2016/11/12

オランダと私(以前、別ブログにアップした記事を再掲)  お知らせ

 現在、東京都美術館で「ゴッホとゴーギャン展」が開催されているのを機に、自分が以前、別のブログでゴッホや彼の出身国オランダについて書いた記事のことを思い出しました。

 なかなかの力作なので(自画自賛を許してね・笑)、ここでご紹介したいと思います。



 映画『ブラックブック』を見た後に、オランダと自分との縁について考えてみた。 私はオランダとは何かと縁がある(と、自分では思っている)。

 私のオランダとの最初の接点は『アンネの日記』だった。子供時代地方に住んでいた私は、ある時地元紙の読者欄に投稿した謝礼に図書券を貰った。それと引き換えに入手したのが『アンネの日記』(文春文庫)だった。隠れ家での自分(彼女はまだローティーンだったのだ!)を押し殺した生活の中で、日記を親友にアンネは思索を深めて行く。同世代の私には彼女がかなり大人びて見えた。元々聡明な少女だったに違いない。アンネに触発されるように私も日記を書き出した。それは大学時代まで続いた。

 『アンネの日記』への執着(関心)はそれに留まらない。後にその映画化作品も見た。映画公開に因んで地元のデパートで開催された『アンネ・フランク展』にも行った。屋根裏でペーターと腰掛けたトランク?も展示品の中にあったな。アンネに関する新聞記事をスクラップしたり、関連文献を読み漁ったりもした。

 さらには大人になってオランダへ旅行し、子供時代からの念願であったアンネの隠れ家を訪ねた。夏の盛りで、世界中から多くの人々が訪れていた。日記を通して知っていた場所。初めて訪ねたような気がしなかった。隠れ家の人々が使ったであろうトイレの便座のかわいらしい花の図柄を見た時、「こうした図柄ひとつにも慰めを見出したのだろうか」と少女アンネの心中を想って切なさで胸が張り裂けそうになったのを覚えている。

 アンネの一家もナチスのユダヤ人差別が始まる前までは、ドイツの富裕なユダヤ人商家のひとつだった。それでもユダヤ人であるというだけの理由で、父オットー・フランク氏を除く家族全員が悲惨な末路を辿ったのである。映画『ブラックブック』で描かれたユダヤ人の悲惨は、そのまま当時のユダヤ人達の姿に重なるものなのだろう。

 ところで映画の中で、避難先の南部へ向う船に乗り込んだいかにも富裕そうなユダヤ人女性が、豪華な首飾りを外すように言われた時に「これは寝る時にも外したことはないのよ」と応えたくだりがある。こうした、豊かさを誇示してはばからないところが(たとえ一部の人々であったとしても)、戦争以前から他のヨーロッパ人の嫉妬と羨望を生み、心情的にナチスのユダヤ人差別を後押しする要因にもなったのではないかと思った。

 2つ目の接点は後期印象派を代表する画家ゴッホである。学校の図画工作の課題で、たまたま彼の『アルルの跳ね橋』を題材に鑑賞文を書いたのが彼の存在を意識した最初だ。それから彼に興味を抱いた私は学校図書館で『炎の画家ゴッホ』という評伝を借りて読んだ。その評伝を原作に制作されたカーク・ダグラス主演の映画も見た。タイトルが示すように炎さながらにゴッホはすべてに熱情を注ぐあまり、その過剰さが周りとの軋轢を生み、努力も空回り。結果的にことごとくがうまく行かない彼が気の毒に思えた。こんなに不器用な生き様はそうそうないだろう。彼がもし身近にいたら、私も親しくはなれなかったかもしれない。

 しかしそんな彼だからこそ、9年という短い画家生活で後世に残るような作品を描けたのではないかと思う。作品の一点一点が、彼にとっては妥協を許さない血を吐くような思いで描いた作品であっただろうから。世間の常識から乖離すればするほど、彼の芸術は純化していったような気がする。絵画は彼の熱情の受け皿としてはピッタリだったのかもしれない。

