2019/5/8

「バレル・コレクション展」  文化・芸術(展覧会&講演会)

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GW最終日の6日(月)は夫婦で、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「印象派への旅 海運王の夢 バレル・コレクション」展を見て来ました。

 この展覧会は、産業革命期に英国随一の港湾都市グラスゴーで海運王として名を馳せたウィリアム・バレル(1861-1958)が蒐集した8,000点にも及ぶ古今東西の美術工芸品の中から、西洋近代絵画80点を紹介するものです(一部、別の美術館からの特別公開作品も有り)。

 バレル氏はそのコレクションの多くを生前、出身地であるグラスゴー市に寄贈しており、1983年には「大気汚染から作品を守る」と言うバレル氏の遺言に従い、グラスゴー市郊外に美術館が建設されています。

 私は1993年に家族でグラスゴー市を訪れていますが、当時はインターネットも使えない中東からの旅行で、情報不足の為この美術館の存在を知りませんでした。展示会場でその外観や内部の写真を見るにつけ、知っていたら、きっと訪ねていただろうと思うと残念です。

 寄贈の条件には「コレクションを英国国外に出さないこと」と言う条項もありましたが、今回は2020年までの美術館の大改修に伴い、特別に日本国内4か所で巡回展が許されています。つまり、今回来日中の作品が日本で公開されるのは、これが最初で最後なのです。

 グラスゴー市のあるスコットランドは16世紀のメアリー・スチュワート女王以来、フランスとのゆかりが深い土地柄です。

 バレル氏もフランスの芸術に深い関心を寄せ、グラスゴー出身の画商でフランスのパリを拠点に活躍したアレクサンダー・リード(1854-1928)を通じて、数多くのフランス近代絵画を蒐集しました。リード氏はゴッホやその弟テオとも親交のあった画商で、今回はゴッホが描いた彼の肖像画も出品されています。

 既に目の肥えた日本の美術ファンからは「今さら印象派?」と言う声も聞こえてきそうですが、今回の展覧会は海運王自身の趣味が色濃く反映された比較的サイズの小さな佳作揃いで、作品に関する丁寧な解説も数多く添えられ、より親密な形で作品を楽しめる構成になっています。

 「自分ならどの絵を自宅に飾ろうかしら?」なんて考えながら見ると、ホント楽しそう…

 印象派の前段としての、19世紀に起きた「17世紀オランダ絵画リバイバル」とも言うべき静物画や風俗画の数々は気軽に楽しめますね。水彩画も素敵です。

 出品作家はマネ、セザンヌ、ルノアール、クールベ、ドガ、ブーダン、オランダのゴッホやマリス兄弟、英国のペプロー、メルヴィル、クロホールなど多彩です。地元出身の画家への目配りも欠かさなかったと言う意味で、バレル氏は本当に素晴らしいパトロンだったのかもしれません。

 今回見た中で夫婦共に最も気に入ったのは、エドゥアール・マネ≪シャンパングラスのバラ≫(1882)。当時流行った細身のシャンパングラスに無造作に挿された黄色とピンクの2輪のバラ。ブルーグレイの背景がバラの色を鮮やかに引き立て、小品ながら全体的に艶やかな色合いが目を引く作品です。

 クリックすると元のサイズで表示します バレル氏お気に入りの画家だったのか、クロード・モネを絵画の世界へと導いた、フランスの港町ル・アーヴル出身のウジェーヌ・ブーダンの作品も数多く展示されていました。

 バレル氏が海運業で大成功を収めたと言うことで、ブーダンの海景画を特に好んだのかもしれません。

 ちなみにブーダンの作品は、上野の国立西洋美術館の常設展示室でも見ることが出来ます。

 最近はSNSによる情報発信を期待してなのか、展示室の一部が撮影可になっているケースが増えて来ていますね。今回の展覧会でも出口付近の一角の作品群が撮影可能となっていました。

 作品解説が作品を見る際に大変参考になったので、最近には珍しく今回は展覧会カタログも購入しました。色の再現性は今一つですが、大きさもB5版程度のコンパクトな物で、気軽にページをめくれるので気に入っています。

バレル・コレクション展公式サイト

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2019/2/27

美術も音楽もバロックが好き♪  文化・芸術(展覧会&講演会)

昨日の午後はひとりで「バッハ・オルガン名曲選〜アレシュ・バールタ オルガン・リサイタル」に行って来ました。

場所は横浜みなとみらいホール。

著名なオルガニストの巧みな演奏により、舞台奥中央に鎮座し正にホールの顔とも言えるパイプオルガン「ルーシー」がそのパフォーマンスを最大限に発揮して、バッハ音楽の荘厳な世界を表現してみせました。

その圧倒的スケール感はコンサートホールの天井を突き抜けて、壮大な宇宙空間へと私を誘うかのよう‥

そして奏でる楽曲の風格と相まって、舞台の奥でルーシーは神々しく輝き、見惚れるほど美しかった。

作曲家バッハと奏者バールタと楽器ルーシーの三位一体のみわざに、正に心が洗われるようでした。


本来のパイプオルガンの活躍の場所は教会だと思いますが、かなり以前に観光で訪れた英国バースの大聖堂で、たまたまその演奏を耳にしたことがあります。

大聖堂内に響き渡るその音色は厳粛で、たまたま訪れただけの観光客であった私にさえ、敬虔の念を覚えさせる迫力がありました。

やはりパイプオルガンの本領は、教会堂でミサ曲を奏でる時に発揮されるものなのかもしれません。コンサートホールでの演奏は、パイプオルガンの魅力を人々に気付かせる入り口に過ぎない。機会があれば是非、教会堂でパイプオルガンの響きを堪能したいですね。

そう言えばつい最近、テレビで長崎の隠れキリシタンの特集があり、幕府の凄まじい弾圧にも屈せずに信者が決死の思いで信仰に邁進した姿が紹介されていました。その中で金属パイプの代わりに竹筒を使った信者手製のパイプオルガンの演奏も披露され、パイプオルガンとキリスト教信仰との深い関わりに、改めて胸を衝かれた気がしました。

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2017/7/30

「アートでうちわ 2017」  文化・芸術(展覧会&講演会)

クリックすると元のサイズで表示します みなさん、こんにちは暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしですか?

 さて、ボランティアスタッフが企画する予約不要のアートイベントが、今夏も上野の国立西洋美術館で開催されます。

 題して「アートでうちわ 2017」。

 予め用意された材料を、参加者思い思いのデザインでラミネートに挟み込み、専用の機械で熱を加えて圧着させて「うちわ」を作ると言うこの企画。

 毎回好評を得て、ここ数年、西美の夏恒例のイベントとなっています。

 開催日時は8月19日(土)、20日(日)の10時〜16時
 
 場所は新館2階のワークショップ室(モネの部屋を出て突き当りです)

 両日とも先着250名様で、おひとり様1枚限り。材料がなくなり次第終了です。
 
 イベントへの参加費は無料ですが、常設展チケットをお買い求めの上、お越しください。


 私は企画には関わっていませんが、当日のお手伝いを担当することになっています。

 昨日はそのトライアルで、私もうちわを作ってみました。

 1枚は写真(下)の自分用。西美の所蔵作品を左から遠景、中景、近景と並べてみました。

 もう1枚は当日のディスプレイ用に、モネの≪陽を浴びるポプラ並木≫に向かって色とりどりの風がそよぐイメージで作ってみました。

 当日来られた方は、上の説明をヒントに、私の作った「うちわ」を探してみてくださいね

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 ご覧の通り、西美所蔵作品のコピーに、レースペーパーや色紙等を自分なりのアイディアで組み合わせて作り上げる、世界にただひとつの「うちわ」です。

 因みに今年のうちわの形は伝統的な「千鳥型」。風流ですね♪

 暑い夏を、オリジナルの手作りうちわで、乗り切りましょう♪


2017/6/18

ジャコメッティ展(国立新美術館)  文化・芸術(展覧会&講演会)

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 新聞店のチケット・プレゼントで「ジャコメッティ展」のチケットを2枚いただけたので、今日、夫とふたりで見て来ました。

 先日、大盛況のうちに会期を終えたミュシャ展に続き、国立新美術館開館10周年を記念しての、20世紀を代表する彫刻家の大回顧展です。
 
 アルベルト・ジャコメッティは、一目見て彼の作と分かる比類なき作風を確立したという意味で、美術史に名を残す偉大な作家のひとりと言えるでしょう。

 ところで、一般鑑賞者にとっての現代美術の難しさは、ひとつには、作品の中に作家の思想も率直に投影されている点にあると私は思っています。

 創作するにあたって、単純に対象をあるがままに造形したり、美しさやそれを見ることを通して得られる心地よさを追及するのではなく、時に作家の思索(または創作上の試行錯誤)のプロセスを赤裸々に曝け出した作品は、必ずしも一般で言うところの"美しい"ものではなく、また、"分かり易い"ものでもなく、見る者を困惑すらさせるものです。

 これは、ひとつには時代的に、"表現者たち"がジャンルを超えて積極的に交流した結果なのでしょう(その萌芽は既に19世紀には出ていました )。芸術家も創作を通して"哲学する"のが当たり前の時代。特に当時、芸術文化の中心地であったパリには世界中から数多の才能が集まり、さぞや作家の感性を刺激し、思索を深める環境にあったことでしょう。

 今回の回顧展では、ジャコメッティのごく初期の油彩画をはじめ、数多くの素描、またサイズは極小から2m近いものまで、スタイルはキュビズムからプリミティブ、シュルレアリスムを経て多くの人が認識する、いかにもジャコメッティ的な縦に引き伸ばされた独特の人物像までと、大小多彩なブロンズ作品を展示して、その全貌を余すことなく見せてくれています。

 「本展は、日本で開催されるジャコメッティ展では11年ぶりの個展であり、初期から晩年まで、彫刻約50点、絵画約5点、素描と版画約80点が出品」(公式サイトより)

 ひとりの作家の回顧展を見る度に思うのですが、個々の作品のキャプションに、その作品が作家が何歳の時に創作したものなのか明記してくれたら、その作品が作家の創作人生の中でどのように位置づけられるのかのヒントになるのではないでしょうか?

 印象的だったのは、素描が単なる下絵ではなく、何度も荒々しく重ねられた線が、そのまま彫刻作品に反映されていたこと。彼の一連の彫刻作品の特徴的な表面の質感は、素描の中で既にはっきりと明示されている。これは面白いなあと思った。

 彼は自身の目で見た対象を、ひとつのアート作品として昇華させるのに相当腐心したようですが(そのことは、素描における人物の顔に描かれた夥しい線からも感じられます)、本展覧会で彼の作品の変遷を辿ると、彼は一般の人間には想像もつかない特異な視点で、対象を見つめていたのかなと推量します(夫はほんの数センチの高さの極小のブロンズ像を見て「彼は頭がおかしかったんだよ」と言い切っていましたが…)

 そもそも美術作品を見るということは、作家の目を通してこの世界を見直す、と言うことでもあるので、ジャコメッティが創り出す作品の特異性は、大変興味深いものでした。見る角度によって、作品の見え方と言うか、作品から得る印象が全く変わるのが本当に面白かった。特にジャコメッティ作品は真横から見るのが楽しい。

 立体である彫刻をさまざまな角度から見る楽しみを存分に味あわせてくれるのが、ジャコメッティの作品の真骨頂だと思いました。

 なお、この展覧会でも、一室のみ展示作品の写真撮影が可能となっています。しかし、解説パネルの撮影や、フラッシュ撮影は禁じられています。下記の写真はそこで撮ったものです。

 会期は9月4日(水)まで。
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 お土産に「クリアファイル」と(ジャコメッティが描いたポスター画の)「絵葉書」と(代表作である≪歩く男T≫の)「しおり」を買いました。

 展覧会が始まって最初の日曜日とあってか、まだそれほど混雑しておらず、客層は一般の美術ファンと言うより"自身がアーティスト"と思しき人が多く、作家としての視点で展示作品をじっくり鑑賞している姿が印象的でした。
 
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 展覧会の後は1階のカフェでひと休み…ここでは美術館の建物も鑑賞の対象です(笑)。

 こうして見ると、黒川紀章さんも"いい仕事"をされたのだなと思う。四角い大きな箱の展示室と、前面ガラス張りで開放感溢れる吹き抜け空間のホールとのギャップが面白い美術館です。
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 下の写真は、近隣の六本木ヒルズの展望室から見た美術館の外観です。

 外から俯瞰して見ると、後方の無機質な大きなコンクリートの箱を、ファザードの波打つような曲線のデザインで、柔らかく包み込んでいるような趣が良いですね。

 建設から10年を経て、周囲の植栽も心地よい緑陰を作るようになり、漸く全体的に調和のとれた建物となったような気がします。
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2017/5/18

今日は「国際博物館の日」  文化・芸術(展覧会&講演会)

 今日はICOM(国際博物館会議)が定めた「国際博物館の日」です。これを記念して、世界各地でさまざまなイベントが開催されます。

 日本でも例年、幾つもの博物館施設(博物館法では文化遺産を保存する施設として、博物館・美術館だけでなく、動物園、水族館、図書館も、その法の下で管理する施設と定めています)が点在する上野恩賜公園では、「上野ミュージアムウィーク」と題して、約2週間に渡ってさまざまなイベントが開催されています。

 今日は博物館・美術館の多くが常設展示室など無料開放となっていますので、この機会に是非、足を運んでみてはいかがでしょうか?

