2017/10/24


 英国旅行から帰国後、TOHOシネマズ1カ月フリーパスポートを夫婦揃って取得し、ここ2週間はTOHOシネマズで映画を見まくっています。

 TOHOシネマズ1カ月フリーパスポートとは、映画の上映時間1分を1ポイントとし、累積6000ポイントで発行されるパスポートで、発行日から1カ月間、六本木ヒルズを除く全てのTOHOシネマズで公開中の映画を無料で鑑賞できる、TOHOシネマズ独自のマイレージ会員カードホルダーへのサービスです。

 TOHOシネマズのマイレージ会員向けサービスには他にも「6本有料で見たら1本無料」と言うサービスもあるのですが、私はマイレージ・ポイントを溜めることを最優先したので、無料鑑賞ポイントも6本分溜まっている状態です

 
 残念ながらと言うか、情けなくもと言うか、まだ気管支炎は完治したとは言えないのですが、咳止めの漢方薬を飲み続けて、徐々に症状は治まって来ました。少なくとも映画を見ている2時間前後は常に温かい飲物で喉を潤し、極力咳が出ないように気を付けています。

 ホント、傍から見れば「映画バカ」としか言いようがない…でしょうね

 発行から17日目の今日までに、フリーパスポートで見た映画は16本。中でも以下の3本は非常に見応えがありました。奇しくも3本すべてが、知的で力強いヒロインの活躍する作品です。

 現在絶賛公開中。オススメです!

(1)「女神の見えざる手」(原題:Miss Sloane ←ヒロインの名前)

 米政界で暗躍するロビイストの中でも"かなりの切れ者"と評判の女性ロビイストの活躍を描く。目的の為には手段を択ばないその強引なやり口には、身内さえも疑問を呈すほど。そのあまりの辣腕ぶりを苦々しく思うライバル達は、彼女を叩き潰そうと情け容赦ない攻撃を仕掛けて来る。しかし、鋼の信念に裏打ちされた、常に先の先(の先?笑)を見据えた彼女の深慮遠謀は他の追随を許さず、まさに生き馬の目を抜くようなロビイスト達の闘いのドラマを、誰もが予想だにしない驚きの結末へと導くのだ。

 かなり強烈なキャラクターのヒロインですが、その実、彼女自身にも全人生を仕事に捧げて心が血を流しているような痛々しさがあり、そこに「完全無欠なキャリア・ウーマン」ではない人間味を感じて、思わず応援したくなります。

 今年見た中でも最高の一本です!全編、膨大な台詞で、展開も目まぐるしいので、片時も目が離せません。鑑賞には2時間あまり全意識を集中して字幕を追い続ける覚悟が必要(笑)。

 孤高の(←少なくとも本人はそう思っている)ヒロイン、マデリーン・エリザベス・スローンを演じるジェシカ・チャスティンが、とにかくクール。遅咲きの主演女優は近年、誰もが目を見張るような濃密で充実した女優人生を歩んでいますね。

 重要な役どころで、往年の米国ドラマ・シリーズ「Law & Order」ファンなら感涙ものの懐かしいキャストも登場します。

 あー面白かった

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(2)「ドリーム」(原題:Hidden Figures)

 米ソが宇宙開発競争を繰り広げていた1960年代は、米国で黒人の地位向上を訴える公民権運動が盛んな時代でもありました。

 その当時のNASAで、差別と闘いながら有人宇宙船計画に科学者として参画した黒人女性達の活躍を描いたのが本作。特に数学者、エンジニア、コンピューター・プログラマーとして頭角を顕した3人の女性は、それぞれの分野で先駆者的存在でした(蛇足ながら、米国にマーキュリーと言う名の従兄がおり、彼の名が当時の「マーキュリー計画」から取られたものなのかもしれないと、今更のように気づいたのでした)

 その傑出した才能で、謂れのない差別や偏見を打ち砕いて行くさまは見事で痛快。同時に、数は少ないながらも、彼女達の能力を正当に評価し、受け入れ、支援する人々の存在にも心打たれる(実際はドラマ性をより際立たせる為、事実とは異なる脚色をされた部分もあるようです)

 ただ、本作で初めて彼女達の存在を知った私は、「どうして今になって、漸く?」と言う、「彼女達の顕彰が遅きに失した」印象も拭えません(まあ、単に私が知らなかっただけなのかもしれませんが…実際、天才数学者であったヒロインのひとり、キャサリン・G・ジョンソンは2015年になって漸くその功績が認められた形で米国自由勲章を受章しており、今年、NASAに設置されたコンピューターセンターにも彼女の名前が付けられたそうです)。その偉業が称えられるまでに、実に50年以上の歳月を要したんですね。

 主演にタラジ・P・ヘンソンオクタヴィア・スペンサーと馴染の黒人女優が顔を揃えていますが、個人的にはテレビドラマ「Person of Interest」のカーター巡査役だったヘンソンが、同じくテレビドラマの「Empire」での主役を経て、映画でも堂々ヒロインを演じている姿に感慨深いものがありました(調べてみたら、「ベンジャミン・バトンの数奇な人生」で、アカデミー賞助演女優賞に既にノミネートされていたのですね)

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(3)「アトミック・ブロンド」

 ここ数年の間に男女2人の養子を迎え母親となったシャーリーズ・セロンは、「我が子に恥じない作品選びと演技」を心掛けているのだそうです。

 その彼女が40代にして取り組んだ役は、世界を股にかけて活動する女スパイ。何人もの男性を相手に、鍛え上げた身体を張っての激しいアクションでは、前歯が3本折れてしまったのだとか。見ているこちらまで思わず痛みを感じてしまうような激しさです。

 物語の時代設定はベルリンの壁崩壊前後の1980年代後半。東西ベルリンを舞台にMI6、KGB、CIA(そして、ちょこっとフランス)が「三つ巴の闘い」を見せます。本当は誰が味方で誰が敵か、キツネとタヌキの化かし合いよろしく、三者の騙し合いが続きます。そもそもシャーリーズ演じる強かな女スパイ、ロレーン・ブロートンはどちらの側なのか?

 ただし、本作は物語の展開を楽しむと言うより、80年代ポップスをBGMに(←個人的に懐かしい曲ばかり)、画面で縦横無尽に躍動するヒロイン、シャーリーズ・セロンを見て楽しむ作品なのかなとも思う。相変わらずエレガントでスタイリッシュでクールなシャーリーズ。傷だらけでも、悪態ついても、下品なそぶりを見せてもなお美しくセクシーなシャーリーズ。そんな完全無敵(笑)な彼女を存分に堪能できました。

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2017/4/28

わたしは、ダニエル・ブレイク(原題:I, DANIEL BLAKE、2016、英、仏、ベルギー)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 私が小学生の頃、社会科の授業で教わった英国は、"揺り籠から墓場まで"社会保障制度が行き届いた、日本が手本とする社会であった。つい10年前には、米国の映像作家マイケル・ムーアが、先進国で唯一公的医療保険制度を持たない自国とは対照的な素晴らしい国のひとつとして、英国を例に挙げていた。

 その英国で今、何が起きているのか?

 英国の地方都市に住む、心臓を病んで失職した59歳の男性ダニエル・ブレイクと、彼を取り巻く人間模様を通して、本作は英国の今を描き出す。

 主人公のダニエル・ブレイクは長年連れ添った妻を数年前に亡くして以来、近所付き合いも殆どない男やもめである。心臓発作を起こしてからは医者に働くことを止められ、国から雇用支援手当を受けているらしい。冒頭、真っ暗な画面で、その手当の継続審査を受けるダニエルと担当者のやりとりだけが聞こえてくる。

 国から委託を受けた米国の民間会社の社員が審査を担当しているのだが、予め用意された汎用的な質問を繰り返すだけで、心臓疾患で働けないと訴えるダニエルとは全く会話がかみ合わない。

 後日、支援を継続する条件を満たしていないとして、非情にも手当は打ち切られてしまう。

 ここからダニエルの苦難が始まるのである。

 手当の継続を申請しようにも、とにかく手続きが複雑すぎる上に、殆どの申請手続きがオンライン化されているので、学校を出てから大工一筋で来たダニエルはお手上げ状態なのだ。

 「心臓疾患で医者から働くことを止められている」〜手当を必要とする決定的な理由であるこの一点が、通り一遍の審査で認められないもどかしさ。

 ただし、国の手続きが複雑なのにも、「不正受給を防ぐ」と言った理由があるのだろう。基本的に一連の手続きは「性悪説」に基づきシステム化されているように見える(担当者に反論しようものなら、理不尽にもペナルティを課されるのだから驚きだ)。申請手続きのオンライン化も、膨大な事務を効率的に処理する必要に迫られてのことに違いない。

 演出上、映画の中では公務員が庶民を無碍に扱う横暴な人間として描かれているが、彼らは彼らの仕事をしているに過ぎない。日々、膨大な仕事量をこなすには、どこかで冷徹に線引きしなければならないのだろう。それでも、ダニエルのようにシステムから抜け落ちる人々への配慮はあってしかるべきだと思う。今の英国社会はその余裕すらない状況なのだろうか?
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 ふとしたきっかけでダニエルと親しくなったシングルマザー、ケイテイの境遇にも考えさせられるものがある。父親の異なる姉弟(きょうだい)を育てている彼女はロンドンから追われるように、何の当てもない当地へ移り住んできた。十代で最初の出産を経験し、我が子の生育に責任を持とうとしない男達との間に相次いで子どもをもうけ、現在は日々の食事にさえ事欠くほど経済的に困窮している。

 彼女の口からは母親の話しか出て来ないから、彼女の母もまたシングルマザーだったのかもしれない。そうした彼女の境遇から、富める者はますます富み、貧しい者は貧しいままの英国社会の階層の固定化が見て取れる。

 初めての地で孤立無援のケイテイの境遇に同情したダニエルは、彼女とその子ども達を放ってはおけず、なにかと世話をするようになる。そしてケイテイ一家との関わりが、頑なだったダニエルの心にも変化をもたらすのだ。


 ダニエルやケイティの最大の無念は、彼らのひとりの人間としての尊厳が、国が整備した社会保障制度の下(もと)で踏みにじられることだろう。数十年にも渡って真面目に働き、きちんと納税して来たダニエルでさえ、思いがけない疾患で社会保障制度を利用した時に理不尽な扱いを受けてしまう。その口惜しさはいかばりか…

 その映画人人生で常に庶民に寄り添って来たケン・ローチ監督の怒りは、そうした"彼ら"に対する国の冷淡さに向けられているのだと思う。 

 「あなたが私を助けたから、今度は私があなたを助ける」
 精神を病んだ妻を長年ひとりで介護し、今また孤立無援のケイティ一家を助けるダニエル。ただひたすら無心に他者に尽くして来たダニエルに対して、ケイテイの娘デイジーがかけた言葉にハッとさせられる…
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基本データ:映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」(allcinema online)

 ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞
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2017/2/9

「僕と世界の方程式」(原題 X+Y,英、2014)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 本作は、幼い頃に「自閉症スペクトラム」と診断された、ある少年の心の成長を描いた物語であるが、同時に一般には知られざる国際数学オリンピックの代表選考過程や実施状況の描写も、サイド・ストーリーとして楽しめるものとなっている。

 私の身近にも、たまたま息子の同級生など自閉症児が何人かおり、彼らの幼い頃から20年以上に渡って接して来たこともあり、興味深く本作を見た。本作では、時折挟み込まれる主人公の目を通して見るこの世界の描写が、現代アートを思わせる色彩の饗宴と抽象性で印象的だった。


