2017/6/29

豊田真由子衆院議員のパワハラ問題について思うこと  気になったニュース

 現在、元自民党所属、豊田真由子衆議院議員の秘書に対する暴言&暴力問題が世間で取沙汰されているけれど、彼女のような人物は私の身近にもいた。

 案外、そう言う人物はそこかしこに存在していて、その高圧的な言動に、少なくない数の人々が大なり小なり振り回されたり、何らかの被害を受けているのではないか?

 この類の人々には共通する特徴があるように思う。

 @とにかく負けず嫌い。
  プライドが人一倍高いから、人に弱みは見せたがらない
  →本当の自分を曝け出せる親友はいない?
   敢えて苦言を呈してくれる親友もいない?
   外面は良かったりするので、内面で抱えている問題が見過ごされがち。   
   →自省する機会を持てない。

 Aそれなりに能力はあるので、仕事も人並み以上に出来ると自負している。
  完璧主義な一面があり、他人のミスが許せない。
  →必要以上に他人のミスを責めたてる。
 
 Bプライドが高いゆえに、自分より優れた人間に対する劣等感が意外に大きい。
  立派な学歴と社会に出てからの成果のギャップに、人知れず挫折感もある。
  →その裏返しとしての弱い者いじめで自分の優位性を確認し、ストレスを発散。

 とにかくマウンティングが大好き。相手が能力、財力、容姿等で、自分より上か下かを判断し(←常に正しいとは限らない)、それによって相手に対する態度を変える。
  

 私の場合、普段はおっとりした性格なので、人によってはそれが鈍臭く見えるのか、ある人に突然、怒鳴られたことがある。

 後日、その人が一時期、家庭問題に悩み、自分でもどうかしていたと、ある人に語っていたらしいが、それ以前から、その人は私に対して馬鹿にしたような態度があからさまだったので(人の好き嫌いが激しいのか、気に入った人にはプレゼント攻勢をかけていた)、裏事情を知ってなおのこと、見下された私は、その人のストレスの捌け口にされたのだなと不快に感じた。

 豊田議員の場合、秘書も豊田議員の下で働き始めて間もないとは言え、秘書歴は10年以上のベテランなのに仕事上のミス続きだったというから、"最悪の組み合わせ"が現在のような事態を招いたと思えなくもない。おそらく、秘書の世界も広いようで狭く、既に豊田議員の悪評が知れ渡っていて、彼女の下に優秀な人は来なかったのだろう。

 私の場合、件の人の部下でもなく、寧ろ、年長で先輩格だったし、怒鳴られるようなミスをしたわけでもない。その場にいた別の人も、何事かとその人の剣幕に驚いていたから、その人が突発的にヒステリーを起こしたとしか思えない。その矛先を向けられた私は呆気にとられるばかりで、反論すらできなかった。

 その後暫くして、その人は挨拶もなく、辞めてしまったけれど…

 豊田議員の一件で、その時の嫌な記憶が思いがけず蘇ってしまった。

 私は豊田議員を全否定するつもりはなく(そもそも完全無欠な人間なんていないし)、彼女は本当に努力家で、人が一目置くような経歴を築き、キャリア官僚として次官まで上り詰めるような超一流ではなかったとしても、「政界」と言う新たな舞台で、自身が思い描く理想を実現しようと頑張っていたと思う。

 だからなおのこと、自身の感情をコントロールする術(特にアンガー・マネージメント)を身に着けるべきだったのではないか?

 どんなに優秀な人間であれ、持てる時間には限りがあり、身もひとつである以上、ひとりで出来ることは限られている。だから大きな仕事であればあるほど、周りにいる人間の協力が欠かせない。リーダーたる人物には、周りにいる人間に「この人の為に働きたい」と思わせる「人望」が必須だと思う。

 それから彼女の場合、(一介の主婦である私が言うのも何ですが…)自分を客観的に見る冷静さと、他者へ敬意を払う謙虚さも必要かな。相手が誰であれ(特に今回は相手が立場上、反論できなかったことを考慮すると)、その尊厳を汚すようなことは絶対してはいけない(今回のケースは本当に「窮鼠、猫を噛む」と言う形。人の尊厳を傷つければ、深い恨みを買うと言う典型的な例)

 今回の事態は、豊田議員にとって政治家としては大きなダメージかもしれないが、ひとりの人間としては(本人にその意志があれば)自分の生き方を見直す良い機会になったのではないか?  