 国立西洋美術館でも、以前私も担当しましたが、同僚ボランティア2人によるギャラリートークが午後に実施される予定です。今回はエース級の方が担当するので、興味のある方は是非、足を運んでいただければと思います。

上野ミュージアムウィーク 2017


 今日の「国際博物館の日」に因み、今朝のNHK「おはよう日本」でも、日本の博物館の現状を伝えるレポートがありました。

 今回のレポートにあたってNHK取材班は全国の国公立・私立博物館にアンケートを実施し、186の博物館(美術館含む)から回答を得ました。

 そこで浮かび上がったのは、「保存と活用に苦悩する」博物館・美術館の姿でした。

 近年は観光資源としても注目される博物館ですが(最近、博物館の窮状も知らずに、学芸員を批判した大臣がいましたね)財政難による交付金の減少などで、人手と予算の不足が年々深刻化しています。

 アンケートでも、収蔵品の劣化を防止する為の保存・修復作業が十分に行えないだけでなく、年々増加する収蔵品の数の把握もままならない博物館が全体の3分の2にも上っていることが明らかになりました。

 今回のレポートでは具体的に3つの博物館を取り上げ、博物館が抱える問題点とその対策について(あくまでも朝のニュース番組の一特集なので)短く伝えていました。

 上野恩賜公園の奥に堂々たる姿を見せているのは東京国立博物館(以下、東博)。ここは日本の博物館の元祖とも言うべき存在であり、11万点ものコレクションを抱える、名実共に日本を代表する博物館のひとつです。

 その東博でさえ、保存修復を担当する常勤の職員はわずか6人。大型の収蔵品となれば修復作業は数人がかりで担当します。これでは圧倒的に人手が足りないので、非常勤の職員でどうにか凌いでいるそうです(因みに、ルーヴル美術館は全ての部門の常勤職員だけで2,000人らしい。日本は全国に5つある国立美術館すべてを合計しても常勤職員はわずか125人前後<前・青柳独立行政法人国立美術館理事長談>。この彼我の違いをどう見ますか?)

 来館者からは「もっと名作を展示して欲しい」との要望が絶えないそうですが、例えば、掛け軸の場合、絹本と呼ばれる絹地に描かれている作品が多く、長期間吊るすとその絹目が伸びてしまう恐れがあるので、どうしても一定期間のサイクルで展示換えをせざるを得ないとのこと。

 東博のケースからも、博物館が、収蔵品の適正な「保存」と市民の福祉に寄与する「展示公開」の両立に苦慮しているのが明確に見てとれます。

 さらに地方の博物館は、平成以降の市町村合併による博物館の統廃合で、増大する収蔵品の保存方法に頭を抱えているようです。

 浜松市立博物館は16万点もの収蔵品を擁し、本館だけでは収蔵しきれない為、市内の16か所に分散して保管しているそうです。

 しかし、場所によっては移動に車で2時間近くかかったり、廃校した小学校の校舎を使用するなど、学芸員はそれらの保管場所を巡回して保管状況を確認することに忙殺され、研究する時間が十分に取れないことや、万全とは言えない保管環境を嘆いていました。

 こうした学芸員の苦悩の解消の手立てのひとつが、市民ボランティアの活用です。

 北九州市のいのちのたび博物館は年間50万人の人々が訪れる人気の博物館。ここでは66人の市民ボランティアが活躍しているそうです。

 市民ボランティアが普及活動の支援を行ってくれるおかげで、学芸員は「資料(史料)を収集し、データベース化し、研究し、展示する」本来の業務に専念できると喜んでいました。

 少子高齢化と言う社会構造の変化は否応なく社会保障費を増大させ、国家の財政難に拍車をかけていますが、「人はパンのみにて生くるに非ず」。 

 「文化財(収蔵品)は市民共有の財産」である。

 この認識の下、収蔵品の保存と活用のバランスを取りながら文化遺産の大切さを市民に伝える博物館の役割は今後重みを増して行く一方です。

 それならばなおのこと、博物館を国家や市民が支えて行くと言う意識を、市民の間で高めて行く必要があると思います。 

2017/1/27

東京ジャーミイ・トルコ文化センター見学  文化・芸術(展覧会&講演会)

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 今日は予定されていた友人との年明けランチ会が急遽延期となり時間が出来たので、かねてからアップしようと思っていた「東京ジャーミイ・トルコ文化センター(以下、東京ジャーミイ<礼拝所?>)」の見学レポートに取り掛かろうと思います。

 地元自治体主催の異文化理解講座のプログラムで、私が東京ジャーミイを訪れたのは約2週間前のことです。

 代々木上原駅から徒歩10分程で、東京ジャーミイは、冬晴れの澄んだ青空の下、井の頭通りにその美しい白亜の姿を現しました。季節柄、沿道の桜並木も幹と枝を残すだけだったのが幸いして、通りを隔てた場所からもその堂々たるオスマン朝様式建築の全貌を見る事ができました。

 約1時間に渡り、5年程前からガイドを務めておられると言う日本人信徒Sさんのユーモアを交えた分かり易い解説で、イスラム教とその文化についての理解を深めることが出来ました。Sさん、ありがとうございました!

 そもそも日本人はイスラム教自体にあまり馴染がなく、さらに近年はISの問題もあり、イスラム教やその信徒に対しては誤解している部分が少なくないように思います。

 こうした現状には40年近く敬虔なイスラム教徒であるS氏ももどかしさを隠せない様子で、解説中もどうしたら一般の日本人に、イスラム教やその文化について理解して貰えるか腐心しておられるようでした。
 
 この地にイスラム教の礼拝施設が初めて建ったのは、歴史を遡ること約80年前の1938年。1917年のロシア革命をきっかけにロシア国内に在住していたイスラム教徒のトルコ系民族タタール人は、迫害から逃れるべく各地に散逸します。その一部がシベリア・満州を経て日本にたどり着き、高級布地の羅紗を扱う等の商人として日本に定住したのでした。

 そして彼らは1935年には日本政府の協力で土地を取得し、まず子ども達の学校を設立。その3年後の1938年に隣接して建てられたのが、現在の東京ジャーミイの前身となる礼拝所(モスク)でした。当時、施工に携わったのはなんと金沢の宮大工だったそうです。

 しかし、1986年に老朽化で旧礼拝所は取り壊され、1997年にはトルコ政府の肝いりでトルコ全土から新たな礼拝所の建設資金への寄付が集まりました。そして2年の建設期間を経て、現在の東京ジャーミイが2000年に竣工。
    
クリックすると元のサイズで表示します 左写真は2階テラスから礼拝堂とミナレットを見上げたもの。

 東京ジャーミイ日本最大のイスラム教の礼拝場であり、2000年の竣工以来、東京とその近郊に住むイスラム教徒の信仰の拠り所と言えます。同時に、さまざまな文化的イベントの開催を通じてイスラム教徒と非イスラム教徒との交流を促し、種々の展示でトルコの文化も紹介する等、正に「文化センター」としての役割を担っている施設のようです。

 東京ジャーミイは1階がトルコ文化センター、2階が礼拝堂となっています。

 1階のトルコ文化センターにはイスラム講演会が行われる多目的ホールをはじめ、ゲストルームやギャラリー、トルコのお土産品の売店などがあります。
 
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 多目的ホールの奥には美しい緑と白のタイルで彩られた「聖地メッカの方向を指し示す印」が設えられ、それを挟むようにしてトルコと日本の国旗が掲げられています。あくまでも礼拝の場として聖地メッカのある方角を念頭に、この施設が建てられたことが分かります。
 
 年に一度巡って来る、1か月に渡って行われる重要な宗教的行事ラマダンの時には毎夕、ここで食事会が行われるそうです。「ラマダンはイスラム暦の第9月に行われる断食月で、その間は日の出から日の入りまで飲食・性行為を断つ他、虚言、悪口、怒りを避ける」とされています。

 因みにイスラム暦の12月は「巡礼の月」とされ、イスラム教の国では所謂「ハッジ休暇」が設けられており、毎年300万人ものイスラム教徒が巡礼月の間にサウジアラビアにある聖地メッカを訪れます。混乱を避ける為にメッカの管理者であるサウジアラビア政府は1国当たりの巡礼者の数を制限しており、さらに巡礼には渡航費も含め多額の費用が掛かる為、生涯に何度も巡礼できると言うものではないようです。

 さて、断食と言うと1日中食事を断つと思われがちですが、実は太陽が昇っている間だけのことで、日の入り後には寧ろ毎夕、普段よりも賑やかに食卓を囲む日が続くのです。私自身、中東に駐在時には、地元のイスラム教徒にホテルで開かれた食事会に招かれたことがあります。詳細は忘れましたが、何十人と言う人々と長いテーブルを囲んで一緒に食事を楽しみました。

 ガイドのS氏曰く、ラマダンとは「神に感謝する1カ月」「心身をリセットする1カ月」「施し(サダカ)をする1カ月」で、イスラム教徒にとっては、イスラム教と自身との深い絆を再確認する重要な宗教行事のようです。

 1日のラマダンを終了するとまず信徒は水を飲み、水が口から食道を伝って胃に至る感覚をいつも以上に鮮烈に覚えながらその美味しさを実感し、神に感謝するのだそうです。正に心身のデトックスですね。

 東京ジャーミイでもラマダン期間中には多目的ホールで毎夕食事会が開かれるそうで、予め申し込めば誰でも、イスラム教徒でなくても参加が可能なんだそうです。その時の料理には材料費だけでも20万円近くかかるそうですが、その費用はすべて信徒、および企業の寄付(例えば、トルコ航空が3日連続で寄付する等)で賄われるとのこと。

 参加者の食事代は寄付で賄われる為原則無料ですが、ラマダン期間中、東京ジャーミィを訪れた信徒は大人も子どもも一人当たり最低でも2,500円の寄付をする慣わしで、ラマダン終了後、その総額を世界中の困難の中にあるイスラム教徒へ贈るのだそうです。近年は戦乱に喘ぐシリアの人々に贈ったりしているようです。

 また、多目的ホールの隅にはさりげなく日本とトルコの友好の証のひとつである、精巧なエルトゥール号の縮小模型も展示されていました。しかも、今回の見学参加者の中には、エルトゥール号が遭難した際に献身的に救助を行った和歌山県の漁師町串本の出身の方がおられたり、参加者の殆どがトルコに渡航経験がある等、トルコに関心の高い面々であったことで、ひとしきり日本とトルコの友好関係についての話題やトルコ旅行の情報交換で盛り上がりました。

