2015/11/4
英国旅行5日目 英国旅行(2010年春&2015初秋)
いよいよ英国滞在最終日。旅程では午前中は現地ガイドの解説による大英博物館の見学の後、ロンドン市内をハイライト観光、ローストビーフの昼食を挟んで、午後は自由行動となっていました。
今回は午後のオプショナルツアーの「ウィンザー城観光」が無料キャンペーンと言うことで、私達を含む2組の夫婦以外のツアーメンバーは皆さん、オプショナルツアーに参加されたようです。
私達は久しぶりのロンドンを夫婦水入らずで過ごしたかったので、添乗員さんに「離団届」を提出し、この日最初の訪問地、大英博物館(British Museum)に到着後、ツアーから離れました(「離団届」とはツアーから離れて単独行動する際に提出するもので、その旨申し出れば、添乗員さんから届出用紙をいただけます。用紙には離団時の行動予定を明記して添乗員さんに提出。離団中に起きたトラブルは基本的に自己責任となります)。
世界に名だたる大英博物館(British Museum)。Wikiに「世界最大の博物館の一つで、古今東西の美術品や書籍や略奪品など約800万点が収蔵されている(うち常設展示されているのは約15万点)。」と明記されているのが、何だかあまりにも直截的と言うか皮肉っぽくて笑えます。

大英博物館は、ロンドン市内の主だった公立博物館、美術館と同様に、入館料は基本的に無料です。その代わり、通常の博物館や美術館にあるような無料のパンフレットはありません。館内地図が2£、館内ガイド冊子が5£で売られています。さらに寄付という形で入館者に5£を募っています(もちろん、強制ではありません)。
大英博物館にはこれまで何度も訪れており、定番のコースはサラッと流して、今まで見逃していた「日本展示室」を今回は見ることにしました。
まずは大英博物館の代名詞とも言えるロゼッタ・ストーン(Rosetta Stone)。23年前に初めて見た時には現在のようなガラスケースには収められておらず、剥き出しの状態で少し傾斜をつけて横倒しに展示されていました。
写真は23年前のロゼッタストーン展示の様子。上から覗き込むようにして見ることが出来ました。この時、感動のあまり、ミュージアムショップで結構高価なレプリカを購入してしまいました。
と言うのも、小学生の頃、フランス人のシャンポリオンが、このロゼッタス・トーンを解読した経緯を本で読んだことがあり、以来、ロゼッタ・ストーンをこの目で見ることが、私の数多くある夢の中のひとつだったのです(このロゼッタ・ストーンの解読が、エジプトの古文書で広く用いられていたヒエログリフ解読のきっかけとなり、エジプト考古学の発展に繋がったと言われています)。

ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院のミケランジェロ作《ピエタ》も、27年前に初めて見た時には剥き出しの状態で寺院内に設置されていましたが、その後、残念なことに心ない人物によって疵つけられる事件が発生し、以来、ガラスケースに収められるようになってしまいました。
展示品保護の為とは言え、ガラス(透明アクリル?)ケースに収められることによって、展示品と来館者との距離が広がったような失望感は拭えません。
ロゼッタ・ストーンの前にはいつも大勢の人だかり。それだけに写真はまだしも、ビデオ撮影は後ろで待っている大勢の人々のことを考えて止めて欲しいところ。今回人迷惑なビデオ撮影をしていたのが日本人で(暫くロゼッタ・ストーンの前に陣取って動かず、後ろで待っている人々から軽蔑の眼差しで見られていた)、同じ日本人として凄く恥ずかしかった。

古代アッシリア遺跡を前に。

有名なアッシュールバニパル王の宮殿にあったと言われる《ライオン狩りのレリーフ》。ライオン狩りは王のスポーツで権威の象徴であったらしい。王の勇猛さをレリーフで表現したのでしょうね。

大英博物館の「日本」展示室。東洋の一国で、展示にこれだけのスペースが割かれているのは珍しいのではないでしょうか?極東の小さな島国に世界を刮目させる多様な文化と特異な歴史が存在していることを示しているようで、そこの出身者としては誇らしいと言うか何と言うか…。しかし、博物館の中でもかなり奥まった所にあるせいか、室内は閑散としていました。個人的には静かな環境で、じっくり見られて良かったですが…

河鍋暁斎の絵。彼の愛弟子であった英国人建築家ジョサイア・コンドルの著作のおかげもあって、故国で忘れ去られていた暁斎は、欧米での人気が逆輸入された形で、日本で再評価されるに至りました。
『河鍋暁斎美術館に行って来ました』
『河鍋暁斎美術館に行って来ました2』

海外によって、その価値や魅力が再認識されたと言う意味では、浮世絵も同様です。喜多川 歌麿の錦絵。発色が美しい。

縄文〜弥生時代の土器(レプリカ)と共に、手塚治虫の漫画『三つ目がとおる』が展示されていました。

キリシタン禁制令の高札。教科書で写真を見たことはありますが、実物は初めて目にします。

左の写真は百済観音のレプリカ。本物は法隆寺の宝物殿にありますね。日本室を入ってすぐに、この優美な観音像が出迎えてくれます
百済観音について調べてみると、飛鳥時代の仏像であること以外に、作者の名前も、法隆寺以前の所在も不明の、謎めいた仏像なんですね。
しかし、その痩身の優雅な佇まいは見惚れるほど美しいです。信仰の対象と言うにはあまりにも造形物として完成された美しさを持っています。
「日本」展示室は2室から構成されており、奥の部屋には陶芸の人間国宝であった富本憲吉の作品や、水木しげるの漫画も展示されていました。因みに富本憲吉は英国留学経験もあるのですね。
今後は中国の国際社会における存在感が増すのに従い、大英博物館でも中国関連の展示物が増えて行くのでしょうね。それを予感させる達筆な「書」(寄贈品でした)が、「日本」展示室近くの部屋に展示されていました。
今回、息子への土産に、添乗員さんから教えていただいた「ロゼッタ・ストーン型のUSBメモリ」を買い求めました。とてもユニークな形で、息子にも喜んで貰えました。
確か12£(商品価格9.99£+VAT2£)でしたから、日本円に換算すると2,300円位になってしまいますが、話のネタとしても面白いし、土産物代までケチケチしていたら、それこそ侘しくなってしまいますよね。
調べてみると、なんとアマゾンでも販売していて、3,150円の値がついていました。もしかして、アマゾンで手に入らない物なんて殆どないのではないか?恐るべしアマゾン…
この後、地下鉄の最寄駅目指して大英博物館を後にしたのですが、ここで駅が見つからず、予想外に時間を費やしてしまいました。覚えている限りでは、昔は最寄の駅を見つけるのにそれほど苦労しなかったのに、今回はなぜ、そうなってしまったのか?実は高層ビルの建築工事で、駅がその背後に隠れて見えなくなっていたのです。意外な落とし穴でした。
漸く駅を見つけ、地下鉄で次の目的地、トラファルガー広場(Trafalgar Sq.)に面したナショナルギャラリー(The National Gallery)へ。
この日はあいにくの天気で、地下鉄の駅から地上に出ると、傘を差さずにはいられない程の雨でした。その為、ナショナル・ギャラリーの外観は残念ながら撮影できず。
代わりにナショナル・ギャラリーの玄関口から、正面のトラファルガー広場で一際目立つネルソン提督像を撮影しました。世界には歴史的英雄像が数多ありますが、これほど高い位置から人々を見下ろす英雄像は他にないのでは?大英帝国の威信のようなものを感じます。
さて、ナショナル・ギャラリー訪問は、私達夫婦にとって、今回のロンドン観光の目玉とも言うべきものでした。本当はロンドンにあと1週間位はいたかった!行きたいところ、見たいものは沢山あったのですが、実質半日の自由時間では殆ど諦めざるを得ません。これも次回のお楽しみと言うことで、次の再訪までとっておきましょう
ナショナル・ギャラリーにも既に何度も来ていますが、何度来ても飽きません。どちらかと言えば、大英博物館よりもナショナル・ギャラリーの方が好きなくらいです。ここも入館料無料なんて凄すぎます!(ここと比べてしまうから、地方の有料博物館の入館料がバカ高く思えてしまうのでしょう)
最近読んだ本によれば、ライフネット生命の創業者でCEOの出口治明氏は、前職でロンドン駐在時、近くの事務所から毎日のようにここに通い詰めたことで職員と親しくなり、その職員の伝で、なんと
ナショナル・ギャラリーの理事長(館長?)と会食する機会を得たのだとか。これも入館料が無料で気軽に足を運べることと無関係ではないはずです。
現地ガイドさんの話では、つい最近まで職員のストライキで、かなりの数の展示室がクローズになっていたらしいのですが、今回訪れた時にはストライキもなく、一部の部屋のみが工事でクローズしていただけでした。これは本当にラッキーでした
15世紀にフランドルで活躍した画家ディーリック・バウツの《茨冠のキリスト像》。国立西洋美術館に、彼に近しい画家の作品があります。画風がそっくりです。

【参考作品】国立西洋美術館にあるfollowerのキリスト像。しかし、こうして並べて見ると、バウツ作品に比べ身体のバランス(顔の大きさ、手の小ささ)の悪さが目に付きます。改めてバウツの巧さに気づかされます。

仕事柄?気になるのが、やっぱりギャラリートーク。これは一般成人向けのようです。

これもギャラリートークの様子。これは学生向けのようで、制服姿の賢そうな男の子達(おそらく中学生?)が、活発にトーカーと意見のやりとりをしていました。レンブラントの絵が見えます。


実は同時間帯に別の私服の高校生らしきグループを対象としたギャラリートークも見かけたのですが、こちらは生徒達からあまり意見も出ず、最後列の女の子に至ってはスマホをいじって遊んでいる等、鑑賞態度に大きな差が見られました。何処も学力差(ひとつには児童生徒を取り巻く環境の違いによって生じる学習意欲の差)の問題があるようです。
レンブラントの自画像。若い頃から自画像を描き続け、自分自身と向き合い続けたレンブラント。遺された自画像群は、彼のその時々の心の在りようまで描出しているかのようです。

言わずと知れたモネの《睡蓮》。彼は自邸の日本庭園の睡蓮を春夏秋冬、明け方から夕暮れまで繰り返し描き、実に200枚以上の作品を遺しています。おかげで、私達は世界の主だった美術館で、彼の"とある瞬間の"《睡蓮》を見ることが出来るのです。

スーラの作品にも人だかり。点描画法による「明朗な色彩」(極力混色をしないので、絵の具本来の明度が保たれる)と「静的な趣」(逆に点描は"動き"を表現するのは不得手)。描かれているのは19世紀フランスの人々の休日のひとコマ(産業革命による新興ブルジョワ階級の台頭と鉄道の郊外への延伸による人々の休日の過ごし方の変化)。その視覚的心地よさに、人々は目を奪われるのでしょうか?

ゴッホはここでもやっぱり人気。

ゴッホの《蟹》。食べたいと言うより、いつまでも見ていたい。

ルノワールの《裸婦像》。その青みがかった色彩が目をひきました。まだ彼の裸婦像の最大の特徴とも言える過剰なまでの豊満さも見えず、薔薇色の肌でもなく、「青い果実」を感じさせる裸婦像です。

カラヴァッジオの作品もこんなに数多く(まだ別の部屋にも。そこはあいにくクローズ中でしたが)…1点ぐらい、日本の国立西洋美術館に分けて欲しいです。来年、その国立西洋美術館で『カラヴァッジオ展』が開催される予定なのですが、ここからも何点か来るのでしょうか?来ると良いな


実はこの日の朝、メインで使っていたサイバーショット携帯のカメラが不具合を起こして使えなくなり、やむなくコンデジを使ったのですが、不慣れなせいかピンボケ等の失敗が多く、ランチの写真も使えませんでした。
ランチはツアーとは別行動だったので、ナショナル・ギャラリーのカフェでサンドイッチとミルクティーで簡単に済ませました。後でツアーメンバーに伺ったら、この日のランチのローストビーフもデザートも美味しかったそうで、食べてみたかったなとは思いましたが、限られた時間で自分が優先したかったのはナショナル・ギャラリーで絵を見ることだったので後悔はしていません。
2年前パリのルーヴル美術館に行った時は6時間近い滞在でも、展示室の半分ほどしか見られなかったのですが(それだけ巨大
)、今回は昼食も含め3時間半の滞在で、開いている展示室は全て見ることができました。特に気に入っている作品はじっくり見る余裕もありました。この日一番のメインイベントは無事終了!
この後は地下鉄でオックスフォード・サーカス(Oxford Circus)駅まで移動し、ロンドンきっての目抜き通りリージェント・ストリート(Regent st.)に出ました。
そこからピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)まで歩きながら、適宜通り沿いの店に入って買い物をしました。
最初に入ったのは、写真の中で赤いフラッグが2つ並んだ有名トイ・ストア"ハムレイズ(Hamlays)"です。この店も訪れたのは23年ぶり!懐かしさでいっぱいでした。以前は幼い息子の為でしたが、今回は自分の為に訪れました。
お目当ては、この店オリジナルのテディベア。そして選んだのが以前にもブログに登場したパウロです。もうすっかり我が家の一員です。
ハムレイズにはオリジナルのテディベアだけでも40種類?はあり、最も高価な物は地元のテディベア職人の年配女性が一から手作りした物で、価格も数万円相当はしたと記憶しています。
私は手頃な価格(30£位)とかわいらしさで、我が家に新しく迎えいれるテディベアを丹念に選びました。工場で作られているであろう同じ商品でも顔の出来に大きな差があり、数ある中から出来るだけ整った顔立ちのかわいらしいテディベアを選び出しました。
その様子を傍で見ていた若い黒人の店員さんが「新しい家族になるんだものね。一生懸命選ぶよね」と笑顔で話しかけて来ました。ここでも店員さんが楽しそうに働いていたのが印象的。

次いで、やはり久しぶりに"オースチン・リード本店(Austin Reed)"を訪れ、夫の秋冬物のジャケットを購入しました。
ここではレジを担当していた若い女性が、私達が日本人と知ると、しきりにある言葉を繰り返すのですが、どうにも聞き取れない。それで彼女が紙に文字を書いて、漸く彼女が何を言いたかったのかが分かりました。
彼女はブラジル人で、子どもの頃、本国で日本発祥の塾「KUMON」で算数を学んだ経験があるのだとか。そのおかげで彼女は大学を出て、ロンドンで仕事を得ることが出来たと言うのです。意外なところで、日本人であることに親しみを感じて貰えたことに、不思議な巡りあわせを感じました。
今回のロンドン訪問では、ホテルのフロントでルーマニア人の若い女性が働いている等、仕事を求めて世界中から若い人々が集まっている国際都市ロンドンの姿を、目の当たりにしたように思います。
最後は"フォートナム&メイソン本店(Fortnum & Mason)"に寄って、オリジナルのショートブレッドを買いました。ここもまた、店内のレストランで食事をした懐かしい場所です。
写真はロンドンのフォートナム&メイソン本店で買った英国伝統のお菓子ショートブレッドとバーミンガムのスーパーマーケット、モリソンで買ったポテトチップス。どちらも美味しかったです

