2017/6/6

やっぱり子どもはかわいい  ボランティア活動のこと

 今年度で12年間務めたボランティアも任期を終えますが、この4カ月余り休業状態でした。

 と言うのも、今年の2月の半ばに夫の両親の様子を見に九州に帰省して以降体調を崩し、中耳炎と気管支炎が完治するのに1カ月以上もかかってしまった上に、今年度は例年になく年度初めはSGTの依頼が少なかったのです。しかも5月は申し込んでも多数の立候補者がいたため選に漏れたし…

 ところが、今月に入ってからは各所から多数のSGTの依頼があり、第一週の今週はなんと4回も担当することになっています。立候補した中でひとつでも当たればいいなという軽い気持ちで申し込んだら、すべて当たってしまったという…(笑)。

 何よりブランクが長くて現場勘を取り戻せるのか、また体力にも一抹の不安(特に慣れない通勤ラッシュ時の満員電車での移動)を覚えていたのですが、2回のSGTを終えた時点で、身体の疲れよりも精神的な充足感の方が優っています。

 何と言っても、子ども達がかわいいですねえ

 元気いっぱいで、真っ直ぐで、真綿のように新しいことをどんどん吸収して、私の言うことにビンビン反応して…その生命力溢れるさまに、私は元気を貰っています。

 子どもはやはり人類の未来、宝です。大事にしたい。

2014/3/27

美術館で本物を見るということ  ボランティア活動のこと

私は基本的に下は小学生から上は大学生まで、主に学生を対象にギャラリートークをさせていただいていますが、年に1〜2回、自治体や団体が主催する生涯学習の一環で訪れる成人の方々に対しても、ギャラリートークをさせていただくことがあります。

実は今日実施したギャリートークが、その年に1回あるかないかの、成人を対象としたギャラリートークでした。都内とは言え、かなり遠くからバスでいらしたその団体さんは、あいにくの雨で渋滞に巻き込まれる等して、予定の時間を30分以上遅れて美術館に到着されました。

成人対象と言っても、基本的に児童生徒対象の対話型トークと変わりありません。ただし、成人向けに多少解説を多めにはしています。

結論から言うと、今日のギャラリートークはとても楽しいものでした。参加者がストレートに喜びを表してくださるので、私自身がギャラリートークを実施しながら、励まされているようでした。

例えば、モネの《睡蓮》は部屋の入口から徐々に距離を詰めていって作品の前に立つと、見え方に変化があって面白いのですが、ある方が「絵は目の前にすぐ立って見るもんだと思っていたけど、まず遠くから見て、段々近づいて行くって見方があるんだね。なるほど、こういう見方もあるんだ」と言って、何度も頷かれました。

また、最初の作品では発言のなかった男性が、最後の作品では、すっかり打ち解けた雰囲気で饒舌に作品についてお話されました。皆さんの表情も時間の経過と共に豊かになって、楽しそうにされているのが、こちらにも伝わって来ました。

私が担当したグループは8人で、40代から70代?の年齢幅で、当該美術館に来るのは殆どの方が初めて。美術館体験そのものもあまりない方が殆どでした。

そこで、美術館での作品の楽しみ方についてのヒントを差し上げました。それはあくまでも、ひとつのアプローチの仕方ではありますが…

いまどき、美術作品は本、テレビ、ネットで気軽に見ることができます。それでは、なぜ、皆さんはわざわざ美術館に足を運ぶのでしょう?

確かに昨今のテレビやパソコンの画面の解像度は上がって、作品もくっきりと見えます(美術館には作品と鑑賞者との間に結界が設けられていることも多いので、美術館で見る以上に作品を近接して見られると言う利点も)

それでは、例えば油絵の絵の具の盛り上がりや筆の跡は、テレビやパソコンで見るのと、実際に美術館で実物を見るのとでは、どう見え方が違うのでしょう?…やはり実物の方がより立体的にくっきりと絵の具の盛り上がりや筆跡が確認できますね。作品を制作中の作家の息遣いまで聞こえてくるような迫力があります。

また、いかにパソコンやテレビ等のモニター画面や画集等の印刷物の「色の再現性」の技術が飛躍的に向上したと言われても、肉眼で間近に見る実物作品の色彩を100%忠実に再現しているとは言えません。オルセー美術館で見たエドワール・マネの≪草上の昼食≫の色彩の鮮やかさと美しさには感動のあまり、しばしその前に立ち尽くした程です。

さらに、テレビやネットや画集で知り得ないこととして、「実物の大きさ」があります。

かの有名なルーヴル美術館所蔵のレオナルド・ダヴィンチ作≪モナ・リザ≫をルーヴルで初めて見た時の驚きは忘れられません。さまざまな媒体で見尽くした作品の実物が、自分の想像以上に小さかったこと。それは、そのけっして大きいとは言えない作品の中で展開する世界の宇宙的な広がりと奥行の深さが、より大きな作品だと錯覚させていたのかもしれません。その逆にオルセーで見たギュスターブ・クールベの≪オルナンの埋葬≫の予想外に大きかったこと。その迫力に圧倒されました。

こうした実物作品と間近に対面することによる驚きや感動の体験こそが、美術館で本物を見ることの意味だと私は考えます。

作品の近くには、必ず作品の題名や作者の名前が書かれたプレートがあります(←これはキャプションと言います)。まず、作品の前に来たら、これは見ないでください。まず、自分の目を信じて、自分の目で、目の前にある作品をじっくり見てください。


作品には何が描かれているのか?作品の中に気になるもの、面白いもの、不思議なもの、とにかく何か引っ掛かるものを見つけてみましょう。同行者がいれば、それを互いに発表してみましょう。

あなたが気付かなかったことを気付いた人がいるかもしれません。同じものを見ても、人によって解釈が違うこともあります。感想だって違います。それが当たり前です。違うから面白いんです。いろいろな見方があって良いんです。そもそも世の中の物事全て、見る人の立ち位置によって見え方が違うではありませんか?

作品を見て、作品を前にして、あれこれ想像を巡らすことが大切なんです。そうすることで、作品は、あなたの心に強く印象づけられます。あなたの記憶に残るのです。

この絵はいつの時代を描いているんだろう?どこを描いているんだろう?描かれた人物の特徴や服装や持ち物、建物や風景で分かるかな?

絵の中の人物は誰なんだろう?何を持っているんだろう?なぜ、持っているんだろう?

絵の中の人物は何をしているんだろう?この表情はどんな気持ちを表しているんだろう?

このポーズには何か意味があるんだろうか?もしかして人物の立場や感情や考えを表しているのだろうか?他の登場人物との関係性を表しているのだろうか?

どうして、作者はこの絵を描いたんだろう?
どうしてこのような色遣い、或いは筆遣いで描いたんだろう?
色の明るさは他の作品と比べてどうだろう?筆遣いもどうだろう?

同じ作者の作品でも時代によって変化しているのは、作者の身に何があったのだろう?何から、或は誰から影響を受けたのだろう?エトセトラ…



例えば宗教画は、聖書の物語の一場面を描いていたりするのですが、最初はとにかく上述のようなアプローチで作品を見て行きます。そこで、その時点で気付いたことを踏まえて、参加者各々に自由に物語を作ってもらいます。

その間、参加者はいろいろな疑問を持ちます。例えば、今回は絵の中の天使の絵を見て、天使は女なのか、男なのかと参加者間で議論しました。天使は女性、と言う前提で見ると、絵の中の天使は二の腕が逞し過ぎる。顔は女性的なだけに不思議な印象を覚えたようです。結局天使は人間ではないので、性別はないのですが(或いは両性具有?)…しかし、それはひとつの知識であって、この場では絵を見てあれこれ想像を巡らせるのが大切。

ひとしきり参加者全員で語り合った後で、目の前の作品が聖書のどの場面を描いたもので、どのような意味があるのか、私が種明かしをしたのですが、別にここで参加者の作品解釈の正解不正解を問うているわけではないのです。

参加者が聖書の勉強をしている生徒なら、正解、不正解を問われるかもしれませんが、ここは美術館。あくまでも作品をじっくり見る事が主眼です。

実はこの時点で、参加者は「作品をじっくり見る」という所期の目的を十分達成しています。参加者が作品を前に、自由に語り合ったことに意味があるのです。

仮に私が最初からこの絵は聖書のどの場面で、こういう意味があります、と解説したとしましょう。参加者はその場でその作品について理解した気にはなるかもしれませんが、帰宅後、果たしてどれだけ絵について、作品そのものについて覚えているでしょうか?(ですから、通常美術館で実施されている解説トークに参加した後は、改めてご自分で作品をじっくり見ることをオススメします)

美術館では常に私のようなサポーターがいるとは限らないのですが、その代わり、キャプションと解説プレートがあります。

まずは作品を見ること。上述の要領でじっくり観察することです。

その後に、キャプションや解説プレートで、題名や作者や、作品について確認しましょう。

それでも疑問があれば、ネットや本で調べてみましょう。

この一連のプロセスこそ、美術館で作品を見ることの醍醐味だと思います。


現実問題、観光等で訪れた大規模な美術館での鑑賞の場合、膨大な量の作品を満遍なく見るのは難しいと思います。その場合はメリハリある鑑賞方法が求められるのかもしれません。言うまでもなく人間の集中力には限界があるので、最初に展示室全体を見渡し、その部屋の作品群の雰囲気を掴んだら、数多ある中から自分なりに気になる作品を幾つかピックアップして、じっくり見ると言うのもアリではないでしょうか?