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 写真は1階から2階へと至る階段の天井。シックな色合いの中に幾何学文様と植物文様が絶妙に合わさって、その端正な佇まいはイスラム美術の素晴らしさを如実に伝えています。イスラム教では「偶像礼拝の禁忌」が徹底していて、それがイスラム独特の文様とカリグラフィの美を生み出しているとも言えますね。

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 写真左は2階の礼拝堂の入り口。幾何学文様が厳粛な雰囲気を湛え美しいです。写真右は礼拝堂内部の様子。入り口から奥の壁を見ると、やはりメッカの方角を示す印が中心に据えられています。その上部にあるステンドグラスも見事。

 手前に敷き詰められた色鮮やかなトルコブルーの絨毯も美しいです。その絨毯を横断するように織られた茶色の部分に沿って信徒が横並びになり、メッカの方角に向かって礼拝をするのだそうです。私の写真の撮り方の問題で手狭に見えますが、実際の礼拝堂はかなり広く、ゆうに100人は入れるキャパシティだと思います。見上げれば高い吹き抜け空間に壮麗なドーム天井と豪華なシャンデリアですから、その美しさには見惚れるばかりです。

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 東京ジャーミイには礼拝堂の入り口付近に中3階も設置され、そこは女性専用の礼拝所となっています。左写真は2階礼拝堂から中3階を見上げたところ。左下隅に入り口の扉が見えますね。写真からも分かるように、かなり高所に設置されています。

 右写真は中3階の女性礼拝所の内部。男性の礼拝所と比べると随分と小ぶりのスペースです。奥には子供用のサークルも用意されており、幼い子ども連れの女性への配慮もなされているようです。

 一口にイスラム教と言っても、国の体制や宗派、はたまた個人の見解によって礼拝の在り方もさまざまであり、女性は礼拝所に出向かずに自宅で礼拝するケースも多いようです。そういった事情等もあって、男性に比べて女性の礼拝所のスペースは小さいのかもしれません。

 男女分かれて別々の場所で礼拝するのは、男性は一般的に誘惑に弱い存在であり、女性が間近にいては礼拝に集中できないからとの理由らしいです。

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 イスラム教徒はモスクのミナレットから流れるアザーンを合図に、日に5回の礼拝を行いますが、この礼拝の回数の根拠について、ガイドのS氏が分かり易い解説をして下さりました。

 「人間は朝昼晩の3度の食事以外にも何度か食べ物を口にするのが常で、結局日に5〜6回は食べています。これらの食事はいわば身体の為の栄養です。そしてイスラム教における5回の礼拝は、イスラム教徒にとって心の栄養なのです。」と。解説を聞いた見学者一同、なるほどぉ〜と頷いていました。

 東京ジャーミイ滞在時に午前11時の礼拝の場面に居合わせたのですが(その場で静かにしている限り、信徒の礼拝中に見学者が礼拝堂にいても構わないようです)、礼拝時間はせいぜい10分程度で、信徒の日々の活動に何ら支障は来さないと思います。

 中東駐在時にたまたまある人のオフィスを訪れて目にしたのですが、仕事中に礼拝所まで出向くことが難しい人もオフィスで礼拝できるように、オフィス内にメッカの方向を指し示す印が付けられており、個人礼拝用の小さなカーペットも常備されていました。

クリックすると元のサイズで表示します アザーンの終了後、写真の中央右端にある扉から指導者(「ウラマー」と呼ばれる、在家信者の中でも指導的立場にある人物。イスラム教では「神の前では人々は皆平等」との考えから、「聖職者」は存在しないらしい)と思しき人物が出て来て、3人の礼拝者と共に、礼拝堂中央奥のメッカの印の前で礼拝されました。

 ところで、イスラム教国の中でも特に戒律の厳しいことで知られるサウジアラビアでは近年まで女性選手のオリンピック参加が禁じられていた等、何かと女性に対して制約が多い印象のあるイスラム教は女性蔑視の宗教ではないか、との意見をよく耳にします。

 これに対するガイドS氏の見解は以下の通りでした。「イスラム教において女性を制約していると見られることは全て、「社会的立場においても身体面でも弱い女性を守る」と言う観点に根差したものです。」

 とは言え、男女の不倫関係において姦通の罪に問われるのは女性のみであったりするのは(何年か前にアフガニスタンで、女性が衆人環視で石打ちの刑に処せられたことがありましたね)、その思想の根底に「女性は男性を誘惑する存在」と位置付けているからではないかと思ったりもします。

 ただし、下記リンクの記事の指摘にもあるように、現代イスラム社会における女性蔑視的な考えは、必ずしも「イスラム教」に起因するものではない可能性があります。

 つまり、イスラム教が生まれた地域に元々あった圧倒的に男性優位(男尊女卑)の「部族社会」や「家父長制度」の因習に従って、長い歴史の間に本来のイスラム教の教義が捻じ曲げられたと考えることも出来るのです。リンク記事では寧ろ「元始イスラム教は女性の権利の保護を主張する」、当時としては画期的な宗教であったとも述べています。

 「イスラム教はそもそも女性を蔑視していない これだけの理由がある」(ハフィントン・ポスト)

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 また、実際に現地に住んだ経験を踏まえて言うならば、例えばヘジャブ、ヒマール、チャドル、ニカーブ、ブルカ、アバヤと言ったイスラム教徒の女性が肌をむやみに晒さない服装は、イスラム教の教えに則ったものと言うよりも、それぞれの地域の厳しい気候風土に対応した伝統衣装なんですよね。元々は中東の夏の強い日差しから女性の肌を守る為の物でした。

 奇異に見られる一夫多妻制にしても、そもそもがイスラム教発祥以前の中東の部族社会では部族間の争いが絶えず、戦死によって男性の数の不足が常態化していた為、寡婦とその子どもを救済し、血族を絶やさない為の制度だったようです。 

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 本来、多くの宗教の出発点は純粋に「人々の救済」であったはずが、時の権力と結びついて権力者の都合の良いように教義が捻じ曲げられたり、後世の人間の解釈の違いにより幾つかのグループに分裂し派閥間で争うことになったりと、対個人では十分にその本来の意義が果たされている場合でも、こと集団となると本来目指したものとは違う方向に行ってしまうことが多いように私には見えます。いざ集団となれば、それはもう信仰からは離れた人間社会の問題に帰結する。

 結局のところ、純粋な形での信仰は「個人が信仰の対象(神)とどう向き合うのか」に尽きるのかなあ…

東京ジャーミイ・トルコ文化センター

 毎日午前10時から午後6時まで一般人にも開かれているそうです。5人以上なら、予め訪問日時を連絡すると、今回の私達のようにガイドが付いて下さるようです。

【蛇足】

 私達は日々流れるニュースを見ても、圧倒的に西洋(キリスト教)を中心としたメディアを通してイスラム世界の問題を見ていることが多く、現時点での西洋社会のイスラム社会に対する優位性(力関係)で、ことの是非を判断しがちです。

 ヨーロッパの難民問題は、中東アフリカの問題が解決しない限り解決しない。

 移民と言う形で他国で平和な暮らしを目指すよりも、自国で平和に暮らすことが、多くの人々の願い。

 冷たい言い方だけれど、現在のヨーロッパの混乱は十字軍遠征まで遡っての因果応報。傲慢な優越意識による他地域への侵略行為がもたらした災禍。

 ゆめゆめ「"自分の方がより優れている"と他人を見下してはいけない」「他者の思想・信条・価値観を軽んじてはいけない」と言う苦い教訓を、私達に示している。

 
 しかし、歴史を振り返れば、中世ヨーロッパが暗黒の時代と言われた頃、イスラム圏は世界有数の科学技術を誇っていたわけで、歴史が証明しているように時代は常に動いており、さまざまな地域における文明の勃興と終焉も例外なく繰り返されています。

 西洋中心主義の価値観がいつまでも続くわけがない。西洋社会が築いた秩序が絶対であるはずもなく、EUの混乱ぶりを見ても今は確実にそれが崩れつつあり、時代は転換期を迎えているように思います。

 次の世界の盟主は誰なのか?対立する世界のキャスティング・ボードを握っているのは誰なのか?

 あからさまに独善主義、利己主義に陥りつつある米国が今後どのような道を辿るのか?その追従者、否、盲従者である日本は今後どうすべきなのか?日本人としては気になるところです。

 国民のひとりとしては、日本政府はもっと主体的に判断して、米国に対しても主張すべきことはきちんと主張して、自国の国益と国民を守って欲しいです。


2016/12/27

市民講座「異文化交流」その2  文化・芸術(展覧会&講演会)

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 8日(木)から始まった地元自治体主催の市民講座「異文化交流」の第2回を、15日(木)に受講しました。折しもこの日は、ロシアのプーチン大統領来日の日でもありました。

 今回のテーマはロシア共和国で、日本人男性と結婚後来日して10年の白系ロシア人女性によるスライドを使った講義と、同じく日本人との結婚を機に来日して3年の白系ロシア人女性によるロシアの民俗楽器バラライカ生演奏の2本立てでした。

 最初のスライドトークでロシアの人々の日常の暮らしをご紹介くださった講師の女性は、ロシアの伝統的な刺繍が施された綿地の民族衣装を身に纏ったナタリアさん。小学4年生を頭に3人のお子さんを持つ母親で、地元の国際交流センターで講師も務めておられる方です。人柄の良さが窺える優しい顔立ちと静かで丁寧な語り口が印象的。日本で3人の子育てをされて来ただけあって、達者な日本語でのトークでした。

 ロシアでも比較的南のシベリア南東部に位置し、「世界一透明度の高い」ことで知られ、1997年には「世界(自然)遺産」にも登録された神秘の湖、バイカル湖畔にある町で生まれ育ったナタリアさん。1時間近くに渡ってロシアの風土や人々の暮らしについて、豊富な写真を交えながら楽しいクイズ形式で紹介してくださいました。

 まずロシアの国土面は17,125,187㎢(日本の45倍!)、人口は1億4,600万人(日本:1億2,700万人)ですから、ロシアの国土がいかに広大で、人口密度が低いかが分かるかと思います。

 ロシアは182の民族から成る多民族国家で、人口の約80%は白ロシア系なんだそうです。確かにオリンピックでは白人からアジア系まで多彩な人種がロシア代表として顔を見せています。

 旅行記や映画でも有名な、極東のウラジオストックから首都モスクワまでを結ぶシベリア鉄道は、ウラジオストックーモスクワ間を時速80kmと比較的のんびりとした速度で走行し、始発から終点までの移動に1週間を要するそうです。時速80kmなら、車窓の景色を楽しめそうですね。

 私もかつて長崎−横浜間やトルコのアンカラーイスタンブール間を列車で移動したことがありますが、何れも夜行列車で一晩限りだったので殆ど車窓の景色を楽しむことは出来ませんでした。車窓の景色の移り変わりを楽しむことができるとは言え、7日間かけての列車の旅なんて想像もつかないですね。

 さて、話題はナタリアさんの故郷にあるバイカル湖へと移ります。バイカル湖は世界屈指の生物多様性を誇るそうで、約355属1,334種が生息し、内1,017種が固有種なんだとか。

 近隣には私も小中学生時代の「地理」の時間に学んだ森林地帯「タイガ」が控えており、その総面積は世界の森の20%にも及ぶそうです。このためタイガは「世界の肺」と呼ばれているのだとか。もう片方の肺はアマゾンでしょうか?

