2020/6/8

雑感  はなこのMEMO

ふと思いついたこと、普段から思うことをつれづれなるままに…

@「一族の繁栄には最低でも三代かかるぞ」法則

 夫の父は終戦直後、混乱の中国東北部から家族で命からがら帰還した人で、家督を受け継ぐ長兄優遇の陰で満足に教育を受けることもできず、転職を繰り返して後に電気技師の職を得てもなおずっと貧困に喘いでいたらしい。

 そんな中で3人兄弟の長男であった私の夫は小学校高学年の頃から勉学に明るくなり、県下トップの公立高校を経て県外の旧帝大に進学し、当時成長著しかった分野の企業に就職した。自身の苦難の人生から、「我が子の教育こそ肝要」と考えた夫の父は、家計支出は3人の子供の教育費を最優先とし、住宅取得は諦めて県営団地暮らしを選んだのである。親の期待に応えて妹も県外の国立大に進学し小学校教師に、弟は大学に進学はしなかったものの、誰もが知る大手企業に就職した。

 夫の父の「教育重視」の考えは家訓として根付き、うちの息子も国立大院で修士号を取得し、大手メーカーのエンジニアの職を得た。義妹の3人の子供たちも全員大学や大学院に進学し、それぞれ就職、末弟の2人の息子も大学に進学、中でも県下トップの公立校で数学の成績がトップだったと言う長男は都内の有名私大で金融工学を学び、大手証券会社に就職した。我が子、甥姪揃って親達より高いレベルの教育を受け、親の会社より株価の高い会社に就職している(笑)。

 夫や夫の兄弟、その子供世代共に、受けた教育(←単に"学歴"だけでなく、それを獲得する過程での多くの学び)が"武器"となって自らの人生を切り開くことを体現して見せている。夫の父のかつての決断が、確実に子々孫々の繁栄へと繋がっている(尤も不確実性の時代だから、大手企業に就職したからと言ってけっして盤石とは言えないが…彼らは大学に至るまでの"教育"で培った"学習能力"と"忍耐力"で、いかなる困難にも立ち向かい、乗り切ろうと努力するはず)

 75年前の終戦直後は、日本と言う国があらゆる意味で"ゼロクリア"された時代で、戦前のレジームを失ったからこそ、従来の階級差を超えて人々が社会でのし上がるチャンスが多かったのかな?そして、高度経済成長の波に乗り、誰もが努力すれば、それなりの教育を受ければ、階層移動も可能な時代だった。

 ところが、今の時代はバブル崩壊以後の経済の停滞(=低調な経済成長率)と小泉・竹中体制以降の就労形態の不安定化で階層の固定化が再び始まり、既得権益者はその潤沢な資金で子弟を教育し階層の再生産が可能な一方で、ごく一部の並外れた能力の持ち主はともかく、それ以外の殆どの人は努力しても報われない傾向が強くなっていて、階層移動もままならなくなっているように見える。そういう閉塞感が、一部の若者を刹那に駆り立てているのかな?


 ただし、一族の繁栄はまだまだ途上なのだ。最低でも3代続かなければ、成功とは言えないのだ。そのために「教育」が果たす役割は大きい。そのことをまざまざと見せつけられたのが、美術館の同僚ボランティアの出自の華々しさだった。

 美術館のボランティアを経験して何より驚いたのは、同僚が属する社会階層の高さである。私のような庶民は出自の違いに、場違いな居心地の悪さを感じることがままあった。

 殆どの人が欧米に駐在、或いは留学経験を持ち、海外渡航歴も多い。ほぼ全員が一流大学卒(私の出身大学は創立年だけは古い長い歴史があるから、特定の分野で超一流と言われる人や有名人は数多輩出しているようだ)

 配偶者だけでなく親御さんも大卒(東大卒がゴロゴロ)、院卒の、法曹人や医師、薬剤師、大企業の重役や会社経営者。

 三代遡っても(時代で言えば明治、大正の頃)大卒や院卒で、海外留学経験があり、中には米名門大に国費で留学し、その著書が留学先の図書館に所蔵されていたり、 英文学者で岩波文庫で翻訳小説を出版している親御さんも。

 自宅の一部をサロンとして開放し、若き日の谷川俊太郎もそこに出入りしていたとか、義理の祖母が徳川将軍の奥方に仕えていたと言う人も。
 
 単に知識階級と言うだけでなく、都内一等地に複数の不動産を所有する人もいる。悠々自適の身分だから美術(芸術)を楽しむ余裕があり、収入を伴わないボランティア活動にも参加するのか?

 とにかく、家族では私が初めて大学を出たと言うようなレベルでは到底太刀打ちできない、一族の知の蓄積と言うか、幅広く且つ深い教養やその身に纏う何とも言えない優雅さに圧倒されるばかりであった。

 一般的には高尚なイメージの"美術館"のボランティアに応募したおかげで、本来なら出会うことのなかったであろう階層の人々と、私のような庶民が分不相応にも出会えたと言って良いのだろう。

 これも、ある意味、「教育」の効果と言える。大学で美術史を学んでいなければ、応募するきっかけさえ掴めなかったはずだから。斯様に「教育」は、個人の"人生を切り開く手段"としてだけでなく"世界観を広げる手段"としても機能し、個人を充実した人生へと導いてくれるのだと思う。
 
 ここで、同僚のひとりが話していたことをい思い出す。

 その人が20年以上前に米国ボストンに駐在中に、ボストン美術館のボランティアに応募したところ、その人自身、有名大学卒で語学も堪能、配偶者も世界的に知られた大企業のそれなりのポストにあったにも関わらず、けんもほろろに断られたそうだ。

 これは米国の美術館の成り立ちを考えたら致し方ないことなのかもしれない。王侯貴族のコレクションから始まった欧州の美術館と違い、新興の米国では、事業家として大成した人々が、アメリカン・ドリームの体現者として、自身の成功を社会に還元する形(節税の一面もあるのだろうけれど)で、美術館や大学を創立した。

 例えば、カリフォルニア州知事にして鉄道王のリーランド・スタンフォード氏は、一人息子を病で突然失ったことを悼み、その名を永遠に残すべくスタンフォード大学を、また、孫の誘拐が近年映画にもなった石油王のポール・ゲッティ氏は入館料無料で1日中楽しめる充実したコレクションを誇るゲッティ・ミュージアムを、晩年に設立している。

 こうした私立の大学や美術館は、大学なら卒業生や企業からの、美術館なら企業や個人の富裕層からの寄付金が、少なからず運営を支えている側面がある。この為、特に美術館では運営資金集めのパーティやイベントを実施する。その際に大きな威力を発揮するのがボランティアの多彩な人脈なのだ。だから、自ずと顔の広い地元の名士が名誉職としてボランティアに携わることになる。

 しかも古都ボストンでは伝統的に白人(WASP)優位主義で、同僚が応募した際にも、有色人種でボランティアを務めていたのは、中華系の富豪夫人唯一人であったと言う。

 尤もそれから20年以上も経過しているのだから、今は事情も大分変わっているとは思うが…と思いたいが…このところの白人警官の過剰な暴力による黒人被疑者死亡に端を発した全米規模のデモを見る限り、何百年にも渡って植え付けられた、しかも今や根拠に乏しい、一部白人の他人種に対する「階級意識」や「優越感」はなかなか払拭できないのかなあ?白人は"先行者利益"にいつまで固執し続けるのだろうか?バンクシーも指摘しているように、これは「白人の問題」なんだと思う。


A「移民」とは名前を変えた「奴隷」である

 一般に「民主主義」の発祥は古代ギリシャの都市アテナイにおいてと言われているが、古代ギリシャの民主主義はあくまでもポリスの自由市民に適用されたものであって、彼らの豊かな暮らしを支える奴隷には無縁のものだった。

 圧倒的多数の「奴隷」がその自己犠牲で以て「上流」の豊かな暮らしを支える構図は、古来から現在に至るまでずっと変わらない。
 

2020/6/7

新型コロナ流行の途中経過  はなこのMEMO

 まだ世界的に見ても新型コロナ(Covid-19)は収束したわけでもないのに、緊急事態宣言解除を機に、政府・マスコミ・識者で、日本(政府や国民)の新型コロナ対策を評価しようとの試みは多い。さしずめ、中間評価と言ったところか?

