2015/7/31
久米島移住妄想(7) 旅行

「一週間旅行やったらいいよ。」
と言った。よし・・・これで、ゆっくり着実に計画を練るか?夫はもう来年は行かない、と宣言してるから(もう2度と私達とは一緒に旅行に行きたくないらしい、お金を使うのが嫌なんだと)、とりあえず一人分の旅費は浮く・・・が、夫は夏休みの旅行費用は今後一切出してくれないらしいから、私一人で負担しなければならない・・・といっても、今回の旅行だって、私が8割は出してるから、夫の負担無しでも何とかできるはず!
あー、経済的な計画をしっかり立てなければ!これ、苦手だけど・・・っていうか、いつも計画無しに、適当にやって、今まで生きてこれてるんだから、何とかなるさ。

といっても、それも来年夏の話しになるけど。冬は、久米島旅行、安いらしいんだけれど、海では泳げない。じゃ、何があるのかなぁ〜。それも調べて、冬に行ってもいいか?春は無理。航が中学入学だから、忙しくて旅行どころじゃないから。

でも、行けるなら行きたい。冬の久米島も見てみたい。
一ヶ月滞在の話しからは、ずれてきたけれど・・・要は、すぐに滞在はできないみたい(子ども達の気持ちの問題)だから、それじゃ、もう一度旅行に行って、子どもたちの気持ちが変わるような(一ヶ月滞在したくなるような)旅行計画を考えてみよう!
ちなみに最後の写真は、ホテル前、久米島レストラン街目抜き通り。目抜き通りだよ、空き地一杯、なんてのどかぁ〜

2015/7/30
久米島移住妄想(6) 旅行

今日買い物に行ったら、スーパーのレジを過ぎた所で、沖縄食材コーナーみたいな特設コーナーがあった。見ると、サーターアンダギーが売られていた。サーターアンダギーはどこでもよく売られているのだけれど、久米島でいた時、あるスーパーで地元の人の手作りサーターアンダギーが売られていて、それを買ったらとってもおいしかったのを思い出した。あまりにおいしかったので、翌日またそのスーパーに行って2袋買い足したのだ。その買い足した2袋も、次男と私ですぐに食べ尽くしてしまったのだけれど。

その夕方、子ども達に私の妄想を少し話して聞かせてみた。
「来年は久米島に、1ヶ月くらい行こうかと思うんだけど。その1ヶ月、ホテルに泊まるんじゃなくて、普通の家を借りて、そこで住むの。」
そう言った瞬間、長男と次男が、
「それ絶対いや!」
思いっきり拒否。うわぁ〜、私、撃沈!
「ななな!なんで?」
「だって、てらぴょんとひろさん(シュノーケリングツアーに一緒に行ったインストラクターの方達)と約束したもん。」

「あかん、絶対にホテルに泊まるの!」
うぅ〜ん。まだ話しを進めてみる。学校に行って、そこで新しい友達作ってみない?とか、きっと他の楽しい遊びを教えてくれるよ、とか・・・。とにかく、子ども達にとって久米島は、やはり旅行先でバカンスを送るところ、という認識。
うぅ〜ん。やはり、言い方が急過ぎたか・・・。ちょっと色々作戦を練らなければ。

2015/7/29
久米島移住妄想(5) 旅行

以前、動物写真家の岩合さんのサイン会に行った時、岩合さんがおっしゃっていた。今は、世界的に、猫が住みにくい世の中になっていっていると・・・。うちの住宅街でも、私の父が猫好きで餌付けしてしまい、近所から自治会を通してすごい苦情を言われ、やむなく父は、猫たちを捨てに行った。
でも、ここでは野良猫ちゃんたちにきっと、自由に餌をあげてもいいんじゃないかな。誰も文句言わないんじゃないかな。だから、こんなに子猫がいっぱい。

久米島の地元出身の方達は、例えば友達や近所の人の家に行く、というと、連絡せずにぶらっと出かけて「こんにちは〜、来たよ〜。」ってな感じで訪ねるらしい。なんだか中国みたいだなと思った。いちいち連絡しないから、頻繁に訪れることができる。お互い行ったり来たり、何も気兼ねなく自然なコミュニケーションを取っている。

