2016/6/28

『チョイ住み』シリーズ第6弾放送決定!  海外旅行(旅の記録と話題)

 いつも放映を楽しみしている旅番組『チョイ住み』シリーズの第6弾の放送が、2週間も前にアナウンスされていたようです!

 あー見逃すところでした!!

 今回の「チョイ住み」の地は、昨年の7月、実に54年ぶりに米国との国交が回復して大きなニュースとなったキューバの首都ハバナです。

 そして旅人は、人気若手俳優の野村周平クン(22)と、ベテラン料理研究家の土井善晴さん(59)。何と37歳差で、「チョイ住み」史上最大の年齢差

 野村周平クンは、まだブレイクする前の彼を、映画の舞台挨拶で間近に見たことがあります。その時のシャイな印象からは、今の活躍は想像もつきませんでした。最近ではドラマ「フラジャイル」で元医学生の臨床検査技師役、映画「ちはやふる」でヒロインを慕う競技かるた仲間の役などを好演していました。

 母方の祖母が中国人のクォーターである周平クンは、小中学校時代を神戸の中華学校で学んだので、中国語も堪能なんだとか。芸能界デビュー前はスノーボードの大会で数々の優勝経験もある運動神経抜群の男子です。番宣での彼の様子から、かなりヤンチャな印象

 しかし、あと数年もすれば、本格的な演技派俳優の道へと進むのか、単なるアイドル俳優で終わるか、彼の真価が問われることになるのでしょうか?

 一方、土井善晴さんは、料理研究家として高名であった土井勝氏を父に持つ、親子二代にわたる家庭料理のエキスパート。NHKの料理番組「きょうの料理」でもお馴染みです。ソフトな語り口で、分かり易い解説が人気。

 やはり、今回も「年長者が料理上手」の"チョイ住み鉄板の法則"で来ましたね。

 旅先としてのハバナは、別の人気旅番組「アナザースカイ」でも何度か取り上げられたことがあり、まったく未知なる世界と言うわけでもありませんが、今回どのような切り口でハバナを見せてくれるのか楽しみです

 そして、活躍するジャンルも、年代も違う旅人ふたりが、キューバでの共同生活で、どのようなバディぶりを見せてくれるのかも、「チョイ住み」シリーズの見どころ。

 私が現時点で知っているキューバと言う国は、アメリカに隣接する社会主義国で、国民の平均月収は1万円にも満たないが、それでも基本的な食糧の配給制度や医療・教育が無料で受けられる制度が確立しているので、人々はけっして貧窮ではなく、50年代のアメ車が未だ現役でノスタルジックな街中を走っており、マイケル・ムーアのドキュメンタリーでは医療技術の高い国として取り上げられているということ。そして、野球大国と言うことですね。

 つい最近には、新たな市場として、多くの日本企業が進出を目指していると、ニュースにもなっていました。
 
 
 そんなキューバでの「チョイ住み」、皆さん、お見逃しなく!

 チョイ住み in Cuba 7月21日(木)21:00〜 NHK−BSプレミアムにて放送

「チョイ住み」公式ブログ
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2016/6/25

鉄瓶を育てる  「食」についての話題

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 私は無類のお茶好きで、和洋中でいろいろな種類のお茶を揃えては、その時々の気分や1日の中でのバランスを考えながら、適宜選んで飲んでいる。

 ざっと数えただけでも13〜14種類はあるだろうか?ただし、どれもティーバッグで、お茶好きはお茶好きでも、本格派とは言えないのかもしれない。しかし、味や香りには拘って選んでいるつもりだ。

 一番多いのは紅茶で、英国ブランドの紅茶もあれば、フランスの紅茶もあり、中でも生協でしか取り扱っていない日本のLankaStarと言うメーカーの紅茶はアッサム、ダージリン、ワイルド・ストロベリー、ジンジャー、アールグレイ(そして時々キャラメルやマンゴーやピーチも!)と取り揃えている。ここのメーカーは社長自ら、世界各地のお茶の産地を訪ねて直接茶葉を仕入れ、ブレンドしていると言う。

 特にダージリンは、自分の知る限りでは、海外有名メーカー製品に引けを取らない香りと美味しさだと思う。なかなか生協でもお目にかかれないので、生協に出た時には2〜3袋を必ずまとめ買いするようにしている。

 お茶をより美味しくいただく為に、私は水にも拘る。そこで、水道水のカルキ成分を除去して、味をまろやかにすると言う、南部鉄器の鉄瓶を1か月ほど前に購入した。鉄瓶にはこの他にも、沸かした湯に人体に無害な鉄分が溶け出て、貧血予防の効果があるらしい。

 尤も、茶葉によって合う水質は軟水(日本茶?)か硬水(紅茶?)に分かれるので、厳密に言うと、自分の好みが軟水だから鉄瓶を使うことにしただけ…かな?日本のモノづくり文化を敬愛するひとりとしては、伝統工芸品を手元に置いて、大事に使いたいと言う憧れもあった。

 南部鉄器はその名の通り、鉄で出来ているので錆びやすい。鉄瓶もすぐに内部に錆びが出そうで、取り扱いが難しいイメージがある。また、「水道水がまろやかになる」と言うのは、ある程度、鉄瓶を使い続けて後のことだ。

 だから、タイトルの「鉄瓶を育てる」なのである。

 買って最初の2〜3回は沸した湯をそのまま捨てる。湯慣らしだ。その後は出来るだけ毎日、鉄瓶で湯を沸かすようにする(鉄瓶を使ってあげる)。錆びを防ぐ為に、沸かし湯はすぐに急須やポットに移す。

 そして使用後はすぐさま、蓋(特に水滴のついた裏側)や注ぎ口、本体外側を、予め用意した乾いたミニタオル※で拭いて、水分を取り除くようにしている。

 ※ミニタオルはいただき物で未使用の物を2枚、鉄瓶専用にあてがい、何日かおきに替えて使用している。

 鉄瓶内部は、沸かした後の鉄瓶本体の余熱を利用して、残った水分を蒸発させる。内部に息を吹きかけると、てきめんに残った水分が蒸発するので面白い。この蒸発させる作業を怠ると、鉄瓶の中はたちまち錆びだらけになってしまう。

 一見面倒そうだが、一連の作業を習慣づけてしまえば何のことはない。使用後に水滴を残さないよう気を付ければ、鉄瓶の内側は洗わなくても良いのだ。それどころか、手で触れてもいけない。外側は汚れたら固く絞った布巾で拭くだけ。そして、鉄瓶本体がすっかり冷めてから盖を乗せ、棚にしまうこと。

 尤も、どんなに気を付けても、使い初めて1〜2週間くらいで内部に茶色の錆びが点々と出て来る。しかし、これはそれほど気にする必要はない。この後は、沸かし湯が錆び色にならない限り、根気強く鉄瓶を使い続けること。

 鉄瓶を使い始めて1か月が過ぎたころ、次第に水の中のカルシウム成分が、鉄瓶内部の錆びを覆うように白く付着して来る。この白い付着成分が、所謂「湯垢」と呼ばれるもので、水道水をまろやかにする働きがあるのだ。

 「早く湯垢を付けたければ、ミネラル分の多いフランスのエビアン等を使うと良い」とネットに書かれていたので、早速試してみたら、効果てきめんだった。写真は、使用から1か月半が経過した我が家の鉄瓶≪バウム≫の内部。白光りしているのが湯垢だ。かすかに見える茶色い錆びを覆うように付着している。

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 そもそも湯垢は鉄瓶の所有期間や使用頻度に関係なく、いかに長時間鉄瓶で水を煮立てるかで、その付き具合が決まるらしい。つまり囲炉裏等でシューシュー言わせている状態を長く続けるのが本来の鉄瓶の使い方で、「短時間で湯を沸かす」と言う、いかにも現代的な効率性はそぐわない道具と言える。