 日本は行動規制が緩いにも関わらず、先進国の中でも死者数がダントツに少ないと言われ、ロックダウンまで実施したのに多数の死者を出した欧米諸国では、日本の死亡者数の少なさが不思議がられている。

 日本の識者の中には、死者数が少ないとは言え、それは欧米諸国との比較においてであって、アジア諸国の中では死亡率がワースト2だと指摘する人もいる。因みにアジア諸国で10万人当たりの死者数でワースト1はフィリピンの0.77人。日本はそれに次ぐ0.76人である。

 それで、自分なりにちょっと気になったので調べてみた。

 イタリア国立感染症研究所の調査によれば、今回の新型コロナの死者の平均年齢は80歳(医療崩壊が差し迫った現場では、高齢者には酸素マスクを用いた救命措置を行わない、命の選択が行われたとの報道もあった)

 感染者の平均年齢は62歳で、50歳未満が30%を占める。しかし、死者の57%を80歳以上が占め、50歳未満は1.1%に過ぎない。

 3つ以上の基礎疾患を抱えていた患者が死者の60%を占める。また、死者の68%が高血圧、30%が糖尿病、28%が心臓病の基礎疾患を抱えていた。

 2018年時点でイタリアは高齢化率(人口で65歳以上が占める割合)が23.04%で、日本の28.1%に次いで世界第2位の超高齢化社会である。

 NHKによれば、4月19日時点での死者171人の年代別内訳(カッコ内は死亡者総数に占める割合)は、80代87人(50.8%)、70代50人(29.2%)、60代21人(12.28%)、50代7人(4.1%)、40代2人(0.1%)、30代2人(0.1%)、非公表2人となっている。

 つまり、死者総数に占める割合は日本も80代が50.8%と過半数を占め、50歳未満は2.3%と、イタリアと比較的近い数値が出ている。

 ただし、イタリアの10万人当たりの死者数は50.20人と、日本の実に66倍である。

つづく

2020/5/30

出来る限りウィルスと距離を置いて生きる…しかないのかな?  はなこのMEMO

 「緊急事態宣言」が全国的に解除されて以来、街は多くの人出で、新型コロナ(Covid-19)流行前の活気を一気に取り戻したかのように見える。

 しかし、多くの人が指摘するように、
 「ウィルスが消えてなくなったわけではない」

 私たちは重要な社会インフラのひとつである「医療」の崩壊を招くことのないよう、医療現場の状況に常に目を配りながら、経済活動を再開することを決めただけだ。

 とりあえず私たちは、新型コロナのワクチンや特効薬が開発されるまで、"New Normal"と言う指針に則って他者との濃厚な接触を避ける等、新型コロナ感染予防に努めつつ、従来の生活を少しずつ取り戻して行くことになる。


 それなのに、恐る恐る街に出てみると、ここ最近の暑さも手伝ってか、マスクを着用していない人の姿が結構目立つ。その殆どが男性で、年配者や若者だ(先日は、咳が出ているのにマスクを着用していない、赤ちゃんを抱いた外国人女性も見かけた。傍らの連れの女性も同様に、咳をしながらマスクは未着用。大丈夫かいな?)

 さらに質(たち)の悪いことに、マスクを着用していない老齢の男性に限って、口をハンカチや肘で抑えることもせずに、所構わず咳こんでいたりする。今や社会問題化している新型コロナに些かでも関心を持っていれば、マスクは感染の疑いのある者が着用することで、他者への飛沫感染を防ぐ効果があることを知らないはずがない。そもそも風邪だとしても、うつされたくはない

 これは、自身が「不顕性感染者」かもしれないと想定して、"人出の多い場所""人前"ではマスクを着用するよう努めている大多数の人々の努力を台無しにする不作為だ。


 観察するに、老齢のご夫婦で妻はマスクを着用しているのに夫はそうでないケースがまま見られ、これはマスクがないからと言うより、本人の意思でマスクを着用していないと思われる。

 また、男女を問わず、単独行動の"マスクを着用していない"高齢者の場合、おそらく独り身で、久しくマスク不足の状態が続いたので入手できなかった可能性も考えられる。しかし、ここ最近は市中に市販のマスクが出回るようになったので、「マスクが手に入らない」の言い訳は通用しなくなりつつある。

 そんな中、政府支給の通称「アベノマスク」が5月末時点で全国での普及率が20%台に留まっているのは残念な話ではあるが(2週間前に私の住む区で配達が始まったとテレビ報道で知ったが、6月1日時点で普及率は40%近くになり、隣町にもとっくに届いているのに、私の元にはまだ届いていない)、これが全世帯に配布されれば、いよいよ「マスクがないから、しない」とは言えなくなるだろう。

 もちろん、マスクが感染予防に万全でないことは知っているが、少なくとも「マスクは自分の飛沫で、他者に新型コロナを感染させない為の物」との認識は皆で共有したいものだと思う。

 【2020.06.01 追記】
 
 ただし、東京都では5月に熱中症で救急搬送された人が既に122人に上ったとの報道もあり、その大半が高齢者で、内6人が重症とのことなので、来る夏の猛暑に備え、新型コロナと熱中症の両方に配慮した予防策を取る必要に迫られそうだ。人間も体力を奪われる日本の夏の高温と多湿で、新型コロナが弱体化してくれると良いのだが…



 未だに謎の多い新型コロナで、その感染力はけっして侮れないが、現時点では「インフルエンザ」と同じく「接触感染」と「飛沫感染」への警戒が呼びかけられているだけだ。

 「結核」や「麻疹(はしか)」のような「空気感染」は確認されていない。


 感染者の呼気や唾、痰に含まれるウィルスを、受け手の体調や免疫力にもよるが、ある程度の量を体内に取り込まない限り感染はしないようだ。

 「医療関係者」や「仕事柄不特定多数の人と接触する人」が常に感染リスクが高いのは言わずもがなだが、それ以外の一般人は、自ら積極的に他者と(相手からの飛沫が自身の身体に届くほど)近距離で、一定の時間(ガイドラインでは15分以上)接触しない限り、新型コロナに感染する可能性はそれほど高くないと思われる。

 とは言え、新型コロナは症状の出ない所謂「不顕性感染者」も一定期間感染力を持っているので、自分でも気づかぬうちにその人から感染し(←感染者の飛沫が付着した物に触れた手で、目や鼻や口を触ってしまう等)、たまたま今は症状が出ていない可能性も否定できない。だからこそ、自分は不顕性感染者かもしれない、との心積もりは常にしておこうと思う。


 以上のことを総合すれば、レストランで黙って飲食し、食後マスクをして談笑をするのはまだしも、居酒屋で"飛沫を防ぐ仕切りもなしに"テーブルを囲む飲食はリスキーで、自分は怖くて今は出来ないなあ…人間誰しも酒が入るとどうしても感情の抑制が効かなくなり、つい口角泡を飛ばして談笑しがちだから