例えば、この夏休みの宿題。なんでこんなに多いのか?
社会:@歴史人物新聞作成A戦争について調べ、A4サイズ6枚にまとめる
理科:実験
図工:@平和ポスターA絵画1点B工作1点
国語:@読書感想文A生活体験文
算数:ワークブック(国語つき)
家庭科:朝食作りレポート
音楽:3曲を笛で練習
私が覚えているのでこれだけ有る。そりゃね、さっさと普通にできる子もいるよ。長男の友達は、もうほとんど一人でこれだけの宿題をやってしまったそうだ。そんな優秀な子もいる。でも、例えば今日、長男と戦争についてまとめていても、1時間半一緒にやっても、たったの2枚。つまり、1つの宿題も1日では終われないって事。読書感想文なんて、まず、本を読まなければならない。
これだけの宿題をするだけでも、折角の夏休みなのに、すごい精神的ストレスを親も子どもも抱えてしまうわけだ。

いやいや、宿題をしたくないから移住したいんじゃないよ(笑)要は、多分、こういう離島の学校に来たら、きっとここまでたくさん宿題は無いと思うんだな〜 つまり、そういう不要な精神的苦痛は無いと思うんだ。
今の社会、要らない物いっぱい抱えて人は生活している。そんな物、できるだけ脱ぎ捨てて、剥ぎ捨てて、生活できる世界もあるんだって・・・今、ちょっとしんどい長男に体験させてあげたい。それで、彼が「こんな生き方もあるんだ・・・」って、そんなはっきりしたものでなくても、何かパッと目の前が明るく広がるような、そんな転機になってくれればいいのになぁ・・・と思うのだ。

2015/7/28
久米島移住妄想(4) 旅行

じゃ、1ヶ月の滞在。探してみたら、1ヶ月くらいから賃貸できる家や部屋がある!ああ〜、やっぱりな〜、こんな気持ちになるのは私だけじゃないよな〜。誰もがここに移住したいと、一度は思うんだろう。
でも、色んな事情で、突然そんな思い切った事ができない人は、私のように「じゃ、1ヶ月から住んでみて、ずっと住めたら、ここに移住しよう。」みたいに、まずは1ヶ月の滞在からやってみるんだろう。

もし、そんな1ヶ月だけの転校が可能なら、ま、最初はやっぱり、子どもが楽しめる時期の夏にして、6月〜7月とか?夏休み前にちょこっと行ってみる。
もし、1ヶ月だけの転校が無理なら、やっぱり夏休み全部使って行ってみる。

行くとしても、多分来年だから、長男は中学1年生になってる。離島では、子どもだけを受け入れる「ホームステイ型留学」みたいなプログラムがあるのは知っている。でも、うちの子は、こういうのはダメ・・・。みんな、絶対ママがいないと泣く子たちだから。

2年前、夫が中国出張時に、次男だけ連れて一緒に中国へ行き、自分が出張中ずっと、蘇州の両親に次男を預けていた事がある。1週間だったのだけれど、それはもう、次男にとっては拷問に近い辛さがあったようで、毎日大泣きして「帰りたい!帰りたい!」とパソコンのチャットで訴えてきた。あれはかわいそうだった。
どこに行く時も、ママが一緒だったら平気なのだけれど、ママがいない所は絶対ダメなのだ。親がいなくても、しっかりできる子どももいれば、そうでない子どももいる。子どもによって性格は違う。うちの子はとにかく、ママが必要。

2015/7/27
久米島移住妄想(3) 旅行

理想は、3年間くらいの目処で、久米島に移住する。そして、もし戻りたいと思ったら戻るし、戻らず、そこでずっと暮らそうと思ったら、そこで暮らし続ける。でも、確かに久米島では”ギリギリ食べていけるだけの収入”しか得られないと思う。
それでも、例えば3年間でも、あんな大自然の、人々もゆったりした所で子どもを育てられたら、きっとどんな子どもの心の病も治ってしまうだろうと思う。
もうすぐ終わるけれど、長男のソフトボール。これが、長男と私に与える精神的負担はかなりのもの。これが無くなるだけで、そして、もし久米島に行けたら、どれだけ心が楽になるだろう、と思うのだ。

ただ、どうしてもネックになるのが、経済的問題。夫は来ない前提で(笑)、例えば私と子どもたちだけ移住するのに、まず、移住費用が掛かる、これは夫は負担してくれないとして、例えば離れて暮らしている間の、生活費、養育費は負担してくれるだろうか?もし、それが有れば、大丈夫だと思うが・・・