 一端の茶人気分で、空焚きにはくれぐれも注意しつつ、水を弱火で"じっくり時間をかけて煮立て"、優雅にその時間を楽しむ位の心の余裕が必要なのかもしれない。こりゃ、隠居の贅沢かな(笑)。

クリックすると元のサイズで表示します 誤って鉄瓶内部に錆びを大量発生させてしまった場合や、錆びで沸かし湯が茶色く濁るようになった場合は、鉄瓶を軽くすすいだ後、八分目の水に布に包んだ茶さじ1杯の煎茶を入れて、空焚きに注意しながら30分程度煮立て、金気止め処理を行えば良いようだ(ある程度、沸かし湯の色が気にならなくなるまで、この処理を繰り返す)。これはお茶に含まれるタンニンと鉄の結合現象を利用した、昔ながらの錆び止め処理らしい。

 写真は使用から半年経った我が家の鉄瓶(ケトル)バウム君。

 不覚にも最近、鉄瓶が十分冷めないうちに私は盖を被せてしまったらしく、翌日気づいたら鉄瓶内部の底が湿っていて、斑点状に錆びが発生していた。

 錆びの広がりを防ぐ為に早速上述の錆び止め処理を行ったが、これはあくまでも錆びの広がりを抑えるだけで、一度ついてしまった錆びがなくなることはないようだ。今のところ、沸かし湯には何の問題もないとは言え、大事に育てて来たつもりが、たった1度の不注意で内部に錆びを発生させてしまい、バウム君には申し訳ない気持ち…

【参考サイト】

岩鋳オンライン
鉄瓶通

 私はいつも鉄瓶に「バウム君」(←商品名)と呼びかけて、使っている。あたかも我が子を愛おしむように、愛着を持って毎日使っている。南部鉄器は大事に使えば、何世代にも渡って使い続けられる堅牢な作りだ。ちょっと重いのが玉に瑕だが、それだけ頑丈に出来ているということ。

 火にかける際には、多少時間がかかっても弱火で。理由は元々囲炉裏等で炭火にかけられていた鉄瓶に、現代のガス火は火力が強過ぎるのと、ガスに含まれる微量の水分が錆びを誘発して、底を傷める恐れがあるからだそうだ。

 実は鉄瓶の場合、高価であればあるほど、職人の高度な技で、より薄く作られ、軽量らしい。熟練職人ひとりが工程の最初から最後まで手掛ける製品は、最低でも価格は3万円以上で、中には数十万円もする品もあるようだ。

 私のバウム君は2万円弱の量産品で、ガスコンロでも使えるよう底厚なので、多少重いのは仕方ない。尤も、伝統工芸品であることには変わりはなく、茶人でもない一般人が日常使いする分には、機能性と堅牢性に価格差ほどの差はないと思う。


 ともあれ、なかなか順調に育って来た、我が家の鉄瓶ケトル「バウム君」で沸かした湯で、美味しいお茶を淹れる。何とも言えない、贅沢なひとときである。

【2018.01.18 追記】

クリックすると元のサイズで表示します 昨秋、2年ぶりに英国を旅行した時に、さまざまな場所で紅茶を楽しんだのですが、行く先々で鉄瓶を見かけました。

 写真は南部ブライトンにある宮殿ロイヤル・パビリオンのティールームで、クリームティー(スコーンと紅茶のセット)を頼んだ時のもの。ちょっと見づらいかもしれませんが、鉄瓶で紅茶が供されました。

 こんな遠いところでも鉄瓶が愛用されているのかと思うと、ちょっと嬉しかった。もしかしたら、日本製ではないかもしれないけれど…

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2016/6/21

「ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力」(中央公論新社、2016)  読書記録(本の感想)

クリックすると元のサイズで表示します 私の同世代と言えば、まず思い浮かぶのが歌手の藤井フミヤ氏、ビミョーなところでは元オウム、元アーレフ、現ひかりの輪代表の上祐史浩氏、そして同列に並びたくない人としては、連続幼女誘拐殺人犯の故宮崎勤などがいる。

 所謂「バブル世代」であり、学生時代には「ハマトラ・ファッション」が花盛りで、当時女子大生の間で絶大な人気を誇っていた「JJ」誌の表紙を、女子大生モデルとして賀来千香子さんや黒田知永子さんが飾っていた。

 「バブル世代」と言っても、私は華やかな「バブルの世界」とは無縁だった。就職しても学生時代に借りた奨学金の返済と、実家への仕送り(ボーナスも半分は親に渡していた)で経済的な余裕はなく、やれ豪華ディナーだ、やれ海外旅行だと浮かれる同期を横目に、つましい生活を送っていた(当時は、自分の人生はいつまで実家に振り回されるのだろうとの不安で、将来に明るい展望が見えなかった。結婚して初めて実家の呪縛から解放され、自由になれたと思う。夫には感謝している)

 バブルは東京だけの話かと思っていたが、後で郷里の友人も、当時は毎月のように恋人とホテルのレストランでひとり3万円のディナーを食べていたと聞き、当時は日本各地が狂乱の最中にあったのだと知った。

 それから数年後の1986年に「メンズ・ノンノ」誌が創刊され、その「メンズ・ノンノ」で阿部寛氏と共にモデルを務めていたのが、今回取り上げた「ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力」の著者である俳優の風間トオル氏である(因みに女優の松雪泰子さんは、「第一回メンズノンノ・ガールフレンド」に選出されたのがきっかけで、芸能界にデビューした)

 この風間氏も、紛れもなく私と同世代。

 
 「文は人なり」と言うが、本書は彼の顔がすぐさま頭に思い浮かぶような、普段テレビで見る彼そのままの語り口調で綴られ、サクサクと読み進め易い。

 しかし、内容はけっして軽いものではなく、モデル時代から知られた端正なルックスと、俳優として活躍する現在の落ち着いた佇まいからは想像もつかないほど壮絶な子供時代のことを、風間氏は本書で赤裸々に綴っている。幼子が直面するにはあまりにも過酷な運命の、胸が刺されるようなエピソードの連続である。

 
 幼い頃、相次いで両親に捨てられ、父方の祖父母に育てられた風間氏。乏しい祖父母の年金だけが頼りの極貧生活は、同じく父の長患いでつましい暮らしを強いられた私でさえも驚く内容であった。あまりにも突き抜けたそのビンボーぶりには、驚きを通り越して、笑いさえこみあげてくる。

 尤も、本当は笑うに笑えない壮絶な極貧生活を「ユーモア」に変換しているのは、他ならぬ風間氏の、機知に富んだ、ひとりの人間としての逞しさなのである。

 「いいことも悪いことも過去でしかない。大事なのは今日を生きるために必死になること」(p.34)
 「貧乏ゆえに工夫をして暮らした生活は『目標を達成するための方法はひとつだけではない』という人生哲学を教えてくれました」(p.45)

〜幼くしてそう達観した彼は、困難の中を、彼流のサバイバル精神で生き抜いて来たのだ。

 数多ある人物の苦難を綴った半生記の中でも、本書が白眉なのは、本書を貫いているのが、幼い頃に自分を捨てた両親への恨みつらみではなく、両親に代わって貧しいながらもありったけの愛情を注いでくれた祖父母や、彼を温かく見守り、助けてくれた周囲の人々への感謝の念であること。そこに彼の気高い品性が滲み出ている。

 その彼の品性を育てたのが、基本的に放任主義ながら、要所要所で彼の胸に響いた、祖母の言葉や祖父母の振舞であった。両親が相次いで彼のもとから去った時も、祖父母がこれからどうしようと狼狽するでもなく、彼を不憫に思って甘やかすでもなく、淡々といつも通りの生活を送ったことで、彼は自分の身に起きた(普通ならかなり深刻な)事態に動揺することなく、やり過ごせたようだ。