思い返せば、あっという間の自由時間でした。この後、オプショナルツアーに参加したツアーメンバーとピカデリー・サーカスで合流し、英国滞在最後の夕食を、すぐ近くの中華街でいただいたのでした。円卓を囲んでツアーメンバーとも話が弾み、料理の写真を撮るのも忘れてしまいました。ひととおりの中華のコースメニュ−で中々美味しく、ボリュームも十分でした。
因みにオプショナルツアーのウィンザー城見学は、往復の移動で2時間余りを費やし、現地到着後も飛行機搭乗時並みのセキュリティ・チェックで入場に手間取り、20室近い部屋を現地ガイドに従って駆け足で見学したとかで、かなり疲れたと皆さん仰っていました。
今回、限られた時間の中で、ウィンザー城までの移動に2時間以上費やすのがもったいないと思いましたし、せっかくロンドンに来ているのでナショナル・ギャラリーにも行きたい、買い物もしたいと言う思いが強く、ツアーから一時離れたのですが、私達夫婦にとってはこれが正解だったようです。
英国最後の夜、3軒目のホテルの部屋にて。この日、ハムレイズで買ったパウロが新たに加わりました。このホテル、盗難防止策なのか、備品のことごとくがコードで部屋に繋げられていました

今回のツアーは所謂"弾丸ツアー"でしたが、それでも久しぶりに訪れる英国には新たな発見があり、いろいろ思うこともあり、私としては十分満足の行く旅となりました。次回はロンドンに是非、少なくとも1週間位は滞在したいですね。いつになるか分かりませんが…
旅はやはり良いものですね。特に主婦にとっては旅に出ないと完全な休日はあり得ないので、今回の旅でかなり気分がリフレッシュできました。夫に感謝
さらにもう一人感謝したい人が!10年前に、写真の1£コインを私にくれたインド系英国人のおじさん。息子との英国旅行で、最終日に夫への土産にウィスキーを買った空港の免税店の店主で、支払いを済ませた私に彼は1£を差し戻し、「これは私からのプレゼント。この1£が、きっとあなたを再び英国に導いてくれるよ」と言ってウィンク
されたのです。心憎いプレゼントですよね
以来、また英国に行けるようにとの願いを込めて、ずっと財布に入れていました。その間、財布が変わっても、小銭入れの中には常にこの1£を。願いって通じるものですね。
こういう人との出会い、物との出会い。これも旅の醍醐味だと思うのです。次の旅ではどんな出会いがあるのか、想像するだけで胸がワクワクします。
2005年発行の1£コイン。私と英国を繋ぐ大事な宝物

(終わり)〜最後までお読み下さり、ありがとうございました。
今回は午後のオプショナルツアーの「ウィンザー城観光」が無料キャンペーンと言うことで、私達を含む2組の夫婦以外のツアーメンバーは皆さん、オプショナルツアーに参加されたようです。
私達は久しぶりのロンドンを夫婦水入らずで過ごしたかったので、添乗員さんに「離団届」を提出し、この日最初の訪問地、大英博物館(British Museum)に到着後、ツアーから離れました(「離団届」とはツアーから離れて単独行動する際に提出するもので、その旨申し出れば、添乗員さんから届出用紙をいただけます。用紙には離団時の行動予定を明記して添乗員さんに提出。離団中に起きたトラブルは基本的に自己責任となります)。
世界に名だたる大英博物館(British Museum)。Wikiに「世界最大の博物館の一つで、古今東西の美術品や書籍や略奪品など約800万点が収蔵されている(うち常設展示されているのは約15万点)。」と明記されているのが、何だかあまりにも直截的と言うか皮肉っぽくて笑えます。

大英博物館は、ロンドン市内の主だった公立博物館、美術館と同様に、入館料は基本的に無料です。その代わり、通常の博物館や美術館にあるような無料のパンフレットはありません。館内地図が2£、館内ガイド冊子が5£で売られています。さらに寄付という形で入館者に5£を募っています(もちろん、強制ではありません)。
大英博物館にはこれまで何度も訪れており、定番のコースはサラッと流して、今まで見逃していた「日本展示室」を今回は見ることにしました。
まずは大英博物館の代名詞とも言えるロゼッタ・ストーン(Rosetta Stone)。23年前に初めて見た時には現在のようなガラスケースには収められておらず、剥き出しの状態で少し傾斜をつけて横倒しに展示されていました。
写真は23年前のロゼッタストーン展示の様子。上から覗き込むようにして見ることが出来ました。この時、感動のあまり、ミュージアムショップで結構高価なレプリカを購入してしまいました。
と言うのも、小学生の頃、フランス人のシャンポリオンが、このロゼッタス・トーンを解読した経緯を本で読んだことがあり、以来、ロゼッタ・ストーンをこの目で見ることが、私の数多くある夢の中のひとつだったのです(このロゼッタ・ストーンの解読が、エジプトの古文書で広く用いられていたヒエログリフ解読のきっかけとなり、エジプト考古学の発展に繋がったと言われています)。

ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院のミケランジェロ作《ピエタ》も、27年前に初めて見た時には剥き出しの状態で寺院内に設置されていましたが、その後、残念なことに心ない人物によって疵つけられる事件が発生し、以来、ガラスケースに収められるようになってしまいました。
展示品保護の為とは言え、ガラス(透明アクリル?)ケースに収められることによって、展示品と来館者との距離が広がったような失望感は拭えません。
ロゼッタ・ストーンの前にはいつも大勢の人だかり。それだけに写真はまだしも、ビデオ撮影は後ろで待っている大勢の人々のことを考えて止めて欲しいところ。今回人迷惑なビデオ撮影をしていたのが日本人で(暫くロゼッタ・ストーンの前に陣取って動かず、後ろで待っている人々から軽蔑の眼差しで見られていた)、同じ日本人として凄く恥ずかしかった。

古代アッシリア遺跡を前に。

有名なアッシュールバニパル王の宮殿にあったと言われる《ライオン狩りのレリーフ》。ライオン狩りは王のスポーツで権威の象徴であったらしい。王の勇猛さをレリーフで表現したのでしょうね。

大英博物館の「日本」展示室。東洋の一国で、展示にこれだけのスペースが割かれているのは珍しいのではないでしょうか?極東の小さな島国に世界を刮目させる多様な文化と特異な歴史が存在していることを示しているようで、そこの出身者としては誇らしいと言うか何と言うか…。しかし、博物館の中でもかなり奥まった所にあるせいか、室内は閑散としていました。個人的には静かな環境で、じっくり見られて良かったですが…

河鍋暁斎の絵。彼の愛弟子であった英国人建築家ジョサイア・コンドルの著作のおかげもあって、故国で忘れ去られていた暁斎は、欧米での人気が逆輸入された形で、日本で再評価されるに至りました。



海外によって、その価値や魅力が再認識されたと言う意味では、浮世絵も同様です。喜多川 歌麿の錦絵。発色が美しい。

縄文〜弥生時代の土器(レプリカ)と共に、手塚治虫の漫画『三つ目がとおる』が展示されていました。

キリシタン禁制令の高札。教科書で写真を見たことはありますが、実物は初めて目にします。



百済観音について調べてみると、飛鳥時代の仏像であること以外に、作者の名前も、法隆寺以前の所在も不明の、謎めいた仏像なんですね。
しかし、その痩身の優雅な佇まいは見惚れるほど美しいです。信仰の対象と言うにはあまりにも造形物として完成された美しさを持っています。
「日本」展示室は2室から構成されており、奥の部屋には陶芸の人間国宝であった富本憲吉の作品や、水木しげるの漫画も展示されていました。因みに富本憲吉は英国留学経験もあるのですね。
今後は中国の国際社会における存在感が増すのに従い、大英博物館でも中国関連の展示物が増えて行くのでしょうね。それを予感させる達筆な「書」(寄贈品でした)が、「日本」展示室近くの部屋に展示されていました。

確か12£(商品価格9.99£+VAT2£)でしたから、日本円に換算すると2,300円位になってしまいますが、話のネタとしても面白いし、土産物代までケチケチしていたら、それこそ侘しくなってしまいますよね。
調べてみると、なんとアマゾンでも販売していて、3,150円の値がついていました。もしかして、アマゾンで手に入らない物なんて殆どないのではないか?恐るべしアマゾン…

この後、地下鉄の最寄駅目指して大英博物館を後にしたのですが、ここで駅が見つからず、予想外に時間を費やしてしまいました。覚えている限りでは、昔は最寄の駅を見つけるのにそれほど苦労しなかったのに、今回はなぜ、そうなってしまったのか?実は高層ビルの建築工事で、駅がその背後に隠れて見えなくなっていたのです。意外な落とし穴でした。
漸く駅を見つけ、地下鉄で次の目的地、トラファルガー広場(Trafalgar Sq.)に面したナショナルギャラリー(The National Gallery)へ。

代わりにナショナル・ギャラリーの玄関口から、正面のトラファルガー広場で一際目立つネルソン提督像を撮影しました。世界には歴史的英雄像が数多ありますが、これほど高い位置から人々を見下ろす英雄像は他にないのでは?大英帝国の威信のようなものを感じます。
さて、ナショナル・ギャラリー訪問は、私達夫婦にとって、今回のロンドン観光の目玉とも言うべきものでした。本当はロンドンにあと1週間位はいたかった!行きたいところ、見たいものは沢山あったのですが、実質半日の自由時間では殆ど諦めざるを得ません。これも次回のお楽しみと言うことで、次の再訪までとっておきましょう

ナショナル・ギャラリーにも既に何度も来ていますが、何度来ても飽きません。どちらかと言えば、大英博物館よりもナショナル・ギャラリーの方が好きなくらいです。ここも入館料無料なんて凄すぎます!(ここと比べてしまうから、地方の有料博物館の入館料がバカ高く思えてしまうのでしょう)
最近読んだ本によれば、ライフネット生命の創業者でCEOの出口治明氏は、前職でロンドン駐在時、近くの事務所から毎日のようにここに通い詰めたことで職員と親しくなり、その職員の伝で、なんと

現地ガイドさんの話では、つい最近まで職員のストライキで、かなりの数の展示室がクローズになっていたらしいのですが、今回訪れた時にはストライキもなく、一部の部屋のみが工事でクローズしていただけでした。これは本当にラッキーでした

15世紀にフランドルで活躍した画家ディーリック・バウツの《茨冠のキリスト像》。国立西洋美術館に、彼に近しい画家の作品があります。画風がそっくりです。

【参考作品】国立西洋美術館にあるfollowerのキリスト像。しかし、こうして並べて見ると、バウツ作品に比べ身体のバランス(顔の大きさ、手の小ささ)の悪さが目に付きます。改めてバウツの巧さに気づかされます。

仕事柄?気になるのが、やっぱりギャラリートーク。これは一般成人向けのようです。

これもギャラリートークの様子。これは学生向けのようで、制服姿の賢そうな男の子達(おそらく中学生?)が、活発にトーカーと意見のやりとりをしていました。レンブラントの絵が見えます。


実は同時間帯に別の私服の高校生らしきグループを対象としたギャラリートークも見かけたのですが、こちらは生徒達からあまり意見も出ず、最後列の女の子に至ってはスマホをいじって遊んでいる等、鑑賞態度に大きな差が見られました。何処も学力差(ひとつには児童生徒を取り巻く環境の違いによって生じる学習意欲の差)の問題があるようです。
レンブラントの自画像。若い頃から自画像を描き続け、自分自身と向き合い続けたレンブラント。遺された自画像群は、彼のその時々の心の在りようまで描出しているかのようです。

言わずと知れたモネの《睡蓮》。彼は自邸の日本庭園の睡蓮を春夏秋冬、明け方から夕暮れまで繰り返し描き、実に200枚以上の作品を遺しています。おかげで、私達は世界の主だった美術館で、彼の"とある瞬間の"《睡蓮》を見ることが出来るのです。

スーラの作品にも人だかり。点描画法による「明朗な色彩」(極力混色をしないので、絵の具本来の明度が保たれる)と「静的な趣」(逆に点描は"動き"を表現するのは不得手)。描かれているのは19世紀フランスの人々の休日のひとコマ(産業革命による新興ブルジョワ階級の台頭と鉄道の郊外への延伸による人々の休日の過ごし方の変化)。その視覚的心地よさに、人々は目を奪われるのでしょうか?

ゴッホはここでもやっぱり人気。

ゴッホの《蟹》。食べたいと言うより、いつまでも見ていたい。

ルノワールの《裸婦像》。その青みがかった色彩が目をひきました。まだ彼の裸婦像の最大の特徴とも言える過剰なまでの豊満さも見えず、薔薇色の肌でもなく、「青い果実」を感じさせる裸婦像です。

カラヴァッジオの作品もこんなに数多く(まだ別の部屋にも。そこはあいにくクローズ中でしたが)…1点ぐらい、日本の国立西洋美術館に分けて欲しいです。来年、その国立西洋美術館で『カラヴァッジオ展』が開催される予定なのですが、ここからも何点か来るのでしょうか?来ると良いな



実はこの日の朝、メインで使っていたサイバーショット携帯のカメラが不具合を起こして使えなくなり、やむなくコンデジを使ったのですが、不慣れなせいかピンボケ等の失敗が多く、ランチの写真も使えませんでした。
ランチはツアーとは別行動だったので、ナショナル・ギャラリーのカフェでサンドイッチとミルクティーで簡単に済ませました。後でツアーメンバーに伺ったら、この日のランチのローストビーフもデザートも美味しかったそうで、食べてみたかったなとは思いましたが、限られた時間で自分が優先したかったのはナショナル・ギャラリーで絵を見ることだったので後悔はしていません。
2年前パリのルーヴル美術館に行った時は6時間近い滞在でも、展示室の半分ほどしか見られなかったのですが(それだけ巨大


そこからピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)まで歩きながら、適宜通り沿いの店に入って買い物をしました。
最初に入ったのは、写真の中で赤いフラッグが2つ並んだ有名トイ・ストア"ハムレイズ(Hamlays)"です。この店も訪れたのは23年ぶり!懐かしさでいっぱいでした。以前は幼い息子の為でしたが、今回は自分の為に訪れました。
お目当ては、この店オリジナルのテディベア。そして選んだのが以前にもブログに登場したパウロです。もうすっかり我が家の一員です。
ハムレイズにはオリジナルのテディベアだけでも40種類?はあり、最も高価な物は地元のテディベア職人の年配女性が一から手作りした物で、価格も数万円相当はしたと記憶しています。
私は手頃な価格(30£位)とかわいらしさで、我が家に新しく迎えいれるテディベアを丹念に選びました。工場で作られているであろう同じ商品でも顔の出来に大きな差があり、数ある中から出来るだけ整った顔立ちのかわいらしいテディベアを選び出しました。
その様子を傍で見ていた若い黒人の店員さんが「新しい家族になるんだものね。一生懸命選ぶよね」と笑顔で話しかけて来ました。ここでも店員さんが楽しそうに働いていたのが印象的。

