2019/8/31

別に人に褒められたくてやっているわけでもなく…  はなこ的考察―良いこと探し

私の住んでいる分譲マンションは普段は清掃が行き届いていて、敷地内にはゴミも殆ど落ちておらず比較的きれいだ。

ゴミ捨て場も、ゴミが回収された後すぐに、管理人さんが清掃してくれるので、常に清潔な状態に保たれている。

ところが、今朝、プラスチックゴミを捨てにいったところ、ひと塊に置かれた複数のゴミ袋から少し離れた場所で、ゴミの入ったビニール袋がひとつ何者かに食いちぎられ、プラスチックゴミが散乱していた。

推察するに、マンション居住者か、それ以外の人物が、前日の夜にゴミ袋を出しだのだろう。そして、中身の「持ち帰り寿司」か「刺身」が入っていたと思しき容器の生臭い匂いに誘われた猫かカラスが袋を食いちぎったようである。

件のゴミを出した人物は、少なくともゴミ出しルールをふたつ破っている。当マンションでは衛生上問題のあるゴミの散乱を防ぐ為に、ゴミは回収日当日の朝に出さなければならない。そして、プラスチックゴミは洗って乾かした上で捨てることになっている。仮に、もし居住者以外の人間が捨てたのなら、3つのルール違反となる

たまたま私の後に来たマンションの住人女性も「あり得ない汚さね」と、散乱したゴミに驚いていた。

間の悪いことに、今日は管理人さんのお休みの日だった。

どうしたものかと思いつつ一旦部屋に戻ってはみたものの、やっぱり放置できないと思い、空のゴミ袋2つを持って再びゴミ捨て場へと向かった。

散乱したゴミをひとつひとつ拾ってゴミ袋に入れ、口を締めた後、臭い漏れを防ぐ為にさらにもうひとつの袋に入れ2重にした。ひとまず、ゴミ捨て場の見てくれの悪さはなくなった。これなら衛生面でも問題ないだろう。

私に見知らぬ不届き者の後始末をする義理はないとは言え、当マンションの居住者のひとりとして、自分の出来る範囲でマンションの維持管理には貢献したい。管理人さんの不断の努力も無駄にしたくないしね。

リサイクルゴミにしても、段ボール、雑誌、新聞、衣類が乱雑に置かれていたら、回収業者が回収しやすいように種別毎にまとめて置き直すようにしている。

回収業者の大変さを想像できるのは、かつてリサイクルゴミの回収は月に一度半日がかりで地域の子ども会の役員が回収していたので、役員時代にかなりキツイ思いをしながら回収した経験を持つからこそ。

一連の行動は誰かに褒められたくてやっているのではなく、地域に住むひとりひとりの人間がほんの少しの労力を提供するだけで、結果的に街全体の清潔を保つことができるのではと考えているからだ。

自分の住む町が、誰にとっても、少しでも住み心地の良い街になればと思う。


人知れず、他人からの称賛を求めるでもなく、損得勘定抜きに、自分が正しいと思うことをする。もちろん、自分にとっての正義は絶対ではないから、常に自分自身を第三者目線でチェックすることも忘れずにいようと思う。
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2019/8/22

アンチ・エイジングへの同調圧力に疲れる  はなこ的考察―良いこと探し

日中テレビを点けると、若々しい外見と体力の維持を謳う、主に中高年女性をターゲットにしたCMのオンパレードだ。

個人的には、特に女性用のカツラや増毛のCMが正直目障りだ

私は女性用カツラや増毛のCMを見るまで、女性の加齢に伴う薄毛について気にしたことなど一度もなかった。

年老いた母の薄毛を気にも留めなかった。

おそらく、世間もそうではないのか?

個人では自分の頭髪の変化を多少気にすることはあっても、カツラ・メーカーの女性向けCMが登場するまで、世間が必要以上に女性の薄毛に注目することはなかったのではないか?

「薄毛になったら老けて見える」→「薄毛になったらカツラや増毛で毛量を増やすのが高齢女性の嗜み」と言わんばかりの同調圧力を日々かけられているようで、本当に不快だ

カツラメーカーも生き残りをかけて、否、金儲けの為に新規市場を開拓しただけなのだろうが、世間に「アンチ薄毛」の空気を醸成したのは罪深い。余計なことをしてくれたものだ。しかも中高年世代の、ただでさえ貴重な老後資金を狙い撃ちされているようにも感じて、企業はどこまで人を食いものにするのかと戦慄する。


そもそも、日本ではお笑い芸人がいたずらに「ハゲ」を連発するなど、男性の薄毛を嘲笑する傾向がかねてより強かった。一体、誰が初めに言い出したのだろう?国によっては、特にヨーロッパでは頭髪の薄い男性を「セクシー」だと持て囃す価値観もあると聞く。今なら英俳優のジェイソン・ステイサムがその筆頭か?

比較的白い肌(←白人から見れば黄味がかって見えるのだろうが、実際は個人差はあるとは言え、全人種の中でも白い方だ)に黒髪は、毛量の少なさを強調するようなコントラスト効果があるのかもしれないが、加齢やストレスや遺伝と言う、本人の過失でもなく、本人の努力による改善も難しい毛量の減少を、なぜ、ここまで笑い者にするのだろう?

まあ、本人には選びようのない出自で「身分が卑しい」だのと卑下する風潮も昔から少なからずあるので、人間の品性はその程度のものなのかもしれない。

かく言う私の夫も義父の遺伝子をしっかりと引き継いで、年々頭髪が減って来ている。本人は気にしているが、私は、それをみっともないとも、ましてや恥ずかしいことだとも思ったことなどない。彼の人間性や本質には何ら関係のないことだからだ。

しかし、世間にはデリカシーのないアホ丸出しの人間はいるものだ。

いつだったか、駅ビルにある雑貨店も展開している某有名カフェ・チェーンで、私達夫婦が着席して暫くしてから、隣の若いカップルがやたらと「ハゲ」を連発しだした。私の夫をチラチラ見ながら、聞こえよがしに「ハゲるのは嫌だ」とか、「ハゲたらおしまいだな」などと抜かしている。

そういうカップルの出で立ちを見ると、両者共、パサパサの金髪頭にガサガサの肌で、上着もヨレヨレのだらしない服装だった。人の外見をどうこう言う前に、自分達の姿を鏡で見る方が先ではないかと思った。

見も知らぬ男女である。おそらく会話のネタに尽きて、後から横に座った私達をネタに貧弱な語彙で空疎な話をしだしたのだろう。縁もゆかりもない、今後会うこともないであろう男女なので、相手にするのも馬鹿らしく、私達は早々に席を立った。

聞きたくなくとも漏れ聞こえてくる会話や、弥が上にも目に付く身だしなみで、その知性や内面は容易に窺い知れる。外見重視は太古から世の常とは言え、年を重ねれば、誰もがどうあがいたところで外見の衰えは防げない以上、日々の努力による内面の充実がなければ、長い人生を有意義には生きていけないと思う。

件の男女がそのことに気付くのはいつの日のことだろう?


日々、テレビを筆頭にさまざまなメディアでは、アンチ・エイジングの大合唱が喧しいが、誰もが避けられない老いをあるがままに受け入れることも、私達ひとりひとりには選択する自由がある。老いることを必要以上に恐れることなく、「円熟」や「枯れる」と言う価値観も、私は大事にして行きたいと思う。
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2019/7/17

老後資金のはなし  はなこ的考察―良いこと探し

50代に入った頃から何となく老後を意識するようになった。

私にとっての本格的な老後は、夫が仕事から完全にリタイヤした時だろうか?光陰矢の如しで、老後生活スタートまで残すところ3年弱となった。

最近、年金以外に老後資金として2,000万円は必要との金融庁からの提言?が巷間を賑わせたけれど、その金額はあくまでも目安で、本当に必要な額は人それぞれだろう。

そもそも皆、違う人生を生きているのだから。

私の友人を見渡しても、例えば郷里の友人の中には土地持ちの家に嫁いで、今では賃貸マンションなど何棟もの不動産を夫婦で所有し、地元だけでなく東京の都心にも別宅としてマンション1室を所有して頻繁に上京するなど悠々自適に過ごしている者がいる一方で、都内に住む友人のひとりは夫婦共働きで地道に暮らして来たのに、最近になって夫の会社が倒産し、新たな職が見つかりはしたものの月収が10万円減になってしまったとかで、退職金など望むべくもなく老後は不安で仕方がないと言っている。

また、同郷で同じ会社に勤めていた友人は帰省の度に費用は全額親が負担してくれ(←因みに我が家のこれまでの帰省費用を計算したところ、ゆうに1,200万円は超えていた)、自宅を購入する際も夫婦それぞれの両親から1,000万円ずつ出して貰ったと言っていた。彼女は大学時代も親の仕送りだけで十分生活出来て、学生時代バイトもしたことがなかったらしい。それだけ親に援助して貰えれば、数千万円の貯蓄など容易いものだろう。それ以外にも財テクの知恵など有形無形の財産を親から継承して、資金面での老後の安泰は確約されたも同然である。

その友人の話を聞いていると、何だか自分が不遇に思えてくるので、いつしか疎遠になった。


正に不幸の種は隣の芝生の青さを羨むところにある。
他人と自分を比べるところにある。

比べたところで、何も良いことはないのにね。

ヨソはヨソ、ウチはウチと割り切らないと、ホント心乱されるばかりだ。
自分の"分"を弁えて、自分の持ち分の中でやりくりしながら生きて行くしかない。
この際、「人並み」を求める虚栄心はキッパリ捨てなければ。