できるだけ多くの人が気軽に美術館に足を運び、作品との出会いを楽しまれるよういつも願いながら、私はボランティアとして活動しています。

2012/5/14

ボランティアは人の為ならず  ボランティア活動のこと

美術館でボランティアを始めてもう8年になる。飽き性の私が今まで続けて来られたのには、少なくとも二つの理由があると思う。


まず何と言っても、ボランティア活動を通して沢山の子供達と出会うことの楽しさ

美術館で実施するスクール・ギャラリートーク(以下、SGT)は対話型トークと言われるもので、特に小学生の児童に対しては、私達ボラティアは作品についての解説は最小限に止めて、目の前にある作品を見て気づいたこと、感じたこと、考えたことを、子供達に自由に発言して貰うことを目指している。

そこでは児童の発言に対して、学校のテストのように正解・不正解は問わない。また、発言に至らないまでも、各々の児童の心の中で芽生えた思いや考えを尊重したいと思っている。つまり、これは知識を授けると言うより、感性を豊かに育てることに主眼を置いた鑑賞教育と言える。

まずは、美術館はほぼ初めてと言う児童に、本物の美術作品と出会う機会をとりもち、美術作品との出会いを楽しんで貰い、このSGTが美術作品、並びに美術館をより身近に感じるきっかけになればと思う。

さらに中学生ともなれば、より複雑な抽象思考が可能になり、知識欲も旺盛になるので、私達ボランティアも作品の時代背景や作家、創作技法に着目した解説を加えたり、ひとつひとつの作品に対してより深い考察を促す等して、その成長に合わせた鑑賞方法で対応している。その意味では、発達年齢に応じた鑑賞の在り方を目指しているとも言えるだろうか?

こうしたSGTでは(さらに年に2〜3回実施される家族向けワークショップでも)、子供達の直向きさに感銘を受けることが少なくない。発想のユニークさに驚かされることもしばしばだ。私達大人の既存の枠組みで考えた予想や期待を軽々と超えた子供達の反応に、彼らが未来に向かって生きている存在であることを実感せずにはいられない。そして終わった後には、私が子供達に美術館との橋渡しのボランティアをしてあげていると言うより、私の方が逆に子供達から元気を貰っていることに気づくのだ。普段、子供と接する機会の少ない人は、特にその喜びが大きいのではないだろうか?


ボランティアを続けて来られた理由のもうひとつは、他では得難い、志を同じくする仲間との信頼関係だ。当初19人でスタートしたボランティアは2年前に2期生を迎え、現在は40人近くになった。仲間とはこれまでボランティア活動以外でも、勉強を兼ねて首都圏各地の展覧会を巡ったり、日帰りや一泊で遠方の展覧会にも足を運んだりと、行動を共にして来た。中には連れだって海外まで行った仲間もいる。身近に美術に関心を持つ友人が少ない私にとっては、貴重な鑑賞仲間とも言える。

大人になってから、利害関係やしがらみを抜きにした友人関係を築くのは難しい。特に女性は結婚後仕事を持っていないと、子供を媒介したママ友関係が身近な友人関係になりがちだと思う。しかし、それはあくまでも子供を通じた繋がりであり、子育てで助け合うことはあっても、趣味嗜好が必ずしも一致するわけではなく、そこに物足りなさを感じるのは否めない。子供がある程度成長して、子育ても一段落したら尚更である。

だからこそ、趣味や関心のベクトルが同じ人との関わりを求めたくなるのだろう。しかもボランティアは、持ち回りの町内会の役員や学校のPTA役員のような半ば強制的な役回りではない。参加するか否かはもっぱら本人の自主性に委ねられている点が魅力だと思う。ボランティアが集って共同作業をする中で多少の摩擦が生じても、金銭的報酬も絡んでいないせいか、ボランティアとして所期の目的を達することに徹すれば、関係が大きくこじれることも殆どない。

そもそも無報酬で誰かの為に働くことを厭わない人に、根っからの悪人はいないのではないか?(売名行為や箔付け等、何らかの個人的利益を意図して参加する人も中にはいるようだが、そのことがボランティア活動自体の評価を不当に下げて、活動を妨げるようなことがない限りOKだろう。個人的にその人を信頼できるか否かは別として)ボランティア活動は、志や価値観を同じくする、信頼できる友人を捜すには最も有効な手段だと言って良いと思う。


人の喜ぶ顔が見たい。困っている人を助けたい。誰かの為に役立ちたい。何かで、どこかで人と繋がっていたい。誰かと喜びを分かち合いたい。誰かの哀しみや苦痛を少しでも和らげたい。自分自身を高めたい。自分の能力を社会に役立てたい。仕事とは違う何かで自分を表現したい、生かしたい。子・親・祖母・祖父・姉・兄・妹・弟・先生・会長・社長・上司・部下等と言った立場を離れて、ただひとりの人間として何かをしたい。人生にやりがいを見いだしたい。そんなひとりひとりのさまざまな思いを、ひとつの形にするのもボランティアだと思う。

ボランティアとは他の人の為の奉仕活動のように見えて、その実、働いた以上のもの〜恵みを自分自身が得ているものなのかもしれない。

2012/3/24

研修会のまとめ『学芸員の仕事』  ボランティア活動のこと

先日、ボランティア研修があり、美術館の学芸課長のレクチャーを受けた。以下はそのメモをまとめたもの。テーマは『学芸員の仕事』

学芸員は英語でcurator(キューレーター)と言う。これはラテン語のcurare(保護する)を語源とする言葉だ。curareは今日のcare(世話をする)やcure(治療する)の語源とも言われ、学芸員も、まさに作品や史料を管理し、保護する役割を担っている。

学芸員の仕事は様々あるが、今回は「展覧会の実施」と「文化財レスキュー」の2点について紹介。


1.展覧会の実施

通常、展覧会の準備は3〜4年前から始まるが、本日は展覧会直前の準備について。

@作品の搬入:学芸員の管理の下で、専門業者による搬送が行われる。
 各々の作品はクレートと呼ばれる箱に梱包された上で搬送され、美術館の収蔵庫に一旦保管される。

クレート(crate)外観(参考写真)
クリックすると元のサイズで表示します クレートは木製で作品より一回り大きく、内部は四隅にウレタン材が装着され、それに嵌め込む形で作品が梱包され、移動。
 その際、作品にはデータロガーと呼ばれる温湿度記録装置が装着される。これにより、貸し主の美術館は、貸し出した作品の置かれた環境を、記録データを元にトレースできる。
 またクレート表面には、搬送時のクレートの傾きをチェックするティルト・ウォッチや、衝撃をチェックするショック・ウォッチが装着される(写真を見たところ、シール状の物で、傾きや衝撃があった場合に、そのシールの色が変わるようだ)

 《着衣のマハ》のような特に重要な作品は、二重に梱包するダブル・クレートで搬送される。

 損傷や盗難等のリスク回避の為、作品は幾つかの便に分けて搬送される。

Aシーズニング:何もせずに、収蔵庫に24時間保管する。これは作品を新しい環境に慣らす為の措置。急激な環境(温湿度)の変化で結露が発生する危険性もあるので、それを予防する為でもある。

Bテーブルに乗せ、梱包を解く。

C貸し主の美術館から帯同したクーリエ(受け入れ先の美術館や民間委託の)修復家による作品の点検:作品の現状を記録したコンディションレポート(作品調書)を確認しながら、作品を細かにチェック。その際に損傷が見つかれば、クーリエが応急処置を行う(因みに「プラド美術館展」の際には、プラド美術館から5人のクーリエが帯同)