 祖母は特に「学」や「技能」があるわけでもなく、パチンコで日銭を稼ぐような一介の老婆である。しかし、ちょっと"無茶ぶり"とも言えるアドバイスで(笑)、逞しく生き抜く為の知恵や、人としての心構えを、彼に授けてくれた人であった。

 「男は泣くもんじゃない」
 「(多少のケガは)ツバをつけときゃ治る」
 「出血がひどい時でも、ツバをつけて、心臓より高く手を上げときゃ治る」(←その"教え"のおかげか、或は天賦の賜物か、彼には驚異的な自然治癒力が備わっている)

 街で大きな荷物を持って歩いている女性を見かけると、
 「なぜ男なのに手伝ってやらないんだ」
 「なぜ男なのにドアを開けてやらないんだ」
 「なぜ男なのに順番を譲ろうと考えないんだ」
 とレディーファーストの教えを説いた。
 そこで親切を申し出て、たとえ無視されとしても、
 「そんなことはどうでもいいんだ(感謝されることを期待しない。それが男の優しさと言うものだ)」と、諭してくれた。

 カニの行商人がはるばる来たと聞けば、その苦労話に耳を傾け、お金もないのに全て買い上げてしまう。揚句に、生ものを家族で今日中には食べきれないからと近所に分け与えてしまう。心配する風間少年に、祖母は 「明日は明日。いいの、いいの、なんとかなるから心配しなくても大丈夫!」とあっけらかんと笑う。

 実際、ご近所同士のお裾分けを日々目の当たりにして、彼は「お金は回る。でも本当に回るのはお金ではなく人の情です。人情を持って人と接すれば、人情が返って来るのです。」(p.68)と、人と繋がることの大切さ、人との繋がりさえあれば、人生は何とかなるのだと悟る。

 どうしようもない貧しさの中でも楽観的で、時に豪快で、そして、とびきり情に厚い祖父母から、風間氏はかけがえのない人生訓を学び取ったのだろう。

 後年、風間氏は不思議なめぐり合わせでファッション・モデルとなり、バブル華やかなりし頃はその只中で我を忘れることもあるのだが、祖母の死によって再び原点を思い出す。斯様に祖母が、彼の人生に及ぼした影響は大きい。それが添えられた副題の意味するところなのだろう。

 個人的には「堂々と生きて行こう!」「時々、神様に出会った」「グレない理由」の項が、自分自身の体験と少し重なるところがあり、特に印象的だった。


 このところ巷間を賑わせた舛添要一氏も、北九州の貧しい家の出で何の後ろ盾もなく、その明晰な頭脳だけを武器に、学者を経て、国会議員(厚労相)や都知事にまで這い上がった人である。しかし、貧しさ故に辛酸を舐めた過去のコンプレックスの裏返しなのか、常軌を逸した金銭や社会的地位への執着で、最近の彼の評判はすこぶる悪い。

 多くの一般大衆は彼の社会的成功を妬んで、彼を執拗に非難したわけではなく、さらに今回の彼の転落に「それ見たことか」と溜飲を下げているわけでもないのだろう。大衆の殆どは、ただただ、彼がその成功に見合うだけの品性を備えていなかったことに、がっかりしているだけなのだと思う。少なくとも私はそうだ。

 6月21日付で辞任ながら、21日の日程は全てキャンセルし、20日が実質的に最後の登庁日だった舛添氏は、目に怒りを蓄えた表情で、マスコミから投げかけられた質問にも一切答えず、あれほど連呼していた「説明責任」も果たすことなく、逃げるように足早に都庁を立ち去った。少なくとも2年4カ月間、都政の頂点にいた人としては、無責任な去り方だったと思う。

 あの不機嫌さを隠そうともしない表情・態度からして、自分は悪くない、自分は無理やり都知事から追い落とされたと未だに思っているのだろうなあ。謙虚に自分を省みることの出来ない品性の持ち主には、自分の何がいけないのかが分からないのだろう。

 彼の身近に、そんな彼を諌めたり、教え諭すメンターはいないのだろうか?そして、自らが招いた今回の不遇をただ嘆いて、これから世間を呪い続けるのだろうか?天賦の類まれな頭脳があるのに、勿体ない話である。

 そもそも、彼の上昇志向のモチベーションが、かつて自分を蔑んだ世間を見返す為だったのであれば、彼は政治家になるべきではなかったのだと思う。政治は個人の恨みを晴らす場ではない。


 奇しくも貧しい環境から這い上がって、それぞれの分野で功なり名遂げた2人の人物のあまりにも対照的な現在の姿に、人間の品性がいかにして身に付くのか、磨かれるのか、その難しさを改めて考えさせられた。
 
 本書は文章の巧拙を超えて(プロの書き手ではないのだから、それは当然で…)、著者の力強いメッセージが胸に響く良書だと思う。特に子育て期の親、小中高生等(もちろん、興味を持たれた、それ以外の方々にも!)に是非、読んで貰いたい一冊である。

 「ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力」(中央公論新社、2016)
  1,296円(税込)

       今は亡き"家族"ロコ助六銀之助と共に著者。これまた良い表情…
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2016/6/20

反省(-_-;)  日々のよしなしごと

 先日、テレビのバラエティ番組で、新津春子さんと言う方が取り上げられていた。最近、書店でこの方の著書を目にして以来、何となく気になっていた人物なので、番組の特集は正に渡りに船だった。

 新津さんは羽田空港の清掃を一手に引き受ける会社の社員である。

 NHKの人気番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で初出以来、マスコミには何度も登場している人物らしく、既に多くの方がご存知かもしれない。

 新津さんはかつて「清掃技能コンテスト」に史上最年少の27歳で1位になった人であり、45歳の現在は、空港で働く清掃員500人を束ねる、プロ中のプロとも言える清掃員である。

 2年連続で羽田空港が「世界一清潔な空港」に選出されたのは、この新津さんの活躍によるところが大きいと、もっぱらの評判らしい。

 
 彼女の第一声を聞いて、ちょっと驚いた。日本人ではないのか?文法的には完璧な日本語だが、その訛りから、中国からの移民なのか、と思った。昔から日本人と結婚して東アジア諸国から移り住む女性は多い。当初はその中のひとりだと思った。

 しかし、その実、彼女は中国残留日本人孤児2世だった。中国残留日本人孤児の父と中国人の母との間に生まれ、17歳の時に家族で日本に来たと言う。

 ある程度成長してからの来日、さぞかし生活習慣や言葉の違いで苦労したことであろう。

 以前、さまざまな事情でアジア諸国から来日し、定住を目指す子供達が通うフリースクールの児童生徒を対象に、美術館でギャラリートークをしたことがある。来日してからの日数や日本語能力のレベルもさまざまの児童生徒を相手に、日本語だけでは対応できず、英語も交えてのトークとなった。実のところ、日本語どころか英語も分からない子も何人かいて、その心細い心中は察してあまりあるものがあった。

 新津さんはその生い立ちから、生まれ育った、まだ日本への風当たりの強かった40年近く前の中国では「日本人」、17歳で入学した日本の高校では日本語が出来ない為に「中国人」と言われ、何れの社会でも喩えようのない疎外感を味わった。自分のアイデンティティはどこにあるのか、相当に思い悩んだらしい。

 しかも、物価の高い日本での生活で一家の中国での蓄えも早々と底を尽き、新津さんはアルバイトで家計を助けざるを得なくなる。日本語が出来ない新津さんはアルバイト探しでも苦労して、結局唯一採用されたのが、「清掃」の仕事だった。

 年配者の中に混じって若い新津さんが働くのは異例のことであった。しかし、新津さんは言葉がハンデにならない、技能勝負の清掃の仕事に光明を見出す。

 高校卒業後、一般の企業に就職したが、職業訓練校での清掃技術の習得を経て25歳で現在の会社に転職。そこで清掃のノウハウに関しては右に出る者がいないと言われた伝説の上司、鈴木課長に出会い、新津さんは本格的に「清掃のプロ」としての道を歩み始めるのだ。