 近年は森林火災により、この貴重なタイガの内、日本の面積の30%に相当する面積が1年間で焼失し温室効果ガスの発生源になっているだけでなく、海外への木材の輸出を意図した森林伐採でも、その減少が危ぶまれているとのことです。

 ところで、バイカル湖は3つの世界一を持っていることをご存じでしょうか?実は世界一は「透明度」だけではなかったのです。

 「世界最古」の湖で、元は海溝であったものが地殻変動等で約3,000万年前に海から独立し、徐々に淡水化したのだとか。

 そして「世界一深い」湖でもあり、その深さは1,647mにも達するそうです。

 周知の通り、ロシアは冬の寒さが相当厳しく、ロシアの人々には周到な冬支度が欠かせないのだそうです。厳冬に備える為、特に衣服では動物の毛皮・皮革を多用するのが伝統的なので、被服費が大きな出費となるらしい。そんなロシア人のナタリアさんが来日して驚いたことのひとつが、1種類の靴で1年の殆どを過ごせることなんだとか。

 草木も凍る冬季でも子ども達は皆元気で、屋外でスキーやスケート、さらに各町に氷で作られた冬季限定遊園地で遊ぶのだとか。

 また、ロシアでは多く家族が町から離れた山裾に「ダーチャ」と呼ばれる菜園付きのセカンドハウスを所有しており、そこで春期から秋季にかけて収穫した野菜や果物や木の実を保存食として加工し、地下のカーブに貯蔵して冬に備えるのだそうです。

 因みにロシアの主食はパンとジャガイモで、ロシア伝統の料理や食材であるボルシチピロシキ、カテージチーズやサワークリームは日本でも既にお馴染みですね。

  ロシア独特の祝日としては、2月23日にメンズデー、翌3月8日にウーマンズデーと、日本のバレンタインデーやホワイトデー(そもそもどちらも海外から伝来の記念日ですが…)に相当するものがあるようです。

 また、イースターの9日後は「両親の日」と定められ、この日は家族総出で墓に出向き、そこで食事するのだそうです。ちょうど同時期に隣国の中国や中国から伝来した習慣を持つ沖縄でも「清明祭」と呼ばれる行事で同様のことをするので、何だかんだ言っても地続きなロシアと中国は、「死者を尊び、家族の絆を重んじる」と言う意味では同じ文化圏なのだなと言う印象を持ちました。

 最後に、ロシアの文化で日本とは大きく異なる興味深い事柄は以下の3つでしょうか?

 1.ロシアでは結婚する際、カップルは「ザックス」と呼ばれる戸籍登録機関に正装で出向き結婚の申請をしても、その後1カ月間は仮登録期間とみなされ、互いを十分に吟味する時間に充てられる。

 そして1カ月後、互いの関係に納得した上で再びザックスに出向き、申請書にサインをして初めて正式に結婚が認められるのだそうです。

 それでも、統計によれば結婚したカップルの実に8割が離婚してしまうロシア(離婚率の高さは世界一)。平均寿命の短さ、学生結婚の多さ、アルコール依存の問題、大家族制度等、ロシアならではの事情がありそうですね。

 2.ロシア人は知らない他人にはけっして笑顔を見せない
 それを聞くや否や、会場にいた人の何人かが「道理で、ロシアに旅行で行った時、店員さんが一様に不愛想だったのね」と納得していました。

 多民族国家ゆえなのか、ナタリアさん曰く、人々は他人を基本的に信用せず、互いに自己主張して譲らないせいでケンカになるケースも多いのだそうです。だから来日10年を超えたナタリアさんは故国から日本に戻って来た時に、日本の穏やかな雰囲気に思わずホッとするのだとか。

 3.ロシア語で「こんにちは」に相当する挨拶は「ズドラーストヴィチェ」と言い、これは「健康でいて下さい」と言う意味。

 世界で日本語の「こんにちは」に相当する言葉はさまざま存在しますが、意味としては大きく3種類に分類されるようです。

 1.「あなたにとって今日と言う日が良い1日でありますように」(英・伊・仏・西・韓、ヘブライ、アラビア等)
 2・「よく食べましたか?」(中国語)
 3.「あなたが健康でありますように」(ロシア語)

 それぞれの言葉の背景に、それぞれの国の歴史や文化や価値観を感じますね。日本語の「こんにちは」は「今日はご機嫌いかがですか?」が語源とされ、相手の気分や体調を気遣う表現から、1〜3の何れの意味も含んでいるような気がします。

 講座最後の3グループに分かれての参加者間の意見交換では、「他人に笑顔を見せない」と言うロシア人の文化的特性が、「性善説」に基づく人間関係が構築された社会に住む島国の日本人には衝撃的だったようで、皆さん一様に「驚いた」と言っておられました。

クリックすると元のサイズで表示します 左写真がロシアの民俗楽器バラライカ。デュオグループ、パフィの「アジアの純真」(井上陽水作詞、奥田民生作曲)の歌詞にも登場するバラライカ。印象的なフレーズで、初めて聴いてから20年以上経た今もその名はしっかりと記憶されていましたが、実物を見るのは今回が初めてでした。

 講座の途中と最後の2回に分けて披露された、もうひとりのナタリアさんによるバラライカの生演奏も、私は生まれて初めて聴くもので、貴重な体験となりました。

 演奏者のナタリアさんは1歳になったばかりのお嬢さんを連れての来場。まだ20代前半と言われても違和感のない、一児の母とは思えない比較的小柄で可憐な女性でした。本国では音楽教師をされていたそうで、バラライカは8歳の頃から演奏を始めたのだとか。

 初めて聴くバラライカの旋律は優しくも、どこか哀しげでした。女性のたおやかな歌声のようでもありました。受講者のひとりで元学校教師の年配女性曰く「かつては学校の音楽の授業で数多くのロシア民謡が紹介された」おかげか、演奏されたどの曲も聞き覚えのあるメロディーでした。

 また、70代以上の年配層の方々は所謂「歌声喫茶」世代で、若き日に夜な夜な都心の歌声喫茶に集っては、ダークダックスを代表とするヴォーカル・グループが世に広めたロシア民謡を全員で唱和した思い出がおありのようで、皆さん、懐かしそうに歌を口ずさんでおられました。


 講座の冒頭でファシリテーターの「ロシアに対する皆さんの印象は?」の質問に、ある年配男性が「北方領土問題があるから、あまり良い印象はないな」と答えておられました。この男性、社会の一線から退いて何十年も経ち、もう何も怖いものなしなんだろうなあ…にしても、こうした場では普通なら躊躇われる発言。間髪を入れずファシリテーターから「この講座では政治的な話題は…」のダメだし?も出た中(後で「人にはさまざまな考えがあって当然」と訂正)、その後の講師のナタリアさんの返答が立派でした。

 慎重に言葉を選びながらナタリアさんはこう言われました。

 「ふたつの国にはさまざまなネガティブな話題があります。私も講師を引き受けるに当たってそのことで悩みましたが、夫には(あまりネガティブなことには拘らずに)未来志向でポジティブな話をすれば良いんじゃない?と言われました。」

 「先の戦争であった悲しい出来事については、ロシア人のひとりとして謝ります。」


 草の根での、個人レベルでの交流の大切さをしみじみと感じた瞬間でした。

 国家間ではいろいろと難しい問題が横たわっているとしても、個々の人間に「違いに理解し合おう」と言う前向きな思いがある限り、相互理解は可能だと思います。出来ることなら、争いのない平和な世界を築きたいですね。 
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2016/10/14

「クラーナハ 500年後の誘惑展」開会式と内覧会  文化・芸術(展覧会&講演会)

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 今日は韓国人アーティストのHさんを誘って、15日(土)より開催予定の「クラーナハ 500年後の誘惑展」の開会式と内覧会に出席しました。

 開会式は地下の企画展示室ロビーで、駐日オーストリア大使ウィーン美術史美術館館長他列席の下、行われました。

 今回の展覧会が開催される今年から来年にかけては日本とオーストリアの国交150周年 (→正しくは2019年が日本とオーストリアの国交樹立150周年)宗教改革(1517)から500年と言うこともあり、ドイツ宗教改革の中心的存在であったマルティン・ルターと親交が深かったと言われるルーカス・クラーナハ(父、Lucas Cranach the Elder)の、ヨーロッパ以外では最大級の回顧展開催の運びとなったようです。

 そこで、クラーナハの故国ドイツに次いでクラーナハのコレクションを有するオーストリアのウィーン美術史美術館が全面協力し、国立西洋美術館、TBS、朝日新聞社と共に主催者に名を連ねています。

 内覧会を見た限りでは、クラーナハ(父)のウィーン美術史美術館や国立西洋美術館所蔵の油彩画、版画を中心に、国内外の美術館(伊ウフィツィ美や米メトロポリタン美等)や個人所蔵の作品が数多く出展されていました。

 見応え十二分で、気が付けば2時間も展示室にいました。近年稀に見る密度の濃い充実した内容の展覧会だと思います。クラーナハは早くに工房経営も確立し、多作の作家だったのだなと改めて知る機会となっています。

 個人的には、丸顔に尖った顎と釣り目が特徴的な女性像が、ツンとすました雰囲気を湛えて、小悪魔的な魅力で印象に残りました。北方ルネサンス絵画の特徴のひとつである、身に着けた衣服の細密描写は、当時のファッションを今に伝えて興味深いものがありました。

 また、裸体に豪奢に真珠を散りばめた帽子やアクセサリー、そして薄布のベールを纏わせた女性像には何とも言えぬ艶めかしさがあり、不思議な魅力を放っていました。

 そして、同時代のアルブレヒト・デューラーの超絶技巧の版画や油彩画も展示され、16世紀ドイツ絵画の双璧を見る楽しさもあると言えるでしょうか?

 さらに、会場終盤に展示されたクラーナハからの影響を公言して憚らなかったピカソをはじめとする近現代作家の作品群も、時代を超えて人々を惹きつけて止まないクラーナハの偉大さを示すものとなっています。
 

 素晴らしい展覧会です!乞うご期待!!

 なお、今後展覧会に関するレクチャー等あれば、是非受講して、改めて展覧会についての記事をアップして行こうと思います。

国立西洋美術館企画展案内
「クラーナハ展」特設サイト by TBS

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2016/6/6

『VOLEZ VOGUEZ VOYAGEZ(旅するルイ・ヴィトン)』展  文化・芸術(展覧会&講演会)

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 先日、フランスのルイ・ヴィトン社主催で、ルイ・ヴィトン・ブランドの歴史を辿る、表題の展覧会を見て来ました。

 今回の展覧会はキューレーターに、パリ市立ガリエラ美術館・モードコスチューム博物館館長のオリヴィエ・サイヤール氏を迎え、観覧料無料とは思えない充実した内容で驚きました。

 写真は紀尾井町に特設された会場の外観。
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 平日にも関わらず多数の来場者で、場内は結構混雑していました。会場内は「写真撮影可」だったので何枚か撮ったのですが、混雑の中落ち着いて撮影できる状態ではなく、撮った写真の半分近くがピンボケでした

クリックすると元のサイズで表示します 実のところ、私はルイヴィトン製品をひとつも持っていません。理由は自分にとっては高価であることは言うに及ばず、ルイ・ヴィトンに合う高級服も持ち合わせていないし、それらが必要な場所に行く機会もない一介の庶民だからです。

 日本では猫も杓子もルイ・ヴィトン製品を持っている印象がありますが、ルイ・ヴィトンは本来「持つ人を選ぶブランド」だと思う(もちろん、「それならば、自分がブランドに相応しい人間になれば良い」と言う論も成り立つことは否定しません)

 確かに(ルイ・ヴィトン社が意図してのことか)、近年は、背伸びをすればどうにか庶民にも手の届くブランドにはなりましたが(世界を広く見渡せば、日本の庶民もそれなりに裕福と言うことなのかもしれません…)、元々は召使を従えて旅行するようなセレブリティが持つブランド。今回の展覧会では、図らずもそのことを再確認した形です。

 おそらく、今では多くの高級ブランドがそうであるように、セレブリティの為のフル・オーダーメイドと、一般大衆向けの量産ラインの二本立てで事業を展開しているのでしょう(製品が傷んだ際、きちんと修理に対応してくれるのは良いですね)

クリックすると元のサイズで表示します創業者のルイ・ヴィトン氏(1821-1892)は14歳の時に山間の故郷の村を、ひとりパリに向けて旅立ちます。2年後に漸くパリに辿り着いた彼は、「荷造り用木箱製造兼荷造り職人」の見習いとして、そのキャリアをスタートさせました。