次いで、やはり久しぶりに"オースチン・リード本店(Austin Reed)"を訪れ、夫の秋冬物のジャケットを購入しました。
ここではレジを担当していた若い女性が、私達が日本人と知ると、しきりにある言葉を繰り返すのですが、どうにも聞き取れない。それで彼女が紙に文字を書いて、漸く彼女が何を言いたかったのかが分かりました。
彼女はブラジル人で、子どもの頃、本国で日本発祥の塾「KUMON」で算数を学んだ経験があるのだとか。そのおかげで彼女は大学を出て、ロンドンで仕事を得ることが出来たと言うのです。意外なところで、日本人であることに親しみを感じて貰えたことに、不思議な巡りあわせを感じました。
今回のロンドン訪問では、ホテルのフロントでルーマニア人の若い女性が働いている等、仕事を求めて世界中から若い人々が集まっている国際都市ロンドンの姿を、目の当たりにしたように思います。
最後は"フォートナム&メイソン本店(Fortnum & Mason)"に寄って、オリジナルのショートブレッドを買いました。ここもまた、店内のレストランで食事をした懐かしい場所です。
写真はロンドンのフォートナム&メイソン本店で買った英国伝統のお菓子ショートブレッドとバーミンガムのスーパーマーケット、モリソンで買ったポテトチップス。どちらも美味しかったです


思い返せば、あっという間の自由時間でした。この後、オプショナルツアーに参加したツアーメンバーとピカデリー・サーカスで合流し、英国滞在最後の夕食を、すぐ近くの中華街でいただいたのでした。円卓を囲んでツアーメンバーとも話が弾み、料理の写真を撮るのも忘れてしまいました。ひととおりの中華のコースメニュ−で中々美味しく、ボリュームも十分でした。
因みにオプショナルツアーのウィンザー城見学は、往復の移動で2時間余りを費やし、現地到着後も飛行機搭乗時並みのセキュリティ・チェックで入場に手間取り、20室近い部屋を現地ガイドに従って駆け足で見学したとかで、かなり疲れたと皆さん仰っていました。
今回、限られた時間の中で、ウィンザー城までの移動に2時間以上費やすのがもったいないと思いましたし、せっかくロンドンに来ているのでナショナル・ギャラリーにも行きたい、買い物もしたいと言う思いが強く、ツアーから一時離れたのですが、私達夫婦にとってはこれが正解だったようです。
英国最後の夜、3軒目のホテルの部屋にて。この日、ハムレイズで買ったパウロが新たに加わりました。このホテル、盗難防止策なのか、備品のことごとくがコードで部屋に繋げられていました


今回のツアーは所謂"弾丸ツアー"でしたが、それでも久しぶりに訪れる英国には新たな発見があり、いろいろ思うこともあり、私としては十分満足の行く旅となりました。次回はロンドンに是非、少なくとも1週間位は滞在したいですね。いつになるか分かりませんが…
旅はやはり良いものですね。特に主婦にとっては旅に出ないと完全な休日はあり得ないので、今回の旅でかなり気分がリフレッシュできました。夫に感謝

さらにもう一人感謝したい人が!10年前に、写真の1£コインを私にくれたインド系英国人のおじさん。息子との英国旅行で、最終日に夫への土産にウィスキーを買った空港の免税店の店主で、支払いを済ませた私に彼は1£を差し戻し、「これは私からのプレゼント。この1£が、きっとあなたを再び英国に導いてくれるよ」と言ってウィンク


以来、また英国に行けるようにとの願いを込めて、ずっと財布に入れていました。その間、財布が変わっても、小銭入れの中には常にこの1£を。願いって通じるものですね。
こういう人との出会い、物との出会い。これも旅の醍醐味だと思うのです。次の旅ではどんな出会いがあるのか、想像するだけで胸がワクワクします。
2005年発行の1£コイン。私と英国を繋ぐ大事な宝物


(終わり)〜最後までお読み下さり、ありがとうございました。
2015/10/26
英国旅行4日目 英国旅行(2010年春&2015初秋)

旅行4日目、いよいよ終盤です。観光地巡りはこの日が最終日。ホテルを出発して162kmの道のりを、最初の訪問地であるコッツウォルズ地方で最も古い村カッスルクーム(Castle Combe)目指して行きました(写真はバースのバルトニー橋)。

2時間半ほどでカッスルクームの駐車場に到着。ここから村へは15分ほど徒歩で坂を下ります(写真は駐車場付近にあった看板)。
添乗員さんからも、坂道の往復が少し大変だとの話があり、ツアーメンバーでもご年配で脚力に不安のある方は、バスの中で待機されることになりました。
私自身、住んでいる地域は平坦地で坂が全然無く、普段の生活で坂道を歩く機会は殆どないので、行きはまだしも帰りの上り坂を上れるのか一抹の不安を覚えました(ただし、こうしたケースでは文句を言いながらも夫がいつも手を引いてくれるので、どうにかクリアできます

立派な茅葺屋根のお宅。

生垣も見上げるような高さ。辺り一帯には霧がかかっていました。

昔の水汲み場。私の地元にも、私が子どもの頃にはまだ似たような施設が残っていました。何だか懐かしい…

豊かな緑に包まれて…空気がヒンヤリとして、清澄で美味しい…

村の中心地に到着。こじんまりとして静かです。ちょうど日曜日の午前中。村の皆さんは教会のミサに参加されているのでしょうか?歩いているのは殆ど観光客?

左手に見える三角屋根が広場の中心にある東屋。古色蒼然としています。右奥に見える塔は聖アンドリュー教会(St. Andrew's Church )。


もちろん、最近建てられた家もあることにはあるらしいのですが、村の景観を損なわないよう、見た目は伝統的な造りにしているそうです。
パブも村の中心地にふたつあるのみ。本当に静かな村です。
下の写真のように、自宅前に自家製のケーキを陳列して販売しているお宅もあるようです。添乗員さんがキャロット・ケーキをひとつ購入して、後でツアーメンバーに振舞って下さったのですが、まさにホームメード・ケーキと言う感じで、素朴な味わいでした。添乗員さん、ごちそうさまでした。


民家の玄関先にたわわに実った葡萄。「えっ?玄関に葡萄?」と思わず二度見



下の写真は暫く歩いて、通りを反対側から見たところ。いやあ、本当に絵になりますね。
添乗員さんの話では、右手にある建物のひとつが、今では冬の寝具として当たり前に使われている毛布を発明したブランケット(Blanket)兄弟が住んでいた家なんだそうです。昔からひざ掛けサイズの羊毛製の寝具はあったそうなのですが、ブランケット兄弟が今日あるようなサイズの物を売り出して、世界的に広く普及したのだとか。
改めてウィキで調べてみたら、「14世紀頃、英国ブリストル(Bristol)在住であったフランドル人(今のベルギーやオランダ辺りでフランス語圏の出身者。フランドルは元々織物業が盛んな地域)のThomas Blanket(Blanquette←フランス語表記)が創始者」とありました。ブリストルとカッスルクームは地理的に近いので、カッスルクームに住んでいたこともあるのかもしれませんね。山(丘?)間にあって冬季は寒そうですから、ここで全身を覆うような毛布が発明されたのも納得です。

村と駐車場の往復を含めて1時間程度でカッスルクーム観光は終了。この後カッスルクームから1時間足らずで、次の訪問地、市街全体が世界遺産に登録されているバース(Bath)に到着しました。
まずは当地の代表的な建築物ロイヤル・クレッセント(The Royal Crescent)です。クレッセントは三日月を意味し、三日月のような美しい弧を描いたこの建物は1767〜74年にかけてジョン・ウッド(John Wood)父子が手がけたものです。
バース近郊で採れる乳白色の石を使い、114本のイオニア式円柱が並ぶ、パッラーディオ様式のその姿は壮観です。ウッド父子はバースを拠点に活躍した建築家で、郵便事業で財を成した大富豪ラルフ・アレンをパトロンにウッド父子の都市計画のもと、今日のバースの街並みが作られたのだそうです。
ロイヤル・クレッセントの中には、建物が作られたジョージ王朝時代の生活を今に伝える博物館、ナンバー・ワン・ロイヤル・クレッセント(No.1 Royal Crescent)やバース屈指の高級ホテル、ロイヤル・クレッセント・ホテル(The Royal Crescent Hotel)もあるようです。しかし、私達ツアーは時間が限られているので、前庭でフォト・ストップのみ

ロイヤル・クレッセントが大き過ぎて、私のカメラのフレームには到底収まりません。脳内で上下の写真を左右に繋げて下さい



違う角度から見たロイヤル・クレッセント。

ロイヤル・クレッセント近くにあった見事な花壇。


なぜか昼食の写真は下の一枚きりです。豆のスープが出たような気がするのですが、記憶が定かではありません。
写真の料理はコテージ・パイ(A Cottage Pie)と呼ばれる物で、やはり英国の伝統的な料理のひとつのようです。パイ生地に包まれたわけでもないのになぜパイ?と不思議だったのですが、帰国後調べてみたら、本来のコテージ・パイとは似ても似つかぬ料理だったようで、これもガッカリ料理のひとつに加えたいと思います。
コテージ・パイとは小麦粉の代わりにポテトをパイ生地に用いた、元々貧しい人々の為の食事がルーツらしく、その名の「コテージ」は貧しい人々が暮らす「Cottage=小屋」から来ているようです。一般に挽肉と野菜の煮込みをマッシュポテトのパイ生地で覆ってオーブンで焼く料理を指すようです。
バースで食べた料理は材料こそ同じような物を使っていましたが、手抜きもいいところ。ミートソースにマッシュポテトが申し訳程度に載っているだけ、と言う代物でした。参考までに本格的なコテージ・パイのリンクを下記に貼り付けておきます。
まあ、これも所詮格安ツアーなんだからと言ってしまえばそれまでですが…


食後は再び観光の為、バース市中心部へ。バース大聖堂(Bath Abbey)です。やはり巨大過ぎて、フレームに収まりません。
創建は757年と古く、973年にはここでイングランドを統一したエドガー王が戴冠式を行ったとされる由緒ある教会です。現存する大聖堂は、ローマ・カトリックと袂を分かったヘンリー8世が修道院解散を言い渡す直前の1499年に建てられ、1617年に漸く完成を見たゴシック様式建築だそうで、英国でも数少ない中世の教会建築を代表するものとなっているようです。堂々たる世界遺産と言えます。


大聖堂のすぐ傍に、古代ローマ遺跡を復元したローマン・バス(The Roman Bath)もあるので、常に大聖堂前の広場は観光客をはじめ多くの人々でごった返しています。今回そうした観光客からのチップを当て込んだ大道芸も見られました。以前同様の芸をイタリアのフィレツェでも見かけた覚えがあり、その時ほどのインパクトはありませんでした。とは言え、ずっと静止した状態を保つのは大変だと思います。緊張すると、すぐ背中が痒くなる私には絶対無理(笑)!

実はバースも20年以上前に、当時英国に駐在していた友人夫婦の案内で来たことがあります。覚えている限りでは、その時には大聖堂の中央のドアが開け放たれていて、中を自由に見学できました。聖堂内にパイプオルガンによる荘厳なミサ曲が響き渡り、感動したのを覚えています。
ところが、今回訪れたのはキリスト教徒にとって大事な祈りの日である日曜日。中央のドアは堅く閉ざされ、ミサの時間帯でなければ左側のドアから入ることも可能だったのですが(その際は受付で入場料代わりに5£の寄付をします。以前来た時には受付などなく、自由に入れたのですが…)、私達の自由行動の時間はあいにくミサが行われていた時間帯と重なってしまったので、中を見学することが出来ませんでした。とても残念です

まあ、すべて思い通りに行くとは限らないのが旅行なわけで…
ローマン・バス(The Roman Bath)です。

紀元前1世紀にローマ人によって建てられたと言うこの大浴場(これ以外にも諸説あります)。以後、数百年に渡り浴場として使われたらしいのですが、5世紀頃のローマ軍の撤退により荒廃し、最後は洪水で泥に埋もれてしまったそうです。それが18世紀以降、当地で数々の遺物が発掘されてからは復元が進み、現在は博物館として往時の様子を伝えています。アルプス以北で最も保存状態の良いローマ遺跡と言われているそうです。


博物館に隣接して、前出のジョン・ウッド父子によってパンプ・ルーム(Pump Room)と呼ばれる施設が18世紀初頭に建てられ、温泉目当てで当地を訪れた上流階級の社交場として大いに人気を博したそうですが、現在は誰もが利用できるカフェ・レストランになっています。その脇を偶然通ったのですが、ほぼ満席の賑わいでした。
博物館の入館料は14£(以前に比べてかなり値上がりした印象

この後、1時間の自由行動。ここでもツアーメンバーの殆どは添乗員さんと共に買い物へ。私達はまた別行動で、バースの街をブラブラ歩くことにしました。途中で海外駐在時代から馴染みのシューズ・ブランドECCOの店を見つけたので入ってみました。以前コメント欄にも書きましたが、夫は日本人離れした(長くて細め)足のサイズの持ち主なので、日本ではなかなか彼の足に合った靴がありません。今回は機会があれば彼の靴を買いたいと思っていたので、ECCOの店を見つけたのは正に渡りに船でした。
ECCOは日本でも営業展開していますが、日本で取り扱っているサイズは28cmまで。ネット通販で海外販売品を買うことも可能ですが、かなり高い価格設定となっています。今回はビジネス・シューズを120£で購入。30£以上の商品は空港で出国前に手続きすればTAX Refundが適用されるので、実質96£程度になるはずです。これは為替レートを勘案しても、妥当な価格です。もちろん、カードで購入です。

バルトニー橋を正面やや遠くに望むことができるベンチに腰掛け、昼下がりのバースで夫婦ふたりノンビリ過ごしました。公園、大好きなんですよね

冒頭と左の写真はそこから、バルトニー橋を撮ったものです。
調べたところでは、バルトニー橋はロイヤル・クレッセントとほぼ同時期に完成した橋で(と言う事は、この頃はバースが都市として大きく発展を遂げた時期だったのでしょう)、対岸の開発を進める為に、地元の大地主で政治家のウィリアム・バルトニー主導の下、イギリスの新古典主義建築の第一人者ロバート・アダムの設計で造られたアーチ橋とのこと。
上部には建物が据えられ、橋の両端は店舗が並んでいるので一見すると普通の商店街にしか見えず、離れて見ない限り橋とは分からないそうです。フィレンツェのベッキオ橋と同じ形態でしょうか?
かなり人気のある橋なのか、私達がベンチに腰掛けている間にも、橋を背景に記念撮影したり、橋そのものを撮る人が絶えませんでした。偶然辿りついた場所でしたが、確かにそこは景観美しいバルトニー橋を望む最高のポイントだったと思います。

12世紀前半にジェフリー・オブ・モンマスによってラテン語で記された偽史書『ブリタニア列王史』(←今では地域の伝承を織り交ぜたモンマスの創作とされていますが、18世紀頃までは信憑性のある歴史書と思われていたんだとか)の中の「当地に最初に風呂を作ったブリトン王、ブラドッドと彼のハンセン病に罹った豚たちが、当地の暖かい泥に浸ることで治癒した」と言うエピソードに基づいて作られたと思われる彫刻作品もありました。来歴を知らなければ、「何だ、これは?」な作品ですね(笑)。

この後、集合場所の大聖堂前広場に戻り、ツアー一行はバスで一路ロンドンへと向かいました。
宿泊先のロンドンのホテルへ向かう途中、ロンドン郊外のパブで夕食です。夕食を食べたパブ、キングズ・ヘッド(KINGS HEAD).