 オランダ時代の初期ゴッホ作品の色彩は暗くくすんで色彩感に乏しい。それは彼の窮乏と心情の反映であると同時に、それが彼の身近にある色彩だったのかもしれない。フェルメールの絵画世界そのままの色彩に溢れる映画『真珠の首飾りの少女』では、窓を通して入る陽射しが生み出すトーンの低めな色彩が印象的である。いわゆるオランダ的絵画世界、色彩感を生み出す「オランダ独特の光」については、芸術家の視点も交えつつ科学的に検証したドキュメンタリー映画『オランダの光』に詳しい。

 その後フランスのパリに渡ったゴッホは印象派に出会い徐々に明朗な色彩を獲得して行く。さらに南仏アルルの強い陽射しにその明度は強さを増して行くのだ。短期日のゴッホ作品の劇的な変化は、制作環境の変化が及ぼす作品への多大な影響を示して興味深い。

 高校時代には、生活力のないゴッホが物心両面で依存しきっていた弟テオに宛てた書簡集『ゴッホの手紙』を読んだ。私が読んだのは文庫本だが、最近書店で翻訳も新たに刊行されたらしい単行本を見つけた。興味はあるが、いかんせん高価で手が出ない。図書館で収蔵されたら是非読んでみたい。

 成人してからは海外駐在時代に、確か朝日新聞の日曜版で、彼の作品の初期作品を多く収蔵する「クレラー・ミュラー美術館」の存在を知った。この美術館は、誰にも先んじてゴッホ作品の価値を認め、その収集に努めたオランダ人実業家夫妻が設立した美術館だ。現在は寄贈され国立美術館になっている。広大な森の中に静かに佇む平屋建ての美術館で、周囲には彫刻を配置している。ここを訪ねたフジサンケイ・グループ総帥がその美しさにいたく感動して、日本にも同様の物をと設立したのが、今では箱根の観光ポイントとして欠かせない「箱根彫刻の森美術館」らしい。さらに美術関連で言えば、私が大学の卒論のテーマに選んだ画家も、ゴッホではないがオランダの画家だった。

 昨年は知人に誘われ、日本在住のオランダ人女性の自宅を訪ねる機会があった。麻布の閑静な住宅街に建つ瀟洒なマンションのメゾネットタイプのお宅だ。要は帰国間近い駐在夫人のガレージセールに誘われたのだ。その女性は世界に名だたる石油会社ロイヤル・ダッチ・シェル石油のオーナー一族の一人だった。正確にはご主人がその直系に当たる方のようだが、彼女自身オランダの名家の出のようで、その一族の歴史はオランダが海運国として世界に名を馳せた17世紀の、東インド会社誕生にまで連なるらしい。

 元々東インドの交易を行っていた貿易会社14社が、1602年に統合してできたのが東インド会社。元の14社がそれぞれ株主となったこの会社は、世界初の株式会社だった。東インド会社は、広大な海域の貿易独占権と共に条約の締結、海外領土の総督の指名、貨幣の鋳造などを行う権利を有し、ひとつの国家にも匹敵するような存在であったらしい。最盛期には数千人規模の軍隊を組織し参謀を置き、数十隻から成る艦隊をも擁していたと言われている。

 彼女の先祖はその東インド会社の経営に関わっていたとのこと。さらに驚いたのは、デルフトを拠点に富を欲しいままにしていた先祖は、ナポレオン率いるフランス軍の侵攻により、そのすべての資産を奪われ、やむを得ずハーグへと移住するも、持ち前の商才を発揮して見事復活を遂げたと言うのだから、オランダを代表する実業家一族であることは間違いない(父君はオランダ商工会議所の会頭とも聞いた)。彼女は一族の歴史をデルフト時代にまで遡って一冊の本にまとめ上げ、先頃上梓したようだ。自費出版という形で100部限定らしいが、将来的にはこの本を下敷きに小説を書きたいのだとか。東インド会社、ナポレオン…学生時代に世界史で学んだ名前が一族の歴史に直接リンクしている。その凄さに思わず絶句。

