてなので明日からが楽しみだ。
もう一つ楽しみなのは国境越え!?
全てバスでの移動だが、パスポート確認はどうするのだろう?
ハンガリーの首都ブダペストは、ドナウ川をはさみブダ地区とペスト地区に分かれていて、130年ほど前にかけられた「くさり橋」で初めて結ばれたという。
ブダは温泉という意味で、この地区には数多くの温泉が湧き市民の憩いの場となっている。ペストは陶器焼きという意味。
ブダ地区の王宮の丘や、漁夫の砦からの眺めは素晴らしかった。
くさり橋の向こう側ペスト地区には、聖イシュトゥバーン大聖堂や国会議事堂が見え、ドナウ川をはさんでの景観はまるで絵画のようだ。
まだ9時前なので、王宮前広場は私たちツアーの貸切状態。混雑を予想して、行程変更をしてくれた添乗員さんとガイドさんの配慮に感謝だ。
歴代国王の戴冠式も行われていたマーチャーシー教会は修復中で、長いクレーン車が外壁にへばりついていた。尖塔は80mほどの高さだから、さすがに作業をする人の姿は見えないが怖そう。
協会の屋根には色とりどりの陶器が使われていて可愛らしい。
内部はゴシック様式だが、一時はトルコ人によりイスラム教モスクに改造された歴史があり、壁に残されたトルコ風の模様がそのことを物語っている。
またステンドグラスは19世紀のもので、戦争中は地下にしまわれていたそうだ。かなりの大きさで、まして壊れやすいものだからどんなにか保存が大変だったろう。
ハンガリーの言語はマギャール語で、ヨーロッパの言葉とはあまり共通点がないようだ。
むしろ日本語と似ているところがあり、水はウィーズ塩はショー。塩が足りない時はショータランと言うそう。冗談のようだがガイドさんがそう説明してくれた。
建国は896年で、建物の高さ制限はそれにちなみ?96m。これから訪れる聖イシュトゥバーン大聖堂の高さは、まさに96mとのことだ。
ハンガリー人って、もしかしてお茶目なのだろうか?
ペスト地区のイシュトゥバーン大聖堂正面祭壇には、初代国王イシュトゥバーン像があるが、これはキリスト教では珍しいそうだ。
「2005年に修復が終わったばかりだから、皆さんはラッキーですよ」とガイドさん。内部には大理石がふんだんに使われていてかなり豪華だ。
ここではパイプオルガンのコンサートも行われるそう。さぞかし荘厳な音色が楽しめるのだろう・・・羨ましい!
この時期は、もう少し肌寒いかと思ったがそうでもない。真夏には35度を越えることもあるが、日陰はわりあい涼しく、逆に冬はマイナス10度になることもあるそう。
植生は日本の北海道に似ているのか、ライラックなどの花々や街路樹が街並みに美しさを加えていた。
そういえば、夕べ夕闇に浮かび上がっていた花はマロニエだそう。成長が早いのか樹齢を重ねているのか、大きな木が多くたくさんの花を咲かせていて、それはそれは美しい。
午後は、2つめの国・スロヴァキアへ向かう。
2時間ちょっと走っただろうか・・・初めての国境越えを経験した。
バスの中に調査官?が乗り込んで来て、1人ひとりパスポートの提示を求められ、印を押す為に回収。ただそれだけなのに何となくドキドキした。
無事に国境を越え、1時間もしないうちにスロヴァキアの首都ブラチスラヴァへ到着。
工業国のチェコと農業国のスロヴァキアは、いわば性格の不一致というような理由で1993年に独立。社会主義から資本主義になった。
国の大変革はまだ最近のこと・・・だのにブラチスラヴァは、意外なほど明るくのびのびとしていた。
木陰のベンチやカフェで人々がくつろぎ、時の流れが止まっているようなその雰囲気に、癒される想いさえしたのは何故だろう。
また路面電車がゆったりと走る様子や、ところどころに設置されているユニークなオブジェが、更に心を和ませてくれる。

今回初めて気ままに歩いたからだろうか?それとも相性がいいのだろうか?
「首都のわりには寂しいですよ」と説明されたこの街が、何だかとても気にいってしまった。