 現状はマスコミの格好の餌食となってしまい、かなり大きなお灸を据えられた形だけれど、今後の元秘書の出方次第では、刑事事件に発展しないとも限らない(元秘書の怒りをさらに助長するようなマスコミの煽り方が本当に怖い)。 

 今回の一件での最大の被害者は、彼女のお子さん達かな?子どもは親を選べないし、どんな親であっても、彼女のお子さん達はまだ親を必要としている年齢だから(子どもは親を選んで生まれて来ると言う霊能者もいるけれど、ホントかいな?だって、どんな親のもとに生まれたかで、子どもの人生は大きく左右されるんだよ)
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2017/6/26

プロ棋士 藤井聡太四段  はなこのMEMO

 彗星の如く顕れた(実際は幼少の頃から記録尽くめの)天才棋士、藤井聡太四段は14歳の中学3年生。

人相も良いんだな、これが…
クリックすると元のサイズで表示します 21世紀生まれ初のプロ棋士であり、それまで加藤一二三九段が持っていたプロ棋士昇段最年少記録を14歳2カ月で62年ぶりに更新。

 その加藤氏との対局を皮切りに、デビュー以来、今日まで負けなしの29連勝で、これまた公式戦連勝記録を約30年ぶりに更新と、その天才ぶりは今、日本中で話題となっている。

 今日の公式戦連勝記録更新では、午後9時半過ぎにも関わらず新聞の号外も出た。

 今日の竜王戦決勝トーナメント初戦は、プロ棋士ではたった二人と言う10代同士の対局。午前10時から始まって、対戦相手の増田康宏四段(19)が投了したのが午後の9時半過ぎ。実に12時間近い熱戦を制しての勝利だ。

 藤井四段の活躍に、我がことのように目を細める加藤一二三九段曰く「危なげない試合運びの完璧な勝利」。「序盤では藤井四段が劣勢の場面もあった」とする他の棋士達とは違い、加藤九段は「(茶目っ気たっぷりに)"最多勝記録を誇る自分"にしか理解できない、終始一貫して優位に戦いを進めた、序盤で勝利を確信した戦い方であった」と評した。

 私は将棋に関しては門外漢だけれど、彼の並外れた集中力には驚きを隠せない。将棋と言うのは体力勝負の一面もあるのだと、藤井四段の対局の話題を通じて改めて知った次第だ。「長丁場の神経戦」と言う意味では、緊張の糸が先に切れた方が負けであり、彼が伸び盛りで怖い者知らずの14歳と言うところも、有利に働いているのだろう。

 師匠の杉本昌隆七段は、先の28連勝の対局の後、ふたりで帰途につくまでの間、対局の疲れも見せずに、ずっと楽しそうに将棋の話をする普段と変わりない藤井四段の姿に、29連勝を確信したと言う。

 また師匠曰く、藤井四段自身は連勝記録への拘りはなく、目の前の一局一局への勝利に集中しているそうだ。出来過ぎた弟子が破竹の勢いで連勝する姿を、師匠は優しい眼差しで見続けている。

 私はこの師匠との子弟関係も、藤井四段の大きな支えになっているのではないかと思う。何よりも将棋を愛する藤井少年の熱情の受け皿となっているのが、師匠の杉本七段だからだ。しかも師匠は藤井四段の傑出した才能を認め、伸び伸びと本人のやりたいようにやらせて、自身は彼を見守ることに徹している。

 藤井四段は一体どこまで勝ち続けるのか?「彼がこれから見せてくれる世界」はどんなものなのか、俄かファンながらも興味あるところだ。

 ただひとつ気がかりなのは、彼の体調だ。

 彼が対局に勝ち続ければ勝ち続けるほど、中学生の彼は学校に行けなくなる。ままあることだが、早熟の天才は自身の並外れた才能を発揮する為に、二度と戻らない貴重な子ども時代を犠牲にしがちだ。

 たとえ能力は大人並み、或は凌駕するものであっても、また、一連の発言から10代前半とは俄かに信じ難い精神年齢の高さが感じられるとしても、やはりまだ心身共に成長途中の子どもである。

 その時々に為すべきことをしないと(子どもなら同世代と一定の時間を共に過ごすこと)、本人は後々いつまでも何かをやり残したような違和感を覚えたり、ひとりの人間としての精神のバランスを欠く可能性がある(それを「天才の宿命」と言われたら、凡人には返す言葉もないけれど…)

 しかも長時間に渡る並外れた対局への集中は、想像以上に育ち盛りの脳に多大な負荷を与えるのではないか?そのことが、彼の脳に何らかの悪影響を及ぼさないかと、母親目線で心配になる(あの羽生三冠でさえ為し得ていない、将棋史に残るデビュー戦以来の連勝<無敗>記録である)

 また、過度の、無責任な周囲の期待は、せっかくの貴重な才能を潰してしまうこともある。特に話題とあれば、取材対象の骨の髄までしゃぶりつくさんばかりのマスコミの取材攻勢は、テレビの画面越しに見ても不快になる(対局前後の威圧するような夥しい数のカメラはどうにかならないものか?1〜2社の代表撮影では駄目なのか?激しいシャッター音で、インタビューの声さえ聞こえない)