・・・じゃ、やっぱり短期で1ヶ月だけの体験的ステイを計画するか!?
・・・なぁ〜んて、勝手な超楽観的妄想は停まらない・・・(笑)

2015/7/26
久米島移住妄想(2) 旅行

自分自身の例で言うと、会社務めをしていた頃、3週間の北京短期留学に行った時、私は「北京に住みたい」ではなく、「北京に住むのだ!」という強い確信を持った。そして、実行した。
あの時はピチピチの独身(笑)。自由の身、何をしても、人生どんな選択をしてもいい条件が揃っていた。ところが今は違う。身は一つではなく、自分の家族がいる、特に息子3人・・・。
そんな中では、「そこに住む!」という確信ではなく、「住みたい!」という気持ちだけが沸き上がる。

じゃ、例えば移住するとしたら、まずは、収入源(要は仕事)を確保しなければならない。あ・・・いいじゃん、私、語学教室開きながら、市役所とかで、中国語の通訳の仕事を時々させてもらったらいいよね〜♪ 今、久米島に来る台湾人旅行客も多いから、そんな時、是非是非私を引っ張り出して下さ〜いって感じかな。一応、それは収入源にはなりそうだ。
でも、それだけの収入で3人息子を育てられるだろうか?(夫は行かない前提、だって、絶対にそんな田舎には行かない人だから) これが一番難しいけれど、何とかなる?
あと、病院も心配だなぁ〜 調べたら、久米島病院だけみたいで、産婦人科は今後なくなる方向らしいけど、ま、それはもうお世話になる事はそんなに無いはず。でも、身体の弱い三男に、何か有ったら、ちょっと厳しいな〜

いけそ〜♪
じゃ、住むところは?多分、見たところ、マンションとかは無いから(台風が多いから、マンションは無理だよね〜)、中古の古〜い家をリフォームして住む事になるかな。リフォーム無しでは、ちょっと難しい感じ。

そんなの、引っ越し屋に頼めば簡単・・・って事だけど、私としたら、移住の下見として、春夏秋冬のそれぞれの時期に久米島にちゃんと行ってみる。そして、行く度に色んな荷物を持って行っておく。そして、少しずつ、久米島でも短期で住めるような環境を整えておき、そこで寝泊まりもして子どもたちにも慣れさせておいて、そして最後に決めたらどぉ〜んと移住する。
まー、そんな感じかな〜♪

2015/7/25
久米島移住妄想(1) 旅行

もちろん、今回の久米島は旅行。旅行で来るのと、ここで生活するのは違う。大人だから、そのくらい分かる。でも、ここでの風景は、あまりにも懐かしい感じがたくさんあった。多分、中国にも近いからだと思うけれど、昔懐かしの中国(今の中国とは違って)を思い出させる風景もいくつかあった。
例えば、中国でも、特に夏は暑くて、夜になるとマンション下のガレージの所などに、テーブルと椅子を置いて、近所の人が集まり、たむろっている。それとよく似た風景が、久米島にもあって、建物の下、一階の外に机と椅子を置いて、たむろって楽しそうに過ごされていた。

ところが、久米島は、どのお店も本物のレトロ(笑)。そして、料理は絶品!お店の人は、愛想が悪い人が多いのだけれど(笑)、それは、不必要なセールススマイルをしていないだけのこと。私はそれらが、本当に心地よかった。