 真面目で努力家の彼女は入社1年目で早くも頭角を顕し、2年後には「清掃技能コンテスト」の全国大会に史上最年少で1位となる。もちろん、そこに至るまでには、彼女なりの挫折や葛藤もあった。入社以来、日々ひたすら技能を磨く彼女だったが、最初のコンテスト挑戦では2位に甘んじた。その結果に悔しがる彼女。そんな彼女に足りないもの、それは「優しさ」であると教え諭したのは、他ならぬ上司の鈴木課長であった。

 清掃作業の先にある利用者への心遣い、それを忘れるな、との上司の言葉は、以後、彼女の仕事の指針となる。

 とにかく働いている時の彼女のひたむきな姿が素敵だ。小さな汚れもけっして見逃さず、さまざまなテクニックを駆使して(汚れの種類や状態に合わせて、80種類もの洗剤を使い分ける)、その汚れを除去した時の彼女の笑顔は何とも晴れやかで、無垢で、まるで童女のようである。

 何より、「清掃」と言う仕事に誇りを持って取り組んでいる姿が清々しい。今の世の中、いったいどれだけの人が自分の仕事に心から誇りを持って、一切手を抜かずに取り組んでいるのだろう?

 新津さんも、「清掃」と言う仕事の位置づけ(格付け?)が、さまざまな職業の中でも低いことは自覚しているが、そういう世間の評判や評価をものともしない、プロとしてのプライドがその真摯な仕事ぶりには漲っていて、見る者は圧倒される。

 「清掃」と言う、ともすれば「汚れ仕事」と見下されがちな仕事を、ひとつの「職人技」としての高みに引き上げた、新津さんの心意気と優れた技能は本当に尊敬に値する。

 彼女の全身全霊で仕事に取り組む姿に、私は自分のいい加減さを反省せずにはいられない。私は人生を賭して、真剣に何かに取り組んだことがあっただろうか?

 自分の与えられた環境の中で一生涯取り組めるものを見つけ出して、仕事の過程ではどんな小さなことも疎かにせず、真摯に取り組む。それでも行き詰った時には、周囲のアドバイスに謙虚に耳を傾け、解決の糸口を見つけるよう努力する。そして何より仕事に誇りを持って取り組むこと。

 つまりは、人生のスタートにおいて環境に恵まれないことが、必ずしも「不幸な人生の確定」ではなく、一生涯取り組める仕事(ライフワーク)とは「出会う」のではなく、自ら「見つけ出す」ものであり、仕事を少しでも馬鹿にしようものなら、仕事に自分の方が見切られる可能性がある。真摯に取り組んでもなお仕事が上手く行かないことがあるが、そうしたスランプの時こそ学びの時であり、成長のチャンスなんだろう。

 テレビに映し出された新津さんの生き様からは、そんなことを感じた。
 
 人生も後半に入ると、現時点で十分幸せなんだけれど、私の場合、"生涯を通して"がむしゃらに頑張った経験がない分だけ、反省や後悔もあるのかもしれない。

           新津さん、良い人相をしておられます…
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2016/6/16

「怒り」  今日の言の葉

 最近、書店に行くと「怒り」と言うタイトルの文庫本が平積みになっている。小説「悪人」を書いた吉田修一氏の作品で、近々、この小説を原作とした映画が公開されるらしい。映画館で、その予告編を何度か見た。

 この「怒り」という言葉は、短い言葉ながら胸に刺さる、なかなかインパクトのある言葉である。

 監督最新作「マネー・モンスター」が公開中の米女優で監督のジョディ・フォスターさんが、先日、NHKのインタビューで、今の時代を象徴するキーワードとして「怒り」を挙げていた(放送は6月15日(水)の『おはよう日本』)

 曰く「今、アメリカでは(映画の登場人物のように)自分の置かれている状況に『怒り』を抱いている人が数多くいます。特に若者は正しいことをし、努力し、税金を納め、親の面倒を見ているのに、報われないと『怒り』を感じています。彼らの『怒り』は、間違いなく現在の大統領選挙の過程にも反映されています。そうした彼らの『怒り』は人種差別のような問題に繋がる危険を孕んでいます。行き場のない『怒り』は、「誰か」 に向けるしかない。今のアメリカ社会は『怒り』を抱えているのです。私は映画監督として、今の私達の姿を描いたつもりです。」

 映画では米国金融界のマネーゲームに踊らされ、人生を破滅に追いやられた若者の姿を通して、米国社会にある理不尽な格差にも疑問を投げかける。

 「現代の金融システムは複雑過ぎて一般の人々には理解するのが難しく、そのルールを理解しシステムを制御できる僅か1%の人だけが、そのシステムの恩恵を受けることが出来るのです。」

 ジョディ・フォスターさんが、12日(日)に米フロリダ州オーランドで起きた銃乱射事件を受けて、この発言をしたのか否かは不明だが、米国社会に蔓延する「怒り」が、社会不安を引き起こす可能性を指摘し、それが世界中に広まることへの懸念を表明したのは、ハリウッドきっての知性派として知られる彼女らしいと思った。

 フロリダの事件は、「犯人の『怒り』」が、「LGBTの人々」に向けられた結果なのだろう。それにしても、その結果はあまりにも悲惨だ。

 戦後以来ずっと米国社会の後追いを続ける、この日本の社会もまた「怒り」を抱えている。ネットに溢れんばかりの呪詛の言葉は、正に人々の「怒り」が、「誰か」に向けられているものなのだろう。

 
 ふと我に返って、「怒り」に任せて振り上げた拳を下ろしたくなった

 そう言えば、人々の「怒り」「憎悪」を栄養源に増殖する「紛争」「テロ」のおかげで、今や武器製造販売業は空前の利益を上げているとの報道があった。

 何か、おかしくないか?今の世の中。
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2016/6/13

水元公園で水郷散策  散歩の記録

クリックすると元のサイズで表示します 梅雨時のどんよりとした曇り空でしたが、久しぶりに少し遠出して、散歩を楽しんで来ました。

 場所は東京都葛飾区にある水元公園

 名前は知っていましたが、今回、初めての訪問。地元の駅前で「権兵衛のおにぎり」を買い、いざ出発!

 当初、自宅から電車やバスを乗り継いで2時間程度で行けると踏んだのですが、午前中に発生した人身事故による電車のダイヤの乱れもあって、結局2時間半もかかってしまいました。帰りも同様でした。

 水元公園へはJR常磐線金町駅からバスで向かいます(今回、初めて知ったのですが、ここは東京理科大の葛飾キャンパスの最寄り駅なんですね。帰りのバスに乗り合わせた新入生と思しき女子学生が、大学までのアクセスの不便さをしきりにぼやいていたのが印象的でした)

 水元公園前のバス停を降り、地下道を通って、最初に見えて来たのは内溜と呼ばれる池。ヘラブナ釣りで有名な所らしく、池に釣り糸を垂らした釣り人が何人もいて、偶然、その中のひとりがヘラブナを釣り上げた瞬間を目撃しました。
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 しばらく歩くと、水しぶきも豪快な水元桜大滝へ。マイナスイオンをいっぱい浴びれそう…この裏手が水元公園です。
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 間近で見ると、迫力満点!
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 園内では、ピンクや青や紫と言った色彩のグラデーションが美しい紫陽花が咲き乱れていました。
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 何なんでしょうね…この美しさ、艶やかさは…
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 到着早々、水辺の草むらに腰を下ろして、おにぎりで腹ごしらえ。これまた久しぶりの権兵衛のおにぎりでしたが、野外で景色をノンビリ眺めながらのおにぎりは美味しさも格別でした。