或いは、自身の望む生活レベルを維持する為に働き続けるか…

自分にとって何が大切か?
最低限何が出来れば心充たされるか?
よくよく考えた上で、老後はお金の使い方にメリハリをつける必要があると考えている。

結局、周囲(親類縁者)に迷惑をかけない程度の蓄えと、
結婚しているなら良好な夫婦関係、
さらに子どもがいるなら良好な親子関係、
会いたい時に会える心許せる友人の存在、
時間を忘れて心から楽しめる趣味、
そこそこ健康な身体(確実に老いて行くのだから、どこかしら不具合があって当然)
そして、自身や他人の多少の粗忽は笑って許せる心の大らかさが、
老後の心の安寧には必要なんだろうなと思っている。
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2019/5/16

人生、良い時もあれば辛い時もある  はなこ的考察―良いこと探し

 人間誰しも、長い人生の中では良い時もあれば、辛い時もあると思う。人によって配分には多少の差はあれど、人生は幸不幸の絶妙なバランスで成立しているのではないか。

 自分が今、幸せか不幸かと言うのも個人の感じ方で相対的なものだろう。辛い経験があるからこそ、幸せも感じることができる。一方、あまり起伏のない人生は「穏やか」かもしれないが、それでは「感受性」は磨かれないのかもしれない。

 さらに、自分の身に起きることのひとつひとつは、もしかしたら人生のターニングポイントであるかもしれず、その後の人生を好転させるか暗転させるかは、自分の捉え方次第なのかもしれない。


 私のブログを読むと、いつも、やれ映画だ、展覧会だ、散歩だ、旅行だと、随分とお気楽な立場だねと思う人がいるかもしれないが、この私にも辛い時期はあった。

 今、私は自由気ままに過ごしているが、子ども時代は不自由ばかりだった。がんじがらめだった子ども時代に、良い思い出は殆どない。

 子ども時代の1日1日は、大人になってからの1日1日とは、その濃密さや人生における重要度がまるで違うと私は感じているので、今でも自分の子ども時代を思いだすと切ない。

 ただ、辛い子ども時代があったからこそ、今の幸せを享受できると思っている。 

 私は9歳から、結婚して自分の子どもが生まれるまで働き詰めだった。

 父が家を購入した直後に病に倒れたり、通院中に交通事故で重傷を負ったりで、母が外に働きに出ることになり(それまでも母は自宅で洋裁の内職をしたり、家を購入するまでは都市部で24時間営業の喫茶店を経営するなどしていた)、9歳の秋から私は自宅1階にある小さな書店兼文房具店の店番をやらされた。毎日学校から帰ると夜の9時10時頃まで店番をし、雑誌の発売日には定期購読しているお得意さんのお宅に配達もしていた。

 私の店番は私が中学を卒業するまで〜親が店を畳んで貸店舗にするまで続いた。

 加えて私が小4の時に生まれた末妹は両股関節脱臼の状態で生まれ、4年間ギプスで股関節を固定され歩けない状態だったので、空いた時間には妹の世話もしなければならなかった。

 だから友達と外で遊びたい盛りに私は思い切り身体を使って遊ぶこともできなかったし、中学の部活動にも参加できなかった。

 さらに中学生の時に認知症になった父方の祖父を引き取り、自宅で介護することになったので、自宅療養する父や外で働く母の為、祖父の介護の手伝いもした。多忙な母の負担を減らす為に、晩御飯の用意も一部手伝った。

 祖父は引き取ってから2年半後に、自室で就寝中に心筋梗塞で亡くなった。朝、家族が起きた時には既に身体が冷たく、死後硬直も始まっていた。

 私は祖父の下の世話が子ども心にも辛かったし(当時は紙おむつもなく、祖父は褌着用だったので、糞尿の片づけが大変だった。もちろん、当時はデイサービスどころか介護ヘルパー制度もなく、家族は休む間もなかった)、私や妹達は「女はどうせ出ていくのだから、孫とは認めない」と祖父からは跡取りである弟とはあからさまに区別され、可愛がられた記憶も全然なかったので、冷たいようだが、祖父が亡くなった時には別れの悲しさよりも、「やっと介護から解放される」とホッとしたのを覚えている。

 中学生にして、私はちょっと人生に疲れていた。

 そんな私の楽しみと言えば、店番をしながら、小学生の頃にちょっと背伸びして手にした中高生向けの国語辞書がボロボロになるまで語句の意味を調べながら、ローカル新聞を隅から隅まで読んだり、図書館の本を片っ端から借りて読んだり(年に170冊は借りていた)、中学校で昼休みの間図書館に入り浸って、蔵書の「世界の美術館全集」を眺めたりすることだった。

 外で遊べない分、外の世界への憧れは強く、店番をしながら読書の合間に日本地図や世界地図を眺めては、図書館所蔵の全集でいつも目にしていた世界の美術館にいつか行きたいと思いを馳せていた。

 小学校からの新聞熟読や読書の賜物か、中高時代は文系科目の成績は学年でもトップクラスで、大学進学を希望していたが、父親が「女に学問は不要」と言う考えで進学を許してくれなかったので(祖父の考えそのまま)、高校卒業後一旦就職したのだが(ほぼ強制的に「明日から、この会社で働け」と父に言われて仕方なく働き始めたが、最後まで馴染めなかった)、1年後にはそこを辞め、入学に必要な費用を自身の貯金と母親からの借金で賄い、短大に進学した。

 もう父親の命令に従うのにはウンザリしていたので、働きながら秘密裏に進学の計画を進め、入学を強行した。入学後はバイトと奨学金で学費を賄った。短大時代は勉強とバイトと念願の部活(音楽好きの部長主導で聖歌ばかり歌っている聖書研究部(笑))に明け暮れ、慢性的な睡眠不足に悩まされはしたが、充実した日々だった(その間も時々親の代わりに妹弟のPTAに出席したり、弟の不始末の謝罪をしたりもしたが、妹弟達はそのことを覚えていないのが残念だ)

 けっして自分以外の誰かから強制されたものではなく、自分自身で選びとった人生の、なんと楽しいこと!この時に初めて、私は自分の人生を生きていると実感できた。嬉しかった。


 友人の中には「(親に対して)自分を生んでくれた恩は忘れるな」と言う人もいて、親がいなければ自分は存在しなかったと言うのはもちろん事実ではあるのだが、親なら我が子を支配下に置こうとせずに、可愛がって欲しかったと言うのが、私の偽らざる気持ちだ。

 そもそも戦前ならいざ知らず、高度経済成長期真っ只中の昭和も半ばの頃の話である。私の同級生の殆どは屈託なく子ども時代や青春を謳歌しているように私には見えた。友人のご両親も善良な方々で優しく接して下さるので、彼我の違いになおさら自分が惨めに思えたのを覚えている。

 今にして思えば、跡継ぎである長兄を溺愛し(終戦直後の混乱期に、鹿児島の沖合で行方不明になったらしい)、次男である父に冷淡だった祖父の呪縛が、父を今で言うDV親に仕立て上げたのだと思う(祖父もまた、父と同じだったのかもしれない)。私は子どもの頃、長女として精一杯のことをしたつもりだが、中学の時には理不尽な理由で父から傘を投げつけられ、右瞼に9針縫う傷を負っている。

 だから、私は不幸な親子関係の連鎖を断ち切るべく、息子には精一杯の愛情を注いだ。彼が夢に向かって進めるよう、私達夫婦が親として与えられる最大限の教育の機会を、息子には与えたつもりだ。


 今はお気楽然としている自分でさえそうなのだから、一見誰の目にも恵まれたように見える人にも、実は人には言えない、否、言いたくない辛い過去があったのかもしれないのでは(或は今、悩みを抱えている)と、今の私なら慮ることが出来る。

 目の前の現状を見ただけでは、他人の幸不幸なんて推し量れない。大抵の人は誰しも人生に好不調の波があるもの。だから徒に他人と自分を比べて自分の不幸を嘆いたり、他人を羨ましがるのは無意味だと思う。


 失敗は成功の(=学びの時)、スランプは飛躍の(=次に向けてのエネルギーの貯め時)、そして不幸は幸福の(=魂の修練の時)、「前段階」で、その時々で得た経験は、人生においてけっして無駄にはならない…と思うことにしている。
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2019/4/30

「生きているだけで百点満点」  はなこ的考察―良いこと探し

「生きているだけで百点満点」とは、
群馬県のベテラン助産師
鈴木せい子さんの言葉だ。

彼女が助産師として30年以上に渡り
数多くの赤ちゃんを取り上げ、
何組もの母子と関わった経験から
生まれた言葉だ。

これは、私達の存在のあるがままを、
肯定する力強いエールである。

能力や容姿の優劣に関係なく、
身体の健弱に関係なく、
心身の障害の有る無しに関係なく
有名無名に関係なく、
富裕貧窮に関係なく、
職業人として正規雇用か非正規雇用かに関係なく、
また、生きることに前向きであるとか
後ろ向きであるとかにも関係なく、
何事にも要領が良いか不器用かにも関係なく、
周囲に溶け込めているか、いないかにも関係なく、

そして、親に愛されているとか
愛されていないとかに関係なく、

たとえ誰にも愛されていないと
自分自身が感じていたとしても…

ただただ、この世に生を受けたひとりひとりの存在を
全面的に肯定する言葉である。

そもそも、この世に
完全無欠な人間なんていないのである。
誰もが何かしら欠けていたり、
他人には言えない”何か”を抱えているものである。
つまり、「人並み」という言葉ほど曖昧で、
実体のないものはないのである。