 ひとくちに自閉症と言っても、個人によって顕れる症状や障害の程度はさまざまだ。

 息子の同級生のある男の子はサヴァン症候群の一種なのか、抜群の記憶力の持ち主である。とても恥ずかしがり屋の少年だったが、私のことはちゃんと「A君のお母さん」と認識してくれて、こちらから話かければ応えてくれる子であった。小学校までは地元で通い、中学からは養護学校に通ったようだが、高等部を卒業後は近所にある大手企業に職を得ることが出来た。

 一方、同じマンションに住む、共に自閉症という兄弟は兄が息子と同い年なのだが、兄弟二人共息子とは別の小学校に通っていた。だから詳しいことは分からないのだが、こちらは兄弟でも症状が異なっているようだ。

 同じマンションに住んでいるし、彼らの母親(会えば、いつも元気な声で挨拶してくれる気さくな女性だ)とも交流があるので、私も彼らとは20年以上に渡って根気強く接して来たつもりだ。

 マンションの内外で比較的よく遭遇する兄の方は最近になって漸く私の存在を意識してくれるまでにはなった。しかし、挨拶しても未だに応えてはくれない。私を一瞥すると恥ずかしがって足早に去ってしまう。母親の話では養護学校の高等部を卒業後は職業訓練校に通ったらしいが、未だ就職出来ていないようだ。

 弟の方は無口で幼い頃多動の傾向があったが、成長するにつれて多動は見られなくなり、今では一見したところでは自閉症児とは分からない佇まいである。しかし、マンション内で会っても、一貫してまるで私など目の前に存在しないかのような振る舞いで、20年以上経っても一切関係が築けないままだ。

 幼い頃から接して来ただけに私としてはその動静が気にかかる3人だが、正直なところ、未だに彼らとどう接したら良いのか迷っている。日本は欧米先進国と比較して、自閉症に関する学術的研究や社会での理解が遅れていると言われるので、多くの人が私と同様の戸惑いを感じているのではないかと思う。


 話を映画に戻すと、主人公の少年は他者とのコミュニケーションが苦手で、食事や行動、嗜好に独特の強い拘りがあり、産み育てて来た母親でさえ彼との接し方に戸惑うほどなのだが(←その様子が切なくて気の毒なくらい)、幼くして数学に特異な才能を見いだされ、小学生の頃から数学オリンピック出場経験のある数学教師の個別指導を受けることになる。

 そして、高校生の時に国際数学オリンピックの英国代表候補者に選抜され、16人の候補者から6人の代表に絞り込まれる合宿に参加することになるのだ。

 彼にとっては飛行機への搭乗、親元を離れて見知らぬ他人といきなりの海外(しかもアジアの台湾である!)での共同生活、得意な数学での優秀なライバル達との競争、と初めて尽くしの経験である。「変化が苦手」な自閉症児にとっては大変なストレスであったに違いない。

 しかし、その合宿で彼は彼なりにさまざまな経験をしたことで、精神的に大きな成長を遂げるのだ。

 本作は、合宿仲間との関わりを通して主人公の心情が徐々に変化してゆくさまを丁寧に描き出し(地元の学校のクラスメイトと違い、「数学」と言う共通項で互いを認め合う関係性が良かったのだろう)、さらに、もうひとりの自閉症児の苦悩も描いて、見る者に問いかける。

 特異な才能のない"変人"(→自閉症児はその特徴から、その理解に乏しい周囲からは"変人"と見られやすい)では、生きる価値がないのか?  

 それは、こうも言い換えることが出来るだろう…

 強くなければ生きる価値がないのか?

 役に立たなければ生きる価値がないのか?
 
 平凡では生きる価値がないのか?

 そして、人と違ってはいけないのか?

 そもそも"普通"とは何なのか?

 私には、本作で映し出される、彼のあるがままを心から愛してくれた父親との深い絆のエピソードの数々が、その問いに対する答えのひとつのような気がした。


 結局、さまざまな欲を削ぎ落して、親が我が子に望むことはただひとつ。

 自分が生きている間、そして死んだ後も、我が子があるがままで幸せに生きてくれること。

 これに尽きるのではないか?
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2016/12/10

物語の力〜「湯を沸かすほどの熱い愛」  映画(今年公開の映画を中心に)

 「母親の愛」について描いた物語だと思った。

 子どもは基本的に「お母さん」が大好きだ。その母親の愛が子どもに、「自分はこの世に存在して良いのだと言う自信(自尊心)」「何があろうと前に進む勇気」を与えてくれるのだと思う。

 逆にこのことは、母親の愛に恵まれない子どもの苦しみをも言い当てている。たとえ母親に捨てられようと、子どもは母を愛し続け、求め続けるものなのかもしれない。


 今、世の中で世代を問わずに人々を悩ませているのは「弱い者いじめ」である。

 この作品でも、「スクール・カースト」と言うおぞましい実体のない階級制度で「最下層」と位置付けられたヒロインの娘は、クラスメイトから執拗な「いじめ」を受けている。

 それにしても、クラスメイトがいじめに遭って困っているのに、誰ひとり助ける者もなく、クラス全員でその状況を笑うとはどういうことなのだろう?私には理解できない。

 そこで宮沢りえ演じるヒロイン双葉は、心を鬼にして娘に言うのだ。「逃げるな」と。

 気弱な娘は「私はお母さんとは違うの」と反駁するが、それに対して母は「違わない。私もあなたと同じ。」と言い返す。

 いつかは巣立つ娘が、親がいなくとも自らの力で生きて行けるように、母は「いじめ」に正面から向き合うよう、娘の背中を押す。そして、娘は母の言葉に勇気づけられて、「いじめ」に立ち向かうのだ。弱い自分と決別しようと頑張るのだ。

 双葉の溢れんばかりの愛は娘だけでなく、彼女に関わるすべての人へと注がれ、関わった人々を勇気づける。それは紛れもなく大きなお母ちゃんの愛だ。その大きな愛で哀しみの連鎖を断つ双葉の生き様は人として立派だ。一方で、カッコつけずに怒りを曝け出すところも正直で愛らしい。

 ひとつ難点を挙げるならば、小学生の女の子の台詞に"らしからぬ言葉遣い"があったこと。老人と同居でもしない限り小学生が知らないであろう言い回しで違和感があった。設定が「元は水商売に従事する若い母親と二人暮らしの娘」であったから、その小学生の娘がどこでそんな大人びた言い回しを覚えたのか、と言う疑問が残った。


 ところで、ヒロイン双葉の娘への荒療治とも思える「いじめ」への対抗策は、私には思いもつかないものだった。作家独自の視点で私の凝り固まった観念がぶち壊されるのは、自分の目が見開かされる喜びであり、小説を読むことの醍醐味のひとつである。その小説を映像化した映画も同様である(本作は監督自ら脚本を手がけ、それを自らノベライズした本があるようだ)

  
 意外性のある展開の連続で、私は驚き、戸惑い、ほろりとした。これこそが「物語の力」なのかなと思った。
 
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 私は宮沢りえさんがリハウス少女だった頃からの彼女のファンで、当時の写真集も持っている。厳密に言うと一時期彼女から心が離れた時期もあったのだが、近年、女優としての彼女の活躍には目覚ましいものがあり、一ファンとして喜んでいる。

 彼女はその生い立ちからして、これまで波乱万丈の人生を歩んで来たと思われるが、その全てを肥やしにして今の女優宮沢りえがいるのだと思う。結婚して、結局離婚と言う結末を迎えはしたけれど、母親になり娘を持ったことで、今回の役には単なる女優としての役作りを超えた実在感があって、すべてのものを包み込むような母親の大らかさと温かさが伝わってくる素晴らしい演技だった。

 脇を固める役者さんも全員持ち味を発揮して、ありきたりな表現ではあるけれど、全員の演技が美しいハーモニーを奏で、作品を滋味深い佳作へと昇華させたように思う。

 素敵な作品をどうもありがとうございました。
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2016/11/22

「マイ・ベストフレンド」(原題:MISS YOU ALREADY、2015)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 マイ・ベストフレンド〜親友と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、郷里にいるKちゃんの姿だ。

 彼女とは中学校で1度クラスが一緒になったきりで、高校もそれぞれ違う学校へと進んだのだが、なぜかウマが合う上に家が近所だったこともあってずっと仲が良く、20代で私が上京後遠く離れても、私の人生の節目では常に私の傍にいてくれた人だ。彼女との付き合いはかれこれ40年近いが、彼女以上に長い付き合いの友人達がいる中でも、特に深い絆を感じる存在である。

 今では年に一度会えるか会えないかであっても、会えば、ずっと一緒に過ごして来たような、それまでの時間や距離の隔たりを一切感じさせない感覚で話せる相手である。

 変人気質の私のことだから、ここまで長く変わりない関係が続いているのは彼女の大らかさ、懐の深さに助けられている部分が大きいのかもしれない。彼女は人の為に自己犠牲を厭わない、芯から心優しい女性なのだ。


 映画のヒロイン、ミリーとジェスは、米国人のジェスが転校先のロンドンの小学校の教室でミリーと出会って以来の親友同士だ。ふたりは常に互いの人生に寄り添い、数々の思い出を共有して来た。

 ふたりがそれぞれキット、ジェイゴと結婚し、ミリーが2人の子を育てながら職業人としてキャリアを積む一方で、ジェスはなかなか子どもに恵まれず、夫とふたりボートハウスで暮らしながら不妊治療を続けると言う境遇の違いが出て来ても、ふたりの絆に変化はなかった。

 しかし、すべてが順風満帆と見えたミリーの人生に、思いがけない病が襲いかかる。そして、ジェスは待望の妊娠。病に苦しむミリーに、ジェスは自分の妊娠のことをなかなか言い出せない。

つづく…
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2016/11/14

「ボクの妻と結婚してください。」(日本、2016)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 またまた1カ月フリーパスポートで見たのだけれど、この作品ばかりは夫婦で見れば良かったかな。

 余命半年を宣告された主人公が放送作家ならではの発想力で、自身亡きあとの妻と息子を想って考えだした人生最後の渾身の企画。

 それは奇想天外で、何とも非常識なんだけれど、その根底にあるのが残される妻と息子に対する深い愛情だから、見る者としてはその後の展開も納得できた。

 どうせ死ぬのなら、自分が死んだ後に残される大切な人達に、精一杯の愛情を注ぎたい、温かな思いを残したい。そんな主人公の切なる思いに共感できた。 

 見ている間ずっと、夫や息子の姿が脳裏に浮かんでいた。彼らが自分にとっていかに大切な存在なのかを切実に感じながら…

 これは闘病記ではなく、夫婦愛、家族愛を描いた作品。ひとりの人間が自身の死期を悟って、残された時間をどう生きるか決断した物語。

 生物は生まれたら、例外なくすべていつか死に行くもの、生まれ落ちた瞬間から死に向かって生きて行くものだけれど、「いかに生きるか」の点で人間には本能以外に個人の意思が存在する。

 どう生き、どう死ぬかは自分自身にかかっている。本作は、そのことを改めて思い起こさせた。

 人生にとって最も大切なのは、社会的地位や名誉や富を得る事ではなく、自分が関わった人々と生涯に渡ってどれだけ温かな関係を築けるか?互いに理解しあい、思い合える存在であり続けられるか?

