2007/9/18

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(9)  韓国周遊旅行(2007年夏)

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 3日目。旅も後半に入った。実はこの日から天気に恵まれず、終始雨に祟られた。屋内見学は皆無だったので、ずぶ濡れになりながらの観光だった。正直なところ観光どころではなかった(苦笑)。

 儒城のホテルでの朝食は一般的なビュッフェ・スタイル。久しぶりに朝食で牛乳やフルーツジュースを飲んだ感じだ。ずっと伝統的な韓国料理が続いていたが、ここで一休み。キムチもお休み。何となくお腹がホッとした(笑)。出発前にロビーで寛いでいたら、軍服姿の男女が数人集まって来た。多国籍だ。風貌と言葉から韓国人とフィリピン人と米国人か。合同軍事演習か会議でも行ったのだろう。長閑な温泉地にはおよそ似つかわしくない軍服だが、朝鮮半島が南北に分断されて以来、軍事的緊張はずっと続いているということなのだろう。

 さて今日は大田市から一気にソウルまで北上だ。午前中に水原華城、華城行宮、韓国民俗村、午後に江華山城観光というスケジュールになっているが、時間は移動に殆ど費やされて強行軍は目に見えている。それに追い打ちをかけるように降ったり止んだりの雨。亜熱帯地方のスコールを思わせるような雨は日本でも珍しくなくなったが、韓国も同様なのか。地球温暖化の影響を感じずにはいられない。

 高速道路を2時間余り走っただろうか?やっと最初の目的地水原華城(スウォンファソン)に到着。ここは18世紀末に李氏朝鮮22代正祖(チョンジョ)王が築いた、周囲5.7qに及ぶ城塞だ。正祖王は、政争に敗れ非業の死を遂げた父(荘献世子)の為に、その陵(墓)を楊州から水原郊外に移した。その後、父の眠る場所に近い、八達山の麓にあたる現在の地への遷都を目指したが、完工直後に王が病死した為遷都計画は中止され、華城は幻の都となってしまったらしい。

 華城の建設には、高名な学者2人の尽力と37万人もの労力と17年もの歳月が費やされたと言う。ヨーロッパの建築技術を取り入れた設計で、城郭の築造に石材とレンガを併用している点が特徴的だ。朝鮮戦争時に一部が破損・焼失したが、1975年から5年の歳月をかけて修復・復元され、築城時にあった48カ所の建築物のうち、現在も41カ所を見ることができるらしい。

 1周するにはゆうに2〜3時間はかかるとされる華城を、悲しいかなパッケージツアーの私達はさわりの部分を見るだけである。しかも雨で足下も悪く、その優美な風景を堪能するにはほど遠い状況だった。「それでも来た記念に」と写真を何枚か撮るので精一杯。以下はその貴重?なショットの一部。
城壁沿いに空心墩と呼ばれる建築物 クリックすると元のサイズで表示します 
空心墩とは、兵士が中に入って敵を見渡せるように作られた望楼の一種で、は華城の最も特異な建築物のひとつと言われる。内部通路は螺旋状になっており、その構造から「サザエ閣」とも呼ばれるらしい。 
■いつかはこの方のようにゆっくりと観光してみたい(*^_^*)⇒水原(スウォン)観光

クリックすると元のサイズで表示します 城壁から遠くに市街地を望む

韓国の国花ムクゲ。日本でも庭木や生垣で見かける身近な花? クリックすると元のサイズで表示します 

クリックすると元のサイズで表示します 水原華城全体図(リーフレットより)

 実は雨と同じ位手強かったのが中国からの団体ツアー客だった。たまたま居合わせると彼らの口角泡を飛ばす勢いのおしゃべりで、ガイドさんの解説も何度となく中断を余儀なくされるほどだった。見学中の人の前を遠慮会釈なしに団体で横切るなど、とかくマナーの悪さには閉口した。昨年末に長崎のハウステンボスでも同様の憂き目に遭ったのを思い出した。中国は改革開放路線の結果、富裕層が100万人から200万人に倍増したと言われる。その彼ら新興富裕層が海外旅行を楽しむ時代が到来したというわけだ。そうした経緯もあって、彼らの旅先での振る舞いは、洗練にはまだ程遠いのだろう。かつての日本もそうであったかもしれないから、このことで彼らのことは笑えないが…にしてもなあ…(涙)。