 ご主人の仕事の関係で、世界各地を転々として来た彼女は、それぞれの地で現地の言葉を学び、現地ならではの物を買い求め、人脈を広げて来たらしい。ちなみに「何カ国語を話すのですか?」と尋ねたところ、事も無げに「9カ国語」と答えた彼女。大学時代にラテン語とギリシャ語、それから英語、仏語、スペイン語、インドネシア語…と指折り数える彼女。日本語もマンツーマンの指導で学んだようだが、私達が訪ねた日の会話は殆ど英語だった。日本人の悪い癖かもしれないが、在留外国人に対してついつい英語で話しかけてしまうんだよね。相手は日本語を学びたがっているかもしれないのに。

 彼女は4年間の日本での生活をどん欲に楽しんだようだ。テラスには先生について学んだという盆栽の鉢がいくつも陳列されていた。しかし植物検疫の関係で帰国時には一切本国に持ち帰れないとのこと。とても残念そうな表情で、大事にしてくれる人に譲りたいと話していた。

 リビングにはさりげなく17世紀の中国の陶器や磁器が飾られ(特に直径10pほどの小皿の来歴にはロマンを感じた。沈没船から引き揚げられた品で、茶箱の茶葉に埋もれていたおかげで奇跡的に割れなかった物をクリスティーズのオークションで入手したらしい)、フランスの農家で200年程前に使われていたという大きなダイニングテーブル、ジョージアンやヴィクトリアンの椅子が、現役で活躍しているようだ。テーブルなど素朴な作りでかなり年季の入ったものだが、「大好きだから、これは売らずに本国に持ち帰ります」と彼女。

 世界をまたにかけて転勤を繰り返す中で身に付けた合理性と、古い物を愛おしむヨーロッパの伝統的な価値観とを併せ持った女性だった。世が世なら、場所が場所なら、私など到底お近づきできないような上流夫人だが、ホスピタリティ精神溢れる、気さくな人柄の持ち主だった。もちろん自身の立場をきちんと弁え、本国(では王族と親交のある方なのだ)での顔と、海外で私達のような異邦人に見せる顔は全然違うのだろう。ともかくも、外国人エグゼクティブの日本での暮らしの一端を垣間見た約3時間は、私にとっては貴重な経験となった。

(2007年4月4日初出)

2016/3/25

大幅に加筆修正しました  お知らせ

 先日、展覧会担当学芸員による館内スタッフ向けのレクチャーを受講して来ました。閉館後、作品を前に詳しい解説をいただきました。

 それを踏まえて、下記の記事を大幅に加筆修正しました。興味がございましたら、お読みください。

 なお、これから鑑賞予定の方で、余計な情報を仕入れずに作品の鑑賞を楽しみたいとお考えの方は、鑑賞後に参考資料として読んでいただけたら幸いです。

『カラヴァッジョ展に行って来ました』

2013/1/1

新年のご挨拶  お知らせ

クリックすると元のサイズで表示します


本年も、マイペースで頑張ります。

よろしければ、お付き合い下さい。


みなさまにとって、本年が幸多き年となりますように


はなこ

2012/12/22

我が家のクリスマスの思い出  お知らせ

今朝の「ワールドWAVEモーニング」で、サンタが住むと言う北欧の街の郵便局に、世界中の子ども達から28万通もの手紙が届いたと言うレポートがあった。その後、世界各地でクリスマスを家族と共に楽しむ姿が次々と映し出され、今はもう大学生の息子が小さかった頃のことがふと思い出された。

幼い頃の息子は、殆どの子どもがそうであるように、サンタの存在を信じて疑わなかった。イブの夜、寝る直前の息子はサンタの到来を待ちわびて、そわそわしていているのが傍目にもわかった。

ウチはマンションだから、きっとサンタさんはベランダから来るんだろうね。だったら、サンタさんがちゃんと部屋に入れるように、窓を少しだけ開けていようね、と冷気が入るのも構わず1cmほどベランダに通じる掃き出し窓を開け、目印の長靴下を枕元に置いてから、布団の中にもぐった。

布団に入ってからも気持ちが高ぶっているのか、なかなか寝付けない。しかし、布団の中で身体が温まって来た頃、漸く寝息を立て始めた。それからしばらく時間を置いて、私は上気した息子の寝顔を眺めながら、いそいそとプレゼントの準備を始めた。

当時はリビングに面した和室に家族3人、川の字になって寝ていたので、息子の足下に息子がかねてから欲しがっていたトランスフォーマーの変体ロボットを忍ばせ、布団で覆った。