 本作に通底しているのは、原作者のそんな思いであったように感じた。

 夫に時間が出来たら、今度は是非、夫婦で見てみたい。


 最後に、主演を務めた織田裕二さん、妻役の吉田羊さん、息子役の込江海翔君、そして原田泰造さんや大杉錬さんなど、彼らの達者で真摯な演技によって、作品の世界へと深く引き込まれました。感謝。

映画「ボクの妻と結婚してください。」公式HP

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 映画を見終わった後の温かな思いとは裏腹に、夫婦間の愛情にまつわることで、ゾッとするようなことも思い出した。

 今から10年以上前の二度目の大学生時代に、同じ学科の友人と3人で、深夜の長距離バスで関西旅行に行った時のことだ(それは前日の深夜にバスで移動し、翌早朝から夕方まで博物館や寺巡りをして、再びバスで帰ると言う弾丸旅であった)

 とある地方の名刹で知られる寺で、そこのご住職からお声を掛けられ、離れでお話を伺うことになったのだが、なぜか途中から、ご自身の奥様への恨みつらみの言葉を聞かされた。

 曰く「自分の妻は蛇年生まれの女で、まさに蛇のようにずる賢く冷たい女だ」と。

 当時、既に80歳を超えておられたであろう、長年に渡り修行を積み、仏法に基づく人の道を説く立場にあろう方から、よもやこのような煩悩にまみれた言葉を聞こうとは…3人共、驚きのあまり相槌も打てずに固まってしまったのを覚えている。

 それからほどなくして、そこの寺で火災が発生し、ご住職の奥様が巻き込まれて亡くなられた。単なる偶然なのかもしれないが、ご住職のあの言葉が脳裏に焼き付いている私には、ご住職の怨念が不幸を招いたのではないかと思えて仕方がなかった。

 私は縁あって夫婦になったのであれば、夫とは末永く仲良くありたい。その為の努力を惜しんではいけないと思っている。行動でも、言葉でも。

 即ち、夫婦関係において(と言うよりおそらく全ての人間関係において)、片方が一方的に悪いことなどあり得ないと思う。互いの働きかけがあって、互いに影響しあって、今の関係性があるのだろうから。

 あのご住職の長い夫婦生活の間に、一体何があったのだろう… 
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2016/9/22

「怒り」(日本、2016)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 見終わった後にいろいろと考えさせられた。

 社会において、さまざまな事情から自分の居場所を見つけづらい人々、自身のアイデンティティを表明しづらい人々、さらに事件・事故の被害者の苦悩は、結局は当事者である本人やその家族にしか理解できないものなのかもしれない。冒頭から、その切なさが伝わって来る。

 個人的に(人懐こく見えて実は人見知りの私が)痛切に感じたのは、素性を知らない人物を信じることの怖さと難しさだ。近年はSNSによって、以前なら現実世界では接点を持ちえなかった人物と出会う機会も増えただけになおさらだ。

 出会ったばかりの人をどこまで信じ、素の自分をどれだけ相手に見せるのか、その塩梅が難しい。


 八王子の自宅で夫婦が残忍な形で殺害された事件から1年後に、東京、千葉、沖縄に現れた素性不明の3人の男。

 肉体関係を持った男性の住む都心のマンションに転がりこんだ、繊細で儚げな男。
 千葉勝浦の漁港で働き始めた、常に伏し目がちで無口な男。
 沖縄の無人島に住み着いた、風貌むさ苦しいバックパッカーの男。

 その何れもが何か訳アリの雰囲気を湛え、テレビに映し出された凶悪犯に顔つきが似ている。それぞれの地で彼らと出会った人々は、目の前にいる男との関わりを深めて行くうちに、男が指名手配の凶悪犯なのではと疑心暗鬼に囚われ始める…


 ここ数年で、「反社会性人格障害」と言う言葉をしばしば耳にするようになった。この障害を持った人物を一言で表現するなら、「良心を持たない人間」。

 自分の欲望の為なら犯罪も厭わない。弱者への思いやりもなく、他者の温かい心遣いにも嫌悪感しか抱かない(だから親切が仇になる可能性が高い)。人と人が関わり合うことで成立する社会を憎悪し、常に心の内に社会や自分以外の人間に対する怒りを抱え、その怒りを暴力で訴えることに躊躇しない。明確に「悪意」を持った人物である。

 恐ろしいのは、そんな人物が高い知能を有していたり、恵まれた体格の持ち主である可能性もあるのだ。中には悪知恵を働かせたり、腕力に物を言わせて、人を支配する立場にある人物もいるのだろう。

 そんな人物と運悪く接点を持ってしまったら、私達はどうすれば良いのか?常にどの時代にも一定の割合で存在すると言われる彼らと出会う可能性は、社会で人と関わっている以上けっしてゼロではないのだ。


 一方で「反社会性人格障害者」である凶悪犯が見せた、自ら破たんする(自滅する)生き様には興味深いものがあった。彼(彼女)は幾ら猫を被っても、結局は自らの内にある荒ぶる魂<怒り>を制御できないのだ。

 その本性を知れば誰も彼(彼女)に共感せず、彼(彼女)は社会で孤立するだけだ。

 それは逆説的に、社会の中で他者との誠実な関わりを継続できる限り、人は人として生きて行けるのだと思わせてくれた。

 現実問題として、人知れずさまざまな事情を抱え、素性を隠して、地方でひっそりと、或は都会の喧騒に紛れて暮らす人々は、この日本にも数多くいるに違いない。

 そうした人々も、流れ着いた場所で出会った人々との関わりを拒まない限り、いつしか支え合う関係が生まれ、そこから活路を見いだせるのではないか。そもそも彼らを受け入れるだけの懐の深さをコミュニティも持っていた方が、誰にとっても生き易い場となるはずだ。

 原作者の要望に応えて、現在の日本を代表する演技派を揃えてのオールスターキャスト(+新人1人)で臨んだ本作。その期待に応えての俳優陣の熱演が映画に生々しい実在感を与えて、見る者に容赦なく苦い現実を突きつける。

 後味の悪さに本作への批判的な意見もあるようだが、本作で描かれているのはけっして「怒り」がもたらす「恐怖」や「絶望」だけではないと思う。でも中学生に見せるのは些か刺激が強過ぎて躊躇われるな。

映画「怒り」公式サイト
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2016/9/1


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 予告編を見た時から気になっていた作品。「映画の日」の今日、観客の殆どが学校帰り?の高校生と言う中に混じって、本作を見て来た。

 面白かった。巷では殊更映像の美しさが高く評価されているようだが、物語もよく出来ていて、上質な青春SFファンタジーをアニメと言う表現媒体で見た、と言う印象だ。

 もしかしたら、同じ物語を実写で撮った場合、陳腐なCGの多用で、ここまでの完成度は無理だったかもしれない。アニメだからこそ実現した物語の世界観なのかなと思う。

 「睡眠」をスイッチに魂の交換が起きる摩訶不思議な現象で、主人公の「都心に住まう瀧」と「とある地方の山間の町に暮らす三葉」は出会う。しかも、その現象は気まぐれで、いつ起こるのかは本人達にも分からない。ある朝目覚めると、相手の身体に魂が入り込んでいるのだ。

 なぜ、そんなことが、この二人の間に起きたのか?千年に一度とも言われる彗星の接近との関係を匂わせつつ、物語は進んで行く。

 いつの間にか、祈るように二人の行く末を見守っている自分がいた。作品の世界に没入する喜び…今回は声優陣の好演も大きかったように思う。有名俳優が演じていたが、見ている間はそのことを忘れるぐらい、それぞれが役にぴったりと嵌っていた。

 そう言えば、元々私には「アニメ=子ども向け」と言う認識はない。なんだかんだ言って私はアニメの第一世代。物心ついた時からテレビで草創期のアニメを見ていた。そして今に至るまで、ありとあらゆるアニメをテレビや映画館で見て来ている。アニメは「映像表現の一ジャンル」、と言う位置づけだろうか。

 世界中のアニメを見て来たが、それぞれが表現に独自の進化を遂げていて、どれが優れて、どれが劣ると、軽々には言えない。それぞれが際立った個性で、独自の境地を開いていると言う印象だ。

 例えば水の表現にしても、「ファインディング・ドリー」ではディズニー・ピクサーがリアリティの追及に腐心したの対し、今回の「君の名は。」は絵画的表現に拘ったのが分かる。
 
 見る側、鑑賞する側としては、さまざまな国、さまざまな作家の、アニメの多様な表現を楽しめるのが嬉しい。作家独自のちょっとした"癖"も、個性として楽しみたい。
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2016/8/27

「奇跡の教室〜受け継ぐ者たちへ」(原題:LES HERITIERS/ONCE IN A LIFETIME、仏、2014)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 パリ郊外の貧困地区にある公立高校で2009年に実際に起きた出来事を映画化。それはあるひとりのベテラン教師の直向きな思いが起こした"奇跡"であった。

 本作は、それぞれに複雑な背景を抱え、自らに今ひとつ自信が持てず、反抗するか、怠惰を貪るか、或は自らの殻に閉じこもるかしかなかった生徒達が、愚直なまでに彼らに真摯に向き合う教師によって、どのように変わって行ったかを描く(生徒達がどんなに反抗的な態度をとろうが、ひるむことなく威厳を保って、言うべきことを言う教師マダム・ゲゲンが格好良い)

 是非、現役教師、将来教師を目指す学生に見て貰いたい一作だ。そして本作を通じて、教師であることの「重責」と「冥利」について考えて貰えたらと思う。

 本作は、恵まれない環境にある子ども達にはなおのこと、彼らを信頼して、真剣に向き合ってくれる大人の存在が必要であることを教えてくれる。子ども達の良さを引き出すのは、周りにいる大人すべての責任である。

 大人は子ども達を常に温かく見守り、支え、励ます存在でありたい。同時に、子ども達が道を踏み外しそうになったら、全力で叱る厳しさも持ち合わせていたい。

 中でも感受性豊かな伸び盛りの子ども時代に1日の大半を過ごす学校で、互いに切磋琢磨し助け合う仲間や、信頼関係を結び合える指導者(←子どもはちゃんと見ている)と出会えることが、どれだけその後の人生を豊かにしてくれるのだろう…と思う。

 後日談を感動的に体現しているのが、劇中、映画好きを公言していた少年である。彼はかつての自分自身を演じているのだ。彼は映画で描かれたエピソードが後押しした形で俳優の夢を叶え、監督と共に本作の脚本も手がけている。

 真摯な姿勢を貫く教師の情熱は、子どもの未来を拓くのだ。

★★★★★★★★★★★★

 さらに映画の登場人物達の姿には、同世代の若者にも考えさせられるものがあるだろう。

 久しく単一民族国家と言われて来た日本ではあるが(厳密に言うと違う)、近年は従来の中韓系以外のアジア系の親を持つ子どもや日系ブラジル人、さらに国際結婚の増加で他国人と日本人の混血化も進んで、多様な背景を持つ子どもの数が確実に増えて来ている。

 その意味で、本作では日本に先行して多文化共生社会であるフランスの現在の姿が、ひとつの教室に凝縮された形で見られるのが興味深い。それにしても「29の異なる人種(民族?)」(校長談)は凄い。

 まさに人種と民族と宗教のモザイクの国であるフランスと言う国の今の社会の在りようと併せて、「哲学の国」を自負するフランスの、わが国とはあまりにも異なる「歴史教育の在り方」にも注目したい。

★★★★★★★★★★★★

クリックすると元のサイズで表示します さまざまなトラブルを引き起こし、他の教師達が匙を投げるクラスの生徒達に対し、担任教師マダム・ゲゲンは、毎年開催される「歴史コンクール」への参加を提案する。先生が掲げたテーマは「ナチ占領下の子ども達」である。

 その大胆な提案に驚き、当初は拒否反応さえ見せる生徒達。しかし、ベテラン図書館司書イデットもサポートに加わって、課外授業と言う形で、紆余曲折がありながらも彼らのテーマ学習は進んで行く。