2007/9/6

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(8)  韓国周遊旅行(2007年夏)

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 海印寺(ヘインサ)見学でこの日の観光は終了。一路今夜の宿泊先大田市儒城温泉地区(テジョン市ユソンオンチョン地区)へと向った。

 韓国有数の温泉地・儒城を抱える大田市は韓国のほぼ中心に位置し、以前から交通の要衝として知られ、韓国を南北に走る幹線はここを基点に半島の西南や東南に分かれて行く。古くは「ハンバッ(大きい田んぼ)」と呼ばれた田園地帯であったらしいが、地の利のおかげで近年は韓国の科学技術の中核都市として発展し、93年には科学万博も開催された。現在ではソウル-釜山間を結ぶ新超特急線(KTX)や地下鉄が開通し、ソウルにあった政府機関の一部も市西北部に移転するなど、人口150万人を擁する韓国有数の大都市となっている。2002年の日韓共催サッカー・ワールド・カップで熱戦が繰り広げられた公式スタジアムで、その名を知っている人も多いのではないだろうか?
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大田サッカー・スタジアム         儒城地区   (何れも移動中の車窓より)

 市街地の西に儒城温泉、鶏龍山(ケリヨンサン)、南部に高麗人参の名産地・錦山(クムサン)大田市に向かう途中、車窓から高麗人参の畑を数多く見かけた。) 、北東側に清州、俗離山(ソンニサン)と言った観光スポットが控えている。

 その大田(テジョン)市の奥座敷として栄えているのが儒城温泉(ユソンオンチョン)である。ここには、百済の末期、翼に傷を負った鶴が温泉の水溜りに翼を浸して傷を治したのに倣い、ある母親が新羅との戦争で傷を負った自分の息子を温泉に入れたところ傷が全快したという伝説が残っている。泉質はカリウム、カルシウムなどを含む単純ラジウム泉で皮膚病に効果があるらしい。街は近年きちんとした都市計画の下に開発されただけあって道幅も広く整然として(後日行ったソウルとは対照的である。東京もヨソのことを言えた義理ではないが…)、かつ温泉地らしい華やぎが感じられる。この日の宿泊先は儒城温泉の中でも有数の観光ホテルのようだ。しかし、ホテルに向う前にまずはレストランで夕食。

クリックすると元のサイズで表示します 食の日韓共催?サンチュしゃぶしゃぶ

 ホテルにほど近い(車で5分程度)韓食レストラン・マンナ。こざっぱりとして清潔感溢れる店だ。この店オリジナルの料理サンチュしゃぶしゃぶを頂く。品書きによれば、韓国伝来のサンチュサム(韓国レタス?)と日本のしゃぶしゃぶを融合した料理らしい。”日本式の”かつおダシで牛肉をしゃぶしゃぶしてから、味噌、ピーナッツ、マヨネーズで作った特製ソースを付け、サンチュサムでくるんで食べる、というもの。牛肉を焼かずにしゃぶしゃぶというのが新しいのかな?盛りつけも美しく牛肉の桜色とサンチュサムの緑が鮮やかで目にも楽しい。定番のキムチやナムルなどの小皿料理も幾つか出ているが、”都会”に来たら途端に皿数も減ったような…?!ソースは甘口でゴマだれに近い。私や息子はおいしくいただいたが、夫は今ひとつお気に召さなかったらしい。残ったダシで韓国式そばを食べるというオプションもあったが、我が家はサンチュしゃぶしゃぶで満腹になってしまった。同行のS夫妻はそばも楽しまれたようだ。旺盛な食欲だなあと驚いた。ちなみに店名のマンナ(manna)は、旧約聖書の「出エジプト記」の中のエピソードに由来する。どうやら店主がクリスチャンらしい。そう言えば、韓国はアジアでもクリスチャンが多いことで知られている(一説には、仏教徒、クリスチャンがそれぞれ25%。残りは無宗教。数値は資料により違う)