バーカウンター。

前菜の小エビのカクテルサラダ。濃厚なドレッシングの甘みが結構いけました。

メインディッシュのポークシュチュー、ガーリック・トースト添え。いつも自宅で作っているミネストローネのベーコンが、豚バラの角切り肉に替わっただけの味でした。普通に美味しかったのですが、メインにしては量的に少々物足りなかったように思います(昼食があまりにも侘しかったのでお腹がいつも以上に空いていたのかもしれません)。

デザートのなぜか"ベルギーワッフル"、アイスクリーム添え。これも美味しくいただけました。

バスで店を去る時に、わざわざ数人の人が外で見送ってくれました。店の人かと思ったら、偶然居合わせた地元の楽しい馴染み客のおじさん達だったそうです。かわいい…

思い返せば、今回の旅行では、どの場所でも出会う人すべてが誠実な態度で、親切に接して下さったのが印象的でした。それが旅行の楽しさを倍加させてくれたのだと思います。また、あえて書いてはいませんでしたが、食事の度に同席下さったツアーメンバーの方々のお人柄も、少々不味い料理さえ笑い話に変えてくれるような温かさがありました。ふと「旅は人なり」(旅の楽しさは人との出会い)と言う一文が思い出されました。
写真はロイヤル・クレッセントに程近い場所にある、(ラテン語が語源の)「サークル」と呼ばれる円形広場(英国<欧米?>には他に「スクエア」と呼ばれる四辻の方形広場があります)沿いに建つ集合住宅。広場の円形に沿って建物も湾曲しているんですね。手前のお宅は英国ではよく見られる半地下部分が、少し広めの前庭になっていて花々が美しいです。
一塊になっているツアーメンバーの視線の先には、ハリウッドの有名俳優ニコラス・ケイジの別宅があるらしい…有名人は有名税とは言え、衆目に晒されて大変です。おそらく、この日、彼はいなかったとは思いますが…

いよいよ英国滞在も残すところ後1日です。
2015/10/22
英国旅行3日目 英国旅行(2010年春&2015初秋)
英国旅行3日目です。旅行も中盤となりました。観光できるのも後3日かと思うとちょっと寂しいです。この日は朝からあいにくの曇り空。
バスでホテルを出発して1時間足らずで、この日の最初の訪問地ストラトフォード・アポン・エイヴォン(Stratford-upon-Avon)へ到着。
ここは英国の文豪ウィリアム・シェイクスピア(William・ Shakespeare)(1564-1616)が生まれ、そして亡くなった町です。その為、この町にはシェイクスピアゆかりの場所が幾つもあります。今回はその内の3か所を訪れました。
来年はシェイクスピア没後400年を迎えますが、きっと記念行事が目白押しなんでしょうね。
一方で、シェイクスピアは英文学史上最も偉大な作家でありながら、彼が残した数多くの戯曲以外、彼の生涯に関する確かな資料(手紙や日記も未だ発見されていない)が少ない為、謎の多い作家とも言われています。2011年には、彼の名を借りて時の政治を揶揄する、貴族出身のゴーストライターが存在した、と言う設定で映画も作られました。
映画:『もうひとりのシェイクスピア』←ストーリーは荒唐無稽ながら、時代設定は細部に至るまで丁寧に作り込まれており、結構楽しめました。
最初に訪れたのは彼が洗礼を受け、死後、埋葬されたホーリー・トリニティ教会(Holy Trinity Church;直訳すると聖三位一体教会)。13世紀に建てられたと言う歴史ある教会は、写真の木立の奥に静かに佇んでいました。
教会内のステンドグラス。美しいです。拡大部分は「キリスト磔刑」図ですが、キリストの足下で跪いて、キリストを見上げているのは、手元に赤い香油壺らしき物が描かれていることから、マグダラのマリアで、その左に見えるのは聖母マリアと、キリストの死後に聖母マリアの世話するよう言いつかった最も年少の弟子ヨハネ(赤いマント姿)でしょうか?一方、右には鍵を手にした弟子のペテロと、書物とペンを手にした弟子のマタイ?の姿も見えます。

主祭壇の前にあるシェイクスピアの墓標。左側の壁の上部には、シェイクスピアの死後、彼の友人達が贈ったと言う彼の胸像もありましたが、写真がピンボケでアップできず
ロンドンのウエストミンスター寺院(Westminster Abbey)もそうですが、高名な人物の墓は外の墓地ではなく教会内部の主祭壇の近くにあるんですね。やはり特別な存在として位置づけられているのでしょうね。

教会には信徒用の小集会室もありました。ここで聖書の勉強会などをするのでしょう。

次に訪れたのはシェイクスピアの生家(Shakespeare's Birthplace)…と言っても、今回はフォト・ストップで外観のみ。生家は町の中心地ヘンリー・ストリート(Heley St.)沿いにあります。周辺はいつも大勢の観光客で賑わっているようです。
今回のツアーには残念ながら入館料が含まれていないので、入館するならば個人で支払うことになるのですが、入館料がなんと15.90£
。為替レートのせいもありますが、日本円で3,000円ですよ。時間も限られているし、実は22年前に訪れた時に中も見学したので今回は見送りました。個人で訪れて時間もたっぷりあるのなら、それだけ払っても見るとは思いますが…

以前ここを訪れた時の楽しい思い出がひとつ。1歳半の息子を連れて中庭にいたところ、ロンドンから同じバスツアーに参加していた米国人の7歳の女の子(シャロンちゃん)が息子のことをいたく気に入って、「かわいい。すごくかわいい。ハグしたい。家に連れて帰りたい」とまで言いました。そして一緒に写真に納まっただけでなく、別れ際に息子へのプレゼントだと言って、その場で絵を描いてくれました。その絵は今でも写真と共にアルバムに収まっています。
あの時1歳半だった息子も今や24歳。シャロンちゃんは29歳位になっているのでしょうか?

その後1時間ほど町中の自由散策の時間に充てられました。ツアーメンバーの殆どは添乗員さんと共にマークス&スペンサーへ買い物に、夫と私は一行から離れて、22年ぶりに訪れた町をふたりで当てもなくぶらぶら。
私の記憶が正しければ、昔と同じ場所にローラ・アシュレイの店を発見(笑)。前回来た時にはここでブルーの花柄のブラウスを購入。今回はたまたま夏物のセールだったので、ブルー系の花柄とペイズリー柄がバランス良くミックスされたストールを3割引きで購入。早速後日、首元が冷える旅先で使いました。
エイヴォン川のほとりで。幾つもの遊覧船が停泊していました。

以前の設置場所(劇場)が火災に遭い、やむなくこの公園に移設されたらしい、シェイクスピアの戯曲に登場する人物の像と共に。夫の視線の先にはエイヴォン川が流れています。

たまたま近くにいらしたツアーメンバーのご主人が写真を撮って下さると仰ったので、珍しく夫婦で一緒に写真に納まりました。シェイクスピアの像を背景に。

この後バスでシェイクスピアの妻アン・ハサウエイの実家(Ann Hathaway's Cottage)へ移動…と言っても、ここも今回はフォト・ストップのみで、前回の訪問で内部は見学済みなので、これで良しとします。
アン・ハサウエイと言えば、米女優のアン・ハサウエイの顔がすぐさま浮かんでしまいます。最近もロバート・デニーロとの共演が話題になった『マイ・インターン(原題:The intern)』が、若き起業家女性と彼女を支えるシニア・インターンの関係を温かく描いて、とても面白かったです。
さて、アン・ハサウエイの実家は富裕な農家だったようで、実家の建物も立派な茅葺屋根で、内部には12室もあると言う堂々としたもの。内部の設え、家具も含め16世紀のテューダー様式を今に伝える文化財的価値の高い建物らしいです。父親が商人だったシェイクスピアの実家もそうですが、当時としてはかなり豪奢な造りであっただろうことから、町でも富裕な一族同士の結婚だったようですね。シェイクスピアの教養の高さも推して知るべしでしょうか?


この日の昼食は、道路を挟んで向かい側に立つレストランでアフタヌーンティー。
確かにお約束の3段になったティースタンドの上段にケーキ、中段にサンドイッチ、下段にはスコーンが載っているのですが、何だかイメージしていたのとは違います
サンドイッチのパンはパサパサだし、スコーンは冷え切って固くなっているし(だからクロテッドクリームがスコーンにうまく塗れない)、紅茶も冷めているし…私は出された物はできるだけ何でも残さずいただくよう心がけているのですが、これはさすがに食欲が失せて残してしまいました。
以前、ロンドン在住の友人に連れて行って貰ったハンプトンコート宮殿近くのカフェ?でいただいたアフタヌーンティーが見た目も味も、そして給仕のサービスも完璧だったので、どうしてもそれと比べてしまう。
今回のツアーはリーズナブルなツアーなので、そもそも期待する方が間違っているのですが、それにしても侘し過ぎました
何だか家畜扱いで餌を食べさせられているようで。初めてアフタヌーンティーを食べる人に、これがアフタヌーンティーだと思われては残念で仕方がありません。今回のツアーで最もガッカリな食事でした。
この後、再びバスで、英国人も憧れると言う、自然豊かで長閑な村々が点在するコッツウォルズ(Cotswolds)地方へ。コッツウォルズ地方には幾つものかわいらしい村がありますが、今回のツアーではこの日に2か所、翌日に1か所を訪ねました。
まず最初に訪れたのは、19世紀のアーツ&クラフツ運動で知られるデザイナーであり詩人のウィリアム・モリス(William Morris)が「イングランドで最も美しい村」と称えたバイブリー(Bibury)。
ここには有名なマスの養殖場(Trout Farm)があり、マス料理は村の名物料理なんだそうです。養殖場も有料で見学できるようですが、興味がないので見学しませんでした。誰でも入れる養殖場の売店にはマスの加工食品だけでなく、ウィリアム・モリスに因んだお土産も数多く売られていました。
興味深かったのは、英国各地から訪れているであろう車が、まるで自動車の見本市の様相を呈していたこと。大衆車からポルシェのような高級スポーツカーまで、国籍もドイツ、フランス、イタリア、米国、日本、韓国まで揃いも揃ったり。
ライダーもグループで来ていて、日本メーカーのSUZUKIを何台か見かけました。単純ですが、海外で日本製品を見かけると何だか誇らしいですね(笑)。漢字で「隼」と書かれたバイクの持ち主に(漢字の横に"HAYABUSA"と書かれているので読み方は知っている)、「この文字は鳥の名前で、英語では"Falcon"ですよ」と教えてあげると、「へぇー、そうなんだ。初めて知ったよ。」と喜ばれました。
バイブリーにあるホテル。外壁の蔦の葉の紅葉が美しい…

自然の風景にも素朴な味わいがあり癒されます…右の写真の葉は直径50cm位あり、俗名が「貧乏人の傘」なんだとか…

家並みが本当に素敵です。しかし、古い家を大事に守りながら住み続けるのは、それなりに苦労がありそうです。観光客が大挙訪れて、プライベートの領域にズカズカと踏み込まれるのも嫌でしょうね。あるお宅の玄関口には英語と日本語で「ここは私有地です。立ち入り禁止」と言う貼紙まで。何だか恥ずかしいと言うか申し訳ないというか…

その愛らしさ、美しさに思わずシャッターを切ってしまったけれど、これも迷惑なのかな…

この無造作な石垣にも風情を感じます…



次に向かったのはボートン・オン・ザ・ウォーター(Bourton-on-the-Water)。この村は10年前に息子と訪れた場所。当時から大勢の観光客で賑わっていました。

村の中心をウィンドラッシュ川が流れ、「コッツウォルズのベネツィア」とも呼ばれているそうです。訪れたのが土曜日の午後とあってか、川縁でのんびり過ごしている人の姿が多く見かけられました。
10年前はここで、息子と二人バザー巡りをしたのを覚えています。家庭で使われていた台所道具や骨董品を見ているだけで楽しかったですね。また、当時お土産を買った店も残っていて、中に入ってみたのですが、オーナーが替わってしまったのか、内装も雰囲気も全く変わっていました。息子にメールしたら、息子もそこでレトロなデザインの小型ラジオを買ったことを覚えており、「懐かしいなあ」と返信して来ました。
今回、ツアーメンバーの殆どは添乗員さんと共に村のミニチュアが展示されている施設モデルヴィレッジ(鬼怒川の東武ワールド・スクエアのようなもの)へと向かったのですが、ここでも夫と私は一行とは別行動で、しばし川縁を散策の後、中央広場に面したカフェに入り、スコーン&紅茶セットのクリームティー(Cream Tea)を食べました。移動中のバスの中で添乗員さんが、ボートン・オン・ザ・ウォーターはおいしいクリームティーの店が沢山あると紹介していたからです。
面白いカップの置き方。これだけでも何だかワクワクします…

さきほどのガッカリ・アフタヌーン・ティーの後のお口直しと言っては何ですが、ほかほかスコーンにクロテッドクリームもジャムもバッチリ載って、ほっぺたが落ちそうなほど美味でした
もちろん、紅茶も温か。スコーンも紅茶もやっぱり温かくなくちゃね
お値段も2人分で8.5ポンド(もっと安いお店もあったかもしれませんが…)とお手頃で、大満足で店を後にしたのでした(そして、ここでも若い子が楽しそうにキビキビと働いていたのでした
若い子が元気に働いている姿を見ると、見ているこちらも気持ちが明るくなります)。


団体ツアーとは言え、自由散策の時間は適度に放っておいてくれるので、こちらも自分のペースで過ごせて良かったです。カフェでのんびり過ごした後は集合場所の駐車場へ。この日の観光はこれで終わりで、6時過ぎにはホテルへ戻りました。
この日の夕食はホテルで。前菜は何か?のフライに少々の野菜。揚げたてだったので、おいしかったのは確か…食レポ写真も旅の疲れから雑になっています

メインはサーモンのバターソテーに温野菜添え。フツーにおいしかったです。この際、贅沢は言いません。

デザートはアイスクリーム3種。日本人にはちょっと量が多過ぎるかも。味は普通です。

前日から泊まっているホテルの部屋。前回のホテルよりは広いです。ホテルはバーミンガム市郊外にあり、モリソンと言うスーパー・マーケットやショッピングモールが隣接しており、ちょっとした買い物には便利でした。
夕食までに少し時間があったのでモリソンに行って、添乗員さんオススメのポテトチップスや紅茶を買いました。大量の商品を買い込んだお客でレジが混んでいたので、以前、テレビドラマの現代版『シャーロック・ホームズ』でワトソンが悪戦苦闘していた「自分でクレジットカードを使って清算する無人レジ」に挑戦してみました。
なんせ初めて使う機械。心配でしたが、ちゃんと店のスタッフが近くに控えていて、助けを求めればサポートしてくれます。なかなか面白い体験でした。しかし、何度も言いますが、為替レートで不利な日本人からすると、物価が高い(ポテトチップスのビッグパックが2£で、日本円で400円相当など…)!殆ど円換算で日本の倍の価格と考えて良いでしょう。

