2016/3/31

春休みで何処も混雑(-_-;)  日々のよしなしごと

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 今日、巷で噂?のマイナンバーカードを受け取る為に市役所に行って来ました。

 マイナンバー通知書が届いたのが12月の上旬。その後すぐに夫に急かされて、マイナンバーカード発行手続きを行うべく必要書類を役所に送ったのですが、それから、かれこれ3カ月余りが経過し、漸くカード受領の運びとなりました。

 マイナンバーカード取得に関しては賛否両論あるようですが、私も夫に促されて一応取得したものの、当面使う予定はなく、常に携帯するのも紛失が怖いので、自宅のどこかに保管することになると思います。

 本当は管理が面倒だから、これ以上カードと名の付くモノは要らないんですけれどね。今日もたまに行く雑貨屋さんで帽子を買ったら、会員カードの作成を勧められたのですが、年に1度か2度利用するだけなので断りました。

 できればシンプルに暮らしたいものです。ポイント取得とか目先の損得に汲汲としたくない。ポイントカードは駅ビルやショッピングモールやよく利用する書店、行きつけのパン屋さん、ドラッグストア、そして映画館。普段は殆どこれだけで事足りる状態です。他のポイントカードは所謂2軍で、通常は家で待機。


 役所の帰りに駅前まで出て、ひとしきり買い物をしてから、久しぶりに以前からお気に入りのカフェで、ひとりランチしました。

 以前は映画の帰りに夫婦でよくこの店に立ち寄ったのですが、最近は自宅で昼食を済ませてから出かけることが多いし、映画の後もカフェに立ち寄ることなく自宅に直行が多いので、今日は本当に久しぶりに利用した、という感じです。少なくとも半年は来ていません。
 
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 渋谷に本店のある、こだわりの食材で作った料理やスィーツが売りのカフェです。時間を問わず主に女性客で賑わっています。店内は落ち着いた雰囲気で居心地も良いせいか、買い物帰りや仕事の合間に立ち寄った風の「おひとり様」も多い店。特に平日のランチタイムを外した時間帯は比較的静かで好きです。

 今日はここでボリューミィなBLTならぬBRT(ベーコン・ルッコラ・トマト)サンド、野菜サラダ添えに、身体に良さそうなショウガのスープ、そしてダージリンティーのホットをミルクでいただきました。

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 ダージリンティーはポット入りで出され、ゆうに3杯分はあるので、ゆったりティーを飲みながら、読書を楽しみました。読んだのは曽野綾子さんのエッセイ集『人は怖くて嘘をつく』。豊富な人生経験に裏打ちされた曽野さんの率直な物言い(←これが世間ではしばしば物議を醸すのだけれど)に、目から鱗が落ちることもしばしば。あぁ、そう言えば「目から鱗が落ちる」も、元は新約聖書から来ているんですね。

 たまにはこういう時間を持ちたいものです。

 今は春休み期間中と言うこともあってか、駅に向かうバスも、普段はその時間帯にはいないはずの小中高生達で大混雑でした。溜まったポイントで映画でも見ようかなと思ったのですが、見たいと思った映画は軒並み満席。駅前のショッピングモールに行けば、平日の午後だと言うのに真っ直ぐ歩くこともままならないほどの人波。いつも利用する大型書店も人で溢れかえっていました。

 しかし、駅ビルの中のカフェはいつもの昼下がりの静けさでした。雑踏から逃れて、オアシスでホッと一息つけたような安らぎを感じました。 

2016/3/27

美術作品が美術館に収蔵されるまで  文化・芸術(展覧会&講演会)

 昨日は、スクールギャラリートークやファミリープログラムの担当者、一般向け美術トーク担当者、そして建築ツアーの担当者の三者が一堂に会するボランティアの年次総会に出席しました。普段、この三者は活動日が異なる為、夏休みやクリスマス等の特別プログラムのワークショップに参加しない限り、互いに顔を合わせる機会は殆どありません。その意味でも貴重な機会です(とは言え、今回は殆ど講堂で着席状態だったので、別のグループの方とお話することは殆どなかったような…)