 宿泊先のホテルはHOTEL SPAPIA。名前のスパピアとはスパ(温泉)のユートピアと言う意味らしい。目抜き通りに面した高層ホテルで、大田市でも最大の客室数を誇る。大浴場を備え、客室、スタッフのサービス共に、今回宿泊した中で最も快適なホテルだった。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します ホテル外観と大浴場

クリックすると元のサイズで表示します 1?階の客室からの眺め

2007/8/27

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(7)  韓国周遊旅行(2007年夏)

 さていよいよ海印寺(ヘインサ)である。門前町へ向かう車中でガイドの韓さんが「海印寺の駐車場へは一般の車は入れません(地元タクシー業界の要求に従ったものらしい)。しかし門前町から海印寺へは結構な道のりです。歩こうと思えば歩けないこともないですが大分時間がかかるでしょう。だからタクシーを利用される方が多いです。皆さんはどうなさいますか?」と聞いて来た。我が家は個人旅行なら断然”歩き派”(なんせイスタンブールでは、ボスポラス海峡を横切るあのガラタ橋を渡ってアジア地区とヨーロッパ地区を往復6時間かけて踏破した家族である)なのだが、今回はスケジュールがきっちりと決められたパッケージツアー。ガイドさんは表向きこちらの意向を伺う姿勢ながら、「タクシーを使え」と言う空気が車内に漂う。S夫妻は「じゃあタクシーで」と即答。ここは空気を読んで我が家も「タクシーで」と応えた。もちろんあくまでも”ガイドさんの提案”なので料金は別途支払うことになる。

 往復で1万ウォンとはこれいかに?韓国上陸2日目でまだウォンの貨幣価値がピンと来ないせいか、その料金が妥当なのかどうか分らない。門前町からさらに登坂する海印寺へはタクシーで往復10分もかからなかっただろうか?道路は蛇行した上り坂なので暑い中歩くのは大変だったかもしれない。ガイドさんに言われるままに復路で1万ウォンを運転手に手渡した。運転手の喜びようを見ると、結構な収入なのだろうか?円換算式はウォン÷100×14(←この数値はレートによる)だから、1万ウォンは1400円となる。このところの円安のせいかもしれないが実感としては日本と殆ど変わらない。ガイドブックには「タクシー料金は格安」とあったから日本人価格だったのかもしれない…まあ、これは海外の観光地ではよくあることで韓国に限らないことだけど。

 海印寺(ヘインサ)は華厳宗の十大寺院のひとつで、寺自体は802年、長年中国に留学していた僧、順応(スヌン)と利(理?)貞(イジョン)によって創建され、以後度重なる火災・戦災で建築物は焼失しては再建が繰り返されて来たらしい(やはりここでも秀吉の朝鮮出兵が関わって来る…(__;))。現在の本堂は1971年、朴政権下に再建されたものである。1995年、世界遺産に登録された。この寺院を有名にしているのは、ここに保管されている高麗八万大蔵経である。

 大蔵経とは仏教の経典・論書などを総集したもの。海印寺にある『高麗八万大蔵経』は仏教聖典が一式すべて揃っていることから、現存する大蔵経の中でも最高峰のものとされている。仏教を建国の理念とし、仏の加護で北方遊牧民族(蒙古)の侵略から国を守ろうとした高麗が全精力を傾けて作成したものらしい。これは紙に書かれたものではない。経文を”縦が約24cm・横が約70cm・厚さが約4cmの白樺でできた版木”の上に精巧な技術で彫り込んだものなのだ。つまり印刷の為の版木。その数8万1258枚に上る。しかも現存するのは第二版で、1011年から1087年にかけて作られた最初の版木は1232年に侵略者によって破壊され、それから4年後に再び15年の歳月をかけて完成されたものなのだ。一字一句の間違いも許されない正確さで進めなければならなかった作業。想像するだけでも当時の人々の熱意と努力には頭が下がる。