旅の3日目もこれにて終了。残すところあと2日です。

ここは英国の文豪ウィリアム・シェイクスピア(William・ Shakespeare)(1564-1616)が生まれ、そして亡くなった町です。その為、この町にはシェイクスピアゆかりの場所が幾つもあります。今回はその内の3か所を訪れました。
来年はシェイクスピア没後400年を迎えますが、きっと記念行事が目白押しなんでしょうね。
一方で、シェイクスピアは英文学史上最も偉大な作家でありながら、彼が残した数多くの戯曲以外、彼の生涯に関する確かな資料(手紙や日記も未だ発見されていない)が少ない為、謎の多い作家とも言われています。2011年には、彼の名を借りて時の政治を揶揄する、貴族出身のゴーストライターが存在した、と言う設定で映画も作られました。

最初に訪れたのは彼が洗礼を受け、死後、埋葬されたホーリー・トリニティ教会(Holy Trinity Church;直訳すると聖三位一体教会)。13世紀に建てられたと言う歴史ある教会は、写真の木立の奥に静かに佇んでいました。
教会内のステンドグラス。美しいです。拡大部分は「キリスト磔刑」図ですが、キリストの足下で跪いて、キリストを見上げているのは、手元に赤い香油壺らしき物が描かれていることから、マグダラのマリアで、その左に見えるのは聖母マリアと、キリストの死後に聖母マリアの世話するよう言いつかった最も年少の弟子ヨハネ(赤いマント姿)でしょうか?一方、右には鍵を手にした弟子のペテロと、書物とペンを手にした弟子のマタイ?の姿も見えます。


主祭壇の前にあるシェイクスピアの墓標。左側の壁の上部には、シェイクスピアの死後、彼の友人達が贈ったと言う彼の胸像もありましたが、写真がピンボケでアップできず

ロンドンのウエストミンスター寺院(Westminster Abbey)もそうですが、高名な人物の墓は外の墓地ではなく教会内部の主祭壇の近くにあるんですね。やはり特別な存在として位置づけられているのでしょうね。

教会には信徒用の小集会室もありました。ここで聖書の勉強会などをするのでしょう。

次に訪れたのはシェイクスピアの生家(Shakespeare's Birthplace)…と言っても、今回はフォト・ストップで外観のみ。生家は町の中心地ヘンリー・ストリート(Heley St.)沿いにあります。周辺はいつも大勢の観光客で賑わっているようです。
今回のツアーには残念ながら入館料が含まれていないので、入館するならば個人で支払うことになるのですが、入館料がなんと15.90£


以前ここを訪れた時の楽しい思い出がひとつ。1歳半の息子を連れて中庭にいたところ、ロンドンから同じバスツアーに参加していた米国人の7歳の女の子(シャロンちゃん)が息子のことをいたく気に入って、「かわいい。すごくかわいい。ハグしたい。家に連れて帰りたい」とまで言いました。そして一緒に写真に納まっただけでなく、別れ際に息子へのプレゼントだと言って、その場で絵を描いてくれました。その絵は今でも写真と共にアルバムに収まっています。
あの時1歳半だった息子も今や24歳。シャロンちゃんは29歳位になっているのでしょうか?

その後1時間ほど町中の自由散策の時間に充てられました。ツアーメンバーの殆どは添乗員さんと共にマークス&スペンサーへ買い物に、夫と私は一行から離れて、22年ぶりに訪れた町をふたりで当てもなくぶらぶら。
私の記憶が正しければ、昔と同じ場所にローラ・アシュレイの店を発見(笑)。前回来た時にはここでブルーの花柄のブラウスを購入。今回はたまたま夏物のセールだったので、ブルー系の花柄とペイズリー柄がバランス良くミックスされたストールを3割引きで購入。早速後日、首元が冷える旅先で使いました。
エイヴォン川のほとりで。幾つもの遊覧船が停泊していました。

以前の設置場所(劇場)が火災に遭い、やむなくこの公園に移設されたらしい、シェイクスピアの戯曲に登場する人物の像と共に。夫の視線の先にはエイヴォン川が流れています。

たまたま近くにいらしたツアーメンバーのご主人が写真を撮って下さると仰ったので、珍しく夫婦で一緒に写真に納まりました。シェイクスピアの像を背景に。

この後バスでシェイクスピアの妻アン・ハサウエイの実家(Ann Hathaway's Cottage)へ移動…と言っても、ここも今回はフォト・ストップのみで、前回の訪問で内部は見学済みなので、これで良しとします。
アン・ハサウエイと言えば、米女優のアン・ハサウエイの顔がすぐさま浮かんでしまいます。最近もロバート・デニーロとの共演が話題になった『マイ・インターン(原題:The intern)』が、若き起業家女性と彼女を支えるシニア・インターンの関係を温かく描いて、とても面白かったです。
さて、アン・ハサウエイの実家は富裕な農家だったようで、実家の建物も立派な茅葺屋根で、内部には12室もあると言う堂々としたもの。内部の設え、家具も含め16世紀のテューダー様式を今に伝える文化財的価値の高い建物らしいです。父親が商人だったシェイクスピアの実家もそうですが、当時としてはかなり豪奢な造りであっただろうことから、町でも富裕な一族同士の結婚だったようですね。シェイクスピアの教養の高さも推して知るべしでしょうか?


この日の昼食は、道路を挟んで向かい側に立つレストランでアフタヌーンティー。


サンドイッチのパンはパサパサだし、スコーンは冷え切って固くなっているし(だからクロテッドクリームがスコーンにうまく塗れない)、紅茶も冷めているし…私は出された物はできるだけ何でも残さずいただくよう心がけているのですが、これはさすがに食欲が失せて残してしまいました。
以前、ロンドン在住の友人に連れて行って貰ったハンプトンコート宮殿近くのカフェ?でいただいたアフタヌーンティーが見た目も味も、そして給仕のサービスも完璧だったので、どうしてもそれと比べてしまう。
今回のツアーはリーズナブルなツアーなので、そもそも期待する方が間違っているのですが、それにしても侘し過ぎました


まず最初に訪れたのは、19世紀のアーツ&クラフツ運動で知られるデザイナーであり詩人のウィリアム・モリス(William Morris)が「イングランドで最も美しい村」と称えたバイブリー(Bibury)。
ここには有名なマスの養殖場(Trout Farm)があり、マス料理は村の名物料理なんだそうです。養殖場も有料で見学できるようですが、興味がないので見学しませんでした。誰でも入れる養殖場の売店にはマスの加工食品だけでなく、ウィリアム・モリスに因んだお土産も数多く売られていました。
興味深かったのは、英国各地から訪れているであろう車が、まるで自動車の見本市の様相を呈していたこと。大衆車からポルシェのような高級スポーツカーまで、国籍もドイツ、フランス、イタリア、米国、日本、韓国まで揃いも揃ったり。
ライダーもグループで来ていて、日本メーカーのSUZUKIを何台か見かけました。単純ですが、海外で日本製品を見かけると何だか誇らしいですね(笑)。漢字で「隼」と書かれたバイクの持ち主に(漢字の横に"HAYABUSA"と書かれているので読み方は知っている)、「この文字は鳥の名前で、英語では"Falcon"ですよ」と教えてあげると、「へぇー、そうなんだ。初めて知ったよ。」と喜ばれました。
バイブリーにあるホテル。外壁の蔦の葉の紅葉が美しい…

自然の風景にも素朴な味わいがあり癒されます…右の写真の葉は直径50cm位あり、俗名が「貧乏人の傘」なんだとか…


家並みが本当に素敵です。しかし、古い家を大事に守りながら住み続けるのは、それなりに苦労がありそうです。観光客が大挙訪れて、プライベートの領域にズカズカと踏み込まれるのも嫌でしょうね。あるお宅の玄関口には英語と日本語で「ここは私有地です。立ち入り禁止」と言う貼紙まで。何だか恥ずかしいと言うか申し訳ないというか…

その愛らしさ、美しさに思わずシャッターを切ってしまったけれど、これも迷惑なのかな…

この無造作な石垣にも風情を感じます…



次に向かったのはボートン・オン・ザ・ウォーター(Bourton-on-the-Water)。この村は10年前に息子と訪れた場所。当時から大勢の観光客で賑わっていました。

村の中心をウィンドラッシュ川が流れ、「コッツウォルズのベネツィア」とも呼ばれているそうです。訪れたのが土曜日の午後とあってか、川縁でのんびり過ごしている人の姿が多く見かけられました。
10年前はここで、息子と二人バザー巡りをしたのを覚えています。家庭で使われていた台所道具や骨董品を見ているだけで楽しかったですね。また、当時お土産を買った店も残っていて、中に入ってみたのですが、オーナーが替わってしまったのか、内装も雰囲気も全く変わっていました。息子にメールしたら、息子もそこでレトロなデザインの小型ラジオを買ったことを覚えており、「懐かしいなあ」と返信して来ました。
今回、ツアーメンバーの殆どは添乗員さんと共に村のミニチュアが展示されている施設モデルヴィレッジ(鬼怒川の東武ワールド・スクエアのようなもの)へと向かったのですが、ここでも夫と私は一行とは別行動で、しばし川縁を散策の後、中央広場に面したカフェに入り、スコーン&紅茶セットのクリームティー(Cream Tea)を食べました。移動中のバスの中で添乗員さんが、ボートン・オン・ザ・ウォーターはおいしいクリームティーの店が沢山あると紹介していたからです。
面白いカップの置き方。これだけでも何だかワクワクします…


さきほどのガッカリ・アフタヌーン・ティーの後のお口直しと言っては何ですが、ほかほかスコーンにクロテッドクリームもジャムもバッチリ載って、ほっぺたが落ちそうなほど美味でした





団体ツアーとは言え、自由散策の時間は適度に放っておいてくれるので、こちらも自分のペースで過ごせて良かったです。カフェでのんびり過ごした後は集合場所の駐車場へ。この日の観光はこれで終わりで、6時過ぎにはホテルへ戻りました。
この日の夕食はホテルで。前菜は何か?のフライに少々の野菜。揚げたてだったので、おいしかったのは確か…食レポ写真も旅の疲れから雑になっています


メインはサーモンのバターソテーに温野菜添え。フツーにおいしかったです。この際、贅沢は言いません。

デザートはアイスクリーム3種。日本人にはちょっと量が多過ぎるかも。味は普通です。


夕食までに少し時間があったのでモリソンに行って、添乗員さんオススメのポテトチップスや紅茶を買いました。大量の商品を買い込んだお客でレジが混んでいたので、以前、テレビドラマの現代版『シャーロック・ホームズ』でワトソンが悪戦苦闘していた「自分でクレジットカードを使って清算する無人レジ」に挑戦してみました。
なんせ初めて使う機械。心配でしたが、ちゃんと店のスタッフが近くに控えていて、助けを求めればサポートしてくれます。なかなか面白い体験でした。しかし、何度も言いますが、為替レートで不利な日本人からすると、物価が高い(ポテトチップスのビッグパックが2£で、日本円で400円相当など…)!殆ど円換算で日本の倍の価格と考えて良いでしょう。

旅の3日目もこれにて終了。残すところあと2日です。
2015/10/17
英国旅行2日目 英国旅行(2010年春&2015初秋)
旅行2日目です。この日はちょっとタイトなスケジュール。1日で3カ所も巡ったのです。各々の場所が魅力的だっただけに、もう少しじっくり見たかったな、と言うのが正直な感想です。この「もう少し」が、再訪へのモチベーションになると思うのですが、今回ご一緒したツアーメンバーの中にも、「次回は個人で訪ねたいわね。いつかまた来られたら良いわね」と仰っている方が何人かおられました。私も同感です!
この日の最初の訪問地は
リヴァプール(Liverpool)
。あの20世紀のスーパーグループ、ビートルズ(The Beatles)が生まれた街です
私が英語に興味を持ったのも、中学時代、ほのかな恋心を抱いたクラスメイトが大のビートルズファンで、彼の影響で私もビートルズが好きになり、歌詞を必死に(笑)覚えたのがきっかけでした。
そして、夫もビートルズの大ファンで、彼の為にもかねがね訪れてみたいと思っていた場所でした!
ブリテン島西岸の小さな港町に過ぎなかったリヴァプールは、18世紀に入って米国のヴァージニア州や西インド諸島との交易により港湾都市として大きく発展し、大英帝国の発展にも寄与したと言われています。あの悲劇のタイタニック号もこの街で造られ、進水したのです。
『嵐が丘』のヒースクリフも、様々な国籍の様々な人種が行き交う19世紀のこの街で、キャサリンの父に拾われ、物語の舞台となる嵐が丘(Wuthering Heights)へ…
まずは英国国教会系の大聖堂としては世界最大と言われるリヴァプール大聖堂(Liverpool Cathedral)。巨大です…
敷地内からの撮影では、私のコンデジのフレームには到底納まりません
1904年に着工し、1978年に漸く完成したこの大聖堂の塔は101mの高さで、リヴァプールの街を一望できるそうです。

大聖堂の見事な祭壇彫刻。「キリスト磔刑」「最後の晩餐」など、福音書に記されたキリストの生涯から幾つかのエピソードが丹念に彫り込まれています。


次にビートルズゆかりのマシュー・ストリート(Mathew Street)へ。その一角にはファン垂涎の「ハード・デイズ・ナイト ホテル」が建っています。ホテル一階はビートルズ・ショップになっており、所狭しとグッズが陳列され、これまたファンにとっては堪らない場所になっています。

この店で、ビートルズの写真が刷り込まれたマグカップとマグネットを購入。夫には出来れば笑って欲しかった…緊張していたのか…

通り沿いにある、ビートルズが1961年2月9日、ライブ・デビューを飾ったキャバーンクラブ(Cavern Club)。と言ってもオリジナルは1973年に閉店しており、これは後年、元あった場所の隣に出来た新生キャバーン・クラブらしいです。

往年のキャバーン・クラブを紹介した記事がありました。『ビートルズ詳解』と言うサイトより。
キャバーン・クラブ開店

いかんせんフォト・ストップとも言うべき短い滞在だったので、外観を眺めただけの見学となりましたが、もし今後英国を訪ねる機会があれば、是非リヴァプールにも数日滞在して、ディープに楽しみたいですね。
リヴァプールは第二次世界大戦以降急速に廃れたらしいのですが、このビートルズの登場を契機に再び脚光を浴び、今では港湾地区(世界遺産)の再開発等で豊富な観光資源を有する観光スポットとして人気を集めているようです。
現地発着のツアーも多彩で、アルバート・ドック(Albert Dock)と呼ばれる港湾地区には、貿易都市として栄えたリヴァプールの歴史を今に伝えるマージーサイド海洋博物館や英国の現代アートを中心に展示するテート・ギャラリーに加えて、近年はビートルズ・ストーリーと言う施設も出来て、ファンならずとも楽しめる場所のようです。
夫はマシュー・ストリートに立つ若き日の、ちょっとふっくらとしたジョンと記念撮影です。
この後、次の訪問地への移動の途中で昼食を取りました。なかなか瀟洒なホテルのレストランでの昼食でした。
英国では団体客の場合も給仕がテーブルでまとめて飲み物の注文を取るのではなく、客がバーカウンターまで各自出向いて飲み物を買うシステムです。パブに倣った方式なんでしょうか?この方が注文も支払いもスムーズで時間もかからず合理的ですね。
今回、夫の為に地ビールを選んでみました。地ビールには珍しく飲み口軽やかなラガービールだったようです。
まずはサラダ。バルサミコ酢とオリーブで和えたグリーンサラダです。
レストランで出されるせいか、イギリス発祥のファースト・フード、フィッシュ&チップスも何だかおしゃれ(笑)。

