2009/8/27

全国学力テスト結果に地域差があるのはなぜか?  はなこのMEMO

【随時内容更新中】

 学力についてあれこれ考えると、結局行きつくのは、教育全般の問題だ。子どもを育てるとはどういうことなのか子どもたちにどのような人間に育って欲しいのか、大人のひとりひとりが真摯に考えるべき課題なんだと思う。

【2018.01.17 追記】

クリックすると元のサイズで表示します 昨年の11月末から12月の頭にかけて、3年ぶりに沖縄に行って来ました。

 その時、たまたま書店で見つけたのが『沖縄子どもの貧困白書』(かもがわ出版、2017)と言う本です。

 沖縄における子どもの貧困問題を、さまざまな形で子ども達に関わっている人々によって検証した本です。

 このような県規模の検証は全国でも初めてのことであり、教育関係者の間では注目されているようです。

 私が本書を購入した日は、ちょうど地元紙の書評欄で、社会活動家であり大学教授でもある湯浅誠氏の書評が寄稿されたとかで、朝からかなりの売れ行きだと書店員が言っていました。

 貧困と低学力には因果関係があり、教育は貧困から抜け出す有効な手段でもあります。社会の活性化と治安の安定、そして個人の幸福の追求の為にも、教育の重要性をすべての大人が共通認識として持ちたいものです。

【2017.08.21 追記】
   
▼学力テスト、石川県が初の1位になった理由

 2週連続で小学生の勉強の話。2016年度全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の都道府県別の平均正答率は、石川県が小学校の国語Aと算数A・Bで初めて1位を獲得し、これまでトップを分け合ってきた秋田と福井の「2強」に肩を並べました。

 秋田県の強さは、決して学習時間は長くないものの、子供たちの生活習慣の他、学校と家庭がしっかり見守りながら自発的に学ぶ「家庭学習ノート」などにありました。秋田方式を学ぼうと各地からの視察は引きも切りませんでした。

 ところが、今回の石川県の躍進の理由はそれとは異なったものでした。授業の冒頭で「今日学ぶことは○○です。△△できるようになりましょう」と目標を提示し、授業の最後で、振り返りと理解できたかどうかの確認をするという至ってシンプルな繰り返し。授業に興味を持たせるという習慣化がみごとに当たったのです。

 目標を掲げると、難しいことにも“楽しく学ぶ”気持ちがみなぎってきます。
 (以下省略)

(勝浩 昭氏 人づくり応援 メールマガジン  2017年5月25日号
 日経テクノロジーオンライン通信【増刊】より)



【2017.04.23 追記】

参考記事:子どもの学習理解度、困窮世帯ほど低下傾向…大阪市実態調査(サイト「リセマム」より)

オススメ本:日本財団 子どもの貧困対策チーム「徹底調査 子どもの貧困が日本を滅ぼす 社会的損失40兆円の衝撃」(文春新書、2016)

【2016.08.27追記】

おススメ映画『奇跡の教室〜受け継ぐ者たちへ』

 パリ郊外の貧困地区にある公立高校で実際にあった出来事を映画化。さまざまな背景を抱え、荒んだ状態にあった生徒達が、その生徒達に真摯に向き合う教師によって、どのように変わって行ったかを描く。

 是非、現役教師、将来教師を目指す学生に見て、教師であることの「重責」と「冥利」について考えて貰いたい1作。映画の登場人物達の姿には、同世代の若者にも考えさせられるものがあるだろう。

 まさに人種と民族と宗教のモザイクの国であるフランスと言う国の今の社会の在りようと、「哲学の国」フランスの、わが国とはあまりにも違う「歴史教育の在り方」にも注目したい。さまざまな理由があるだろうが、ひとつのテーマについて深く掘り下げて考えさせる教育が、我が国の公立校では圧倒的に不足しているのではないか?

 本作は、恵まれない環境の中にある子ども達にはなおのこと、彼らを信頼して、真剣に向き合ってくれる大人の存在が大切であることを教えてくれる。子ども達の良さを引き出すのは、周りにいる大人すべての責任である。

 子ども時代に1日の大半を過ごす学校で、互いに切磋琢磨し助け合う仲間(特に10代は友人との関係が密接で相互に及ぼす影響が大きい。それだけに誰が本当の意味で自分を理解し、互いに高め合う友人になれるのかの見極めは重要である。"友達=付き合う相手"はちゃんと選んだ方が良い)や、信頼関係を結び合える指導者と出会えることが、どれだけその後の人生を豊かにしてくれるのだろう…と思う。

「奇跡の教室〜受け継ぐ者たちへ」公式サイト
映画「奇跡の教室」の感想

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はじめに

全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果が、文部科学省から公表された。同じニュースソースでも、報道機関によって切り口がさまざまなのが面白いが、個人的には地域間格差についての言及が目を引く。テレビニュースでも、地域間格差は前回よりも縮まったが、上位(秋田県と福井県)と下位(沖縄県と高知県)の固定化傾向があると伝えている。

ただし、公立校だけの結果を見るならば文部科学省の公表の通りだが、今回、(他地域に比べ成績上位者の進学率が高い)首都圏の私立校は参加率が5割を切り、今回の結果は必ずしも首都圏児童生徒全体の学力の実態を反映しているとは言えないと思う。