 そして、それから17年後の1854年、パリで初めてオートクチュールが生まれたのと期を同じくして、自身の店を持ちます。これが今日のルイヴィトン社のルーツです。

 彼の作ったトランクのデザインは「頑丈でありながら軽く、機能的」で、程なく王族をはじめ著名人から、高い評価を得るようになったと言われています。

 「当時彼が考案した平らな蓋のトランクは、現代のラゲージのはじまり」と考えられており、「製品の模造を防ぐ為にファブリックや模様を使用」するなど創意工夫に溢れた彼のトランクは、「1875年、細部まで考え抜かれたデザインの縦型ワードローブ・トランク」(右写真)へと結実し、これによって彼は「旅のスペシャリスト」としての地位を確固たるものとしました。

クリックすると元のサイズで表示します そして、ルイ・ヴィトン氏の精神はその息子ジョルジュ・ヴィトン氏や孫のガストン・ルイ・ヴィトン氏に確実に引き継がれ、「1890年、タンブラー錠前の革新的な発明により、顧客が専用の1本のキーでラゲージを開閉できるようになり」「1896年には有名なモノグラム・キャンバスが誕生」する等、今日のルイ・ヴィトン・ブランドの繁栄へと繋がって行ったのです。(以上、「」の部分は無料配布されたパンフレットより抜粋)

 左写真は、顧客の鍵のナンバーの登録帳。そのナンバリングから、1冊目の物と思われます。既に装丁にブランドの象徴であるモノグラム・キャンバスが使用されていて、自社ブランドへの誇りが感じられますね。

 下写真は会場を砂漠に見立てた展示。19世紀にはフランスでオリエンタリスムが浸透し、帝国主義の台頭も相俟って、中東北アフリカへの渡航が増えて行きます。それに伴い、船旅用のトランクが飛ぶように売れた時代なのでしょう。
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 その後、旅の手段は「鉄道の時代」「自動車の時代」「飛行機の時代」を順次迎え、その変遷に合わせて、ルイ・ヴィトン社も新しい製品を出し続けて行ったのです。

 かつてのような、召使が携えることを前提とした、両サイドに持ち手の付いた大振りのトランクから、次第に製品の小型化、軽量化、多様化も進み、現代のような使用者自らが手に持つようなバッグも誕生します。

 さらに、創業者ルイ・ヴィトン氏が時代の革新者であったように、現代のルイ・ヴィトン社も時代を代表するアーティストとのコラボレーションも積極的に行う等して、創業者精神を今に伝えています。
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 かつては「持ち運び用の書棚」もあったのですね。上のモノグラムの箱は、なんと「ブリタニカ百科事典」用です。今では持ち運びに不便な重い本は、ラップトップPCやスマホに取って替わられてしまいましたね。それは図らずも「知」が、特権階級だけのものではなくなったことを意味しているのではないでしょうか?今ではおそらく誰も目にすることのない過去の遺物に、時代の変化を感じます。
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クリックすると元のサイズで表示します 左写真はハリウッド女優エリザベス・テーラーさんが所有していた数々のトランク類。

 1950年代を彷彿させる彼女着用のワンピースも一緒に展示されていました。トランクのネームタグに「MINE!」とあるのが茶目っ気溢れていて可愛らしい。

 以前、日本でも女優の大地真央さんが新婚旅行に旅立つと言う映像で、背景に大小幾つものルイ・ヴィトンのトランクが映り込んでいたのを思い出しました。

 あの夥しい数のトランク。絶対、自分では運ばないですよね。まさにセレブリティの証!

 他には、有名デザイナーのクリスチャン・ディオール氏が所有していた彼のイニシャル「CD」が刻印されたトランクも展示されていました。自社ブランドでバッグも製造している氏ですが、旅支度となれば、やはり「旅のスペシャリスト」であるルイ・ヴィトン社にお任せしていたのですね。

 こちらのコーナーには名だたるセレブリティ所有の、庶民には思いもつかないような(えっ?!こんな物が世の中にあるの?とビックリするような)フル・オーダーメイドの品々が展示されていて、その豪華さに圧倒されました。

 会場の出口付近では、フランスからわざわざ職人さんを招き、実際の製造の様子を再現して見せています。写真の彼女が笑っているのは、彼女の巧みな指使いに私が思わず「Très bien」と言ったから…ハハハ
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 そう言えば、同行していた友人曰く、イタリアの高級ブランドのひとつであるグッチ社が、近年コストカットを目的にイタリアの熟練の職人を解雇して中国人の職人に替えたところ、製品の品質低下が問題になっているとのこと。金儲け主義がそこまで行くと、高級ブランドの看板はもう下ろして貰いたいですね。その意味でも、地元の職人の雇用を守り、Made In Franceに拘り続けるルイ・ヴィトン社の心意気は評価したい。

 ともあれ、これだけ充実した展覧会を、フランス本国のプロフェッショナルの力を結集して実現させるルイ・ヴィトン社の底力は、他を圧倒していると思います。

 ブランドとはこうであらねば。

 以前、中国の自動車市場で、実態(実際の製品の品質)以上にドイツ車と日本車のブランド価値(イメージ)に差があることを、日本の自動車メーカーが嘆いていました。ブランド力を高めることが下手な日本企業にとっても、ルイ・ヴィトン社の今回の展覧会は、「ブランディングとは何か?」を考えさせられる好事例ですね。
 

 ここでご紹介した製品は正にほんの一部。興味を持たれた方は、是非、足を運んでみてはいかがでしょうか?見て絶対損はない展覧会です。会期は6月19日(日)まで

『旅するルイ・ヴィトン展』公式サイト

 昔は写真のようなシトロエン社製の車で、出来上がった商品を注文主の自宅まで届けたのだそうです。まさにセレブリティ〜
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2016/5/17

米原万理没後10年フェア〜心に効く愛と毒舌  文化・芸術(展覧会&講演会)

クリックすると元のサイズで表示します 私が敬愛してやまないロシア語会議通訳、作家、そしてエッセイストとして活躍された米原万理さんが亡くなられてから今年で10年。月日が経つのは本当に早いなと思います。

 その米原さんを偲んで、今週20日(金)より26日(木)まで、東京駅最寄りの八重洲ブックセンター本店8階ギャラリーで、その生涯と作品を辿る回顧展が開催されるようです(記念講演会は満席で、既に参加者募集が締め切られたようで残念!)

 ちょうど20日は東京に出る用事があるので、早速、会場へも足を運ぶつもりです!

 今年は没後10年を記念して、次々と米原さんのエッセイ集や関連図書が刊行されていて、私も早速4冊買い求めました。

 その才気は、つくづく50代の若さで亡くなられたのが惜しまれる鋭さです。ファンとしては、もっと、もっと米原さんの著書を読みたかった。

 60代の彼女なら、今の時代を"愛ある毒舌"でどう評したのだろう…

米原万理没後10年フェア

「米原万里さんのお話をもっと聞きたかった」(当ブログ 2008.3.6の記事)


2016/4/21


 松田権六さん(1896-1986)は大正から昭和にかけて活躍された漆工芸家で、名工であるのは言うに及ばず、日本工芸史上にその名が燦然と輝く人間国宝の一人だ。

 この人の何が凄いかと言えば、最高の漆工芸品作りを目指して、生涯を通じて弛まぬ努力を続けた点にある。その求道的とも言える制作への姿勢は、モノ作りに携わるすべての人間の鑑である。

 その松田権六さんの作品を展覧会で何度か間近に見る機会があったが、そのあまりの精緻な作りと美しさに圧倒されて、暫く立ち尽くしたのを覚えている。これまで国内外で古今東西の有名な作家の作品をいろいろと見て来たけれど、松田権六さんの作品を見た時の衝撃と感動は、私にとって生涯でも一二を争うものであったと思う。

 後で調べたら、その漆工芸に対する高い知見と卓越した匠の技から「漆聖」と称えられた人であったと知った。

 実物を間近に見ないことには、その凄さは到底伝わらないとは思うが、代表作のひとつを写真でご紹介したい。『蓬莱之棚』(1944年作、石川県立美術館蔵)である。

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 実物を間近に肉眼で見ると、漆工芸品独特の艶も相俟って、その端正な意匠と精緻な描線はより一層輝きを増し、ひとりの人間の手によって作り出された至高の美を目の当たりにした喜びで、心が震えるような感動を覚える。是非、出来るだけ多くの人に、この作品を肉眼で見ていただければと思う。


 1896年(明治29年)現・石川県金沢市大桑町の農家に生まれた松田権六さんは、7歳で兄孝作(仏壇職人)について蒔絵漆芸の習得を始めたと言う。1914年(大正3年)(18歳)3月、石川県立工業学校を卒業すると、同年4月、東京美術学校漆工科に入学。ここで彼は漆工芸を極める為、自らの表現技術を高めようと、ジャンルを超えて日本画を川合玉堂、洋画を藤島武二、そして彫刻を高村光雲から学んだらしい。

 彼の漆工芸に対する探究心は留まることを知らず、1919年(大正8年)(23歳)3月、東京美術学校漆工科を優秀な成績で卒業後は、引く手数多だった就職口を断って、東洋文庫で朝鮮楽浪遺跡の出土漆遺品の修理に従事し、朝鮮漆工芸の技法にも触れている。

 1925年(大正14年)(29歳)には、恩師である六角紫水教授らの推薦で株式会社並木製作所に入社。万年筆や喫煙具関係などの漆工加飾品を手がけると、その美しさと完成度の高さで、これまた世界的な評判を呼んだと言う。

 1927年(昭和2年)、31歳で並木製作所を退職し、顧問となった後は、母校、東京美術学校の助教授に就任。35歳の時には、帝国議会議事堂御便殿(現、御休所)の漆工事の監督を務め、御便殿のほか、皇族室、議長室の漆芸装飾も行った。

 他にも日本初の豪華客船の室内装飾を手掛け、その美しさと共に塩害をものともしない日本の漆工芸技術の高さを世に知らしめた。1943年(昭和18年)47歳で東京美術学校教授に就任すると、翌年8月には写真の代表作「蓬莱之棚」を完成させている。

 その後1986年に90歳でこの世を去るまで、松田権六さんは漆工芸の第一線で活躍を続け、その歴史に大きな足跡を残したのだ。

 そんな松田権六さんは一時期、茶道具の制作にも熱心であったらしく、そのうちの一品である個人蔵の平棗が、先日の『開運!なんでも鑑定団』に出品されていた。

 兵庫県在住の女性が4年前、結婚祝いに茶道家であった祖父から譲り受けた物らしく、夫婦共に茶道を嗜まない為、その価値を測りかねていると言う。3年前に祖父は他界したが、生前、孫娘の婿には「貴重な物だから絶対に手を触れるな」と釘を刺していたらしい。

 その価値を知らない女性の夫、つまり孫娘の婿は冗談めかして、「ハンバーグの型取りをしたり…」と言っていたが、鑑定結果は「名品中の名品で1,300万円」(鑑定人も大学時代に展覧会で見たきりの名品。つまり40数年ぶりに目にした名品)。鑑定結果が出る前、もし高価なら、愛娘の将来の教育資金の為にすぐにでも売りたいと言っていた彼は、その金額に一瞬驚くも、ニンマリ。

 しかし、その一部始終を画面越しに見ていた私は思ったのだ。「この平棗は、あなたの奥様がおじい様からいただいた物で、あなたの物ではないでしょう?」(まあ、一粒種の娘さんに対する溺愛ぶりから、強面な印象とは違って子煩悩な父親ではあるようですが…さらに今回の出品者が彼と言うことは、奥様も夫婦共有の財産と認めているのでしょうね。だから外野がどうこう言う話でもないのかもしれない。でもね、でもね、松田権六さんの作品に生涯で一、二の感動を覚えた者としては、もう少し作品に対してのリスペクトがあって欲しい…)

 3人いた孫娘の中で、祖父の最期まで唯一人傍に付き添ってくれたことへの感謝の印か、彼女だけに祖父が贈った、茶道家の祖父にとっても宝物であったろう、松田権六作の平棗。そんなにあっさり手放して良いものなのか?