 今回、特に調べずに来たのですが、この時期は例年園内の花菖蒲が咲く時期で、折しも「葛飾花菖蒲まつり」が開催されていました。

 6月1日(水)から始まったまつりですが、花菖蒲園の近くの広場ではステージが設けられ歌謡ショー等も行われているらしく、私達が訪れた時には、艶めかしいベリーダンスショーが行われていました。まつりは20日(月)まで。入園無料です。

 肝心の花菖蒲は、通りすがりの犬を連れた常連さんらしき男性が「もう終わりだなあ〜」と聞こえよがしに呟いていたのに同意せざるを得ないほど花の色も冴えず、既に花の盛りは過ぎているようでした。残念!
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 水元大橋と呼ばれる、公園の池に渡した橋にしては立派な橋を渡ると、右手には小合溜と呼ばれる広大な池が見え、その先にはみさと公園と呼ばれるこんもりとした緑の森が美しい公園が見えました。池の向う側はもう埼玉県三郷市なんですね。
 
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 あいにくの曇り空で緑の美しさが今一つ写真では表現出来ていないのですが、私の目の前に広がっていた実際の風景のイメージは、アンリ・ルソーと同じく素朴派(アカデミックな美術教育を受けていないが故に、素朴で自由な画風の画家達)アンドレ・ボーシャンの≪アルクマールの運河≫(国立西洋美術館蔵)に近いものがありました。
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 暫く水辺のベンチに腰掛け、池の向うに広がる美しい風景をぼんやりと眺めました。その後はせせらぎ広場まで森の中を散策。
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 途中にあるバードサンクチュアリーの茂みからは、姿は見えませんが、さまざまな鳥のさえずりが聞こえて来ました。
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 メタセコイアの森
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 森を抜けると一気に視界が開けて、大きな芝生の広場になっていました。その一角にせせらぎ広場があります。
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 6時までには地元に戻りたかったので、家路を急ぎます。歩いているのはポプラ並木。まつりの開催に合わせて、陶器市も開催中。
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 ポプラって間近に見ると、枝の生え方が独特…
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 水元公園は想像以上に広大で、さまざまな風景を楽しめました。この日は梅雨空で蒸す中でも、かなりの人出でした。祭りのイベントや露店を楽しむ家族連れ、犬の散歩やサイクリングを楽しむ人々、水辺をゆったり散策する人々、広場でバドミントンに興じる親子、めだか捕りや虫捕りに夢中になっている子供達など、それぞれが思い思いに楽しめるだけのキャパシティのある公園でした。

 園内には売店もあって、そこでは軽食やかき氷、アイスクリーム等が販売されており、値段も手頃でした。

 園内に幾つか点在するトイレがもう少し清潔なら言うことなし!世界に冠たる「トイレ先進国」日本と言えども(海外に行くと、日本のトイレの快適さが別格であることを実感します)、公園の公衆トイレの清潔度は何処も今ひとつ。特に今回のようなまつりの期間中は、利用者の数に清掃が追いつかないですね。

 ともあれ、ここは近隣の住民とっては素晴らしい憩の場なんでしょうね。身近にこんな場所がある住民の皆さんが羨ましい。
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 この日の総歩数はdoor to doorで10,380歩なり。

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2016/6/12

3年ぶりに歯科医院  日々のよしなしごと

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 最近、歯や歯茎の健康が気になったので、3年ぶりに歯科医院に行って来ました。

 普段から写真の歯ブラシやデンタルフロスも用いて、歯や歯茎の健康には気を付けているつもりでしたが、左上の奥歯の裏側に、初期の虫歯が見つかってしまいました人生で3本目の虫歯!

 このところ、年に一度の歯科医院通いをサボっていたのがいけなかったのかもしれません。
 
 子供の頃から歯並びが良く、虫歯も1本もなかったので、私が初めて歯科医院に行ったのは、成人してからでした。

 歯科衛生士の友人に、「虫歯がなくとも、虫歯や歯槽膿漏の予防の為に、歯石の除去をした方が良い」と勧められたのがきっかけでした。

 以来、健診を兼ねて年に一度は歯科医院に通うようになり、3年目に不覚にも初めての虫歯が発見されました。

 そして結婚後暫くして、上下左右の奥歯の親不知が変な方向に生え始め他の歯を圧迫したので、時間の間隔を置いて1本ずつ、計4本を抜きました。

 今回見つかった虫歯は、ちょうど親不知を抜歯した部分の肉が少し盛り上がっている為に磨きづらい部分。

 痛みのような自覚症状は殆どなかっただけに、虫歯が見つかった時は残念でしたが、比較的早期に発見できたのは幸いでした。治療もすぐに終了。

 歯科医に「あなたの歯は歯石も歯垢も歯茎の腫れもなく、とてもきれいで良好な状態です。これをできる限りキープして行きましょう」と言われました。それから少し表面が摩耗しているとも言われたので、磨く時の力加減に注意しなくては。

 帰りに窓口で、子供用歯ブラシ(写真一番手前の袋入りの物)をいただきました。奥歯の裏等、通常のサイズの歯ブラシでは磨きづらいところで使って下さいとのこと。

 そのお心遣いに感謝して、歯磨き、これからも頑張ります
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2016/6/9

有名人のプライバシー  気になったニュース

 今日は朝から美術館でSGTがあり、帰りに同僚と昼ご飯を食べ、地元に戻ってからはポイントで映画『ズートピア』を見て来ました。

 自宅に戻ってテレビを点けると、海老蔵夫人のご病気の話題で、どのニュース番組も持ち切りでした。何でも一部マスコミのスクープ記事を受けて、やむなく海老蔵氏が急遽会見を開いたのだとか。

 かつて海老蔵氏に関しては、彼の酒癖が祟っての傷害事件について、当ブログでも批判的な論調で取り上げたことがありますが、あれは彼に落ち度があっての事件だったのに対し、今回は夫人が不運にも得てしまった病のことです。

 こんなプライベートの、身内にとっては本当に辛い話題についても、有名人は公にしなければならないのでしょうか?有名人にも、ひとりの人間としてのプライバシーがあるはずなのに。

 どこの社の記者か知りませんが、「ステージ(病状の進度)は幾つですか?」と言う質問を投げかけている者もいました。よくそんな残酷なことを、患者の家族に聞けますね。海老蔵氏はもちろん、明確には答えませんでした。

 いくら海老蔵氏が有名人、公人であっても、身内の病気のことまで、いちいち公にしなければならないのでしょうか?しかも、治療の妨げにならないよう、ずっと隠し通して来たことを、スクープと言う形で。それは「報道の知る権利」には該当しないと思う。一般の人間が知って、どうなるものでもない。

 マスコミが追うべき情報は、私達が知るべき情報は、もっと他にあるはず。

 いつもマスコミ報道で感じるのは、本当に知りたい情報はなかなか出て来ない、何だかうまくはぐらかされているようなモヤモヤ感、「どうせ一般の人間には分からるはずもない」と馬鹿にされているような屈辱感。


 今回の海老蔵氏の会見を以て、マスコミは一切海老蔵氏の家族を追い回したりしないで欲しい。家族の病で苦しむ人々に、これ以上の心労を与えてはいけない。
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2016/6/9

初めてのスィ−ツ  携帯電話から投稿

写真は、ベトナムのスィ−ツ「チェ」を
SOUP STOCK TOKYO風にアレンジしたものだそうな。

甘い豆乳にマカダミアナッツ、小豆、トウモロコシ、
白玉、ベリーを入れ、アイスクリームを浮かべている。

甘味揃いの中に、ちょっぴりベリーの酸味が効いて、
なかなか美味♪

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2016/6/8

5月28日は何の日?  気になったニュース

 今朝のNHK−BS『キャッチ 世界のトップニュース』によれば、5月28日は「世界月経衛生デー」なんだそうだ。

 それに因んで、番組ではケニアにおける女性の現状をレポートしていた。

 当初、このレポートが男性特派員によることに違和感を覚えたが、現実問題としてアフリカへの女性記者の常駐には難しいものがあり、今回の男性によるレポートが「世界月経衛生デー」の「男性にも、女性の人生に深く関わる月経への関心を持って貰おう」との主旨にも沿うものであると理解した。