【2015年 追記】

因みに私はボランティアとして都内の美術館で教育普及事業に携わって約10年になる。主に都内の公立・私立校生を対象に対話型のギャラリートークを実施し、述べ1,200人以上の児童生徒を見て来た。

その経験から、児童生徒の学力差は公立・私立校間だけでなく、公立校間でも地域による差が見られるのを実感している。特に都心にある学校の児童生徒はおしなべて学力が高いと言う印象である(比較的高所得層の集まる都心では、我が子への教育意欲が高く、且つ、教育に十分な費用をかけることが出来る経済力のある親が多いのだろう。公立小学校でも所謂「伝統校」と言われる学校の生徒は中学受験率も高いようだ)。

また、引率教師の統率力も、顕著に子供達の学力の指標となるようだ。その場で教師が児童生徒に的確な指示を出し、それにきちんと子ども達が応える学校は、ギャラリートークでも活発で質の高い意見交換がなされることが多い(←対話型トークなので、児童生徒が作品を前に、互いに感想や意見を述べ合う)。

けっして「教師が威圧的に子ども達を支配する」と言うものではなく、「教師はその的確な指導力によって子ども達から信頼を勝ち得ており、子ども達は普段から<学級崩壊等のない>落ち着いた学習環境の中で、意欲的に勉学に取り組んでいる姿が想像に難くない、理想的な教師と児童生徒の関係」とでも言おうか。

私からの問いかけに対する児童生徒の受け答えで、彼らの基本的な教科知識や課題に対する集中力の有無、また興味・関心の幅(学習意欲の差)は推察できるし、当日の体調や鑑賞態度から、児童生徒の普段の生活ぶりも容易に想像できる。

ただし、所謂「学力秀才」と言われる情報処理能力に長けた児童生徒の中には、"正解"に拘るあまり、作品鑑賞時に促される"情報"に頼らない自由な発想(←つまり"正解"がない)が苦手な子も散見される。


地域の経済格差と学力格差 

それにしても、学力の地域間格差はどうして生じるのだろうか?今たまたま読んでいる堤 未果著『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書、2008、2008年日本エッセイスト・クラブ賞受賞作)には、行き過ぎた市場原理主義がもたらした凄まじい経済格差により、教育の機会を奪われた若者の悲惨な現状のレポートがある。では日本も同様に経済格差が子どもの学力に影響を及ぼすのか?と言うことで、まず経済的側面から見てみることにした。

(米国は、国の全所得の2割をトップ1%の超富裕層が握る超格差社会。アメリカン・ドリームは有名無実となり、「生まれた地域と、大人になってからの生活水準の相関性が高まっている」<ハーバード大学経済学部のローランド・フライヤー教授>)

人口1人当たりの県民所得…個人所得の他、法人所得も含む為、個人の所得水準と言うより、地域全体の経済力を表す。

人口1人当たりの県民所得ランキングによれば、2000年、1位は東京都の4,365,000円。学力上位の福井県が3,030,000円で10位にランキングしている。学力下位の沖縄県は最下位の2,125,000円、高知県は44位の2,404,000円となっている。それでは学力1位の秋田県はどうかと言うと、なんと高知県よりわずかひとつ上の43位、2,424,000円である。

「地域の経済力」と言う指標では、意外にも学力トップの秋田県(あくまでも小中学生対象の<基礎>学力調査結果。やはり経済力の問題なのか、同県の大学進学率は現状芳しくない。

ただし、秋田県の小中学生の学力が伸びたのは近年のことらしく、当該の小中学生が高校でも学習意欲及び学力を維持すれば、大学進学率は今以上に高まる可能性はあるだろう)
と最下位の沖縄県、高知県はあまり差がない。
因みに2006年度調査では、福井県が2,819,000円で19位と大きく順位を下げ、秋田県は2,334,000円で42位と順位をひとつ上げた。沖縄県(2,089,000)と高知県(2,170,000)はそれぞれ順位は変わらず。

他の都道府県が軒並み所得を減らしている中で、1位の東京都は4,820,000円とひとり大幅に増やし、東京都とその他で所得格差が拡大している。

下記リンクでは、「世帯年収で学力に格差が生じる」との文部科学省の見解を紹介しているが、特に学力下位グループ(沖縄県、高知県)については、この世帯年収の低さが大きく影を落としているように見える。家計に余裕がなければ必然的に多くの親は生活に追われ、子供の教育にまで十分目が行き届かないのが実情だろう。教育への投資もままならないはずである。

学力テスト、世帯年収で成績格差 小6調査、文科省公表(NIKKEI NET)

前出のフライヤー教授も「格差是正の為には教育のボトムアップが必要」と訴える。
『ローランド・フライヤー教授へのインタビュー』(2014.11 東洋経済)

秋田県の教育力

それでは経済指標の観点から見れば例外的に学力が高い秋田県は、なぜ高い学力を実現しているのだろうか?夜のテレビニュース(日本テレビ「ニュースZERO])では、「規則正しい生活習慣〜早寝早起き」「きちんと朝食を取る」「学校での出来事を親に話すなど、親子の密なコミュニケーション」と言った理想的な生活習慣と、公立校の60%で採用されている、複数の教師によるきめ細かな指導「チーム・ティーチング」が功を奏しているのでは?とレポートしていた。