自分が人として完璧でないからと言って、
何かが欠けているからと言って、
誰も自分自身の存在を疎んじたり、
否定する必要なんてないのである。

そんな不完全で弱い自分を認め、赦し、受け入れ、
もっと気楽に生きて良いのだと、
このシンプルで慈愛に溢れた言葉は、
私達を励まし、力づけてくれるのである。

私にも、あなたにも、代わりはいない。
この世に唯一無二の存在として生きている。

だから生きているだけで十分素晴らしいのである。


今の世の中の状況に思うところあって、
平成最後の今日という日に、
この言葉を書き留めておきたい。
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2019/3/30

日本の教育の問題点〜親の役割  はなこ的考察―良いこと探し

電車に乗る度に思う。

赤ちゃんを胸に抱き、
大荷物を抱えた母親が乗って来ても、
誰も席を譲らないのはなぜ?
と。

たまに譲る人もいる。しかし、本当にたまに見る光景だ。
これでは幼子を抱えた母親の外出は難行苦行だ。

そんな母子の姿を見たら、女性の中には「子育ては大変だ」と、
子どもを産み育てることに(本当はたくさんの喜びもあるのに)
躊躇する人もいるかもしれない。

もうさあ、少しは助けてあげようよ。 

(例えば、抱っこひもで前に赤ちゃんを抱えている場合、
母親が座ると赤ちゃんが足に苦痛を感じることもあるので、
近くの人が母親の荷物をいっとき持ってあげるだけでも良いのでは?

手助けの方法はいろいろあると思う。
これこそ、想像力を働かせる好機だ!

仮に声をかけて断られても、気にすることはない。
何ら恥じることもない。寧ろ胸を張って欲しい。
思いやりを示すその行動そのものが、
他人に無関心な今の社会に対して
一石を投じるもの
なのだから。)


今日もお昼前頃、都心に向かう電車に、
赤ちゃんを抱っこひもで抱えた母親が乗って来た。
背中には大きなリュックを背負い、
右肩にも大きなトートバッグを担いでいる。
いかにも重そうな荷物。

車内はほどほどに混んでいて、
私はその母子から離れた場所に立っていた。

出入り口の脇で窓の外に向かって母親は立っていた。
赤ちゃんがぐずるからだろうか?
荷物を抱えたまま自身の身体を上下に揺らし、
赤ちゃんを懸命にあやしている。

すぐ傍の席で、若い女性はスマホに目を落としたまま。
赤ちゃんがぐずっているのに一瞥さえしない。
まるで無関心だ。


海外では電車内で私が幼い息子を抱っこしていると、
どこの国でもすぐさま誰かが席を譲ってくれた。
 


特に若い女性が率先して譲ってくれた。
何れ母親になるかもしれない、
同性の若い女性の優しさが嬉しかった。
至極当然のこととして、何の衒(てら)いもなく
幼子を連れた見ず知らずの母親を気遣う姿が素敵に見えた。

私は息子には幼い頃から、
公共の乗り物ではよほど疲れていない限り
立つように教えて来た。
その前段として息子が幼稚園の頃から、
家族で街散歩やウォーキングイベントに参加するなどして、
長時間(2〜4時間)の歩行に慣れさせ足腰を鍛えて来た。
その結果、彼は今でも長時間立ち続けることや歩くことを厭わない。

もし、バスや電車で席についていたとしても、
その席を必要としている人が乗って来たら譲るよう、
息子にはことあるごとに言い聞かせて来た。
彼は親の教えを実践していたようだ(バス、電車通学が始まった中学生の頃、
帰宅後にいちいち報告していた(笑))


だから所構わず、すぐ座り込む(所謂ヤンキー座り?)若者を見かけると、
彼らは子ども時代に足腰を鍛えることを怠ったせいで、
見た目より肉体は老いているんだろうなと思う。
逆に連れだってハイキングに出かける中高年女性の方が
よほど足腰が丈夫で、心身共に若々しいのかもしれない。

今はともすると、公共の乗り物で子どもを真っ先に座らせる親が多い。
これは傍から見れば、親が子どもを甘やかしていることに他ならない。
こうした甘やかしは、
子どもが本来持っている力を伸ばすことの妨げにしかならず、
子どもの成長の機会を奪う行為に等しい。

子どもの体調が悪くないのなら、特に走行が安定した電車では、
親の方が座り、子どもは立たせた方が良い。
本来、子どもは親よりもエネルギーに満ち溢れ、元気なのだから。
心身の鍛錬の機会は、こうした日常に転がっているものだ。

先日たまたま外国人親子(母親と小学生くらいの息子)を電車内で見かけたが、
当たり前のように母親が座り、息子は親の目の前に立ち、
母子で楽しそうに会話していた。微笑ましい光景だった。

親は我が子を、他者を思いやる心を持った真っ当な人間に育てる為に、
精一杯の愛情を注ぐのは当然のことながら、
けっして甘やかしてはいけないのだと思う。

社会で生きて行く以上、
人は基本的に互いを思いやることが大切だと思う。
そうでなければ社会は殺伐として、
誰にとっても生きづらい場になる。

それを率先して教えるのが、親の役割だと考える。
遅くとも就学前には、
「他の人とどのような態度で関わるべきか」
想像力を働かせて他者を思いやる姿勢を、
自分自身が手本となって、
親はわが子に教えるべきだと思う。

観念は家庭で教えるべきで、
学校はあくまでも実践の場である。


昨今は子どもに対する、
そういう人間としての基本的な素養の教育が、
欠けているような気がしてならない。

学問だけが我が子に授けるべき教育ではないのだよ。
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2017/6/7

怒鳴らなくても、子どもは物事の道理を理解できる  はなこ的考察―良いこと探し

 実は今は亡き私の父は、今で言うところのDV父で、特に長子だった私は子どもの頃、常に言葉と身体の暴力に晒されていました。

 父はとにかく口が悪い。「お前は橋の下から拾って来た」だの、「疫病神」だの、「かわいくない」だの、揚句に「お前なんか死んでしまえ」だの、子どもが傷つくような言葉を平気で毎日のように投げかけるのです。

 気に入らないことがあれば容赦なく蹴りを入れられたし、中学の時には勘違いした父が怒りに任せて私に雨傘を投げつけ、私は右瞼に9針縫う怪我を負いました。ほんの僅かでもずれていたら、右目を失明していたでしょう。

 幼稚園の時には、ハイハイしていたすぐ下の妹(4歳の時に交通事故で死亡)がゴミ箱から見つけた父の使用済みの剃刀で、誤って私の額を6cm程切りつけてしまったのですが、「タバコで止血すれば良い」と病院にも連れて行ってくれませんでした。おかげで、だいぶ薄くはなりましたが、今でも額に縦に大きな傷跡が残っています。

 でも、自分で言うのもなんですが、私は父に罵倒されたり、暴力に晒されたりする謂れなどないほど「良い子」だったのです。

 遊びたい盛りに友達と外遊びもせずに、両股関節脱臼で生まれ、4年間ギプスで股関節を固定して歩けなかった末妹の世話もしたし、小学校中学年頃から外に働きに出た母の代わりに晩御飯の準備もしたし、実家の一階で営んでいた小さな本屋の店番や定期購読しているお得意さんへの雑誌の配達の為に中学の部活も泣く泣く諦めたし、大人になってからも自分の給料の一部を実家に仕送りしたり、ボーナスの半分も実家に渡していました。

 女に教育なんか要らないと、父は私に大学への進学も許さなかったし(だから、自分で働いて学費を工面して進学しました)、高校進学の時でさえ「金がかかって仕方がない」とネチネチ言われ続けました(親が我が子の教育に熱心で、ただ勉強さえすれば良い環境で、何の苦も無く大学に進学出来た人には、当時の私の気持ちなど分からないだろうなあ…)

 それでもグレることなく優等生を通し、基本的に親に従ったのは、自分が長子で下に幼い弟妹がいたから。当時の私からすれば、グレる人は精神的に幼く、自分のことしか考えていない、周りが見えていない人としか思えませんでした。

 後で知ったのですが、父は私のいないところでは「うちの娘は頭が良いんだ」と人に自慢していたらしい。

 母の話によれば、父は父で気の毒な身の上だったらしく、跡取り息子の長男を溺愛する祖父に、次男だった父はかなり酷い扱いを受けたらしい。それが父の心に修正のきかない屈折をもたらしてしまったのかもしれません。

 大人になった今は、けっして良い父親とは言えなかった父を許す自分がいます(父の暴力に嫌気して、三女は高校進学の段階で家を出て県外に去ってしまいました。末妹は末っ子で、兄弟の中では最も可愛がられたはずなのに、未だに父のことを「大嫌いだ」と言います)

 そんな父のことで私が何よりも嫌だったのは、頭ごなしに怒鳴りつけることでした。自分の怒りの感情に任せて、熊のような大きな身体から大声を発するのです。

 今でもそれはトラウマになっていて、どんな理由であれ、親や教師と言った大人が、子どもを怒鳴りつけている場面を目にすると、何とも嫌な気分になります。

 生きるか死ぬかの深刻な事態に直面しているのでもないのに、なぜそんな大声で子どもを怒鳴りつけるのかと。

 実は亭主関白気質の典型的な九州男の夫も、私や息子に対してたまに大声で怒鳴ることがあって、その度に「怒鳴りつけるほどのことでもないのに」と疑問に思い、最近は「それって、怒鳴りつけるほどのことかな?」と私もすぐさま反駁することが多くなりました。頑固な夫は反論できないと黙り込みますが…

