2007/3/12


5年程前

明石のツヂャンが初登した
尾道を代表する課題。

下界からもそれとすぐ分かる
尾道の記念碑的な岩 ナビオロックの
右舷にその課題は存在する。



ここ尾道で、第1回花崗岩選手権が
開かれた時、
コンペのスタッフであったツヂャンは、
終了後のセッションで、一日の鬱憤を晴らすつもりだったのか、
コンペ参加者の目の前で、
気合の登攀を見せつけたらしい。

その日は相当気温の高い日で、花崗岩には厳しい状態だった。
にもかかわらず、
上部の様子を確認することもなく、
中間部を変体マントルでかたづけてつっこんでいったそうである。

のちに氏曰く、
途中で下を見たら、取り付きの岩盤が見えへんかってん。
もうつっこむしかあらへんからな。

このナビオロックは、大きな岩のふちにのっかっていて、
アンカーの中間部にあるガバに立ち上がってしまうと、
取り付きである岩盤には、
もはや着地することは不可能になってしまうのだ。
当然トライする者の背中には、眼下に見下ろす
尾道の町へ続く空間しか感じられなくなるのだ。

二登は小生。
尾道に於けるこの課題の存在意義はよくわかっていたのだが、自分なりに心の準備が整うまでは、トライは出来ないと思っていた。


ようやくその時が来たのは、初登がでてから2シーズンのちだった。他の課題にひと段落すると、今まで心の片隅に追いやっていた思いが俺を支配するようになっていた。
もはや避けては通れない。


一緒にトライを開始したのは道場のおいも氏だ。

小生たちは中間部の核心で一線を越えられずにいた。
昼間になって山陽のやわらかな陽射しが壁面を照らすようになると、
一層ホールドがきまらなくなってしまった。

その時、おいも氏が着地に失敗して足をぐねってしまった。
やってしまった。
相当痛そうである。
我々は皆クライミングを中断し、彼の介抱にかかった。

俺は車に戻りコンビニに氷を買いに行き、猛ダッシュで帰ってきた。
途中で怪我のおいも氏の事や俺の集中力を考えると、

今日はトライをやめるか...と

気持ちが萎えてきた。


現場でアイシングを続けていたが、そろそろ撤収の準備をしなければならぬ。
俺は時の雰囲気に流されたままだった。

しかし、
その時ふと頭をよぎった言葉があった。


今を逃して何時登れんのやと。

こういう直感に素直に動けるようになったのは、
この時からだったろうか。

俺はおいも氏に最後の一回だけやらしてと伝えた。
このトライで駄目なら、はっきりと今日は諦めよう。

氏は応援すると言ってくれて、身を移動させた。


直ぐにシューズを履き、アンカーの前にたった。
陽はだいぶ西に傾いていた。

一度だけのトライ。集中して取りついた。

ムーヴに不安は無い。ただあの右手だけに...

...ホールドが吸いつく。

...俺は最後ののっこしを、ただ確実に動こうと、

そして楽しんでいた。





俺はナビオの上に立っていた。

振り向けば尾道の空が黄金に輝いていた。

おいも氏と目が合った。

ありがとう。

   



帰阪後の検査で、おいも氏の怪我は骨折である事が分かった。
結果込みで氏もアンカーへの想いは強い。
俺にとってアンカーがいかに大事なものであるか。
それはここ数年の俺のクライミングを象徴する課題だと云えるものだ。
だからアンカーに魅せられてトライした仲間たちとともに、
かけがえの無い俺の宝なのだ。


そのアンカー。
時がたち、
つい最近第3登が達成された。道場ルーキーのオクラッチだ。
ここふた月程彼を見ていて、俺は彼がアンカーを
トライするに十分であるとみていた。

完登シーンこそ見てはいないが、ナビオの上に立ってあげた彼の歓喜の雄叫びを
聞いて俺も嬉しかった。
彼は、尾道ではアンカーを見るなりアンカーしか触らないようだった。
次はどの課題に目を向けるのだろう。

このような若者と、俺たちの岩について語り合えるなんて
こんな楽しいことを、俺は他に知らない。










トライ中のオクラ君

クリックすると元のサイズで表示します



この記事へのトラックバックURLはありません
トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