20年前にロンドンの街角で買って食べたフィッシュ&チップスはいかにもファースト・フードと言う感じで、写真の2倍ほどの大きさの揚げたて熱々の魚フライに目の前でビネガーソースをたっぷりかけられ、山盛りフライドポテトと共に無造作に紙に包まれたのを、路上でフーフー言いながら食べた覚えがあります。味付けもボリュームも豪快でした(笑)。
10年前にはロンドンのテート・モダンの最上階?のレストランで食べたのですが、今回と同様にナイフとフォークで食べました。しかし、魚フライのサイズはやはり特大で、ポテトも食べきれないほど山盛りでした(笑)。一応レストランだったので、お値段もそれなりに高く(サービス料も含まれていたと思いますが、息子のチーズバーガーと瓶入りの水も合わせて、日本円で5000円相当でした。尤も値段に関しては為替レートの問題ですかね?)、ちょっと驚いたのを覚えています。
それらからすると、今回のフィッシュ&チップスは量や味付け共にかなり日本人向けにアレンジされているように感じます。これが本場の味と言えるかどうかはともかく、とても美味しくいただけました。
デザートはフルーツのコンポート。フツーに美味しかったです。

そして次の訪問地、チェスター(Chester)です。
チェスターはその歴史がローマ時代まで遡る城砦都市で、今でも古い城壁に囲まれた中世の建築様式を留める旧市街の街並みが美しいことで知られているようです。
写真でも分かる通り、白壁に黒い梁の木組みの建物が端正で、イングランドで最も中世の面影を残す街と言われているそうです。ツアーメンバーの中からは「ドイツの街並みに似ているわ」との声も聞かれました。
私も街に足を踏み入れた途端、タイムスリップしたような感覚に襲われました。
しかし、ザ・クロスと呼ばれる地点を中心に東西南北に広がる目抜き通りロウズ(Raws)を歩いていると、伝統建築の中に骨董店に混じってイマドキのショップが軒を並べていて、新旧のコントラストが面白かったです。
この日は金曜日。週末の午後とあって、犬を連れて散歩中の人やベビーカーを押した若い母親、そして家族連れなど地元の人々と、私達のような国内外からの観光客とで、通りは賑わっていました。
骨董店で19世紀の素敵な版画を見つけたのですが、判断に迷って買うに至らず…ここももっとゆっくり見たかったな…

繊細な装飾が施された時計台。背景の晴れ上がった青空が、その美しさを一層際立たせています。

白い矢印の部分が、旧市街を取り囲む城壁です。本来なら幾つかのポイントから階段で城壁に上り旧市街を一望できるらしいのですが、現在は工事中で城壁の上を歩くことは叶いませんでした。残念

城壁の外側にあった郵便局前のポスト。何となく気になったのでパチリ
日本の赤い郵便ポストのルーツ?!


次は2日目最後の訪問地、世界遺産のポントカサステの水道橋(Pontcysyllte Aquadact)です。
Pontcysyllte Aquadact
バス移動は効率よく各地を回れるのが利点ですが、私達はバスに乗っているだけなので、いま一つ位置感覚が掴めないのがデメリットと言えるでしょうか?
ポントカサステは今回のツアーで唯一イングランドから離れて、ウェールズ地方に入った観光ポイントです。ウェールズでも北に位置するようで、チェスターからは1時間ほどで到着。
産業革命後、英国では石炭を運ぶ為に開発されたナローボート(A Narrow Boat;その名の通り幅は約2.1mと狭いですが、長さは短い物で5m、長い物は25mも!)が運河を通って、各地へと石炭を運んだと言われていますが、ウェールズ地方のような起伏の激しい地域では運河建設もままなりませんでした。そこで考案されたのが橋の上にボートを通す水道橋です。
係留されたナローボート。

中でもポントカサステの水道橋は「英国で最も長く高い水道橋」として知られ、全長約300m、高さ約38m(マンションだと14階建て程度の高さ
)を誇る、建造された1805年当時の土木技術の粋を集めた橋でした。
設計したのは英国の"土木の父"と呼ばれるトーマス・テルフォード(1757-1834)。彼は石工職から独学で土木、建築学を学び、産業革命期に数々の道路や橋を手がけ、後に初代英国土木学会会長となった人物です。
左の写真は、テルフォードの生誕250年を祝して建てられた記念碑のようです。
運河の横には船引き道があり、徒歩で渡れます。私は橋の向こう側まで行き着いたのですが、怖がりの夫は途中で引き返してしまいました。ここでも中国人の団体に遭遇。やっと人が行き交える程度の幅なのに道を譲ってくれない人もいて困りました。

橋からの眺め。絶景なり。

農場…かな?

遥か遠くに別の橋が見えます。

橋の向こう側に到着。橋桁を見てみます。

元来た道を戻ります。ひたすら300m歩きます。この橋を年間1万台以上のナローボートが通過するそうです。ボートを自ら運転して橋を渡るツアーもあるらしい。

無事?到着。何よりそのスケールの大きさに圧倒されたので、橋を往復した後は思わずホッとしました。ウェールズの雄大な自然と、産業革命期の英国の土木技術の高さを体感できて、素晴らしい経験でした。
おそらく私の拙い写真では、その時の感動の半分も伝えられないと思います。多くの方々に機会があれば、是非、足を運んでいただきたい場所です。

この日の夕食は、次の宿泊地で英国第二の都市バーミンガム(Birmingham)の中心街にあるレストランパブ、「バッカス・バー(Bacchus Bar)」にて。途中、交通渋滞に巻き込まれたり、道に迷ったり?で、予定より1時間半も遅れてスタート。

まずは野菜サラダ。

メインディッシュはローストチキンを濃厚なグレイビーソースで。胸肉のパサパサ感が…
…もう少し何とかならなかったのかしら?

デザートのアップルパイは美味でした。

ローストチキンの味はともかく、このレストランパブ、当地でも人気店らしく、週末の夜、足の踏み場もないほど大勢の人で賑わう店の雰囲気は最高でした(やはり、ここでも若いスタッフがキビキビと働く姿が印象的でした)。

この日は特別にジャズの生演奏も。現地の人の話では、サックス奏者が英国でも期待の若手で、今後世界的に有名になるだろうとのこと。そんな人の生演奏を間近で聴けたなんて、ちょっと得した気分です。高揚感がなせる業なのか、帰り際には言葉を交わした見知らぬ現地の人と、なぜかハイタッチして別れました(笑)。
以前、ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンと上原ひろみのデュオ・リサイタルを東京国際フォーラムの大ホールで聴いたことがあるのですが、ジャズはやっぱりパブやバーのような所で聴くものなんだなと思いました。場の雰囲気って大切ですね。

食事を終えて帰る道すがら、車窓から見えるパブはどの店も大勢の人で賑わっていました。思いがけず都市に住む英国人の週末の過ごし方を目撃できて、興味深かったです。




私が英語に興味を持ったのも、中学時代、ほのかな恋心を抱いたクラスメイトが大のビートルズファンで、彼の影響で私もビートルズが好きになり、歌詞を必死に(笑)覚えたのがきっかけでした。
そして、夫もビートルズの大ファンで、彼の為にもかねがね訪れてみたいと思っていた場所でした!
ブリテン島西岸の小さな港町に過ぎなかったリヴァプールは、18世紀に入って米国のヴァージニア州や西インド諸島との交易により港湾都市として大きく発展し、大英帝国の発展にも寄与したと言われています。あの悲劇のタイタニック号もこの街で造られ、進水したのです。
『嵐が丘』のヒースクリフも、様々な国籍の様々な人種が行き交う19世紀のこの街で、キャサリンの父に拾われ、物語の舞台となる嵐が丘(Wuthering Heights)へ…
まずは英国国教会系の大聖堂としては世界最大と言われるリヴァプール大聖堂(Liverpool Cathedral)。巨大です…



大聖堂の見事な祭壇彫刻。「キリスト磔刑」「最後の晩餐」など、福音書に記されたキリストの生涯から幾つかのエピソードが丹念に彫り込まれています。



次にビートルズゆかりのマシュー・ストリート(Mathew Street)へ。その一角にはファン垂涎の「ハード・デイズ・ナイト ホテル」が建っています。ホテル一階はビートルズ・ショップになっており、所狭しとグッズが陳列され、これまたファンにとっては堪らない場所になっています。

この店で、ビートルズの写真が刷り込まれたマグカップとマグネットを購入。夫には出来れば笑って欲しかった…緊張していたのか…

通り沿いにある、ビートルズが1961年2月9日、ライブ・デビューを飾ったキャバーンクラブ(Cavern Club)。と言ってもオリジナルは1973年に閉店しており、これは後年、元あった場所の隣に出来た新生キャバーン・クラブらしいです。

往年のキャバーン・クラブを紹介した記事がありました。『ビートルズ詳解』と言うサイトより。



リヴァプールは第二次世界大戦以降急速に廃れたらしいのですが、このビートルズの登場を契機に再び脚光を浴び、今では港湾地区(世界遺産)の再開発等で豊富な観光資源を有する観光スポットとして人気を集めているようです。
現地発着のツアーも多彩で、アルバート・ドック(Albert Dock)と呼ばれる港湾地区には、貿易都市として栄えたリヴァプールの歴史を今に伝えるマージーサイド海洋博物館や英国の現代アートを中心に展示するテート・ギャラリーに加えて、近年はビートルズ・ストーリーと言う施設も出来て、ファンならずとも楽しめる場所のようです。
夫はマシュー・ストリートに立つ若き日の、ちょっとふっくらとしたジョンと記念撮影です。
この後、次の訪問地への移動の途中で昼食を取りました。なかなか瀟洒なホテルのレストランでの昼食でした。

今回、夫の為に地ビールを選んでみました。地ビールには珍しく飲み口軽やかなラガービールだったようです。
まずはサラダ。バルサミコ酢とオリーブで和えたグリーンサラダです。
レストランで出されるせいか、イギリス発祥のファースト・フード、フィッシュ&チップスも何だかおしゃれ(笑)。

20年前にロンドンの街角で買って食べたフィッシュ&チップスはいかにもファースト・フードと言う感じで、写真の2倍ほどの大きさの揚げたて熱々の魚フライに目の前でビネガーソースをたっぷりかけられ、山盛りフライドポテトと共に無造作に紙に包まれたのを、路上でフーフー言いながら食べた覚えがあります。味付けもボリュームも豪快でした(笑)。
10年前にはロンドンのテート・モダンの最上階?のレストランで食べたのですが、今回と同様にナイフとフォークで食べました。しかし、魚フライのサイズはやはり特大で、ポテトも食べきれないほど山盛りでした(笑)。一応レストランだったので、お値段もそれなりに高く(サービス料も含まれていたと思いますが、息子のチーズバーガーと瓶入りの水も合わせて、日本円で5000円相当でした。尤も値段に関しては為替レートの問題ですかね?)、ちょっと驚いたのを覚えています。
それらからすると、今回のフィッシュ&チップスは量や味付け共にかなり日本人向けにアレンジされているように感じます。これが本場の味と言えるかどうかはともかく、とても美味しくいただけました。
デザートはフルーツのコンポート。フツーに美味しかったです。


チェスターはその歴史がローマ時代まで遡る城砦都市で、今でも古い城壁に囲まれた中世の建築様式を留める旧市街の街並みが美しいことで知られているようです。
写真でも分かる通り、白壁に黒い梁の木組みの建物が端正で、イングランドで最も中世の面影を残す街と言われているそうです。ツアーメンバーの中からは「ドイツの街並みに似ているわ」との声も聞かれました。
私も街に足を踏み入れた途端、タイムスリップしたような感覚に襲われました。
しかし、ザ・クロスと呼ばれる地点を中心に東西南北に広がる目抜き通りロウズ(Raws)を歩いていると、伝統建築の中に骨董店に混じってイマドキのショップが軒を並べていて、新旧のコントラストが面白かったです。
この日は金曜日。週末の午後とあって、犬を連れて散歩中の人やベビーカーを押した若い母親、そして家族連れなど地元の人々と、私達のような国内外からの観光客とで、通りは賑わっていました。
骨董店で19世紀の素敵な版画を見つけたのですが、判断に迷って買うに至らず…ここももっとゆっくり見たかったな…

繊細な装飾が施された時計台。背景の晴れ上がった青空が、その美しさを一層際立たせています。

白い矢印の部分が、旧市街を取り囲む城壁です。本来なら幾つかのポイントから階段で城壁に上り旧市街を一望できるらしいのですが、現在は工事中で城壁の上を歩くことは叶いませんでした。残念


城壁の外側にあった郵便局前のポスト。何となく気になったのでパチリ



次は2日目最後の訪問地、世界遺産のポントカサステの水道橋(Pontcysyllte Aquadact)です。

バス移動は効率よく各地を回れるのが利点ですが、私達はバスに乗っているだけなので、いま一つ位置感覚が掴めないのがデメリットと言えるでしょうか?
ポントカサステは今回のツアーで唯一イングランドから離れて、ウェールズ地方に入った観光ポイントです。ウェールズでも北に位置するようで、チェスターからは1時間ほどで到着。
産業革命後、英国では石炭を運ぶ為に開発されたナローボート(A Narrow Boat;その名の通り幅は約2.1mと狭いですが、長さは短い物で5m、長い物は25mも!)が運河を通って、各地へと石炭を運んだと言われていますが、ウェールズ地方のような起伏の激しい地域では運河建設もままなりませんでした。そこで考案されたのが橋の上にボートを通す水道橋です。
係留されたナローボート。



設計したのは英国の"土木の父"と呼ばれるトーマス・テルフォード(1757-1834)。彼は石工職から独学で土木、建築学を学び、産業革命期に数々の道路や橋を手がけ、後に初代英国土木学会会長となった人物です。
左の写真は、テルフォードの生誕250年を祝して建てられた記念碑のようです。
運河の横には船引き道があり、徒歩で渡れます。私は橋の向こう側まで行き着いたのですが、怖がりの夫は途中で引き返してしまいました。ここでも中国人の団体に遭遇。やっと人が行き交える程度の幅なのに道を譲ってくれない人もいて困りました。

橋からの眺め。絶景なり。

農場…かな?