 【鑑定人の総評】
 これは世に知られた名品。昭和44年の作品で、東京国立近代美術館の展覧会にも出品されている。松田権六は一時期茶道具、とりわけ棗を作ったが、そのいずれもが名品として知られ、現在はそのほとんどが然るべき美術館に収まっている。松田権六は漆の技、塗りの技というものを極めない限りはその先の蒔絵はできないと語り、特に“角丸め”に熱意を注いだ。角の部分は漆が硬くなりがちだが、それを塗りながらうまい具合に按配をつけて丸めていく、しかもがたがたにならないという塗り。その上で蒔絵と平文(ひょうもん)を施しているのだが、同じ金の粉でも赤金と青金が併用されており、細かさも色々と変えている。塗り立て・仕上げ・蒔絵、どれも最高の技。
(テレビ東京『開運!なんでも鑑定団』公式サイトより)


 とは言え、ものは考えよう。モノは、そのモノの価値が判る人のもとにあればこそ生かされる。そのモノの価値相応に大事に扱われ、そのモノ本来の輝きが保てる。

 松田権六さんが人生を賭して作り続けた作品の中の紛れもない名品のひとつを、ハンバーグの型取りなんぞに使われてはかなわない。まさに「猫に小判」。そのモノの価値の判らない人は、早く手放してください。平棗の為にも一刻も早く手放してあげてください。

 一説には、モノは自分の居場所を求めて動くことがあると言う。自分の価値を認めてくれる人、自分を大切にしてくれる人のもとへと、不思議な道筋で辿りつくと言う。

 この松田権六さん渾身の平棗も、その本来の使い方をしてくださる、いつまでも大切にしてくださり、後世に伝えてくださる方のもとへと行けますように。

2016/4/5

『カラヴァッジョ 光と闇のエクスタシー』放映  文化・芸術(展覧会&講演会)

 画家カラヴァッジョに興味のある方にお知らせです。

 来る4月8日(金)午後10時より、NHK総合(1チャンネル)で、『カラヴァッジョ 光と闇のエクスタシー ヤマザキマリと北村一輝のイタリア』が放映されるようです。

 人気漫画『テルマエ・ロマエ』の作者でイタリア在住のヤマザキマリさんと、『テルマエ・ロマエ』の実写化映画に出演した俳優北村一輝さんが、カラヴァッジョ作品を求めてイタリアを巡る企画のようです。

 現在、国立西洋美術館で開催中の『カラヴァッジョ展』と併せてご覧になると、より一層面白いかもしれませんね。

『カラヴァッジョ 光と闇のエクスタシー』公式サイト

2016/3/27

美術作品が美術館に収蔵されるまで  文化・芸術(展覧会&講演会)

 昨日は、スクールギャラリートークやファミリープログラムの担当者、一般向け美術トーク担当者、そして建築ツアーの担当者の三者が一堂に会するボランティアの年次総会に出席しました。普段、この三者は活動日が異なる為、夏休みやクリスマス等の特別プログラムのワークショップに参加しない限り、互いに顔を合わせる機会は殆どありません。その意味でも貴重な機会です(とは言え、今回は殆ど講堂で着席状態だったので、別のグループの方とお話することは殆どなかったような…)

 総会では副館長による講義も行われ、それが大変興味深い内容でしたので、ここにご紹介したいと思います。青字部分は、はなこによる補足説明です。

 この講義は、「美術館がどのようにして美術作品を収集しているのか」と言うボランティアの疑問に答える形で行われたものです。数多くの画像資料も準備されての熱心な講義に、副館長の真摯なお人柄が伺えました。

 国立西洋美術館(以下、西美)は独立行政法人と言う法人格ではありますが、元々国立であり、公共の福祉に寄与する公共性の高い施設でもあるので、国からの補助を受けて運営されています。


 約400点の松方コレクションを核に始まった西美のコレクションは、1959年の開館以降コンスタントに新規作品の購入を進めた結果、今では数千点にも及ぶ非西洋圏では珍しい西洋美術に特化した絵画、彫刻、版画、工芸品の一大コレクションとなっています。

 西美の美術作品の年間購入予算は10年前までは2億円だったそうですが、現在はその6割程度までに減って1億円余りとのこと。内、2,000万円は館の方針で継続的に版画作品の購入(版画は複製芸術なので、数量的にも、価格的にも比較的入手し易く、保存スペースも取らない。数としては西美コレクションの約8割を占める)に充て、版画コレクションの充実にも力を入れているそうです。

 因みに、現在の西洋絵画の価格相場はモネの≪睡蓮≫で30〜50億円程度で、年間2億円では全く手が届かない状況です。日本では知名度の低いヨーロッパのオールドマスターでも数億円はします。単年度予算では、それすら1枚も購入できません。

 そこに救世主として顕れたのが国の「特別予算」で、国内にある4つの国立美術館に対して、ある程度まとまった予算があてがわれることになったそうです。その経緯は不明ですが、2010年に3億円で始まった特別予算は、2012年度以降大幅に増え(それでも≪睡蓮≫1枚に届かない額)、これによりヨーロッパのオールドマスターの購入が可能となりました。

 ただし、4館全体に対する特別予算なので、毎年4館で協議の上、年ごとに、どの美術館が(価格が)幾らの、何と言う作品を購入するのか決めるのだそうです。

【参考データ】
独立行政法人
 国立西洋美術館作品購入一覧(平成26年度)


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 例えば、2014年度に購入した16世紀イタリアの画家、アンドレア・デル・サルトの≪聖母子≫(上掲画像)は参考データにある通り、約7億円での購入でした。

 アンドレア・デル・サルトは日本では知る人ぞ知る画家ですが(その名は、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』の第一章の登場人物の会話の中にも登場。副館長の話では、漱石は英国の詩人バイロンの詩でその名を知ったのでは、とのこと)ミケランジェロラファエロらがローマへと去った後のフィレンツエ最大の画家であり、『芸術家列伝』を著わした画家で建築家のジョルジョ・ヴァザーリの師匠でもあった人物です。

 購入時の額縁に替えて、この作品に相応しい格の額縁をと、主任学芸員の伝手で英国の額縁メーカーに依頼したところ、ここで意外な事実が判明したそうです。

 額縁メーカーは昔イタリアに実在した額縁(実物は西美の常設展示室でご確認ください)のコピーを提案して来たのですが、その際の図面で、縦の中心線を境に正確に左に聖母、右に幼子イエスを配置した≪聖母子≫と言う作品が、さらに横線での分割でも数学的秩序に基づいたプロポーションで作画されていることが判ったのだそうです。

 つまりメーカーは、そのプロポーションに相応しい、絵を引き立てるデザインの額縁を提案して来たわけです。これは美術館側も予想だにしなかった、メーカーの丁寧で緻密な仕事ぶりでした。

 副館長も、作品の特徴をきちんと踏まえた上で額縁を製作するメーカーの姿勢に、いたく感心したのだとか。


 さて、美術館が新規に作品を購入するのは、館のコレクションで現時点で欠けている部分を補うのが目的です。

 西美は18世紀の新古典主義19世紀のアカデミスムのコレクションが現状不十分な為、2015年度に18世紀後半に活躍した新古典主義の女流画家アンゲリカ・カウフマン≪戦場から逃げ出したパリスを責めるヘクトール≫(1770)と、19世紀アカデミスム派の重要な画家のひとりで、洋画家、五姓田 義松が仏留学時に指導を仰いだレオン・ボナ≪ドーラ・パヌーズ子爵夫人の肖像≫(1879)の2点を購入しています。因みにレオン・ボナの作品は、日本在住のイタリア人歴史研究家から購入したのだとか。展示公開が待ち遠しいですね。

 2015年にはこの他にもカラヴァジェスキの代表的な画家の一人、バルトロメオ・マンフレーディ≪キリスト捕縛≫(1613-15)も購入しており、本作は早速、現在開催中の「カラヴァッジョ展」で公開展示されています。

 本作に先駆けて、同主題で異なった構図のカラヴァッジョ作品(1602、アイルランド国立美術館蔵)が存在しており、本作はその影響下にありながらも、構図と人物描写にマンフレーディなりの個性が見て取れる作品となっているようです。

 西美の場合、こうした作品は概ね以下のようなプロセスを経て購入され、コレクションの仲間入りを果たします。

@各研究員が専門分野の情報を集める(情報源はディーラー、作品の所有者、館外研究者など)
A候補作品の調査(作品の実見、文献調査、来歴調査など)
B館長+学芸課で協議し、候補作品を決定
C「特別予算」による購入は、国立美術館の会議で協議・決定
D購入委員会・価格評価委員会(作品の実見+担当研究員の調書・説明に基づく審査)
E契約、支払
F必要に応じ額縁の改良、作品の修復 →展示

 作品購入にあたっての判断要素としては、以下の点が重視されます。

@美術作品としての価値
A美術史研究上の意義
B既存コレクションとの関係
C価格の妥当性
D作品の保存状態
E来歴の正当性

 西美にはレオナルド・ダ・ヴィンチ≪モナ・リザ≫のような、美術ファンならずとも知る超有名な作品こそないものの(とは言え、モネやロダンのコレクションは、作品の質だけでなく、それが入手された経緯を見ても世界的に誇れるものだと思う)、各時代を代表し美術史にもその名を残す有名作家の作品や、各時代の様式や特徴を示す良質な作品を幅広く取り揃えています。

 時系列に展示されたこれらの作品を順次見て行くことで、鑑賞者は中世末期以降の西洋美術史の流れ(取り扱われる主題の変化、様式や描画法の変化)を概観できることから、西美は言わば、数多ある美術館の中でも「美術史の教科書」的役割を果たしている美術館と言えます。

 こうしたコレクションの充実は例えば、2004年のジョルジュ・ド・ラ・トゥール≪聖トマス≫購入の翌年に「ジョルジュ・ド・ラトゥール 光と闇の世界」展、1999年購入のグエルチーノ≪ゴリアテの首を持つダビデ≫(1650頃)の縁で2015年に「グエルチーノ」展開催と、大規模企画展の呼び水となることもあり、美術館事業全体の充実にも繋がります


 それだけに、購入作品の選定には細心の注意を払い、担当研究者は作品情報を丹念に調べあげるそうです。基本情報としては作者・作品名・制作年・技法/材質・寸法、歴史情報としては来歴(誰が所有して来たか?)・展覧会歴(どのような展覧会に出品されて来たか?)・掲載文献(どのような文献で取り上げられて来たか?)等。

 作品の購入が国民の貴重な税金で賄われている以上、国立美術館としては購入判断の決め手として、価格の妥当性も重要なファクターですが、通常オークションに出され(様々な手続き上、国立美術館はオークションの入札には参加できない)、画廊や個人等が落札した作品が数年後に売りに出される頃には、落札価格の2倍の値がつけられていることも珍しくないそうです。ところが、2008年のオークションで個人によって790万ドルで落札されたポール・セザンヌ≪ポントワーズの橋と堰≫(1881)(下の画像)を、西美は2012年にオークション落札価格から2割増の950万ドルで購入できたのだそうです。
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 ところで、最近は購入に際して、特に「来歴調査」に力を入れているようです(過去の所有者を知ることは、制作の経緯を知ることにも繋がります)

 と言うのも90年代以降、先の大戦時の公文書の公開(機密事項書類の非公開期間の終了)に伴い、元々の所有者から美術館に対し、作品の返還要求訴訟が増えている為、作品が盗品、略奪品でないことを確認することが重要(特にナチス政権時代の1933-1945の作品の所在調査)になって来ているそうです。そこで、所蔵作品の来歴調査と情報公開が、美術館のモラルとして求められ、現在では多数の美術館がウエブサイトで情報を公開し、来歴の疑わしい作品は収蔵しないのが常識となっているようです。

【参考】ナチス・ドイツによる美術品略奪を描いた映画作品

『ミケランジェロの暗号』(2010) 
『ミケランジェロ・プロジェクト』(2013)
『黄金のアデーレ 名画の帰還』(2015)
『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』(2018)←ドキュメンタリー
 
 また、実見(実物を見る)では、作品の保存状態を細かくチェックするとのこと。額装の裏を見て「裏打ち」の有無、作品に紫外線ライトを当てて作者以外の手になる補彩の有無、赤外線写真で制作当時の下描き、X線写真で描き直し等を確認するそうです。

 額装の裏にはかつて所有していた画廊の管理番号や過去の所有者名や出品した展覧会のラベル等も残っているケースがあり、それらも見逃さずにチェックするとのこと。

 もちろん、カタログ・レゾネと呼ばれる作者ごとの作品総目録での確認も欠かせません。

 こうした一連のプロセスには約半年から1年を要するそうです。そして漸く、美術館の常設展示室に展示され、一般の鑑賞者の目に触れることになるのです。

 (以上、講義中に取ったメモを基にはなこが文章化した為、文責ははなこにあります。)

2016/3/25

「レンブラントとフェルメール展」など…  文化・芸術(展覧会&講演会)

 今日は朝からほぼ出ずっぱりの日程でした。

 午前中は約3カ月半ぶりに西美でスクールギャラリートークがあり(常設展示室は1月初からつい最近まで、改修工事の為、閉鎖されていました)、小学校4年生の子供達と楽しい時間を過ごしました。

 今日は終業式の日だと言うのに、4年生最後の日に西美に来てくれるなんて、ありがとうーっ!