 また、米国では合唱団でクラスターが発生していることから、狭い空間で複数人が歌い込むカラオケボックスもリスクは高いと言わざるを得ない。ライブハウスも当分の間は演者と一定の距離を置き、観客はマスク着用の上、少人数で静かに着席するスタイルでもない限り、再開は難しいだろう。

 皮肉にも、防音対策としての両者の気密性の高さが、今回は最大のネックになっている。感染予防対策に腐心する施設スタッフの姿をテレビ報道で見ただけに、その努力が功を奏してクラスターが発生しないことを祈るばかりだ。

 新型コロナの流行が一旦"終息"するまでは、とにもかくにも自分が飛沫を出すこと&他人の飛沫を浴びることの両方を避ける。残念ながら、上述の「マスクしないおじさん」のような人も中にはいるので、できる限り、不特定多数の人が触れる物には直接手で触れないこと。もし触れた場合には、速やかに消毒や手洗いを必ずすること。


 不本意だが、他者との近距離での接触は暫くは避けるしかない。周りに人がいる場では、徹底的な感染予防対策が取られない限り、おとなしく黙っているほかないのだ。

 その点、クラシック音楽のコンサートホールや演劇ホール、映画館、美術館では、通常私語はマナーとして慎む場なので、入場者数を制限することで混雑を防ぎ(注意すべきは入退場時のロビーの一時的な混雑か?)、入場者はマスク着用で静かに鑑賞すれば、感染リスクはそれほど高くないのだろう。実際、こうした場所でのクラスター発生は聞いたことがない。

 さらに私には無縁なパチンコ店も同様に、取り沙汰されるほど危険ではないのかもしれない(ただし、パチンコ店利用者の夜の社交場への出入りなど、その行動歴は気になる)

 こうした施設は換気性能も設置基準が厳しく定められているそうなので、密室としての危険性は世間で騒がれているほど高くないようだ。

 以上のことを踏まえて、個人は緊急事態宣言が解除されたからと言って舞い上がることなく、未だ市中に潜む新型コロナを正しく恐れて、最低限、自分の身は自分で守った上で、他者への入配慮も忘れないようにすることが肝要なのだろう。

 発熱や咳症状、さらには味覚嗅覚異常など、少しでも体調に異変を感じたら、外出せずに自宅で休養すること。暫く休養しても体調が改善しないのなら、電話でかかりつけ医に相談するか、自治体の相談窓口に問い合わせた上で、しかるべき治療を受けること(間違っても病院はハシゴしないこと)

 ゆめゆめ自分の軽率な行動で、医療関係者や身近な人に負担をかけないよう、自戒したい。

 そもそも発熱や咳症状が出るほど体調がすぐれない人が、誰にも遠慮することなく堂々と職場や学校を休める社会でありたいものだと思う。今や、病をおして働くことは、けっして褒められることではないと、私たち一人一人も自覚すべきなのだろう。

2020/4/25

人と会うこと自体がリスクになる…人恋しいなあ(+_+)  はなこのMEMO

 最近読んだ記事で最も印象に残った記事は以下の記事だ。

 昨日出たばかりの記事だが、発信元のJBpressで今一番アクセスの多い記事のようで、その注目度の高さが窺える。

『欧州の有識者が「日本はもたない」と言い切る理由』 伊東 乾(いとう けん)、JBpress

 伊東氏は東大で教鞭を取っておられる方らしいが、その人物評はともかく(ネット上で氏を中傷する記事がやたら多かった)、記事の内容は興味深い。

 日本は憲法上の制約(基本的人権の尊重に基づく公権力の制限?)や行政の前例至上主義(前例のない事はしない?)等から、他国のような都市封鎖ロックダウンは出来ないとのことだが、

 それでは今回の…

感染者が発症する前にも、他者に対して十分感染力が高く(←傍目には、その人が感染者と知りようもない)

感染者の呼気や咳から出たウィルス飛沫を直接浴びるだけでなく、
ウィルスの"時間差攻撃"で
空気中に漂う飛沫や、その飛沫が付着した物体に接触するだけでも他者に感染する

 何とも卑怯で嫌らしく厄介な新型コロナウィルス『COVID-19』の収束は難しいらしい。

 皆が皆、自分は感染者かもしれないと自覚して、できる限り他者との接触を避けること。外に出たら、ウィルスが付着しているかもしれないと警戒して、できる限り物に触れないこと。不覚にも触れてしまったら、すぐに手洗いかアルコール消毒でウィルスを除去すること。ふぅ…疲れるぅ

 人間社会は人々のコミュニケーションによって成立しているのに、人間が人間たる所以は他者と多様な手段でコミュニケーションを取ることにあるのに、新型コロナのせいで他者と接触することはご法度で、コミュニケーションの手段は新型コロナが収束するまで、おそらく限りなく非接触型に近い形を取らざるを得ない。

 できる限り他者と距離を取って、それが無理なら黙っていなければならないなんて、特におしゃべりが大好きで、それが一番のストレス解消手段になっている女性には酷な話だわ。だから、未だに道端で、公園で、会えば「コロナ、早く終わんないかね」なんて話し込んでいる女性は少なくない。

 現時点で謎が多く、ワクチンも特効薬もないウィルスだから、精々一般人は自分が媒介者にならないよう気を付けるしかない。自分ができるシンプルな感染拡大予防法は人に会わないこと。あらゆる活動を自粛すること。しかもこのままだと、かなり長い期間。

 つくづく意地悪なウィルスだなと思う。 


 社会主義体制ならではの強権でロックダウンを発令し、否応なく市民の行動を制御して、他国に先んじて収束の目途が立った中国は、恨めしくも早々と経済活動を再開し、未だコロナ禍に苦闘する他国への支援も始めて、自国の影響力を強めようとしているけれど、マッチポンプもいいところ。

 一体、誰のおかげで世界はこんなことになっているのさ? 

2020/3/26

ふたつの足枷が新型コロナ対策を遅らせた  はなこのMEMO

世界的流行を見せている新型コロナ。その中でも、多くの国民の自助努力の甲斐もあって、日本は比較的穏やかに状況が推移していると見られていた。

しかし、「自粛疲れ」ならぬ「自粛慣れ」から来る気の緩みと春の陽気に誘われて、先週の三連休は各地で多くの人出があったことで、今後の感染爆発(オーバーシュート)が懸念される事態となっている。

埼玉では行政からの再三の自粛要請にも関わらず、6,000人もの人を集めての大規模イベントも開催されてしまった。

昨日は首都東京で41人もの感染者(しかも陽性率は50%!)が発覚し、小池都知事が急遽会見を開いて、週末の外出自粛要請を出すに至った。

これは遅きに失した感が拭えない。せめて、先週の三連休の前日に外出の自粛要請をすべきであった。東京都のみならず、東京都との往来が盛んな近隣の神奈川、千葉、埼玉の三県を加えた首都圏で、市民は外出を自粛すべきであったと思う。

【参考データ】近隣県から東京都への1日当たりの流入数は約291万人。内訳は神奈川県:106.8万人、埼玉県:93.6万人、千葉県:71.6万人、茨城県:6.7万人、栃木:1.7万人、群馬県:1.3万人。以上、テレビ朝日調べ。

振り返れば、今年1月半ばからの新型コロナ騒動では、政府や行政のコロナ対策に関して、二つの潮目があった。

ひとつは習近平国家主席の来日が取りやめになった時、もうひとつは東京オリンピックの延期が決まった時だ。


1月半ばの時点で中国武漢市で新型コロナの感染爆発が深刻さを増しても、日本政府は春節期の中国からの人々の入国を止めなかったのに、習近平国家主席の国賓としての来日が取りやめになると、あっさりと入国制限をかけた。