遥か遠くに別の橋が見えます。

橋の向こう側に到着。橋桁を見てみます。

元来た道を戻ります。ひたすら300m歩きます。この橋を年間1万台以上のナローボートが通過するそうです。ボートを自ら運転して橋を渡るツアーもあるらしい。

無事?到着。何よりそのスケールの大きさに圧倒されたので、橋を往復した後は思わずホッとしました。ウェールズの雄大な自然と、産業革命期の英国の土木技術の高さを体感できて、素晴らしい経験でした。
おそらく私の拙い写真では、その時の感動の半分も伝えられないと思います。多くの方々に機会があれば、是非、足を運んでいただきたい場所です。

この日の夕食は、次の宿泊地で英国第二の都市バーミンガム(Birmingham)の中心街にあるレストランパブ、「バッカス・バー(Bacchus Bar)」にて。途中、交通渋滞に巻き込まれたり、道に迷ったり?で、予定より1時間半も遅れてスタート。

まずは野菜サラダ。

メインディッシュはローストチキンを濃厚なグレイビーソースで。胸肉のパサパサ感が…


デザートのアップルパイは美味でした。

ローストチキンの味はともかく、このレストランパブ、当地でも人気店らしく、週末の夜、足の踏み場もないほど大勢の人で賑わう店の雰囲気は最高でした(やはり、ここでも若いスタッフがキビキビと働く姿が印象的でした)。

この日は特別にジャズの生演奏も。現地の人の話では、サックス奏者が英国でも期待の若手で、今後世界的に有名になるだろうとのこと。そんな人の生演奏を間近で聴けたなんて、ちょっと得した気分です。高揚感がなせる業なのか、帰り際には言葉を交わした見知らぬ現地の人と、なぜかハイタッチして別れました(笑)。
以前、ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンと上原ひろみのデュオ・リサイタルを東京国際フォーラムの大ホールで聴いたことがあるのですが、ジャズはやっぱりパブやバーのような所で聴くものなんだなと思いました。場の雰囲気って大切ですね。

食事を終えて帰る道すがら、車窓から見えるパブはどの店も大勢の人で賑わっていました。思いがけず都市に住む英国人の週末の過ごし方を目撃できて、興味深かったです。
2015/10/13
英国旅行1日目 英国旅行(2010年春&2015初秋)
時差ボケも漸く解消しつつあるので、ここで旅行記をまとめたいと思います。このところ旅行記は写真の編集の段階で挫折してしまうことが多いので
、最後まで行き着けるのか正直不安なところですが、ぼちぼち写真をアップしつつ、書き留めて行こうと思います。
6泊8日の旅と言っても、現地での観光は実質5日間。今回はその1日目です。私達はマンチェスター郊外の住宅地に建つホテルに宿泊。最初に訪れたのが、寡作ながら強烈な印象を残す作品で、近代英文学史にその名を留めるブロンテ姉妹ゆかりの地ハワース(Haworth)です。
私個人は一昨年、英文学の講座を受講して『嵐が丘』が書かれた時代背景を学び、さらに旅行の直前には夫婦で2009年制作、トム・ハーディ主演のテレビドラマ『嵐が丘』を予習(復習?)がてら見て、そのイメージを頭に焼きつけつつ、当地に降り立ったのでした。
実は今から20年以上も前に初めて英国を訪れた時に、私達家族(当時息子は1歳半。私も20代の若さでした!)はエジンバラ(Edinburgh)のホテル(その時は身分不相応にも、当地の最高級ホテル、バルモラルホテルに宿泊
)からレンタカーで、カーナビもない時代ガイドブックの地図だけを頼りに当地に向かったのですが、なぜかさらに南のリーズ(Leeds)まで行ってしまい(その時、リーズの路上を、日本人女性らしきバックパッカーが一人とぼとぼと歩いていたのを今でも覚えています。自分も道に迷って疲れていたから、彼女にシンパシーを感じたのか…)、途中で車もエンストしてしまう等トラブル続きで、当地に着いた時にはブロンテ姉妹の博物館も閉館した後でした。
その無念を晴らすべく、今回このツアーに参加したのですが、いかんせん時間が限られていて、『嵐が丘』の舞台であるヒースの丘を見る余裕などなく、博物館とブロンテ姉妹の父が牧師を務めていたパリッシュ教会を見学するので精一杯でした。それでも満足です!ブロンテ姉妹には興味のない?ツアー一行から離れて、私達夫婦だけ入館料(一人7.5£)を払い、かつては牧師館で、姉妹も住んでいたと言う博物館を見学したのですが、その質素な佇まいと、姉妹ゆかりの品々に、シゃーロットとエミリ姉妹の人となりがわずかながらも理解できたような気がしました(館内は撮影禁止です)。
ブロンテ博物館(The Bronte Parsonage Museum)


ハワース・パリッシュ教会(Haworth Parish Church)

ブロンテ姉妹存命時の建築物は塔のみだそうですが、教会内にはブロンテ一族の没年月日を記した石版も残っています。石版の撮影を試みたのですが、結果はピンボケでアップできない状態。残念!
下の写真は、歴代の教会の牧師の名と着任の年が刻まれた金属板なのですが、ブロンテ姉妹の父であるパトリック・ブロンテ牧師の名前もしっかりと刻まれています。1820と言う数字もうっすらと見えます。
この教会は、その佇まいも、窓を彩るステンドグラスも素敵でした。ブロンテ姉妹ファンなら是非訪れてみたい場所ですね。

この後、ツアー一行は風光明媚な湖水地方(Lake District)へと向かいました。
こちらも私達にとっては約20年ぶりの再訪。中東駐在時、日本への帰国が決まって最後に訪れたのがこの場所でした。
その時は当地の家庭的なゲストハウスに3泊しました。当時は予約なしに訪れて、ツーリスト・インフォメーションで宿を紹介して貰うなど、観光地化の進んだ現在と比べると、かなりのんびりしたものでした。
今回、夏の観光シーズンを過ぎてもなお多くの観光客で賑わう当地の姿には、すこし驚きました
この分だと、夏はどれほどの人出なのやら…
左の写真はランチを食べたレストラン、The Lamplighter Dining-rooms Bar-Restaurant。古い石造りの建物が、雲ひとつない真っ青な空に映えます。
今回のツアーは幸いなことに、最終日のロンドンを除き、比較的天候に恵まれたツアーとなりました。英国は1日の内に四季があると言われますが、確かにバスでの移動中、曇天、にわか雨、霧と目まぐるしく天気が変わるのを目の当たりにしたのですが、なぜか降車時にはカラッと晴れ上がることが多かったように思います。
「この時期にこんなに安定した天候は珍しい。これも皆さんの日頃の行いが良いからだ」と、添乗員さんが繰り返し言われていましたが、果たして、どなたのおかげだったのでしょうか?
湖水地方到着はちょうどお昼どき。この日のランチは裏ごししたカボチャの素朴なスープとパンに、メインは鱒のソテー、グリーンサラダ添え。味が物足りない方には醤油を用意していますとの添乗員さんのお言葉でしたが、私は塩コショウで十分おししくいただけました。きちんと小骨の処理もされていて、昨年、スロバキアで食べた鱒よりずっと食べやすく、身も柔らかく美味しかったような気がします。
さらに今回ツアーを通して感じたのは、パンのおいしさ
どこの店のパンも美味でした。


スクランブルエッグや目玉焼き、ソーセージにカリカリベーコン、マッシュルームやトマトのソテー、そしてベイクドビーンズと言ったホットミールに、フレッシュジュース、ヨーグルト、ホリッジ、シリアル、トーストやパン、さらに食後にはミルクティーかコーヒーが付く、ボリューミィなイングリッシュ・ブレックファストを朝しっかり食べて来たので、ランチはこの程度の量で十分ですね。それでも若い子には物足りないかもしれないけれども…。
ランチの後は1時間程度の自由散策。あれこれ見学するには中途半端な時間なので、ピーターラビットのみやげ物屋さんを覗いたり、ちょっとお行儀は悪いですがアイスクリームを買って食べながら歩いて、集合場所の桟橋へ。そこから船に乗って約40分間のウィンダミア湖遊覧です。

下の写真は今回乗った船。100人位乗れるでしょうか?私達を含め殆どの乗客は時間通りに乗船したのですが、中国人ツアー客のグループが10分余り遅れて乗船。船のスタッフが急げと手招きしているのに、我関せずとばかりにゆっくり歩いて来るのには、待たされている客全員が呆れ&怒りモードでした
船も次のクルーズがあるので、どうも後半はスピードを上げて航行した模様。こちらはたっぷり遊覧を楽しみたかったのに、乗船時間は35分足らずに。約束の時間に遅れる人は、本当に他人の「時間泥棒」ですね。しかも、降りる時には人を押しのけて我先に降りるという有様。ここでまた彼らは、他の乗客から顰蹙を買ったのでした。

前回の旅では湖上遊覧をしなかったので、私達は今回の遊覧をとても楽しみにしていました。午後4時過ぎから始まった湖上遊覧。湖上を渡る風は少し冷たかったけれど(添乗員さんからは事前に、この日の服装は冬仕様でと言われていました。寒がりの夫はダウンジャケットを着込んで…)、展望デッキに腰掛け、のんびり景色を眺めるのはとても気持ちの良いものでした。

湖岸には数多くのヨットが係留されていました。湖畔には別荘も多いようです。

楽しい遊覧ももうすぐ終わりです。湖畔の木々も徐々に色づいて、秋の気配を感じさせます。

この日の夕食はホテルで。写真を撮り忘れたのですが、ちょっとした前菜の後にビーフシチュー、ポテト添え。デザートはパン・プディング?私はペロリと平らげたのですが、同じテーブルの30代?と40代?の女性は、もうお腹いっぱいで食べきれないわと、ビーフシチューもプディングも3分の1ほど残していました。どこまでも食いしん坊な私?!味はそれほどおいしくもなく、かと言って不味くもなく、と言ったところ。


宿泊したホテルは本当に住宅街の中にあって、周囲の環境は閑静そのもの。緑豊かで空気が美味しい。住所としてはマンチェスター(Manchester)だけれど、マンチェスターと言えば、サッカーチームのマンチェスター・ユナイテッドと、そこに所属していたディビッド・ベッカムしか思い浮かびません。

ドアに貼られたホテルの間取り図を見ると、たまたま端の私達の部屋だけ他のツアーメンバーの部屋と比べ若干狭く、スーツケースを開けるスペースにも事欠いたのが残念でした。こればかりは運なので仕方ありません。
さて、今回もくまごろう兄弟の末っ子マシューを旅のお伴に。慣れない長旅にマシューもちょっとお疲れ気味です。

何だかんだ言って(些細なトラブルはどれも想定内)、初日を無事に、ブロンテ姉妹のゆかりの地を訪ねると言う所期の目的も達成して、満足のうちに終えたのでした。

6泊8日の旅と言っても、現地での観光は実質5日間。今回はその1日目です。私達はマンチェスター郊外の住宅地に建つホテルに宿泊。最初に訪れたのが、寡作ながら強烈な印象を残す作品で、近代英文学史にその名を留めるブロンテ姉妹ゆかりの地ハワース(Haworth)です。
私個人は一昨年、英文学の講座を受講して『嵐が丘』が書かれた時代背景を学び、さらに旅行の直前には夫婦で2009年制作、トム・ハーディ主演のテレビドラマ『嵐が丘』を予習(復習?)がてら見て、そのイメージを頭に焼きつけつつ、当地に降り立ったのでした。
実は今から20年以上も前に初めて英国を訪れた時に、私達家族(当時息子は1歳半。私も20代の若さでした!)はエジンバラ(Edinburgh)のホテル(その時は身分不相応にも、当地の最高級ホテル、バルモラルホテルに宿泊

その無念を晴らすべく、今回このツアーに参加したのですが、いかんせん時間が限られていて、『嵐が丘』の舞台であるヒースの丘を見る余裕などなく、博物館とブロンテ姉妹の父が牧師を務めていたパリッシュ教会を見学するので精一杯でした。それでも満足です!ブロンテ姉妹には興味のない?ツアー一行から離れて、私達夫婦だけ入館料(一人7.5£)を払い、かつては牧師館で、姉妹も住んでいたと言う博物館を見学したのですが、その質素な佇まいと、姉妹ゆかりの品々に、シゃーロットとエミリ姉妹の人となりがわずかながらも理解できたような気がしました(館内は撮影禁止です)。
ブロンテ博物館(The Bronte Parsonage Museum)


ハワース・パリッシュ教会(Haworth Parish Church)



下の写真は、歴代の教会の牧師の名と着任の年が刻まれた金属板なのですが、ブロンテ姉妹の父であるパトリック・ブロンテ牧師の名前もしっかりと刻まれています。1820と言う数字もうっすらと見えます。
この教会は、その佇まいも、窓を彩るステンドグラスも素敵でした。ブロンテ姉妹ファンなら是非訪れてみたい場所ですね。

この後、ツアー一行は風光明媚な湖水地方(Lake District)へと向かいました。

その時は当地の家庭的なゲストハウスに3泊しました。当時は予約なしに訪れて、ツーリスト・インフォメーションで宿を紹介して貰うなど、観光地化の進んだ現在と比べると、かなりのんびりしたものでした。
今回、夏の観光シーズンを過ぎてもなお多くの観光客で賑わう当地の姿には、すこし驚きました

左の写真はランチを食べたレストラン、The Lamplighter Dining-rooms Bar-Restaurant。古い石造りの建物が、雲ひとつない真っ青な空に映えます。
今回のツアーは幸いなことに、最終日のロンドンを除き、比較的天候に恵まれたツアーとなりました。英国は1日の内に四季があると言われますが、確かにバスでの移動中、曇天、にわか雨、霧と目まぐるしく天気が変わるのを目の当たりにしたのですが、なぜか降車時にはカラッと晴れ上がることが多かったように思います。
「この時期にこんなに安定した天候は珍しい。これも皆さんの日頃の行いが良いからだ」と、添乗員さんが繰り返し言われていましたが、果たして、どなたのおかげだったのでしょうか?
湖水地方到着はちょうどお昼どき。この日のランチは裏ごししたカボチャの素朴なスープとパンに、メインは鱒のソテー、グリーンサラダ添え。味が物足りない方には醤油を用意していますとの添乗員さんのお言葉でしたが、私は塩コショウで十分おししくいただけました。きちんと小骨の処理もされていて、昨年、スロバキアで食べた鱒よりずっと食べやすく、身も柔らかく美味しかったような気がします。
さらに今回ツアーを通して感じたのは、パンのおいしさ




ランチの後は1時間程度の自由散策。あれこれ見学するには中途半端な時間なので、ピーターラビットのみやげ物屋さんを覗いたり、ちょっとお行儀は悪いですがアイスクリームを買って食べながら歩いて、集合場所の桟橋へ。そこから船に乗って約40分間のウィンダミア湖遊覧です。

下の写真は今回乗った船。100人位乗れるでしょうか?私達を含め殆どの乗客は時間通りに乗船したのですが、中国人ツアー客のグループが10分余り遅れて乗船。船のスタッフが急げと手招きしているのに、我関せずとばかりにゆっくり歩いて来るのには、待たされている客全員が呆れ&怒りモードでした

船も次のクルーズがあるので、どうも後半はスピードを上げて航行した模様。こちらはたっぷり遊覧を楽しみたかったのに、乗船時間は35分足らずに。約束の時間に遅れる人は、本当に他人の「時間泥棒」ですね。しかも、降りる時には人を押しのけて我先に降りるという有様。ここでまた彼らは、他の乗客から顰蹙を買ったのでした。

前回の旅では湖上遊覧をしなかったので、私達は今回の遊覧をとても楽しみにしていました。午後4時過ぎから始まった湖上遊覧。湖上を渡る風は少し冷たかったけれど(添乗員さんからは事前に、この日の服装は冬仕様でと言われていました。寒がりの夫はダウンジャケットを着込んで…)、展望デッキに腰掛け、のんびり景色を眺めるのはとても気持ちの良いものでした。