 総会では副館長による講義も行われ、それが大変興味深い内容でしたので、ここにご紹介したいと思います。青字部分は、はなこによる補足説明です。

 この講義は、「美術館がどのようにして美術作品を収集しているのか」と言うボランティアの疑問に答える形で行われたものです。数多くの画像資料も準備されての熱心な講義に、副館長の真摯なお人柄が伺えました。

 国立西洋美術館(以下、西美)は独立行政法人と言う法人格ではありますが、元々国立であり、公共の福祉に寄与する公共性の高い施設でもあるので、国からの補助を受けて運営されています。


 約400点の松方コレクションを核に始まった西美のコレクションは、1959年の開館以降コンスタントに新規作品の購入を進めた結果、今では数千点にも及ぶ非西洋圏では珍しい西洋美術に特化した絵画、彫刻、版画、工芸品の一大コレクションとなっています。

 西美の美術作品の年間購入予算は10年前までは2億円だったそうですが、現在はその6割程度までに減って1億円余りとのこと。内、2,000万円は館の方針で継続的に版画作品の購入(版画は複製芸術なので、数量的にも、価格的にも比較的入手し易く、保存スペースも取らない。数としては西美コレクションの約8割を占める)に充て、版画コレクションの充実にも力を入れているそうです。

 因みに、現在の西洋絵画の価格相場はモネの≪睡蓮≫で30〜50億円程度で、年間2億円では全く手が届かない状況です。日本では知名度の低いヨーロッパのオールドマスターでも数億円はします。単年度予算では、それすら1枚も購入できません。

 そこに救世主として顕れたのが国の「特別予算」で、国内にある4つの国立美術館に対して、ある程度まとまった予算があてがわれることになったそうです。その経緯は不明ですが、2010年に3億円で始まった特別予算は、2012年度以降大幅に増え(それでも≪睡蓮≫1枚に届かない額)、これによりヨーロッパのオールドマスターの購入が可能となりました。

 ただし、4館全体に対する特別予算なので、毎年4館で協議の上、年ごとに、どの美術館が(価格が)幾らの、何と言う作品を購入するのか決めるのだそうです。

【参考データ】
独立行政法人
 国立西洋美術館作品購入一覧(平成26年度)


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 例えば、2014年度に購入した16世紀イタリアの画家、アンドレア・デル・サルトの≪聖母子≫(上掲画像)は参考データにある通り、約7億円での購入でした。

 アンドレア・デル・サルトは日本では知る人ぞ知る画家ですが(その名は、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』の第一章の登場人物の会話の中にも登場。副館長の話では、漱石は英国の詩人バイロンの詩でその名を知ったのでは、とのこと)ミケランジェロラファエロらがローマへと去った後のフィレンツエ最大の画家であり、『芸術家列伝』を著わした画家で建築家のジョルジョ・ヴァザーリの師匠でもあった人物です。

 購入時の額縁に替えて、この作品に相応しい格の額縁をと、主任学芸員の伝手で英国の額縁メーカーに依頼したところ、ここで意外な事実が判明したそうです。

 額縁メーカーは昔イタリアに実在した額縁(実物は西美の常設展示室でご確認ください)のコピーを提案して来たのですが、その際の図面で、縦の中心線を境に正確に左に聖母、右に幼子イエスを配置した≪聖母子≫と言う作品が、さらに横線での分割でも数学的秩序に基づいたプロポーションで作画されていることが判ったのだそうです。

 つまりメーカーは、そのプロポーションに相応しい、絵を引き立てるデザインの額縁を提案して来たわけです。これは美術館側も予想だにしなかった、メーカーの丁寧で緻密な仕事ぶりでした。