 そんな貴重な高麗八万大蔵経は、境内の高所に建てられた4つの倉庫(大蔵経板閣)の中に収められており、簡単ながら効果的な換気システムにより保全されているらしい。もちろん倉庫の中には入れないが、小割りの窓から版木の一部を見ることができる。版木に刻まれた文字を目の当たりにすると、その精緻な仕事に改めて感動した。この版木から印刷された大蔵経は室町時代に日本に持ち込まれ、現在増上寺(東京都)と大谷大学(京都府)が所蔵しているらしい。また高麗八万大蔵経に関連して、以下のような興味深い記事もあった。ハングル版だけでなく漢字版も残してほしいなあ…
韓国の世界遺産 高麗八万大蔵経を銅板に

クリックすると元のサイズで表示します 山門。帰り道に撮影。深緑が美しい。

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写真左:九光楼、1817年に再建。     写真右:特別法要で護摩が焚かれたようだ。 
                          帰途につく多くの信者と参道ですれ違った。

本堂の大寂光殿。創建当時の仏像が鎮座する。
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クリックすると元のサイズで表示します 大蔵経が収められた大蔵経板閣

2007/8/21

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(6)  韓国周遊旅行(2007年夏)

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【左写真】韓国世界遺産地図:石窟庵→海印寺   【右写真】海印寺に向かう途中(車窓から)

 午後は3つ目の世界遺産 「海印寺(ヘインサ)」へ。海印寺は伽耶山南麓にある。石窟庵から約2時間車を走らせ、その門前町に到着。途中のトイレ休憩の間に、ガイドの韓さんがどこかで小ぶりの”どら焼き”様のお菓子を買って来てくれた。杏味の甘酸っぱい餡が挟まれている。家族皆「おいしい。おいしい」と頬ばった。
クリックすると元のサイズで表示します  おいしかった”どら焼き”。生菓子だから日本に持ち帰れないのが残念!

 門前町到着直前の山肌を縫うように走る道路の左手には、青森県の奥入瀬を思い起こさせるような美しい渓流が続く(右上写真)。運転手が車をガンガン飛ばすので、なかなかシャッターチャンスを捕らえられない(T.T)。もっとゆっくり走らせてくれ〜。

 さて海印寺観光の前に腹ごしらえ。ちょっと遅め(午後1時過ぎ)の昼食は、門前山菜料理定食だ。皿数の多さにも慣れて来た(笑)。ウチのガイドの韓さんからは詳しい説明はなかったが、たまたま隣り合わせた他のツアーのガイドさんの説明によれば、地元産の人参のキムチが特に滋養強壮に効果があるのでお薦めらしい。一口食べてみたが「おいしい」というより「身体に良いから(味の良し悪しは別にして)食べよう」という感じだ。パクパクと頬張れるものではない。独特の食感があった。比較的おいしかったのは川魚の唐揚げとニラのチヂミとキノコと野菜の炒め物、そしてゴボウの煮物だろうか。青菜のお浸しもサッパリといただけた。

 皿数の多さから言えば、韓国料理はかなりヘルシーだと思う。そう言えば韓国では肥満体の人は殆ど見かけなかった。以前ある人が家族で韓国に行った時に、小児肥満の息子が現地で大変珍しがられたと言う話も聞いたことがある。韓国料理に多用される唐辛子の成分カプサイシンの脂肪燃焼効果の賜なのだろうか?道行く女性にも美肌のスレンダー美人が多かったような…

 ここも店の構えは食堂だが、”素朴な山間の食堂”という感じで、私は嫌いじゃない。帰りに「ごちそうさま」の意味で「カムサハムニダ」と言うつもりが、「アンニョンハセヨ」と言ってしまった。「失敗した!」と思ったら、店の人も「アンニョンハセヨ」と笑顔で応えてくれた。さらに地元の人も帰り際に「アンニョンハセヨ」と言い、それに対して店の人も「アンニョンハセヨ」と応えているのを聞いて初めて、「アンニョンハセヨ」がイタリア語の"Ciao"(チャオ)と同じように、出会いにも別れにも使える便利な挨拶言葉だと知った。因みにイスラム圏では道端で知り合いに会ったら、”アッサラーム・アライコム””アライコム・アッサラーム”と言葉を交わす。”アラーの神のご加護がありますように”というような意味合いだったと思うが、それぞれの土地ならではの挨拶には文化的背景も窺えて非常に興味深い。