家庭教育のあり方は、かつて著名な教育者、陰山英男氏が提唱した教育メソッド『陰山メソッド』(「読み・書き・計算」の徹底した反復学習と「早寝、早起き、朝御飯」の生活習慣確立の二本柱で低学力の克服、学力作りへの挑戦)にかなり近い。

では、そうした家庭・教育現場を挙げての良好な教育環境作りを可能にしているのは何なのか?私が思うには、

第1に三世代同居、もしくは近隣居住が多く、両親が共働きであっても祖父母や親族が子ども達の面倒を見てくれ、生活習慣の乱れが生じにくいこと→愛情を持って子どもを見守る目が比較的多い、

第2に娯楽的刺激の乏しい(=夜間徘徊等、非行の誘惑が少ない?)「地方」であること→地方の地域コミュニティはお互いが顔見知りの相互監視社会であり、地域からの村八分を恐れる住民には自ずと自制心も働くので、子どもの非行も都市部のように深刻化しないのではないか?(ただし、そうした環境に息苦しさを感じて、家出して都市部で徘徊する子も中にはいるかもしれない)

第3に稲作が盛んな土地柄もあって昔から一定の生活リズムができており、共同体意識も高く、様々な努力目標に地域を挙げて取り組む体制ができている点にあるのではないだろうか?→子ども達の地域の祭事等への参加率も高く、それを世話する体制が整っている=地域の大人が子どもに関与する機会が多く、それは即ち地域の教育力がまだ健在であることを意味している。

さらに規則正しい生活習慣と冬季の厳しい気候風土(秋田・福井両県共、日本海側)が相俟って、生真面目で忍耐強い、粘り強い県民気質(←離婚率の低さにも繋がっている?)を醸成しているのではないだろうか?福井県が体育教育にも力を注ぎ、全国児童生徒の体力測定でも、常にトップクラスに位置していることも、堅実な県民性を如実に示す事例だと思う。

【2013.11.4追記】

10月28日放送の「月曜から夜更かし」(日本テレビ)という番組で、秋田県の小中学生の学力が高い理由についての言及があった。バラエティ番組とは言え、主に国立教育政策研究所発表のデータを元に分析しており、(一部既述の内容と重複しているけれど)参考になると思ったので、ここに記しておきたい。

@少人数学級: 小中学校 約30人/クラス。しかも学力差が出やすい算数・理科は20人以下で授業を実施。

A授業の一環として「一斉読書時間」を設けている→中学生の読書率全国一位

B教育専門監制度:教科指導能力の高い教員を「教育専門監」に任命し、県内の小中学校に派遣。専門監は各校で授業を実施する。児童生徒にとっては「より質の高い指導を受けられ」、担任教師にとっては「より良い指導方法を学べる」と一石二鳥。

C環境と生活習慣:秋田県は年間快晴日数がわずか9日と、必ずしも天候には恵まれておらず、冬季は厳しい風雪にさらされる。その間、子ども達はゲームやテレビ視聴に明け暮れるかと思いきや、その厳しい気候風土が却って生真面目な性格を醸成するのか、

小中学生の自宅学習率 全国一位
テレビ長時間視聴率 全国最下位
睡眠時間 全国一位
朝食摂取率 全国二位
小中学生の携帯電話所持率 全国最下位

と、彼らの日常生活には「学力向上の要因が揃っている」と同時に、「学習習慣を阻害する要因が少ない」のが、統計データからも見てとれる。

実は秋田県とは対極を成す統計結果を示したのが大阪府だった《大阪の学力不振の原因に関しては、当記事コメント欄の上から3番目も参照のこと》。番組内では大阪府出身のMCを茶化すように、秋田県の後に大阪府のデータを提示して、その対照的な姿を際立たせていた。統計データと学力テスト結果の相関性を明示すると言う意味では、分かり易い図式ではある。まあ、規則正しい生活で心身の健康を保ちながら、教師の手厚い指導の下、教科学習や読書に時間を費やすのは、誰の目にも学力向上の王道と映るだろう。

しかも、秋田県の犯罪率は全国最下位で、刑法犯検挙率は全国2位と、治安も良く、安心して暮らせる環境が整っている。

ただし、子ども達が高い学力を身につけ、高学歴を獲得しても、秋田県にはその受け皿となる産業が乏しい為、若者の多くが都会へと職を求めざるを得ず、人材流出が止まらないようだ。近年、秋田県は年間一万人もの人口減少が続いており、人口減少率は全国一位となっている。県を挙げての手塩に掛けた人材育成が、必ずしも秋田県の発展に繋がっていない現状は、残念としか言いようがない。

おそらく、これはどの地方もが抱えているジレンマなのだろう(それでも、人材育成に力を注ぐ秋田県の姿勢は尊敬に値する。要は大人が、子ども達の将来の為に何をしてあげられるか、けっして諦めずに考え続けることなんだと思う)。



低学力県の問題点

翻って沖縄県や高知県はどうか?例えばテレビで、「県民性」の違いを面白可笑しく紹介するバラエティ番組があるが、それによれば奇しくも両者に幾つかの共通点が見い出されるのである。例えば、「飲ミニケーション文化の発達(成人男女が夜間、居酒屋等で酒を酌み交わす機会が多い?)」「共働き率が高く、しかも長時間労働が多い」「南国人特有の大らかな気質」。こうした特質は確実に子供の生活習慣にも影響を与え、「宵っ張りの朝寝坊」に代表されるような乱れた生活習慣を招き、基礎学力を身につける為に必要な家庭学習(せめて読書と宿題)が疎かになっていると考えられる。