日本政府が入国制限をかけることに躊躇したのは、明らかに主席の来日を控えた中国政府への忖度と、6000社にも及ぶ中国進出日本企業への配慮だろう。

また、世界的な新型コロナの感染拡大を受けて、東京オリンピック開催の可否が世界各国で取り沙汰されても、JOCや日本政府は頑なに予定通りの開催を主張し続け、なぜか首都圏の検査実績が他国と比べてあまりにも少ない為にウィルス蔓延の実態は市民に明らかにされず、この件に関して都知事からのアナウンスも殆どなかった。

しかし、オリンピックの延期が決まった途端、都内において感染が急拡大したかのような連日の感染者の増加報道と小池都知事の会見である。

外務省もようやく(オリンピック開催延期決定を待って?)他国への渡航制限をかける始末。本来ならば、海外渡航者のウィルス持ち込みを防ぐためにも、もっと早期に渡航制限をかけるべきだったのではないか。

おそらく、前近代的な不平等契約で、オリンピックの開催決定権がホスト国である日本にはなく、日本から中止や延期を言い出せば損害賠償が発生する恐れがあるために、JOCや日本政府は表向き予定通りの開催を言い続けるしかなかったのかもしれない。

そして予定通りの開催を主張する以上、日本での新型コロナウィルスの蔓延の状況を、対外的に詳らかには出来なかったのかもしれない。

しかし、経済的結び付きの強い(=経済的依存度の高い)中国政府への忖度と、中止となれば経済的ダメージが計り知れないオリンピックに拘泥するあまり、新型コロナへの防疫対策は後手後手になってしまい、日本国民の生活や生命が脅かされる事態に至ってしまったとは言えないか?

市中でのウィルス蔓延(不顕性感染者=サイレント・キャリアの存在)の実態を知らされていない市民の中には、危機感を持てない人も少なからずいて、彼らの安易な行動が、今後懸念される感染爆発の引き金となった可能性を大いに孕んでいる。

このまま学校を再開して大丈夫なんだろうか?休校中に子供たちが繁華街に繰り出すことが問題視されたが、それは休校前に、休校の理由と意義を子供たちに理解させることなく、また休校中の学習課題をきちんと与えることなく、休校への十分な準備期間を設けずに休校に入らせてしまったことが原因だと思う。他国では休校期間中オンライン授業を行っているところもあると聞く。

つくづく、日本は教育政策が他の先進国から大分遅れてしまった教育後進国だと思う。これはとりもなおさず、政府の教育軽視の姿勢に原因がある。未来への投資を怠る国は衰退の一途を辿るだろう。日本の最大の不幸は、目先の利益にしか目配り出来ない、大局観のない政治家が政治を担っていることなのかもしれない。

ドイツでは無軌道な一部の若者たちがコロナパーティなるものを開いて物議を醸しているらしいが、戦争も飢餓も、そして今回のような疫病も知らない若者たちは所謂「平和ボケ」で、自分自身に降りかかる問題としての危機感がないのだろう。その点は、本来ならば避けるべき場所で遊び惚けている日本や米国の一部の若者も同じ。


日本の新型コロナ対策が後手後手に回った経緯は、精々そんなところなんだろうな。

新型コロナ禍の時期に偶々ふたつの足枷を嵌められてしまった日本は不運としか言いようがないし、未知のウィルスへの対策は手探りで行うしかないのだろうけれど、政府にはせめて市民の生命と生活を守ることを第一に考えて動いて欲しかった。

新型コロナ流行に関する連日の報道に、市民の中にも生活必需品の買い溜めに走ったり、感染者に対する心ない差別が発生するなど、集団ヒステリーの様相も見られるけれど、どうか理性を失わずに落ち着いて対処して欲しいなと思う。

日本の感染爆発が今まで回避出来たのは、ひとつには衛生管理がしっかりした国民性と社会の体制だと思うので、国民のひとりとして、その維持に努めようと思う。忘れられがちだけれど、ほぼ毎日定期的にゴミの収集が行われていることが、市中の清潔の生命線であることも心に留めておきたい。

今回の件について、「失敗学」の提唱者である畑村洋太郎先生の見解を伺いたいなとも思う。

【追加メモ】
@今朝(3/26)のニュースで、これまで30人の感染者の治療に当たった医師によれば、感染者には発熱や咳などの初期症状以外に、味覚の変化、違和感を訴える人が多かったと言う。覚えておきたい。

A誰かがテレビで発言していたけれど、国を守ると言う意味で防疫は防衛に匹敵するほど重要

今回のコロナ禍で顕在化した、医療現場でのマスクやアルコール消毒剤や防護服の不足は深刻な問題だ。

今回の事態が収束した暁には、反省点として防疫体制の強化を図り、その一環として国は十分な数の専門家の育成や米国のCDCのような疾病対策センターの創設、さらに必要不可欠な医療用品については、国主導で十分な量の国内生産と備蓄に努めるべきだと思う。

2020/1/30

人生で急激に老化を感じる時期が3回あるそうだ!  はなこのMEMO

 昨年後半から思いがけず身辺慌ただしくなったのと、老化が原因と思われる目の不調から、PCに向かうことすらままならず、このブログも放置していました。

 何人の方がこのブログを読んでいて下さるのかわからないけれど、遅まきながら新年おめでとうございます。本年も細々と続けて行く所存です。よろしければ、お付き合いください。


 さてさて、録画で見た「月曜から夜更かし」で、さらっと紹介していたのをメモしておこう。


 スタンフォード大のさる研究チームの調査によれば、人間には人生で3回、自身の身体的衰えを否応なしに実感するタイミングがあると言う。

 そのタイミングと言うのが、34歳、60歳、78歳なんだそうだ。

 ちょうどその年齢の頃、血漿(けっしょう)に含まれる「たんぱく質」の濃度と構成がそれまでとガラリと変わることで人間は身体に変調を来し、老化が一気に進むらしい。

 つまり、体力が"ガクン"と落ちるのだ。

 そう言えば年配の知人女性が、年を取ったら、たんぱく質を積極的に摂取しないとだめだと何度も口にしていた。

 血管も筋肉もたんぱく質で出来ている。健康寿命の鍵はたんぱく質にあるのだと。

 そのことを医学的に検証して見せたのが、上記の研究なのだろう。

 
 個人的には、所謂「お肌の曲がり角」を迎える25歳から、5年毎に容貌、特に肌質の衰えを感じて来たが、それが50歳を過ぎた辺りから、1年毎に感じるようになった。

 年々、老いているのだなあ…誰も逃れられない老い。

 身体的衰えが医学的根拠で、上記の3つの年齢で顕著ならば、それぞれの年齢の前後3年位は、健康に関して要注意の期間と自覚しておいた方が良いのかもしれない。

 私は年齢的に2度目の「ガクン期」をもうすぐ迎えようとしている。

 覚悟を決めて、その時に備えよう。

2019/9/1

日韓問題について思うこと  はなこのMEMO

現時点で解決の糸口が見えないとまで言われている日韓の軋轢。

一番の問題は、韓国と言う国が政権が変わる度に主張を変える事。一貫性がなさ過ぎる。

協定を結んでも、政権が変われば平気でその内容に疑義を唱える。特に今回の文在寅政権は酷い。言っていることが支離滅裂だ。

国際常識に照らせば、通常は国と国が交わした約束は、たとえ政権が代わっても守るのが当然だろう。

韓国と言う国は、いつまで70年以上も前の禍根を引き摺っているのだろう?一体いつまで日本は韓国に対して謝罪し続けなければならないのか?