湖岸には数多くのヨットが係留されていました。湖畔には別荘も多いようです。

楽しい遊覧ももうすぐ終わりです。湖畔の木々も徐々に色づいて、秋の気配を感じさせます。

この日の夕食はホテルで。写真を撮り忘れたのですが、ちょっとした前菜の後にビーフシチュー、ポテト添え。デザートはパン・プディング?私はペロリと平らげたのですが、同じテーブルの30代?と40代?の女性は、もうお腹いっぱいで食べきれないわと、ビーフシチューもプディングも3分の1ほど残していました。どこまでも食いしん坊な私?!味はそれほどおいしくもなく、かと言って不味くもなく、と言ったところ。


宿泊したホテルは本当に住宅街の中にあって、周囲の環境は閑静そのもの。緑豊かで空気が美味しい。住所としてはマンチェスター(Manchester)だけれど、マンチェスターと言えば、サッカーチームのマンチェスター・ユナイテッドと、そこに所属していたディビッド・ベッカムしか思い浮かびません。

ドアに貼られたホテルの間取り図を見ると、たまたま端の私達の部屋だけ他のツアーメンバーの部屋と比べ若干狭く、スーツケースを開けるスペースにも事欠いたのが残念でした。こればかりは運なので仕方ありません。
さて、今回もくまごろう兄弟の末っ子マシューを旅のお伴に。慣れない長旅にマシューもちょっとお疲れ気味です。

何だかんだ言って(些細なトラブルはどれも想定内)、初日を無事に、ブロンテ姉妹のゆかりの地を訪ねると言う所期の目的も達成して、満足のうちに終えたのでした。
2015/10/9
英国に行って来ました♪ 英国旅行(2010年春&2015初秋)

去る9月30日(水)から10月7日(水)まで、英国旅行に行って来ました。当初、夏休みはイタリア行きを考えていたのですが、私が好きなブロンテ姉妹ゆかりの地ハワースが訪問に組み込まれたツアーを見つけたので、行き先を英国へと変更しました。
私は約10年ぶり、夫はなんと約20年ぶりの英国再訪でしたが、特色ある地方と世界に冠たる大都市ロンドンの魅力はさすがで、さらにツアーメンバーにも恵まれ、とても楽しい旅行となりました。日本に戻って来て3日が経ちましたが、早くも次の再訪を考えています(笑)。とは言っても、いつのことになるのやら…
最終日の自由行動で、ロンドンのリージェント・ストリート等で買い物をしました。そのひとつが、写真のテディベア。今年で創業255年を数えるおもちゃ店ハムレイズ(Hamleys)のオリジナル商品で、帰国後、HPで調べてみたら"PECAN"と言う名前のベアでした。リボン、首から下げた合皮製のタグ、足の裏、そして、お尻の部分に"HAMLEYS"のロゴ。すごく可愛いです。
ハムレイズは、7階建てのビルの殆どが世界中のおもちゃで埋め尽くされているおもちゃの殿堂。時間の都合上、1階しか見られなかったのですが、テディベアのコーナーは店に入ってすぐ左手にあり、大小さまざまなベアが陳列されていました。その中から、大きさ、手触り、顔つき、そして価格で選りすぐったのが、栗色のベア。
帰国後、地方にいる息子にもその写真を送り、二人で相談して、3つの候補の中からパウロと名付けました。「パウロ」は現在私が読んでいる曽野綾子さんの著書『心に迫るパウロの言葉』に因んだもの。息子には何の先入観を与えずに3つの候補名を挙げたのですが、彼が私の希望通りの名前を選んでくれて良かった。
ハムレイズはとにかく楽しいところ。ちょっとしたテーマパークのようなノリで、子どもも大人も、そしてそこで働く店員さんも、とても楽しそう!今頃後悔しても遅いのですが、店内の様子を写真に収めておけば良かった…ちょっと慌しくて、写真を撮る余裕がなかったんですよね。
印象的だったのは、店員さんが皆さん生き生きと働いていたこと。私と夫がテディベアをじっくり真剣に品定めしていたところ、「おお、じっくり選んでいるんだね。これから大事な家族になるんだものね。」と陽気に話しかけて来ました。そしてレジへと案内しながら「今日はどうだい?」と聞くので「まあまあね」と応えたら、「この子に出会えたんだからHAPPYな日だよ」と返して来ました。とにかくノリが良い。心からの笑顔が素敵。きっと心から自分の仕事を楽しんでいるのでしょう。
宿泊したホテルのフロントの女性はルーマニア人、そして、ハムレイズの後に行ったオースチン・リード(AUSTIN REED)のレジの女性はブラジル人と、世界中から若者が仕事を求めてロンドンに来ているようです。憧れの街で仕事を得た自信からなのか、とにかく彼女達の笑顔が素敵でした。もしかしたら、ハムレイズの陽気な黒人青年の店員も海外出身なのかもしれません。
彼らに比べると、日本の若者はどうなんだろう?仕事場で、特に接客業で、心からの笑顔に出会ったことは殆どないような気がします。あまり仕事を楽しんでいるようには見えない。
とにかく、ロンドンで出会った若者達がキビキビと楽しげに働く姿が、強く印象に残っています。

日曜日の昼下がり。バース(Bath)のエイヴォン川沿いにある公園にて…
2006/4/14
ロンドンでミュージカルを見る(1) 英国旅行(2010年春&2015初秋)

ピカデリー・サーカスから徒歩10分の所にある
プリンス・オブ・ウェールズ劇場
(Prince of Wales Theatre)。
ここで、ABBAの曲を元に作られたミュージカル
『マンマ・ミーア』が上演されています。
”プリンス・オブ・ウェールズ”と銘打っているだけあって、
設備は豪華です。
私が高校生の時、スウェーデン出身のポップスグループ
ABBAが、世界的な人気を博していました。
私も彼らの曲に夢中になりました。当時英語を一生懸命勉強
したのは、もっぱら彼らやイギリスのロックバンドQUEEN
の曲の歌詞の意味を理解したかったからです。
辞書と首っ引きで、彼らの曲の訳詞に挑戦したのが、
懐かしく思い出されます。その時のノート、残しておけば
よかったな。
そのABBAの曲22曲をフューチャーしたミュージカル
『マンマ・ミーア』が、本場ロンドンのウエスト・エンドで
1999年初演の幕を開けてから以後、アメリカのブロード
ウェイでも、そして日本では劇団四季が上演し、
好評を博しています。

しかし、ABBAのオリジナルの歌詞に慣れ親しんだ私は、
どうしても四季版の翻訳の歌詞には違和感を持ってしまう。
そこで、どうせ見るならオリジナルを、チャンスがあれば
ロンドンのウエスト・エンドで見たいと思っていました。
幸運にもそのチャンスが巡って来たのです。
早速、どうやったら見ることができるのか、調べてみました。
2006/4/13
ロンドンからの日帰り旅〜コッツウォルズ(番外編) 英国旅行(2010年春&2015初秋)

バスツアーの後半から降り出した雨が、観光を終えて
ロンドンへと戻る頃には、どしゃ降りになりました。
バスは、コッツウォルズ地方を出てハイウエイに入ってから
しばらくすると、雨と雨が原因の事故(だったらしい)
による大渋滞に嵌ってしまいました。何と1時間半あまりも
殆ど動かない。おかげで予定の帰着時間より2時間近くも
遅れることに…。
途中下車も構わないというので、私と息子は私達が利用する
ハマースミス駅(Hammersmith Sta.)から4駅離れたグロース
ターロード駅(Gloucester Sta.)前で下車しました。ツアー中
行動を共にした彼女も偶然同じ場所で下車。しかし、ホテル
へは徒歩で帰れるとかで、その場でお別れしました。結局
互いに名前も名乗らず別れたのですが、Dで書いたように、
嬉しい言葉をいただき、爽やかな余韻の残る別れでした。
2006/4/12
ロンドンからの日帰り旅〜コッツウォルズ(5)旅の楽しみ 英国旅行(2010年春&2015初秋)

旅行の楽しみ
旅行の楽しみは景色を愛でたり、おいしい物を食べたり、
素敵なお土産を買うだけではないのは言うまでもありません。
旅先での人との出会いもまた、旅に彩りを添えてくれます。
旅の途中のほんのひととき、互いの時間が交差する。こんな
偶然は、そうあるものではありません。
だからこそ、その出会いは大切にしたいし、短い間でも
楽しく意味のある交わりを持ちたいものです。
2006/4/11
ロンドンからの日帰り旅〜コッツウォルズ(4)ブレナム宮殿 英国旅行(2010年春&2015初秋)

イギリスの元首相、ウィンストン・チャーチルにゆかりの深い
ブレナム宮殿。名門貴族マールバラ公爵の居城です。
ボートン・オン・ザ・ウォーターで40分ほど過ごし、
その後コッツウォルズ地方で最も標高の高いストウ・オン・
ザ・ウォルド(Stow On The Wold)へ移動。
そこには昼食時間を含め1時間の滞在予定だったのですが、
ツアー会社が斡旋したパブのランチに思いの外時間がかかり
結局村を散策することもなく、ランチを食べただけで出発の
時間が来てしまいました。ここが団体ツアーの悲しいところ。
ランチはイギリス名物のロースト・ビーフとヨークシャー・
プディング。西洋わさび添えのロースト・ビーフはそれなりの
味で良かったものの、ヨークシャー・プディングが焦げ焦げで
とても食べられたものじゃない。30分以上待たされた挙げ句、
二人で15£もしたのですから、何だか損した気分です。
まあ、こういう失敗は旅につきものですが…他のツアー参加者
も苦笑しながら、村を後にしました。
2006/4/7
ロンドンからの日帰り旅〜コッツウォルズ(3)ボートン… 英国旅行(2010年春&2015初秋)

次の訪問地は、街の中を清らかな小川が流れる景観が美しい
ボートン・オン・ザ・ウォーター
(Bourton-on-theーWater)(写真はガイドブックより)。
村々の間には広大な田園風景が広がります。ずっと遠くの
地平線まで見渡せる清々しさは格別。こうした風景、村や
街の佇まいが気に入って、ここに暮らす有名人も多いのだ
そうです。車中でのシーラさんのその解説に思わず挙手して
聞いてしまいました。「For example?」。するとシーラさん
「(女優の)エリザベス・ハーレーや、(独出身でスーパー
モデルの)クローディア・シーファー」と即答。
”うゎ〜、グラビアで見たことのある彼女達が、ここのどこか
に住んでいるのねぇ。”ミーハー心が一瞬騒いだのでした。
2006/4/6
ロンドンからの日帰り旅〜コッツウォルズ(2)バーフォード 英国旅行(2010年春&2015初秋)

最初に立ち寄ったバーフォード(Burfotd)の
ハイストリート(米語で言うところのメインストリート)。
食器や家具、小物、絵画などのアンティークを扱う店が
立ち並ぶ通りです。
旅行から戻って来て、いささか後悔しているのは、ここに
旅行記を載せるんであれば、もっと数多く、被写体もよく
考えて写真を撮るべきだったのかな、ということ。
ただ、それだけ旅行中、その場を楽しむことに集中していた
とも言えるわけで…例えば、こういうことはありませんか?
あまりにも美しい景色を目の前にして、
感動のあまり写真を撮ることも忘れ、
自分の網膜に焼き付けるかのごとく、見入ってしまうこと。
今さら後悔しても始まらないので、撮った分だけでもUPして
楽しかった旅行の一端をお見せできればと思います。
※コッツウォルズ地方を紹介するブログで、素敵な写真を
見つけました。ファームハウスに泊まる、という楽しみ方
もあるのですね。
カフェ薔薇うさぎへようこそ
実際にイギリスに住んでいた人による紹介記事も。
不便だからこそ、昔ながらの美しい自然や景観が残っており
ゆったりした時間が流れているのでしょうね。
【750日間限定】ロンドンで働く
2006/4/6
ロンドンからの日帰り旅〜コッツウォルズ地方(1) 英国旅行(2010年春&2015初秋)


時系列にロンドン旅行について書こうと思ったのですが、
このところボランティア活動が忙しく(いろいろ資料を調べた
上でクイズを作ったり、文章にまとめなければならず結構
手間がかかります)、旅行記をまとめる時間(精神的余裕も)
がないので、旅行の時にふと思ったこと、考えたこと、
気付いたことを忘れないうちに、こちらに書き留めようと
思います。
2006/3/28
ロンドンから 英国旅行(2010年春&2015初秋)

ロンドンきっての繁華街ピカデリー・サーカスに向かう
ロンドンバスの2階一番前の座席からの眺め。
ロンドンの街は通りに面した建物に通り名が表記されて
いるので、現在地確認がやりやすいですね。
6泊8日の予定でロンドンに来ていますが、
あっという間に時間は過ぎて、もう明日帰国です。
久しぶりのロンドンでまず驚いたのは物価が高いこと。
これは日本円がイギリスポンドに対して弱いせいだと
思いますが、たいした料理でもないのに、
ランチでひとり軽く2000円は超えます。
日本の倍ですね(あ…私の場合ですけど)。
これには驚きました。
(この記事は、ピカデリー・サーカスにある
ジャパンセンター2階のPC(30分で2ポンド)から
送信しました。
今や至る所にネットカフェがあり、日本語の読み書きも
できるPCもあって、いやはや便利な世の中になった
ものです(^_^))
2006/3/21
明日から… 英国旅行(2010年春&2015初秋)

↑最近はこんな便利なものが…予定表、日記、食事記録、
スクラップ欄、支出管理表と至れり尽くせりの内容。
それぞれの箇所に書き込んで行けば、
私のオリジナルな旅行記ができるわけです。
書店の旅行本コーナーで見つけました。
7泊8日(内1泊は機中)の予定でイギリスに行って来ます。
今回は4月から高校生になる息子との二人旅です。
イギリスを訪ねるのはかれこれ10年ぶりでしょうか?
美術館・博物館巡りを中心に、ウエストエンドでマチネーの
『マンマ・ミーア』を見て来ます。これはチケットマスター
で既に座席は確保済み。前から2番目の良席が取れました。
別に資金が潤沢にあるわけでもなく、結構ケチケチな旅に
なりそうです。旅費は4年かけてコツコツ貯めたもので、
夫の勤続25年の祝いに会社から頂いた旅行券も合算して、
支払いました。
息子にとっては物心ついてからは3度目の海外となります。
小1の時に米ニューヨーク、小4の時にイタリア、そして
今回の英国ロンドン。若い感性で、何かを掴んで欲しい。
私が西洋美術を勉強しているせいか、西洋に偏りがちですが
今後政情が安定すれば、以前住んでいた中東にも彼を連れて
行きたい。
普段の生活で英語を使うことは殆どないし、果たして自分の
語学力で大丈夫か不安な面もありますが、失敗もある意味
楽しめる人間なので、”冒険”のつもりで挑戦です。
電子辞書という強い味方もいるし(^_^;)、息子もいるし?!
もし、可能なら現地のインターネットカフェから、旅日記を
書き込みたいと思っていますが…そんな余裕はないかな?