D作品を壁にかける:作品の額縁に釣り金具、壁面にフックを取り付け、作品を壁に掛けるが、その際、跳ね上がり防止リングも装着して、地震による落下や盗難に備える。

 「プラド美術館展」の際、出展されたゴヤ作《着衣のマハ》は低反射ガラス使用の為かなりの重量があり、パワーリフターを使用して作品を持ち上げ吊り下げただけでなく、重さ受けの台を壁面に取り付け、作品を下支えした。 

 版画・素描の展示では、展示室内の照度を抑える。その為、作品が鑑賞者には見づらくなる恐れもあるので、壁面の色を暗くするなどして、相対的に作品が明るく見えるよう工夫する。

 因みに通常美術館では、油彩画の場合、照度は100〜200ルクス以内、版画・素描は50ルクス以内に抑えられている。「プラド美術館展」ではプラド美術館側の求めにより、さらに油彩画が150ルクス、版画・素描は40ルクス以内に抑えられた。

 なお、日本の美術館では、展示室内の温度は20〜22度、湿度は50〜55%に保つよう管理されている。

 以上のように、作品の搬入及び展示において、学芸員は作品の安全を守り、その状態を常にチェックし、展示室の照度にも気をつけるなど、細心の注意を払う。


2.文化財レスキュー

「文化財レスキュー」とは、博物館や美術館の収蔵史料や作品が、天災や戦争等により危機的状況に置かれた際に、それを救済する措置である。これは文化庁の呼びかけで、以下に挙げたような様々な団体が協力して行う。
 
 ・国立文化材機構(国立博物館)
 ・文化財・美術関係団体
 ・全国美術館会議:60年前に発足した任意団体で、国内の約360館の公私立博物館・美術館が加盟。その事務局を国立西洋美術館に置き、会長を西美館長が務めている。

 文化財レスキューは、1995年の阪神・淡路大震災で実績を残した。1998年には災害レスキューの要綱を作成。これに則って、昨年の東日本大震災で被災した博物館・美術館の支援も行っている。

 東日本大震災では、過去の阪神・淡路大震災での経験を踏まえた地震対策のおかげで、地震による作品への直接の被害は少なかったが、津波による被害が甚大であった。

 地震発生直後から文化財レスキューは現地の被害状況の調査を開始した。

クリックすると元のサイズで表示します 津波による被害の大きかった宮城県石巻文化センター。被災前は周辺に民家が密集する地域だったが、現在は殆どの木造家屋が津波に流され、写真のような状態になっている。

 石巻文化センターには、地元出身の木彫家、高橋英吉の作品をはじめ、毛利コレクション、絵画、出土品などの考古資料、漁具や農具などの民俗資料などが収蔵されていた。

 一見無傷に見える石巻文化センターだが、地震直後の津波により1階部分のガラスは全て破損し、天井部分まで冠水した。さらに土砂と共に近隣の製紙工場からパルプ材も流れ込み、1階の収蔵庫や資料室に保管されていた収蔵品の多くが冠水し、泥とパルプ材が付着するなどして破損した。さらに、民具の一部は流出してしまった(2階の展示室にあった木彫作品等は幸いにも冠水を免れ、免震台の上に乗せてあった為、地震の揺れからも守られた)

 この窮状を救うべく、全国の公私立博物館・美術館33館から70人の学芸員が現地に赴き、地元東北の人々(東北芸術工科大の教員及び学生、民間修復家、東北大学のボランティア等)と共に収蔵品の救助活動を行った。

<活動状況>

4/20-22  がれきの撤去
4/26〜  収蔵庫の作品の取り出し
4/27-   収蔵品の記録・梱包・搬出
4/28   絵画・彫刻・素描212件、約700点を石巻から仙台へ移送
     宮城県美術館の機材倉庫で一時保管
4/30-5/28 応急処置:付着物の除去→
     油彩画は表打ち(油絵の具の剥離を防ぐ為に、薄めたヤマトのりでティッシュペーパーを画面に貼る)、裏面のクリーニング、殺菌・防かび剤の噴霧の後、6月まで乾燥させた。
     素描作品は急激な乾燥を防ぐ為、束のままラップで覆った。
     
その後、大学や国立西洋美術館で本格的な修復を行った。

クリックすると元のサイズで表示します 同じく被害が甚大だったのが、岩手県陸前高田市博物館である。ここは2階の天井部分まで冠水し、収蔵品の被害だけでなく、職員全員が死亡及び行方不明になる等、人的被害も大きかった。さらに、救済が遅れた為、収蔵品のカビ害が、他館以上に深刻であった。

 そこで岩手県立博物館を中心に、全国の公私立博物館・美術館19館、計404人のスタッフが、陸前高田市博物館の救援作業に携わった。

ナショナル・ギャラリー収蔵品が疎開したウェールズ採石坑
クリックすると元のサイズで表示します 文化財レスキューは古くは第二次世界大戦でも、ヨーロッパの主立った博物館、美術館で行われた。

 戦禍から収蔵品を守る為、ロンドン・ナショナル・ギャラリーはウェールズの採石坑(写真)に、ルーヴル美術館はロアール川沿いのシャンボール城へと避難させた。ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》は実に6回も場所を替え、避難させている。

 また、イタリアのアカデミア美術館では、移送が困難な大型彫刻作品をレンガのシェルターで覆った。国立西洋美術館の松方コレクションも、当時の管理人の日置コウ三郎が、パリ近郊のアボンダンに疎開させた。

以上

【感想】

 企画展実施直前の知られざる学芸員の仕事が垣間見えて興味深かった。梱包材であるクレートは一般に木枠で作られた物を指すようだが、貴重な文化遺産である美術作品を梱包する際にはより細心の注意が払われていることを、今回のレクチャーで改めて知った。

 展示作業でも、作品の保護に努めつつ、鑑賞者への細やかな心遣いも忘れないところに、学芸員が単に研究者としてだけでなく、作品と鑑賞者の橋渡しの役も担っているのだということを感じた。

 そして、その技量は「文化財レスキュー」と言う形でも発揮され、緊密な支援体制で被災した多くの収蔵品を救っていることに、感動を覚えた(ホント、思わず涙腺が緩んだ)。私達一般の人間も、募金と言う形でその支援に参加できる。今後、博物館や美術館で被災地支援の募金箱を見かけたら、できる限り寄付したいと思う。

 当初1時間の予定が1時間半近くに及ぶほど熱意のこもったレクチャーで、貴重な学びの機会を得られて良かった。感謝!


2009/12/14

およそ10年ぶりに絵を描いた?!  ボランティア活動のこと

 昨日はボランティア研修で、東京芸大において、銅版画制作をしました。やはり単に情報として知っているより、実際に作品制作をし、一通りの制作工程を知っておいた方が、ギャラリートークでも、より説得力を持って銅版画作品について語れるのではないでしょうか。その意味で、今回の研修は得難い経験でした。今回、素案を企画立案して下さった、ボランティア・スタッフのIさんに、心から感謝したいです。

 ここで銅版画についてミニ知識をば。銅版画はその名の通り、銅板を版として用いる版画の技法のひとつです。銅版に刃先が三角刀に似た?ビュランやニードル等で線描し、銅版表面の線描の溝にインクを充たして、紙に写し取るのです。銅版画はさらに、刷る前の銅版をどう処理するかによって、エングレーヴィング、ドライポイント、エッチング、アクアチント、メゾチント等に細かく分類されますが、今回、私はレンブラントが好んで行ったエッチングとドライポイントの技法を用いて作品を作ってみました。

クリックすると元のサイズで表示します 銅版画の起源は1430年頃にライン河畔のドイツに生まれた凹版画と言う説が有力ですが、それ以前に、甲冑に文様を刻む装飾金工技術が、銅版画の生まれる素地となったと言えるでしょうか。この為、当初は銅板ではなく、鉄板が用いられたようです。

 そもそも当初は無署名の職人芸としてスタートした銅版画ですが、マルティン・ショーンガウアー(独1430-91)によって技法的に綜合されてのち、アルブレヒト・デューラー(独1471-1528)によって芸術の高みへと押し上げられた、と言われています。そして、レンブラント・ファン・レイン(蘭1606-69)が、銅版画の技法のひとつであるエッチングの、表現技法としての可能性を大きく広げました。その後はスペインの画家、ゴヤピカソが印象的な銅版画作品を多数残しています。