「日韓請求権協定」が交わされた経緯やその後の韓国側の解釈の変遷を知ると、本当に付き合いきれないと言うか、信用できない国だなと思う。

一方、日本政府の側にも問題はある。

日本政府は国際社会に対して日本の立場を明確に理解して貰うよう、きちんと情報発信をすべきだ。1965年に締結された「日韓請求権協定」の内容と、それに基づいて日本が韓国に対して具体的に行ったこと、それによって十分に補償・謝罪がなされたことに関して、国際社会に周知徹底を図るべきだと思う。

論旨明快に主張しなければ、理解して貰えるまで何度でも繰り返し主張しなければ、国際社会からは理解を得られない。大きな声で明確に主張しなければ、誰も耳を傾けてはくれないのだ。

韓国のロビー活動を侮ってはいけない。

私自身、韓国人の友人とは国同士の諍いがあろうが親交は続いているので、市民レベルでの交流は現時点でも十分可能だと思うが、国家間では両者で交わした約束を守り、互いの間にある問題と冷静に向き合い、その解決に向けて真摯に対処しない限り、正常な二国間関係は結べないと思う。


東アジア地域の安全保障や経済の相互発展を考えれば、本来、互いの好悪の感情抜きに日韓両国は協力しあわなければならない関係のはずなのに、今の状況は歯がゆいばかりだ。日韓共に、互いにとって不毛でしかない現状の落としどころを見つけるべく行動し、争点に関しては是々非々の姿勢で率直に議論するような、未来志向の政治家はいないのだろうか?

過去に拘泥するあまり、一歩も前に進めない関係には、もううんざりである。

2019/8/31

内田也哉子さんと有働由美子さんの対談  はなこのMEMO

先日、たまたま見た深夜のニュースショー『ZERO』で、エッセイストの内田也哉子さんと番組キャスターの有働由美子さんの対談VTRが流れました。

放送では編集された一部が放映されたのみですが、期間限定で対談のノーカット版が番組公式サイトで見られるそうです。

残念ながら公開は9月1日㈰まで。対談の時間は1時間20分弱です。

内田さんはその発する言葉に力のある語り手です。その一語一語が心に響きます。

内田也哉子×有働由美子対談(日本テレビ『ZERO』)

2019/7/23

「凪のお暇(なぎのおいとま)」  はなこのMEMO

今クールのドラマの第一回をひと通り見たところで、一番面白かったのが、タイトルの「凪のお暇」。

TBSで毎週(金)午後10時から放映です。

これも今般流行りの人気漫画のドラマ化らしいのですが、主演が大好きな黒木華(はる)さんな上に、脇を固めるのが、高橋一生さん、中村倫也さん、吉田羊さん、三田佳子さんと、主役級で演技巧者な方々なのです。三田さんなんて、美貌の謎めいた独居老人(美人でも、他人に対して狭量で辛辣なJKから見ればただの老婆)をキッチリと演じておられる。


気弱で、周りの空気を読み過ぎることに疲れてしまったヒロインが、それまでの生活を全て投げ出して、郊外のひなびたアパートに布団と自転車だけを持って移り住むところから物語が動き出します。

心機一転、それまでの都会生活で自分を守るために身に纏っていた固く重い心の鎧を脱ぎ捨てるかのように、他人の目を一切気にすることをやめたヒロイン凪。

ミュージカルのヒロインアニーを彷彿とさせるフワフワな癖っ毛(⇦実のところ、幼い頃からのコンプレックス)に、ヨレヨレTシャツにデニムパンツと言う飾り気のない出で立ちで、今度はちょっびり勇気を出して自分の思っていることを口にし始める。

その途端、彼女の人間関係が、人生が、好転しはじめるのを予感させて、第一回は終わります。

それまで出会ったことのない思いやりある人々の優しさに触れて、凝り固まっていた心が徐々に解きほぐされて行く凪。自分のあるがままを受け入れて貰うことで凪は心の安らぎを得て、新たな人生を歩み始めるのでしょうか?

そうだといいなあ…

無職でお金もない凪が、心優しき人々に囲まれて、OL時代よりもノビノビとして幸せそうなのが、いささかおとぎ話チックではありますが、心身共にお疲れ気味の週末には、程よい癒しのドラマになりそうです。

2019/7/23

子どもに対する大人の責任  はなこのMEMO

登戸の無差別殺傷事件の犯人も、今回の京都の放火大量殺傷事件の犯人も、
当初の報道では子ども時代の写真しか出て来なかった。

それは何を意味するのか?

近影もないほどの(他者との良好な関係のない)孤独、社会からの孤立?


(もちろん、彼らが犯した罪は到底許されるものではない。
しかし、彼らが引き起こした事件の重大さと、
その結果がもたらしたあまりの悲しみに、
どこかの時点で事件を防ぐ手立てはなかったのかと考え込んでしまう…

事件前日に監視カメラに映り込んだ犯人の姿をニュースで見て、
ドラマや映画のように、その時点に時間が巻き戻せたらと切に思った。

予知能力のある人が実在していて、
事件を予知し、未然に防げていたならとも思った。

「自暴自棄な人間が、社会への復讐のため、他者を道連れにする自殺」
とも言えるこの種の事件は、
一部の人々が声高に訴える厳罰化だけでは防ぎようのない事件のように思う)



偶然にも、何れの容疑者も幼少期に両親が離婚し、
以来、実の親とは疎遠だ。
(京アニ放火事件の容疑者は、両親の離婚後
、父親が引き取り育てたようで、
別の男性と再婚した母親とは疎遠らしい。)


夫婦が離婚するのは仕方がない面もある。
しかし、自らが世に出した子どもに対して、
親は出来る限り責任を持つべきだと思う。

子どもは親が離婚すると言う事実だけでも、
そこに至るまでにも、十分深く傷ついている。
レアケースではあるだろうが、それに追い打ちをかけるように、
子どもを見捨てることだけは本当に止めて欲しい。

(尤も、育児放棄の問題は離婚家庭に限らないだろうけれど…)

親に見捨てられた子どもは、自尊心がズタズタになりがちだ。
自分の存在価値に自信が持てず、人を信頼することもできず、
自分の将来に希望を持つのが困難になるほどと聞く。

どうしても実の親が当てにならないのであれば、
親に代わって身近な大人が支えてあげなければならないだろう。
身近にそんな大人がいなければ、
社会全体で支えてあげなければならないだろう。

もう何年も前から少子化の問題が叫ばれながら、
子どもの存在は尊重されるどころか蔑ろにされているような気がする。
子どもを保護・育成する施策や法整備が
遅々として進んでいないような気がする。

この日本に生まれて来てくれた子ども達が、その出自に関係なく、
健やかに育つ環境を社会で整えることはできないものだろうか?

子ども達が自尊心を持って、幸せな人生を歩むことができるように。
自身を蔑み、社会を恨む不幸な大人を、これ以上生み出さないために。

政府や自治体の施策を待つまでもなく、
個人でもさまざまなサポートは可能なはずだ。
私達夫婦はかつて仕事で開発途上国と関わった経験から、
長らく国際里親制度を利用してアフリカやアジアのコミュニティ支援を行って来た。
しかし、最近は国内の貧困に目を向けて、
生協が主催する奨学金制度への出資を通して
ささやかながら経済的に困窮する家庭の子どもの学資支援を行っている。


選挙が終わり、国政参加に心が奮い立っているであろう新任の政治家の皆さんにも、
子ども達を取り巻く環境の整備について、今一度目を向けていただきたいと思う。

2019/7/23

吉本興業を巡る騒動に思うこと  はなこのMEMO

そんなに騒ぐほどのことか?と思う。

所属する吉本興業を介さずに直に営業することは、
芸人にとっては従来それほど珍しいことでもなく、
吉本興業側も黙認していたのが、
ゴシップ写真週刊誌に、
反社会派勢力絡みで扇情的に取り上げられたことで
何らかの対応をせざるを得なくなった、
と言うのがコトの真相なんでしょう?