 結局、日常生活の中で、人に対して怒鳴る場面なんて、そうそうないはずなのです。それでも怒鳴る人は感情の制御が効かない人。心理学で言うところの「アンガー・マネージメント」が必要なんですよね。怒鳴る本人に、ストレスを抱えている等の何らかの内的問題があるのだと思う。

 子どもも一個の独立した人格としてきちんと認め、何か問題があれば、きちんと筋道立てて話し、教え諭すこと。反抗する子にも言い分はあるのです。その言い分に耳を傾ければ、子どもも心を落ち着けて大人の話に耳を傾けるようになります。

 これは12年間、美術館で教育普及ボランティアとして従事した中で、私自身が学んだことでもあります。
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2017/5/16

さっさと法改正して欲しい〜受動喫煙対策  はなこ的考察―良いこと探し

 たばこの受動喫煙対策を強化する法改正をめぐり、昨日の15日、自民党は厚生労働部会を開催。

 会では小規模スナックやバー以外は原則禁煙とする「厚生労働省案」と、一定面積以下の小規模店に「喫煙可」「分煙」と言った表示義務を課す「妥協案」について協議したが意見集約できず、規制推進派の反対で「妥協案」も事実上白紙に追い込まれ、今国会の提出は厳しい情勢となった、と報道されている。

 これに先立つ8日の慎重派と推進派の幹部の話し合いでは、
 
 望まない受動喫煙を防止
 飲食店はひとくくりに扱う
 表示義務を課す
 面積基準を設ける

 の4点で妥協案に合意がなされていたと言う。
 それが昨日の会合では質疑応答で異論が噴出し、収拾がつかなくなったらしい。

 今国会で法改正案が通らなければ、法改正の最も大きなインセンティブとなっている2020年のオリンピック、パラリンピックの開催までに間に合わなくなる、と幹部は憂慮している。

 世界中から大勢の人々が来日するオリンピック、パラリンピックを機に、我が国で受動喫煙防止対策が徹底されるのは大歓迎だ。この機を逃したら、外圧がなければ動かない腰の重さでは、先進国の中でもピカイチの日本政府は、受動喫煙対策の機会を永遠に失ってしまうだろう。

 どうして決められないんだろうね?少なくとも大人だけが利用する、おそらくお酒も提供する飲食店での受動喫煙をどうするかが、ここでは議論の焦点になっているんだよね?そんなもの、きちんと"棲み分け"がなされれば良い話なのでは?(それとも、国民の健康云々より国のメンツ重視で、対外的な評判が悪くならないよう来日客が利用しそうな店についてのルール作りが最優先と言うことなのだろうか?)

 この為に、受動喫煙対策全体が停滞するのはおかしいと思う。

 嫌煙派にもさまざまな立場の人がいるのだろうが、私の場合は個人の喫煙自体を咎めだてするつもりは一切ない。大航海時代から数百年以上に渡って続く慣習を止めるのは、けっして容易なことではないだろうから。

 ただ(吸っている本人以上に煙を吸わされる周囲の人間に及ぶ)受動喫煙の危険性が医学的にも立証されている以上、不特定多数の人が日常生活を営む上で利用を避けられない場所での受動喫煙の問題を、どうにかして欲しいのだ。路上やバス停や学校や幼い子どもも利用する飲食店等での受動喫煙の防止策を、早急に徹底させて欲しい。

 個人的には流れて来るたばこの匂いが苦手だし(バス停や路上での喫煙は本当に迷惑)、路上喫煙者のたばこのポイ捨てに腹が立っている。喫煙するなら、隔離された空気清浄機能付きの喫煙室(場所)か、自室内だけにして欲しい(例えば、訪問した友人の家で友人やその夫が喫煙することには、私もとやかく言えない。そもそもそこは友人の自宅=私的空間だし、私も自分で納得の上でその場にいるのだから)

 以前、バス停で喫煙者と口論になった後、バス会社に働きかけてバス停での禁煙をバス停の表示板に明示して貰ったのだが、最近になってJTが提供したと思われる(側面にJTのマーク)スタンド型の灰皿がベンチ横に新たに設置された。

 これではバス停での喫煙を促しているようなものではないか?バス停に面している建設会社がタバコのポイ捨てに苦慮してJTに訴えたのか?或はJTが何らかの配慮で建設会社に贈ったものなのか?(毎朝、バス停にはタバコの吸い殻が散乱しているので、建設会社の社長さん自ら掃き清めていらっしゃるのだ。この大変さをルール無視の喫煙者は意に介さないのだろうね)

 何れにしても、JTは余計なことをしてくれたものだバス停から少し離れた場所にも以前から1台あり、今回新たにベンチ横に置かれたおかげで、非喫煙者はバス停で今まで以上にたばこの煙を吸わされる羽目に陥っているバス停で喫煙者に出くわすと、本当にユーウツ(結局、バス停で喫煙する人は確信犯なので、注意しても馬の耳に念仏なのだ。前回の注意した相手の逆切れぶりに、注意するだけ無駄だと悟った。出かける前から、こんなことにエネルギーを費やしたくないと)

 そう言えば、先日録画していたドラマ「やすらぎの郷」を見ていたら、自宅の縁側で喫煙する石坂浩二演じる主人公の脚本家が、体調を気遣う息子に「たばこを吸うのは私の自由だ。このたばこのおかげで私は脚本が書けたんだ。このたばこのおかげでお前もメシを食えたんだぞ」と激昂しているシーンがあった。

 これはそのままドラマの脚本を手掛けている倉本聡氏の本音なのだろう。おそらく、最近の世の中の喫煙規制の流れに、愛煙家の倉本氏は苛ついているのだろうね。

 本人が好き好んで80歳近くまで喫煙して来たのだから、今更やめろとは誰も(おそらく本人が呼吸器系の疾患で医者の診察を受けていない限り医者も)言わないと思う。一方で、息子さんが親の体調を気遣うのは当たり前のこと。もしかしたら息子さんの口癖になっていて、会う度に息子さんに喫煙のことを指摘されていたので、思わず怒ってしまった、と言う設定なのかもしれないが…敢えて好意的に解釈すれば、倉本さんも時代の変化に戸惑っていると言うことなのだろうね。


 とにもかくにも、時代の変化を一顧だにせず、ルールを無視する一部の人々が、喫煙行為に対するイメージを悪化させているのは間違いないと思う。

 自民党の推進派も慎重派も、結局「決められない」のではなく、「決めたくない」のかな?デッドラインを意識しないで仕事をすると言うのが信じられないのだが…せっかくの幹部間の根回しがうまく機能しないのは、今の自民党の緩みや結束力のなさを象徴しているようにも見える。 
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2017/5/6

常に情報のアップデートを心掛ける!  はなこ的考察―良いこと探し

 私は川崎市に住んでいます。SNSで川崎市に関する記述を読むと、否定的な書き込みのオンパレードに正直ウンザリします。

 悪口をいろいろ書き連ねている人、一体川崎の何を知っているんでしょうね?偏見に基づくイメージだけで語ってるのではないですか?一部の短所を殊更拡大して語ってみせてはいないでしょうか?

 私自身、元々は九州出身で、川崎に住み始めたのは海外駐在から戻って来て、会社が用意してくれた社宅(海外赴任中の方のお宅を借り上げたもので、高層マンションの最上階でした。そのベランダからは正面に富士山がドーンと見える迫力の眺望でした)の所在地がたまたま川崎市だったのがきっかけでした。

 住んでみたら都心や横浜や羽田空港だけでなく、夫の会社にも電車で10分程度とアクセスが抜群に良いのと物価の安さ(固定資産税も横浜より10%安いらしい)が気に入って、そのまま川崎でマンションを購入してしまいました。夫は出張で新幹線を利用することも多いので、東海道線で品川駅まで1駅なのも便利です。

 マンション購入後間もなくして、駅周辺には既存の独立系シネコン、チネチッタ(過去には年間観客動員数連続して全国1位を記録)に加えて、チェーン系のTOHOシネマズ、109シネマズもオープンし、映画好きには堪らない鑑賞環境になりました。単館系作品も地元で殆ど見られます。

 駅西口にはミューザ川崎と言う市立のパイプオルガンも付設した本格的なコンサートホールも出来、国内外の著名な音楽家の演奏も地元で聴くことが出来ます。これで駅の近くに美術館や博物館があれば言うことなしなのですが、南武線沿線に(駅からのアクセスが少々悪いですが)市民ミュージアム、岡本太郎美術館、藤子・F・不二雄ミュージアム(大人気で入館は完全予約制)があります。

 駅の東西には大型商業施設ラゾーナ(総売り上げ連続日本一の記録有り)や地下街アゼリア(延床面積全国3位)、さらにルフロン、ダイスといった商業ビルもあり、商業施設も充実しています。

 昔ほどでないにしても、空気があまりきれいとは言えないのが残念ではありますが、許容範囲です。しかもその原因は今や工場のばい煙ではなく(←厳しい環境基準で規制されているので殆ど無いに等しい)、自動車の排気ガスです。それならば交通量の多い地域なら、全国共通の悩みと言えるでしょう。

