2008/8/31

「ふるさと」のエピソードin北京  

昨日の続き。まず「ふるさと」についての私のエピソード。

北京留学時代、作文大会があり、何故かその作文大会の作文をヒアリングクラスで発表し、担当の先生に提出する事になっていた。私は何か、日本についての事を、クラスメイト(色んな国の子たちがいた)に伝えたいと思い、「日本の国歌」についての作文を書いた(確か、第二位の賞状をもらった作文だった)。内容としては、「日本はオリンピックなどで優勝すると、かけられる歌があるが、実はあの歌は法律では正式に”国歌”としては認められていない。戦時中にも使われていた歌であること、また歌詞が天皇についての内容である事で、国歌として認めたくない人もいるからだ。」とか何とかいう内容だった。

その作文をクラスメイトの前で読んだ後、あるロシア人の女の子が「私、日本の国歌知ってる、歌えるよ。」と言うので、すごく驚いた。それで先生も「じゃ、歌ってみて!」と言うので彼女が歌い始めると、なんとそれが「ふるさと」の歌だった。彼女は日本語でしっかり最初から最後まで歌ってくれた。

私は唖然とした。ビックリした。授業中だったが、彼女に問いかけた。「あなた、どうしてこの曲知ってるの?しかも日本語でどうして歌えるの?」と・・・。すると彼女は、「以前日本へ旅行で行った時に教えてもらった。」と言うのだ。

もちろん私はそれが国歌ではない事を伝えたが、彼女は「ええ?てっきりこれが国歌だと思ってた。」と言い・・・。細かい事は分からなかったが、最後に彼女と私と、もう一人の日本人クラスメイトと3人で、「ふるさと」をみんなの前で歌った。

その時に感じたこと。いい歌、人の心に残る歌っていうのは、言語に関係無い、その人の国籍にも関係無い。どんな人の心にも残り、自分も相手も心を開いて心を通わせることができるものなんだ・・・っていうこと。

それを教えてくれた曲、「ふるさと」。これを素晴らしい中国語訳にされている李広宏さんのCDで、教室では中国語で歌った。歌の力ってすごいと思う。
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2008/8/30

伝えることも大切  

今日は教室で、8月限定の歌のクラスが最後の授業だった。1回目は「花」をテーマに、2回目は「月」をテーマに、3回目は「民族の心」をテーマに、中国人なら誰でも知っている中国の歌を歌ってきた。最後の今日4回目は、「日本の歌」をテーマに中国語で日本の歌を歌った。

中国に行った時、もしくは中国の人と交流した時、もし私たちが中国の歌を少しでも歌えたら、「ええ?どうしてその歌知ってるの?」と相手は非常に驚きをもって喜び、そして心を開いてきてくれるだろう。そして、一緒に中国の歌を歌った後、「それじゃ、日本の歌も教えてあげる。一緒に歌おう。」と言って、日本の歌も相手に伝えてあげられたら、どんなに楽しいだろう。

今日中国語で歌った日本の歌は、「ふるさと」と「千の風になって」(by 李広宏)と、「涙そうそう」の3曲。これらの曲を選んだ理由は、また明日書くことにする。
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2008/8/29

怒る時は中国語  

長男はやんちゃ盛り、悪さばかりをする。よく叱るのだが、今日も兄の家族がうちへ遊びに来て、みんなが食事をしている食卓に向けてボールを放った。そこでガツーンと叱った。思わず中国語で・・・。横から兄が「中国語で叱ってるぅ(笑)」・・・。

自分では意識していなかったが、怒ったり叱ったりする時は、いつも中国語になっている。感情的になると、中国語になるのだ。強い感情を思いっきり表現するには、中国語の方が感情が出やすいからじゃないかな。ただ、これを大阪弁で言うと、すっごく恐いかも・・・。きつすぎるんじゃないかな。

私の中での結論として、中国語は大阪弁よりやさしい。だから、叱る時は中国語になるんだと思う。(大阪弁で感情のままに怒ったら恐すぎる・・・。ま、子供を叱る時には感情的にならないのが一番良いのだが・・・いつもそういう訳にはいかず・・・)
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2008/8/28

カンフー・パンダ  

今年夏休みに公開されたディズニー映画「カンフー・パンダ」をご存知でしょうか。(詳細はここ←クリック)「ムーラン」に続く中国を舞台にしたアニメだ。なかなかよくできている。(「ムーラン」も良かった!)

