2007/3/26

ミタライ  天河  マーシーのシビれたライン

天河

奈良県天川村。
かつては近畿の秘境と云われたこの地も、
道路整備が進んで、どうやらその雰囲気は急速に失われつつあるようだ。

我々が初めて訪れた頃のミタライは、あの長大なトンネルが全通しておらず、
楽しいグニャグニャ道がひたすら続く深山だった。

何時来てもエリアにいるのは、
自分たちだけといった感じだったか。

川の水は素晴らしく透き通っていて、

川で泳いで、

ビールを飲んで、

焚き火して

昼寝したら、

岩を登る。

今は春や秋に課題をねらいに行く人も多い様だが、
当時は夏場の避暑地的な、一、二ヶ月行くだけの、
贅沢なかつのんびりとした利用の仕方をしていたのだった。

はじめにミタライの名を聞いたのは、
もう12,3年前になるのか。ひと昔前のことだ。

岩探しに明け暮れていた俺に、
イナガッキーがミタライには岩があったぞと、教えてくれたのだった。


晴れの日は岩を登り、雨の日は岩探し。
俺にとって雨の週末に人工壁なんて考えもしなかった頃のことだが、

その日も、大嵐の日に仲間と共に天川村まで行き、
件のミタライの川を見てまわったのだった。

正式な御手洗渓谷には対象となる岩は見受けられなかったが、
その手前のつり橋の下辺りは確かに岩はあった。

しかし増水しきった川の姿とはなんと恐ろしいものであるか。

今で云うケーブエリアは、その川の流れによって、
まるで巨大な洗濯漕のようになって、
轟音とともに、
流れ来る物全てを巻き込み、隠し込む化け物のようになっていた。
川を少し降りてみたが、落ちたら死んでしまうと思うと足がすくんだ。

こんなところ、、、エリアになんのか、、、

そんな強烈な印象の初対面だった。


開拓のはじめはそんなこんなでのんびりしたスタートだった。
今は中下流域が流行っているようだが、当初はケーブエリアがメインであった。

2.3本のプロジェクトを残してすぐに、ひと段落ついたのだが、
ケーブの一番の主張ラインは、
何と言ってもこの前傾面に走る一本の割れ目。
それが、「天河」だった。

初めのシーズンでムーブの目星は立てたのだが、
上に行けば行く程岩のしみ出しは酷く、恐ろしくて突っ込めなかった。



次の年の夏、またミタライの季節がやってきた。
そしてその日は、昔の俺の相棒ダニーの結婚お祝いの祝宴を開いてあげた時であった。
ケーブの下で、
バーベキュー、ビール、酒にバカ話。
奥さん方の友人たちも来ていたが、
ひと通り呑んで騒いでした後で、
気を入れ替えて、皆で天河バトルをすることとなった。



何度目かのトライまでで、
もう突っ込むか突っ込まないかだけになってしまった。
来る時は来たという感じだったか。

高さ3m程のところで、
ヒョイッとクロスのロックオフをして、無心で足を上げて、
身体を先の世界に押し上げた。
(知らない人には何のコッチャという話だが)


濡れている天河の上部とは即ち、隣の課題の上部と共通しているところの為、
俺は楽しみのために一度も隣の課題を触らずにいた。
手のヌメリですっぽ抜ける事だけは無いように集中した。

丸いホールドが続くが、濡れているからといって、
ムーブが小さくなるとやばくなる。
そんな感じの上部だった。


落ち着いてこなせば、最後はあっけなく終わってしまった。
その日の後の時間は、天河の余韻に浸りきりだったように思う。




結局、
その夏は、天河の完登で終わってしまった。


その後の年月に、
ミタライに於けるメインエリアは中下流域へと変わっていった。
課題もたくさん増えた。
しかし、それとともに俺はミタライから足が遠退いていった。

イワナだってまだ登れていない。
打ち込むべき課題がまだあるではないかと諸兄に叱られるかも知れない。


しかしまあ、
やらないのは、出来ないことというのは真実だ。

俺にとってのミタライ熱は、天河を登った時点で尽きていたのだ。













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