 現在は14歳、7月には15歳になる藤井君の人生はこれからだ。今まで生きて来た歳月よりもずっと長いものだ。天賦の才は大切に生かしつつも、そのことで自身を消耗してしまうことのないよう、気を付けて欲しいなと思う。どうか彼を大切に思う周りの皆さんで、彼のことを守ってあげてください。

【2017.06.27 追記】

 マスコミの過熱報道を批判しつつ、ここに昨日の「報道ステーション」の内容を引用するのは自己矛盾もイイトコですが、かなり説得力のある面白い内容だったので、以下にメモっておきます。

 これまで藤井四段が公式戦で指した手は1,522手。

 番組では、その全てをコンピュータソフトAIで解析すると共に、ソフト開発者とAIの申し子とも言われるプロ棋士千田翔太六段(23)による徹底分析で、藤井四段の強さの秘密に迫った。

 「藤井四段が負けない4つの理由

@序盤の強さ
 
 AIは局面ごとの「最善手」を割出し点数で評価して、藤井四段の「技巧」のレベルを測った。

 藤井四段は、速攻が一発で決まった局面では、攻め方を理解した上で攻めている。

 これまで「終盤に強い」と言われて来たが、実際には序盤で積極的に攻めを仕掛けており、優勢になると、そのまま勝ち切っている=一度有利になったら、勝ちを逃さない。

 (因みに、加藤九段は当初から、藤井四段は序盤で相手の数歩先を行っていると評していた。)

 差し手の間違いも少なく、大きな間違いもしない→形勢逆転が起こりにくい。

A「最善手」との"一致"

 「最善手」とは、最善の攻め方のこと。
  
 コンピュータが導く「最善手<シュ>」と実際の藤井四段の「指し手<テ>」の一致率が高い。一致率が高ければ高いほど、確実な攻めを行っているということ。

 例えば加藤九段との初戦では、藤井四段の一致率が69%に対し、加藤九段は42%。

 これまでの対戦相手の一致率の平均値は49.79%に対し、藤井四段は65.25%。

B"悪手<アクシュ>"が少ない

 "悪手"とは誤った指し手のこと。つまりミスだ。

 藤井四段は悪手率が低い。つまりミスによるダメージが小さい。

 これまでの対戦相手の悪手率の平均値は118.07に対し、藤井四段は40.42。

 たとえミスをしたとしても小さなミスで、大勢(タイセイ)には影響を与えないのが彼の強み。

C"不利"になっても差を広げない

 拮抗した対局で、たとえ形勢不利になったとしても、不利を拡大させないのが藤井四段。

 拮抗した状態をうまく保つ、粘る技術が高い→対戦相手がしびれを切らして自滅=長丁場であればあるほど強みを発揮

 そして天才的な寄せ(終盤戦)を見せる。

 番組出演のアマ有段者曰く「歴代の名人、トップ棋士の強みをすべて併せ持った棋士。付け入る隙がないモンスター

 また、別の記事では、将棋歴40年以上の俳優森本レオが、「羽生三冠が人類の頂点なら、藤井四段は藤井聡太と言う人間の皮を被ったAIだ。藤井四段は将棋界の新たな扉を開いた。」と評していた。

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2017/6/20

日常の言葉で語られる哲学  はなこのMEMO

 今は亡き在野の哲学者で文筆家、池田晶子さんが遺された言葉には、いつも唸らされる。

 自分の思慮の浅さと、語彙の貧弱さと、言葉への理解の足らなさを思い知らされる。

 彼女の言葉に、自分の痛いところを突かれ、狼狽したのは一度や二度でない。

 彼女の明晰な言葉の前では、にわかマゾヒストになってしまう自分がいる。
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2017/6/18

ジャコメッティ展(国立新美術館)  文化・芸術(展覧会&講演会)

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 新聞店のチケット・プレゼントで「ジャコメッティ展」のチケットを2枚いただけたので、今日、夫とふたりで見て来ました。

 先日、大盛況のうちに会期を終えたミュシャ展に続き、国立新美術館開館10周年を記念しての、20世紀を代表する彫刻家の大回顧展です。
 
 アルベルト・ジャコメッティは、一目見て彼の作と分かる比類なき作風を確立したという意味で、美術史に名を残す偉大な作家のひとりと言えるでしょう。

 ところで、一般鑑賞者にとっての現代美術の難しさは、ひとつには、作品の中に作家の思想も率直に投影されている点にあると私は思っています。

 創作するにあたって、単純に対象をあるがままに造形したり、美しさやそれを見ることを通して得られる心地よさを追及するのではなく、時に作家の思索(または創作上の試行錯誤)のプロセスを赤裸々に曝け出した作品は、必ずしも一般で言うところの"美しい"ものではなく、また、"分かり易い"ものでもなく、見る者を困惑すらさせるものです。

