2007/8/11
豊田 アキラU マーシーのシビれたライン
アキラ君よ。
あの人は今、、的な話題は面白く無いだろうが、
一つの特徴的な課題に、
自分の名を伝説的に語られるのはクライマーとして本望であろうか。それとも小恥ずかしい感じなのだろうか。
ひょうひょうとして、
しかし自身の才能に気付かず、この世界から去っていった男。
俺がジャパンツアーなんかに参加して、予選落ちばかりしている頃に、いつも決勝進出して輝いていた男。
俺の一級上の年齢にあたり、物静かで優しい人。
妙に手足が長く、登りまでもがスマートで、手足が短く見える俺とはえらい違いやったな。
俺もまだまだ駆け出しで、モチベーションの塊りだったのに比べて、
アキラ君はどこか物憂げで、なにか煮え切らない感じだったか。
俺とは世界の違うオーラをだしてたな。
それでも、コンペ会場では、
中京チームと関西チームは親しみを感じやすかったからか、俺はアキラ君をいつも身近な存在と感じていた。
「最近、ホーライコっちゅう所が開拓されてるらしいやん」
「ええなあ、なんぼでも岩あるんやてなあ。自分もそんなとこでのぼりまくってんのか?」
「ホーライはねぇ…。あそこでは全然登る気にならないよ。」
そんな会話をしたのを覚えている。当時の俺はホーライの岩をよく知らなかったし、彼が何を言いたいのか、よく分からなかった。
ただ、どう見てもモチベーションを落としている時期だったようであるのは、見てとれた。
出ればいつでも活躍できるコンペ会場にも、いつのまにか姿を見せなくなった。
何年も経って、久しぶりにアキラ君の名を聞いたのは、イナガッキーによる岩場情報によってだった。当時豊田に通っていたイナガッキーが、再登者のでない課題があるんやけどと言うのだ。
曰く、「アキラ君が一撃初登した課題」らしい。
「お前やったらできるでえ」
「ほんまあ?そない言われたらなんか、やってみたいな〜。」
そうやって、「アキラ」という課題の存在を知ったのだった。
見たことも無い課題に、どこか意識するようになった瞬間であった。
それからまた何年も経って、ようやく「アキラ」に対面できたのは、つい2,3年ほど前のことだった。有名なダイヤモンドスラブの裏にそれはあった。スラブ面は高さがあるので、こちらも身構えるのだが、回り込むと意外と高さは無い。
ダイヤモンドの面が、陽ならば、こちらは一転して陰である。しかし、ひっそりとしながらも、存在感のある小さな前傾フェースに「アキラ」はあった。
「ほほう!」
やっと出会えたといった感じだった様な。俺も、一撃の予感を感じてトライを始めた。結果は明白だったが。

トライ中のオクラ君
次のシーズンに俺はその「アキラ」をなんとか登ることができた。その時までには、何人かの再登者がでていた。なにか言い様の無い感動が湧きおこってきたのを覚えている。
俺は、次なる課題を、地元の人がいう「アキラU」に目を向けるようになった。
それは、同じフェース面にあるこれまた、ここを登らんとどうすんの?と岩に誘われているラインだ。
自分達でよく言う
呼ばれている、、ラインである。
既登であるとか未登であるとか、言う人によって違うのだが、アキラ君の名前がついているだけで十分だ。名前もラインも「かっこいい」課題だ。
しかし、少なくとも上部はあまり触られていないようだ。見るからにヤバそうな巨大フレークが岩の上にのっかっている。
今年に入って本格的にトライする機会が、いよいよ巡って来た。
出だしのムーブをさぐってみると、何回かのトライでムーブは決まってきた。しかし簡単そうに思っていた上部が、意外と難しい。
加えてホールドがやや不安だ。実際上部の小さなカチフレークは、握りこむと壊れてしまった。結晶スタンスも上部では安定していない。しかしムーブはのびのびしてせこくない。大フレークはもちろんアンタッチャブルだ。剥がせばすっきりするか知らないが、面倒なのでそのままでよい。フレークを無視して代わりに上部をトラバースして左上していくことにした。死を招くようなフレークは使わないという限定以外ははっきりとして楽しい自然なラインだ。
完全に俺は「呼ばれて」しまった。

