2008/5/31

失敗是成功之母  

失敗した事は忘れない。だからこそ「失敗是成功之母」、次からは間違えないと思う。

私も中国へ行った時、色々中国語で失敗をした。もちろん今でも失敗(間違う事)は有るが、私の失敗談を生徒さんにすると、生徒さんは結構興味深く聞いてくれている。

どうして失敗したのか。例えば、半三声を三声で読んだ為に、意味が通じなかったこと。量詞を間違えて意味が通じなかった事。単語を使い間違えて、誤解されてしまった事、などなど・・・。同じ日本人としては、間違いやすい問題ばかりだ。

この間夫に、「私の中国語が間違えてたら教えてね。」と言うと、「教室にあれだけたくさん講師がいるんだから、講師に教えてもらえよ。」と冷たい(ToT) 講師は私に遠慮して、私の間違いなんか言ってくれないから頼んでいるのに〜(><)

来週から父も教室で勉強することになった。私も恥をしのんで、誰か講師をつけようかなぁ・・・?
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2008/5/29

見送り  

今日義母が蘇州へ戻った。朝から何度も涙した。その私の涙を見て、長男が「どうしたの?」と聞く。
「今日、ナイナイ(義母)が蘇州へ帰ってしまうんだよ。」
「いいやん。」
「なんで?ママは”不開心”(うれしくない)よ。」
「でも、いいやん。ひまわり組になったら、また来るから。」
長男はあっけらかんとしている。今、保育園では「ゆり組」、その次が「ひまわり組」。もうすぐにでも「ひまわり組」になると思っているようだ。

昨日は最後の思い出作りに、河内長野にある「花の文化園」へ行ってきた。バラが満開で、おとぎの国にいるようだった。すごくいい香りで、あれほどの種類のバラは、初めて見た。下の写真はその時のもの。

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2008/5/27

満8ヶ月  

次男が満8ヶ月を迎えた。今や、昼間は私より、義母に抱いてほしがる。そんな義母もあさってには蘇州へ帰る。ああ・・・ああ・・・

2月〜4月は私が一年で一番苦しい時期だ。2月は春節で帰国する講師が多く、代行授業が多い(そのアレンジ、授業のフォローが大変)。また、新しい講師の育成、教育に忙しい。3月から新講師が授業を担当する。そのフォローも辛い。そして3月は確定申告。4月になっても、新講師へのサポート、教育が非常にしんどい。

そういう仕事も一番大変、子育ても一番大変、という時に義母は来てくれた。今日のこの満8ヶ月をこんな風に迎えられたのも、全部義母のお陰だ。一生の感謝だ。
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2008/5/26

人生あっという間  

クリックすると元のサイズで表示します「今、子供たちに着せている服なんか、人にあげてしまわずに、ずっと取っておきなさいよ。あなたが”おばあさん”になる日なんて、あっという間にやってくるんだから。その時に使えるからね。まだまだ先・・・なんて思ってたら、本当にすぐだよ。」

今日の義母の言葉。確かにそうだと思う。私も、ついこの間まで、自分が北京で留学していたように思うし、小学生の頃のことも、つい数年前の事のように思う。でも、実はもう1/4世紀も前のことなんだ・・・。写真は、小学生の頃徳島で撮影したもの。


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2008/5/25

曲不離口、拳不離手  

どんな歌手でも練習を積み重ねる、どんな格闘技の選手でも訓練を積み重ねる。練習や訓練から離れることはできない。

要は、何事も学習、練習、訓練の積み重ね、それを続けるしかないんだっていうこと。

自画自賛かもしれないが、中国語の発音は、中国にいた時よりもきれいになったと思う。中国でいた頃は、正直「日本人と分からなければいい。」という程度の中国語発音を目指していた。中国語講師になった当初も、それ程自分の発音に注意する事は無かった。

でも、講師になって半年くらいたってから、アナウンサー的な標準の発音を身に付けたいと少しずつ努力するようになってきた。それでも、ゆっくり発音した時には、どうしても声の出し方の違いからか、日本人と分かる発音になる。(”ゆっくり”だと発声の仕方、喉の作り、喉からの音の響きがはっきりと分かるので、かなり難しい部分がある。)

しかしそれは、「標準の発音」の範囲の間だと思っている。要は、中国人でも、喋ると出身地が大体分かるのと同じ道理だと思う。出身地がまったく分からないほど、標準的な発音の中国人というのは、100人に1人いるかいないか、くらいの率なのだから。

中国人でさえ、そこまで標準的な発音がなかなかできない部分で、中国人アナウンサー級の発音を身に付けることは、日本人には可能なのだろうか?