 生徒達が「勉強をやらされる」から「主体的に学ぶ」姿勢へと転換して行くさまは、マダム・ゲゲンとイデットのベテランコンビの絶妙な誘導があってこそである。

 冒頭、「ノートを取る必要があるか」と問う生徒に、「要らない。歴史は理解するものよ」と答えるイデット。フランスの教育現場における歴史教育の目的を端的に述べた言葉だと思う。「歴史は暗記するもの」ではないのである。

 途中、ある生徒が興味本位で集めた画像集に、内心ギョッとしたであろうマダム・ゲゲンが戸惑いをおくびにも出さず、生徒の着眼点を否定もせずに一旦引き受けて、それを糸口にさらに深い考察を生徒達から引き出したシーンがあった。その人間としての懐の深さ、教師としての手腕の見事さに感嘆せずにはいられなかった。

 私自身、1コース1時間足らずと短いながらも、美術館で作品を前にして生徒達を相手に対話型トークを実施させていただいているが、生徒の予想外の発言や着眼点に内心戸惑うことがある。

 対話型トークでも、(作品鑑賞に即したものならば)生徒のいかなる発言も否定しないのが原則である。しかし、1作品当たり10〜15分と言う限られた時間の中で当意即妙な対応と言う意味では、マダム・ゲゲンのようには行かない。何十回、何百回と経験を重ねても、毎回、自分のトークはあれで良かったのか、子ども達に作品鑑賞の楽しさを幾ばくかでも伝えることが出来たのかと反省するばかりだ。

 マダム・ゲゲンと生徒達とのやりとりを見るにつけ、適切に生徒達を教え導くということはどういうことなのかを、曲がりなりにも「(美術鑑賞)教育普及」に携わる1人として学ばせて貰ったように思う。

 ここでふと、教師をしている友人が、「教師の中には『生涯一教師』を標榜して、敢えて管理職試験を受けずに、現場に立ち続けている人も多い」と、以前、言っていたのを思い出す。

 マダム・ゲゲンことマダム・アンヌ・アングレス(マダム・ゲゲンのモデルとなった人物)は、今もなお同じ高校で、歴史教師として教壇に立ち続けていると言う。

 彼女もまた、「生涯一教師」を貫く覚悟でいるのだろうか?

 若き日に、彼女と出会える生徒達が心底羨ましい。

★★★★★★★★★★★★

 それにしても思う。入試テストの傾向が「暗記力」から「思考力」を問うものへと転換しつつある私立校はともかく、我が国の公立校では、テーマについて深く掘り下げて考えさせる教育が、(自分の知る限りにおいて)現状、全般的にあまりにも不足しているのではないか?

 それは教師が子どもの能力を過小評価して、端から彼らにそうした教育は無理だと諦めて実施しないのか、或は、教師自身がそうした教育を受けていない為に、どう教育し、子ども達の能力を引き上げて良いのか分からないから実施できないのか? 

 (我が国の戦後教育は、GHQ<米国>の意向もあって?、敢えて、そのような教育を避けて来たフシもあるように思う。二度と日本が米国に逆らうことのないよう、また、戦後復興をできるだけ早く進めるために、物事を深く考えずに、上に言われた通りに迅速かつ正確に仕事を遂行する人間を育てることに注力して来たのではないか?)

クリックすると元のサイズで表示します はたまた、現在、文科省が教員や事務職員の定員増で解決を図ろうとしている、教務以外の雑務で多忙ゆえに、じっくり腰を据えて指導に取り組む時間が教師にはないからだろうか?

 以前、偶然テレビで見たドキュメンタリーによれば、フランスでは幼児期に哲学を学ぶ私塾に通わせる親もいるほど、幼い頃から学校現場では徹底的に物事を深く見つめ、考え抜き、自分なりの見解を、自らの言葉で発する教育を行っていると言う。

 本作の生徒が一見「落ちこぼれ」でも、臆することなく自分の意見を人前で述べることができ、日常生活でも堂々と友人と議論できるのは、そうした幼い頃からの教育の賜物なのだろう。

 自らを自ら足らしめるものは何か?それを徹底して考えさせる教育の理念は、フランスではおそらく長きに渡って連綿と引き継がれて来たものだろう。それはもしかしたらフランスが早くから多文化共生社会であったからこそ、必要に迫られて形成されたものなのかもしれない。

 フランス社会も近年はISによるテロが相次いだこともあって、多文化共生の絶対的テーゼが揺らぎつつあり、宗教や民族差別等さまざまな問題も抱えてはいるが(そうした問題を踏まえての、教育現場における「宗教性」の徹底排除は興味深い)、フランスの何に括目するかと言えば、本作で描かれているような教育が、エリートのみならず、公教育の場で遍(あまね)く長期間に渡って行われていることだ。

 今後、否応なく多文化共生の道を歩み始める我が国も、フランスに倣って幼少期から、ひとつのテーマをじっくり時間をかけて深く掘り下げ、自分なりの見解をまとめて、それについて他者と議論する教育を始めるべきではないだろうか?現実問題として日本社会を構成する人々の背景の多様化に伴い、かつての「以心伝心」は成立しなくなっている。

 それは「相手と堂々と議論を戦わせて自分の主張を通すことが当然」とされる世界の大勢に、日本も対応せざるを得ないと言うことでもある。世界の舞台で自己主張しないことには、不戦敗も同然なのだ。

 また、本作では教師の熱意ある指導の下、生徒達が一丸となって「歴史」を学ぶことを通して著しい成長を見せる様が主テーマであり、ヨーロッパで今なお傷跡を深く残す「ナチスによるジェノサイド」を殊更前面に押し出してはいないが、若い世代が"受け継ぐ"べき「歴史」のひとつとして説得力を持たせるべく、実在の強制収容所からのサバイバーを登場させている。

 先の大戦から歳月を重ね、戦争の語り部がひとり、またひとりとこの世を去って行き、戦争の記憶の風化が危ぶまれるのは我が国も同様である。「歴史の生き証人」から若い世代が受け継ぐべきものは何なのか、本作にはそういうことにも思いを致すシーンがあって印象的だった。
  
「奇跡の教室〜受け継ぐ者たちへ」公式サイト

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 因みに本作の存在は、毎朝見ているNHK−BSの「キャッチ 世界のトップニュース」で、毎月第一金曜日に放映されるコーナー「映画で見る世界の今」で知りました。

 映画通で知られる東大の藤原帰一教授が数多ある公開作の中から厳選した、"世界の今"を伝える海外オススメ映画を紹介するコーナーです。アイルランドを題材にした「ブルックリン」「シング・ストリート」もこのコーナーで知って、とても感銘を受けた作品です。


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2016/6/3

『ヒメアノ〜ル』(日本、2016)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 暴力描写が凄まじい。邦画でここまで残酷な描写は見たことがない…

 ここまで後を引く映画も珍しい。「韓国映画」並みにあまりにも徹底した暴力描写が、フラッシュバックしてトラウマになりそうだ。ここで「韓国映画」を引き合いに出したのは、「韓国映画」は、暴力描写で人間の残酷さを描かせたら、右に出る者がいない存在だと思っているから。

 前半、ムロツヨシ濱田岳佐津川愛美演じるフリーター男女のちょっとほろ苦く、しかし、ほのぼのとした日常を描いてマッタリとした雰囲気を漂わせていたのに、漸くタイトル「ヒメアノ〜ル」が出たところからの転調が極端過ぎて(←褒め言葉ね)、その後の凄惨な殺戮の連続に心臓の動悸が止まらなかった。

 過激な描写でかねてより人気があったと言う古谷実作のコミックが原作らしいが、実写の生々しさから感じる恐怖は、コミックの比ではなかろう。

 コミックはコミックだからフィクションとして見ていられるが、実写であれだけの色彩と音と動きで見せられると、実際に自分が殺戮現場に居合わせたような恐怖心で慄然とする。

 犯罪描写の合間に時折挟み込まれる、人の尊厳を踏みにじるような残酷ないじめのシーンや、加害者が幻聴に苛まれるシーンにより、連続殺人鬼森田(演じるのは、あのV6の森田剛。役名もたまたま同じ「森田」)は、高校時代のいじめにより精神が破壊されたことを暗示させるが、だからと言って悲惨ないじめ(られた)体験が、無慈悲な連続殺人の動機や免罪符にはけっしてならないと思う。

 謂われなく(←被害者によっては、まったく落ち度がないとは言わないが、その落ち度も、死に値するほどのものでもない。どうして、かくも無残な殺され方をしなければならないのか?)快楽殺人者森田の餌食となった被害者のその後の人生が奪われた無念さを思うと、無関係な全くの他人の私でさえ、どう考えても憤りが拭えないものだ。

 否、寧ろ、それぞれの被害者が何気ない日常の中で、否応なく事件に巻き込まれてしまった経緯に自分自身を重ね、言いようのない恐怖と不快感を覚えるのだ。

 殺人鬼森田の胸三寸で決まる被害者の理不尽な運命に、納得が行かない。現実の世界で過去に起きた数々の通り魔事件やストーカー事件の被害者達の無念さが胸に迫って来る。人生の最期に、喩えようもない恐怖と悲しみを味わった被害者のことを思うとやりきれないのだ。

 巷の感想では、「人の心を破壊する可能性のあるいじめ行為への警告として、是非若者に見て欲しい」旨の意見もあったが、本作では「いじめの抑止」効果より、「報復の暴力」を助長してしまうような危うさを感じる。それとも、そう感じるのは、私が若者の感受性を甘く見ているだけなのだろうか?

 しかし、ただのひとりでも森田に強く共感する人間がいるとすれば、「報復の暴力」は現実に起こってしまう可能性がある。実際、さまざまな思考回路の人間がいるからなあ…作者が本作で意図することが何であれ、私のような感想を持つ者もいるわけだし…

 
 タイトルの「ヒメアノ〜ル」とは「ヒメトカゲ」と言う小動物のことだそうだ。原作者は過去に、これもまた映画化された「ヒミズ」(=もぐらの一種)と、「いたぶられる弱き存在」として小動物の名を、象徴的にタイトルに据えている。

 そして、何れの作品でも、暴力に晒された人間、つまり「弱者」が、反撃するさまを描いている。しかし、こと森田に関しては、反撃する相手を間違っているだろう?弱い者がさらに弱い者をいたぶってどうする!それは「人の道」に反する卑怯者のすることだ(劇中、現在の森田がやられるシーンもある。彼はけっして無敵ではないのである)

 仮に、連続殺人鬼となって社会の中で自分を「抹殺」することで、「自分を救ってくれなかった社会」(←劇中、森田は格差社会の底辺に生きる者の絶望感も口にしている)に復讐しているつもりなのだとすれば、見当違いも甚だしい。

 多くの人間はたとえ(「いじめ」を筆頭とする)理不尽な目に遭ったとしても、自身の中で折り合いをつけて、哀しみや悔しさを胸の奥深くに仕舞い込み、日々を生きている。それはけっして弱い人間だからではなく、自分が味わったのと同様の痛みや苦しみを、無関係な他者に味わせることの理不尽さを分かっているからだ。心を持った人間だからだ。

 とは言え、"森田のように"自分の受けた苦しみや辛さに耐え切れずに、報復攻撃のベクトルが間違った方向に向いてしまう人間が少なからずいるのもまた事実である。

 森田は壮絶ないじめが原因で心が壊れ、心が壊れたことで殺人鬼に変貌したのか?それとも、元々森田にはサイコパスとしての素地があって、陰湿ないじめによって"理性の砦"である「自尊心」を失ったことが、犯行への引き金となったのか?

 一線を超える人間と、そうでない人間との境界線とは何なのだろう?