 銅版画家としてはやはりデューラーが圧巻で、彼が得意としたエングレーヴィングという技法は、上述のビュランと言う道具を使って、銅版に線を刻んで行くのですが、今回、試みにビュランを使わせていただいたところ、素人は直線を引くのさえおぼつかない。銅版に対してビュランの刃先が、どの傾斜角度で入るのかが、どうもポイントのようです。彼の代表作《メランコリア》(右上画像)では多彩な線描及び点描技法が用いられていますが、今回の先生の解説によれば、ビュラン1本でこの作品を仕上げたのだそうです。まさに超絶技巧と言えるでしょうか。


 さて私にとって、銅版画制作は、もちろん初めての体験です。実は絵をひとつの作品として描くのも、美大1年の時、授業で油彩を描いて以来。絵を描くのは(自分で言うのもなんですが)子どもの頃は割と得意な方で、小学校から中学校にかけて、校内や県レベルのコンクールで20回前後入賞したことがあります。中学生の時には、版画(ドライポイント)作品が、県のコンクールで特選を受賞しました。しかし、中学の半ばから高校にかけては文学に傾倒したので、絵を描くことへの興味が急速に失われてしまいました。特に絵画技法に関して専門の指導を受けたことはないので、描画はあくまでも自己流です。

 もちろん、美大に入学してみたら、同じ美術史専攻の学生の中でも、私よりずっと絵の上手い人は幾らでもいました。小論文2つと面接のみの社会人入試と違って、一般入試では実技試験でデッサンも試験科目のひとつなので、一般入試を経た他の学生達は、予備校等で指導を受けていたということもあるのでしょう。それに”現役”バリバリの、ついこないだまで高校生だった子達ばかりでしたしね。美大に入学するまで絵筆を20年近く握ったことのない私とは大違いです。

 しかし、今更そんな言い訳めいたことを言うのもみっともないかな。本当に絵が好きならば途中で何があっても描き続けていたであろうし、この、自らが興味を持った事柄に対して、初期の情熱を長きに渡って継続できることこそ、一種の才能とも言えるのではないでしょうか。凡庸と非凡を分けるのは、ひとつには、この資質を持っているか否かなのかもしれません。 

(1)下絵を描く
クリックすると元のサイズで表示します 今回は、予め下絵を準備してくるようにとのことだったので、お気に入りの、樹齢4000年とも言われる屋久杉の写真を描写してみました。屋久島で長らく風雨に耐えて生き抜いて来た、節くれ立った老大木の生命感が表現できればなと思いつつ描きました。
 
 しかし、難しい!すべて線描で行う陰影表現はもちろんのこと、複雑な表情を見せる木肌や何百とある葉の描写をどうするか悩みました。実は銅版画はすべてを「線描」で表現する為、「線」が命なのです。後に、この「線」で私は、少し後悔することになります。

(2)下絵をトレーシングペーパーに転写する
クリックすると元のサイズで表示します 下絵をトレーシングペーパーに転写することになりましたが、ドジな私は指定されたサイズを間違えていて、下絵は銅版よりかなり大きめ。そこで一部を割愛することになりました。

 どうしたら、作品の持ち味、老大木の生命感を損なわずに、限られたスペースに描き込むか?画面が小さくなる分、モチーフが画面の中で、より大きく描かれることになるので、指導して下さったS先生は、「意外に、その方が迫力が出るかもしれませんね」と仰って下さいました(ここからが私のドジ・ストーリーの始まり)。
   
(3)トレーシングペーパーから銅版へ下絵を転写する

(4)転写された下絵に従って、ニードルを使って、銅版を彫り込んで行く

(5)銅版を塩化第二鉄溶液に漬け込み、腐食させる(45〜60分間)

クリックすると元のサイズで表示します 左写真は、(3)〜(5)の工程を終えた段階の銅版。

 作業としては、下絵の銅版への転写の下準備として、銅版のクリーニングとグランド塗布が必要です。まずエコウオッシュという溶液をふりかけ、テッシュで拭き取った後、中性洗剤をふりかけ、筆でブラッシングし、水道水で洗浄します。次に、水分を拭き取った銅版の表面に、グランドと呼ばれる、アスファルト、松ヤニ、蜜蝋を主成分としたものを塗布します。グランドが銅版上で伸び易いように、ウォーマーと呼ばれるテーブル状の機械の上に銅版を乗せ、しばらく温めた後、ローラーを使って万遍なく塗布します。

 この後グランドを銅版に固着させるために水道水で一気に冷やすのですが、私はここでドジ2連発。1発目は、熱でかなり熱くなった銅版を、大きめのコテに乗せて水道の蛇口まで移動する途中で、銅版を落としてしまいました。これで銅版のクリーニングからやり直し。2発目は、落とすまいとしてティッシュを手にした片手で支えたら、銅版の表面にティッシュが付着してしまいました。これで、また最初からやり直し。先生には「またぁ…?」と呆れられてしまいましたホント、恥ずかしいよね。この2度に渡る作業のやり直しで、私は他の研修者に大きく遅れをとることになりました(そもそも他の人々より細かい描写の下絵なのに…)。 

 そして、(「やっと」と言うか…)いよいよ、トレーシングペーパーから、銅版への転写です。できるだけ割愛する部分が少なくなるように、斜めの構図で描くことにしました。銅版の上にカーボン紙を乗せ、その上に、(版画は左右反転するので)表裏を返して、斜めにずらしたトレーシングペーパーを重ね、トレーシングペーパーの描画に沿って鉛筆を走らせます。これも、私の下絵は描写が細かいだけに時間がかかりました。他の人の進度が速いので、焦る焦る

 下絵の銅版への転写が済むと、今度は転写した描線の通りに、ニードルで銅版を彫って行きます。この後、銅版を塩化第二鉄溶液に45〜60分間浸すのですが、これが腐食の工程に当たります。浸している間、グランドで皮膜されている部分の銅版は、グランドによって腐食を免れますが、線描で銅版が剥きだしになった部分は、溶液で溶け出し、線描によって出来た溝がより深くなります。つまり、浸す時間の長短で、溝の深さを調節することができるのです。

 一定時間、塩化第二鉄溶液に浸した後、銅版を引き上げ、これ以上の腐食の進行を止めるために、銅版を数秒重曹液に浸して中和させ、水で洗浄し、さらに醤油を銅版全体にかけて、再び水で洗浄します。何でも醤油に含まれるアミノ酸の働きで、腐食の進行に止めを差すらしい。

(6)1回目の刷り(試し刷り)
クリックすると元のサイズで表示します 銅版に残った水分をウエス等で拭き取った後、再びウォーマーで銅版を温め、今度はローラーで銅版の表面にインクを伸ばします。線描の溝にインクを押し込めるよう意識して。

 次にカンメンシャ?と呼ばれる目の粗い固い布で銅版の表面を円を描くように荒拭きし、さらに紙で拭いて、余分なインクを取り除きます。さあ、いよいよプレス機で、最初の試し刷り。版画紙は前日のうちに水で濡らしておき、刷る直前に乾いた紙2枚の間に挟んで余分な水分を取り除いた後、プレス機の上に乗せた銅版の上に重ね、フェルトカバーをかけてプレスします。

 プレス機のフェルトカバーを持ち上げ、版画紙をひっくり返す瞬間は、果たしてどんな仕上がりかとドキドキワクワクしました。まるで我が子の誕生の瞬間に立ち会うかのよう。実際、「作品」は世界にふたつとない、私自身の創造物と言えます。

 自分のイメージ通りに刷り上がっているのかどうか…刷り上がった作品をチェック。陰影表現等物足りない点があれば、ここでニードル等を使って加筆します。試し刷りの時点で、私の作品は鉛筆での下書きと比べると線描の量が少なく、何となく物足りない印象。特に木肌の材質感が全然再現できていないように感じました。

 さらに、線描の雑なこと。これは刷って初めて気づいたことでした。エッチングは「線」が命だからこそ、1本1本の線描を疎かにしてはいけないのです。最初にニードルを銅版の上に乗せた時から最後まで、緊張感を保った状態で線を彫る。最後に気を抜いてしまうと、何とも締まりのない線になってしまう。特に今回私が描いた屋久杉は威風堂々とした佇まいが持ち味とも言えるので、締まりのない線の存在はそれだけで、モチーフの本来の魅力を損なってしまいます。その意味で、線描の雑さが悔やまれます