クリックすると元のサイズで表示します 辛味だけでなくサッパリとした味も…

2007/8/14

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(5)  韓国周遊旅行(2007年夏)

 次に訪ねたのは世界遺産(2)「石窟庵」。仏国寺、石窟庵共、海抜754mの吐含山中腹に築かれた寺院である。ほぼ同時代(8世紀半ば)に何れも時の宰相、金大城が創建に関わったとされる。中国の石窟寺院に倣ったものだろうが、実際は自然石を形成して人工のドームを築いた後に土をかぶせて自然の洞窟のように見せかけたものである。なぜわざわざそのような造りにしたのだろう?

 内部は四角い空間の「前室」と丸い「主室」に分かれており、奥の主室に本尊仏の釈迦如来像が鎮座し、その本尊仏を守るように菩薩や弟子像、十一面観音像などがあり、前室の彫刻も含めれば計38体のレリーフ(浮き彫り彫刻)が現存している。

クリックすると元のサイズで表示します 仏国寺エリアの地図

 ”統一新羅の宗教的情熱の結晶”であったはずの石窟庵は時代と共に忘れ去られ(李朝時代は廃仏政策がとられたしね)、20世紀初頭には崩壊寸前であったと言う。日本統治時代に修復工事がなされたが(1913-21)その工事が杜撰であったために今では仏像の本来の位置や石窟の正確な構造を知ることができなくなったと韓国は主張しているらしい(さらに通風も悪くなったという説もある)

 崩壊寸前であったものを救うべく行われたはずが、綿密な保全策を検討する間もなく行われたのだろうか?例えば「絵画」の修復作業は、昔は見てくれ重視の補筆一辺倒だったのが、現在は保全重視の原状回復を目指すものになっている。時代と共に「修復」の概念及び方法論も変わって来ているが、下手にいじると却って劣化を早めてしまう危険性は十分あると言えよう。

 地図を見れば分かるように、仏国寺から石窟庵までは山肌を縫うように蛇行する道路が続く。5月に訪れた六甲山の道を思い出した。道幅もそんなに広くはないので、カーブを曲がるたびに対向車が気になり緊張した。そんな私の不安などお構いなしに運転手は慣れた手つきでハンドルをさばく。仏国寺からは30分ほどで石窟庵に到着。

山門―立派な屋根を支える柱が結構華奢なのに驚く クリックすると元のサイズで表示します 

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写真左:本尊仏、釈迦如来座像。もっと近くからじっくり見たかったな…
右:1930年当時の石窟庵内部(『日本地理風俗体系 朝鮮編上巻』新光社より)
日本による修復後でこの状態だから、修復前はどんな状態だったのか…


 実は石窟庵は今回の旅で最も楽しみにしていた訪問地のひとつだった。新羅仏教美術最高峰の石仏と誉れ高い釈迦如来座像。私は大学での専攻は西洋美術ではあったが、大学の「古美術研究」の授業で仏教美術の宝庫〜福井、京都、奈良を訪ね、数多くの仏像を目にした経験がある。以来、仏像にも関心があって寺院や展覧会によく足を運んでいる。特に渡岸寺の『十一面観音像』(国宝)には東博の『仏像展』でも再会したが、その優美な佇まいは何度見ても惚れ惚れする。それだけに石窟庵の石仏への期待も大きかった。

 しかし、石窟庵訪問後の印象はいまひとつ薄い。その理由は慌ただしい旅程であったことと、石窟庵内部が保全のためにガラス越しに、しかも遠目にしか見られなかったからである。感覚的には、混雑した美術館の企画展で流れ作業的に作品を見た、というのに近い。山門から緑深い参道(帰り道リスにも遭遇!)を20分ほど歩き、さらに石段を上ってやっと辿り着いたかと思ったら、ものの数分で見学は終了だったのだ。諸事情で仕方ないとは言え、かなり消化不良な感じだ。

2007/8/13

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(4)  韓国周遊旅行(2007年夏)