 これは、ひとつには時代的に、"表現者たち"がジャンルを超えて積極的に交流した結果なのでしょう(その萌芽は既に19世紀には出ていました )。芸術家も創作を通して"哲学する"のが当たり前の時代。特に当時、芸術文化の中心地であったパリには世界中から数多の才能が集まり、さぞや作家の感性を刺激し、思索を深める環境にあったことでしょう。

 今回の回顧展では、ジャコメッティのごく初期の油彩画をはじめ、数多くの素描、またサイズは極小から2m近いものまで、スタイルはキュビズムからプリミティブ、シュルレアリスムを経て多くの人が認識する、いかにもジャコメッティ的な縦に引き伸ばされた独特の人物像までと、大小多彩なブロンズ作品を展示して、その全貌を余すことなく見せてくれています。

 「本展は、日本で開催されるジャコメッティ展では11年ぶりの個展であり、初期から晩年まで、彫刻約50点、絵画約5点、素描と版画約80点が出品」(公式サイトより)

 ひとりの作家の回顧展を見る度に思うのですが、個々の作品のキャプションに、その作品が作家が何歳の時に創作したものなのか明記してくれたら、その作品が作家の創作人生の中でどのように位置づけられるのかのヒントになるのではないでしょうか?

 印象的だったのは、素描が単なる下絵ではなく、何度も荒々しく重ねられた線が、そのまま彫刻作品に反映されていたこと。彼の一連の彫刻作品の特徴的な表面の質感は、素描の中で既にはっきりと明示されている。これは面白いなあと思った。

 彼は自身の目で見た対象を、ひとつのアート作品として昇華させるのに相当腐心したようですが(そのことは、素描における人物の顔に描かれた夥しい線からも感じられます)、本展覧会で彼の作品の変遷を辿ると、彼は一般の人間には想像もつかない特異な視点で、対象を見つめていたのかなと推量します(夫はほんの数センチの高さの極小のブロンズ像を見て「彼は頭がおかしかったんだよ」と言い切っていましたが…)

 そもそも美術作品を見るということは、作家の目を通してこの世界を見直す、と言うことでもあるので、ジャコメッティが創り出す作品の特異性は、大変興味深いものでした。見る角度によって、作品の見え方と言うか、作品から得る印象が全く変わるのが本当に面白かった。特にジャコメッティ作品は真横から見るのが楽しい。

 立体である彫刻をさまざまな角度から見る楽しみを存分に味あわせてくれるのが、ジャコメッティの作品の真骨頂だと思いました。

 なお、この展覧会でも、一室のみ展示作品の写真撮影が可能となっています。しかし、解説パネルの撮影や、フラッシュ撮影は禁じられています。下記の写真はそこで撮ったものです。

 会期は9月4日(水)まで。
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 お土産に「クリアファイル」と(ジャコメッティが描いたポスター画の)「絵葉書」と(代表作である≪歩く男T≫の)「しおり」を買いました。

 展覧会が始まって最初の日曜日とあってか、まだそれほど混雑しておらず、客層は一般の美術ファンと言うより"自身がアーティスト"と思しき人が多く、作家としての視点で展示作品をじっくり鑑賞している姿が印象的でした。
 
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 展覧会の後は1階のカフェでひと休み…ここでは美術館の建物も鑑賞の対象です(笑)。

 こうして見ると、黒川紀章さんも"いい仕事"をされたのだなと思う。四角い大きな箱の展示室と、前面ガラス張りで開放感溢れる吹き抜け空間のホールとのギャップが面白い美術館です。
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 下の写真は、近隣の六本木ヒルズの展望室から見た美術館の外観です。

 外から俯瞰して見ると、後方の無機質な大きなコンクリートの箱を、ファザードの波打つような曲線のデザインで、柔らかく包み込んでいるような趣が良いですね。

 建設から10年を経て、周囲の植栽も心地よい緑陰を作るようになり、漸く全体的に調和のとれた建物となったような気がします。
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2017/6/18

季節の花々を愛でる(「白山神社紫陽花まつり」より)  散歩の記録

 先週の月曜日に行った、文京区は白山神社の紫陽花まつりで撮った写真を一挙掲載です。この時期ならではの紫陽花の花々が魅せる色の競演に、夢中でシャッターを切りました。

 季節の花々を間近に見られるのはまさに眼福で、心の栄養にもなるような気がします(おばちゃんは、とにかく花が大好き!)。そのお裾分け(笑)。

 紫陽花は日本原産の花なんですよね。かのシーボルトも、種をオランダへ持ち帰ったとか。
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クリックすると元のサイズで表示します 境内に鎮座する、金色の出目が特徴的な狛犬。