 さらに南北に細長い地形で、南北間のアクセスがあまり良くない為に(長らく南武線は各駅停車運行のみでした。しかも北部の中核、新百合ヶ丘には登戸で小田急線に乗り換えないと行けない)、同じ川崎市民でも南部と北部とでは一体感が希薄なところも残念です。SNS上で、北部在住者と見られる人が「南部と一緒にしないでくれ」と書いているのを見ると、同じ川崎市民としては、その傲慢な優越意識に悲しくなってしまいます。

 その上、川崎市は北から順に小田急線、田園都市線、横須賀線、東横線、東海道線、京浜東北線、京急線と幾つもの鉄道路線が横断しており、都心へのアクセスが良いだけに、特によそから移り住んで来た市民は地元への愛着は今ひとつなのかもしれません(川崎市としても新旧市民の融和は市政運営上、重要な課題のひとつらしい)

 マンション暮らしでご近所付き合いはそれほど濃密ではないのですが、商店街でのやりとりやPTAでの付き合いなど、さまざまな場所で地元の人々と関わった限りでは、全般的に下町気質で気取ったところがないので、概ね皆さん話しやすい印象です(もちろん、例外はあります。どこにでも良い人がいる一方で悪い人もいるものです)

 その川崎市、なんと今年に入って人口が150万人を突破しました。私が住み始めた頃は長崎県より人口が少なかったのですが、いつの間にか逆転してしまいました。

 川崎市は1924年に人口5万人で市制をスタートし、政令指定都市になった翌年の73年に100万人を超え、2009年には140万人を突破し、以降は全ての区で人口増が続いています。

 市外からの転入者の増加と安定的な出生数による増加の相乗効果で、16年の出生数から死亡数を引いた自然増では、全国20政令指定都市の内14都市が減少している中、川崎市はトップで3,119人も増えているのです。

 これには10代後半から30代前半の若い世代の増加が寄与しており、特に20代前半では20〜24歳の転入と転出の差は14,000人を超えています。出生数も07年から10年間、毎年14,000人を超えているのです。(以上、数値データは『タウンニュース』5月5日号より)

 全国の都市でも突出した人口増は、大規模マンション建設による集合住宅の供給増や、若い世代を中心に川崎市のイメージが改善され、都心へのアクセスの良さやスポーツ・文化面で評価されているのが一因と言われています(その為、待機児童問題、人口密集地における災害発生などへの対応が急務)

 ⋆ 中原区武蔵小杉駅周辺の再開発地区や幸区、川崎区の工場跡地

 数字は、川崎市が若い人を惹きつけて止まない、全国でも屈指の「活力に満ちた街」であることを如実に示しています。 

 つまり、昔のイメージを引きずって未だに川崎市を馬鹿にしている人は、もはや時代遅れと言うことです。実際、国内ツアーに参加した時に、私達夫婦が川崎市在住と言った途端、態度が豹変した夫婦がいました。年配のご夫婦でした。残念ながら、その方々の脳内データはいつまでもアップデートされずに昔のままなんでしょうね。

 せいぜい無知を晒して恥をかかないよう、私も常に情報のアップデートに努め、ヨソ様のことを安易に(確たる根拠なしに)見下したりなどしないよう気を付けねば! 
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2016/11/15

英語を勉強して良かったと思うこと  はなこ的考察―良いこと探し

 今や「英語帝国主義」と揶揄されるほど、英語と言う言語が「国際語」として世界で広く使われているのは誰もが知るところだ。

 幾つかある大学の評価ランキングでも、英語圏の大学が英語の「汎用性」と言う強みで軒並み上位を占めているし、アジア圏でも英語教育に力を入れている国々の大学が近年急速にランクを上げている。逆に比較的英語力に劣る日本の大学はランクが下降気味だ。

 結局、ランキングの評価指標のひとつである「国際化」では、多国籍の学生や教員を集める為に、実質国際語としての機能を果たしている英語による授業の実施は必須となりつつあるし、学術レベルの指標となっている「論文引用数」でも、それぞれの母国語で書かれた論文よりも英語論文の方が有利である。今や「仏語至上主義」で有名なフランスの大学でさえ、コースによっては英語での授業が行われていると聞く。

 ビジネスシーンでも英語が幅をきかせており、国際競争が高まる産業分野では、ビジネスマンも英語が出来なければ話にならない傾向は強まる一方だ。さらに職業スキルに加えて英語力があれば、自国を飛び出して世界で活躍できる可能性も高くなる。

 フィリピン人はその英語力を生かし、さまざまな国で出稼ぎ労働者として従事し、そこで得た収入を本国へ送金して脆弱な国家財政を支えているし、近年のIT業界ではワールドワイドにインド人の活躍が目覚ましい。また、英米の医学部では多くのインド人留学生が学んでいると聞く。

 日経11月9日(水)夕刊16面の記事「自由席」では、フィリピンの出稼ぎ労働者を描いた映画について紹介していた。

 これまで数々の国際映画祭で受賞実績のあるフィリピンを代表する映画監督ブリランテ・メンドーサ氏が手掛けたオムニバス作品の内の一編で、タイトルは「SHINIUMA Dead Horse」。「北海道の牧場で馬の世話をしてきたフィリピン人労働者が不法滞在で強制送還となり、故郷の村に帰る物語」で、「外国への出稼ぎがフィリピン経済の重要な財源になっている現実と皮肉を描いた」と言う。

 「俳優に脚本を渡さず、人物の置かれた状況を説明、俳優がそこから感じ取った肉体表現を撮る。映像で語る力を信じ、『編集後、音を消してそれでも内容が伝わるか検証する』」と言うくだりに、彼は現代のオーギュスト・ロダンだなと思った。

 19世紀フランスを代表する彫刻家ロダンは、人間の感情や思考と言った内面を、人体の荒々しく躍動する筋肉で表現した人である。
 

 さらに、インターネットで使用されている言語のシェアは英語が圧倒的に高く、英語力の有無が情報格差を生み出すと言っても過言ではない。

 故に、自分自身の視野を広げたい人間は否応なしに、個人的な好き嫌いに関係なく、英語を学ぶことは必須となっている(逆に海外に一切関心のない人、好奇心が旺盛でない人には、英語を学ぶ必然性はないのかもしれない)

 元気だった頃の私の父は海外を渡り歩く船員だったので、自宅にたまに父の船員仲間の外国人も訪ねて来るなど、英語は幼い頃から比較的身近な存在だった。米国には、米国人と結婚した父方の叔母一家も住んでいた。そのせいか、中学に入学して英語を学び始めた時も特に苦手意識を感じることなく、高校生の時には、いつの間にかある程度しゃべれるようになっていた。

 ただし、あくまでもコミュニケーションの手段として使用する言語だと割り切っているので、英文学を原文で楽しむと言った向きではない。私にとっての英語は、英字新聞やテレビのBBCやCNNで世界の最新ニュースを入手したり、洋画や洋楽をオリジナル音声で楽しんだり、海外旅行でスムーズに現地の人とコミュニケーションを取る為のツールだ。

 だから英語を言葉として深く味わうと言うより、自分にはまず伝えたい、或は語り合いたいトピックがあり、そのことについて日本人以外の世界の人々に伝えたり、共に語り合う為に英語を使う、と言う感覚である。

 短大時代の恩師も仰っていたが、要は日本語でどれだけの知識を蓄えているかが重要で、その前提知識があるからこそ、海外ニュースを見聞した時に英語を完璧に理解せずとも、その概要を把握できると言うことである。日本語で知っていることを英語ではこう表現するのかと理解し、記憶して、それを実際の会話で使う。その繰り返しで語彙も自然に増えて行く。

 逆に英語が多少しゃべれたとしても、何の知識もなければ会話は続かず、相互理解までには至らないだろう。英語力云々以前に母語での教養が大切だと思う。

 仮にたまに間違った理解があったとしても、誰かに指摘されたり、自分で気づけば、後で幾らでも修正は可能だ。間違いを恐れないこと。完璧でなければと思い過ぎないこと。それが英語によるコミュニケーションを気軽に行うコツだと思う。

 先日は、交換留学生として現在一橋大学に学ぶ英国人女性と話す機会があった。英国人と言っても生まれこそロンドンだが、そのルーツはアフリカのソマリアである。彼女の両親はソマリア人で、当地の政情不安から逃れて英国に移民した人々らしい。しかし、彼女が6歳の時に母親が病死し、その後彼女は英国人女性とエジプト人男性の夫婦に養女として引き取られたと言う。

 もちろん、彼女と会話をしながら頭の中では、ソマリアがアフリカのどの位置にあるのか、ソマリアの現在の状況はどうなのか、そしてソマリアと日本の関わり等、いろいろなことを思い巡らせていた。ソマリアについての予備知識が皆無では、彼女が語る話の本質も理解できなかっただろう。

さらに先日のEU離脱について聞いてみると、「あれは誤った判断だ」と悲し気な表情を見せた。若い人の多くは、より広い活躍の場を奪われたようなショックを感じ、英国への先行きの不安も抱えているそうだ。

 英語と言うツールで、遠いアフリカにルーツを持つ英国人と交流ができ、そこから世界の複雑な情勢の一端を知ることも出来る。これこそが、英語を学ぶことの醍醐味だと思う。

 英語を学んだおかげで、幼い頃夢見た海外暮らしが実現した時も一切不安はなかったし(←まあ、これは「なんとかなるさ」のお気楽精神のなせる業とも言えるが…)、海外へも積極的に旅に出て、気軽に旅先でさまざまな国々の人々とコミュニケーションを取ることが出来た(←おかげで危険とニアミスしたことも多々あれど…)