例年、クリスマスの時期になると、ニュース番組で北欧から飛行機で来日したサンタが映し出される。息子はそれを見て、「サンタさんは遠い国から来るから、日本までは飛行機に乗って来るんだね」と自分なりに解釈しているようだった。その北欧のサンタさんの家に自分の希望の品を書いた手紙を郵送してと、いつも私は頼まれていた。もちろん、本当のサンタはこの私。息子から手紙を預かったフリをして、その内容を確かめては、デパートに行って買っていた。もちろん、デパートで購入したのがばれないよう包装にも細心の注意を払って。

25日の朝、夜明け前に、待ちきれない息子はそぉっと起き出して、プレゼントを探し始めた。私は寝たふりをしたまま、彼を観察する。ごそごそと布団の中を探って、プレゼントを発見した息子は「あった!」と呟いた。そして、できるだけ音を立てないように包みを解き、その中に希望したおもちゃが入っているのを知ると、息子は突然正座して、両手で抱えた箱に視線を落とし、「サンタさん…ありがとう」と御礼を言った。肩が小刻みに震え、少し泣いているようにも見えた。

ここまで感激して貰うと、親サンタとしては感無量だ。クリスマスの季節になると、サンタのニュース映像と共に、この時の温かな思いが蘇って来る。この件に限らず、これまで本当に息子には、親として沢山の幸せを貰った。彼の成長に一喜一憂し、思春期以降の息子は世間並みに生意気盛りで、腹が立ったことも1度や2度でないが、幼き日の息子の愛らしさ、あどけなさには、それらを帳消しにするほどの力があった。

不器用で半人前の親だが、息子には親として精一杯の愛情を注いで来たつもりだ。彼には両親以上に幸せな人生を歩んで貰いたいと、心から思う。

クリックすると元のサイズで表示します

2012/2/9

帰省  お知らせ

10日ほど九州に帰省します。日本海側なので、すごく寒そうです

義母がここ数年、心肺機能がかなり低下して入退院を繰り返しているので、こちらから風邪やインフルエンザのウィルスを絶対に持って行くまいと、家族全員細心の注意を払っています。

皆様におかれましても、くれぐれも風邪やインフルエンザには、ご注意下さいませ。

2011/5/26

二言、三言、四言呟いてみる  お知らせ

■ネット上で、「学生の本分は自己管理である」と言う一文を見かけた。確かに一理あるけれど、「自己管理」の必要性は何も学生だけに問われることでもない。

「本分」とは、人がその立場たり得る為に欠くべかざるもの。その意味で、学生が学業に勤しまずして、果たして学生たり得るか("学生"と言えるのか)、と私は考える。

だから「自己管理」が「学生の本分」かと問われたら、ちょっと違うような気がする。

☆所謂高級スーパーマーケット「成城石井」の何に驚いたかって言うと、「唐辛子」だけでも10種類近く店頭に並んでいたことである。

■この一大事に立花隆はどうしたんだ?!なぜ、何も言わない?

彼がもはや「過去の人」だとしたら、彼の後を継ぐ人は誰なのか?

☆平時に強力なリーダーシップは不要。だからトップは世襲でもコネ採用でも事足りる。

しかし、今は有事。平時に打たれていた杭よ、今こそ出よ。

■佐々木希は、このいい加減で不確かな時代に咲いた徒花(あだばな)か?彼女の1年先さえ、どうなっているのか想像できない(彼女のマスコミでの取り上げられ方が、どうにもこうにも…)。

2011/3/28

原発事故に関する情報で、最も頼りになりそうなブログ  お知らせ

テレビに出演する数多くの原子力の専門家の解説は情報が断片的で、今ひとつ放射線被ばくの危険性の全体像が掴めません。

以下のブログ執筆者は、明石家さんまが司会を務めるバラエティ番組に出演されている大学の先生のようですが、だからといって信頼性に劣るというわけではけっしてなく、専門家の立場から、冷静かつ誠実な態度で、今回の福島原発の問題点について懇切丁寧に解説されていて、とても分かり易いです。