そりゃ、現実は厳しいかもしれない。でも、現実なんて、どこでいたって厳しいものなんだから。厳しさが違う?いや、そうじゃなくて、厳しい種類が違うだけだと思う。

2015/7/24
久米島四日目 旅行

ホテルのロビーに、シュノーケリングツアー会社のデスクが有り、そこで7時半頃には出勤して来られる方々と、息子たちは一人一人記念撮影。特に、長男は、彼らと心が通じたと思ったのか、
「この旅行で一番楽しかったのは、友達(シュノーケリングを教えて下さったインストラクターの方々)ができたこと」
と言う。
そして、9時15分出発の飛行機に乗り込む。たった30分で沖縄本島に到着。那覇空港に到着すると、那覇空港が大都会に見えた。そして、空港内の売店でも、例えば日焼け止めクリーム1つにしても、20種類以上のものが並べられ、けばけばしく見えた。
本来、日焼け止めクリームが必要なら、1種類の物が置いていれば事足りるはずだ。ところが、色んなメーカーが色んな種類を出し、消費者に選択肢を与え、それが”豊かさ”だと勘違いさせられているこの現代社会が、まざまざと映し出されていた。
久米島では、ガソリンスタンドもEneos1社しか無かったし、スーパーだって、あちこち乱立しているという事はなくても、人々は必要な時、必要なお店に行けば事足りるのだ。離島である事、競争条件が無い事で、値段は跳ね上がっているかと思いきや、大阪と値段は変わらないし、ある物は大阪より安い。
そんなこんな、那覇に着いただけで、そんな印象を受け、そして関西空港を飛行機の上から見下ろした時には、建物の雑踏がまるで(非常に悪い表現で申し訳ないのだけれど)、ゴミのように見えてしまった。そして、私はまた、その中で生活続けるのだろう、という覚悟の気持ちを強くしながら、飛行機が関空の滑走路に到着した。

2015/7/23
久米島三日目(3) 旅行

ウミガメ館で展示されているパネルで、色々学ぶ事があった。絶滅危惧種である事、生存率が低い事、またその原因など・・・。また、ウミガメが溺れた人間を助けたエピソードについても、2件紹介されていて勉強になった。

ホテルに到着したのは13時くらい。そこからまた始まったプール三昧。ホテルのプールは18時で終了するが、それまでギリギリプールを使用。5時間もプールをしていた事になる。三男は、部屋に連れて行って昼寝をさせようとするのだけれど、絶対にお兄ちゃん達と一緒にプールしないといけないと、言う事を聞かない。仕方無く、プール横ベンチで寝かせる事にした。

しっかり6時ぎりぎりまでプールをした後、またそのままホテル前のビーチへ。そして、陽が暮れるまでずっと、ビーチで貝殻を見つけたり、砂遊びをして過ごした。さぁ、もう今日が久米島最後の夜なんだから、早く食事に行って、ホテルに帰って、お土産の買い物もしなければ!


2015/7/23
久米島三日目(2) 旅行

ここでも子どもたちは、しばらくの時間を過ごした。たくさんの魚を岩と岩の間で見る事ができた。この後は、久米島一の展望台へ・・・。
久米島一の展望台、比屋定バンタ。ここは、私にとっては一番楽しかった所かもしれない。その理由の一つに、とにかく景色は最高!快晴だったし、申し分無し!第二に、ここに有る売店が良かった(笑) すごく暑かったのだけれど、かき氷を食べてまずは生き返り(笑)、そして、ここであれこれ食べ物や飲み物を買って楽しむ事ができた。

食べ物がおいしいって、本当に嬉しい。そして、大阪とまた違うのは、店員の女性が、特に愛想がいいわけじゃない(笑) つまり、無愛想の部類に入るくらいなんだけれど(笑)、でも、それだけ商売っ気が無い、という事とも言える。その自然さが私は逆に心地よかった。

一番左端の男性は、以前、10年連続、沖縄相撲のチャンピオンだったらしく、そんなすごい方と偶然にも出会えた、というのは本当に嬉しい事。また、このおじさんたち、4人で喋っている時は、地元の言葉で、私はまったく聞いて分からなかった。それはもう、完全な外国語!でも、私達に話しかけてくれる時は、ちゃんとした標準語で喋ってくれる。ああ〜、すごい!普通に2言語使い分けてらっしゃるんだから!


2015/7/23
久米島三日目(1) 旅行


要は、見た目、どう見ても下り坂なのに、実は上り坂だ・・・という錯覚で見える道。見た目、「ここが下り坂の最後」という場所まで車で”下って”行く。そして、その”下り坂の最後”で車を一旦ストップさせ、ニュートラルにしてみる。すると、車がどんどん後ろに下がっていくのだ。

さて、次ぎに向かったのが「熱帯魚の家」。「家」というからには、建物が有るんだ〜・・・と思いながら、ポイントを探しながら運転。小径に入ってから、分かりにくくなり、ナビもつけてナビの通りに行ってみるが、やはり「家」が見えてこない。また引き返して、別の道に入ってみるが、グルッとまわっただけ(涙) 仕方無く、民家のインターホンを押して、「熱帯魚の家」はどこに有るか聞いてみる。すると、やはりさっき通った道で正しい、と言う。


2015/7/22
久米島二日目 季節

なんと素晴らしいビーチなんだろう・・・。砂は白く、打ち上げられた珊瑚がびっしり敷き詰められていて、5歩歩けばヤドカリがすぐ見つかる・・・というくらい、ヤドカリちゃんがいっぱい!
子どもたちは無心に、ヤドカリを見たり、貝殻を探したり、あっという間に9時前に・・・。9時、そう、ホテルのプールが使える時間。さぁ、またプールするぞー!