 色とりどりの花々に囲まれて、嬉しそうに微笑んでいるように見えなくもありません(笑)。

 息子が幼かった頃、東京大学理学部付属小石川植物園によく通ったので、白山駅自体は馴染深い駅なのですが、そのすぐ近くにある白山神社には、これまで来たことがありませんでした。

 白山神社はこの時期の紫陽花まつりで有名なんですね。この日一緒に神社を訪ねた、東京都出身の友人が教えてくれました。

 境内には地元のご婦人方が無料でお茶菓子を出してくれるコーナーも設置されていて、そのお心遣いがとても嬉しかったです。そこで家族へのお土産に、写真の金平糖とあじさいゼリーを買い求めました。紫陽花の花に見立てた金平糖が可愛らしい。
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 神社近くに建つマンション?のアプローチも素敵でした。文京区は落ち着いた雰囲気の街で、憧れますね。


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2017/6/12

あじさいまつり  携帯電話から投稿

今日は、あじさいを見に、
白山神社に来ています。

もう花の盛りは過ぎたかな?
→十分、花盛りです。

ここも、
外国人観光客が多くてビックリ。

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2017/6/10

正直言うと「いいね」ボタンがうざい(笑)  日々のよしなしごと

 いつの頃からか、ブログ記事の右下に「いいね」ボタンが付いた。

 おそらくフェイスブックの影響だろうけれど、ネット上には、ブログ記事に「いいね」が貰えない人を、「賛同者が少ない、或は、いない」=「友達のいない」哀れな人として小馬鹿にするような記事も見受けられる。

 どうして馬鹿にするんだろう?個人がほぼ自己満足で綴っているブログ記事に、どれだけの人間から賛同を得られるかどうかなんて、そんなに重要なことなのだろうか?

 私は自分自身がマイナーな変人と言う自覚は持っているので、元より私の意見に対して多数の賛同を得られるなんて思っていない(現実生活で関わりのある人には、このブログの存在を殆ど教えていない。匿名だからこそ、人の目を気にせずに書けることもあるし…しかし、実際のところ匿名性が保たれているのかも疑問ではある。フェイスブックのような基本実名では、結局、現実世界の延長のようで、本当に言いたいことも言えなさそうで嫌だ)

 自分のブログで社会に何がしかの影響を与えるとか、世の中を変えようなんて、大それた野望もない。

 と言うより、寧ろ私のようなマイナーな人間が、自分の意見や思いを表明できる場があること自体に感謝している。しかも、思いがけない人数の人々が繰り返し私の"ほぼ独り言ブログ"に、毎日訪問して下さっていることに、ちょっと驚いている。こういうのを「望外の喜び」とでも言うのでしょうか?

 そのブログ読者諸氏の大多数がコメントを寄せて下さらないので、どのような思いで読み続けておられるのか(何ふざけたこと言ってんだよ。バ〜カ、なんて、PCもしくはスマホの前で悪態つかれているかもしれない…ハハハ)、私には知る由もないのだけれど、続けて来て下さるだけで有り難い。

 かくいう私は以前は今よりもマメに他の方々のブログに立ち寄ってはコメントを残していたのだが、今はブログを読むにしても、本当に限られた方々の、本当に興味を持った記事にしかコメントを書かない。誰かの記事に対して「いいね」ボタンも滅多に押すことはないし…

 ネット上でこれ以上付き合いを広げるのは面倒だからかな。ひとりの人間が誠意を持ってお付き合いできる相手の数なんて限られていると思う。特に私のような不器用な人間には。
 
 もちろん、コメントやTB(←記事に関連したものに限る。変な宣伝は本当に迷惑だし、この手のタイプは無視するけれど)は大歓迎。時間の許す限り、心を込めて返信コメントを書きます。実際、記事本文よりコメントの方が長いこともあるし(笑)。

 そもそも今はブロガー人口自体、ひところよりは激減しているようですね。皆、悠長に長い記事を読んでいる時間もないのか、ツィッターやインスタグラムのように瞬間的に内容を理解できるものが今では主流になっている。フェイスブックでさえ若者からは敬遠され、旧世代のものとなりつつある?!そして何年も更新されないまま放置されたブログが、何百何千とネットの海を難破船のように漂流しているのが何だか痛々しい。

 そんな中で10年以上もブログを続けられたのは、まだ自分に書きたいものがあるから。書く意欲が細々とだけれど続いているから。来年には重要な話のタネのひとつである美術館のボランティア活動も終わってしまうので、ブログを書くと言うモチベーションが、どの程度維持できるのかは不透明ではあります。

 で、正直うざいなあと思っている「いいね」ボタンにも意外な効用があり、常連さんが私に気を使って返信を不要とするコメントを寄せてくださったり、私と同じマイナーな思いや考えを抱く方々が吐露する心情の受け皿にもなっているのです。