今のところ、錯綜する情報の中で、一番信頼に足りうるものだと、私は思っています。

ただ、記事中「水道水の飲用もできるだけ避けるように」とあるのですが、首都圏ではミネラル・ウォーターが入手困難になっている現状、これは無理です。それに水道水忌避は大人以上に乳幼児に関して緊急性が高いので、ミネラル・ウォーターの入手に関しては、躊躇うところがあります。首都圏に出荷されるミネラル・ウォーターは山梨県で採取されるものが多いようですが、果たして完全に安全と言えるのかも、今後の原発の動向次第では怪しくなりますね。

とにかく徒にパニックに陥ることなく、自分なりに情報を集めて、できる限り(←できないことはできないのだし…)自衛するしかないようです。

武田邦彦中部大学教授のブログ

2011/2/25

銅版画技法を学んでいます  お知らせ

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します

 実は今、某所で銅版画技法を学んでいます。昨年、芸大で1日制作体験講座を受講しましたが、今回は週1回2時間半、計8回の、基礎から丁寧に学ぶ銅版画制作講座。殆ど初心者なので、複雑?な工程がなかなか覚えられず、工程をひとつ飛ばす失敗をやらかすなど、少々情けない思いをしつつも、しかし夢中になって制作に取り組んでいます

 無から何かを創り上げる作業は、やっぱり楽しいです。日常の細々とした面倒臭いことを忘れて無心になれる。創作活動は、ストレス解消にはもってこいの方法ですね

 上掲の画像は、今日完成した作品第1号です。左が完成品で、エッチングとアクアチントとドライポイントの技法を使っています。右は一番最初の試し刷りで、この段階ではエッチングのみ。そこから、幹と葉のトーンに変化を持たせる為に、葉の部分にアクアチント技法を用い(なにぶん画像は携帯電話のカメラでの撮影の為不鮮明ですが、葉の部分はグレーがかった色みになっています)、幹の木肌模様と輪郭線の線描の違いを出す為に、輪郭線をニードルで彫って(←ドライポイント技法)強調しました。左右を見比べると、やはり完成作品の方が、トーンの違いが際立ち、線にメリハリがついているように見えませんか?

 …自画自賛ですが

 私は子どもの頃から、樹木が大好きでした見るのも、触るのも。全てのものを温かく包み込むような、たおやかな生命力を感じるんですよね。

 そして、作品のモチーフとしては、堂々たる幹の存在感や、意匠的な木肌模様や、個性的な葉の形状が、「線描」が生命線である(と私は思っています)エッチング等の銅版画にうってつけの素材なのではと考えています。まあ、あくまでも私個人の考えですが(他の受講生の皆さんの作品も、様々な技法を駆使しておられ、個性的で素晴らしいものばかりです拝見するだけで勉強になります。)

2011/2/25

地震被災者の救出を祈る  お知らせ

 このところ、自宅の築年数の経過に伴う、自宅内で使用する設備機器の老朽化で買い換えやら、定期点検やらが続き、落ち着かない日々が続いている。やっぱり業者とは言え、知らない他人を自宅に入れるのは神経を使う。特にリフォーム業者なんて、無遠慮に室内をじろじろ見回し、隙あらば、次の商談(あっちが壊れている、こっちが壊れかけとか言ってさ…)に持ち込もうと手ぐすね引いているように見える。おかげで凹んでいる。



 NZのガーデンシティ、クライストチャーチで、ランチタイムに発生した直下型地震で、数多くの人々が被災し、重症を負ったり、行方不明になっていることには胸が痛む。しかも、行方不明者の1割近くが日本人と言うから驚きだ。それと言うのも、行方不明の日本人学生が語学研修を受けていた語学学校の入居するビルが、原型を殆ど止めないほどに倒壊しているからだ。市内全体で300人前後と言われる行方不明者の内、実に120名が、地震発生時そのビルにいたと目され、瓦礫の下に閉じ込められているらしい。ただただ不運としか言いようがない。地震発生から72時間が人命救助のタイムリミット(この時間を境に、大きく生存率が低下するらしい)と言われているため、日本から駆けつけた災害救助隊による、夜を徹した救助活動が続いている。