教室のある講師が中国で買ってきたDVDを教室で見せてくれ(サロンコースの時間に)、それを借りて帰った。中国で売られていたものだから、言語は中国語。長男が見たがっていたので、今日早速見せてあげた。

とても喜び、見た後もあれこれ場面の説明をする。おもしろいのが、彼は映画の中の中国語を聞いて全部(というと語弊があるが)理解していて、それを再現する時には全部日本語で説明するのだ。パンダが喋っていた言葉とか、彼の口を通して日本語になると、とてもおもしろく、「へぇ、長男にはこんな風に頭に入っているんだ。」と思う。

まだ小さいので、ストーリーの細かいところは全然理解できていないが、しばらくは彼の中でブームが続きそうだ。
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2008/8/27

もうすぐ終わり  

夏休みももうすぐ終わりだ。今年は初めて長男を1ヶ月夏休みで保育園を休ませた。あっという間の夏休みだったと思う。

今日は長男と次男、二人を連れて教室へ・・・。私の両親は昔教師だったが、私も小さかった頃、時々親に連れられて夏休みに親の職場(学校)へ行ったりした事があった。今の時代、学校の先生が夏休みであろうと、子供を職場に連れて行くのは許されないだろうと思うが、当時は大丈夫だったのだ。

父は野球部の監督だった為、野球部の練習をよく見に行った。あの頃は、何も分からなかったが、子供を連れて職場に行くのは大変だっただろうなぁ・・・と、自分がその立場になって初めて分かる。

今日は二人も連れて大変だったが、二人ともかしこくしてくれていた方だと思う。それも今週までで終わり。来週からは保育園。もうすぐ終わる夏休み。大変だったけど、結構楽しかった夏休みかもしれない。
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2008/8/26

雑草刈り  

日本の夏の風物詩と言ってもいいかもしれない。6月頃からシルバーの方たちを中心に、街のあちこちで雑草刈りをしているのを見る。

中国から帰ったばかりの頃、日本の雑草を見て美しいと思った。こんなに美しい緑の草が、これほど元気に伸びるというのは、土壌、空気、気候など、すべてにおいて環境が良いからだろうと思った。

北京や蘇州でいた頃、雑草という雑草をそれほど見たことがなかった。あってもチョロチョロ程度。日本のようにボーボーと生えることは無いから、雑草刈りをする光景も見たことがなかった。美しい緑色を見ることがほとんどなかった為、日本に帰って雑草刈りをしているのを見た時、「あんなに美しい緑色の草を刈るなんて、もったいない。」と思ったほどだった。

今日、教室に行ってみると、教室裏の川べりの雑草を誰かが刈ってくれていた。シルバーや市役所の管轄で刈ると、刈られた後の雑草も処理してくれるが、処理していないので、誰か近所の方がボランティアで刈ってくれたのだと思う。今日はその刈られた後の草を片付けていた。まだ全部できていない。また明日も片付けよう。刈ってくれた人に感謝して。
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2008/8/25

イケてる長男  

今日長男の保育園のお友達の家にお呼ばれして、初めてそのお友達の家にお邪魔した。お友達は女の子、2歳児の頃から同じクラスで仲が良い子だ。

先週金曜日、あるお店に入った時、女の子用の飾りゴムが売られているのを見て、「あー!これ○○ちゃんにプレゼントするぅー!」と言う長男。女の子が髪の毛をくくるのに、飾りゴムを使っているのをちゃんと見ているのだ。しかもそれをプレゼントしようと思いつく辺りが結構イケてるよ、長男!