 書いた本人でさえ、その存在を忘れていたような古い記事に対して、真摯なコメントを残して下さる方が少なからず存在する。いいねボタンに付随するコメントに関しては、システムから通知などないので、本当に気まぐれにブログ編集システムの「いいねコメント欄」を覗いてみたら、"発見"と言うことがままあるのです。

 これが意外に嬉しい。自分でもとうに忘れていた記事を、改めて読み直すきっかけにもなる。これはブログを長く続けて来たことへの、ある種の"ご褒美"のようなものだと思っている。誰からの?と問われたら、誰なんでしょうね?ブログの神様?そんなものいるわけないけれど。

 この場を借りて、(大半が通りすがりの方々で、このブログを継続して読んでくださってはいないかもしれないけれど)心の籠ったコメントを寄せてくださった方々に改めてお礼を申し上げたい。ありがとうございました。

 それから、もう長いことコンスタントに私の記事にコメントを寄せてくださっているSakuraiさん、いつもありがとうございます。どうぞ、いつまでもお元気でいらしてくださいね。
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2017/6/7

怒鳴らなくても、子どもは物事の道理を理解できる  はなこ的考察―良いこと探し

 実は今は亡き私の父は、今で言うところのDV父で、特に長子だった私は子どもの頃、常に言葉と身体の暴力に晒されていました。

 父はとにかく口が悪い。「お前は橋の下から拾って来た」だの、「疫病神」だの、「かわいくない」だの、揚句に「お前なんか死んでしまえ」だの、子どもが傷つくような言葉を平気で毎日のように投げかけるのです。

 気に入らないことがあれば容赦なく蹴りを入れられたし、中学の時には勘違いした父が怒りに任せて私に雨傘を投げつけ、私は右瞼に9針縫う怪我を負いました。ほんの僅かでもずれていたら、右目を失明していたでしょう。

 幼稚園の時には、ハイハイしていたすぐ下の妹(4歳の時に交通事故で死亡)がゴミ箱から見つけた父の使用済みの剃刀で、誤って私の額を6cm程切りつけてしまったのですが、「タバコで止血すれば良い」と病院にも連れて行ってくれませんでした。おかげで、だいぶ薄くはなりましたが、今でも額に縦に大きな傷跡が残っています。

 でも、自分で言うのもなんですが、私は父に罵倒されたり、暴力に晒されたりする謂れなどないほど「良い子」だったのです。

 遊びたい盛りに友達と外遊びもせずに、両股関節脱臼で生まれ、4年間ギプスで股関節を固定して歩けなかった末妹の世話もしたし、小学校中学年頃から外に働きに出た母の代わりに晩御飯の準備もしたし、実家の一階で営んでいた小さな本屋の店番や定期購読しているお得意さんへの雑誌の配達の為に中学の部活も泣く泣く諦めたし、大人になってからも自分の給料の一部を実家に仕送りしたり、ボーナスの半分も実家に渡していました。

 女に教育なんか要らないと、父は私に大学への進学も許さなかったし(だから、自分で働いて学費を工面して進学しました)、高校進学の時でさえ「金がかかって仕方がない」とネチネチ言われ続けました(親が我が子の教育に熱心で、ただ勉強さえすれば良い環境で、何の苦も無く大学に進学出来た人には、当時の私の気持ちなど分からないだろうなあ…)

 それでもグレることなく優等生を通し、基本的に親に従ったのは、自分が長子で下に幼い弟妹がいたから。当時の私からすれば、グレる人は精神的に幼く、自分のことしか考えていない、周りが見えていない人としか思えませんでした。

 後で知ったのですが、父は私のいないところでは「うちの娘は頭が良いんだ」と人に自慢していたらしい。

 母の話によれば、父は父で気の毒な身の上だったらしく、跡取り息子の長男を溺愛する祖父に、次男だった父はかなり酷い扱いを受けたらしい。それが父の心に修正のきかない屈折をもたらしてしまったのかもしれません。

 大人になった今は、けっして良い父親とは言えなかった父を許す自分がいます(父の暴力に嫌気して、三女は高校進学の段階で家を出て県外に去ってしまいました。末妹は末っ子で、兄弟の中では最も可愛がられたはずなのに、未だに父のことを「大嫌いだ」と言います)

 そんな父のことで私が何よりも嫌だったのは、頭ごなしに怒鳴りつけることでした。自分の怒りの感情に任せて、熊のような大きな身体から大声を発するのです。

 今でもそれはトラウマになっていて、どんな理由であれ、親や教師と言った大人が、子どもを怒鳴りつけている場面を目にすると、何とも嫌な気分になります。

 生きるか死ぬかの深刻な事態に直面しているのでもないのに、なぜそんな大声で子どもを怒鳴りつけるのかと。

 実は亭主関白気質の典型的な九州男の夫も、私や息子に対してたまに大声で怒鳴ることがあって、その度に「怒鳴りつけるほどのことでもないのに」と疑問に思い、最近は「それって、怒鳴りつけるほどのことかな?」と私もすぐさま反駁することが多くなりました。頑固な夫は反論できないと黙り込みますが…