 森田のような人間に、私達はどう対処(対抗?)すべきなのか?


 殺人鬼を演じた森田剛は、殺戮シーンの合間にペットショップに通ったと言う。愛くるしい動物達と接することで、自身の精神の均衡を保っていたのだろうか。

 数多いるジャニーズタレントの中でも飛び抜けて感受性の強そうな彼は、だからこそ、俳優として名だたる一流の演出家達から評価されて来たのだろうが(彼はもう随分前から「アイドル」ではなく、「役者」だったんだね)、ひとりの人間としては危うさ、不器用さを感じる(常に尖がった雰囲気で、好き嫌いがハッキリしており、自分と違う"人種"は一切寄せ付けない、とでも言おうか)。子供時代の無邪気な姿を写真で見ると、現在の彼の変貌ぶりに正直驚く。

 今回の森田役は、彼にとっても相当にタフな役であったと思う。

 話の展開としては、森田が捜査線上に上がった時点での警察の対応が今ひとつ疑問に残るところだが、とにもかくにも衝撃の一作。

 見る者から賛否両論さまざまな思いを引き出すと言う意味では、本作が日本映画ファン待望のパワフルな作品であることは間違いない。毒を多く含み、見るのに覚悟の要る作品だが、毒にも薬にもならない作品よりはよほど見応えがある。

映画『ヒメアノ〜ル』公式サイト
 
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2016/5/13

『アイ アム ア ヒーロー』(日本、2016)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 R−15指定のホラー色強い映画だけれど、大泉洋の持前のキャラクターの明るさで、辛うじてデート・ムービーでも行ける作品

 本作、広義で「ゾンビ映画」にカテゴライズされるようです。日本ではなかなかゾンビ物はヒットしないと言われる中、現時点で興収15億円に迫るヒットらしい。

 私は基本的に血しぶきがドバーッと出るスプラッター映画は苦手なのですが、たまたま最初に(日本未公開なのでテレビで)見たゾンビ映画が、コメディ・タッチのサイモン・ペグニック・フロスト主演の『ショーン・オブ・ザ・デッド』(英、2004)だったので、以来なんとなくゾンビ映画には抵抗感がなく、王道のジョージ・ロメロ監督作から派生作まで結構数多く見ています。
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 ゾンビ映画には、ゾンビ対人間の攻防戦を通じて、人肉を貪り一見残虐に見えるゾンビよりも、人間の方が残酷で醜悪と言う一面が描かれているようで、そのテーマに、単なるホラーを超えて奥深さを感じるんですよね。「その実、一番恐ろしいのは人間なのだ」と。

 当初の設定では能力に限界のあったゾンビが、新作が出るごとに進化しているのが笑えるんだけれど。なんだかんだ言って人間が無敵ですからね。ゾンビもそれに対応しなくては"絶滅"してしまう(笑)。

 本作「アイ アム ア ヒーロー」は例によって漫画が原作のようですが(日本は本当に漫画原作の映像化が多い。それだけ漫画文化が隆盛を極めていて、他国と違って物語の作り手がシナリオ?界、小説界、漫画界に分散されているのでしょう)本作が漫画の実写化作品として画期的なのは、日本映画が従来避けて来た「グロ」を積極的に描いたことにあるようです。

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 日本は一時期、運動会でも徒競走で順位づけを避ける小学校があったなど、一時が万事、現実の厳しさや残酷さを見せない「オブラート包み)」体質があって、それは映画の世界でも見られるもの。それは地理的に周囲を海に囲まれたことで、歴史的に外敵からの襲撃の少なかった島国育ちならではの温和な国民性に起因するものなのかもしれません。

 日本にも人々が血で血を争う戦国時代はあり、一般に応仁の乱から徳川開幕までの約150年間続いたと言われますが、片や中国は秦の始皇帝が統一を果たすまで、紀元前に実に550年も続いています。その後も広大な国土のどこかで常に戦争があり、日本とは戦争の経験値が違います。

 しかも日本は、幕末に欧米の列強から開国を迫られ、第二次世界大戦で敗北して米国に占領されるまで、歴史的に他国から支配を受けたことはありませんでした。結局、近代まで他国とまともな戦争をしたことがなく、たまたま日露戦争で勝利したことで自らの力を過信した(「所謂ABCD包囲網で追い詰められて仕方なく」説もある)日本は、成り行きで世界大戦に参戦することになってしまったように見えます。

 人間の喧嘩に例えるなら、幼い頃に同級生との肉体的な小競り合いを通じて"痛み"を知った人間は、大人になって喧嘩をする際、攻撃するにしても相手によって手加減が出来るけれど、そうでない人間は戦い方を知らないので、限度を超えた攻撃で相手に必要以上に大きなダメージを与えてしまう。

 日本が先の大戦時の行為に関して、未だに隣国から執拗に責められているのは、戦争と言う極限状況の中で、恐怖のあまり我を忘れた日本軍が、軍人・民間人見境なく攻撃したことが、恨みを買ったのではないか?これも日本が他国と戦うことに慣れていないため、戦争するにしても踏み越えてはならない一線があること、手加減することを知らなかったのが原因のひとつと言えるのではないでしょうか?(中国が日本を見下す意味で用いる言葉「小日本」に象徴されるように、大陸に広大な国土を持つ中国から見て、「ちっぽけな島国」に過ぎない日本が、「身の程も弁えずに」中国に戦争を仕掛けたことも、中国としては腹立たしいのでしょう)

 もちろん最近は、隣国の政治体制維持の為のスケープゴート的な扱いで、日本が隣国民のガス抜きの理不尽なターゲットにされる側面も否めませんが…(中国も最近は国力が日本を上回ったせいか、「中華思想」を礎とする覇権主義がもたげて来て、何事にも強引な態度で迫って来るのが怖い。米国にもかつてほどの力はないし、日本単独、或は東南アジア諸国と共闘を結んでも、"暴れん坊大国"中国に対峙できるのか心配)

 ですから、近代から先の大戦までの日本と言う国の好戦的な態度は例外的なものであって、他国による支配によって理不尽な扱いを受けたことのない日本人は、基本的に温和な民族で、行動原理も人間の性善説に基づいたもの(←「平和ボケ」と言われる所以)だと思います。ゆえに映画でも徹底した残酷描写が苦手と言うか、出来ない。

 今回の「アイ アム ア ヒーロー」は、エンドロールでも瞭然ですが、メインのアウトレットモールでの感染者対人間の攻防シーンの撮影を韓国で1カ月間に渡り敢行したことにより、数多くの韓国人スタッフ、キャストが制作に参加しています。

 周知のように、韓国は千年以上もの長きに渡って中国の支配下にあり、民族のアイデンティティに関わるような屈辱的な辛酸を数多く舐めて来た歴史的経緯があります。

 しかも、「朝鮮戦争」以降朝鮮半島は南北に分断され、未だに南北間は「休戦状態(停戦ではないので、いつまた再戦してもおかしくない)」と言う不安定な情勢下にあり、若い男性には徴兵制も義務付けられています。

 そうした経緯が国民のメンタリティに影響を与えないわけがなく、"恨の国"と言われるほど、他国から虐げられ、プライドをズタズタにされて来たことへの恨みは深い(それは"情が濃い"と言う一面も持ち合わせている。外に向けての感情表現も比較的激しく、淡白な日本人を驚かせる)。さらに儒教思想で上下関係に厳しく、地縁を重んじ、日本以上に学歴社会であり競争社会である為、高ストレス社会とも言われています。


 因みに、韓国の執拗な日本叩きは、歴史的に日本に様々な文化や技術を伝えて来たと言う韓国のプライドを、「韓国併合」によって貶められたと言う恨みが、原因のひとつだと言われています。

 さらに上位の中国には長年に渡って虐げられ、今もその精神的支配からは抜け出せず(未だに対等に物を言える立場にはない)、一方、(単に自分達は大陸、日本は島国と言う理由で格付けた)下位の日本には、自分達が血を流した朝鮮戦争の特需で戦後復興を果たされるなど、韓国の日中両国に対する思いには複雑なものがあると思います。

 尤も、近年の電機や自動車産業の台頭で(←これも日本からの技術移転に依るところが大きいけれど)、韓国の日本に対する歪んだコンプレックスは多少解消されつつあるようです。特に高い教育を受け、海外の情勢を知る層は、リベラルな考え方を持っている人が多いとも聞きます。



 私は韓国と言う国自体はあまり好きではありませんが、韓国映画の完成度の高さは評価していて、日本公開作はよく見ています。

 これまで当ブログで何度も言及して来ましたが、韓国映画のエログロ描写は対象に対して容赦なく徹底していて、その迫力はハリウッドを凌駕していると思います。今回、本作のグロ描写が高く評価されているのは、この韓国が制作に関わったことと無縁ではないでしょう。

 非アジア圏の人々から見れば、外見は区別のつかない日本人と韓国人ですが(日本人から見ると、韓国人は大陸育ちと言うこともあってか、男女共に上背があり、骨格もしっかりして見える。筋肉のつき方も違う)、その内面は大きく異なります。

 常に隣にある大国からの圧力を感じ、同じ民族でありながら戦争状態にある隣国との関係でも緊張を強いられ、成人男性の殆どが実践的な軍事訓練を受けている韓国人は、「暴力」の何たるかを知っています。具体的にイメージも出来るのでしょう。一般的に「暴力」が想像の域を出ない日本人とでは、暴力に対する耐性も違うでしょう。そこが映画における暴力表現の具体性や残酷描写の徹底性にも、日韓の間に差異を生んでいるのだと思います。

 また、ドラマツルギーと言った技術的な面でも、韓国は日本に先駆けて創設された映画大学で培って来た実績があり、こと映画制作に関して、日本は韓国から学ぶべきことが少なくないのではと考えます(もちろん、日本にしか作れない、日本だからこそ作れる映画もあるにはあります)。 

 韓国映画のハリウッドや日本によるリメイク作品がオリジナルを超えて優れていることは殆どなく、日本映画の韓国によるリメイク作品がオリジナルを超えていると言うのは、残念ながら傾向として見られます。それぐらい近年の韓国映画の水準は高いです。 

【参考:韓国映画レビュー】

「母なる証明」(2009)
「ポエトリー アグネスの詩」(2010)

 キャストでも韓国人の起用が効いています。特にクライマックスの攻防戦で印象が強烈だった、脳の半分を失ったアスリート役のスキンヘッド筋肉質男は、実は韓国人ダンサーらしい。あの人並み外れた跳躍力と柔軟性は、本職がダンサーだったからなのかと、後で知って納得。

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 メインキャストに関しては、主演の大泉洋さんは素晴らしい。彼が醸し出す軽妙洒脱な雰囲気は、他の誰も持っていな彼の持ち味であり強み。シリアスな場面でも笑いが起きるのは彼独特のキャラの賜物でしょう。しかも今回はヒーローですから、「かっこいい」と来ている(実はスタイルも良い)

 今後も益々活躍するだろうと期待しています。特に彼の主演で映画が見たい

 実写版「ルパン三世」なんて、もう少し若かったら嵌り役だっただろうなあ…(小栗旬版を見たけれど、彼の場合、クールな面だけが強調されて、ルパン独特の軽みがないのが残念)

クリックすると元のサイズで表示します 有村架純ちゃんは前半はともかく、後半の使い方はもったいない気がしました。

 例えば、クライマックスの攻防シーンで、大泉洋さん演じる鈴木英雄がピンチの時に助けるなど、もっと活躍の場があれば良かったのにと残念。

 彼女は特に演技が上手いという訳ではないけれど、"旬の女優ならではの輝き"を持っていると思います。今の時代のアイコンのひとりでしょう。

クリックすると元のサイズで表示します 東宝の"姫"こと長澤まさみ嬢は昨年の「海街Diary」でも好演していたけれど、今回は今回で精悍な役柄が、彼女の伸びやかな肢体にマッチして印象的でした。