 結局、何事も、出来ないよりは出来た方が人生はより楽しくなる、と言うことなのかもしれない。ともあれ、食わず嫌いはもったいない。

 私のこうした価値観は、確実に息子にも引き継がれていると思う。
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2016/11/15

本来、本当に勉強したい者だけが大学には行けば良い  はなこ的考察―良いこと探し

 私は若い頃、出来れば四年制大学の国文学科か社会学科に進学したかったのですが、それは家庭の事情で叶いませんでした。

 私が11歳の時、家を購入した翌年に父が病に倒れ、それまでの仕事を辞めなければならなくなり、その上、父は通院中に交通事故にも遭うなどして、その後長らく家計が大変な状況に置かれたのです。

 さらに私が10歳の時に生まれた末妹は両股関節脱臼症で生まれた為に、約4年間コの字型に開脚した状態で股関節をギプスで固定されていて、特に世話が必要な状態でした。

 父の蓄えが多少あったらしく、どうにか住宅ローンは払い続けることができたので新居を手放すことはなかったのですが、日々の生活費はそれまで専業主婦だった母が仕事に出て捻出する必要がありました。

 当初母が手掛ける予定であった自宅1階の小さな書店兼文房具店は、休日はともかく平日は、まだ10歳か11歳の私が学校から帰って来てから、店番を担当することになりました。夕方には一旦自宅のある2階に上がり、米をとぎ炊飯器をセットし、夕食のおかずを一品作るのも私の担当でした。

 末妹の世話は自宅療養中の父が主に担当したのですが、私が中一の時には、さらに父の郷里で未婚の叔母と住んでいた認知症の祖父を、叔母の結婚を機に引き取ることになったので、私の家は家計と人手の面で大変な状況になりました。

 当時の母の負担は相当なものであったと思います。当時は今のように老人用紙おむつがあったのか覚えていないのですが、祖父は昔ながらに褌を着用しており、所構わず排尿・排便をするので、その後始末も母と私とでやりました。

 結局、書店兼文房具店はすぐ近隣に専業の店が出来たこともあり、私の中学卒業間近に、開業から僅か5年で閉めました。その後は貸事務所として企業に貸し出しました。

 次妹が幼い頃に交通事故死していたこともあり、3人の弟妹とは少し年が離れていたので、両親は私のことをかなり頼りにしていました。私が高校を卒業後は公務員になって家計を助けてくれることを期待していました。ことあるごとに父親には公務員になれと言われました。

 しかし、これといった産業もない地方都市では若年層の就職先は限られており、公務員は人気の就職先のひとつ。競争倍率も高く、採用段階では、現在はともかく当時はコネが堂々とまかり通る状況でした。

 私は高校時代の校内公務員模試では1位の成績で、就職試験も1次のペーパーテストは通るのですが、実際に同級生で採用されたのは、明らかに学校の成績は私より下の、市長の後援会会長の娘や市議会議員の息子、国家公務員にしても一族全員が公務員と言う家の娘でした。

 父は他県の出身者で母は商家の出身と、公務員関係のコネなど皆無。今でもその時に感じた虚しさや悔しさは覚えています。故郷に対する屈折した思いも、このことが原因の一つだと言えるでしょう。

 国家公務員の採用候補者名簿に名前は記載されたものの(漠然と「本当は大学に行って勉強したいなあ」と思っていました。親に黙って共通一次試験を受験し、自己採点では希望の学科へ入学が可能な点数は取っていました)、進路が決まらないまま高校の卒業が迫った頃に、父がどうしたものか、地元の小さな建設会社の一般事務の職を見つけて来ました。有無を言わさず、4月からそこで働くことになりました。

 高校の普通科出身で経理が出来るわけでもなく、何の資格も持っていない私が出来る仕事は限られていました。毎朝の掃除、お茶くみ、日雇い職人の日当計算、見積書の和文タイプ等。ベテランの経理職員の先輩女性から指導を受け、内心嫌々ながら働き始めました。

 一方、高校時代の親しかった友人はほぼ全員が県内外の大学か短大、或は翌年の大学進学を目指して予備校に通っていました。こうした彼我の違いにも、私は打ちのめされていました。

 数年前、会社の元同僚で同い年の友人に「なぜ、はなこちゃんは4年制大学に進学しなかったの?」と聞かれました。両親が学校教師で、地方から都内の大学への進学も許された彼女には、私の過去など想像もつかないでしょう。その時、私は過去の辛かった記憶が一気に蘇って、言葉になりませんでした。


 担当した仕事で特に嫌だったのはトイレ掃除です。会社の事務所の外にトイレは独立してあったのですが、とにかく職人さん達のトイレの使い方が汚い。日に何度も便器の外に飛び散った他人の排泄物を片づけていました。トイレさえ後の人の為にきれいに使えない人達に呆れたと同時に、そうした人々と同じ環境にいる自分がとても惨めに思えました。

 また、ある時、社長の使いで取引先の会社に小切手を届けに行った時には、こちらには何の落ち度もないのに理不尽な扱いを受けたことがありました。人間はどこに勤めているかでその人自身が値踏みされ、ここまで差別されるのかと実感した出来事でした。

 さらに私がうんざりしたのは、ここで働き続けることに明るい自分の未来像を描けないことでした。会社には現場監督が3人いたのですが、年配のベテランの方(この方は私の父と同郷の人でしたが、なかなかの人格者でした)はともかく、2人の30代の現場監督の社内での扱いの差に不快感を覚えました。

 片や社長の息子で福岡の二流大出ながら将来の社長候補、片や地元の国立大出の生真面目そうな男性。跡継ぎの息子は性格自体はそれほど悪くないのですが、やはり社長の息子と言う甘えがその態度の端々に見えました。しかし、彼は跡取り息子だから誰もが一目置いている。

 一方、国立大出で地元では一般的にエリートとして見られる男性は、彼の能力の割には会社の中で軽んじられている印象でした。職人さんの中にはインテリをあからさまに馬鹿にする風潮もありました。小さな会社でのつまらない力関係を傍で見ていて、こんな会社で何十年も働き続ければ、自分が人間として駄目になってしまうと思いました。

 勤務は(月)〜(土)8時〜18時勤務、毎月の給与は7万円プラス交通費5,000円、1年目はボーナスなし。40年近く前の話ですが、当時としても給与や待遇は良いものではなかったと思います。 

 私は入社して3カ月過ぎた頃には、(いろいろ指導してくださったベテランの女性社員には申し訳ないのですが)翌年の自力での大学進学を心に決めていました。家に給与の内3〜3.5万円を入れ、後は贅沢を一切せずに学資の為にひたすら貯金しました。子どもの頃から父親の言われるがままに長子として我慢に我慢を重ねていたのですが、あまりにも絶望的な状況に、堪忍袋の緒が切れてしまったのです。
 
 これからは父が何と言おうが自分の人生を生きる、と心に決めました(さすがに母が可哀想なので、家出は考えもしませんでした)。当時の愛読書は山本有三の「路傍の石」。繰り返し読んで、自分を励まし続けました。


 現実問題として学費の調達は自分でしなければならず、バイトと奨学金で賄おうと考えました。とりあえず入学時に必要な30万円を入学前までに貯めることにしました。さらに私が大学に通っている間、家への入金が滞ることに難色を示すであろう父親を説得する為に、4年制大学は諦め、地元でも就職率の高いことで評判の良い短大の英語科へ進学することにしました。

 その短大の試験科目は現代国語と英語と小論文だったのですが、高校在学時、現代国語の成績は学年トップで英語や小論文(国語教師の指名により在校生代表で学校の創立記念誌にエッセイを寄稿)も得意だったので、特別な勉強はしなくとも合格は確実と見ていました(一応、前年その短大に入学した友人から問題集を譲って貰い、2カ月程勉強はしました)

 実際、その短大には好成績で合格したらしく、入学時に成績順で振り分けられるクラスでは最上位のクラスでした。ある初めての授業では、初対面の教授に「君が○○君か?」と言われました。以来、その教授とは在学中に教授の研究の手伝いをさせていただくなど何かと目をかけていただき、卒業から30年経った今に至るまで親交が続いています。

 在学中は無事奨学金も貸与できて、週に3〜4日、夕方6時から夜中の12時まで24時間営業のレストランでウエイトレスのバイトをして学費を賄い、日々勉強に励みました。

 当時はハマトラ・ファッション花盛りの女子大生ブームが起きていましたが、私自身は常にバイトと勉強による慢性的な睡眠不足で、そんな華やかさとは無縁でした。しかし、充実した毎日を送っているとの自負はありました。

 そして、短大もほぼオール優の成績で卒業し、無事大手企業に就職を果たし(←時代状況として当時、女性は専門職でない限り四年制大学より短大の方が就職に有利でした。その短大から私他3人が初めてその企業に就職したこともあり、翌年の短大の就活研修に、就活体験談を語るOBとして招かれました)、以後の人生はあの最初の就職時代からは想像もつかないほど充実したものとなりました。

 
 人生を自ら切り開く為に教育がいかに重要なのかを身を以て知った自身の経験から、無為に過ごしている大学生を冷ややかに見てしまう自分がいます。さまざまな場所で馬鹿丸出しの言動をしている大学生を見かけると、内心腹を立てています。