 結局、日常生活の中で、人に対して怒鳴る場面なんて、そうそうないはずなのです。それでも怒鳴る人は感情の制御が効かない人。心理学で言うところの「アンガー・マネージメント」が必要なんですよね。怒鳴る本人に、ストレスを抱えている等の何らかの内的問題があるのだと思う。

 子どもも一個の独立した人格としてきちんと認め、何か問題があれば、きちんと筋道立てて話し、教え諭すこと。反抗する子にも言い分はあるのです。その言い分に耳を傾ければ、子どもも心を落ち着けて大人の話に耳を傾けるようになります。

 これは12年間、美術館で教育普及ボランティアとして従事した中で、私自身が学んだことでもあります。
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2017/6/6

やっぱり子どもはかわいい  ボランティア活動のこと

 今年度で12年間務めたボランティアも任期を終えますが、この4カ月余り休業状態でした。

 と言うのも、今年の2月の半ばに夫の両親の様子を見に九州に帰省して以降体調を崩し、中耳炎と気管支炎が完治するのに1カ月以上もかかってしまった上に、今年度は例年になく年度初めはSGTの依頼が少なかったのです。しかも5月は申し込んでも多数の立候補者がいたため選に漏れたし…

 ところが、今月に入ってからは各所から多数のSGTの依頼があり、第一週の今週はなんと4回も担当することになっています。立候補した中でひとつでも当たればいいなという軽い気持ちで申し込んだら、すべて当たってしまったという…(笑)。

 何よりブランクが長くて現場勘を取り戻せるのか、また体力にも一抹の不安(特に慣れない通勤ラッシュ時の満員電車での移動)を覚えていたのですが、2回のSGTを終えた時点で、身体の疲れよりも精神的な充足感の方が優っています。

 何と言っても、子ども達がかわいいですねえ

 元気いっぱいで、真っ直ぐで、真綿のように新しいことをどんどん吸収して、私の言うことにビンビン反応して…その生命力溢れるさまに、私は元気を貰っています。

 子どもはやはり人類の未来、宝です。大事にしたい。
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2017/6/5

非婚化、少子化は政治の問題でもある  家族のことつれづれ

 北関東に住んでいる息子が、東京の都心で行われる会社の同期(入社した同僚)の結婚式の為、一時帰宅していました。

 折しも大学卒業後、単身オーストラリアに渡り、現地の日本料理店でシェフをしている中高時代の友人が一時帰国しており、息子は式の前日に、その友人と上野で落ち合って酒を酌み交わしたようです。

 この友人、早稲田大学の教育学部を出て、なぜか異国でシェフになったらしいのです。人によって進路もさまざまですね。しがらみや常識に囚われない生き方を敢えて選択する潔さが凄いなと思う。イマドキ珍しい6人兄弟の、年の離れた末っ子と言う気楽さもあるのかもしれないけれど。

 さて、話は息子の同期の結婚に戻りますが、息子と同期と言えば26歳前後です。息子の話では、既に半分近くが既婚者らしい。昨今の平均値よりは大分早婚だと思うのですが、どうでしょう?

 今の世の中、大企業と言えども未来永劫安泰とは言えないですが、それでも現時点で正規雇用で安定した収入を得ることができているのは、結婚への大きなインセンティブになっていると思います。

 多くの若者から未来への希望を奪ったのは、やはり小泉竹中時代に始まった非正規雇用の増加ではないでしょうか?経済のグローバル化による産業構造の変化でやむを得ない部分があったとしても、現状の非正規雇用の割合は大き過ぎます。社会正義にもとると言える。

 従来なら正規雇用で守られていたはずの従業員の生活が不安定化したことにより、結婚を躊躇う若者、結婚しても教育費用負担の心配から子どもの数を絞らざるを得ない若者も多いと思う。

 その一方で史上最高益を更新している企業もあります。

 さらに、工業生産品のコモディティ化により、従来のような収益を上げるには、より高度な技術が必要とされる分野が増えたのに、会社は社員教育にかつてほど注力しません。大企業に慮った政策ばかり施行する政府にも、その責任の一端はあると思う。

 さらに政府は高齢化社会の進展による社会保障費の増大への対応に精一杯で、教育に必要十分な予算を割く余裕を失っています。尤も、公教育の抜本的な立て直しは、政府のやる気の問題のような気もしますが…

 今の日本の年金システムは、現役世代がリタイヤ世代を支える方式になっているのに、支える側の人口は減る一方です。そして社会保障費を応分に負担する正規雇用従業員はさらに少ない。このままでは早晩、日本の社会保障制度は破たんするでしょう。