こうした県民性は、残念ながら子どもの学力向上と言った点ではマイナスに働く要素なのかもしれないが、一方で、経済的に恵まれない割には生活満足度が高くふるさと志向(郷土愛?)が強い、と言った特徴を生みだしているらしい。その結束力の強さは、沖縄県が離島県であり、高知県は三方を険しい山に囲まれ、「地理的に他県との交流が難しかったこと」や、「貧しいからこそ助け合う(助け合わないと生きて行けない)、と言う気風が培われたこと」に起因するものなのかもしれない。もちろん、「暮らしやすさ」(特に沖縄県は出生率、他県からの転入率(=移住者)、Uターン率が高い)という点では、1年を通して温暖な気候風土も寄与しているのだろう。

【2011/07/13追記】

今年の3月、夫の出張に合わせて沖縄県を訪れた際に、とても驚いたことがある。平日の夜間にも関わらず、新都心とよばれる地区のファミレスは、家族連れや中高生グループでかなりの混雑を見せていたのだ。週末の夜間ならともかく、翌日も学校があるはずの平日の夜に多数の児童生徒が外を出歩いている。これは他の地方都市ではあまり見られない現象だと思う。

また、ローカルテレビ局では、沖縄県の児童生徒が、日本で最も夕食時に「こ食」する傾向が強いことを警鐘する映像を繰り返し流していた。これは共働き家庭が多く、しかも男女問わず長時間労働が常態化しており、保護者の夜間不在が少なくない沖縄では、家族揃って食卓を囲む機会、保護者の手料理を味わう回数が、他県に比べて少ないと言うことなのだろうか?

(因みに、"スローフード"と言う概念を世界的に広め、近年は食育にも力を注いでいるアリス・ウォータース氏によれば、現在の米国の児童生徒の実に85%が、1日に1度も家族で食事をしていないそうだ。その背景には、やはり家庭の貧困問題があるのだろうか。さらに富裕層でも両親多忙で、家族揃っての食事はままならないのだろうか。或いは富裕層の場合、中学から全寮制の学校に子どもを入学させてしまうので、家庭の団欒自体がないのか?こんなことまで、日本は米国の後追いをしないで欲しいものだ。)

育ち盛りの児童生徒が夜遅くまで外を出歩くことは生活習慣の乱れを生み、学習習慣の定着を阻む原因となるのは間違いない。心身の発育にも悪影響を及ぼすはずである。さらに、児童生徒が犯罪に巻き込まれる可能性も必然的に高まるだろう。こうした習慣は、人材育成の観点から、百害あって一理なしと言える。早急に県を挙げて改善すべき事態だと老婆心ながら思う。


【2012/01/11追記】

興味深いサイトを見つけた。沖縄ローカルの掲示板で、地元民が中心になって、沖縄の低学力の原因について議論しているものだ。個人的には「沖縄の大人の間で、『子どもの将来にとって学力の向上が重要だ』とのコンセンサスがなされていない=学力軽視」と言う主旨の意見が印象に残った

(←地元志向が強いのに県経済基盤が脆弱な為、全体的に企業規模も小さく、高等教育を受けても、その学力・能力の受け皿となる職場が殆どない=全国でも突出して高い失業率、と言う現実が、学力(教育)軽視の風潮を生んでいるのだろうか?)

また、低学力についての議論の中で、なぜか必ずと言って良いほど出て来る「学力がすべてではない。心を育てることの方が大事」と言う意見もあったが、議論に参加している人の多くは、心を育てるのは当然の前提として、さらに子ども達が将来生きる術として、基礎(←そう…学力テストで問うているのは"基礎"学力なのである)学力をきちんと身につけることの大切さを説いているように筆者には思えた。

大人は子どもを育む責任者として、現実の問題から目を背けてはいけない。沖縄の児童生徒と、他県の児童生徒の間には学力差が歴然としてある。特に全体の底上げが必要(近年は沖縄でも県外を含めた国公立大進学を目標に掲げる進学校が台頭して来ており、そうした進学校を目指す生徒とそうでない生徒との間で学力格差が拡大しているらしい)で、それは高学力県の学校と家庭で当たり前のように行っている

「規則正しい生活習慣の定着」
「読書習慣の定着」
「読み書き計算の反復学習」など、

地道な努力で克服できる課題だろう。
その為には、まず親の意識を変えなければならないのかもしれない。そして教師の学習指導能力のレベルアップも。

沖縄はなぜ低学力か?(沖縄のうわさ話)

【2014/06/05追記】

報道で知ったことだが、最近、沖縄では県を挙げて、生活習慣の乱れの原因となる児童生徒の夜間外出をやめさせる啓蒙運動を展開しているらしい。午後10時になるとスーパーマーケットでは「良い子の皆さんは早く家に帰りましょう」とアナウンスが流れ、子連れで訪れる客も多い居酒屋では、子連れの客に早く帰宅するよう促すことを、店主に義務づけているそうだ。長年の習慣は一朝一夕には改善されないだろうが、改善に向けて具体的に動き出したことは、一歩前進と言えるのではないか?