 せっかく教育に理解のある親の元に生まれ、大学にも何の苦も無く進学させて貰ったのに、なぜ、その幸運に感謝して勉学に励まないのか。大学生としての自覚を持って、知性を磨くことをしないのかと。

 理解ある夫のおかげで、私は36歳の時に改めて四年制大学に社会人入学しましたが、学費を出してくれた夫への感謝を胸に、徹夜も辞さずに猛勉強してほぼオールAの成績を修め、卒業時には総代を務めました。

 しかし、目指す仕事のジャンルによるとは思いますが、やはり「鉄は熱いうちに打て」です。出来れば遠回りのルートを辿らずに若いうちに勉学の機会を持った方が、自身の能力を生かす場の選択肢も多くなります。職業によっては年齢で諦めなければならないものもある。

 私は自分の与えられた環境で最善を尽くしたつもりですが、職業人生では幾ばくかの後悔があります。自分が子どもの頃から憧れた職業には、それに挑戦する機会すらありませんでした(その点、息子は努力の甲斐あって、幼い頃から夢見た職業に就けたので本当に良かったと思います。私の分まで、好きな場所で自分のやりたいことに思いっきり打ち込んで欲しい)

 ところで、この二度目の学生時代に、授業中に講師に全く敬意を払わず教室の後方で私語を続けている学生に対して、私は堪らず口頭で注意したことがありますが、件の学生達には何の反省もなく、逆に悪態をつかれました。日本で最も古い女子大のひとつでこの有様に、とてもガッカリしたのを今でもハッキリと覚えています。だから私は声を大にして言いたいのです。

 他の真面目な学生の勉強を妨害をするような学生は授業に出ないで欲しい。

 エマニュエル・トッド氏によれば、米国の大学では4割の学生が卒業できずに途中でドロップアウトするのだそうです。その原因には成績不振の他に学費が払えない為と言う理由があります。

 そもそも日本(大学の学費が基本的に無料のドイツも。その代わりドイツは中学進学の段階で将来大学進学か職人を目指すかにコースが分かれるので、大学進学率は低く、国家予算に占める高等教育の予算は比較的抑制されているようです。しかし、卒業することが難しいのか、或は大学の居心地が良すぎるのか、平均在籍年数は8年にも及ぶらしい)以外の先進国では一部の富裕層を除いて殆どの学生は、自分自身で学生ローンを組むなどして大学の学費を賄っています。卒業も難しいので学生は必死に勉強する。

 中国もGDPが日本を抜いて世界第2位となるなど国が経済的に豊かになったのに、大学進学率は殆ど上がっていません。つまり、中国の大学生は、苛烈な競争を経た超エリートなのです。

 日本のぬるま湯に浸かった学生(←もちろん、真摯に勉学に取り組んでいる学生は除く)は、もっと世界を見るべきです。自分達がいかに世界の水準に遠く及ばないのか、グローバルの競争社会ではまったく太刀打ちできない非エリートであることを、はっきりと自覚するべきだと思います。

 そもそも、端から勉強する気のない者は大学に進学すべきではないのです。大学を社会人デビューを先延ばしする為のモラトリアムの場にしてはいけないのです。社会人デビューを先延ばしたいだけの幼い人間には、大学以外の器を社会も用意すべきなのかもしれません。 
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2016/11/14

溢れるモノや情報と、私達はどう付き合うか?  はなこ的考察―良いこと探し

 先日、明治神宮外苑で行われたイベント会場で起きた不幸な死亡事故は、火災に遭った展示物を出展した大学生たちの、白熱灯に関する無知が原因であったと特定されつつある。

 息子を見ていても思うのだが、理系の「専門バカ」ぶりは、昔以上に加速しつつあるのかもしれない。あまりにも新旧の技術、モノ、情報が彼らを取り囲んでおり、個人でそのすべてを把握することはほぼ不可能に近いのだ。

 さらにSNSやゲーム等の「時間泥棒」も存在し、時間が幾らあっても足りない。

 よほどの優れた情報処理能力がなければ、これらの厖大な情報を、限られた時間で効率的に処理することなど出来ない。おそらく、自分や息子や夫を含めて大多数の凡庸な人間には、それは無理なことだ。

 だから、上述の事故が発生した、大勢の人が集まる公のイベントなどでは、何人もの人の目を介した多重の安全確認作業が必要である。個人では難しいからチームワークで互いの不足を補いあう。できれば、さまざまな分野のスペシャリストを配して、安全対策に漏れのないようにすることが理想だろう。

 人の生死に関わることとは思いもよらず、当日たまたま思いつきで、その日に限って展示物の内部に設置した白熱灯。おそらく第三者による安全確認は受けていない。

 少なくとも学生の白熱灯の危険性への認識不足と展示形式変更を主催者側へ連絡しなかった思慮不足、そして主催者側の安全管理の不備の3つが重なって、取り返しのつかないことが起きてしまった。

 人ひとりが亡くなって初めて気づくと言う、私達の愚かさ、無知蒙昧ぶりは罪深い。同様のことは過去に何度も繰り返されて来たと思う。

 思うに、失敗をシステマティックに分析し、二度と同じ過ちを繰り返さない方策を考える、畑村洋太郎先生提唱の「失敗学」を、社会でもっと普及させるべきではないか?

【「失敗学」に関するブログ内記事】

「失敗学」を知っていますか?

人間がいる限り事故はなくならない

畑村洋太郎氏からの提言

   
 こういう重大事でなくとも、もっと身近なところで私達のメモリーのオーバーフローは起きている。

 例えば、中高年世代のモバイル機器との付き合い方である。

 電車やバス等の公共交通機関で決まって携帯電話の呼び出し音を鳴らしているのは中高年層である。未だにマナーモードを知らない人もいる。さらにその場で電話に出て、話し始める人までいる。

 昨日は映画館で同様の事態が起きた。まさに映画が上映中の場内で、携帯電話の呼び出し音がしばし鳴り響き(最初は映画の中で鳴っているものと思っていた)、あろうことかその持ち主は電話に出て「今、映画館で映画を見ているところなの。後で電話して」とのたまったのだ。

 感動的なストーリーが展開する中で、作品世界からいきなり現実に引き戻されたような不快感。こんなことはこれまで映画館で何千と映画を見て来て、初めての経験だった。

 新しい商品が出たら、それを社会で円滑に使う為のマナーが、さまざまな軋轢を経て醸成される。そういう社会の動きに多くの中高年層は上手く対応できないでいる。マナーを知ってか知らずか、マナー違反を繰り返して周囲を困惑させる。

 ただし、それを放置している周囲にも責任はある。その場で注意して、マナーを理解させることが大切だ。何度も繰り返し注意されれば、さすがのお年寄りも理解するだろう。

 見ず知らずの他人に注意するのは勇気が要るし、面倒臭いこともでもある。しかし、一事が万事、私達の他者への無関心が、昨今の社会秩序の乱れを生んでいるようにも感じる。

 と思って、件の迷惑な年配の観客を上映終了後注意しようと思ったら、その人はエンドロール開始早々に場内から出て行ってしまった。
 
 見たところ60代と思しき女性、余韻もへったくれもなくそそくさと立ち去って、果たして映画を心から楽しんだのかな?
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2016/11/10


 「自分は周りの人より劣っている(周りの人は自分より優れている)」
 と思っているくらいがちょうど良い。

 なぜなら、人を傲慢に見下さずに済むから。
 そうした態度で人と接しなければ、無用な敵も作らずに済むから。

 でも、このことによる最大のメリットは、
 謙虚になることで、他の人から学べるところを見つけやすいこと。
 結果的に、自分の人間的成長の余地をより多く残すことができること。

 だからと言って、卑屈になる必要はないし、
 自分を卑下するのとも違う。
 とかく人間は「うぬぼれ鏡」で自分を見がちだから、 
 自分を過信するなってことかな。
 いつも、自分にそう言い聞かせている。
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2016/11/1

皆で子ども達を守り、育てよう  はなこ的考察―良いこと探し

 自分の生きている社会が、その未来を担う子ども達に果たして優しいのか?日々、自問自答している。


 今朝、雨でバスの到着が遅れに遅れて、通勤ラッシュの時間帯を過ぎているのに、先頭に立つ私の後ろにはいつの間にか10人以上の人が並んでいた。その中には幼い子ども連れでベビーカーも携えた若いお母さんもいた。

 イマドキのバスは前方の一人用座席にベビーカーを固定する為のストラップが付いている。ベビーカーの安全を図る為の措置だ。

 列の後方に並んでいた親子連れが乗車した時には、ストラップが付いている席がひとつしか空いておらず、母親は手をひいていた男の子をその席に座らせ、ベビーカーをストラップで固定して席に横付けにし、自分は立ったままの状態だった。

 よく見ると、ベビーカーと抱っこひもにそれぞれ幼児がいた。つまり母親は3人の幼子を連れていたのだ。

 バスが遅れたせいで、行く先々のバス停で行列が出来ていて、車内は次第に込み合って来た。仕方なしに母親はベビーカーに乗せていた幼子を男の子と一緒に座らせ、ベビーカーを畳んだ。

 座席に座らせた幼い兄弟に目を配りながら、片手でバーに掴まり、片手でベビーカーを持っている母親。その肩には抱っこひもで抱えた、もうひとりの幼子の重みがかかっている。

 大変だなあ。私がすぐ近くにいれば、せめてベビーカーを持ってあげるのに、と思った。すぐ後方の席に座っている若い女性は、親子連れに一瞥することもなくスマホをいじっているばかりだ。

 とにかく車内は混雑していて、私と親子連れの間には人だかりがあり、その状況が気にはなっても、私にはどうすることも出来なかった。

 そうこうしているうちに、漸くバスがバスターミナルに到着。

 母親は幼子2人の手を引き、ベビーカー以外にも大きめのマザーズバッグを抱え、バスから降りるのも一苦労だろう。降りる段になって、ベビーカーをバスから下ろすのだけでも手伝おうと、私は若い母親に声をかけた。

 持ってみると、A型ベビーカーは予想以上に重かった。その華奢な手で、こんな重い物をずっと動かないよう押さえていたのか。

 「母は強し」と感心すると同時に、もう少し周りの人間が気遣ってあげるべきではないかと思った。


 駅前のショッピングモールでエレベーターに乗った時のこと。

 私は最上階から乗ったのだが、途中階で親子連れが乗って来た。赤ちゃんを抱っこひもで抱えた若い母親と、父親と、3〜4歳くらいの動きの活発そうな女の子。

 そこで気になったのは父親の行動だ。エレベーターに乗り込む時、母親に続いて自分ひとりさっさと乗り込み、まだ外にいる幼い娘を大声で呼び寄せた。

 その間、エレベーターの操作盤の前の女性は、その親子の為に、ずっと「開」のボタンを押し続けていた。

 エレベーターに乗り込む時、父親はなぜ、幼子の手を繋がないんだろう?