 来月には5年生の皆さん、私の担当した班の子はいきなりスキップする子もいて、元気いっぱいな子供達でした

 さて、幾らSGT歴10年を超えるベテラン(と後輩ボランティアに言われていますが、その経験年数に見合わない実力)でも、3か月半のブランクはキツイ。現場の勘を取り戻すのは正直大変です。

 とにかく、子供達にSGTに積極的に参加して貰うことが一番なので、冒頭で3つのお願いをします。

 1.せっかく美術館に来たのだから、作品をしっかり見て欲しい。そして本物の迫力を楽しんでほしい。
 
 2.作品を見て気づいたこと、感じたことを、言葉にして、話して欲しい。そうすれば、あなたの心に、作品の印象がより深く残るだろうから。

 3.同じ作品を見ても、気になること、感じることは人それぞれなので、お友達の話にもちゃんと耳を傾けて欲しい。そこで、作品にはいろいろな見方があるのだな、感じ方があるのだなと知って欲しい。

 こうして「SGTの目的」を明確にすると、良い子達は本当に熱心に作品に見入り、積極的に気づいたこと、感じたことを口にし、お友達の話にも真摯に耳を傾けてくれるのです。

 真綿が水をぐんぐん吸収するように、子供達の素直な感性は、美術作品を前にビンビン反応します。

 こちらから敢えて誘導しなくても、彫刻作品を前にポーズを真似たり、作品の身体バランスと自分の身体バランスを比較したりして、自分に引き寄せて作品の特徴を捉え、絵画では驚くほどの洞察力で、初めて見たはずの作品から的確に描かれたものの意味を読み取り、さらに想像を広げて、自分なりの物語を作ったりします。描かれた人物の表情や持ち物にも着目して、その意味を探ります。抽象表現の絵画にも果敢に挑戦し、その作品の魅力を感じ取ろうとします。

 久しぶりのSGTで内心不安を抱えたスタートでしたが、終わってみれば、子供達に大いに助けられたSGTでした。
 
 やっぱり、SGTは楽しいなあ
 子供ってすごい!

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 SGT終了後は、今日共に担当したトーカーと駅のそば屋で昼食を食べてから、私は終了が来週に迫っている「レンブラントとフェルメール:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」を、六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで見て来ました。

 我が家からはアクセスが面倒な六本木ですが、上野からなら日比谷線1本で行けます。

 展覧会は後に「黄金の世紀」と称せられるほどの繁栄を見た17世紀オランダで花開いた絵画芸術を4章立てで紹介するものでした。

 私は大学時代にレンブラントの銅版画を研究テーマとしていたので、正直、当時のオランダの社会状況や芸術動向等、既に知っている内容が殆どでしたが、経済的繁栄を背景にさまざまなジャンルが発展したオランダ絵画を、改めて一堂に会した形で堪能できたのは良かったです。

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 特に写真一番手前の≪帽子と胴よろいをつけた男(自画像)≫を描いたカレル・ファブリディウスは思わぬ収穫でした。

 彼はレンブラントの弟子の中でも特に才能を高く評価されながら、不慮の事故で早世した為、作品が殆ど残っていないのだそうです。その中からの貴重な一点は、自画像と言うテーマも相俟って、師匠譲りの、人物の外見のみならず内面をも描きあげる、彼の筆の巧みさを今に伝えています。60点ある中で、最も印象に残った作品でした。

 と言う訳で、以前、どなたかが、展覧会でお気に入りの一点を見つけ、お土産としてその絵葉書を買うことにしている、と書かれていたのを私も真似て、カタログを買わない時には、お気に入りの絵葉書を買うことにしています。ただし、必ずしも気に入った作品の絵葉書があるとは限らないのが残念なところ。

 後方の写真2枚は今回の展覧会のタイトルにもなったレンブラントとフェルメールの作品(それぞれ≪ベローナ≫(1633)、≪水差しを持つ女≫(1662頃))の絵葉書なのですが、各々たった1枚の来日で看板を飾るのは、客寄せの為とは言え、些かあざとさを感じます。とは言え、レンブラントとフェルメールの名に釣られて来場した人が、思いがけず17世紀オランダ絵画の充実ぶりを知るきっかけになるのであれば、2枚看板も立った甲斐があったと言うものでしょうか?


 今日もまた、フェルメールの作品の解説を前に「この作品が30数枚あるってことかな?」「いや、そうじゃねーだろ」と言い合っている3人の高校生に、思わず「フェルメールの作品自体の現存数が世界で30数枚と言うことだよ。それだけ希少と言うこと」とお節介な茶々を入れてしまった、おばさんのはなこでした。一種の"職業病"ですね。普段から子供達と美術作品を前にあーだこーだと言い合っているので、知らない子供に話しかけることにも躊躇いがない。話しかけられた方は、知らないおばさんに気安く声をかけられ、さぞかし驚いたことでしょう

         六本木ヒルズ52階から、新宿副都心を望む
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2016/3/14

『カラヴァッジョ展』に行って来ました♪  文化・芸術(展覧会&講演会)

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 昨日は家族3人で久しぶりに上野に行って、国立西洋美術館で開催中の『カラヴァッジョ展』を見て来ました。

 なお、青字の部分は、担当学芸員による3/23(水)の館内スタッフ向けレクチャーを受講後に加筆したものです。

 日伊国交樹立150周年を記念してイタリア政府の全面的協力の下、世界で60点程しか現存しない真筆の内の11点が、今回の展覧会に出品されています。

 カラヴァッジョの正式名はミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)(1571-1610)。彼はミラノ生まれですが、幼少期にミラノ近郊のカラヴァッジョに移り住んでいるので、そこで戸籍登録をしたのでしょうか?レオナルドを筆頭にイタリア人画家の名前は、ダ(da;イタリア語で"〜出身"を意味する。英語の"from"に相当)の後に出身地名が表記されることが多いですね。

 カラヴァッジョは史実が伝えるところによれば(今回は彼の人となりを伝える当時の貴重な史料も6点展示)、なかなか気性が激しく素行も不良だったらしく、度々警察沙汰を起こして、ついにはローマで殺人を犯して逃亡の末、38歳でナポリからローマへ向かう途中で客死と、波乱の人生を歩んだ人物です。

 この為、生涯を通じて画才を高く評価されながらも弟子を取ることはなく、彼に私淑し追従する画家を数多く生み出しています。そうしたカラヴァッジョの追従者達は「カラヴァジェスキ(模倣者)」と呼ばれ、カラヴァッジョ亡き後も彼の画風を継承発展させました。今回の展覧会は、カラヴァッジョ作品と同主題、或は関連する主題のカラヴァジェスキの作品も併せて展示して、17世紀初頭に20年間に渡って盛り上がりを見せた芸術運動カラヴァジェズムの全貌を展観する内容となっています。

 全展示数が50数点と数は多くないので(まさに"選りすぐり"と言う感じ。ひとつとして"場違いな作品"はありません!)、1点1点を丁寧に見て回っても、それほど疲れることなく鑑賞できました。鳴り物入りでの開催だけに混雑が心配でしたが、日曜の午後でも鑑賞にストレスを感じるような混雑ではなく快適でした。春休みに入る前、さらに桜の開花時期の前であったことも、混雑回避には良かったのかもしれません。

 今回の私のお気に入りの一点は、カラヴァッジョの代名詞とも言える"ドラマチックな明暗表現"が見事な≪エマオの晩餐≫(1606)

 当初左上に描いていた窓を塗りつぶして真っ暗な空間にしたことで、明暗(Chiaroscuro;キアロスクーロ)のコントラストがより鮮やかになり、暗がりの中に浮かび上がる個々の人物造形に深みが加わった作品です。日本画の空間表現を思い起こさせる大胆に取られた漆黒の空間は、光に照らされて浮かび上がる人物ひとりひとりの表情を際立たせ、作品の静謐な世界に劇的な効果をもたらし、見終わった後に深い余韻を残すものとなっています(おそらく、"間"を重視する日本人ならなおさら、そこに様々な意味を読み取るのではないでしょうか?)

 今回見た限りでは、他のカラヴァッジョ作品で、これだけ明暗のコントラスト効果が出ている作品はなく、鮮やかな明暗のコントラストが、いかにもドラマチックなバロック絵画の典型とも言えるような画風で、「バロック絵画の始祖」とも言われるカラヴァッジョらしい作品だと思います。

 学芸員によれば、「本作制作時、既に彼は逃亡中の身であり、行く先々で絵を描いては売って糊口を凌いでいた状況で、ローマ時代のような「依頼を受けて作画する」落ち着いた制作環境にはなかったと推察される。この為、≪果物籠〜≫のように対象物を緻密に描く時間的余裕もなく、比較的素早い筆致で描いたのでは」とのこと。また、「自宅に招き入れた人物が復活したキリストであることを、彼の指の動きで察知した人々の驚きの瞬間を、大げさな身振り手振りなどなく、食卓にはパンのみとモチーフや色味を絞り込む等、抑制された表現で描いたことで、静謐な作品世界を構築した」と評価。

 そうだとすれば、止むに止まれぬ事情で生まれた描法が思わぬ劇的効果をもたらし、カラヴァッジョを明暗表現の巧者足らしめたと言えるのではないでしょうか?
 
