2020/12/11

意外に知らない110番通報の要領  はなこのMEMO

他の人は月に1回程度回って来る回覧板を、どの程度重要視しているのだろう?私は結構隅々まで読んで、内容をチェックしている。有用な情報があればメモも取っている。特に県警が出している「防犯情報」には注視している。

今月の防犯情報によれば、1月10日は「110番の日」で、神奈川県の場合、昨年1年間の110番通報件数は約84万7,000件もあったそうだ1日当たり2,300件人口の多い首都圏だけあって物凄い数!

私達が110番通報すると、受けたスタッフはまず「事件ですか?事故ですか?」と聞いた後で、次の6つの質問をするそうだ。

@何が ありましたか? 
 →【例】けんかです。
   【例】人身事故です。人がバイクに轢かれました。

Aいつ(発生時間) ですか? 
 →【例】1分位前です。

Bどこ ですか?
 →【例】●●郵便局の前です。
   【例】〇〇交差点です。

C犯人 の特徴は?(人相、着衣、逃走手段、どの方向に逃げた等)
 →【例】30歳位の男が駅の方に向かって走って行きました。
   【例】青いジャージの上下を着た男が、国道〇号に向かってバイクで逃走しました。

D今どのような状況 ですか?
 →【例】人が倒れています。119番には通報しました。

Eあなたの名前、連絡先 は?
 →【例】佐藤です。今、現場から携帯電話で連絡しています。

警察は限られたスタッフ数で、その膨大な通報件数に対応しているので、通報する側もできる限り落ち着いて、必要な情報を伝えることが大切だと思う。まずは深呼吸。ハースー

もちろん、事件、事故に遭遇しないに越したことはないけれど。

今は何事もなく穏やかに1日を終えられたら十分幸せだなと思う。特にコロナ禍になってからは、何気ない日常の繰り返しが、どれだけかけがえのないものだったかが、実感として迫って来る。

けっして大袈裟でなく、自分が今まで生きて来られたことは奇跡なんだと思う。生かされていることに感謝である。

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2020/12/9

紅白歌合戦にもう「勝負」は要らない  日々のよしなしごと

年末恒例のNHK紅白歌合戦、今年はコロナ禍を理由に史上初の無観客開催になると言う。

それは仕方ないとしても、私が長年違和感を覚え続けているのは、番組の最後に紅白の勝敗を決すること。

もう何年も白組勝利が続くことに白けている。白組常勝の理由は明らかだ。勝ち負けの投票に、特定の男性グループ"群"の組織票が投入されているからだ(この組織票の構成員には個人的な恨みもある。以前、映画の試写会で、入場の待ち行列に数十人と言う大量の割り込みをされたことがあった。その手口は2、3人の先遣隊が列に並び、数十分遅れて大人数が挨拶なんぞしながら、しれっと列に割り込むと言うもの)

これでは歌う前から勝負がついている出来レースそのものだ。特別仕様の衣装も用意して出演し、1年の締めくくりに相応しい熱唱を繰り広げる歌手達に対して失礼な話だと思う。

確かに紅白出場を目指す歌手にとっては、出演すること自体が名誉であり、大きな意味を持つに違いない。それでも番組の終いに、自身のパフォーマンスの良し悪しに関係なく、自身が属する紅組の敗北を告げられる女性陣が気の毒だ。毎年、若手女性陣の明らかにがっかりした表情やベテラン勢の諦めにも似た心境が窺えるやるせない表情を見るにつけ、その理不尽さに一視聴者として心が痛む。

年末の民放歌番組は、例えばFNS歌謡祭なんて、とっくの昔に歌手の順位付けは止めて、「お祭り」に徹している。

制作側は「歌合戦」と言う番組名の呪縛から逃れられないのかもしれないが、既に形骸化した紅白の勝負には不快感しかない。そもそも出演者達がが全身全霊でパフォーマンスを競い合っている時点で、「歌合戦」の主旨は十分に達成されているではないか。

紅白歌合戦は、ゆく年の最後の最後に後味の悪さを残すので、本当にタチ(タチ)が悪い。国民から一律に受信料を徴収している公共放送なのだから、「嫌なら見なければ良い」は通じない。

番組の最後に茶番でしかない紅白の勝ち負けを決するのは、もう止めて欲しいと思う。シンプルに男女それぞれが歌手として最高のパフォーマンスを見せてくれることに徹してくれれば十分だ。

2020/12/7

蜜入りリンゴ、美味しいねえ♪  「食」についての話題

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幼い頃、風邪をひいた時に母がすりおろしリンゴを食べさせてくれたのは、振り返ればけっして多くはない母からの愛情を感じた思い出のひとつだ。