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慶州市観光地図。

 朝食後、慶州ワールド隣接のホテルから、まずは世界遺産(1)「仏国寺(プルグクサ)」へ。車で朝早めに出発したおかげか道路も空いていて30分弱で着いた。仏国寺は、長きに渡って勢力争いを続けて来た高句麗、新羅、百済の三国が、中国・唐との同盟関係を結んで軍事力を補強した新羅により統一されてから約200年後の8世紀半ば、景徳王(キョンドクワン)の時代に金大城(キムデソン)によって創建されたと伝えられている。しかし、豊臣秀吉の領土的野心による2度の朝鮮出兵(1592年文禄の役、1596年慶長の役)の時に放火され、一部石築だけを残して焼失してしまったと言う。

 いきなり朝鮮出兵かあ…韓国仏教が国家統一の精神的支柱としての大乗仏教とは言え、他国の宗教施設への攻撃は褒められたものではない(そもそも戦争は敵方への敬意もへったくれもないクレージーな側面があるものだけど)。ガイドさんはどんな思いで加害者の子孫に対して、被害の歴史を語っているのだろう?聞いている私の方は心境複雑だった。

 その後廃仏政策の李朝下でも荒廃が進み、1969年の発掘調査を元に、自国文化の見直しで国家の誇りの復活を目指した朴大統領政権下の1970年代にやっと復元されたらしい。しかし文献資料も十分でなく、残念ながら完全復刻とはならなかったようだ。一度失われた物を元の状態に戻すのは誰の手をもってしても至難の業である。戦争の愚かしさを示す一例と言えるだろう。

 ただし歴史の解釈もさまざまである。秀吉による朝鮮出兵は”中国(明)の侵攻を止めるために進軍した時の通り道だった朝鮮に攻撃されたので抗戦したというのが真相であり、しかもその被害の大半は朝鮮人自身の「焦土作戦(日本軍の補給線を絶つためだけに同胞を殺し 食料を燃やす)」によるものである。”という説もある。(韓国は『なぜ』反日か?より)(←このサイト自体「嫌韓色」が強いので内容の全てを鵜呑みにはできないが、「こんな歴史解釈もあるのか」という驚きはある。そもそも誰もが納得しうる歴史解釈は成立するものなのか?どんな国家も自国の都合の良いように歴史を解釈しているだけなのでは?と最近「歴史」の普遍性に疑問を感じるようになった。だからこそ、歴史認識の違いで、後世の人間が争うことの不毛を私は感じるのだ。) 

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「仏国寺」ユネスコ世界遺産登録記念碑の前にて

仏国寺山門。堂々とした門構え クリックすると元のサイズで表示します

土台の石組みの見事さが目を引く…石の文化 クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します 石組みの上が仏国、下が現世を意味するらしい

2007/8/11

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(3)  韓国周遊旅行(2007年夏)

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2日目の朝食。ホテルすぐ近くの大衆食堂で食す。やはり皿数は多い(笑)。
万国共通かもしれないが、”都会度”が増すにつれ皿数は減り、味は洗練されて行く。
以後毎食、自家製のキムチが登場するが、これらは全てそれなりにおいしい。さすがは韓国。
グツグツと煮立った鉄鍋で供された「ミソチゲ」は日本で言えば「みそ汁」か。
エビのダシが利いているが、元々私はエビが苦手なので味は好みとは言えず。
唐辛子も入っているので、タイの「トム・ヤム・クン」にも似た味わい。
旅行社のパンフの日程表には「市内のレストランで朝食」とあったが、
店の看板は「大衆食堂」。看板通りの雰囲気と味でした。


クリックすると元のサイズで表示します 息子は一晩で元気回復!
「大衆食堂」店内の様子。なぜか壁面にはヨーロッパの街並みを描いた壁画が…
およそ店の雰囲気に似つかわしくない風景画が、却って「大衆食堂」らしいかも。
食後、店外のトイレに行ったら、個室のゴミ入れに高さ1m以上の
使用済みの(トイレット?)ペーパーの山。当然のことながらそれが異臭を放っていた。
その衝撃的な光景に圧倒されてトイレに入る気が失せた。
今回訪韓3度目というS夫人から、
「トイレが詰まりやすいのでペーパーを流さない習慣がある」と後で聞いた。
流せないのは仕方ないとして、もっとマメに清掃すべきでは?