それに、「○○ちゃんはピンクがいい!××ちゃんは水色がいい!」と二人のお友達の好みをちゃんと把握しているのだ。おお〜、すごいぞ長男!子供なのによく見てるなぁ・・・。

今日はその飾りゴムを○○ちゃんにプレゼントしていた。子供って素直、別にテレるとかいう感じもなく、素で「はい、これ。」と渡していた。いいなぁ〜
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2008/8/24

オリンピック閉幕  

二週間のスポーツ祭典が終わった。2008年8月8日・・・中国国民がもう何年も前から待ちに待ちこがれたこの祭典、たったの2週間で閉幕(短いなぁ・・・早かったなぁ・・・)。今私はその閉幕式を見ながらパソコンを打っている。

今回、この北京での開催は、例年の開催よりも注目度が高かったのではないかと思う。中国という国際的に注目されている国であるだけに・・・。今回無事に閉幕式を終え、素晴らしい祭典であったと思う。

私が心の残ったのは、まず北島の水泳。これで息子の水泳に対する興味が高まった(バタ足も上手くなった)。谷選手の銅メダル。一児の母でありながら、あそこまでいくのは、本当に素晴らしい。ジャマイカの短距離選手のリラックスした走り(世界記録)もすごかった。

何種類のスポーツがあったのかは分からないが、この2週間、十二分に楽しませてもらった。良かった、楽しかった、素晴らしかった。さ、これで私も明日からもうちょっと睡眠時間を取ることができるぞ。
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2008/8/23

過夜茶  

中国語で、前日に作って一晩越えたお茶のことを「過夜茶」と言う。中国ではこれを絶対に飲まないようにするのが習慣だ。

うちの家では夏、三番茶というお茶を作って冷やしたものを飲むのだが(麦茶はあまり好きではないので)、前日に作ったお茶も普通に飲んでいる。全然問題は無い。
もちろんお茶は、作ってすぐ飲む方がいい。当然だ、新鮮な方がいいに決まっている。でも、夏は作り置きした冷たいお茶を飲むのが日本の習慣だ。では、どうして中国では“「過夜茶」を絶対の飲んではいけない”と言うのか?

中国では、普通お茶を作ったら、茶葉はお茶の中に入れたままにしている。茶葉をお茶の中に入れたままにしていると、茶葉に細菌が繁殖し、変色、変質をもたらし、要はお茶そのものを腐らせてしまうからだ。

でも、日本の場合、お茶を作ったらすぐに茶葉は取り出すのが普通だ。だから、「過夜茶」でも特に問題は無い(特に冷蔵庫などに冷やしておくと)。
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2008/8/22

空心菜  

今年和泉市に新しく作られた「道の駅」、ここは和泉市の物産店のようになっている。そこになんと、「空心菜(kōng xīn cài)」という野菜が売られている。実は先週生徒さんからこの「空心菜」を頂き、どこで売っていたのか教えて頂き、さっそく今日行ってみたのだ。「空心菜」はちゃんと売られていた。しかも和泉市産!

「空心菜」というのは中国南部の野菜だ。ほうれん草のような形だが、茎の中がマカロニのように空洞になっているので「空心菜」と呼ばれる。これは蘇州では炒めて食べるのだが、炒めても茎の中が空洞になっている為、かなりシャキシャキとした歯ごたえがある。匂いや味にも癖が無いので非常に食べやすく私は大好きだ。明日夫に炒めてもらおう。
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2008/8/21

「私の会社」「あなたの会社」  

Aさん 「あなたの会社はどこにありますか?」
Bさん 「私の会社は大阪市内にあります。」

日本人はよく普通に「私の会社」「あなたの会社」と言う。この会話を聞いて、「Bさんは会社の社長さんだ。」と思う人はまずあまりいないだろう。「Bさんは、会社で社員として働いているんだな。」と思う人の方が多いのではないだろうか?