そもそも直営業を黙認していたから、
社内でも厳密な罰則規定など存在せず、
直営業で反社会派勢力との関わりを持ってしまった芸人の処遇に、
会社としても明確な指示を出せなかっただけの話。
図らずも、会社の危機管理能力のなさが露呈した形。

確かに被害者が存在する犯罪集団と直営業で関わり、
ギャラを受け取ってしまったことは社会倫理上不味かったかもしれないが、
芸人を無期限に謹慎したりクビにするほどのことか?と思う。

(近年は暴対法対策で反社会派勢力もフロント企業で正業を営んだりと
ステルス化が進んでいるので、私達一般人も気づかないうちに
何らかの関わりを持ってしまっている可能性は十分ある。)


営業先の身元を碌に確認もせず、
安易に仕事を請け負った芸人の脇の甘さは否めないし、
当初ギャラを貰っていないと嘘をついたことには、
その芸人の小賢しさ、セコさを感じて不快だけれど、
(宮迫さんは世間を舐めている不真面目な人と言う印象。
これまでもテキトーなことを散々やって来ていて、
運よく切り抜けていたのだろうけれど、
今回ばかりは「いい加減にしろよ」と神様から大目玉をくらった感じ。
おそらく、宮迫さんの人間としての「いい加減さ」と
芸人としての「面白さ」は表裏一体で、
それは、かつての市川海老蔵の私生活における「無軌道さ」と
芸の「華やかさ」が表裏一体であったのと同様なのだろう。)

本人がきちんと心から反省して、ギャラも返上して、
今後は二度とそんなことをしないと態度を改めるのであれば、
一定の謹慎処分を科した後に
もう一度チャンスを与えるくらいの度量が、
吉本興業側にあっても良いと思う。

そもそも私は芸能人に清廉潔白さを求めていない。
彼らが社会の手本となる存在であるとは思っていない。

ゴシップ誌でしばしば取沙汰される不倫問題にしても、
当事者の夫婦間、家族間の問題であって、
不快に感じることはあっても、私には直接関わりのないことなので、
芸人なら芸人として、俳優なら俳優として、歌手なら歌手として、
素晴らしいパフォーマンスを見せて貰えれば十分だ。

かつてのプライベートが謎めいた銀幕のスターと違い、
現在はお茶の間にあるテレビで、芸能人の一挙手一投足が見える時代。
近所のちょっときれいな女の子が束売りでアイドルになる時代。
自身のプライベートを切り売りすることで生きながらえている芸能人さえいる。
だから、見たくないことも、見なくて良いことも見えてしまう。


今回の件で最も腹立たしい存在は、
ゴシップ誌に写真を提供した反社会派勢力と
その写真を使ってセンセーショナルに記事を書き立てた出版社だ。

こちらの方が社会倫理上よほど悪質かつ問題で、
その行為の正当性を議論すべきだと思う。

反社会派勢力は自分の力を誇示する道具として芸人を利用しただけでなく、
芸人の人生を弄ぶようにゴシップ誌に営業時の写真をネタとして提供した。
正にマッチポンプとも言える行為で、不快極まりない。

反社会派勢力が持ち込んだ写真をホイホイ受け取って、
さも自らが社会正義を振りかざしているが如く、
芸人を糾弾した記事を掲載した出版社も出版社だ。

叩きやすい相手を叩いただけの安直なジャーナリズムだ。
そこにはマスコミとしての覚悟も使命感も見えない。
おまけに今回は、反社会派勢力に
「マスコミを利用して人を貶める」と言う
新たな悪知恵を授けたようなものだから始末が悪い。

このことに関して他社から何の批判も出ないことに、
この業界の倫理観のなさ、自浄能力のなさを感じる。

こんな低次元のジャーナリズムが跋扈する現状で、
マスコミの本分とも言うべき「権力の監視装置」としての役割は、矜持は、
一体どこに行ってしまったのだろう?

権力は監視を怠ると暴走する、と歴史が証明しているのに 。


何だか、視聴者や読者を馬鹿にした茶番劇を
延々と見せ続けられているような気がして、
ものすごく不快

2019/7/17

最近は以前ほど怒らない  はなこのMEMO

ひとりの人間は本質的な部分は変わらないのだろうけれど、日々生きて行く中でさまざまな経験を積み重ね、学習して、世間との関わり方と言うか世間との距離の取り方は、処世術として適宜変えて行くものなのかなと思っている。

それが自身の対外的なイメージの変化に繋がって、「精神的に成長した」とか「雰囲気が変わった」と、周りからは言われるのだろう。


私は最近、以前ほどには怒らなくなった。以前なら例えば、禁煙場所のバス停でタバコを吸っている人に対して喫煙をやめるよう注意したりしたが、最近はそういう人を見かけたとしても表立って注意はしない。バス停で喫煙されると、場所によっては煙がかかるので不快だし腹は立つのだけれど、わざわざ喧嘩を売ったりはしない(笑)。

正直、そういう人と関わること自体が面倒臭くなった。たとえ注意しても素直に耳を貸す人は殆どいないし、本人に自分のマナー違反の行為を改める気持ちがないのだから、注意したとしても(←結構、最初の声かけは勇気が要る。心臓バクバク)結果は何も変わらない。残念ながら、ものの道理が通じない人は一定数いるものだ。

それに公共の場で明らかに挙動が不審な人は、最近の事件報道を見ていると、わざとその場にたまたま居合わせた赤の他人を挑発して、攻撃の機会を狙っているようなフシがある。懐に刃物を忍ばせている可能性もないとは言えない。

つい先日もタクシー乗り場で見知らぬ他人に傘の先で目を突かれ、被害者は失明するという事件があったばかりだ。その時たまたま居合わせた加害者との関わりで、目を突かれ失明するほどの落ち度が被害者にあったとは思えない。

こうした事件の加害者は、自分の日頃の鬱屈した思いを無差別攻撃という形で爆発させて、身勝手な鬱憤晴らしをしているように見える。自分以外の他人はすべて敵と言わんばかりの孤独感を纏って世間に敵対しているように見えて仕方がない。

そういう人間と徒に関わるのは危険だ。自暴自棄で自分の行動の抑制が効かない人間は、他人を傷つけることなど厭わない。明らかに挙動不審な人を見かけたら、静かにその場を離れた方が身の為だと思う。

何の関係もない赤の他人に、無闇に傷つけられることほど理不尽なことはない。

それに私は無謀な正義漢だったけれど、傍目には自らの正義を声高に主張するうるさいおばちゃんであったのかもしれない。そういう反省もあって、最近はおとなしくしている。

2019/6/19

防災ラジオ  はなこのMEMO

8年前の東日本大震災をきっかけに買い求めた写真の防災ラジオ。

被災地が停電してしまうと、肝心の被災者はテレビを使えないからね。テレビの地震報道は、主に被災地以外の人の為〜国民が国内で起きた災害の情報を共有する為と思った方が良いのかも。

実際、私自身が外出先の横浜で東日本大震災に遭遇した時、震災の全容が分かったのは、避難先の横浜ランドマークタワーのホールのスクリーンに映し出されたNHKの午後7時のニュースによってだった。実に地震発生から4時間以上が経過していた。それまでは情報を得る手段がなかったので、どこでどのような災害が起きて、どの程度の被害が発生しているのか判然としなかった。

本格的な5G時代に入れば、また災害情報の発信や受信方法も変わるのだろうか?