(7)再試し刷り

 再試し刷り、と行きたいところですが、時間が押していて、私はこの後、2回刷って、作業を終わりとしました。加筆後は、最初に彫った部分の溝の腐食を防ぐ為にマジックインキで皮膜して保護した上で、銅版を再び第二酸化鉄溶液に、今度は20分浸しました。そして2度目、3度目の刷り。指導に当たって下さった院生の方のアドバイスで、ルーレット?を用いて加えた点描が木肌の質感を思いの外巧く表現し、試し刷りの時より、作品に深みが出たように思います。

(8)本刷り
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【感想】

クリックすると元のサイズで表示します  作業工程が複雑で、一度やっただけでは、私など、とても覚えられそうにありません。しかし、7時間(2時間は講師による作業工程の実演と説明、残り5時間が銅版画制作演習)と言う時間があっと言う間に過ぎてしまったほど、慌ただしくも楽しめました。自分の手で無から有を生み出す「創作の醍醐味」を久しぶりに味わったように思います。他の参加メンバーも作業に集中して、それぞれに個性的な作品を生み出していました。今回、芸大で版画の非常勤講師をしておられるS先生と3人の院生の方にご指導いただきました。殆ど初心者の私達に忍耐強く指導して下さり、心から感謝を申し上げたいと思います。「この道30年」と仰ったS先生。確かに、銅版画の世界も奥深いようです。機会があれば、是非また挑戦したいですね。


 長文記事を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。




2009/7/13

嬉しかったこと  ボランティア活動のこと

クリックすると元のサイズで表示します 気が滅入る中にも一条の光のように、私の心を明るく照らす出来事はあります。昨日はボランティアとして美術館にいた時に、そんな出来事に出会えました。

 17世紀オランダのヴァニタス画エドワールト・コリール作《ヴァニタス画〜書物と髑髏のある静物》(←好きな絵なので、どうしても気になる)の前で、いかにも”イマドキの”と言った風情の女の子がひとり、作品に見入ってずっと立ち止まっていることに気がつきました。どうやら仲良し4人組で来館しているらしく、内2人はあまり絵に興味がない様子で、すこしつまらなさそうな表情で作品を見るでもなく、椅子に腰掛けていました。残る一人は、ヴァニタス画に見入る友人に導かれるように作品に歩み寄り、作品の横に掲示されたキャプション(解説板)の内容を携帯に打ち込み始めました。

 その様子を彼女達の鑑賞の邪魔にならないように、私は暫く背後から眺めていたのですが、あまりにも微笑ましいのでタイミングを見計らって話しかけてみました。

 「こんにちは。私はこの美術館のボランティアです。さっきからこの絵を見ているね。この絵が気に入ったの?見ているところに割り込んでごめんね。この絵を見てどう思ったのかな?って気になって…」

 すると意外にもあっさりと
「はい、すごく気に入りました。すごく虚しいなあって…感じがします」
という言葉が返って来ました。

 高校生くらいになると日常的に思索を深め、作品との関わり方も、鑑賞者自身の内面と作品とが深い部分で交感するようなところがあります。彼女もそんな瞬間を、このヴァニタス画で経験したのかもしれません。それは大人になりかけの、それでいて感受性が豊かなハイティーン期(←やっぱり大人は…彼女達に比べたら感受性は確実に鈍っていると思う)には、とても有意義で貴重な経験のような気がします。こうした経験の蓄積が、精神的成長、内面的成熟を促すと思うのです。

 おそらく彼女のような女性は遅かれ早かれ女子独特の”仲良し関係”から精神的に自立して、自らの内的成熟を促すような経験を自ら積極的に積むようになるのではないか〜そんな期待を込めて、そしてこれからいかようにも変身できる彼女を羨ましく感じながら、私は彼女の姿を見つめていたように思います。

 少しばかり言葉を交わした後、彼女が微笑みながら、
「わざわざ(ご説明を)ありがとうございした」
と礼を述べてくれました。あ…”わざわざ”って…もしかして、ちょっとお邪魔虫(古っ!・笑)だったかな?私!

◆ブログ内関連記事:エドワールト・コリール作のヴァニタス画について、ネットを使ってリサーチしてみる



2009/6/20

子どもたちに助けられ、励まされ…  ボランティア活動のこと

クリックすると元のサイズで表示します 「考える人」の右手が顔のどの部分に当てられているか、ご存じですか?顎だと思っている人!顎じゃないですよ。是非、ホンモノで確認してみましょう!そうすれば、どうしてこの作品が「考える人」というタイトルなのか、納得できるかも♪ 

 昨日は、新館がリニューアル・オープンして以来、私としては初のスクール・ギャラリートーク(コース自体は改装工事前に何度も担当済)。江戸川区の小学校5年生の子ども達が来てくれました。総勢60人余り。7人のスタッフで各人9〜10人の子ども達を引き受けました。

 最近、テレビの番組やCM等で「考える人」もどきが頻繁に登場するせいか、子ども達の間で、ロダン作「考える人」の認知度は極めて高い。私が担当したコースにはちょうど「考える人」が組み込まれており、最初にこれを見ると知った子ども達から歓声が上がりました。持参したワークシートも、たまたまこの作品が表紙を飾っていたんですね。

 いつものように、皆で作品を見るに当たっての3つの約束(1)作品をよ〜く見ること。何が表現されているのか?どのように表現されているのか?今ではテレビや本やパソコンでも作品は見られるけれど、本物を間近に見るとやっぱり違うよ。目をこらしてよ〜く観察してみようね。(2)作品を見て、感じたこと、思ったこと、考えたことを言葉にして、口に出してみること。そして、同じ作品を見ても、感じることは人それぞれ。だから(3)友達が作品を見てどんなことを感じたのか、思ったのか、考えたのか、友達の発言にもきちんと耳を傾けよう。

 ギャラリートークに参加する子ども達は言わば”ナマモノ”。当日フタを開けてみるまで、どんな子ども達なのかは私たちスタッフには知る由もありません。最初から活発に発言が飛び交うこともあれば、恥ずかしがり屋さんでなかなか言葉が出ないこともあります。中にはつまらなさそうにひとりグループの輪から外れて、斜に構えている子どもだっています。もちろん様々な個性があって当たり前。「さてさて今日はどんな子ども達かな?」―始まりの挨拶は、緊張と期待で胸が高鳴る瞬間です

 果たして、昨日の子ども達は、こちらが嬉しくなるくらい好奇心旺盛で、感情表現が豊かで、結構長い行程(自由時間も含めて1時間半近く!)にも集中が途切れない、素晴らしい子ども達でした。久しぶりに短縮バージョンからフルバージョンに戻り、多少抱いていた不安も吹き飛ばすような、子ども達の好反応に助けられました。素直でのびのびとした感性に、普段の学校生活や家庭生活が忍ばれます。

 「まだ見足りないなあ…もっと見たいなあ…」「美術館って楽しいねっ」と言う子ども達の言葉に、私も励まされる思いです。こうした子ども達の直向きな眼差し、子ども達から発せられる、キラキラ光るような生命力が、何にも増してボランティア活動の活力になるような気がします。



2009/2/1

ボランティア研修〜コミュニケーション力強化  ボランティア活動のこと

先週、美術館のボランティア向け研修に参加しました。今回の講義は平たく言えば「コミュニケーション力の強化」。講師はNHKのエグゼクティブ・アナウンサー、石澤典夫氏です。石澤氏は長らく『新・日曜美術館』の司会を務めておられた方で、美術への造詣も深い。

前段として…

美術作品の解説は、観光案内とは違う

=作品の解釈、評価は様々、時代によって違う
→現時点の正確な情報を伝えること。共に見る、共に考える姿勢が大切。


パブリック・スピーキングの重要性

パブリック・スピーキングとは、公の前で、自分の思い、自分がどのような人間であるのかを、的確な言葉を用いて語ること(つまり、的確な自己表現?)を意味します。人に対した時に、どのようなスタンスで向き合えば良いか考えること、とも言えます。欧米では幼少期から当たり前のように行われているこの教育が、残念ながら日本では欠けているとのこと。確かに私自身、学校教育の場でそのような教育をきちんと受けた記憶がありません。世界が狭くなった今、世界の舞台で海外の人々と対等に意見を交わす(もしくは、戦わす?)為にも、必要不可欠な能力のひとつと言えるでしょう。