 東宝シンデレラ出身で容姿に恵まれているだけに、役柄も何となくワンパターンになりがちでしたが、(プライベートでもいろいろな経験を積んだようで)漸く自立した大人の女性として様々な役柄に挑戦できる年頃になって、今後は役柄の幅が広がりそうですね。厳しい演出家の指導の下、舞台経験なども地道に積んで行けば、演技力も磨かれるでしょう。
 
 これまでの経験を糧に、自信を持って前に進んで行って欲しいです。東宝シンデレラ史上、ポテンシャルは最高の女優だと思うので。


 本作は世界の三大ファンタスティック映画祭すべてで受賞とのことで、世界でも認められた作品のようです。日本発(チョット韓国風味)の本格的なゾンビ?映画。その迫力を、多くの映画ファンに楽しんでもらえたらと思います。

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2016/3/12

テレビドラマ『第一容疑者』が抜群に面白い!  映画(今年公開の映画を中心に)

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 最近、BSイマジカで放映中の『第一容疑者(原題:Prime Suspect)』を見ていますが、これが抜群に面白い!個人的には、これまで数多見たサスペンスドラマの中で、ベスト3に入る作品でしょう。

 本作は、今や英国を代表する名女優として知られるヘレン・ミレンが46〜61歳の頃に主演を務めた、警察が舞台のテレビドラマ・シリーズ。

 完全なる男社会・階級社会である警察組織の中で、様々な困難に立ち向かい、次々と難事件を解決してゆく女性警部(のちに警視に昇格)ジェーン・テニスンの活躍を描いています。

 女性でキャリア志向ゆえに、それを快く思わない勢力から何度も理不尽な圧力と妨害に遭うテニスン。それでも、他の追随を許さない鋭い洞察力と、周囲との軋轢を物ともしない鋼の意志で、事件を解決へと導くその姿は、何とも小気味よく魅力的。一方、プライベートでは艶めかしい女としての一面も見せ、キャリアと出産の二者択一に悩む等、テニスンの生身の人間としての姿も描かれ、人物像に厚みがあります。

 そのヒロイン、テニスンを中年期に入ったヘレン・ミレンが卓越した技量で演じて、本当に見応えがあります。本作を通じて私はヘレン・ミレンの真の実力を知り、熱烈なファンになりました(調べてみたら、昨年<2015年>は彼女にとって、「女優業50周年」の記念すべき年だったのですね。また、彼女がロシア系英国人<父親がロシアからの亡命貴族>と言うのにも驚きました。ご主人は、『愛と青春の旅立ち』や『ホワイト・ナイツ』を手掛けたテイラー・ハックフォード監督)

 さらに脚本の徹底してリアリズムに拘った描写(実際、警察学校の教材としても採用されたそうです)と緻密な物語の構成が素晴らしく、外部からは窺い知れない警察内部の実態に驚きつつ、全く先の読めない息詰まる展開に最後まで片時も目が離せません。まさに脚本の力技にぐいぐい引っ張られる感じ。ドラマの肝は脚本であると、改めて思わされる良質なドラマです。

 本作の内容の濃密さに比べたら、日本の2時間ドラマなんてスカスカで薄っぺらいですね。一体何が、ここまでのレベルの違いを生むのでしょう?

 ところで、捜査するにあたり、被害者についての特徴を述べる際に、いちいち「上流」「中流」と階級の属性にまで言及するところに、階級社会である英国の文化的特性を感じました。こういった点が、「異文化理解の入り口」としての海外ドラマの面白さですね

 もしBSイマジカをご覧になれる環境にあるならば、是非、本作をご覧になってみてください。その完成度の高さに驚かれることと思います。そして、後年、本作の影響を受けたであろう作品の名前が次々と目に浮かぶはずです(米ドラマ『クローサー』『L&O 犯罪心理捜査班』等)

 以下のリンクで、放映スケジュールが分かります。リンク先にジャンプした後、放送スケジュールの「全て」を選択すると、4月11日(月)以降の再放送スケジュールを確認することもできます。

BSイマジカ・チャンネル『第一容疑者』放送スケジュール

【2016.03.14 追記】

 「第一容疑者」に関する以下のブログ記事がとても面白かったです。凄く読みが深くて、文章も巧いなあと思ったら、英国在住のプロの日本人ライターさんなんですね。ブレイディみかこさんという方です。

 特に、記事が書かれたのがヘレン・ミレンが『クィーン』で主演女優賞を総なめにした時期で、実在の人物を演じた『クィーン』での演技よりも、ジェーン・テニスンと言う架空の人物に実在感を与えた『第一容疑者』での演技の方が、彼女の「北島マヤ」ばりの役作りの巧みさでその実力を如実に示している、彼女の代表作は『クィーン』ではなく『第一容疑者』である、と指摘している点が印象的でした。

「ヘレン・ミレンはPrime Suspect(邦題:第一容疑者)」(THE BRADY BLOG)
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2016/3/10

『サウルの息子』(原題:SAUL FIA、ハンガリー、2015)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 本作は、ユダヤ人強制収容所で、ガス室送りとなった同朋の遺体処理等を担うゾンダー・コマンダーと呼ばれるユダヤ人雑役係のひとり、サウル・アウランダー(ルーリグ・ゲーザ)のある2日間の動静を描いた作品である。

 主人公のサウルは、ガス室で奇跡的に一命を取りとめながら、無慈悲にもナチスの医師によって殺害された少年を、なぜか自分の息子と思い込んでしまう(と私は解釈した)。そして、周囲の再三の警告も省みず、ユダヤ教の正式な葬送の儀式に則って埋葬したいと奔走する。

 ゾンダー・コマンダーであるサウルも、遠からず同朋と同じように「処分」される身だ。生死の狭間で狂気に走ったとしか思えないサウルの暴走に周囲も振り回されるが、「息子の埋葬」に取り憑かれたサウルは、周囲の困惑を一顧だにしない…


 通常、映画の本編が始まるとカーテンが左右に開いてスクリーンが大きくなるが、本作では逆にカーテンが中央に向かって寄り、スクリーンがほぼ正方形に近い形で狭まった。そこからして本作は閉塞感漂う雰囲気を醸し出して、私は息苦しさを感じた。

 画面は全編を通じてほぼ暗く、カメラはサウルや彼の周辺の人々の姿をクローズアップに近い形で追う。映し出される光景は、あたかもサウルの、或は彼の周辺の人物の目を通して見たかのように限定的で、例えば、サウルの背後に映り込んだ無残な遺体やガス室の床の血のりが、より一層陰惨な印象を残す。

 まるでサウルの置かれた極限状況を追体験しているかのような錯覚を覚えた。上映時間の107分凝視して見続けるのは、正直辛かった。これが想像の物語ではなく、今から70年以上前に実際に起きた出来事、人間が同じ人間に対して行った蛮行であることを、弥が上にも突きつけられたような気がした。


 私にとっての「ユダヤ人迫害」は、小学生の頃に読んだ「アンネの日記」が原点で、以後、ユダヤ人迫害をテーマとした様々な切り口の映像作品を見て来たけれど、見る度にいつも戦慄するのは、人間の同じ人間に対する冷酷さだ。

 何がどうしたらジェノサイドと言う思想に至るのか?

 日々刻々と伝えられるニュースを見る限り、世界の各地で、「政治体制」や「思想信条」や「民族主義」、そして「宗教」の下に、今も同様のことが行われている。

 ジェノサイドは、過去の、ナチスドイツだけの話ではない。


 第68回カンヌ国際映画祭グランプリ、米アカデミー賞外国語映画賞受賞作。

 (ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞)
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2016/2/13

『オデッセイ』(原題:THE MARTIAN、米、2015)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 本作、面白い!実に面白い!!子供の頃、「十五少年漂流記」や「ロビンソン・クルーソー」のサバイバル劇に胸躍らせた人間としては、文句なく楽しめた。

 火星の有人探査プロジェクトに参加した植物学者が事故によって死んだとみなされ、ひとり火星に取り残されてしまった。水も食料も残り僅かで、通信手段もなく、次の有人探査隊が火星に来るのは数年先。さあ、どうする?

 そんな絶望劇な状況の中でも、植物学者であるマーク・ワトニー(マット・デイモン)は挫けない。その科学的知識を駆使して、今、自分の周囲に残された物、在る物を使い、次の火星探査隊の到着までの生き残りを図るのだ。そのサバイバルぶりがお見事!

 「砂漠の凄まじい砂嵐に、ビニール様の遮蔽如きで対応できるの?」「火星の土壌で地球由来の植物が育つものなの?」なんて疑問もあるが、その辺り、NASAの全面協力を仰いでいるので、意外に有効なのかもしれない。とにかく渾身の知恵でローテク・ハイテクの両方を取り混ぜて、あっと驚く仕掛けを次から次へと繰り出してくれるので、上映時間2時間超えの長尺も感じさせない。

 たまたま本作を見る前に米国のゴールデン・グローブ賞を見た。本作はコメディ・ミュージカル部門で作品賞と主演男優賞を受賞。ライブ放送を英語で聞いたので聞き間違いの可能性もあるが、コメディ・ミュージカル部門での作品賞受賞に、ステージ上でリドリー・スコット監督は「どうして本作がコメディ部門?」と茶目っ気たっぷりな笑顔でコメントを残していた。私も見る前には不思議だった(ゴールデン・グローブ賞側で、米アカデミー賞でも作品賞が有力視されている『レヴェナント』とのドラマ部門での直接対決を回避して、本作に作品賞を与えたいとの配慮があったのか?同じ括りのミュージカル部門に、作品賞に値する作品がなかったと言うことなのかもしれないけれど)

 しかし、実際見てみると、コメディ要素が満載(笑)。限りなく死の予感が濃厚な状況の中で、マークは時に悪態をつきつつ、時に絶望感に打ちひしがれながらも、次から次へと彼に襲い掛かるアクシデントを、持ち前の明るさ、ポジティブさで克服して行く。

 彼自身の大らかな人間的な魅力が、過酷なはずのサバイバル劇に冒険活劇的風味を与えているのだ。さらに多くの映画ファンがマット・デイモンに抱くポジティブなイメージが、主人公マーク・ワトニーに見事に嵌って、マークの孤軍奮闘を応援せずにはいられない。

 それに世代的にBGMで次々と流れて来る楽曲が堪らなく嵌った。マークは劇中、「ダサい。ダサい」とぼやいていたけれど(笑)。その絶妙なタイミングでの絶妙な選曲センスにも、絶妙なコメディ・センスを感じた(笑)。SF映画に、これだけ70〜80年代のディスコ・ミュージックが嵌るとはね。

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 奇跡的に地球との交信を果たしてからの展開も人間ドラマ的要素がたっぷり。ひとり火星に取り残されたマークをいかに救出するか、世界中の知恵を結集しての地球側の人間たち、加えて、ミッションを止むなく中止して地球への帰還の途上にあるマークの同僚ミッション・クルー達の葛藤と奮闘ぶりにも見応えがある。そこにNASAとの関わりが深いはずのJAXAの欠片も見えないのは残念だけれど。まあ、某国は単独有人飛行も、日本に先んじて成功させているしね。

 火星になぞらえた広大な砂漠、どこかで見た覚えがあると思ったら、私がかつて住んだことのある国の有名な砂漠ワディ(現地の言葉で「涸れた川」の意)・ラムだった。そこは昔、「アラビアのロレンス」の撮影も行われた場所である。首都から約300キロに及ぶデザート・ハイウエイを、紅海に臨むアカバ湾に向かって走る途中にある。夜には満天の星が降り注ぐように目の前に迫って来ると言われる場所だ。

