2021/2/19

あぁ風前の灯…でも続けられる限り続けるよ♪  日々のよしなしごと

時々、Yahooニュース記事のコメント欄を見ていると、僅か4、5行程度のコメントに、長過ぎるとクレームコメントを入れる人がいて驚く。

確かYahooニュースのコメント欄は400字までOKのはずだけれど、短文コメント主体のツィッターの浸透で、その程度の長さのコメントでも受け付けない人が増えているのか?

それに今はInstagramやYouTube、TikTok等の画像や動画メディアが活況だから、画像や映像のインパクトに比べて地味な文字列は敬遠されがちなのかもね。

それ以上に、コメントは”誰が”書いたのかが重要らしい。

ネットの海には情報が溢れてかえっているから、有名人や何かのきっかけで注目されている人以外は、よほどのインパクトや人を惹きつける内容でない限り、目に留めて貰えないのは当然と言えば当然か。

もう何年も前から、個人の文章系のブログが廃れると言うか、その多くが淘汰される時代に入ってしまっているのを、今さらのように実感している。

私も腱鞘炎による手の不調や眼精疲労(先月、検査で乱視の進行が原因と分かったので眼鏡のレンズを買い替えた。これで多少は改善されるかな?)による目の不調から、ブログをなかなか書けない、また読めない状況が続いていたけれど、いざ再開しようにも、誰が読んでくれるのかも分からないブログを今さら書くモチベーションはダダ下がりなのが正直なところ。

でも、たまに何か思いつくと言うか、考えることがあり、無性に書きたくなることもあって、まあ、日記として「ほぼボケ防止のために」書いている。

文章をまとめる過程で、事実確認のためにいろいろ調べたり、言葉のチョイスに呻吟したりすることは、やはり怠け者の私の脳には幾ばくかの刺激にはなっているようだ。

如何せん、哀しいかな、久しぶりに書こうとすると、まあ言葉の出て来ないこと!脳内の言葉の引き出しがすっかり錆び付いているのを感じる。

特にコロナ禍で、この1年あまりツーカーな身内以外とは殆ど会話らしい会話がなかったから、危機的に脳への刺激が足りなかったように思う。

しかし幸いにも、今月から週一の割合でイタリア語講座に通い始め、約20年ぶりにイタリア語の勉強を始めたことで、身内以外の人と会話する機会が増えている。

私以外の方々は3年も前から講座の受講を続けておられるそうで、分厚いテキストも半分以上は既に終わっていて、途中から参加の私は半ば落ちこぼれ状態ではあるけれど、それでも学習意欲は減退しない。と言うのも、直接言語野に係る語学学習と相まって身内以外の人と会話できるのが、私の脳に心地よい刺激となっているのだ。

皆さん私と同年代か、それ以上の年代ながら本当に勉強熱心で、イタリア語の複雑な文法も理解されていて、かつ、ボキャブラリも豊富で、自分の不勉強が恥ずかしい。私って、どれだけ怠惰なんだろうと思う。

とまれ、マスク装着でソーシャルディスタンスを保ちつつ、久方ぶりの社会参加&学びの機会に、ちょっとワクワクしている。

コロナ禍でも、何かしら楽しみを見つけないとね。




2021/2/19

すべての物事に「正」「負」の両面がある  はなこ的考察―良いこと探し

この1年あまりコロナ禍で多くの人々は行動制限を余儀なくされ、鬱々とした気分になっているかと思います。

ところが、コロナ禍は俯瞰して見れば必ずしも悪い面ばかりでなく、例えば、在宅ワークや在宅学習の普及、行政サービスのオンライン化の推進やネット販売の活況等、ネットの可能性を大きく広げ、そのシステム・技術を10年進化させたとも言われています。

経済においては空前の株価バブルを生み(←残念ながら私には無縁ですが…)、コロナ禍で商機を得て業績が上がった企業も少なくないようです。減収が懸念される国家の税収に関しても、コロナ禍で打撃を受けた産業の減収分を、彼らの増収分が幾らかは補ってくれるのかもしれません。正に「金は天下の回りもの」。

人間社会の在り方においても、感染症の特性から人と人の接触を極力禁じたことで、改めて個人が心身の健康を保つ為に「他者と関わり合うことの大切さ」に気付かされたとも言えるでしょう。

また、個人の生き方においても、自分にとって何が本当に必要で、何が不要なのかを見極めるきっかけにもなったのかもしれません。

さらに今回のコロナ禍では、世界的流行を見せる感染症に対する日本の医療体制の脆弱性も顕わになりました。国政に必要とされない無能な政治家も炙り出されました。

隠れていた社会の弱点が顕わになることは、衆人環視の下、当事者がその改善に取り組まざるを得ない局面を生み出すので、結果的には社会全体の利益になるでしょう。


日本と言う島国はユーラシア大陸の極東付近に位置し、四方を海に囲まれ、その国土の実に70%が山岳地帯で、豊かな自然に恵まれてはおりますが(温泉大国とて活火山の賜物)、同時にその自然がもたらす洪水、豪雪、台風、地震と言った災害と常に向き合いながら人々は生きて来ました。

近視眼的に見れば、この度のコロナ禍は未曾有の災厄ではありますが、この国には様々な災害に何度となく見舞われながらも、その度に「転んでもタダでは起きない」とばかりに、悲惨な局面においても打開策を見出そうと懸命に努力する国民性で、国難を乗り越えて来た歴史があります。

例えば、今年は3月で東日本大震災から10年を迎えますが、ここ数年、マスコミ報道を通じて度々耳にするのは、東日本大震災(古くは阪神淡路大震災)で被災した経験を糧に、さまざまな産業がシステムや製品の改善に前向きに取り組んで、来たる災害に備えて来たと言う事実です。だから、他国では家屋倒壊で人が下敷きなるなど多大な被害が出る震度5,6でも、わが国では死者が出るまでの被害はありません。

コロナ禍は確かに災厄だけれど、武器によって否応なく、のべつまくなしに命を奪う戦争とは違います。経済苦に苛まれるケースも確かにあるだろうけれど(←これは社会的セーフティネットで支えるべき)、多くの人は平穏な日常生活(必要な衣食住に満たされた生活)を奪われることはありません。

忌まわしいコロナ禍もいつかは終わる。始まりには必ず終わりがあるのです。

コロナ禍が終わった時には抑制の反動としての活況が来るでしょう。コロナ禍を経験した社会は、そこから学習してさらに進化した姿を見せるかもしれません。

その時に備えて、個々人は出来る限り心を平静に保ち、今自分が出来ることを粛々とこなしながら、コロナ禍の日々を遣り過ごすことが肝要だと思います…て言われなくても大半の人はそうしていますね

皆さん、Good Job

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2021/2/19


ここ数日は雪を戴いた真っ白な富士山が見えます。

手前の黒々とした丹沢の峰との対照的な姿が、その荘厳さを際立たせています。

その姿を毎日拝めるとは限らないので、見えた日には嬉しくて「今日も良い一日でありますように」と祈りながら手を合わせています。春になると、霞んで見えなくなりますしね。

あいにく10年物のガラケー(笑)で撮ったので写真ではぼやけて見えますが、肉眼で見る白富士は見惚れるほど美しいです。

その美しい姿を目の当たりにする度に、霊峰富士を肉眼で見れる環境にいることに感謝しています。

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