 副館長も、作品の特徴をきちんと踏まえた上で額縁を製作するメーカーの姿勢に、いたく感心したのだとか。


 さて、美術館が新規に作品を購入するのは、館のコレクションで現時点で欠けている部分を補うのが目的です。

 西美は18世紀の新古典主義19世紀のアカデミスムのコレクションが現状不十分な為、2015年度に18世紀後半に活躍した新古典主義の女流画家アンゲリカ・カウフマン≪戦場から逃げ出したパリスを責めるヘクトール≫(1770)と、19世紀アカデミスム派の重要な画家のひとりで、洋画家、五姓田 義松が仏留学時に指導を仰いだレオン・ボナ≪ドーラ・パヌーズ子爵夫人の肖像≫(1879)の2点を購入しています。因みにレオン・ボナの作品は、日本在住のイタリア人歴史研究家から購入したのだとか。展示公開が待ち遠しいですね。

 2015年にはこの他にもカラヴァジェスキの代表的な画家の一人、バルトロメオ・マンフレーディ≪キリスト捕縛≫(1613-15)も購入しており、本作は早速、現在開催中の「カラヴァッジョ展」で公開展示されています。

 本作に先駆けて、同主題で異なった構図のカラヴァッジョ作品(1602、アイルランド国立美術館蔵)が存在しており、本作はその影響下にありながらも、構図と人物描写にマンフレーディなりの個性が見て取れる作品となっているようです。

 西美の場合、こうした作品は概ね以下のようなプロセスを経て購入され、コレクションの仲間入りを果たします。

@各研究員が専門分野の情報を集める(情報源はディーラー、作品の所有者、館外研究者など)
A候補作品の調査(作品の実見、文献調査、来歴調査など)
B館長+学芸課で協議し、候補作品を決定
C「特別予算」による購入は、国立美術館の会議で協議・決定
D購入委員会・価格評価委員会(作品の実見+担当研究員の調書・説明に基づく審査)
E契約、支払
F必要に応じ額縁の改良、作品の修復 →展示

 作品購入にあたっての判断要素としては、以下の点が重視されます。

@美術作品としての価値
A美術史研究上の意義
B既存コレクションとの関係
C価格の妥当性
D作品の保存状態
E来歴の正当性

 西美にはレオナルド・ダ・ヴィンチ≪モナ・リザ≫のような、美術ファンならずとも知る超有名な作品こそないものの(とは言え、モネやロダンのコレクションは、作品の質だけでなく、それが入手された経緯を見ても世界的に誇れるものだと思う)、各時代を代表し美術史にもその名を残す有名作家の作品や、各時代の様式や特徴を示す良質な作品を幅広く取り揃えています。

 時系列に展示されたこれらの作品を順次見て行くことで、鑑賞者は中世末期以降の西洋美術史の流れ(取り扱われる主題の変化、様式や描画法の変化)を概観できることから、西美は言わば、数多ある美術館の中でも「美術史の教科書」的役割を果たしている美術館と言えます。

 こうしたコレクションの充実は例えば、2004年のジョルジュ・ド・ラ・トゥール≪聖トマス≫購入の翌年に「ジョルジュ・ド・ラトゥール 光と闇の世界」展、1999年購入のグエルチーノ≪ゴリアテの首を持つダビデ≫(1650頃)の縁で2015年に「グエルチーノ」展開催と、大規模企画展の呼び水となることもあり、美術館事業全体の充実にも繋がります


 それだけに、購入作品の選定には細心の注意を払い、担当研究者は作品情報を丹念に調べあげるそうです。基本情報としては作者・作品名・制作年・技法/材質・寸法、歴史情報としては来歴(誰が所有して来たか?)・展覧会歴(どのような展覧会に出品されて来たか?)・掲載文献(どのような文献で取り上げられて来たか?)等。