 その風景の圧倒的なスケール感に、SF映画はやっぱり映画館の大スクリーンで見なきゃね、と思った。

 それにしても、太陽系の惑星の中で地球に最も近く、将来的に地球人の移住地として最も有望だと目される火星だけれど、映画で描かれているような環境では、果たして実現可能なんだろうかとの疑問が残った。それとも、火星移住は米国のみで独占したいが為の、逆宣伝なのかな?(笑)

 それから、原題『THE MARTIAN(火星人)』をなぜ、邦題はわざわざ『オデッセイ(Odyssey)』と変えたのか?実際、劇中でもマークの火星への思い、火星で奮闘する唯一の人間としての矜持を滔々と語る、原題の意味が集約された重要なシーンがあるのに。

 真っ先に想起されたのは『2001年宇宙の旅』だけれど、その原題である『Space Odyssey』へのオマージュなのか?仮にそうだとしても、映画ファンならともかく広く一般に、邦題ほどその原題が周知されているとは思えない。過去のSF映画の傑作へのオマージュは映画ファンにのみ分かって貰えば良いということなのか?私の調査不足かもしれないけれど、こと本作に関して、わざわざ邦題が付いた経緯が謎。

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2016/1/19

2015年後半を振り返る(2)<10〜12月の鑑賞記録>  映画(今年公開の映画を中心に)

 引き続き10月から12月の鑑賞記録。

 ★1点、☆0.5点で、★★★☆以上の作品なら「見て損はない」だろうか?基本的に映画大好き人間なので、「どんな作品にも創られた意味がきっとあるはず」「作り手の思いが込められている」と言う前提で、評価は全体的に甘めかもしれない。月間ベスト作品にはを付けている。

 青色表記は邦画、オレンジ色は邦画以外のアジア映画、それ以外は洋画等。邦画以外の作品についてはタイトルの後に原題も付記。タイトルにアンダーラインの付いている作品は当ブログ内にレビューあり。失礼ながら文中の人物は敬称を省略させていただいている。


【10月 10本】

(26)マイ・インターン(THE INTERN) ★★★★:アン・ハサウエイとロバート・デ・ニーロの共演でも注目された本作。デ・ニーロの役は元々ジャック・ニコルソンにオファーがあり、彼が断った為、デ・ニーロに回って来たらしい。老境に入ったデ・ニーロは、それまでの強面の役柄から、今回のようなコメディ路線までこなせるようになり、役の幅が広がったと思う。アカデミー賞受賞後の出演作に苦慮している女優が多い中、ハサウエイは今の自分にぴったりな役柄を得て生き生きとして見えた。異なる世代間の交流と協力によって、直面する問題の打開策を見出すと言うストーリーは、幅広い年齢層の支持を得ると思う。それはそのまま社会の本来あるべき姿でもあるからだ。

(27)図書館戦争 ラスト・ミッション ★★★☆:作品の映像化が相次ぐ人気作家、有川浩(ありかわひろ=女性)原作の映画化作品の第2弾。言論弾圧に動く政府直轄の"メディア良化隊"の攻撃から「言論の自由」を守る牙城として存在する図書館。その図書館を武装して守る"図書隊"と"メディア良化隊"との「戦争」を描く。劇画的味付けの作品ではあるが、描かれていることの意味は深い。

(28)岸辺の旅 ★★★☆:第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞を受賞した本作。しかし、このカンヌと言うのが案外クセもので、映画の芸術性に重きを置いた選考なので、"分かり易さ"を求める一般的な映画ファンの期待を裏切ることが多い。だからカンヌ受賞作の謳い文句に惹かれて映画館を訪れた人の中には、その"分かりにくさ"に戸惑う人も少なくないのだろう。タイトル「岸辺の旅」の岸とは"彼岸"のこと。亡くなってから3年後に突然姿を現した夫の亡霊(浅野忠信)を違和感なく受け入れる妻(深津絵里)。夫婦二人で、妻の知らぬ場所で客死した夫の失踪中の足跡を辿る旅をする。終始一貫、静かで不思議で不気味な空気感が漂う。妻も夫と共に彼岸の周辺を彷徨っていたのか?非日常感を味わうと言う意味では、映画らしい醍醐味の作品。

(29)アデライン〜100年目の恋(THE AGE OF ADALINE) ★★★★:主演のブレイク・ライヴリーは、今やNYのセレブ高校生達の生態を描いたテレビドラマ「ゴシップガール」でブレイクした女優として知られているが、私にとっては「旅するジーンズと16歳の夏」の彼女が馴染み深い。当時の彼女はサッカーに夢中な普通の女子高生だった。インタビューでも「本格的に女優の道を目指すかどうか分からない」と答えていたのだ。それが今や堂々たる人気女優である。本作は100年以上不老の状態で生き続けた美しい女性の物語。不老不死は人間が叶えたくても叶えられない夢のひとつだが、実際に叶うと、必ずしも幸福をもたらすものではないのかもしれない。そのことを実感させる作品。人生にはいつか終わりがあるから、私達は今を生きていられるのかもしれない。

(30)バクマン ★★★★:あの「DEATH NOTE」を手掛けたコンビ、大場つぐみ(原作)と小畑健(作画)による人気漫画の実写化。プロの漫画家を目指す高校生コンビの苛烈な生き様を描く。その猛烈ぶりに、早死にした人気漫画家達の生前の苦闘が忍ばれる(正に命を削って漫画を描いていたんだなと)。今をときめく若手俳優陣(佐藤健、神木隆之介、染谷将太)の競演も見もの。

(31)ジョン・ウィック(JOHN WICK) ★★★:キアヌ・リーブス主演のアクション映画。最愛の妻を喪い、妻の忘れ形見である犬と二人で暮らす元殺し屋。その彼を本気で怒らせたロシアン・マフィアの運命はいかに?と言う展開のドラマなのだが、いろいろな意味で新味に乏しい。それでもキアヌ人気?で続編制作が決定らしい。

(32)天空の蜂 ★★★☆:当代随一の人気作家、東野圭吾原作小説の映画化。原発利権蠢く日本では映像化が難しいとされていた本作だが、5年前の東日本大震災での原発事故を機に、原発の危険性、テロに対する脆弱性を描くタブーは解禁されたようだ。日本発のアクション映画としては、それなりに出来の良い作品と言えるのではないか(それでもまだまだ米国やお隣の韓国の作品には見劣りする)?原作は20年前に刊行されたものだが、日本メーカーによる大型ヘリの開発(三菱重工による国産旅客機の開発)や原発へのテロの脅威など、東野氏の理系出身の作家らしい先見の明に驚かされる。

(33)アクトレス〜女たちの舞台(SILS MARIA/CLOUDS OF SILS MARIA) ★★★★:仏独スイス合作映画。これはジュリエット・ビノシュありきの作品。彼女の成熟した女性としての美しさ(衰えの美、と言うのもある)と堂々たる大女優の貫録で魅せてくれる。ほぼスイスの山間の街や山荘を舞台に物語は展開し、台詞劇と言っても良い趣。だからこそ、彼女の存在感と演技力が光る。原題はスイスのある地方に、ある期間だけ見られる自然現象を指す。雲海が谷間を通り抜けるその現象は、それをビノシュが高台から見下ろす形で作品にも登場する。

(34)ヒトラー暗殺 13分の誤算(ELSER/13 MINUTES) ★★★★:史実に基づくドイツ映画。ヒトラー暗殺を単独で企てた男がヒトラー暗殺を企てるに至った経緯と逮捕後の様子を交互に描いて、独裁政権下の時代の空気を映し出す。ごく普通の手先の器用な男性が、独裁者を暗殺する為に爆弾を製作するまでに至ったところに、普通の人生、普通の暮らしを奪われた男性の悲しみと怒りの深さを感じる。極限状況下に置かれると、人間の理性に獣性が勝ることの恐ろしさや虚しさも感じた。善良で控えめな人間ほど、時代の横暴に蹂躙されるのだろう。

(39)エール!(LA FAMILLE BELIER/THE BELIER FAMILY) ★★★★:フランス映画。原題はヒロイン一家の名前。いつも邦題と原題の乖離には戸惑ってしまう。フランスの田舎町で農業を営む一家。ヒロイン以外は全員が聾唖者と言う家族の中で、ヒロインの役割は家族と社会の橋渡し役である。そんな彼女が歌の才能を見出され、パリの音楽院で学ぶチャンスが訪れる。ストーリー展開は凡庸だが、普遍的な温かな家族愛を描いて、本国でも人気を博したのは分かるような気がする。見終わった後に、わが子の巣立ちを応援する親の愛など、自分自身に投影してしみじみとした気分になった。 

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【11月 10本】

(40)サバイバー(SURVIVOR) ★★★☆:ミラ・ジョボヴィッチ主演のサスペンス映画。ミラ演じるヒロインは国務省の優れた情報分析官で、ロンドンの米大使館に赴任する。米国へのテロを画策するテロリスト達の米国への侵入を、的確な情報分析で未然に防ぐ、水際でくい止めるのが彼女の仕事なのだが、これがいろいろと大変で(テロリストの人物像も本当にさまざまで、絞り込むのが難しい)、正に命懸けなのだ。誰を信じ誰を疑うか、疑心暗鬼の中で、ヒロインは戦い続ける。エンドロールで彼女のような情報分析官らの活躍により、9.11以降、50件あまりのテロを未然に防げたとのテロップが流れ、その現実感に戦慄する。米国は本当に敵が多いと言うか、人の恨みを買っている国なんだなと思う。

(41)トランスポーター イグニッション(THE TRANSPORTER REFUELED) ★★★:主演も新たにキャストの若返りを図った人気シリーズの最新作。しかし、本職は人気ラッパーだと言う新ヒーローは、スタイリッシュでクールでセクシー(女性ファンの心を鷲掴み・笑)だったジェイソン・ステイサムの初登場時のインパクトを超えられない。トランスポーターと言えばイコール、ジェイソンと言うイメージだ。これはジェイソンを凌駕するような新人の登場でもない限り、変えられない。

(42)グラス・ホッパー ★★★:映像化が多い人気作家の伊坂幸太郎の原作と聞いて期待したが、肩透かしをくらった感じ(過去には「アヒルと鴨のコインロッカー」「重力ピエロ」「フィッシュストーリー」「ゴールデン・スランバー」etcと面白い作品が目白押しなのだ)。稀代のストーリーテラーの原作の良さを生かしきれなかったのか?(殺し屋同士が対決する)サイドストーリーの盛り上がりに比べ、主演(生田斗真)の存在感の希薄さが気になった。

(43)サヨナラの代わりに(YOU'RE NOT YOU) ★★★★:
若くして米アカデミー賞を2度も受賞している演技派ヒラリー・スワンク主演のヒューマン・ドラマ。才能に恵まれ、優しく有能な夫と幸せに暮らしていたヒロインを突然病魔が襲う。病気の進行で全面的な介護を必要とし、人生に絶望した彼女の前に介護役として現れたのは貧しい女子学生。あまりにも育った環境が違い過ぎる二人で上手くやって行けるのか、観客は固唾を飲んで見守るのだ。病を得たことで失ったものの大きさと、新たに得たものの尊さ。自分の余命を知った後の生き方や命の尊厳について、改めて考えずにはいられない作品。