中国語では、一般的に「私の会社」と言えば、その人はその会社の社長さんにあたり、一般社員であれば「私たちの会社」と言うのが普通だ。日本人はわざわざ「私たちの会社」と言わないのだが、私はここに、中国人と日本人の会社に対する意識の違いが現れているのだと思う。日本人は会社で働く時、より社長に近い気持ちで働いているのではないだろうか?だから「私の会社」と言うようになったのではないか、と思う。
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2008/8/20

中型バイク  

夫が今日、4回目にして中型バイクの免許を取得した。

日本では、50ccバイクも免許が必要だが、中国では不要(しかし、今は50ccバイクに乗ってもいい都市は少なくなっているはずだ、今は電動自転車の時代)。100ccくらいになると、日本では中型バイクの免許を取る。中国でもこれは免許が必要だ。夫は中国でもこの免許を持っていた。

今回、どうして4回目にしてやっと合格になったのか?非常に厳しいルールがあり、まったくその通りに運転しなければ不合格になるのだ。まず、バイクにまたがる前に、色々点検する動作が有り、その順番もこと細かく決められている。まるで軍隊のように、きっちりそれを守り、足を置く角度までも守らなければならないそうだ。日本という国はそういう国なんだ。

今日は合格のお祝いに、小さなケーキを買ってきて食べた。とりあえず、おめでとう。
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2008/8/19

靴揃えなさい!  

クリックすると元のサイズで表示します長男は、いつも外から帰ってくると靴を脱ぎっぱなし。散らかったまま。いつも言うが、今日も「ちゃんと靴を揃えなさい!」と怒ったところ、長男はこんな風に並べてくれた。子供の発想っておもしろい・・・(ぼやけた写真ですみません)

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2008/8/18

北京の友人に電話(2)  

今日はもう一人の友人に電話した。脳に腫瘍ができて手術をしたという友人だ。

電話は20分ほどした。色々喋ったけど、私が印象に残っている内容は、やっぱり彼女が手術をした、という話だ。正直、本当にすごくショックだった。彼女は私より年齢が1つ上だ。4年前に手術をしたらしい。どうしてそんな若さで脳腫瘍などできたのだろう・・・。

確かに彼女は、以前、非常に苦しい時期があって、それは誰にも助けられない問題だった。どうしようもなくて・・・。きっと、その時に苦しみすぎたから、考えすぎたから、だから脳腫瘍になったのではないかと思う。

手術は大きな手術で、もう助からないと思われるほど大変なものだったらしい。今でも後遺症が残り、手足が少し不自由ならしい。本当にすごくショックだ。またいつか、絶対に彼女に会いに行きたい。
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2008/8/17

北京の友人に電話  

今朝女子マラソンを見ていると、ずっと北京市内がテレビに映し出されていた。アナウンサーが、今はどこどこを走っている、と説明してくれるのだが、どこも景色がすっかり変わってしまい、まったく分からない。私が北京で留学していたのは十年前。特に私が住んでいた辺りは、本当にどこの国の大都会に来たかと思わせんほどの発展ぶり。十年前は、掘建て小屋の自由市場が並んでいたところ、四合院があった並びなど、巨大ビル郡にすっかり変わってしまっている。

ああ、懐かしいなぁ・・・と思い、ふと、当時北京でいた頃よく一緒に遊んでいた北京の友人に電話をしてみようと思った。電話を掛けてみると、「おお〜!老板娘かっ!」とすぐに話がはずんだ。

もう一人、すごく仲の良かった友人がいたが、彼女は一度ニュージーランドに移住し、それから連絡がつかなくなっていた。北京にもう戻っている、というのは聞いていたのだが。彼が言うには、彼女は北京に戻ってすぐ、脳腫瘍の手術を受けたらしく、今も仕事をせず北京の家でいるらしい。

十年・・・。あっという間の十年だった。この十年に北京はこんなにも変わっていたのだ。あの頃は友人たちもお金はあまり無く、私も貧乏留学生。何を買うにも自転車で掘建て小屋の自由市場へ行っていたものだ。今日電話した彼とも、私が北京に来たばかりの頃、彼のこぐ自転車の後ろに乗って、あっちこっちに買出しに行ったものだった。そんな彼も、今では自動車であの大都会の北京市内を行き来しているのだ。

でも、友情だけは変わっていない。今夜もMSNで彼とチャットする約束だ。
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