中国から帰国して4年半、その間にもかなり発音矯正をしてきたのだから、これからも日々自分の中国語発音に気をつけて頑張れば、もっと上達するはずだと思う。これから何年かかるか分からないが、もっときれいな発音になりたいと思う。
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2008/5/23

最後の週末  

クリックすると元のサイズで表示します義母が来週木曜に帰国する。もうあと一週間も無い。一日一日が過ぎていくのが早すぎる。
 この日曜日は最後のお休みの日だというのに、何も考えてない。きっと、買い物とか荷造りで忙しい一日になるだけだろう。
 義母とゆっくり話す時間が無かった。義母に中国語を教えてもらう時間が無かった。義母に日本を楽しんでもらう時間が無かった。毎日心が痛い。
写真は夫の小さい頃。昔の蘇州。次男が笑うと子供の頃の夫によく似ているそうだ。


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2008/5/21

変色龍  

毎晩長男に絵本の読み聞かせをしてから寝るのが習慣だ。大抵は日本語の絵本を読むのだが、時々中国語の本も読む。

最近息子は昆虫にはまっていて、昆虫類の絵本や写真の本が大好きだ。中国から持ってきた絵本の中に、単語カード(画、写真付き、単語学習カード)や単語帳(画、写真付き)がある。カブトムシやてんとう虫など、あれこれ指を指しながら読む。

その中で、最近長男は「変色龍(bian4 se4 long2)」の絵本と、単語帳を比べながら読むのが好きだ。「変色龍」とは「カメレオン」のこと。その中に、色んな虫や動物が出てくるからだ。

長男の頭の中の単語は、先に頭に入った言語で覚えられている。「変色龍」のことを日本語で「カメレオン」と言うことを、長男はまだ覚えられていない。彼の日本語については心配していない。私が教えなくても、保育園やテレビ、私の両親など、どこからでも誰からでも学べるからだ。でも、中国語だけは、私だけしか(夫は普段仕事で接する時間が無い)彼に教えてあげる事ができない。

中国語の絵本をできるだけ読んであげたいと思うのだが、かわいい画の絵本が少ないのが欠点だ。読み聞かせの時間は、手抜きせず(笑)、私も頑張ってできるだけ中国語の絵本を読んであげるようにしなければ、と思う。
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2008/5/20

四川  

クリックすると元のサイズで表示します義父は、地震から三十数時間前までは、まだ四川省にいた。あの震源地の近くだ。これがその時の写真。今、ニュース等で見る光景からは想像がつかない景色だ。

四川省は自然が豊かで、パンダの生息地としても有名だ。少数民族も多く、観光地としても有名だ。

地震発生後1週間たって、まだ奇跡的に生存者が確認されたりしている。崩れた市場などの下敷きになった人は、食べ物や水を口に含むことができて、生存していた、と言われている。まだまだ希望は有ると思う。一人でも多くの人が助かってほしいと思う。これからまだまだ、二次災害や、その他色んな大きな問題が発声してくるだろうが、頑張って乗り越えて行ってほしい。私はここからそうやって祈るだけしかできない。


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2008/5/18

儿行千里母担憂  

もうすぐ義母が帰国するので、帰国の話を色々する。
「(次男が)こんなに慣れて、ナイナイ(義母)のことがこんなに好きなのに、帰国してしまったら忘れられてしまうよ。」
「じゃ、蘇州に連れて帰ろうか? そうしたらあなたは辛くてたまらないでしょう?離れられないでしょう?」
「そりゃそうだ。」
「こんな小さな時でも離れるのは辛い。子供は大きくなったって、離れるのは同じくらい、それ以上に辛いものなんだよ。」

義母がそう言って、私の夫が日本に来ている事で、時々たまらなく辛く思う事があると私に話してくれた。うちの講師たちも、同じく中国から来ている留学生たちだが、留学生はたった一人で親から離れて海外で暮らしている。もし、これが我が子だったら、と思うと、かわいそうで、とても見ていられない、と言う。

中国にこういう諺がある。「儿行千里母担憂」、母親というのは息子(今はもう娘も含むだろう)がどれだけ大きくなっても、遠くに行ってしまえば、ずっと心の中で想い、心配しているものだ、という意味だ。義母は正にその心で、一心に日本でいる息子を助けたいと思い今回来日してくれたんだな、と胸が締め付けられる思いがした。
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2008/5/17

思い出作り  

クリックすると元のサイズで表示します義母が中国へ帰る日が近づいてきた。本当にとても淋しい。次男も義母にかなり慣れて、義母に抱かれるのがとても大好きだ。これで義母が蘇州へ帰ってしまい、来年まで来ないとなると、次男は絶対に義母のことを忘れてしまう。3日もたてば忘れてしまう。なんて悲しい事だろうと思う。どんなにネット上で次男に義母を見せたって、こんなに小さい子には何も分からない。次に来た時には知らない人になっているだろう。 こういう時、国が離れているって辛いなぁ、と思う。
 もうすぐ帰国する義母とできるだけ多くの思い出を作っておこうと、先日、父が運転して義母と長男と一緒に海辺へ行った。とても楽しかった。