研修では早速実践とばかりに数人の方が抜き打ちで前に出され、自己紹介をさせられました。予め何(どういった項目)を言うべきか教えられることなく、です。しかし、当てられた方々は皆さん、結構そつなく自己紹介を終えました。私だったらどうだっただろう…(^^;)。講師の石澤氏は端に立ち、にこやかな表情でその様子をご覧になり、後で各人に対して短いコメントをされました。その際のチェック・ポイントは以下の通り。これは、そのままスクール・ギャラリートークでも適用されるものです。

●時間
●姿勢、視線、表情
●話のリズム→一文の長さ

「話し方」はテクニック(HOW TO)

ひとつのテーマについて時間は長過ぎず、短過ぎず。

姿勢は堂々と、視線は相手の表情を見るくらいの余裕を持って流す。できるだけにこやかに。

以上を踏まえた上で、児童生徒を対象にしたギャラリートークで留意すべき点は以下の通り。

まず、子供の発言を聞くこと→子供の発言に真摯に耳を傾けること

そして、子供を褒めること→一切、否定的なことは言わない。

できるだけ一文を短くすること
→「〜で、〜で」と助詞でリズムを取らない。
→主語+述語のみ。余計な修飾語は付けない。(←ギャラリートークで作品について、聞き手の子供達に余計な先入観を与えない為でもある)
1回の発語で話せるのは、30字/息
→短くすれば、言い間違いも、逸れた軌道も「修正」がし易い。

→現状を知るために、(ビデオ録画するなどして)自分の声を客観的に聞いてみる

●「自分の言葉」で話すこと→漢語表現は避け、できるだけかみ砕いて話す。
その前準備として
△(作品について)最低限の事実関係をメモする
△想定問答を準備する
△実際にシミュレーションをして、余計な部分を削ぎ落として行く
 →言いたいことの優先順位をつける

+自分の経験や感動を話す→自分をさらけ出す。子供達と同じ”鑑賞者の目線”で。

【Q&A】

Q1.自分は話し下手。うまく話すにはどうしたら良いか?

A1.きれいにやろう、よく見られよう、とは思わないこと。
 誠実で真摯な態度で臨めば、聞き手は好感を持って受け止める。

Q2.今ひとつ場が盛り上がらない時は?

A2.質問の仕方を工夫する。発語を引き出す為の具体的な質問を投げかける
 「何が見えるか?」「何が気になるか?気づいたこと。色?形?描き方?」etc
 逆に、例えば作品を見せて「どうですか?」と言った質問は禁句。
 →何を聞きたいのか不明確なので、相手が最も答えにくい質問。

以上、文責はなこ(講義中のメモを元にはなこが再構成)

【感想】

終始柔らかな物腰に、公共放送のアナウンサーとして常に公の場で自身を晒し続けて来た石澤氏の、「相手にけっして不快な印象を与えない」と言うプロ意識を感じました。とにかく人に相対する時は”聞くこと”〜相手の話に耳を傾けること〜を重視するという話に、まさに百戦錬磨のインタビュアーと言う印象も。「話し方はHOW TO」と言うのも、具体的なテクニックを伝授されたのは初めてだったので、とても勉強になりました。

2008/12/6

美術館のクリスマス  ボランティア活動のこと

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ボランティア先の美術館でも、
恒例のクリスマス・イルミネーションが始まりました。
先日、ワークショップのトライアルを終えて美術館を出た時、
すっかり外が暗くなっていて、そこで初めて気づきました。

本当に日が落ちるのが早くなったこと。

いやはや…季節が巡るのも早いこと。



2008/11/7

バックグラウンドの様々な子供達がやって来た♪  ボランティア活動のこと

今週の某日、多文化共生センター東京が運営するフリースクールの生徒さん達と先生、ボランティアの皆さん、総勢30人余りが、スクール・ギャラリートークに参加された。初めての来館だ。生徒さん達は中国、韓国、タイ、ミャンマー、フィリピン、ベトナム、ネパール(以上、参加予定者リストによる)出身で、来年高校受験を控えた子供達。

引率の先生に伺った話によれば、日本の義務教育制度は、15歳を過ぎた海外からの渡来者は対象外として、小・中学校への受け入れを行わないらしい。その為、彼らの日本における公教育での学校生活は、いきなり高校からのスタートとなる。たとえ来日間もなく、日本語ができなくても、高校受験をしなければならない状況に置かれるのだ。その不安はいかばかりか?現状はさまざまな事情で日本に生活拠点を移すべく日本で職を求めた親が、生活基盤が整った時点で、母国から我が子を呼び寄せると、子供の年齢が15歳を超えてしまうケースが少なくないらしい。そうした子供達の受け皿になっているのが、今回の多文化共生センター東京のようなNPOが運営するフリースクールなのである。

日本の法制度、教育制度が、移民増加の現実に追いついていない。先日NHKの番組で、移民及び外国人労働者問題を取り上げた番組を見たが、そこで言及されたのは、やはり移民受け入れの制度的な遅れだった。今のような少子高齢化が続けば労働人口の減少は必至で、日本が現在の経済レベルを維持する為には、今後約3000〜4000万人の移民受け入れが必要になるとのレポートもあると言う。しかしそうした予測を待つまでもなく、既に主としてアジア諸国から、日本を目指す移民が増えているのである。制度が現実に対応しない限り、その狭間で苦悩する人は増える一方だ。

そう言えば、私の大学時代の同級生に、ペルー出身者がいた。彼女は両親が日本人で日系二世。両親は日本でもペルーでも教師をしていたらしいが、ペルーに見切りをつけて日本に帰国。来日時、ペルー生まれペルー育ちの彼女は既に中学生の学齢に達していたが、日本語の理解に問題があった為、小学校に中途入学し、中学、高校、大学と進んだ。そうとは知らずに、私は当初彼女のことを「なんて大人びた人なんだろう」と思っていた。在学中に英検1級を受験するなど、彼女はハンディを克服して極めて学業優秀。大学卒業後は県立高校の英語教員になった。適正な教育を受けられれば、彼女のような人が、フリースクールの生徒さんの中から出現するかもしれない。

生徒さん達は15歳以上とは言え、来日時期はさまざま。来日して1年以上、或いは親の片方が日本人で日本語が堪能な子もいれば、中には来日してまだ2、3カ月で殆ど日本語が理解できない子もいる。スクール・ギャラリートークは作品を前にして作品について感じたこと、思ったことを話し合う対話型という形式をとっているので、彼らを迎える私たち美術館ボランティアも、彼らとの言葉による意思疎通について、正直不安があった。

私が担当したグループには、中国からの5人とフィリピンからの1人、そして引率の先生が1人。幸い先生が中国語が堪能で、トークの間、中国語圏の子供達に対しては、わからない箇所を逐次通訳して下さった。フィリピンの子には、どうしても日本語が通じない時には、私が英語を交えて話した。今回私が担当したコースで見学した作品は肖像画が中心で、他のコースにあるようなギリシャ神話やキリスト教を元にした物語画ではなかったので、子供達にも理解しやすく、見たまま、感じたままを話せば良かったせいか、トークは比較的スムースに行えた。

しかしトークを終えた後のボランティアの反省会では、引率者の方全員が語学に堪能であるわけではないことが判明。しかもギリシャ神話やキリスト教の物語画の場合、どうしても背景説明が必要で、言葉が通じないが故の苦労もあったらしい。ボランティアスタッフの中には、来年の高校受験に向けて日本語を学んでいる生徒さん達に対して、できるだけ日本語で話しかけようと腐心した人もいた。その点、私は日本語学習の一環と言うより、母国では美術館に一度も行ったことがないと言う子供達に、美術館の雰囲気を味わい、作品(絵画や彫刻)を見る楽しさを感じて貰えれば御の字と言う心積もりでトークに臨んだので、気楽だったのかもしれない。これを機会に美術や美術館に興味を持ち、また足を運んで貰えればと思っていたが、フィリピンの子がトーク終了後に、「また来たいので通常の入館料を教えて下さい」と言ってくれて嬉しかった。

今回トークを担当したスタッフは5人中、4人が海外駐在経験者、1人は海外渡航経験が豊富と、自分自身が海外で言葉の通じないもどかしさ、外国語での意思疎通の難しさを経験していることもあって、生徒さん達の置かれている状況には身につまされるものを痛いほど感じており、心を込めて対応したつもりだ。彼らにとって、第2の故国になるかもしれない、この日本が少しでも魅力ある国であって欲しい。美術館の存在が、その一助になれば幸いである。もちろん、これを機会に、またの来館をお待ちしている。