 若者の婚姻率を正規雇用と非正規雇用で比較してみれば、一目瞭然です。少子化対策には、第一に若者が結婚できる環境を整える事。その改善策として企業は正規雇用を増やし、社員教育に力を入れること。そして、ひとりひとりの人生が生まれた環境に極力左右されることのないよう、政府は公教育を充実させ、できるだけ数多くの有用な人材の育成を図ること。


 子ども(と若者)は未来そのものなのです。その存在を蔑ろにする国に未来はありません。

 若者も今、自分たちが置かれている状況には、政府に対して怒ってしかるべき。どうして、他国の若者のように積極的にアクションを起こさないのでしょう?もっと自己主張すべきです。
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2017/6/3

ふたたび健康診断のはなし  日々のよしなしごと

 夫が年に1度の健康診断を昨日受けました。

 視力検査で矯正視力に左右で大きな差が出たので、メガネのレンズを交換しようと、帰宅後すぐにメガネ店へ行きました。

 夫はとても物持ちが良いというか、物を大事に丁寧に扱う人なので、現在使用中のメガネはな何と15年前に購入した物。ドイツメーカーのシンプルなフォルム且つ堅牢なフレームは、これまで一度もネジさえ緩んだことがないと言う優れものです(確か、価格もそれなりに高かった)

 メガネ店の方も、夫のメガネの状態の良さに「とても15年前の物とは思えません」と感心していました。

 そしてメガネ店で改めて視力検査を行ったのですが、残念ながらレンズを換えても視力矯正に思ったほどの効果が見られず、これは白内障が疑われると言うことで、眼科での診察を勧められました。

 それで早速、今朝、夫は眼科に出向いたのですが、さきほどかかって来た夫からの電話の話では、両方の眼に白内障の症状が見られ、手術を勧められたとのこと。

 白内障の手術は、タンパク質が変質して濁ってしまった水晶体を取り除いて、そこに新たに人工レンズを埋め込む手術で、手術時間は5、6分程度で済むのだとか。1泊2日の入院で、費用は片目で約22万円。保険適用でその3割が自己負担となるようです(手術前の細々とした検査費用も含めれば、総額15万円前後になりそうです)

 新しいレンズを埋め込むことによって、見える世界が劇的に変わるよ、と先生には言われたそうです。自宅では、ほぼメガネ要らずで生活できるようになる、と。

 もし、そうなれば、小学生の頃から強度の近眼で、長年、分厚く重いレンズのメガネをかけ続けて来た夫の「生活の質」も劇的に変わることでしょう(最初はちょっと戸惑うかもね)

 「手術を勧められたんだけれど、どうしようか?」と問う夫に、私は即座に「手術したら良いじゃない!活字を読むのがだいぶ楽になれば、目の疲れや目の疲れから来る頭痛も軽減されるかもよ」と答えました。

 先生曰く、即断即決の女性に比べ、男性は優柔不断で、手術を先延ばしする人が多いそうです。ウチは近親者(義妹=夫の弟の奥さん)に、白内障手術を受けた先例があり、手術後に視力が良くなって日々の暮らしが快適になったとの話を聞いていたので、私は躊躇することなく夫に手術を勧めました。

 夫はこれまで病気らしい病気もしたことがなく、「丈夫に産んでくれたお母さんに感謝だね」と常々言っていたのですが、今年還暦を迎え、つい2か月前には生まれて初めてインフルエンザに罹るなど、体調には確実に「老化」による衰えが見えています。

 今回の白内障もその一環かなと思うのですが、ものは考えようで、手術によって劇的に視力が良くなるのであれば、長年ものがよく見えなくて、いろいろな意味で損をしていた、不便をかこっていた夫が、神様から"還暦のご祝儀"をいただいた、と言えるのかもしれません。

 たまたま日頃お世話になっている総合病院の眼科は、神奈川県随一とも言われる眼科を看板としている病院で、神奈川県内だけでなく、都内からも患者が治療に訪れる病院です。多数の白内障手術の実績もある(4,000件/年)。だから、安心してお任せできます。


 何と言っても、疾患は早期発見、早期治療に限ります!

 治療は早ければ早いほど治癒の確率も高まるし、患者本人の身体への負担も少ないでしょう。そして、国全体の医療費の削減にも繋がる!

 健康診断の重要性を、また改めて噛みしめています。
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2017/6/1

これもリサイクル♪  携帯電話から投稿

役目を終えたカレンダーで
ブックカバーを作りました。

カレンダーは紙質が良く、
素敵なデザインが多いので、
すぐさま捨てるのは
何だか忍びない。

だからブックカバーとして
もう一度働いて貰うのです。

クリックすると元のサイズで表示します
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