子供を取り巻く環境の重要性〜周囲の大人の役割

【2012/02/21追記】

子どもの学習意欲に最も大きな影響を与えているのは、家庭環境ではないか?両親不和でケンカの絶えない家庭では、子どもも落ち着いて勉強などできないだろう。子どもに机上の学習だけでなく、習い事、スポーツ活動、芸術鑑賞、旅行等、さまざまな体験をさせてあげるにも、ある程度の経済的基盤が必要である。

(もちろん、家族の一員として、家事の一部を責任を持って担当させるのも、立派な生活「体験」である。また"学力"と言う枠組みを超えて子どもの"生きる力"を育むと言う意味では、親の熟慮のもと、地方の自然豊かな環境で伸び伸びと育てることを目的とした山村や離島への移住や留学と言う選択肢があっても良いと思う)

豊かな体験知が学習意欲や理解度の向上に繋がるのは明白なだけに、多様な体験を可能にする為には家庭環境が安定したものであることは重要と言える。その意味で、子どもの低学力と親の離婚率の高さには少なからず因果関係があるように思えてならない。低学力県の離婚率がおしなべて高いのが気になる。沖縄県然り、大阪府然り、北海道然り。逆に学力の高い北陸の県は離婚率が低い。

≪参考≫都道府県別離婚率ランキング

もちろん、離婚家庭の子供=低学力と言う単純な図式ではなく、孤軍奮闘して我が子の教育に熱心に取り組んでいる親も多いと思う。そんな中で懸念されるのは、シングルマザーであれ、シングルファーザーであれ、単親家庭では親の子育て負担が大きく、親の仕事にも支障を来たすケースが多いことである。それが経済的貧困に繋がり、結果的に子どもの進学希望も叶えられないことが少なくないと聞く。

尤も、私は自身の経験を踏まえて言わせていただくならば、「恵まれているとは言えない環境の中で様々な困難に突き当たっても、それを自らの力で乗り越える強さを、子ども達は成長の過程で身につけることも可能である」。そもそも子どもは「自ら育つ力」も、生まれながらに備えているものだ。

そこで大きな鍵を握るのが、"親の力不足を補う役割を担う"周囲の大人達の存在である。

重要なのは万全とは言えない環境の中でも、子どもが自ら「自分は愛されている、自分は価値のある人間である」と確信を持てるよう、親や周囲の大人が子どもの「自尊心」を育む手助けをすることだろう。

私自身、日々の生活に追われ教育に全く無関心な親の元で育ったが、中学時代の親友のご両親にとても可愛がっていただき、その精神的支えもあって、どんなに辛いことがあっても前を向いて生きて来られた。親友との出会い、親友を通じてのそのご両親との出会いは、私の人生において、かけがえのない財産である。

英国では自尊心を育む具体的な取り組みとして、子どもに「ありがとう日記」を付けさせる運きが広がっていると言う。1日を振り返り、どんなに小さなことでも良いから、自分の周りで起きたことに感謝する。

「今日は困った時にAさんに助けて貰った。Aさん、ありがとう」「今日は花壇の花がとてもきれいに咲いていた。お花さん、ありがとう」〜日々の記録を「ありがとう」の言葉で締めくくる。それを続けることで、子どもは自ずと人生を肯定的に捉えることが出来るようになるそうだ。

他者に感謝することは即ち他者の尊厳を認めること。自分に感謝の言葉をかけ、尊重してくれる相手を軽んじる人間など滅多にいないだろう。だから自分の他者に対する態度・姿勢は、いつか自分に返ってくる。自分が相手に感謝し、相手を尊重する姿勢を見せれば、相手も自分を尊重してくれるようになる。この好循環が、結果的に子ども自身の自尊心を育むことに繋がるのではないか?

「自尊心」が備わった人間はけっして自暴自棄な生き方は選ばないし、自らの人生と同等に他者の人生も尊重できるはずだ。

我が国でも参考にしたい、興味深い取り組みである。

こうした他国の例を挙げるまでもなく、子どもの周りにいる大人は、子どもが学ぶことに意欲的に取り組めるような安定した環境作りに努め、温かな目で根気強く見守ってあげることが、子どもの教育において最も重要なのだろう。

そうして初めて、子どもは「基礎学力」を着実につける→基本的な「思考力」が身につく→思考力によって「自ら考え判断する経験」を積み重ねて行く→さまざまな試行錯誤を繰り返す中で自信を得て行く。

こうした学力向上のプロセスもまた、ひとりの人間としての「自尊心」を育むことになり、その自尊心を礎に、子どもはポジティブに自らの人生を捉え、思慮深く常に何かを学びとりながら成長を続け、生きて行くようになるのだと思う。

だから大人は大人の責任として、子どもの「劣悪な生育環境」や「低学力」を放置してはいけないのである。

(以上の論理に照らして考えれば、「自己破滅願望」を持って、「自身の破滅への道連れ」に「他者の人生を奪い去る」通り魔事件等の犯人は自尊心が歪んでいるか、著しく欠如していると言えるのかもしれない。