2008/10/6

東京富士美術館常設展見学  ボランティア活動のこと

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先週、ボランティア・メンバーの自主研修という形で、東京都八王子市にある東京富士美術館へ行って来ました。参加メンバーは8人。

東京富士美術館は、仏教系宗教団体が設立した私立美術館ですが、「日本・東洋・西洋の各国、各時代の絵画・版画・写真・彫刻・陶磁・漆工・武具・刀剣・メダルなど様々なジャンルの作品約30,000点」という充実のコレクションを誇る美術館です。私立美術館では静岡県熱海市在のMOA美術館も素晴らしいですが、こちらも宗教団体が設立した美術館。”人の心を動かす””魂に触れる”と言う意味では、芸術作品は宗教と通じるところがあり、歴史的にも宗教が芸術作品を布教の道具として用いて来た経緯があるように、宗教と芸術作品は分かちがたい関係にあります。それにしても、そのコレクションの充実ぶりは凄い。宗教団体をバックボーンとする潤沢な購入予算のほどが窺えます。

「ルネサンス時代からバロック・ロココ・新古典主義・ロマン主義を経て、印象派・現代に至る西洋絵画500年の潮流を一望できる油彩画コレクション」はこの美術館の最大の特徴のようですが、国立西洋美術館(以下、西美)所蔵作品の作家の作品も数多く、また西美でさえ所蔵していないような有名作家の作品も散見され、正直言って驚きの連続でした。

ギルランダイオ作品がある!

例えば写真左端の作品は、ルネサンス期に活躍したドメニコ・ギルランダイオの《ジョヴァンナ・トルナブオーニ(?)の肖像》(制作1485ー88年頃)ですが、ルネサンス当時の女性の理想美を優美な描線と色彩で表現しています。同時代に活躍し、ギルランダイオと人気を二分したと言われるボッティチェリが描く女性像を彷彿させますね。タイトルに”?”が付されているように、ジョヴァンナ嬢であるか否かは不確定のようですが、スペイン、ティッセン美術館の《ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像》(制作1488年、下図2作品)と見比べてみると面白いかもしれません。

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当時としては最新流行の出で立ちであった美女の肖像は、風俗画としての一面も持っています。

ギルランダイオと言う名は「花飾り」を意味し、父トンマーゾが金銀細工師で、本物の花飾りのように美しい髪飾りを作っていたことに由来するそうです。ギルランダイオは父について金銀細工を学んだのちに画家に転身しており、端正な人物の描写や精緻な衣装の文様の描写は、金銀細工の修行の名残りとも言われています。

一説には古代ギリシャ・ローマのコインがルーツと言われる肖像画。コインに刻まれた人物像が横顔だったことから、それを手本とした肖像画も当初は横顔描写でした。それが15世紀フランドルの画家によって変化〜顔をやや斜めから描いた”4分の3正面像”の登場です。これがフランドルから海を渡ってまず港町ヴェネツィアやジェノヴァへ、そして内陸部のフィレンツェへと伝わったのです。上掲の2作品はほぼ同時期に描かれたものですが、伝統的な横顔像(プロフィール像)と、伝わって間もない”4分の3正面像”。特に新たな肖像画の形式に挑戦したギルランダイオの実験精神は称えられるべきでしょう。こうした進取の気性は、彼の工房で一時修行をしたと伝えられるミケランジェロにも影響を与えたに違いないのです。

ギルランダイオ作の”4分の3正面像”の肖像画では他にポルトガル在のグルベンキアン美術館所蔵の《若い婦人の肖像》があります。ご参考までに。

彼は宗教壁画の連作と共に優れた肖像画でも手腕を発揮したと伝えられますが、現存する肖像画は3点ほどとか。この3点の中に東京富士美術館の作品が含まれるのだとすれば、かなり希少価値が高いと言えますね。残念ながら国立の西美にはないんですよね。ギルランダイオも、ボッティチェリも。

異なった作家の同主題作品《ヘラクレスとオンファレ》

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左)テオドール・ファン・テュルデン(17世紀)、右)ベルナルド・カヴァッリーノ(1640)

ギリシャ神話に取材したこの物語画は多くの画家によって描かれています。左のテュルデン作品は東京富士美術館所蔵、右のカヴァッリーノ作品は西美所蔵。友人を殺した報いに、リディアの女王オンファレに奴隷として身売りされたヘラクレスが、後に女王と恋愛関係になった逸話に基づくものですが、互いの持ち物を交換しているこの作品では、女王オンファレはヘラクレスが得意とするライオン狩りを象徴するライオンの毛皮や棍棒を、ヘラクレスは女性の役割を象徴する糸巻棒を持っています。

前者はオランダ(フランドル)、後者はイタリアと活躍の場は違いますが、ほぼ同時代に描かれた同主題の作品。15世紀以降の同地域の商工業の発達により市民生活が豊かになったことで女性の地位が大幅に向上した時代背景が、「持ち物の交換」と言う図像に反映されています。例えば、フランドルのアントウェルペンでは16世紀には既に画家の妻達がアートディーラーとして手腕を発揮していたとの記録も残っているそうです(画家の夫は妻に頭が上がりませんね)。

また、ほぼ同時代の同主題作品でありながらも、地域の違いで描き方には違いが見られます。同じバロック様式の下でも、前者は作者がルーベンスとの関わりを持った画家だけあって、華やかな色彩や女性の輝くような肌と豊満な肉体の官能美が目を引く一方で、後者はカラヴァッジョ的な陰影のコントラストがドラマ性を強調して印象的です。こうした比較も勉強になりますね。

【感想】

とにかく夢中になって作品に見入りました。ただ、いつも各地の美術館を訪ねる度に戸惑うことなのですが、美術館によってキャプション(作品に添えられた作品情報が書かれたプレート)から得られる情報がマチマチなのには閉口します。国際基準と言うものを敢えて作らないのはどうしてなのでしょう?それとも各館によって裁量を任されているのが、自由で良いと言うことなのでしょうか?私としては少なくとも作家名、作品名、作家の国籍、画材(支持体や顔料など)は知りたいですね。知りたければ自分で調べなさい、と言うことなのかもしれませんが…

それから図録がないことには驚きました。公式HPで各作品の詳しい解説を見ることはできるのですが、1冊の本としてまとめたものがないのです。せめて展覧会カタログのような体裁の「名作選」があれば嬉しいですね。これも館なりの方針なのかもしれませんが…

ともあれ、充実した時間を過ごせました。JR八王子駅からさらにバスで15分程の距離で交通至便とは言えませんが、常設展示の充実ぶりは必見です。ただし、展示室がひとつなので、企画展の開催中は常設コレクションは見られないようです。お出かけの際は、予め公式HPで確認することをお勧めします。

東京富士美術館公式HP

2008/9/22


ある年配のボランティア・スタッフは口癖のようにこう言われる。
「所詮、私たちは素人なんだから」と。
しかし、その方は海外経験が豊富で、年に何度も渡欧し、数多くの美術作品を眼にしており、その審美眼はたいしたものだ。ある創作活動にも長年従事するなどクリエイティブな一面もあり、その作り手としての視点はギャラリートークでもいかんなく発揮されている。

私は彼女の、その謙遜としか受け取れない言葉を耳にする度に、ある教授の言葉を思い出すのだ。その教授は特に教養ゼミで厳しくも温かい指導を受けた先生で、在学中最も影響を受けた恩師と言って良い。その尊敬すべき恩師が、卒業式後の謝恩会で私に向かってこう言われたのだ。
「さあ、今日から君も研究者の端くれだ」
思わず背筋がピンと伸びるような緊張感を覚えた。大学を卒業してもう5年になるが、恩師のその言葉を思い返す度に、自らの不勉強を恥じてしまう自分がいる。そして、上述の彼女の言葉に
「いいえ、私は研究者の端くれです」
と言い返せない自分を情けなく思う。

美術館のボランティアは、選考時にボランティア歴は問われても、美術に関する専門知識は問われない。しかし、元々美術や美術館を愛する人々の集まりなので、ボランティアとして採用されれば、国内外の文献に目を通し、国内外の美術館を訪ね、積極的に講演会にも出席するなどして、日々研鑽を積んでいる。その熱心さには、同じボランティアながら感心するばかりだ。この4年半の間に、私の大学時代に得た知識など凌駕するだけの知識を得た人も中にはいるかもしれない。そうした同僚に刺激を受け、かなり焦りを感じながら、私も勉強に励んでいる。とにかく読む、観る、咀嚼する。勉強すればするほど、自分の知識と理解力の乏しさに愕然とする毎日だ。