 最近は、人ごみの中でも幼子の手を引かない親が少なくない。心配ではないのだろうか?実際、人にぶつかってよろけたり、転ぶ子どもを、私は何度も目撃している。

 さっさと前を歩いていて、子どもが泣いて初めて、我が子が転んだことに気づく親もいる。

 また、スマホに夢中で、我が子の動静をちゃんと見ていない親もいる。

 あまりにも無防備ではないか?

 それとも、幼い頃から子どもの自主性を尊重し、親があまり口出しや手出しをしない教育方法でも流行っているのだろうか?子どもの思うがままにさまざまな経験をさせ、敢えて痛い思いもさせる"経験主義"とでも言おうか?

 仮にそうだとしても、その実践は子どもの年齢や、時と場所によるのではないか?


 件の女の子はエレベーターに乗ると、扉の真ん前に立った。エレベーターの中でも手を繋ごうとしない父親。女の子が嫌がっても、言い聞かせて手を繋ぐべきではないか?

 大丈夫なのかと心配していたら、案の定、次の階で扉が開くと、女の子は勢いよく外へ飛び出した。

 「ここじゃないよ」と声をかけるだけの父親。その間、新たに乗り込もうとした人々は、この親子に待たされた形。

 堪らず私は「お父さん、お子さんと手を繋いだ方が良いんじゃないですか?」と、父親に向かって言った。父親は一瞬振り返ったが、私の言ったことが聞こえなかったのか、子どもと手を繋ぐことはなかった。

 周知のことだと思うが、エレベーターや電車のドア付近は幼子には危険な場所である。ドアで指や身体を挟まれる事故が後を絶たないと言う。特にドアと戸袋の間に、幼子の小さな指は入り込みやすい。

 私の夫は、子どもの安全を考えない親を目の当たりにしても、注意せずに冷たい視線を送るだけだ。そういう親の元に生まれた子どもが、親の不注意のせいで怪我をしたり、最悪死んでしまっても、それは親の責任で自業自得だと言う。

 しかし、そもそも私は、自分の目の前で、子どもが事故に遭うのを見たくない。


 私は、人間の人生は、いつ、どこで、どんな親の元に生まれたかで決まる部分が少なからずあると思っている。

 若いうちにしかるべき教育を受け、着々とキャリアを積んだ友人達を見るにつけ、もし、自分の親が教育熱心な親であったなら、私には今とは違った人生が開けていたのではないかと、時々思うことがある。

 与えられた環境の中で、自分なりに頑張って生きて来た自負があってもだ。「鉄は熱いうちに打て」という言葉は真実である。

 私が6才の時、4才になったばかりの妹は、一人で近所の商店へ行って、店の出入り業者のトラックに轢かれて死んだ。

 何も知らずに学校から下校途中だった私が目にした道路のおびただしい血は、私の妹の血だったのだ。火葬直前に見た、頭部を包帯でぐるぐる巻きにされた妹の姿は、50年近く経った今も脳裏に焼きついて離れない。

 以上のような私自身の個人的体験からも、「その生い立ちに関係なく、全ての子ども達が等しく守られ、育てられる社会」であって欲しいと思う。

 子育てに頑張る親に対しては、社会全体で積極的にサポートする。

 親がふがいないのであれば、社会全体で、せめて周りの大人が親の足りない部分を補い、身近な子ども達を守り、育てて行かなければいけないと思う。


 ひとりでも多くの人が、子ども達を守り、育てることに関して、ほんの些細なことでも躊躇うことなく行動に移すことが、少しずつ社会を変えて行くのではないかと、私は信じている。
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2016/10/28

「いじめ」なんかに負けてたまるか!  はなこ的考察―良いこと探し

 「いじめは、いじめられる側にも問題がある。」
 普段は聡明かつ的確な発言で周囲の尊敬を集めている人物の意外な発言に、一瞬、私は耳を疑った。

 今これだけ若年層の間で「いじめ」による被害者の自殺や不登校が問題化(顕在化?)しているのに、その問題について真剣に考え、対処すべき大人が、些かでもいじめる側、加害者を擁護するような発言をしては、「いじめ」の問題は永遠に解決どころか減少の方向にさえ進めないだろう。

 仮に「いじめられる側」に何らかの落ち度があるケースがあるにしても、幾ばくかも「いじめ」と言う行為を肯定するかのような発言は厳に慎むべきだと思う。

 「いじめ」とは、より強い立場の者が単独で、或はボスを中心とした集団で、精神的、または肉体的、或は両方の暴力で、弱い者をいたぶり、追い詰めること。但し、強者・弱者の関係性は必ずしも固定ではなく、かつての「いじめる側」が何かをきっかけに「いじめられる側」になることもあるし、その逆もある。

 私が人間の善性に期待し過ぎなのか?

 どんなに高度な文明社会を築こうが、人間の本質は他の動物と変わらず「弱肉強食」で、強い者が弱い者をいたぶるのが人間の自然の姿なのか?そして、厳しい生存競争の中、強者とその取り巻き連だけが生き残り、弱者は淘汰される運命なのか?

 結局、冒頭の発言の人物は競争社会での勝者であり、その論理で「いじめ」問題を見ている。

 勝者がこの社会を動かしている以上、顕在化した「いじめ」問題を建前上無視することはできないので議題には上げるものの、本気で解決しようという方向に、残念ながら社会は向かっていないように見える。

 それが証拠に、文科省が学校に対してアンケートを実施しても、「いじめ」の存在を認める学校はそれほど多くない。端から「いじめ」問題に真剣に取り組むつもりのない学校が大多数なのだろう。

 それどころか、最近はどの世代でも殊更「階層化」で、狭いコミュニティの中における支配・被支配の関係を構築しようとしている。最近やたらと耳にする「○○カースト」(「スクールカースト」とか「ママ友カースト」とか、ふざけるなあほらしい)と言う何とも耳障りな言葉が今の時代を象徴している。

 斯様に社会が「いじめ」の土壌を育てているのだから、「いじめ」がなくなるわけがない。否、昔からずっとそうだったのだ。別に日本に限らず、人間が集い、社会を形成した時点で、強者が弱者を支配し、いたぶる「いじめ」に似た状況が、どの社会の、どの世代にも起きていた。ヨーロッパなんて厳然たる階級社会だしね。

 そんな状況の中で、弱者はどう生きたら良いのか?どう生き抜くべきなのか?特に子どもを育てる親や子どもの周囲にいる大人は、子どもが「いじめ」に遭遇した際の対処法を普段から考え、親子で「いじめ」に備えなければならないのだろう。

 具体的にはひとりでも味方を作ることを目指す。世界にたったひとりでも味方がいれば、心は折れないはずだ。特に10代になると親より同世代の味方が必要だ。

 弱い者同士で助け合うことを目指す。大勢と、誰とでも仲良くする必要などないのだ。

 たったひとりの味方の存在が自分を救う。そう信じて、必要最低限のコミュニケーション能力を身につけることが、自分で自分を守る術だと思う。これは大人にも言えること。

 それでは、親以外に自分の味方になってくれる人、友達をどうやって見つけるのか?

 例えば、まず自分の好きなものを見つける。それについて人に滔々と語れるほどの拘りを持つ。それぐらい何かに夢中になれたら、余計な雑音もあまり気にならなくなり、同じ趣向の仲間を見つけることも、それほど難しいことではないと思う。

 そう考えると、「オタク文化」は生まれるべくして生まれたのかもしれないね。


 傲慢な強者に「いじめられる方も悪い」と言わせる隙を与えないよう、弱者は弱者なりに知恵を身につけ、誰にも侵されることのない自分の世界を築き、理解しあえる仲間を作ろう

 人間社会を、本能のままに「弱肉強食」がのさばる社会にする、しないも、実は「弱者」の"知恵ある暴力を伴わない反撃"にかかっているのだ!


 かつての「いじめられっ子」からのエールです

    美瑛の丘から遠くの山並みを望む〜心が疲れた時は出来るだけ顔を上げて遠くを見よう…
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    自分の生活圏で「眺めの良い場所」を見つけよう。或は、その場で空を見上げてみよう
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