ラジオ以外にライト、サイレン、そして今のスマホに対応できるのか不明なのですが、携帯電話の充電機能も付いています。

電源は単4電池2本使用ですが、付属のレバーを1分間に120回まわすことで、ラジオなら約60分間使える手巻き充電も可能です。

防災ラジオもいろいろ販売されていますが、コロンとした形の見た目のかわいさと機能性で、本品を選びました。

本品はずっと戸棚にしまったままだったのですが、先日、目の手術をした夫が入院中に使用することになり、久しぶりに日の目を見た形です。

せっかくだから普段から使おうよ、と言うことで、夫の退院後もしまわずに、夜は枕元に置いています。

そのタイミングでの昨夜の新潟の地震。

東日本大震災以降は結構な頻度で、北は北海道から南は九州・熊本、宮崎まで、震度5、6級の大きな地震が起きており、かねてより懸念されている首都圏直下型もいつ起きてもおかしくない状況です。

改めて、大地震に対する物的、精神的備えが必要なんだなと思いました。

因みに電動ポンプで各戸に給水するシステムのマンション暮らしである我が家は、東日本大震災時に計画停電で水の確保には苦労したので、以来、常に2Lペットボトル入り水を30本常備しています。

古いストックから使って、随時補充する形。

数十万年単位で起きるとされる地球の地殻変動期に、特に地殻の不安定な日本列島に住んでいる以上、私達は常に地震に直面する覚悟で生きなければいけないんでしょうね。

老後の数十年をどう生きようかと悩むのも、自然の壮大な摂理の前には、ちっぽけな人間の身の程知らずな足掻きのようにも思えてきます。

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2019/4/26

経営者の発想、セレブの発想、大陸人の発想  はなこのMEMO

 自分では思いもつかない他人の発想や着想に驚かされることは少なくない。自分の経験知には限りがあるから、他人の言動から謙虚に学ぶ姿勢は大事にしたいと思う。 


 先月の台湾旅行でのこと。高校時代の同級生を中心に古くは小学校からの友人と計8人で行ったのだが、2泊3日の日程なのに、ひとりだけ1週間位の旅行で使いそうな大きなスーツケースを携えて来た友人がいた。

 その人は郷里でコンビニを3店舗も経営しているやり手経営者である。

 曰く、「いつもお世話になっている人へのお土産用に大きな収納スペースが必要なのよ。私もいつもお土産をいただいているから、お返ししなくてはね。」「こちらが多く与えれば、こちらにも多く返って来る。まさにギブ&テイクね。」

 とにかくお金の使いっぷりが豪快だ。コンビニ出店も一店舗当たり4000万円の設備投資が必要らしいが、事業の為なら多額の借金も厭わない豪胆さだ。台湾でも立ち寄ったドラッグストアで、美容シートマスクを大人買いしていた(笑)。将来への不安からお金を使うことにイチイチ躊躇し、チマチマ溜め込む庶民の私とは大違いである。

 そう言う彼女の口癖は「金は天下の回り物。」
 
 台湾は今回で七度目と言う彼女は、数多あるパイナップルケーキもほぼ全種類食べ尽くし、台湾グルメにも詳しかった。そう言えば、昔からグルメでおしゃれだった。生きることに貪欲な人だった。

 社長令嬢として育った彼女の発想は、父親譲りの経営者ならではのものなのだろう。


 先日、お会いした女性は仮に「高輪夫人」と称しておこう。彼女は義父が岩波文庫にその名が載るほど高名な英文学者であり、詩人であったと言う。その義父が健在の頃は自宅の1階の一部をサロンとして開放し、そこには若き日の谷川俊太郎などの詩人、文学者らが集っていたらしい。

 現在はそのサロンであった場所を画廊として改装し、月に一度のペースで貸し出していると言う。先日、私はそこを訪ねたのだが、さすが山の手、近隣の住民も美術への関心が高いのか、私が滞在している間、来訪者が引きも切らなかった。

 その時にお会いした中で96歳の男性が波乱万丈な人生を歩まれた方で、興味深いお話を聞かせていただいた。戦時中、海軍兵として何度も死線をさまよわれたそうだが、悲惨なはずのエピソードを茶目っ気も交えてお話された。

 戦地から引き上げた後、金属加工の会社を立ち上げ、50あまりの特許を取得し、その特許料収入で悠悠自適に暮らしておられるようだ。隠居後は書家としても活躍されたそうで、ご高齢ながら会話にもよどみがなく、足の具合が少し悪い以外はすこぶるお元気だった。その笑顔には戦禍をくぐり抜けた人の強さと優しさがあった。


 元プロ野球選手でタレントの長嶋一茂は、日本のプロ野球史上絶対的なスター選手として名高い「長嶋茂雄の息子」として世間に華々しくデビューした。しかし、大学卒業後にプロ野球界入りしたものの、そのキャリアは僅か8年で終わり、プロ野球選手としては大成しなかった。圧倒的な才能が必要とされる世界で、偉大な父を持ち、その父と同じ道を歩むのは、子どもにとって茨の道を歩むようなものなのかもしれない。

 しかし、その彼も現在ではテレビで何本ものレギュラーを持つ売れっ子タレントである。プロ野球を引退後に始めた極真空手ではシニアの大会で優勝するなど、既に達人の域に達しているらしい。

 その彼は仕事のスケジュールが空けば、すぐさまハワイへ飛ぶと言う。ハワイこそが自分の本拠地だとうそぶく。それどころか、ハワイに行くと言う理由でレギュラー番組も休むらしい。悪びれもせず、それを番組内で言うのだから、"そういうこと"が許される稀有な存在なのだろう(普通のタレントならとっくにクビになっている)

 とにかく生まれながらのセレブだからなのか、発想が常人とは違う。ドライな仕事観、金銭感覚、対人関係、そして自分の身体を鍛えることへの拘り(20人のトレーナーがついているらしい)など、経済的な困窮を知らない人間だからこその独特な哲学に基づく生き方を貫いており、その是非はともかく、他のタレントとは一線を画す存在である。


 先日、同タイトルの漫画が原作の「キングダム」と言う映画を見て来た。中国統一を果たした秦の始皇帝の若き日の物語である。

 奴隷の出である信と後の始皇帝とのやりとりでは、始皇帝の発言が逐一圧倒的な権力を持った人間ならではの発想で、信の反論を許さない、人間の尊厳など一切無視の冷徹さが印象的だった。

 そもそも500年もの間、数多の国が戦いに明け暮れている群雄割拠の中、王家の血を引くとは言え、若き日に「天下統一を果たす」と宣言すること自体大言壮語と受け取られかねないのに、後にそれを実際に果たしたのだから、始皇帝と言う人物のスケールには計り知れないものがある。

 王族として生まれ落ちた時から、将来国王となるべく所謂「帝王学」を学び、上に立つ人間として常に大局を見極めることが求められて来たのだろうから、国王たる者、下々の人間とは発想が違って当然なのだろう。

 王国でなければ、例えば日本のように天皇が国民の統合の象徴と位置付けられ、直接政治に関与できない場合、政治のトップである首相に統治者としての大局観が求められるのだろう。少なくとも政治家を志す人には大局的に物事を見る素養が欲しい。広い視野で天下国家を語れる人であって欲しい。その意味では、終戦以来、日本で真の意味でのエリート教育がなくなってしまったのが、今、政治の世界で深刻な人材不足を招いているのだと思う(元々エリート養成機関として設立された東大には今も他大学を圧倒する多額の予算がつぎ込まれているが、少なくとも国内では頭脳明晰な学生の集まりであるはずの東大生が、本来の建学の意図を汲まずに官僚や政治家を目指さなくなっている。彼らに期待する方が間違っているのか?)

