ISIL(イスラム国)問題に思う@
2月11日、オバマ政権は、イスラム過激派組織「ISIL(自称イスラム国)」の掃討作戦で、限定的な地上作戦を遂行できる武力行使承認決議案を議会に提示した。
さしもの平和主義者(?)オバマ大統領も、現在のような空爆に頼るだけの作戦ではテロ集団ISILの勢いを削ぐことは出来ないと判断したのだろう。これによりISIL掃討作戦は新たな段階を迎える。
「アラブの春」とは何だったのか?
ご承知のとおり3年前の
「アラブの春」(アラブ諸国の民主化運動)では、欧米が各国の独裁政権を見限ったために、
エジプト、チュニジア、リビアで次々に独裁政権が打ち倒され、その後には宗教色の強いイスラム政権が樹立された。
アラブの春の発端となったチュニジアのジャスミン革命
しかし、エジプトでは選挙で選ばれたムスリム同胞団が挫折(クーデターで軍事政権に移行)し、リビアやチュニジアでは宗教勢力と現世勢力が拮抗した武装闘争が続いている。(なぜスンニ派とシーア派は骨肉の争いを続けるのか・・これは次回以降に)
さかのぼること約10年。
イラクではサダム・フセイン政権が打倒され、一足先にアラブの春がやってくるはずであったが、内戦が絶えず今日に至るまで安定した民主主義政権は生まれていない。
特に、現在の中東情勢を語る上でポイントとなるのが
「混沌としたイラク・シリア情勢」である。
イラクでは、繰り返しになるが、10年前にフセイン政権が米国主導の多国籍軍により打倒された後、民主的な手続きで政権(現在はシーア派のマリキ政権)が発足したが、国内統治は安定せず内戦が続き、テロリストの暗躍を許してきた。
シリアでは、独裁者アサドによる政権を打倒する動きが高まったが、アメリカがアサド政権打倒のため反体制勢力を支援したのに対して、アサド政権とつながりの深いロシアがアサド政権をバックアップし、紛争は泥沼の様相を呈するようになった。
ISILの異常増殖
その間隙を縫うように力を増してきたのがISILである。ISILも、シリアでは反アサド勢力の一員(米国が支援)とみなされていたが、途中から独自の動きをするようになってきた。
2014年6月、既存の国境線を無視して、シリアとイラクにまたがる地域に、新たに「国家(イスラム国)の樹立」を宣言したが、その
活動範囲は図のように九州と四国をあわせた面積に相当するとされる。
ここまでは周知のことであるが、
ISILがその建国宣言の中で、「サイクス・ピコ協定は破棄された」としていることにあれっと思った。
「サイクス・ピコ協定」って何だろう
世界史に興味のある方はご存知かも知れないが、
「サイクス・ピコ協定」とは、
第一次世界大戦(1914〜1918年/ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリア連合vsイギリス・フランス・ロシア連合の戦争。後、日本も英仏露連合に加わる)のさ中、
1916年に英仏露の3国で交わされたオスマン帝国の領土割譲の密約である。
かって東欧・中東・北アフリカに広大な版図を有していたオスマン帝国
対戦後にロシアはロシア革命勃発で離脱したが、イギリス、フランスは戦勝国となり、棚ぼたでオスマントルコの領土の割譲を受けた。
【サイクス・ピコ協定のあらまし】
第一次大戦後のオスマン帝国のアラブ人居住地域について、イギリスはイラク(バグダードを含む)とシリア南部、フランスはシリア北部等、小アジア東南部)、ロシアは小アジア東部を分割して領有し、パレスチナ(イェルサレム周辺地域)は国際管理地域とするという秘密協定。サイクスはイギリスの、ピコはフランスの交渉代表の名前。
ISILが(勝手に)主張しているのは、
「今から100年前に、イギリス、フランス、ロシアといった欧州の大国が勝手に線引きした中東地域の地図を、それ以前の状態、すなわちオスマントルコ帝国の時代に戻す」というものであり、大げさに言えば、イスラム教文明のキリスト教文明に対する反逆ということになるかもしれない。
このため、ISILの創設者(アブバクル・バグダーディ容疑者)は、自らを正当のカリフ(預言者ムハンマドの後継者)と称している。
百年前に中東の不安定状態を作り出した英仏露
この考え方にはもちろん賛同できないが、
パレスチナ問題を含めた現在の中東地域の紛争や不安定状態の原因を作り出したのが、キリスト教圏の列強各国であることは否定できない事実である。
オスマン帝国はドイツ、オーストリア側につき敗戦国となった。
また、時を経てブッシュ大統領(親子)がイラクのフセイン政権と対峙し、その強大な軍事力でフセイン体制を崩壊に追い込んだところまでは(まあ)良しとしても、その後、同国が満足に統治されないまま無法地帯となり、ISILの温床になっている事実を見るにつけ、
「力だけに頼って正義(?)を貫くことの空しさ」を痛感する次第である。
テロリズムはいかなる理由があろうとも許されない卑劣・非道な行為であるが、当時の列強の一つであったフランスの国民が、100年を経て、イスラムを標ぼうするテロリストの犠牲者となるという事実に、歴史の巡り合わせというか因縁を感じてしまうのである。
「目には目を」その結末はどうなるのか?
今後、アメリカ主導の多国籍軍が3年間にわたってISIL等のテロ集団と対峙し、その
強大な軍事力でテロを叩く行為は、あたかも「強力な抗がん剤療法」のような気がしてならない。
即ち抗がん剤は、テロという癌組織を死滅させると同時に、健康な細胞(一般市民)をも遠慮会釈なしに攻撃し、
結果として国土とそこに住む民を荒廃させてしまうからである。
これに対して、テロリストが報復を繰り返すのは、これまでの例が証明しているが、まさに
「目には目を」の不毛の争いである。本当に大切なことは、
「なぜ中近東やアフガニスタンにテロ・内戦が頻発しているのか?」という根本原因を解決することではないだろうか。
本件は、次回以降に考えてみたいが、宗教上の教義の対立という側面よりは、
キリスト教社会とイスラム教社会の貧富の格差が大きいのであり、事は決して簡単ではない。
また、ISILと敵対関係にある
欧米諸国の若者が、ISILの兵士になろうと国を脱出している行為にも暗澹としたものを感じる。
一説に2万人とも言われるが、深刻な失業問題等で将来に希望を持てない若者が、
自らのストレスの受け皿としてISILを利用しているようでもある。
「アラビアのロレンス」だって実は
第一次世界大戦のさなか、アラブ国家独立のためにアラブ人とともに戦った、あるイギリス人を描いた歴史映画
「アラビアのロレンス」をご存知の方は多いと思う。
この主人公のモデルは、
イギリス軍の情報部の将校だったトマス・エドワード・ロレンスであり、彼はイギリスの工作員としてアラブ人の元へ送り込まれた。
その任務は、アラブ人を支援してオスマン帝国を攻撃し、イギリスを優位に立たせることであった。(当然、英国にとっては英雄である)
イギリスはアラブ民族の有力部族長であるフサインに、
「アラブの人々がオスマントルコ軍に勝利した暁には、アラブ独立国家の建設を支援しよう」と持ちかけた。
そしてロレンスは、フサインの息子であるファイサルの軍事顧問として、ともにアラブ軍を率いる。
こうして1916年、アラブの反乱が始まったのである。
(以下次回に続く)

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