久米島からボートで20分くらいの所に「ハテの浜」というスポットがある。砂浜だけの陸地としては、7キロもあって、世界でもめずらしい所らしい。そこで、1日過ごすツアーに参加するのだ。

夫、長男、次男たちは、シュノーケリングツアーに参加、私と次男はとにかくハテの浜で1日過ごす・・・というので、最初は、「三男、1日ももつかなぁ〜」と心配していたのだけれど、なんのなんの!まったく平気・・・どころか、大喜びで1日中海の中に浸かっていたような感じ。
とにかく、海・・・という感じではなくて・・・透明な、何か別世界に入り込んだような、暖かくて、静かで、やさしくて、美しくて・・・そんな言葉では表現できない世界に1日中いれた・・・それだけで幸せっていうような、そんな所。

魚は本当にたくさんいて、ハテの浜にいても、水深20センチくらいしかないようなところにも、たくさん魚がいて、足の横をスイスイ泳いでいく。餌付けすると、すぐにたくさん寄ってくる。
ああ〜、本当に素晴らしい〜。ここは天国?ここはどこなんだろう?同じ地球上に、こんなところが有るというのに、私達人間は、何やってるんだろう?
ツアーから帰っても、長男と次男はまたプール・・・すごい体力!私はとにかく三男を休ませ、それでも、ツアーから帰ってきた余韻から覚めずに、ほわ〜っとした気分が続いていた。

2015/7/21
久米島一日目 季節

もともと、今年は夫が勤務10年目のチャレンジ休暇(10日間くらいの有給休暇)をもらえるというので、長男も小6で、来年中学のクラブ活動で自由に旅行も行けないかと思い、今年は思い切ったところに旅行に行こうと考えていた。
最初、英語圏の近場でグアム?とか考えたのだけれど、子ども達が猛反対(笑)!じゃ、どこがいいのよ〜、と聞くと、次男が「俺たち”久米”だから、久米島に行きたい!」と言い、その一言で久米島行きが決まった。

入れていた・・・のに!夫は、最後まで久米島行きを了承せず(お金を使うのを非常に忌み嫌う性格から、旅行は大嫌い)、結局私が強硬手段で勝手に旅行アレンジを進め(そうしなければ、一生家族旅行は行けない)、夫は意地になってなかなか会社と休みの交渉をせず、4日前になってやっと上司にチャレンジ休暇の申請をし、かなりしかられた様子。
もらえる休み(会社の制度)なんだから、堂々と休みを取ればいいのに、とこっちは思うのだけれど。っていうより、とにかく、お金を使う旅行には行きたくないだけのことだろう。

ホタルは世界で2千種類以上有り、その中でも水生ホタルは非常に少なく、日本でも水生ホタルは久米島ホタルを含む4種類しかいないとのこと。
そんなお話から、とにかく色んな生物のお話をたぁ〜〜〜くさん聞かせて頂いた後、久米島博物館へ・・・。ところが、子どもたちは、博物館にはまったく興味が無い様子で、博物館の外で走り回っていた・・・ああ〜

子ども達は、ホテルへ到着すると、もう夕方で小雨もぱらつく中だというのに、ホテルのプールで思いっきりはしゃいで遊んでいた。楽しい旅の始まりだ。

2015/7/15
子ども見守り隊 子育て

「こんにちは!」と声を掛ける。それから、「暑かったね〜」「荷物たくさんあって重いね〜」「頑張って歩いてきたね。もうちょっとで家に着くよ。」などと声を掛ける。
大抵の子は挨拶に答えてくれる。
三男出産前までは、毎朝通学路に30分間立っていた。出産してから、ずっとこの見守り隊ができず、この4月からまたPTAの役をしながら、この見守り隊に参加している。でも、朝は三男がまだ家にいて、通学路に立てないので、三男がまだ保育園にいる夕方、下校時刻に立っている。
でも、やはり前のように毎日は立てない。夕方だから、仕事もあれば、子どもを病院に連れて行く事も有る。大抵週に1回くらいしか立てないのだけれど。
それにしても、今日も暑かった。荷物を背負って通学路を歩いてきた子ども達はもっと暑かっただろう。蝉の声がミンミン聞こえていた。もうすぐ夏休みだ。

