青春プレイバック
あの修学旅行よもう一度F
いよいよ修学旅行も最終日。前夜の「塊」での大騒ぎであったが、皆さん疲れも見せずに8時過ぎに集合した。
バスは雨に煙る宮崎市から、今日の目的地、
@飫肥の町、A鵜戸神宮、B青島を経て、
宮崎空港に向かう。
途中、同窓の女性が「うぐいす嬢」に変身し、当意即妙に案内をしてくれる。
元小学校教諭のNさん。
小学生を教え諭すように(だから「教諭」と言うのか?)、
噛んで含めるようにガイドいただいた。
「皆さんわかりましたか?」「は〜!い、N先生」
今も中学で英語を教えるSさん。途中から急に
英語でガイドを始めた。何を言ってるのかくらいは分かるが、流暢な英語に聞きほれてしまう。
母校の女性には学校の先生が多い。今回は
中学で数学を教えるAさんも参加された。当時、大手の企業は大卒女子をほとんど採らず、
女性の就職先が非常に限られていたことがよく分かる現象である。
今は、形勢一点で、私の所属企業でも、総合職の男女比率は6:4くらいになっている。私も採用の仕事をしているが、正直
女性の方が面接時のアピール力は上である。
「飫肥」はしっとりした城下町
「飫肥(おび)」は、飫肥藩(伊東氏、5万1千石)の古い城下町である。ここには2007年6月に友人達と訪ねているが、梅雨のさ中で雨。この日も雨ということで、
雨の飫肥しか知らない。
私は、雨で足元が悪いということで飫肥城址の見学はパス(4年前に見学済みである)。
仲間は、飫肥城址、歴史資料館、小村寿太郎記念館などの見学に出かけていった。限られた時間に精力的に巡ったようである。
バスの中でじっとしていても仕方ないので、運転手さんを誘ってコーヒーを飲みに行く。近くにあったのが、
骨董品の中に埋もれた喫茶店。座敷に丸椅子を幾つか置いており、
周りには骨董品や民芸品が処狭しと並んでいる。
何か
昭和30年代にタイムスリップしたような雰囲気である。数年前に、東京から奥さんの故郷:飫肥に移り住み、この喫茶店をやっているご主人とコーヒーを飲みながら、飫肥の話を聞いていた。
都会から観光に来られた女性連れなんかに人気のありそうなスポットである。
飫肥城の城門前で記念撮影をした。
【4年前に訪れた時に書いた紀行文】
飫肥は、NHKの朝の連続ドラマ『わかば』(平成15年)でも有名になったが、明治維新まで約280年間続いた飫肥藩(伊東氏、5万1千石)の古い城下町。

飫肥城跡は苔むした石垣や城門など、なかなかのゆかしい風情である。当日は雨模様で、苔むした石垣が雨に濡れ、緑に光っていた。
手すりの無い石段、細かい砂利道が続き、麻痺した右足にはこたえるが、〇君(今回、宮崎でお世話になった高校の同窓)の肩に支えられそろりそろりと歩を進める。

資料館で飫肥という名の語源を質問する。『もともとは肥沃という言葉がルーツ。でも、決して肥沃な大地ではなく、飢饉も何度か経験。沃という字が、いつの間にか食べる偏になり、ひっくり返って飫肥となった』そうである。

飫肥城にある歴史資料館
大藩・島津藩の隣で、武士(もののふ)としての矜持を失わず、280年間にわたって生き抜いた飫肥藩とその藩士達。耳を澄ますと、彼らのざわめき声が聞こえてくるようである。
そこで一首。
『梅雨に濡れ緑苔むす飫肥の城 武士(もののふ)達のざわめきを聞く』
城跡の中に飫肥小学校があり、下校する子供達の姿が遠くに見えた。ちょっと悔しいが、飫肥は雨の似合う町でもある。
でも、晴れた日は、水路に鯉の泳ぐ武家屋敷を散策するのも一興とか。また来なさいということか。(後記:4年後に来たのだが、また雨。)
鯉が水路を泳ぎ、小京都と言われる街並みはこの日も巡れなかった。
もう来ることはないだろうが、思い出はいつまでも記憶に刻まれるだろう。雨の飫肥よ、さようなら。
「鵜戸神宮」の洞窟で新陰流の開祖:愛洲移香斎が極意を開眼
愛洲移香斎は、この洞窟に籠って極意を開眼したと言われている。
この後、バスは海岸線に出て
「鵜戸神宮」をめざす。
海幸彦・山幸彦(彦火火出見尊)の神話でも名高い社だが、戦国時代の武術家で、新陰流を開いた
上泉伊勢守の師匠として知られる
愛洲移香斎(あいすいこうさい/1452〜1538/伊勢出身)が、諸国修行の際、日向鵜戸の岩屋に籠もって極意を開眼したとされる。
その後、新陰流は上泉伊勢守を経て、柳生家へと引き継がれる。
こんな経緯もあって、毎年
「剣法発祥鵜戸山顕彰剣道大会」が儀式殿前広場で開催され、祭礼当日の境内は剣客で賑わっている。
鵜戸神宮は、海岸線に沿って社殿があり、眼下を日向灘の荒波が押し寄せている。
名物となっているのが
「運玉」。5個ワンセットで購入し、
男性は左手で、女性は右手で、願い事をしながら「桝形」をめがけて投げる。
昔は小銭を投げ入れていたらしいが、1954年に粘土の素焼きで作った「運玉」が考案され、これを投げるようになった。仲間も試していたが、
邪念なく2個がすっと枡形に入った方もおられた。
写真は「運玉」をネげ入れる「枡形」。枡の中にスポットおさまるように投げ入れるのはなかなか難しい。
かつて新婚旅行・修学旅行のメッカだった「青島」
旅の最後は、「青島」である。
かつて
宮崎が新婚旅行のメッカであった頃、大勢の新婚カップルが青島海岸を訪れた。あわせて、
修学旅行の学生にも定番コースであった。
不思議に、この青島のことはよく覚えているのである。
海岸に出るまでの道路の両側は、土産物店が並んでいるが、雨ということもあってか、ほとんどお客が入っていない。
少し斜陽のにおいがした。
む す び
3日間にわたるプレイバック修学旅行もあっという間に過ぎた。皆さんに感想をお聞きしたが、皆さん、それなりに満足されたようで、企画サイドとしてはありがたいことである。
新しい友達もできた。今後、1年に1度くらいは、こうして友を誘って、あちこち旅をしたいなあと思った。
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【岬めぐり 山本コータローとウィークエンド】

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