その後暫くして妹弟が立て続けに生まれて、当然ながら母の愛情を独占出来なくなったり、父が病に倒れて失職し母が外に働きに出るようになってからは、母自身に精神的にも時間的にも余裕がなくなったせいか、以来、母から目をかけて貰った記憶がない。

考えてみれば、親子が共に同じ屋根の下で過ごす時間は、長い人生の中では思いのほか短い。結婚すれば、配偶者と過ごす時間の方が圧倒的に長い。母との蜜月は短すぎて、さらに大人になって物理的距離が大きく離れたのもあって、今でも心の距離がなかなか縮められない。

幼い頃、母がくれたすりおろしリンゴには、美味しいか不味いかの味以前に、心も身体もほんわか温まった思い出の記憶が濃いと言えるだろうか。正直言うと、たまたま私が住んでいた南方の地方都市には、北から美味しいリンゴが届かなかったのか、子どもの頃、果物としてのリンゴに、美味しさをついぞ感じたことがなかった。私はリンゴより梨、安価なバナナ、みかん、柿の方が好きだった。

そのせいもあってか、年末年始、夫の実家への帰省の度に義母が食後に出してくれるリンゴが苦手だった。倹約家(←そうでなければ、貧しい家計で二人の子どもを県外の大学へ進学させることは出来なかっただろう)の義母はおつとめ品でも買っているのか、歯ごたえのない食感に淡白な味。それまでリンゴの美味さを吟味するほど食したこともなかったが、そのリンゴだけは美味しくないと思った。ただ、大好きな義母が帰省した息子一家への精一杯のもてなしに出してくれたであろうリンゴだから、不味いと言う気持ちはおくびも出さずに毎回平らげた。

リンゴは元々好きではなかったのに、なぜか実母や義母との思い出が深い果物である。

そもそも、実家にいた頃は貧しかったせいか、野菜に比べて高価な果物が毎日食卓に上がることはなく、果物自体、そんなに数多くの種類を食した経験もなかった。

しかし、今では毎朝、季節の果物を食べている。最近までキィウィや柿やブドウや早生のみかんを日替わりで食べていた。そして、先週辺りからリンゴを食べている。

写真のリンゴ。青森県産(ゴールド農園さん)の品種は「ふじ」。断面の中心部の蜜の濃厚な色合いが食欲をそそる。生協でたまたま出ていたので購入してみたのだが、これが思いのほか美味しい。サクサクとした食感に絶妙な甘みと酸味。リンゴをあまり美味しいと思ったことのない私が、素直に「美味しいなあ」と舌鼓を打てる美味さである。

今まで、こういう美味しいリンゴに、たまたま出会えてなかっただけなのかもしれない。還暦近くになって、リンゴの美味しさを実感できようとは、人生にはまだまだ"発見"が尽きないのだなあ…

そう言えば、先日、日帰りバスツアーで訪ねた千葉で、ツアー土産に貰った千葉産の大ぶりのミカンがこれまた美味しく、夫婦して感動した。夫は「人生で出会ったミカンで最高の味」とまで言い切った。「こんな美味しいミカンが千葉にあったなんて?!地元で消費されてしまって神奈川まで回って来ないのか?或いは東京止まりなのか?」と至極残念がっていた。確かに神奈川に30年住んで、今まで千葉県産の梨はともかく、ミカンは一度も地元のスーパーで見たことがない。また機会があれば、是非食べてみたいほどの美味しさであった。


現在は折しもコロナ禍でなかなか楽しさや幸せを実感できない日々だが、ひとつでも素敵なこと、モノとの出会いがあれば、それをいつも以上に深く味わいたいと思う。その意味では、私は昔「貧乏」で、未だに「物知らず」で良かったのかもしれない(笑)。

2020/12/6

再びgoogleに慰められる(笑)  日々のよしなしごと

最近、人の名前が思い出せなくて困る

今日も俳優の豊川悦司の名前が思い出せなくて(彼の顔は脳裏に浮かんでいる!)、
彼の代表作のひとつであるドラマ「愛してると言ってくれ」で検索できないかと
googleで音声検索をかけたら、
google嬢、間髪を入れず、

はい、もちろんわたしは
あなたのことを愛しています


とのたまった

私は今頃googleに、よほど愛に飢えた人間だと思われているかも

まあ、何かと人恋しい"ご時世"だしね


…にしても、毎度笑わせてくれるぜ、google





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