 作品の購入が国民の貴重な税金で賄われている以上、国立美術館としては購入判断の決め手として、価格の妥当性も重要なファクターですが、通常オークションに出され(様々な手続き上、国立美術館はオークションの入札には参加できない)、画廊や個人等が落札した作品が数年後に売りに出される頃には、落札価格の2倍の値がつけられていることも珍しくないそうです。ところが、2008年のオークションで個人によって790万ドルで落札されたポール・セザンヌ≪ポントワーズの橋と堰≫(1881)(下の画像)を、西美は2012年にオークション落札価格から2割増の950万ドルで購入できたのだそうです。
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 ところで、最近は購入に際して、特に「来歴調査」に力を入れているようです(過去の所有者を知ることは、制作の経緯を知ることにも繋がります)

 と言うのも90年代以降、先の大戦時の公文書の公開(機密事項書類の非公開期間の終了)に伴い、元々の所有者から美術館に対し、作品の返還要求訴訟が増えている為、作品が盗品、略奪品でないことを確認することが重要(特にナチス政権時代の1933-1945の作品の所在調査)になって来ているそうです。そこで、所蔵作品の来歴調査と情報公開が、美術館のモラルとして求められ、現在では多数の美術館がウエブサイトで情報を公開し、来歴の疑わしい作品は収蔵しないのが常識となっているようです。

【参考】ナチス・ドイツによる美術品略奪を描いた映画作品

『ミケランジェロの暗号』(2010) 
『ミケランジェロ・プロジェクト』(2013)
『黄金のアデーレ 名画の帰還』(2015)
『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』(2018)←ドキュメンタリー
 
 また、実見(実物を見る)では、作品の保存状態を細かくチェックするとのこと。額装の裏を見て「裏打ち」の有無、作品に紫外線ライトを当てて作者以外の手になる補彩の有無、赤外線写真で制作当時の下描き、X線写真で描き直し等を確認するそうです。

 額装の裏にはかつて所有していた画廊の管理番号や過去の所有者名や出品した展覧会のラベル等も残っているケースがあり、それらも見逃さずにチェックするとのこと。

 もちろん、カタログ・レゾネと呼ばれる作者ごとの作品総目録での確認も欠かせません。

 こうした一連のプロセスには約半年から1年を要するそうです。そして漸く、美術館の常設展示室に展示され、一般の鑑賞者の目に触れることになるのです。

 (以上、講義中に取ったメモを基にはなこが文章化した為、文責ははなこにあります。)

2016/3/26

ネット社会の言論の自由を脅かすもの  気になったニュース

 最近、ネットニュースのコメント欄を覗いてみると、怖い。ネット民による、寄って集っての個人攻撃が凄いのだ。

 しかもターゲットにされたら最後、次の新たなターゲットが見つかるまで、攻撃は止まない。

 攻撃のターゲットになる人物は著名人、有名人が殆どだが、名声や富と引き換えに支払わなければならない有名税(例えば、顔が知られている分、何かと言動が注目され、行動が制限されるとか…)の中でも、このネット民による個人攻撃の凄まじさは恐しいまでだ。

 攻撃のターゲットとなった人物から、自分が直接不利益を被ったわけでもないのに、自分自身も完全無欠と言うわけでもなかろうに、執拗にターゲットの非を責めたてる。周りの雰囲気に煽られて、書き込みの内容もより過激に、また無節操になる。

 傍目には、ネットが、人間のあらゆるネガティブな感情の増幅装置の役割を果たしているかのように見える。

 有名人とて感情を持った一人の人間なのに、制御の効かない集団の悪感情は、人をどこまで追い詰めるつもりなのだろう? 

 その一方で、つい最近、MS社のツィッター向け?のAIが、利用者から悪意のある情報を吹き込まれて人種差別的発言を繰り返すようになり、急遽運用停止になったのは記憶に新しい。それは人間が作った"モノ"だから制御できた。

 以前の記事の繰り返しになるが、ネットの住人は時として集団で悪意を増幅させ暴走する。その暴走を速やかに止めることができるスーパーバイザーは存在しない

 それだけに私達ひとりひとりの自制心が求められるのだが、これが最も難しいことなのだ。

 「自己制御する」と言う在り方が、人間を人間足らしめているはずなのに、その自己制御が効かないと言うことは、ネット(仮想)社会の匿名性が、同調圧力の強い(本音を言い難い)日本の(現実)社会で抑圧された人間の自我を、歪んだ形で解放していると言うことなのだろうか?