(44)コードネーム〜UNCLE(THE MAN FROM U.N.C.L.E.) ★★★★:冷戦時代の米ソのスパイが協力して、国際的な悪の組織に立ち向かうスパイ・アクション。設定からして荒唐無稽だが、ガイ・リッチー監督の持ち味が生かされたスタイリッシュで軽快な本作は、笑える小ネタも満載で最初から最後まで楽しめる。

(45)尚衣院〜サンイウォン ★★★★☆:タイトルの尚衣院とは、朝鮮王室の衣服を誂える部署のこと。その尚衣院を舞台に愛憎渦巻く人間ドラマが展開する。幼い頃から研鑽に励み、確かな技術を身に付けた尚衣院の仕立て師(ハン・ソッキュ)の前に現れたのは、奔放で天才肌の職人(コ・ス)だった。長い時間をかけて王の信頼を勝ち得た仕立て師にとって、女遊びに興じながら、次々と斬新なデザインを生み出す職人の才能は脅威でしかなかった。その職人が才能を認められ王室に出入りするようになり、仕立て師の焦燥と嫉妬は募る一方だ。そうした二人のライバル関係に王室の複雑な事情も絡み合って、物語は思わぬ展開を見せて行く。誰かが指摘していたように、これは正にサリエリとモーツァルトを連想させる"才能への愛と憎しみ"の物語だ。今回もまた、長尺ながら一切の中だるみもなく、スリリングな展開で観客を惹きつけて止まない韓国映画の演出の巧みさには脱帽だ。登場する衣装も絢爛豪華で美しい。

(46)Re:LIFE〜リライフ(THE REWRITE) ★★★★☆:ハリウッドでの活躍も最早過去の栄光となった中年の脚本家が、新たに得た仕事は東海岸の小さな大学での教職。当初は学生相手にシナリオの書き方を嫌々指導していた彼も、さまざまな背景を持つ学生との触れ合いから、徐々に教職にやりがいを見出してゆく。やさぐれた主人公の脚本家をヒュー・グラントが演じて、その姿に時の流れを感じると同時に、彼のどこか脱力した軽妙な持ち味が主人公のキャラによく嵌って、作品としては楽しい仕上がりであった。長年のファンとしては、もっとヒュー・グラントの活躍を見たいところ。

(47)ミケランジェロ・プロジェクト(THE MONUMENTS MEN) ★★★☆:これも原題と邦題との乖離が甚だしい。原題のTHE MONUMENTS MENは先の大戦時にナチスドイツによって収奪された美術品を奪還すべく暗躍した実在の人物達の呼び名だ。監督も務めたジョージ・クルーニーを筆頭に、マット・デイモン、ビル・マーレイ、ジョン・グッドマンとキャスティングは豪華で、取り上げたテーマも興味深いものだが、いかんせん演出が平板で盛り上がりに欠ける。メンバーが死ぬ場面など、悲しみや憤りが湧き上がるべきところだと思うが、描き方があっさりし過ぎて今一つ感情移入できなかった。監督の演出力の問題かなと思う。作り方次第で幾らでもドラマチック(もっと印象深い仕上がり)になったであろうに、けっして作品として面白くないわけではないが、素材を生かしきれなかった残念さがある。

(48)007 スペクター(SPECTRE) ★★★★:ダニエル・ボンド最後の作品になるであろうと言われる本作。前作に引き続きサム・メンデス監督は過去のシリーズ作品で見られたような軽妙さを抑え、あくまでもハードボイルドタッチで、007の活躍を描く。尤も、本作のように度々主演・監督を変えて長期に渡るシリーズとなると、描かれる人物像も時代の空気を色濃く反映したものになるのは当然か?今は現実の世界が相次ぐテロや紛争で重苦しい雰囲気を湛えているがゆえに、ボンド映画にもかつてのような軽妙さを許さない。主役はもちろん、ボンド・ガール像にも隔世の感がある。その重みも変化した。片や美しくセクシーだが若くはない。片や若いがセクシーさに欠ける。どちらも些かインパクトに欠ける。そのせいか、ボンドとの絡みも中途半端で、ボンドとボンド・ガールとの関係性に説得力がない。それでも豪華な仕掛けと「女王陛下の007」としての品格で、本作の王道のスパイ映画としての地位は揺るがない。とりわけ映画冒頭のアクションシーンは圧巻だ。もしかしたらそのシーンが、私の中では興奮度MAXだったかも(笑)。

(49)黄金のアデーレ(WOMAN IN GOLD) ★★★★☆:昨年は戦後70年の節目と言うことで、先の大戦時を振り返る作品が数多作られた。本作もそのひとつだ。ユダヤ人所有の美術品がナチス・ドイツによって収奪されたエピソードを描いた作品と言えば、最近では「ミケレンジェロ・プロジェクト」があるが、本作は米国人による作品の奪還を描いた冒険活劇風味の「ミケランジェロ・プロジェクト」よりも、ユダヤ人の気高さと知性と粘り強さを描いたと言う意味で、2010年に製作された「ミケランジェロの暗号」にテイストが近い。ユダヤ民族の成功のバックボーンにあるのは、「他者の妬みを買うほどの勤勉さ」と、「教育の重要性を他の誰よりも認識して子弟の教育に力を注いだこと」だと思う。大戦時のユダヤ人を描いた作品では、2006年のポール・ヴァーホーヴェン監督作「ブラック・ブック」も併せて見ていただきたい作品である。

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【12月 9本】

(50)ハッピーエンドの選び方(MITA TOVA/THE FAREWELL PARTY) ★★★☆:なかなか見る機会のないイスラエル映画。チネチッタに感謝である。かつて私が住んでいた中東の都市ではイスラエルのテレビも見ることが出来た。ただし理解できるのは挨拶の「シャローム」だけ。「神のご加護がありますように」と言う意味だ。本作はイスラエルの老人ホームが舞台。自身の死が間近に迫っていることを悟った男性が、友人に安楽死させてくれるよう頼むところから物語は動き出す。イスラエルの老人と言えば、あのホロコーストを生き抜いて来た人々のはず。しかもユダヤ教徒である。それでも安楽死を望むところに、彼らが直面する現実の厳しさを感じずにはいられない。それなりに葛藤を経てとは言え、最終的には安楽死を承諾する家族の姿に、違和感を覚える日本人も多いのではないだろうか?日本は本人が望まなくても、あらゆる手段を講じて家族が延命させるケースが少なくない国である。死する時は天命に委ねるべきか?自ら決めるべきか?それとも、家族が決めることなのか?簡単には答えの出ない難しい問題である。

(51)FOUJITA ★★★☆ 20世紀前半、エコール・ド・パリで活躍した日本人画家、藤田嗣治の伝記映画。藤田を演じたオダギリジョーが醸し出す品の良さが、さまざまな文献資料から垣間見える藤田本人の雰囲気をよく伝えていたと思う。しかし、小栗康平監督の持ち味でもある暗い色調の画面を見続ける集中力が続かず、時々失念してしまった(汗)。

(52)私はマララ(HE NAMED ME MALALA) ★★★★:マララ嬢の懸命の努力にも関わらず、先日も彼女の母国で大学が襲撃され、大勢の学生が殺害される事件が起きた。教育の破壊者は、教育の力を最も恐れている者だ。自分達の劣勢を、暴力で巻き返そうとしているに過ぎない。それが虚しい行為であることに気付かないほど愚かなのか、或いは分かっていながら敢えて目をそむけているだけなのか?いずれにしても、正義は教育の普及活動を積極的に推し進めるマララ嬢の側にある。

(53)海難1890 ★★★★:1890年に起きた和歌山近海でのトルコ軍艦エルトゥールル号遭難事故から125年経ったのを記念して、後に長年に渡る日本とトルコの友好関係のきっかけとなった当時の経緯を克明に映像化した日本とトルコ両国による合作。自分達が日々食べる物にも事欠く貧しい漁村の人々が懸命に遭難者を救助し、故国に帰国するまで村総出で世話を続けた姿には胸を打たれた。奇しくもその95年後にはイラン・イラク戦争に巻き込まれたイラン在住日本人が、トルコの救援機によってイラン脱出を果たすのだが、ここではイラン在住のトルコ人市民の扶助精神に感銘を受けるのだった。何れの時代も民衆レベルで助け合う姿が印象的だ。エンドロールではトルコのエルドアン大統領自ら出演してメッセージを寄せているのに、日本の首相の顔が見えないのは、日本トルコの友好関係を記念しての合作映画だけに残念だった。

(54)Orange ★★★☆:人気漫画の映画化。主演の土屋太鳳と山崎賢人は朝ドラに続いての共演。この世代に他に目ぼしい俳優はいないのだろうか?それはさておき、二人は醸し出す清潔感で、20歳過ぎながら高校生の役を演じても違和感がない。土屋太鳳は相変わらず声が小さく、か細い。今は若さで許されるが、今後年を重ねて行った場合、女優としてどうなのか?活躍の場として、テレビはともかく舞台は無理だろうなあ。物語は「過去の自分」から届いた手紙に書かれた"願い"に応える形で進む。奇想天外な話だが、SFかファンタジーとして受け止めれば、どうにかついて行けそうだ。ファンタジーだから、根っからの悪人は登場しない。ヒロインを取り巻く友人達も皆いい子ばかりだ。物語の結末も、女子中高生達の願望を叶える形?での着地で、大人にはちょっと物足りないかな(笑)。

(55)I love スヌーピー(THE PEANUTS MOVIE) ★★★☆ 私も10代の頃に一端の見栄を張って、スヌーピーのペーパーバッグを買ったっけ。漫画のスヌーピーが動画になって縦横無尽に動き回るさまには、ちょっと不思議さと違和感を覚えた。映画館には映画公開に合わせて、スヌーピーの等身大?のぬいぐるみが飾られていた。正直、あまり可愛くなかった。それでもスヌーピー愛に変わりはない。劇場内には、かつて子供だった人達が大勢、リアル子供達に混じって、スクリーンの中のスヌーピーやチャーリー・ブラウン達の姿に見入っていた。見るからに幸せな光景だ。

(56)完全なるチェックメイト(PAWN SACRIFICE) ★★★★:米ソ冷戦時代にチェスで繰り広げられた代理戦争を描く。トビー・マグワイヤ演じる主人公が、勝利に拘るあまりエキセントリックな言動を続けるところに、正気と狂気のギリギリのバランスで生きる天才の生き辛さを感じずにはいられなかった。エンドロールで流れる実際の本人の晩年の映像が、その印象を決定づけたと言っても良い。結局、主人公もロシア系と言うことで、チェスによる代理戦争は実質ロシア人の独壇場ではないかと思った。米国はさまざまな民族の才能を吸い取って成長し続ける国と言うことなんだろう。

(57)母と暮らせば ★★★☆:山田洋二監督作品。台詞は不自然だし、(舞台劇ならともかく)吉永小百合は相変わらず年齢不詳の聖母を演じているし、加藤健一を除く出演者の長崎弁はお世辞にも上手いとは言えないのだが、大学で講義を受けている主人公が原爆で命を落とす瞬間の描写が秀逸。このシーンを見ただけでも、本作を見て良かったと思う。容赦なく人々の命を奪う原爆の残酷さと恐ろしさと無慈悲さを見事に表現している。誰もがこれまでに何度も目にしたであろう、あのきのこ雲の下で、何が起きていたのか?それをほんの数秒のシーンでイマジネーション豊かに描いている。これぞ映像の力である。

(58)サンローラン(SAINT LAURENT) ★★★☆:サンローランものの映画作品は本作を含めて3本見た。本作はその中で最も作家性の強い作品なのかもしれない。サンローランの天才性の反面にある退廃性が耽美的な映像で表現されていたのが印象的。天才の脆さと凄みがスクリーン越しにビンビン伝わって来る。

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