また、高い知能・学力を備えていても、コミュニケーション能力が著しく欠如していては、成長過程で他者と良好な関係が築けず、自尊心に歪みが生じて、他者に対して冷淡(無関心)になったり、攻撃的になりがちだ。その結果、社会に適合できずに、さまざまな問題を抱えてしまう可能性が高い。

何れにしても、幼い頃からの周りの人間(大人、子ども)との関わり方が、子どもの成長には重要な鍵となるのだろう。

仮に発達障害が原因でコミュニケーション能力に問題がある場合も、親が子の障害を認識して、出来るだけ早期に、しかるべき教育機関で障害に対応した療育を行うようにすれば、障害の程度にもよるが、子どもがある程度社会に適応して生きて行く術を得られると聞いた。

結局、「学力」は「教育」において確かに重要なファクターであり、その獲得プロセスには大きな意味があるが、「学力」そのものはあくまでも子どもが将来自ら人生を切り開いていく上で役立つ「道具・武器」のひとつと言う位置づけだと思う。その獲得の為に、子どもをサポートするのが大人の務めと言うことなのだろう。

親も教師も、そのことを踏まえた上で、子どもの学力向上に努めるべきだろう。その意味で、文科省が発表する都道府県別学力テスト結果ランキングで各自治体が一喜一憂する状況には、教育の本質からずれているように思えて違和感を覚える。)



とにかく、この世に生を受けた子ども達が、その生いたちに関係なく、将来の自立に向けて、きちんとした教育を受けられる社会であって欲しいと願うばかりだ。否、大人はそういう社会を作るべきである。

【オススメ本 2016.06.20追記】

@阿部 彩「子どもの貧困ー日本の不公平を考える」(岩波新書、2008) 
A阿部 彩「子どもの貧困Uー解決策を考える」(岩波新書、2014) 
B風間トオル「ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力」
 (中央公論新社、2016)
←大人だけでなく、子ども達にも是非読んで欲しい一冊
「ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力」を読んでの感想(当ブログ)
    

全国学力テスト実施の意義

では改めて考えるに、文部科学省による学力テスト実施の意義とは何なのか?天然資源(特にエネルギー資源)に乏しい日本においては人材が貴重な資源であり、小さな島国が地球規模の激烈な生存競争に勝ち抜き、生き残る為には、その人材が国際競争力を持たなければならないのは自明の理であろう。

一握りのエリートを養成すれば事足りるものではなく、国民の能力を全体的に高めるボトムアップの必要性に迫られているのは、国や産業界の焦りからも十分見て取れる。そして産・学・官を挙げて早急に対策を講じなければ、現状の生活レベルを将来に渡って維持することも困難となるであろう。その厳しい状況を、そろそろ国民のひとりひとりが直視すべきではないのか?

しかし、それならば都道府県単位で比較し、自治体間で徒に競争意識(危機感?)を煽るよりも、あくまでも実施結果は教育行政として現状何が欠けていて、浮かび上がった問題点を今後どう解決して行くべきかの参考資料として活用すべきなのではないか?

こと義務教育課程の子どもの基礎学力の向上に関しては、経済的に豊かとは言えないながらも、全国学力テストで好成績を上げている秋田県のノウハウから学ぶことは多いと思う。

つまり、自治体や地域の大人達は、経済的な余裕のなさを理由に、子どもの学力が低いことを是認し、放置することは、恥ずべきことだと思う。

要は行政の積極的な取り組み(教育システムの充実と教員の質的向上)と、地道な家庭での取り組み(規則正しい生活習慣と学習習慣の定着)の両方が揃って初めて、基礎的な学力がしっかりと身につくということなのだろう。ただし、義務教育課程以降の教育の充実には、家庭間の経済格差に国が積極的に関与して、経済格差がそのまま教育格差へと繋がらないようにしなければならない。

その意味で、「教育予算の抜本的見直し」「教育現場の環境整備」「安定かつ良好な家庭環境」、そして「地域の教育力の回復」が必要なのは誰の目にも明らかである。何より教育は、我が国の将来を担う人材への先行投資なのだから。

さらに個々の人間にとっては、自らの人生をより充実させる為のスキル(特に新しい事柄〜自分にとって未知の領域〜に直面した時、徒にそれを恐れることなく、寧ろ好奇心を持って、自ら積極的に取り組み、正確にその実体を把握し、そして咀嚼する"学習能力"。技術なら、それを確実に修得し、適切に運用し、さらに応用する"学習能力")を体得する貴重な機会である。

国は国民の教育に今以上に予算を割き、充実に努めるべきである。貴重な税収は「未来への投資」にもっと使われるべきである。


(私的)提言

1.初等及び中等公教育における少人数学級、及びチーム・ティーチングの実現、教員の負担軽減:小学校では少子化により、既に少人数学級が実現している地域がある一方で、新興住宅地における急激な児童生徒の増加への対応に苦慮している自治体もあると聞く。これはハード面の拡充よりもまず、教員の増員で対応すべきではないか?教科指導ではチーム・ティーチングにより、「つまづく児童生徒」を生み出さないことをまず目指し、全体の底上げを図る。一方、学力の高い児童生徒に対しては、より高いレベルの教育を受けるチャンスを与える。