 近年は広大な国土を持つ中国に、島国の日本は圧倒され通しだが、国土の広さの違いはそのまま人間の発想のスケールの違いに反映されているような気がする。ここ数年、習近平主席が提唱する「一帯一路」がまさしく大陸人ならではの発想で、ユーラシア大陸全土を巻き込んで、中国主導の一大経済圏を築き上げようとしている。少なくとも今の日本の政治家にはそのような発想は期待できないし、日本の国力を上げようとの気概も感じられない。

 また、近年、民主主義国家の市民の当然の権利として、国や地域の重要な案件について国民投票や県民投票が実施されることが国内外で多いが、英国のEU離脱を巡るゴタゴタを見る限り、国家の行く末を左右するような重要な案件を、果たして国民投票で決めて良いものなのか疑問を禁じ得ない。なぜなら、国民の教育レベルや知性には当然バラつきがあり、全員が案件の重要性を正確に認識し、流布する情報の正誤を判断し、正しい採決ができるとは思えないからだ。これこそ、選挙によって選ばれた市民の代表である代議員に、その判断を委ねるべき案件だったのではないか? 


 さまざまな発想や着想に触れて、刺激を受けることは本当に多い。それが思索のきっかけにもなっている。だから、常にアンテナを張って、耳をそばだて、自分では思いもつかない発想や着想に、できるだけ数多く出会いたいと思う。そう考えると、自分以外の他人はすべて「思索のヒントを与えてくれる先生」と言えるのかもしれない。

2019/4/11

最近の政治家と私と内田也哉子さん  はなこのMEMO

@日本の政治には本当に幻滅している

安倍氏一強の与党自民党では、自らの保身のために安倍氏やその盟友麻生氏に「忖度」する議員ばかりで、日本国や日本国民のことを真剣に考えて職務に当たっている議員が殆ど見当たらない。

一連の失言で更迭された議員らに共通するのは、その発する言葉の軽さだ。思慮のなさだ。国民の代表としての自覚がなさ過ぎる。自分の発言が誰にどのように受け止められるかの想像力に乏しく、言葉選びの稚拙さからも知性が明らかに足りないように思う。

恥ずべきことだが、失言で更迭と言う事態がこれまで何度となく繰り返され、明らかに国会議員の資質に欠けると見られる人物が国会議員になれる日本の政治の状況には、私達国民にも責任の一端があるのだろう。

(五輪担当大臣がこうもコロコロ変わって良いのだろうか?世界はこの日本の状況をどう見ているのだろうか?以前、リオ五輪の準備の不手際を日本のマスメディアは何度も報道しては嗤っていたが、東京五輪も人のことを笑えない状況だと思う。日本はもう少ししっかりした国だと思っていたのだが、いつの間にか、やること為すこと緊張感や責任感に欠ける二流三流国に成り下がってしまったようだ。)

かと言って、野党も政府与党の政策に反対を唱えるばかりで、有効な対案を出す政策立案能力もなく、その自覚があるのか?ないのか?与党議員の粗さがしに余念がない。しかも離合集散を繰り返し、政権奪取の為に一致団結する気配もない。

内閣の不祥事続きの現在の状況は、かつて自民党が大敗を喫して万年野党が政権を奪取した時と同じ様相を呈しているが、今の野党のていたらくを見れば、今また野党に政権を任せようとは誰も思わないのではないか?。

先日の神奈川県知事選もそうだったが、今の政治の状況は
有権者に選択肢がない!
一票を投じて、治政を託したい政治家がいない!
と言う、有権者にとってはとんでもなく不幸な状況だ。

政治家の資質と言う意味では、そもそもどのような人間が政治家を目指すのかが気になるところだ。

昨今は県議会レベルでも、やたらに二世三世議員が多いが、「政治家」とはそれだけ「うまみ」のある職業なのだろうか?なぜなら、もし苦労の割に実入りの少ない職業なら、子どもは継ぐのを躊躇うだろうから。二世三世は親の地盤を引き継ぎ、周りの人間や利権絡みの支援者がいろいろとお膳立てをしてくれるから、一般の人間と比較して、さぞかし議員になるハードルも低いんだろうね。

逆に何の後ろ盾もない全くの新人が政治の世界に参入しようにも、選挙には何よりお金が掛かり過ぎるのが問題だ。選挙を戦うノウハウも必要だ。仮に新人が政治家を目指すのなら、宗教団体や労働組合、市民団体等の強固な組織の後ろ盾がないと難しそうだ。もちろん其のためには、そういった組織で圧倒的な人望を得る資質も必須だけれど。

二世三世議員が全く駄目とは言わないが、生まれながらにさまざまな面で恵まれた環境しか知らない彼らに、国民の大多数を占める庶民の痛みや苦しみを想像したり理解するのは難しいだろう。だから多様な背景を持った人材が政治の世界には必要だ。

このまま政府の無策が続き、国民への社会保障費の負担が増大し、大多数の国民が生活に疲弊してしまったら、政府が少子高齢化社会を見据えて目指す個々の「生産性の向上」なんて望むべくもない(その分、移民への依存度が高まりそうだ)

こうした状況が今後も続くようなら、もうこの国から世界的な企業も文化人も生まれないと思う。

なぜなら、国家も企業も結局、人が形作るものなのだから。


私利私欲を越えて、この国をより良くしたいと言う熱い思いを持ち、其のためには自らの命を賭すことも厭わない覚悟を持った人が、政治家を志して欲しい。政治家に必要なのは、「滅私奉公」と言う言葉を体現するような究極のボランティア精神だと思う。

A最近何だか知らないけれど、よく知らない人に話しかけられる

私自身が「話しかけやすい」オーラでも放っているのか、最近、行く先々で知らない人に話しかけられる。道端で、バス停で、バスや電車の車内で、スーパーマーケットで、病院で、特に年配者に声をかけられる。せっかくだから私も笑顔で応じて、結構会話が弾む。

大抵ひとりで行動しているから、人と会話することは脳にも心にも適度な刺激と安らぎになっているだろうから、この状況をせいぜい楽しもうと思う。

B樹木希林さんの娘、内田也哉子さんの聡明さに脱帽!

「日本アカデミー賞の授賞式」や「内田裕也氏のお別れの会」の様子を伝えるテレビ番組で、たまたま耳にした内田也哉子さんのスピーチの素晴らしさに感動した。

何より言葉の選択の的確さ(政治家は彼女の爪の垢を煎じて飲んで欲しい)、スピーチの構成の巧さに、類稀なる知性を感じる。聞き手は、冒頭のフレーズのインパクトにまず心を鷲掴みにされ、丁寧に紡がれた言葉ひとつひとつの深みに心打たれ、締めのフレーズのセンスに唸らされる。その語彙と表現の豊かさに、彼女は今までどのような本をどれだけ読んで来たのだろう、日々どのような思索を重ねて来たのだろうと感心する。

母子だけに、声音(こわね)やおっとりとした語り口も亡き母樹木希林さんを彷彿とさせる。飾り気のない率直な物言いも母親譲りのものだろうか?

内田也哉子さんは10代をニューヨーク、ジュネーブ、パリ等海外の学校で過ごし、19歳で帰国後、20歳の若さで10歳上の本木雅弘氏と結婚している。若くして母親になっている。特異な夫婦関係を持った両親のもとに生まれ、結婚後は有名タレントの妻として3人の子育てで多忙でもあっただろうに、いかにしてその知性と感性を磨いて来たのだろう?

内田也哉子さんその人を知った今、今後は彼女から目を離せない。彼女が紡ぐであろう素敵な言葉を、ひとつたりとも聞き逃したくないと思う。


どうやら樹木希林さんは、この世に素敵な置き土産を残して、この世を去られたようだ。



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