 ケニアにおいて、月経が及ぼす女子生徒への影響は深刻で、月経によって平均して年間60日間も学校を休まなければならず、それが貧しい地方では学校中退の原因にもなっていると言う。

 私達先進国の人間からすれば、そもそも、なぜ月経で女子生徒が学校を60日間休まなければならないのかが理解できないのだが、それには先進国の人間には想像もつかない過酷な現実が、ケニアのような開発途上国にはあるからだ。

 まず、ケニアでも衛生的なサニタリーナプキンが販売されてはいるものの(因みに日本製の品質はおそらく世界一)、その価格は貧しい家庭の3日分の食事代に相当し、多くの女性は購入することが出来ない。だから葉や新聞紙や布で代用するしかない。おそらく、そのような不衛生な状態では、感染症にかかる女性も中にはいるのだろう。

 (日本も震災や風水害など、天災時には、衛生面で深刻な事態に直面する可能性があるから、けっして他人事ではない)

 学校に通うこと自体にも大きなハードルがある。ケニアの地方では通学時間に1時間〜3時間かかるのは珍しくなく、女子生徒は通学途中にレイプされたり、誘拐されることもあると言う。学校も男子トイレしかないケースが多く、女子生徒は外で用を足さざるを得ず、それは女性の自尊心を傷つけると共に、やはりレイプや誘拐の危険を伴う。

 さらに月経は「不浄のもの」と捉えられ、家庭では月経中の女性を忌避する傾向がある。また、女子教育に理解のない家庭も多く、女性は早くから家庭の労働の担い手で、早く結婚して子供を産むことが良しとされている(あるNGOの調査によれば、今なお世界で10億人以上の女性が同様の環境に置かれていると言う)

 *ナイジェリアでは、月経中の女性が触れるとミルクが腐り、植物が枯れ、鏡が曇ると信じられており、ネパールでは月経中の女性は不浄な存在とされ、家族との接触を禁じられるらしい。

 しかし、最近になって現地のNGOが低コストで繰り返し使える布ナプキンを開発し、それを女子生徒に無料で配布する動きも出て来た。

 これは画期的なことであった。布ナプキンの使用によって、学校を休まずに通えるようになり、学業成績がグングン伸びた女子生徒もいると言う。その女子生徒は目を輝かせて、「将来の夢は医者になること」とインタビューに答ていた。

 さらに、NGOが布ナプキンを貧しい家庭の女性に作って貰い、それをNGOが買い取ることで(おそらくNGOの資金源は先進国の援助)、貧しい家庭の貴重な収入源にもなっているようだ。

 NGOから請け負って布ナプキンを作っている女性は「石鹸や洗剤が買えるようになった」と喜んでいた。その表情は誇らし気でもあった。

 先進国の人間からすれば、石鹸や洗剤を買えることに喜ぶ女性の貧しさが衝撃的だ。そのささやかな喜びに、世界における歴然とした貧富の差を感じてしまう。

 
 この世界には、自分の知らないことがまだまだ沢山ある。もちろん、すべてを知る必要はないし、もとより限られた人生ではすべてを知ることは到底無理な話ではあるが、こと理不尽なことには無関心ではいられない。

 時に無関心は、直接の加害者と同罪である。
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2016/6/7

「ますぞえる」または「ますぞえとちじる」  今日の言の葉

 政治資金の使途等を巡る批判の渦中にある舛添都知事が、今日、都議会に出席している様子を夕方のニュースで見た。

 当初の批判を受け付けない高飛車な態度から一転して、都議会の各会派の代表質問に対する答弁では、ひたすら平身低頭なそぶりを見せていた。

 しかし、殊勝なのは態度と言葉面なだけで、舛添氏の本質は何ら変わっていない。

 多くの人々が、彼の政治家としての倫理観や責任資質
を問うているのに、前日には元検事だと言う弁護士に「自身の一連の行為に違法性がないこと」を証明させ、批判の種となったホテル代の返金や別荘及び絵画等を処分さえすれば事足れりと思っている。

 意図してずれた反証をして、有権者の批判をはぐらかそうとしている。これは、自身の才に溺れて、有権者を小馬鹿にした態度に他ならないと思う。有権者は彼が思っているほど愚かではないよ。

 (図らずも「政治資金規正法」のザル法ぶりが露呈した形。おそらく、この法律を作った政治家も、自分達が政治資金をいかようにも使えるように敢えてザル法に仕上げたのだろう。

 今回の問題を受けて、有権者の側からすれば、法の不備を是正する共に、政治家の政治資金の使い方を厳正に監視する第三者機関の設置が必要だと思うのだが、政治家にとっては何のメリットもないから、彼らは何だかんだ理由をつけて玉虫色の決着を図ろうとするんだろうなあ…)


 今日は与党である自民党議員でさえ、彼の過去の著書での発言と現在の行動の言行不一致を指摘して、「あまりにもセコ過ギル」と断罪していた。さらに、舛添氏の答弁に納得が行かなかったらしく、後で再度質問に立ったようだ(とは言え、裏では舛添氏と自民党都連の間で「残留」の話がついているとの噂もある。都議会が「ガス抜き」の場として利用されているのであれば、これまた有権者を馬鹿にした話)
 
 「飛行機のファーストクラスになど乗るな」「運転手付きの公用車など要らない」

 少なくとも30代の頃の彼は政治家に清廉さを求めていた。しかし、都知事と言う強大な権力を得た今は金と権力に執着して、自身がかつて嫌悪した政治家に成り果てている(答弁で本人も後悔の色を滲ませていたが、過去に高邁な発言さえしなければ、ここまで批判されなかったのかもしれない。達者な口が仇となったのか?)

 自身の良心に恥じることはないのかな?
 権力は、かくも人を変えてしまうのか?
 或は、有権者に人を見る目がなかったのか?


 舛添問題のインパクトの大きさから、早晩、新語が出来そうだ。

 
 「ますぞえる」または「ますぞえとちじる」

 意味:言行不一致な行為をする。公私混同な行為をする。
    金に汚い様子。他人に厳しく、自分に甘い態度。

 用例:「ばれなければ何でもOK」とますぞえる。
    あの人、ますぞえているよね。
    ますぞえた都知事は、リコールによって、その職を解かれた。
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2016/6/6

『VOLEZ VOGUEZ VOYAGEZ(旅するルイ・ヴィトン)』展  文化・芸術(展覧会&講演会)

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 先日、フランスのルイ・ヴィトン社主催で、ルイ・ヴィトン・ブランドの歴史を辿る、表題の展覧会を見て来ました。

 今回の展覧会はキューレーターに、パリ市立ガリエラ美術館・モードコスチューム博物館館長のオリヴィエ・サイヤール氏を迎え、観覧料無料とは思えない充実した内容で驚きました。

 写真は紀尾井町に特設された会場の外観。
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 平日にも関わらず多数の来場者で、場内は結構混雑していました。会場内は「写真撮影可」だったので何枚か撮ったのですが、混雑の中落ち着いて撮影できる状態ではなく、撮った写真の半分近くがピンボケでした

クリックすると元のサイズで表示します 実のところ、私はルイヴィトン製品をひとつも持っていません。理由は自分にとっては高価であることは言うに及ばず、ルイ・ヴィトンに合う高級服も持ち合わせていないし、それらが必要な場所に行く機会もない一介の庶民だからです。

 日本では猫も杓子もルイ・ヴィトン製品を持っている印象がありますが、ルイ・ヴィトンは本来「持つ人を選ぶブランド」だと思う(もちろん、「それならば、自分がブランドに相応しい人間になれば良い」と言う論も成り立つことは否定しません)