さらに中学校では部活動の顧問就任が、教員とその家族の大きな負担になっているケースもあると聞く。それも地域の住民に協力を仰ぐとか、地域単位でスポーツクラブを新たに設立し、思い切って地域の大人に管理を委ねるなど、柔軟に対応はできないものか?他国で採用されているより良いシステムを、積極的に取り入れる柔軟さ、大胆さが、今の日本の教育には求められているような気がする。

2.教員の質的向上を図る:OECDの学力調査で軒並み好成績を記録し、高い教育レベルで知られるフィンランドでは、教員は全員修士号取得者であり、その採用は1〜2年の試用期間に、学力のみならず、教育者としての資質が厳しくチェックされた上での採用だと聞く。その為、教職はフィンランドにおいて社会的に尊敬を集める職業であり、教員のモチベーションも高いらしい。それは傍目に、かつて日本に存在したはずの「教師は聖職」と言う国民的コンセンサスを彷彿とさせる。(翻って、この日本では、いつから教師(教員)が尊敬されなくなったのだろう?)

その採用システムは、学力考査を中心とした採用試験に合格しさえすれば、大学卒業後即採用される日本とは大きく異なる。もし同様のシステムが日本でも導入されたら、採用が確定されない「試用」と言う雇用形態に不安を覚える学生も少なくないかもしれないが、教員としての資質、適性を見極める期間と考えれば、そもそも児童生徒にとっては、不適格な教員がその段階で篩い落とされ、より良質な教育を安心して受けられる確率が高くなると言うメリットがあると言える(仮にそのシステムを導入するならば、適性を見極める側の"公正さ"と"審査能力"が、今以上に問われる事になることになるだろう)

現状、大学在学中に採用試験に合格できなかった教員志望者が、大学卒業後、非常勤(産休・病休代理教師)の教員として働きながら採用試験を受けるケースが少なくない。図らずも形式としては、これがフィンランドの試用と類似していると言えるだろうか?教員志望者本人にとっても、学校現場で実際に働くことで、自身の教員としての適性を見極められるメリットがあると思う→2016年時点で、教育現場でも「教育実習」とは別枠で、就労体験としての「インターンシップ制度」が普及して来ているらしい。

思うに、大学在学中にすんなり教員採用試験を突破した所謂優等生タイプが、教員としての資質に優れているかと言えば、必ずしもそうとは言い切れないのでは?素直に親や先生の話を聞いて育った優等生タイプの教師は、それまでの人生の中で躓きが少ないがゆえに、言葉は悪いが「おちこぼれ」や要領の悪い児童生徒の「気持ちを理解」したり、「学習能力の低さを許容」することが苦手なのではないか?

逆に採用試験で挫折を経験した教員は、その挫折経験が、さまざまな子どもを相手にする教員の職務に生かされる可能性もあり、教職に向かって遠回りのルートを辿ることことが、一概に悪いとは言えないように思う。また、現状の採用システムにおいて教員の社会経験知の不足が危惧されるのなら、多様な職業経験を持つ人材の中途採用も、今以上に積極的に検討すべきだろう。


【2014.10.09 追記】

特に公立校教師を目指す人は、さまざまな背景を持つ多様な児童生徒にどう対応するかが重要である。こと学力に関しては、個々の児童生徒の置かれた環境を考慮して、それぞれの必要に応じてサポートを適切に行いつつ、学習指導に忍耐強く取り組める人こそ、公立校の教師に向いていると思う。

勉強の"できない子"に対しては、その不安な気持ちを理解し、彼らが学ぶ楽しさを知り、自発的に学習する意欲を持てるよう誘導し、"できる子"には、学ぶ意欲や好奇心をさらに昂進するようなヒントを与える。

教師はその熱意で、子供達の可能性をできる限り広げてあげて欲しい。その為には、教師が本来の職務に専念できる体制作りが、行政の側で必要だろう。

3.公教育の無償化:国公立の保育園・幼稚園から大学院まで、授業料を無償とする。

その前提として、無償化に伴う国の教育予算の膨脹を防ぐ為に、国公立の統廃合及び私学教育機関(特に大学及び大学院)の絞り込み等の高等教育機関の再編が必要だろう。最高学府に相応しい教育を実施していない大学・大学院、大量の留学生受け容れで糊口を凌ぐ等、有名無実化した大学は淘汰されるべきだ。現状、大学の数が多過ぎる為に、下位校では学力選抜が機能していないのは紛れもない事実なのだから。単に社会デビュー先延ばし(モラトリアム)の為の施設なら何も大学である必要はなく、専修学校と言う形でも良いはずである。

4.高等教育における奨学金制度の充実:本当に学びたいと思う学生が、出身家庭の経済力に左右されることなく教育を受ける機会を得る為に、世界の模範となるような奨学金制度を作ることはできないのだろうか?

(私自身、日本育英会の奨学金制度に助けられた1人である。実家が貧しかった為、奨学金なしに自力での大学進学は無理だっただろう<高校卒業後、民間企業で働いて、とりあえず1年分の学資金を貯め、大学入学後はバイトと奨学金で学費を賄った>。今にして思うと無謀な試みだったかもしれないが、当時は勉強したい一心だった。)

奨学金総額を増やし、

@経済的事情で援助を必要とする全ての学生が受給できるようにすること(ただし、学業成績や研究業績等、給付要件は厳格にすべき。また、住居費の高い都市部では、学生寮をもっと充実させるべきだと思う)

A給付奨学金を増やすこと:現状、より優秀な留学生の確保の為とは言え、自国生より留学生が優遇されている印象は否めない。近年はアジアでも最優秀の学生は欧米の大学を目指す傾向に、国も大学も危機感を覚えているのは分かるが、それは奨学金制度だけの問題なのか?