2008/9/19

知ってて当然と思うのは大間違い、と言う話  ボランティア活動のこと

ここ最近のボランティア活動で、ハッとさせられたこと。

■ある都立高校の美術コースの生徒さんとの対話型トークで

対話型トークと言えども、相手が高校生ともなれば、やはり小中学生とは違った対応をします。より一般成人向けトークに近い形で、解説を多めに。

さて、ギャラリートークを終えて最後に質疑応答の時間となりました。
「最後に何か質問があれば、どうぞ。答えられる範囲でお答えしますよ」と私。
するとひとりの女子生徒がおそるおそる聞いてきました。
「あの…ここの美術館には本物がどれくらいあるのですか?」

な、なんと…!彼女は美術館にある作品は殆どが複製画と思っていたらしいのです。こんなに沢山の西洋の美術作品が、日本の美術館にあるはずがない。そう思いこんでいたらしいのです。

そこで私はどう答えたか。

この美術館にあるのはすべて本物であること。油彩画は世界でここにしかないもの(1点物)ばかりであること。この美術館のコレクションの核となっているのは、明治・大正期に活躍した実業家が「日本の人々に優れた西洋の美術を見せてあげたい」と私財を投じて、直接ヨーロッパにまで出向いて買い集めた作品であること。例えば、今では時価80億円の価値はあると言われているクロード・モネの《睡蓮》は、画家との親交の証として、画家のアトリエにあったものを特別に譲り受けたこと。現在の美術館の買い付け予算額では到底購入不可能な作品が、この明治の篤志家のおかげで、数多くコレクションとしてこの美術館にあるのだということ…と言うようなことを話しました。

質問の少女は最初は驚いた様子で辺りを見回し、次の瞬間、心なしか眼の輝きが増したようでした。この後、20分程度の自由鑑賞の時間でしたから、彼女は先ほどとはまた違った感慨で、美術館の作品を見てくれたはずです。

■ファミリー向けワークショップでの、彫刻を前にしたギャラリートークで

ワークショップは毎回新しいプログラムに挑戦中。実施前に企画者によるトライアルでプログラムの流れ、具体的な作業内容は学ぶものの、実施と言う意味では一回目の担当はぶっつけ本番と言ってもよく、当然緊張もしますし、実際にやってみて気づく改善点も出て来ます。ワークショップ終了後のミーティングでは、参加者アンケートも参考に、美術館スタッフと担当ボランティアで改善点について話し合い、2回目以降はそれを踏まえて修正を図ります。

1回目で父兄から「彫刻のギャラリートークなのに彫刻についての説明が殆どない」とのコメントがあったので、2回目では図版も使って、彫刻とは何か、彫刻の種類、ギャラリートークで取り上げるブロンズ彫刻の簡単な制作プロセスの解説などを行いました。そこで
「この展示室にあるブロンズ彫刻作品の殆どはフランスの彫刻家ロダンと言う人が作ったものです」
と解説しながら、私がロダンの制作風景をとらえた写真を見せたところ、ひとりの少女から驚きの声が上がりました。
「え〜、ロダンって、彫刻を作った人だったの?《ロダンの考える人》のロダンは人の名前だったの?」

そう、彼女は今まで「ロダン(作)の《考える人》」ではなく、「《ロダンの考える人》」と言うタイトルだと思いこんでいたらしいのです。


以上のように、私たち美術館側が当然子供達が知っていると思いこんでいることは、必ずしも周知されていないことが多いのですね。こうして子供達とのやりとりを通して、子供達の認識度を知ることは私たちにとって大事なことだし、また意外に楽しいことでもあります。一方子供達にとっても、このような形で美術について知る機会を得たことは、美術館体験として印象深く、後々プラスに作用するのではないでしょうか?

2008/9/15

ボランティア研修〜成人を対象としたトークに向けて  ボランティア活動のこと

私がボランティアを務めている美術館でのボランティアの位置づけは、美術館が行う教育普及事業のサポートスタッフとでも言いましょうか。通常、私たちボランティアは、主に小・中・高生を対象としたスクール・ギャラリートークを平日に、6〜10歳の子供のいる家族を対象にワークショップを年に2回の割合で土曜日に実施(*1)しています。

スクール・ギャラリートークは参加者を学校単位で受け入れ、米国のある美術館スタッフの発案で始まった「対話型トーク」という形式で行われます。ボランティアスタッフ1人当たり6〜10人程度の児童生徒を担当し、約30分かけて彫刻1作品、絵画2作品を一緒に見て回るハイライトツアーです(*2)。「対話型トーク」ではスタッフが一方的に作品解説をするのではなく、児童生徒にも作品を見ながら感じたこと、気づいたことを率直に発言してもらいます。実際に作品を目の前にしてのスタッフとのやりとり、児童生徒間のやりとりを通して、単に作品についての知識を得るだけでなく、児童生徒個人がじっくり作品を観察し、作品と向き合うことを促すものです(発語があれば嬉しいですが、なくてもその心の内には何らかの思いが沸き上がっていると想像します。通常はトークの後20〜30分自由鑑賞の時間を設ける学校が殆どです)。

これは「芸術作品は”頭で理解する”というより”心で感じるもの”」と言う前提で作品を鑑賞する形式と言えるでしょうか?特に美術鑑賞が初めてで、その術を知らない子供達にとって、美術作品への最初のアプローチとしては最適な手法だと私は思います。実際、スクールギャラリートークを利用せずに美術館を訪問されている児童生徒さんの姿も多く見かけるのですが、その場合、作品を一瞥するだけで通り過ぎる児童生徒さんが少なくありません。どうも作品とのキャッチボールが成立していないように見受けられ、せっかく美術館まで足を運んでくれたのにもったいないですね。既にスクールギャラリートークは数十校以上の受け入れ実績があり、一度利用された学校のリピート率も高く、口コミで年々利用者も増えていますが、さらにより多くの学校に利用していただきたいですね。

(*1)本来は40分かけて彫刻1作品、絵画3作品を見て回るのですが、現在は新館が工事の為閉館中なので、短縮バージョンで行っています。
(*2)ひとつのプログラムを2ヶ月間に渡って計12回程度実施します。1回につき2時間程度のプログラムです。事前申し込み制です。

先日、美術館の無料開放日に実施する一般成人を対象としたトークに向けての研修がありました。これはスクールギャラリートークと違い、一般の美術館で行われている学芸員(研究者)によるトークに近い形式の解説型トークです。以下はその時のメモ。

【一般成人向けトークにおけるポイント〜絵画の場合】

《導入》

・作品名、作家名、制作年
・作家の美術史上及び活動期の画壇での位置づけ

《作家の来歴》

・生年、主な活動の場所
・修行時代〜どこで、誰から学んだか?
・当時の画家を取り巻く環境
 ・身分、職場の形態(工房?)
 ・自由度(主題の選択など)
 ・時代背景(政治、宗教、経済、社会全般の状況など)

《作品について》…まずじっくり見ることを促す(それから作品解説を始める)

主題について
 ・どのような主題か?
 ・物語画ならば、その元となった物語のどの場面を描いたものか?
 ・主な登場人物について

細部の観察
 ・(あれば)アトリビュートの指摘
 ・作品の描かれた時代を反映したものが描かれている
  or
  物語世界の世界観が反映されている
 ・構図について
 ・作品の位置づけ
  ・同時代の作品との比較(図版を用意)
  ・異時代の同主題作品との比較(図版を用意)

《まとめ》
 ・簡単な質疑応答

これは美術館スタッフが手本に模擬トークを行ってくれた際のメモで、トーカーの手の内を明かすようですが、聴き手にとっても予め知っておけば、作品への理解がより深まるポイントだと思います。あいにく今回、私は(当日美術館に行けない為)このトークを実施する機会はありませんが、次回の為に勉強のつもりで聴講しました。

2007/2/3

2月2日のスクール・ギャラリー・トーク  ボランティア活動のこと

今日は区立小学校の6年生の生徒さんに対して
ギャラリー・トークを行った。
私の担当は当初10人の予定が、病欠や中学入試の為に、
なんと4人になってしまった。
これは当日になって初めて知ったこと。
他のグループではこれほどまでの欠席はなかった。
グループによって人数にはバラツキが出たが、
結局当初決めた通りのグループで行うことになった。
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