 最近は、若者の内向き志向が進み、留学熱がかつてほどではないと言われる中、せっかく活躍の舞台を世界に広げる為、英語を身につけようとの志に燃えてNZに来た学生達が、今回のような天災に巻き込まれてしまったことは、返す返すも残念だ。行方不明者は息子と同年代の若者が多いだけに、親の目線で動向を注視している自分がおり、ひとりでも多くの学生が救出されることを祈っている。

 すぐ近くにほぼ無傷の状態で難を逃れた建物が少なくないだけに、そのビルの被害の甚大さが余計に際立つ。NZは地勢的に日本列島と同じ状況下にあり、地震多発国だと言う。その自覚もあって、NZは80年代までは、耐震建築において世界の最先端を行っていたそうだ。倒壊したビルは1960年代に建てられたもので、倒壊前の写真を見る限り、窓を大きく取った2面ガラス張りが印象的なモダン建築だ。

 建築構造の専門家によれば、6階建てのビルは、比較的堅固な構造のエレベータ部分だけを残し倒壊していることから、ひとつのビルに堅固な構造と脆弱な構造が併存していた為に、地震の負荷が脆弱なフロアの部分に一極集中した「偏心」現象が起きて、今回のような倒壊を招いたのではないかということらしい。

 そもそも耐震構造では、太い柱と十分な面積の壁と筋交いが重要だと聞いている。その要件に照らして見れば、倒壊したビルは見てくれは良いものの、柱が細く、壁面積が不十分で、いかにも脆弱な印象だ。現地での語学学校校長の会見によれば、9月に起きた地震の後、当局によって耐震診断を受け、問題なしとのお墨付きを受けたので、今回の倒壊は予想だにしないことだったと言う。しかし、どう見ても、今回はビルの耐震強度が明暗を分けたとしか思えない。

 しかも、ガラスを多用したモダン中高層建築は、比較的地震の不安がないヨーロッパ(イタリアを除く)を中心にもてはやされたデザインである。空恐ろしいことに、地震大国日本のメガロポリス東京の中高層建築も、全面ガラス張りはけっして少なくない。構造的には世界の最先端を行く日本のビル建築とは言え、割れたガラスの雨が地上の人々の頭上に降り注ぐ事態があり得ることは想像に難くない。

 同じ地震多発国に住む国民のひとりとして、けっして他人事とは思えない、今回のNZの地震だ。本当に恐ろしい。 

2010/12/28

皆様、良いお年をお迎え下さい!  お知らせ

今、帰省中です。
老親の家には、あいにくパソコンがないので、しばらく記事の更新やコメント対応が出来ません。

本年は、当ブログにお付き合い下さり、ありがとうございました。来年も引き続き、宜しくお願い致します。

来る年が、皆様にとって良い年となりますように!

2010/8/26

1週間ほどお休みをいただきますm(_ _)m  お知らせ

再開したばかりのブログですが、夫の勤続30周年の記念に旅行に行くため、1週間ばかりお休みさせていただきます。

もう8月も終わりかけていますが、まだまだ厳しい残暑が続いています。皆様、くれぐれもご自愛くださいませ。

2009/12/24

良いお年を♪  お知らせ

こんにちは。

私は息子と共に、一足先に九州に帰省します。

皆様にとって、来年が良い年となりますように。


はなこ

2009/4/13

お知らせ  お知らせ

いつも当ブログを読んで下さり、ありがとうございます。

この度、10年以上慣れ親しんで来たプロバイダーとの契約を解消し、別のプロバイダーを利用することが決まりました。

そのため回線接続の変更等でタイムラグが生じ、1週間程度インターネットが使えない状態となるそうです。それがいつからなのか、またいつまでなのかも詳細は不明ですが、近々、一時的にメールのやりとりやブログへの記事投稿(携帯からの投稿も可能でしょうが、それにも限界があるでしょう)、コメントへの返信が滞ってしまうかもしれません。

その節は、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、ご理解ください。ネットを日々フル活用している者としては、1日でもネットが使えないと不便を感じそうです


昨日はブログ・サービスへの接続がうまく行かず(サーバー・エラー?)、コメントの返信も、記事投稿もままなりませんでした。ネットは便利なようで不便です。便利さに慣れすぎて、私の忍耐力が落ちているのかもしれません



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