その翌週。
「アキラU」
その日の何度目かのトライで、無事に完登することができた。素晴らしい課題だ。
いい岩にいいライン。
俺は、この2本の課題に伝説化されたアキラ君を見た気がした。
アキラ君を追い抜くことはできないが、彼の足跡を確実にたどれたことが素直に嬉しかったのだ。
あの人は今、、的な話題は面白く無いだろうが、
一つの特徴的な課題に、
自分の名を伝説的に語られるのはクライマーとして本望であろうか。それとも小恥ずかしい感じなのだろうか。
ひょうひょうとして、
しかし自身の才能に気付かず、この世界から去っていった男。
俺がジャパンツアーなんかに参加して、予選落ちばかりしている頃に、いつも決勝進出して輝いていた男。
俺の一級上の年齢にあたり、物静かで優しい人。
妙に手足が長く、登りまでもがスマートで、手足が短く見える俺とはえらい違いやったな。
俺もまだまだ駆け出しで、モチベーションの塊りだったのに比べて、
アキラ君はどこか物憂げで、なにか煮え切らない感じだったか。
俺とは世界の違うオーラをだしてたな。
それでも、コンペ会場では、
中京チームと関西チームは親しみを感じやすかったからか、俺はアキラ君をいつも身近な存在と感じていた。
「最近、ホーライコっちゅう所が開拓されてるらしいやん」
「ええなあ、なんぼでも岩あるんやてなあ。自分もそんなとこでのぼりまくってんのか?」
「ホーライはねぇ…。あそこでは全然登る気にならないよ。」
そんな会話をしたのを覚えている。当時の俺はホーライの岩をよく知らなかったし、彼が何を言いたいのか、よく分からなかった。
ただ、どう見てもモチベーションを落としている時期だったようであるのは、見てとれた。
出ればいつでも活躍できるコンペ会場にも、いつのまにか姿を見せなくなった。
何年も経って、久しぶりにアキラ君の名を聞いたのは、イナガッキーによる岩場情報によってだった。当時豊田に通っていたイナガッキーが、再登者のでない課題があるんやけどと言うのだ。
曰く、「アキラ君が一撃初登した課題」らしい。
「お前やったらできるでえ」
「ほんまあ?そない言われたらなんか、やってみたいな〜。」
そうやって、「アキラ」という課題の存在を知ったのだった。
見たことも無い課題に、どこか意識するようになった瞬間であった。
それからまた何年も経って、ようやく「アキラ」に対面できたのは、つい2,3年ほど前のことだった。有名なダイヤモンドスラブの裏にそれはあった。スラブ面は高さがあるので、こちらも身構えるのだが、回り込むと意外と高さは無い。
ダイヤモンドの面が、陽ならば、こちらは一転して陰である。しかし、ひっそりとしながらも、存在感のある小さな前傾フェースに「アキラ」はあった。
「ほほう!」
やっと出会えたといった感じだった様な。俺も、一撃の予感を感じてトライを始めた。結果は明白だったが。

トライ中のオクラ君
次のシーズンに俺はその「アキラ」をなんとか登ることができた。その時までには、何人かの再登者がでていた。なにか言い様の無い感動が湧きおこってきたのを覚えている。
俺は、次なる課題を、地元の人がいう「アキラU」に目を向けるようになった。
それは、同じフェース面にあるこれまた、ここを登らんとどうすんの?と岩に誘われているラインだ。
自分達でよく言う
呼ばれている、、ラインである。
既登であるとか未登であるとか、言う人によって違うのだが、アキラ君の名前がついているだけで十分だ。名前もラインも「かっこいい」課題だ。
しかし、少なくとも上部はあまり触られていないようだ。見るからにヤバそうな巨大フレークが岩の上にのっかっている。
今年に入って本格的にトライする機会が、いよいよ巡って来た。
出だしのムーブをさぐってみると、何回かのトライでムーブは決まってきた。しかし簡単そうに思っていた上部が、意外と難しい。
加えてホールドがやや不安だ。実際上部の小さなカチフレークは、握りこむと壊れてしまった。結晶スタンスも上部では安定していない。しかしムーブはのびのびしてせこくない。大フレークはもちろんアンタッチャブルだ。剥がせばすっきりするか知らないが、面倒なのでそのままでよい。フレークを無視して代わりに上部をトラバースして左上していくことにした。死を招くようなフレークは使わないという限定以外ははっきりとして楽しい自然なラインだ。
完全に俺は「呼ばれて」しまった。

その翌週。
「アキラU」
その日の何度目かのトライで、無事に完登することができた。素晴らしい課題だ。
いい岩にいいライン。
俺は、この2本の課題に伝説化されたアキラ君を見た気がした。
アキラ君を追い抜くことはできないが、彼の足跡を確実にたどれたことが素直に嬉しかったのだ。
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