 しかし、これがあまりにも度を越して問題視されるようになれば、現実の社会で法制化と言う形で言論統制に至る危険性を孕んでいる。寧ろ、為政者はそうなることを手ぐすね引いて待っている可能性も否定できない。個人攻撃に参加しているネット民はそこまで考えていないのかもしれないが、ネット社会も現実社会と確実にリンクしているのだ。

 暴走するネット民よ。自分で自分の首を絞めてどうする?

2016/3/25

「レンブラントとフェルメール展」など…  文化・芸術(展覧会&講演会)

 今日は朝からほぼ出ずっぱりの日程でした。

 午前中は約3カ月半ぶりに西美でスクールギャラリートークがあり(常設展示室は1月初からつい最近まで、改修工事の為、閉鎖されていました)、小学校4年生の子供達と楽しい時間を過ごしました。

 今日は終業式の日だと言うのに、4年生最後の日に西美に来てくれるなんて、ありがとうーっ!

 来月には5年生の皆さん、私の担当した班の子はいきなりスキップする子もいて、元気いっぱいな子供達でした

 さて、幾らSGT歴10年を超えるベテラン(と後輩ボランティアに言われていますが、その経験年数に見合わない実力)でも、3か月半のブランクはキツイ。現場の勘を取り戻すのは正直大変です。

 とにかく、子供達にSGTに積極的に参加して貰うことが一番なので、冒頭で3つのお願いをします。

 1.せっかく美術館に来たのだから、作品をしっかり見て欲しい。そして本物の迫力を楽しんでほしい。
 
 2.作品を見て気づいたこと、感じたことを、言葉にして、話して欲しい。そうすれば、あなたの心に、作品の印象がより深く残るだろうから。

 3.同じ作品を見ても、気になること、感じることは人それぞれなので、お友達の話にもちゃんと耳を傾けて欲しい。そこで、作品にはいろいろな見方があるのだな、感じ方があるのだなと知って欲しい。

 こうして「SGTの目的」を明確にすると、良い子達は本当に熱心に作品に見入り、積極的に気づいたこと、感じたことを口にし、お友達の話にも真摯に耳を傾けてくれるのです。

 真綿が水をぐんぐん吸収するように、子供達の素直な感性は、美術作品を前にビンビン反応します。

 こちらから敢えて誘導しなくても、彫刻作品を前にポーズを真似たり、作品の身体バランスと自分の身体バランスを比較したりして、自分に引き寄せて作品の特徴を捉え、絵画では驚くほどの洞察力で、初めて見たはずの作品から的確に描かれたものの意味を読み取り、さらに想像を広げて、自分なりの物語を作ったりします。描かれた人物の表情や持ち物にも着目して、その意味を探ります。抽象表現の絵画にも果敢に挑戦し、その作品の魅力を感じ取ろうとします。

 久しぶりのSGTで内心不安を抱えたスタートでしたが、終わってみれば、子供達に大いに助けられたSGTでした。
 
 やっぱり、SGTは楽しいなあ
 子供ってすごい!