 確かに(ルイ・ヴィトン社が意図してのことか)、近年は、背伸びをすればどうにか庶民にも手の届くブランドにはなりましたが(世界を広く見渡せば、日本の庶民もそれなりに裕福と言うことなのかもしれません…)、元々は召使を従えて旅行するようなセレブリティが持つブランド。今回の展覧会では、図らずもそのことを再確認した形です。

 おそらく、今では多くの高級ブランドがそうであるように、セレブリティの為のフル・オーダーメイドと、一般大衆向けの量産ラインの二本立てで事業を展開しているのでしょう(製品が傷んだ際、きちんと修理に対応してくれるのは良いですね)

クリックすると元のサイズで表示します創業者のルイ・ヴィトン氏(1821-1892)は14歳の時に山間の故郷の村を、ひとりパリに向けて旅立ちます。2年後に漸くパリに辿り着いた彼は、「荷造り用木箱製造兼荷造り職人」の見習いとして、そのキャリアをスタートさせました。

 そして、それから17年後の1854年、パリで初めてオートクチュールが生まれたのと期を同じくして、自身の店を持ちます。これが今日のルイヴィトン社のルーツです。

 彼の作ったトランクのデザインは「頑丈でありながら軽く、機能的」で、程なく王族をはじめ著名人から、高い評価を得るようになったと言われています。

 「当時彼が考案した平らな蓋のトランクは、現代のラゲージのはじまり」と考えられており、「製品の模造を防ぐ為にファブリックや模様を使用」するなど創意工夫に溢れた彼のトランクは、「1875年、細部まで考え抜かれたデザインの縦型ワードローブ・トランク」(右写真)へと結実し、これによって彼は「旅のスペシャリスト」としての地位を確固たるものとしました。

クリックすると元のサイズで表示します そして、ルイ・ヴィトン氏の精神はその息子ジョルジュ・ヴィトン氏や孫のガストン・ルイ・ヴィトン氏に確実に引き継がれ、「1890年、タンブラー錠前の革新的な発明により、顧客が専用の1本のキーでラゲージを開閉できるようになり」「1896年には有名なモノグラム・キャンバスが誕生」する等、今日のルイ・ヴィトン・ブランドの繁栄へと繋がって行ったのです。(以上、「」の部分は無料配布されたパンフレットより抜粋)

 左写真は、顧客の鍵のナンバーの登録帳。そのナンバリングから、1冊目の物と思われます。既に装丁にブランドの象徴であるモノグラム・キャンバスが使用されていて、自社ブランドへの誇りが感じられますね。

 下写真は会場を砂漠に見立てた展示。19世紀にはフランスでオリエンタリスムが浸透し、帝国主義の台頭も相俟って、中東北アフリカへの渡航が増えて行きます。それに伴い、船旅用のトランクが飛ぶように売れた時代なのでしょう。
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 その後、旅の手段は「鉄道の時代」「自動車の時代」「飛行機の時代」を順次迎え、その変遷に合わせて、ルイ・ヴィトン社も新しい製品を出し続けて行ったのです。

 かつてのような、召使が携えることを前提とした、両サイドに持ち手の付いた大振りのトランクから、次第に製品の小型化、軽量化、多様化も進み、現代のような使用者自らが手に持つようなバッグも誕生します。

 さらに、創業者ルイ・ヴィトン氏が時代の革新者であったように、現代のルイ・ヴィトン社も時代を代表するアーティストとのコラボレーションも積極的に行う等して、創業者精神を今に伝えています。
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 かつては「持ち運び用の書棚」もあったのですね。上のモノグラムの箱は、なんと「ブリタニカ百科事典」用です。今では持ち運びに不便な重い本は、ラップトップPCやスマホに取って替わられてしまいましたね。それは図らずも「知」が、特権階級だけのものではなくなったことを意味しているのではないでしょうか?今ではおそらく誰も目にすることのない過去の遺物に、時代の変化を感じます。
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クリックすると元のサイズで表示します 左写真はハリウッド女優エリザベス・テーラーさんが所有していた数々のトランク類。

 1950年代を彷彿させる彼女着用のワンピースも一緒に展示されていました。トランクのネームタグに「MINE!」とあるのが茶目っ気溢れていて可愛らしい。

 以前、日本でも女優の大地真央さんが新婚旅行に旅立つと言う映像で、背景に大小幾つものルイ・ヴィトンのトランクが映り込んでいたのを思い出しました。

 あの夥しい数のトランク。絶対、自分では運ばないですよね。まさにセレブリティの証!

 他には、有名デザイナーのクリスチャン・ディオール氏が所有していた彼のイニシャル「CD」が刻印されたトランクも展示されていました。自社ブランドでバッグも製造している氏ですが、旅支度となれば、やはり「旅のスペシャリスト」であるルイ・ヴィトン社にお任せしていたのですね。

 こちらのコーナーには名だたるセレブリティ所有の、庶民には思いもつかないような(えっ?!こんな物が世の中にあるの?とビックリするような)フル・オーダーメイドの品々が展示されていて、その豪華さに圧倒されました。

 会場の出口付近では、フランスからわざわざ職人さんを招き、実際の製造の様子を再現して見せています。写真の彼女が笑っているのは、彼女の巧みな指使いに私が思わず「Très bien」と言ったから…ハハハ
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 そう言えば、同行していた友人曰く、イタリアの高級ブランドのひとつであるグッチ社が、近年コストカットを目的にイタリアの熟練の職人を解雇して中国人の職人に替えたところ、製品の品質低下が問題になっているとのこと。金儲け主義がそこまで行くと、高級ブランドの看板はもう下ろして貰いたいですね。その意味でも、地元の職人の雇用を守り、Made In Franceに拘り続けるルイ・ヴィトン社の心意気は評価したい。

 ともあれ、これだけ充実した展覧会を、フランス本国のプロフェッショナルの力を結集して実現させるルイ・ヴィトン社の底力は、他を圧倒していると思います。

 ブランドとはこうであらねば。

 以前、中国の自動車市場で、実態(実際の製品の品質)以上にドイツ車と日本車のブランド価値(イメージ)に差があることを、日本の自動車メーカーが嘆いていました。ブランド力を高めることが下手な日本企業にとっても、ルイ・ヴィトン社の今回の展覧会は、「ブランディングとは何か?」を考えさせられる好事例ですね。
 

 ここでご紹介した製品は正にほんの一部。興味を持たれた方は、是非、足を運んでみてはいかがでしょうか?見て絶対損はない展覧会です。会期は6月19日(日)まで

『旅するルイ・ヴィトン展』公式サイト

 昔は写真のようなシトロエン社製の車で、出来上がった商品を注文主の自宅まで届けたのだそうです。まさにセレブリティ〜
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2016/6/6

梅雨入り前に、こたつ布団を自宅で洗ってみた♪  日々のよしなしごと

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 昨日、ついに関東も梅雨入りしましたが、梅雨入り前の先週、2日がかりで、こたつ布団を自宅で洗濯しました。

 通常はシーズンの終わりにドライ・クリーングに出すのですが、10年程前に6千円位で買ったこたつ布団のクリーニング代に、毎回数千円出すのもなんだか勿体ない気がして、今回は自宅でのクリーニングに初挑戦。

 あいにく10年も経つと、手入れ方法の記されたタグも擦り切れていて、水洗い不可かどうかも分かりませんでしたが、ネットで「こたつ布団の洗濯方法」を検索。

 ウン、見たところ、自宅にある洗剤で洗えるみたい。

 数か月前に、安価なレッキスファーのストールをやはり自宅で洗濯してみて、特に品質的に問題はなかったのに自信を得て、今回のこたつ布団の洗濯と相成りました。

 食べ物の食べこぼしによるシミが気になっていたので、普段愛用の液体洗剤と共に、多少の色落ちには目を瞑って色物もOKな漂白剤を使用。

 自宅の風呂の浴槽にこたつ布団がヒタヒタになる程度の量の40度のお湯を入れ、適量の洗剤を投入し、特に気になるシミの部分は手で揉み洗いしてから、適当に畳んで足踏み洗いしました。