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2008/5/15

縁起のいい食べ物  

クリックすると元のサイズで表示します「蛋餅(dan4 bing3)」と言うこの食べ物、蘇州ではお正月によく食べる。

「中国ではお正月に餃子を食べる」とよく言われるが、実はそれは、中国の北の地方だけだ。上海や蘇州近辺では、蛋餅をよく食べる。餃子も蛋餅も縁起のいい食べ物で、昔の中国の貨幣に似た形をしているから、これを食べると「発財(お金持ちになる)」だというので、よく食べられる。

餃子は色が白いが、蛋餅は皮が黄金色(卵の色)なので、もっとお金に似ている、というので南方人には好まれる。作り方は非常に面倒だ。クレープ生地を作る要領で、卵を溶いて、フライパンで卵生地を円く何枚も作る。その卵の生地で、ミンチを包んでいき、包んだら蒸す。

今日は朝から義母が、私の家族の為に作ってくれた。とてもおいしかった♪


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2008/5/14

2日の差  

実は義父が地震の2日前まで、成都と重慶に出張で滞在していた。

今日はNHKでも特別番組で地震のことを報道していた。今回の地震の規模は、阪神大震災の30倍と言う。活断層の亀裂が300キロに渡って走ったという。また、その時の揺れは3分間余りも続いたという。

1976年の唐山地震も酷かった。中国の人たちにはまだ記憶に有るはずだ。その時の死者数は24万人もあったと言われている。義母から聞いたところでは、その年も中国は多難多災の年で、周恩来を含む有名な政治家3人が無くなった年だ。人々は、「その政治家たちと共に、それだけ多くの人がこの世を去っていく為に、これほどの災害が起きた。」と言ったそうだ。

今回の地震災害の規模がどれほどになるか、まだ分からないが、一人でも多くの人が救われるように心から祈っている。
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2008/5/13

大地震  

中国の大地震・・・今年は本当に中国は多難多災の年だ。今回の地震被害の規模は、阪神大震災の比ではないと思う。

日本はもともと地震の多い国で、建物に対する耐震強度については厳しく、ある程度の地震に耐えうる構造になっている。ところが中国は、普段は地震が少ない国なので、耐震強度についてはほとんど考慮されずに建設されている(その証拠に、建物のほとんどがレンガを積み重ねて、上からコンクリートを塗っているだけの構造)。

それはさておき、何か私でもちょっとはお手伝いできる事は無いだろうか、と救援金の募金をすることにした。日本赤十字社で募金を募っている。教室で、講師や生徒さんたちにも呼びかけて、救援金の募金をしたいと思う。一人でも多くの人に、救援の手が伸びますように・・・。一人でも多くの命が助かりますように・・・。
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2008/5/12

一時保育の申請  

クリックすると元のサイズで表示します義母がもうすぐ帰国する。義母の帰国後、私も次男を見ながら教室にいるのは難しい。時間が短ければいいが、長いとやはり負担があるし、授業担当の日は絶対にダメだ。私自身の母は身体が弱いのでたったの1時間も頼むことはできない。(10分間頼むのでも結構しんどい・・・)

それで今日、保育園に一時預かりの申請をしてきた。以前はこんなに複雑ではなかったと思うが、今は、普通に入園するのと同じだけの書類を提出しなければ、一時預かりもしてもらえない。とりあえず預かってはもらえるようなので助かった。

子育てしながら仕事をするのは大変なんだなぁ・・・と、今になって母がどれだけ苦労してきたかが分かる。


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2008/5/11

時代の流れ  

時が流れるのは本当に早い。教室を開いて3年。でも、5年くらいたっているような気がする。

教室の第一期の講師たちは、本当にいい講師たちばかりだった。今では彼らとはすごく親しい友人で、家族ぐるみの付き合いをしている人もいる。あの頃は講師とも年齢が近かったが、今は第二期と第三期の講師たちがいて、中には私と12歳も(うわっ!干支が同じ!)年が離れている講師もいたりする。そうすると、考え方とか感じ方とか、全然違って、こちらの言いたい事が全然通じなかったりするのだ・・・。

ここが中国なら私も受け入れられるが、ここは日本だ。日本の常識で一緒に教室の仲間として頑張ってほしい、と思うのは私のエゴなんだろうか・・・ムリな要求なんだろうか・・・それとも私が年を取りすぎて、単なる”うるさいオバサン”になってしまっているんだろうか・・・
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