 さて、いよいよ韓国にある七つの世界文化遺産を巡る旅のスタートである。実際のところは混雑を見越してスケジュールを前倒しして、前日の夕食前に世界遺産ではないが、慶州市を代表する文化遺産、古墳公園「大陵苑(テヌンウォン)」の訪問は済ませていた。以下は前日「大陵苑」を訪ねた際のレポート。

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写真左「天馬塚」、右「夫婦塚」:仲睦まじかった夫婦が一緒に埋葬されている古墳
 「天馬塚」は被葬者不明。その名の由来は、出土した副葬品の中にあった天馬図による。その「天馬塚」がある「大陵苑」は慶州市内の中央に位置し、約12万5400坪の敷地に新羅1000年の古墳23基が散在する公園。「天馬塚」は内部が公開されており、古墳の造成を内部から見ることができる。さらに博物館に収められた、5〜6世紀頃のものと見られる副葬品のレプリカも展示されている。何処にも墓荒らしがいるらしく、豪華な副葬品がごっそり盗まれた古墳も少なくないのだとか。そのガイドの解説にエジプトのピラミッドのことを思い出した。確か墓荒らしに手を焼いた王家はピラミッドを造ることを止め、「王家の谷」にミイラや副葬品を埋葬したのだよね。

当時の金工技術の素晴らしさを今に伝える「金冠」(「奈良博」で来日)の造形は見事なものだ。純金の冠に彩りを与えている勾玉の玉(ギョク)は慶州では産出せず、中国から伝来のものらしい。
クリックすると元のサイズで表示します 数ある出土「金冠」の中でも特に立派なもの(写真は一部)
「天馬塚」の名の由来となった天馬図 クリックすると元のサイズで表示します
白樺の皮を幾重にも重ねて作られた「あおり」(障泥:泥よけの馬具。下鞍の間に差し込んで馬腹の両脇を覆う。後には飾りとなり晴天にも用いた。以上『広辞苑』より)に描かれた天馬の図。

2007/8/11

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(2)  韓国周遊旅行(2007年夏)

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ガイドの韓(ハン)さん曰く「慶州は日本の奈良・京都」らしいけど…
見どころの数の多さは京都・奈良に遠く及ばない印象。
逆にどこをとっても絵になる、見どころ満載の
奈良・京都の凄さに改めて感嘆する。
世界中捜してもあんな所はないと思う。
写真は慶州の高速道路入り口の立派な門構え。


 1日目は午後便で釜山到着が4時過ぎ。殆ど移動で終わると言って良いと思う。今回のツアーで成田から釜山に向かったのは私達家族のみ。しかし、釜山で名古屋から釜山入りしたSさんご夫妻と合流。見たところ団塊世代のご夫婦。ジーンズにTシャツ姿のカジュアルスタイル。名古屋発便は午前到着らしく、既に釜山半日観光を済ませたらしい。私達家族は釜山に降り立っただけで、そのままガイドさん、Sさんご夫妻と共にワゴン車で慶州へと移動。

クリックすると元のサイズで表示します 乗り物酔いですっかりお疲れ気味の息子
 宿泊先ホテルへ向かう前に別のホテルで夕食の「韓定食」を食す。本格的な「韓定食」は大きなお盆ごと種々の小皿料理が運ばれるらしいので、正確にはこれは「韓定食」”風”か。地方であればあるほど食べきれないほどの量の料理を出すのだとか。それが歓待の印らしい。別のツアーのガイドが「全部を無理して食べる必要はありませんよ。遠慮なく残しても良いですから」と言っていたのが印象的だった。

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ホテルのサービスで披露される韓国民族舞踊。
韓国美女達がにこやかに舞うのを見ながらの食事。まあ楽しいものです。


 一泊目のホテルはCOMMODORE CHOSUN HOTEL。客室の窓からは湖が一望できた。設備の整ったリゾートホテルらしいが、今回は翌日の朝食も外で取る予定で、ホテルではただ寝るだけだったので特にこれと言った印象はなし。韓国もサマーバケーション・シーズンなせいか、この日も近隣の広場で野外コンサートが催されていたようで、夜遅くまでビートのきいた音楽が響いてなかなか寝付けなかった。
一泊目の宿泊先:COMMODORE CHOSUN HOTEL クリックすると元のサイズで表示します