入学時期や研究環境、学術レベル、情報発信力等、日本の、特に理系分野では大学が他国の大学に比して競争力を失っていることにこそ問題があるのではないか?

(ただし、<2013年現在>大学院生の息子の話によれば、同じ研究室の東南アジアからの留学生が学部を首席で卒業した秀才らしく、そうした海外の優秀な学生と日本の学生が切磋琢磨する環境は必要だと思うし、大局的に見れば、今後より一層関係が深まるであろう、かつ地域的にさらなる発展が見込まれるアジアに親日家、知日派を増やす意味でも、"質の高い"留学生の受け容れは重要だと思う。

また、今や英語が国際語として圧倒的なシェアを持っている為、比較的英語を苦手とし、"国際化"(←有無を言わせず"英語力"が鍵。外国人教員及び留学生の受け入れ率、英語による授業の実施率が評価指標のひとつとなっている)が世界のトップ校の中でも遅れている日本の大学は、国際的な大学評価ランキングでは欧米の大学に大きく水を開けられている(←"英語圏"と言うだけで圧倒的に優位)。

しかも残念ながら日本の大学の頂点に君臨する東大でさえ、もはやアジア・ナンバーワンの大学ではないことを素直に認めなければならない。既にシンガポールや香港、中国の後塵を拝し、さらに近年は韓国の追い上げも著しく、うかうかしていられない状況である。

結局、日本は"英語帝国主義"世界の中にあって、自国の言葉で高いレベルの学問を修めることが出来ると言う、日本独特の翻訳文化の発達が仇になった形だ。こうした現状を踏まえれば、世界のトップエリートとの人脈作りの為に、日本の優秀な学生が世界のトップ校に留学する必要もあるのだろう。海外トップ校へ留学する学生に対し、思い切った経済的支援も、国としてすべきだと思う)


【2015.07追記】(以前から学生支援機構の奨学金制度には、卒業後、公立学校教師や研究職に就いた学生について返済免除の制度があったが、近年は在学中の実績を評価して、返済の「全額免除」や「半額免除」が行われる制度もあるらしい。全奨学生の2割程度がその恩恵を受けているそうだ。今年、大学院を修了した息子も半額免除が認められ、本人も努力した甲斐があったと喜んでいた。)

B貸与奨学金に関しては無利子貸与とする。

おわりに〜子どもを巡る国の政策について思うこと

政治家も「子育て世帯への現金給付」と言った小手先の政策ではなく、人材育成に直接寄与する(しつこいようだが親にお金を渡すのではなく、教育を無償化する方向性で。その方が確実に子ども達に還元されるだろうから)、子育て世帯の教育コスト削減の仕組みを構築して欲しい。

その視点で論ずれば、最も教育費負担の高い、中学・高校の進学時、及び在学中に(大学進学者には大学進学時、及び在学中にも)サポートを厚くするのが合理的ではないか?

また、現行(2009年現在)の3才未満の経済的支援を手厚くすると言う政府案の方向性には、首を捻るばかりである。乳幼児期の子どもを抱える親のニーズは、親の就労の有無に関わらず、保育所等の子育て支援施設の質量的充実ではないのか?

そうすれば少子化にも多少歯止めがかかると思うんだけれどなあ…

とにもかくにも、日本と言う国はOECD加盟国の中でも、国家予算に占める教育予算の割合が最低水準にある。この為、子育て家庭の教育費負担が他国に比べても大きい。これはつまり子どもが受けられる教育の水準が、個々の親の経済力や養育態度次第であることを示している。そして、残念ながら全ての親が経済的に豊かとは限らないし、わが子の教育に熱心とも限らないのだ。

だからこそ、国がもっと教育に予算を割き、特に公教育の充実に注力しない限り、家庭間格差、地域間格差は縮まらない。国はもっと未来ある子ども達の為にお金を使うべきだ。


【追記 2014.10.24 追記】

作家の村上龍氏がMCを務めるテレビ番組「カンブリア宮殿」に、今夏、軽井沢に開校した日本初の全寮制インターナショナル・スクールの代表理事である小林りん氏が出演し、学校設立の経緯について、過去の画像や映像を交えながら率直に語った。

内容は大変興味深く、心打たれるものであった。私は、この学校の成否が、日本の学校教育のあり方に一石を投じるのではないかと期待している。この番組について、当ブログで私なりに記事としてまとめてみた。以下はその記事のリンクです。ご参考まで。

『日本の未来の為に、もう出る杭を打ってはいけない』

【参考リンク】

全国的な学力調査について:文部科学省

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タグ: 教育 人間関係 くま



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2016/11/6  10:10

 

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2016/11/6  10:06

 

[画像]

 パリ郊外の貧困地区にある公立高校で2009年に実際に起きた出来事を映画化。それはあるひとりのベテラン教師の直向きな思いが起こした"奇跡"であった。

 本作は、それぞれに複雑な背景を抱え、自らに今ひとつ自信が持てず、反抗するか、怠惰を貪る 



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