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 因みに夫は≪ナルキッソス≫、息子は≪キリストの降誕≫が最も気に入ったと言っていました。

 学芸員によれば「この時期のカラヴァッジョの明暗のコントラスト鮮やかな作品の特徴は、"光源"を敢えて描かないことにあった。しかし、イタリア以外の遠方の国々(オランダやフランス)の追従者にはそこまでの情報が伝わらなかったのか、フランスのラトゥール<彼はフランスのロレーヌ地方暮らしで世間の流行に疎く、当時としては時代遅れの画家であったらしい。彼がイタリアに赴いたと言う記録もなく、北方のオランダを通じてカラヴァッジョを知った可能性がある>をはじめ、その作品にはろうそく等の光源がはっきりと描かれている。」とのこと。

 2014年に新たに真筆と確認され、今回が母国イタリアに先駆けて世界初公開と言う≪法悦のマグダラのマリア≫は、その表情、ポーズが従来の抑制的なマグダラのマリア像とは趣を異にしており(私の目には官能的に映った)、さらにマグダラのマリアを象徴するアトリビュートの香油壺も描かれていない(学芸員によれば、「マグダラのマリアであっても常に香油壺が描かれるわけではなく、彼女にまつわるエピソードの中でも、彼女の「悔悛」「懺悔」のエピソードで描かれるケースが多いとのこと。「法悦」はその後の彼女のエピソードにあたり、既に過去の罪は購われているので、過去の罪の象徴である香油壺は必ずしも描かれない」らしい。聖書をもっと読み込まないとダメですね)等、その独特の表現には興味深いものがありました。個人蔵なので今回を逃すと、日本で見られる機会はもうないかもしれませんね。

 解説には、逃亡中のカラヴァッジョがローマ・カトリックに媚びて恩赦を目論んで描いたとあり、マグダラのマリアをテーマに選んだのは、カラヴァッジョが、かつて娼婦であった(←これも諸説あり、元は裕福な出の女性の転落した姿の象徴で、娼婦とは断言できないとも)マグダラのマリアの罪と自身の罪を重ねて、罪人の救済を描いたのではないかとの推察でした。しかも彼が死ぬまで手元に置いていた作品とも言われ(学芸員によれば、「殺人の罪で逃亡を続けていた彼が本作を携えてローマに向かっていたのは、許しを請うためだったのか、或は絵と引き換えに既に恩赦の約束を取り付けていたのか、その点は定かではないけれど、とにかく彼を取り巻く状況に何らかの変化があったのではと推察できる」とのこと)、レオナルドの≪モナ・リザ≫と同様に、画家にとって特別な思い入れのある作品だったと言う意味でも注目される作品と言えるでしょう(うろ覚えなので詳細は是非会場でご確認を)

 十数点にも及ぶ追従者らによる模作が遺されていたにも関わらず、その所在は2014年に再発見されるまで明らかでなかった本作ですが、優れて特徴的な人物描写(頬を伝う一筋の涙、赤い上唇と黒い下唇の描き分け、腹部の衣文の見事さ等)と、ローマの有力枢機卿に手渡す旨の書簡も作品と共に遺されていたのが決め手となって、ミーナ・グレゴーリ女史(ロベルト・ロンギ美術史財団代表)をはじめとする複数の有力研究者らによって真作と認められたようです。

 なお、カラヴァッジョ作品の真贋判定の難しさとして、「模倣者、追従者の多さ」があるとの話でした。例えば、現存数の少なさでは際立ったフェルメールの場合、彼の活動範囲がオランダのデルフトに限られ、デルフト以外では当時無名に近かったので、彼の追従者は殆どおらず、真贋の判定で最も鍵となるのは使われた顔料がフェルメールの時代のものか否か。しかし、同時代に模倣者、追従者の多いカラヴァッジョとなると、まず顔料は決め手にはならず、より細かな検証が必要になるとのことでした。



 個人的には劇的な明暗表現と言う意味では、オランダのレンブラントも、オランダにおけるカラヴァッジェスキの拠点であったユトレヒトで、カラヴァッジョの画法に触れ、影響を受けたのではと推察するので、1点ぐらい展示されていたら、面白かっただろうなあと思いました。

 因みに、レンブラントが若かりし頃も、ヨーロッパの画家達の間ではイタリア詣でが盛んだったのですが、コンスタン・ハイエンスの熱心な勧めにも従わず、レンブラントはイタリアには一度も渡航しませんでした。しかし、イタリアのアンニバレ・カラッチの絵やドイツのデューラーの版画を収集するなど、他の画家の表現研究には余念のなかった人なので、何らかの形でカラヴァッジョ或はカラバジェスキの作品も目にして、彼の卓越した表現から何かを学びとっていたのではないかと思うのです  (←レンブラントの師、ピーテル・ラストマンは19歳からの5年間、イタリアに留学した時にカラヴァッジョの影響を受け、オランダへ帰国後は明暗のコントラスト鮮やかな作風に変化したと言われている。よって、レンブラントはラストマンからカラヴァッジョ的明暗表現を学んだと考えられる)

 なにぶん貴重なオールドマスター揃いなので、会場内の照明が暗く、目の悪い私にはよく見えない部分もあり、その点が少し残念でした。さらに夫が不満を述べていたのは、いつものことながら各展示室移動でアップダウンの多いこと。年配者には階段を使わずスクリーンで仕切られた所から移動可の配慮もあったようですが、一般の来館者にもアップダウンの多さは不評のようです。後発の国立新美術館は床が全面フラットでストレスフリーなだけに、国立西洋美術館の企画展示室の移動の煩わしさは、どうにかならないものかと思います。

【今回来日しているカラヴァッジョ作品】日本初公開の作品が目白押しのようです(学芸員曰く、「"日本初公開"と言うフレーズは、ことマスコミが好むもの」確かに。マスコミはマスコミで、"話題性"="客寄せの手段"として、殊更このことをPRするのでしょう。とは言え、必ずしも全員が気軽に現地で作品を見られるとは限らない一般の来館者も、そう言ったことに興味を持つと言うか、有難味を感じるものかもしれません。「そもそも、それぞれの作品が単数或は複数で各地の展覧会に出展されているケースがある為、正確な数は言えないが、7点ぐらいだろう」とのこと)

@≪女占い師≫(1597) ローマ、カピトリーノ絵画館
 ※カラヴァッジョ26歳頃の作品ですが、既にその型破りな作風で、当時の人々の度胆を抜いたらしい(当時の絵画の位階では宗教画が最上位であり、最下位の風俗画をこの<大きい>サイズで描くこと、風俗画でありながら定石の背景を描かず、人物に焦点を絞ったシンプルな画面構成であったこと、さらに女占い師が手相見の振りをして男性の指輪をかすめ盗ろうというテーマの通俗性が、当時としては異例中の異例)

A≪トカゲに噛まれる少年≫(1596-97) フィレンツェ、ロベルト・ロンギ美術史財団
 ※「イテッ」と言う声が聞こえてきそう…(笑)。
  こうした五感を描いた作品についての解説が面白かったです(当時の有力者の依頼を受けて描いたであろう本作。人物のモデルは画家本人であると思われる。新進の貧しい画家にモデルを雇う余裕はなく、自身をモデルに描くのは当然の成り行きであった。少年なのに耳元に花を挿すなどホモセクシュアリティを暗示させるが、当時の富裕層<ローマ・カトリックは完全なる男社会>には、そうした嗜好をあからさまではないながらも容認する空気があったのではないか。こうした作品は寝室や個人の私室に飾られたと推察される。絵を売りたい画家としては、そうした需要に応えるべく描いただけで、本作は必ずしも画家本人の性的嗜好を示すものではない)
 
 本作の脇の展示史料「ピエトロパオロ・ペッレグリーニの証言」(1597)にはカラヴァッジョの風貌に関する記述があり、これが、本作のモデルが画家自身であることのエビデンスにもなっているとのこと。さらに、本史料は2011年に発見されたらしいのですが、この発見により従来の通説のカラヴァッジョの活動時期にも、再検証の必要が出て来たとのだとか。


B≪ナルキッソス≫(1599頃) ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館
 ※美青年の筆頭を飾ります。
  男性にしか興味がないから、これだけ男性を美しく描けたのか? (学芸員曰く、「水面に映り込んだ姿は、ナルキッソスの投影ながら非現実的なもの、イリュージョン(幻影)である。画家が絵を描くと言う行為も、それに近いものがあるのではないか?」)

C≪果物籠を持つ少年≫(1593-94) ローマ、ボルゲーゼ美術館
 ※今回の解説で、カラヴァッジョの本作における表現への拘りを知りました因みに、本作が最後まで出展がなかなか決まらなかった作品だそうです(古代ギリシャ時代の画家が同様のモチーフを描いた際に、その果物の描写のあまりの見事さに、鳥も勘違いして描かれた果物をついばもうとした。しかし、そのことに画家は喜ぶどころか、共に描いた少年の姿に鳥が警戒しなかったことに落胆した、と言うエピソードを意識して描いたと思われる作品。ここでカラヴァッジョは、敢えて果物籠にフォーカスしてこれを緻密かつ鮮明に描き、一方で、少年はソフトフォーカスのような比較的柔らかな筆致で描いている)。

D≪バッカス≫(1597-98) フィレンツェ、ウフィツィ美術館
 ※ほろ酔い加減でアンニュイな表情のバッカス。妙に艶めかしい(ローマ神話に登場する酒の神バッカス。その伝統的なモチーフの男神を、艶めかしく半身を露わにした若い青年の姿で描いている。やはり有力者の依頼を受けて描かれた作品で、神話画は当時の絵画の位階で宗教画と並んで最上位であったが、本作は個人的な嗜好品としてごくごく私的な部屋に飾られたものであろう)

E≪マッフェオ・バルベリーニの肖像≫(1596) 個人蔵
 ※カラヴァッジョによる肖像画は初めて見ました。興味深いです(≪女占い師≫に一年先立つ初期の作品だが、モデルは後にローマ教皇にまで上り詰めた人物である。カラヴァッジョは不思議と当時の有力者との繋がりが深く、彼の画才が早くから有力者の間でも認められていたことの証でもあるのだろう。同じ章で併せて展示されている同時代の画家バリオーネの自画像には、彼が画家であることを示す持物は何一つなく、彼は騎士団の衣装を纏っているが、これは当時の画家の社会的地位の低さを図らずも示しており、<画家としてよりも?>騎士団のメンバーとして認められたことを誇示したい、画家の複雑な心情が顕れている。因みに、このバリオーネにカラヴァッジョは、「悪口を言いふらされた」と名誉毀損で訴えられており、その時の裁判記録も史料として今回、展示されている。当時の画家の地位の低さを示すエピソードとして、学芸員は「スペインのベラスケスが宮廷画家として召し抱えられた際の初任給が床屋と同じであった」と紹介)

F≪エマオの晩餐≫(1606) ミラノ、ブレラ美術館
G≪メドゥーサ≫(1597-97) 個人蔵
 ※本作にはウフィツイ美術館蔵も含め3つのバージョンが有るそうです(ウフィツィ美術館に同様のモチーフの作品があるが、本作には何度か描き直した試行錯誤の痕跡が見られることから、本作の方が先に描かれたものであろう。カラヴァッジョは何よりも他人に模倣されることを嫌い、弟子も取らなかったと言われるが、他の作品においても、ほぼ同じものが幾つか遺されていることから、その負けず嫌いな性格で、他人に真似されるぐらいなら、自ら自作のコピーを描こうとの意志が見て取れる)。
  支持体の盾の形状に沿って前に突き出たようなメデューサの顔は迫力があります(ところが、よく見てみると、影の描き方で、寧ろ凹版に描かれた印象を与える作品となっている。印刷された画像を見ると、それが瞭然である)
H≪洗礼者聖ヨハネ≫(1602) ローマ、コルシーニ宮国立古典美術館
 ※初見ですが、その美青年ぶりにビックリ (当時はまだ人物造形に絵画的加工を施すマニエリスムが主流であった中で、敢えて人物をありのままに、写実的に描こうとしたカラヴァッジョの感覚は革新的であった。まさに<アリストテレスの言う?>「芸術は自然を模倣する」を体現していた)洗礼者聖ヨハネを描きながら、聖ヨハネが身に纏っているのは、定番の獣の皮ではなく真紅の布と言うのが斬新彼が聖ヨハネであることを示すものは傾いた十字架ぐらいでしょうか。

I≪法悦のマグダラのマリア≫(1606) 個人蔵
J≪エッケ・ホモ≫(1605) ジェノヴァ、ストラーダ・ヌオーヴォ美術館ヴァンコ宮
 ※枢機卿の命で3人の画家が同主題を競作したのだとか。今回はその時のもう一人の画家の作品も展示。比較してみると面白いでしょう(よくよく解説を読んでみると、これは同モチーフの作品が併せて展示されている画家チゴリの甥が勝手に言いふらした話で、チゴリ作品がカラヴァッジョ作品の2年後に描かれているこから、現在では信憑性が乏しいとされているとか。しかし、チゴリ作品が実際に枢機卿の所有になっていることから、当初枢機卿がカラヴァッジョに依頼したが仕上がった作品が気に入らず、改めてチゴリに依頼した、と言う流れも考えられるとか)



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