 最初のお湯がみるみる茶色になったのは蓄積した汚れなのか、布団のプリント模様の色落ちなのか不明ですが、水が透明になるまで3回ほど水を溜めてはすすいだでしょうか?2回すすいだ後で、ふっくらに仕上げる為に柔軟剤も加えました。

 こうして十分に水を吸ったこたつ布団は、とても重くて、持ち上げられず。

 ネットの洗濯方法に従って、布団の縁が床に付かないよう折り畳んで、浴槽の縁に半日ほど掛けておきました。

 半日ほど置くと、水も滴り落ちないほど脱水できて、布団も軽くなりました。

 後は軽くなった布団をベランダで2日間干しました(我が家にはM字型に開く物干しスタンドがあり、それに広げて干しました)

 こたつ布団を洗濯したのは、2〜3日は絶対に雨が降らないことが前提。空気もカラッとして、布団はふっくらとした仕上がりで乾きました。

 これを丸めて、透明のゴミ袋に防虫剤と共に密閉しました。ここで心掛けたのは、袋の空気をできる限り抜いて真空に近い状態に。

 ハイ、次のシーズンにまたヨロシクね、と 
 
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2016/6/3

『ヒメアノ〜ル』(日本、2016)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 暴力描写が凄まじい。邦画でここまで残酷な描写は見たことがない…

 ここまで後を引く映画も珍しい。「韓国映画」並みにあまりにも徹底した暴力描写が、フラッシュバックしてトラウマになりそうだ。ここで「韓国映画」を引き合いに出したのは、「韓国映画」は、暴力描写で人間の残酷さを描かせたら、右に出る者がいない存在だと思っているから。

 前半、ムロツヨシ濱田岳佐津川愛美演じるフリーター男女のちょっとほろ苦く、しかし、ほのぼのとした日常を描いてマッタリとした雰囲気を漂わせていたのに、漸くタイトル「ヒメアノ〜ル」が出たところからの転調が極端過ぎて(←褒め言葉ね)、その後の凄惨な殺戮の連続に心臓の動悸が止まらなかった。

 過激な描写でかねてより人気があったと言う古谷実作のコミックが原作らしいが、実写の生々しさから感じる恐怖は、コミックの比ではなかろう。

 コミックはコミックだからフィクションとして見ていられるが、実写であれだけの色彩と音と動きで見せられると、実際に自分が殺戮現場に居合わせたような恐怖心で慄然とする。

 犯罪描写の合間に時折挟み込まれる、人の尊厳を踏みにじるような残酷ないじめのシーンや、加害者が幻聴に苛まれるシーンにより、連続殺人鬼森田(演じるのは、あのV6の森田剛。役名もたまたま同じ「森田」)は、高校時代のいじめにより精神が破壊されたことを暗示させるが、だからと言って悲惨ないじめ(られた)体験が、無慈悲な連続殺人の動機や免罪符にはけっしてならないと思う。

 謂われなく(←被害者によっては、まったく落ち度がないとは言わないが、その落ち度も、死に値するほどのものでもない。どうして、かくも無残な殺され方をしなければならないのか?)快楽殺人者森田の餌食となった被害者のその後の人生が奪われた無念さを思うと、無関係な全くの他人の私でさえ、どう考えても憤りが拭えないものだ。

 否、寧ろ、それぞれの被害者が何気ない日常の中で、否応なく事件に巻き込まれてしまった経緯に自分自身を重ね、言いようのない恐怖と不快感を覚えるのだ。

 殺人鬼森田の胸三寸で決まる被害者の理不尽な運命に、納得が行かない。現実の世界で過去に起きた数々の通り魔事件やストーカー事件の被害者達の無念さが胸に迫って来る。人生の最期に、喩えようもない恐怖と悲しみを味わった被害者のことを思うとやりきれないのだ。

 巷の感想では、「人の心を破壊する可能性のあるいじめ行為への警告として、是非若者に見て欲しい」旨の意見もあったが、本作では「いじめの抑止」効果より、「報復の暴力」を助長してしまうような危うさを感じる。それとも、そう感じるのは、私が若者の感受性を甘く見ているだけなのだろうか?

 しかし、ただのひとりでも森田に強く共感する人間がいるとすれば、「報復の暴力」は現実に起こってしまう可能性がある。実際、さまざまな思考回路の人間がいるからなあ…作者が本作で意図することが何であれ、私のような感想を持つ者もいるわけだし…

 
 タイトルの「ヒメアノ〜ル」とは「ヒメトカゲ」と言う小動物のことだそうだ。原作者は過去に、これもまた映画化された「ヒミズ」(=もぐらの一種)と、「いたぶられる弱き存在」として小動物の名を、象徴的にタイトルに据えている。

 そして、何れの作品でも、暴力に晒された人間、つまり「弱者」が、反撃するさまを描いている。しかし、こと森田に関しては、反撃する相手を間違っているだろう?弱い者がさらに弱い者をいたぶってどうする!それは「人の道」に反する卑怯者のすることだ(劇中、現在の森田がやられるシーンもある。彼はけっして無敵ではないのである)

 仮に、連続殺人鬼となって社会の中で自分を「抹殺」することで、「自分を救ってくれなかった社会」(←劇中、森田は格差社会の底辺に生きる者の絶望感も口にしている)に復讐しているつもりなのだとすれば、見当違いも甚だしい。

 多くの人間はたとえ(「いじめ」を筆頭とする)理不尽な目に遭ったとしても、自身の中で折り合いをつけて、哀しみや悔しさを胸の奥深くに仕舞い込み、日々を生きている。それはけっして弱い人間だからではなく、自分が味わったのと同様の痛みや苦しみを、無関係な他者に味わせることの理不尽さを分かっているからだ。心を持った人間だからだ。

 とは言え、"森田のように"自分の受けた苦しみや辛さに耐え切れずに、報復攻撃のベクトルが間違った方向に向いてしまう人間が少なからずいるのもまた事実である。

 森田は壮絶ないじめが原因で心が壊れ、心が壊れたことで殺人鬼に変貌したのか?それとも、元々森田にはサイコパスとしての素地があって、陰湿ないじめによって"理性の砦"である「自尊心」を失ったことが、犯行への引き金となったのか?

 一線を超える人間と、そうでない人間との境界線とは何なのだろう?

 森田のような人間に、私達はどう対処(対抗?)すべきなのか?


 殺人鬼を演じた森田剛は、殺戮シーンの合間にペットショップに通ったと言う。愛くるしい動物達と接することで、自身の精神の均衡を保っていたのだろうか。

 数多いるジャニーズタレントの中でも飛び抜けて感受性の強そうな彼は、だからこそ、俳優として名だたる一流の演出家達から評価されて来たのだろうが(彼はもう随分前から「アイドル」ではなく、「役者」だったんだね)、ひとりの人間としては危うさ、不器用さを感じる(常に尖がった雰囲気で、好き嫌いがハッキリしており、自分と違う"人種"は一切寄せ付けない、とでも言おうか)。子供時代の無邪気な姿を写真で見ると、現在の彼の変貌ぶりに正直驚く。

 今回の森田役は、彼にとっても相当にタフな役であったと思う。

 話の展開としては、森田が捜査線上に上がった時点での警察の対応が今ひとつ疑問に残るところだが、とにもかくにも衝撃の一作。

 見る者から賛否両論さまざまな思いを引き出すと言う意味では、本作が日本映画ファン待望のパワフルな作品であることは間違いない。毒を多く含み、見るのに覚悟の要る作品だが、毒にも薬にもならない作品よりはよほど見応えがある。

映画『ヒメアノ〜ル』公式サイト
 
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