2007/9/14

(34)『長江哀歌(チョウコウエレジー)』(中国)  映画(2007-08年公開)

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 2006年ベネチア国際映画祭審査委員長を務めた仏の大女優カトリーヌ・ドヌーヴはこの映画を次のような言葉で賞賛している。

シネマトグラフィーの美しさ、
物語のクオリティ、
感動的な登場人物…
とても心動かされました。
これは私達にとって
特別な映画です。

 映画に深い造詣があるわけでもない、単なる一映画ファンの私は、この作品に対して、とてもそこまでの心酔には至らない。結構冷めた視線で、現代中国社会の一断面を切り取った作品として捉えた。

 この作品は少なくとも3つのタイトルを持っている。原題の『三峡好人』、邦題の『長江哀歌』、そして英題の『Still Life』。この物語の舞台となった三峡は長江(揚子江)の景勝地で、2000年の歴史を持ちながら、ダム建設によって水没する運命にある古都らしい。そこで繰り広げられる人間ドラマ。と言っても派手な展開はなく、急速に経済発展を遂げる中国社会から見捨てられた人々の悲惨な生活と、離散した2組の夫婦の物語が淡々と綴られているのだ。

 見終わった後に感じたのは、なぜあえて邦題を付けたのだろうということ。長江は6300qに及ぶ大河であり、この物語の舞台はその一部の地域に過ぎない。寧ろ原題の方が、三峡という舞台で息づく名もなき人々への監督の温かい眼差しが伝わってしっくり来ると思った。

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 孫文の発案から紆余曲折を経て、実に一世紀近くをかけて完成に至る予定の「三峡ダム建設」という中国の一大国家プロジェクトの影で、一説には200万人にも及ぶ人々が移住を余儀なくされたと言う。しかも個々の補償は不十分なままに。

 住み慣れた故郷を離れたものの、今後の生活の目処も立たず困窮する旧住民。立ち退きを迫られても、老い先短い老人に行く当てなどない。水没予定の建築物の解体作業を請け負って、辛うじて食いつなぐ男達。一方で、大都会の北京や上海では、1日に億単位の金を動かす20代のデイ・トレーダーもいるのだ。その格差の激しさに愕然とする。しかも時代から取り残された三峡の人々の間では、未だに人身売買も公然と行われているのだ〜発展に沸く中国の片隅に厳然とある、苦い現実を垣間見たような気がした。

 社会の底辺で這いつくばうように生きる彼らでさえ、今や文明の利器の象徴とも言える携帯電話(以下、携帯)を使いこなす。日々の生活にも事欠くような粗末な身なりの人々の手に、真新しい携帯という対照(アンバランスさ)が何だかとても奇妙で印象的だ(定住場所もない人々にとっては携帯が存在証明になるのかな?携帯によって辛うじて誰かと繋がっていられるのかも)。先進的な携帯を使いながら、彼らの心を悩ますのは相変わらず「不誠実」や「裏切り」と言った人間の業や、明日をも知れぬ貧困なのである。文明の発展に、人の心が追いついて行けていないのか。と言うより、幾ら文明が発展しようとも人間の心は変わりようがないのかもしれない。

 ダム開発により失われつつある風光明媚な風景への惜別ともとれる、主人公と風景のツーショットも心に残った(後々、映像や画像でしか見られなくなるかもしれないなあ…)。また、何気ないシーンでありながら、一枚の絵画を思わせるような静謐で美しいアングルに驚かされることもあった。過酷な現実の物語と美しい映像と―、このごった煮感はなんだろう?かつての日本ならともかく(一昔前の日本なら似たような状況はあったのかもしれない)、もはや今の日本では作れないテイストの映画かなと思った。

ジャ・ジャンクー監督作品。

参考サイト:三峡ダムってどんな所?(「アクマリ旅行記」より)

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