2007/8/10

韓国周遊〜7つの世界遺産を巡る(1)  韓国周遊旅行(2007年夏)

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昼下がり、空路で釜山入り。あいにくの雨(T.T)

 私は一応英語と伊語なら旅先で不自由しない程度に話せるのだが(ペラペラというわけではありません。そこのところ誤解なきよう…笑。ついでに言うならカタコトのアラビア語もOK!)、韓国語は例の『冬ソナ』ブーム以来日本の少なからぬ壮年女性が学んでいるにも関わらず、私自身はこれまであまり興味がなく(そもそも『冬ソナ』自体見たことがない)勉強したことがなかったのでハングル文字も読めないし(基本的にローマ字に似ているようですね)、知っている単語は「アンニョンハセヨ」と「カムサハムニダ」のみ。ことほど左様に言葉に関しては心もとない状態で韓国初上陸を果たしたのだった。

 それにしても今回は雨に祟られた旅だった。旅行の予約をしたのが5月上旬。韓国の気候を改めて調べてみると、年間を通して最も降雨量が多いのは8月ではないか?!道理で雨が多いわけだ。しかもシトシト雨、嵐のような横殴りの雨、バケツをひっくり返したようなどしゃぶり、私達の降車に合わせたかのようなタイミングの雨―とさまざまなパターンの雨の洗礼を受けた格好だ。おかげで靴も服もビショ濡れ状態。足下はジトッとして不快この上ない。とは言え、悪いことばかりでもない雨に洗われた緑はことのほか瑞々しく清澄で美しい。これには感動した。

 さて、久しぶりに家族3人で海外に行きたいと思い、韓国を旅先に選んだのは消去法による。夫は長期休暇は取れない→遠くへは行けない。休暇の初日と最終日は休養に充てたいので両日を除くと賞味4日間のツアーが上限。息子が6月に訪ねたばかりであり、食材の危険性がとやかく言われる中国は対象外。この時期酷暑の台湾や香港も避けたい。―ということで韓国に決定。

 生活圏として考えれば国民の3分の1が集中するソウルは東京と殆ど変わらないし、今後何度も訪ねるとは限らないことも考慮して、釜山を起点に7つの世界文化遺産を巡りながら北上しソウルへと至る周遊型パッケージツアーを予約した。釜山の空港からソウルまで現地の日本語が堪能なスルーガイドが付き、全行程食事付。韓定食に始まってサンチュしゃぶしゃぶ、石焼きビビンバ、プルコギ、サムゲタンとさながら韓国料理のフルコースだ。ガイドブックで紹介された店やツアーに含まれる食事は不味いと相場が決まっているようだが、韓国初心者にはこれで十分。

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2007/8/10

韓国に行って来ました…  韓国周遊旅行(2007年夏)

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慶州(キョンジュ)市大陵苑(テヌウォン)にて

 私が海外の旅に求めているのはやはり異国情緒であったり、いまだかつて見たことのない風景であったり、未知の味覚であったり、現地の人々との交流であったり、思いもよらない体験であったりする。だから、まず旅立ちのモチベーションは彼の国への興味・関心であり、好意である。概して、彼の国へのイメージはさまざまなメディアによってもたらされる情報によって形成されるものだから、ネガティブなイメージで語られることの多い国への関心はなかなか芽生えない。

 これまでイタリアを皮切りに、フランス、タイ、台湾、ヨルダン、キプロス、エジプト、トルコ、イギリス、オランダ、スイス、アメリカ、マレーシア(空気を吸ったと言う意味ではトランジットで立ち寄った際に香の匂いが強烈だったインドなど。ついでに飛行機の車窓からチラッと覗いたのは香港、ドイツ、レバノンなど。しかもイギリス、フランス、イタリア、キプロスへは複数回)と旅して来たのに、近隣の韓国へはついぞ行ったことがなかった。今回やっと韓国初上陸である。



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