2015/7/14
鏡にしたい生徒さん 教室
うちの教室で英語を学習されているある生徒さんのお話。
彼に限らず、多くの日本人は、あれだけ学校で英語を学んでも、口から英語がついて出てこない・・・という問題を抱えている。いわゆる、”中学生英語”というのでも、読んでは分かるが、聞いたら分からない、話そうと思っても、英語が出てこない・・・というパターン。
多くのパターンは、「読み書き」はできるが、「聞く話す」はできない、という超アンバランスである事。
ところが、彼の場合は、中学生の時、まったく英語を勉強しなかったので、「読み書き」もまったくできないレベル。その彼が、大人になって、こんなに真剣に英語を勉強し直そうと思い、頑張っている姿を見ると、いつも感動する。
彼が、「英語を話せるようになりたい」と頑張っているのには、仕事に生かしたい、という目的が有るからで、純粋な気持ちで真剣に取り組む姿は、本当に鏡にしたい。
彼が中学生の頃、何故、英語をまったく諦めて勉強しなかったか。それには、理由が有る。彼は、色んな事に疑問を感じるのだけれど、それに対して、学校教育では、それらの彼の素朴な疑問にまったく答えられなかったからだ。今、彼の素朴な疑問を、大抵の教師や講師にしても、答えられる人はなかなかいないだろうと思う。
例えば、スペリングの問題。「know」はなぜ、Kがついてるのに「ノウ」と読むのか?「make」の「a」は「エイ」と読み、「e」は読まないのに、なぜ、「map」だと「a」は「ア」と読むのか・・・とか。こういう問題は、今は、「phonics(フォニックス)」という概念で、解決する事ができるが、私達が学生の当時は、まだこの学問はアメリカから伝わっていなかった。
例えば、文法の問題。「I like him.」なのに、主語が「She」に変わると、「She likes him.」と三単現の「s」がつく。それは何故か?その素朴な疑問に対して、納得する答えを言ってあげなければ、彼はそこから進めないのだ。そこは、彼にとって重要なポイントなのだ。
私がどう答えたかって? ふふふ〜、それは企業秘密♪
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彼に限らず、多くの日本人は、あれだけ学校で英語を学んでも、口から英語がついて出てこない・・・という問題を抱えている。いわゆる、”中学生英語”というのでも、読んでは分かるが、聞いたら分からない、話そうと思っても、英語が出てこない・・・というパターン。
多くのパターンは、「読み書き」はできるが、「聞く話す」はできない、という超アンバランスである事。
ところが、彼の場合は、中学生の時、まったく英語を勉強しなかったので、「読み書き」もまったくできないレベル。その彼が、大人になって、こんなに真剣に英語を勉強し直そうと思い、頑張っている姿を見ると、いつも感動する。
彼が、「英語を話せるようになりたい」と頑張っているのには、仕事に生かしたい、という目的が有るからで、純粋な気持ちで真剣に取り組む姿は、本当に鏡にしたい。
彼が中学生の頃、何故、英語をまったく諦めて勉強しなかったか。それには、理由が有る。彼は、色んな事に疑問を感じるのだけれど、それに対して、学校教育では、それらの彼の素朴な疑問にまったく答えられなかったからだ。今、彼の素朴な疑問を、大抵の教師や講師にしても、答えられる人はなかなかいないだろうと思う。
例えば、スペリングの問題。「know」はなぜ、Kがついてるのに「ノウ」と読むのか?「make」の「a」は「エイ」と読み、「e」は読まないのに、なぜ、「map」だと「a」は「ア」と読むのか・・・とか。こういう問題は、今は、「phonics(フォニックス)」という概念で、解決する事ができるが、私達が学生の当時は、まだこの学問はアメリカから伝わっていなかった。
例えば、文法の問題。「I like him.」なのに、主語が「She」に変わると、「She likes him.」と三単現の「s」がつく。それは何故か?その素朴な疑問に対して、納得する答えを言ってあげなければ、彼はそこから進めないのだ。そこは、彼にとって重要なポイントなのだ。
私がどう答えたかって? ふふふ〜、それは企業秘密♪