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 SGT終了後は、今日共に担当したトーカーと駅のそば屋で昼食を食べてから、私は終了が来週に迫っている「レンブラントとフェルメール:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」を、六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで見て来ました。

 我が家からはアクセスが面倒な六本木ですが、上野からなら日比谷線1本で行けます。

 展覧会は後に「黄金の世紀」と称せられるほどの繁栄を見た17世紀オランダで花開いた絵画芸術を4章立てで紹介するものでした。

 私は大学時代にレンブラントの銅版画を研究テーマとしていたので、正直、当時のオランダの社会状況や芸術動向等、既に知っている内容が殆どでしたが、経済的繁栄を背景にさまざまなジャンルが発展したオランダ絵画を、改めて一堂に会した形で堪能できたのは良かったです。

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 特に写真一番手前の≪帽子と胴よろいをつけた男(自画像)≫を描いたカレル・ファブリディウスは思わぬ収穫でした。

 彼はレンブラントの弟子の中でも特に才能を高く評価されながら、不慮の事故で早世した為、作品が殆ど残っていないのだそうです。その中からの貴重な一点は、自画像と言うテーマも相俟って、師匠譲りの、人物の外見のみならず内面をも描きあげる、彼の筆の巧みさを今に伝えています。60点ある中で、最も印象に残った作品でした。

 と言う訳で、以前、どなたかが、展覧会でお気に入りの一点を見つけ、お土産としてその絵葉書を買うことにしている、と書かれていたのを私も真似て、カタログを買わない時には、お気に入りの絵葉書を買うことにしています。ただし、必ずしも気に入った作品の絵葉書があるとは限らないのが残念なところ。

 後方の写真2枚は今回の展覧会のタイトルにもなったレンブラントとフェルメールの作品(それぞれ≪ベローナ≫(1633)、≪水差しを持つ女≫(1662頃))の絵葉書なのですが、各々たった1枚の来日で看板を飾るのは、客寄せの為とは言え、些かあざとさを感じます。とは言え、レンブラントとフェルメールの名に釣られて来場した人が、思いがけず17世紀オランダ絵画の充実ぶりを知るきっかけになるのであれば、2枚看板も立った甲斐があったと言うものでしょうか?


 今日もまた、フェルメールの作品の解説を前に「この作品が30数枚あるってことかな?」「いや、そうじゃねーだろ」と言い合っている3人の高校生に、思わず「フェルメールの作品自体の現存数が世界で30数枚と言うことだよ。それだけ希少と言うこと」とお節介な茶々を入れてしまった、おばさんのはなこでした。一種の"職業病"ですね。普段から子供達と美術作品を前にあーだこーだと言い合っているので、知らない子供に話しかけることにも躊躇いがない。話しかけられた方は、知らないおばさんに気安く声をかけられ、さぞかし驚いたことでしょう

         六本木ヒルズ52階から、新宿副都心を望む
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2016/3/25

大幅に加筆修正しました  お知らせ

 先日、展覧会担当学芸員による館内スタッフ向けのレクチャーを受講して来ました。閉館後、作品を前に詳しい解説をいただきました。

 それを踏まえて、下記の記事を大幅に加筆修正しました。興味がございましたら、お読みください。

 なお、これから鑑賞予定の方で、余計な情報を仕入れずに作品の鑑賞を楽しみたいとお考えの方は、鑑賞後に参考資料として読んでいただけたら幸いです。

『カラヴァッジョ展に行って来ました』

2016/3/22

川崎チッタデッラの新しいランチ・スポット♪  「食」についての話題

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 チッタデッラ・マジョーレ棟2階の、チネチッタ劇場入り口正面に、新しいレストランが出来ました。元は中華料理店ツツのあった場所です。

 THE GRILL MARKETと言う店で、青山一丁目など東京を中心に展開しているレストランチェーンで、チッタデッラ店で5店舗目だそうです。

 早速、夫婦で映画「家族はつらいよ」を見た帰りに、ここでランチを食べてみました。夜は一人予算5,000円超えの店ですが、ランチは気軽に1,000円から食べられそうです(ドリンク付き)。映画を見た人なら、半券に付いているサービス券で、無料デザートか10%割引の、何れかのサービスが受けられるようです。

 私はパスタのサラダ、ドリンク付きBコースを食べてみました。1,300円也。

 まずはたっぷり野菜のサラダ。バルサミコ酢とオリーブオイルのドレッシングでいただきます。カップ入りのトマト・スープも付いていました。サラダは上にまぶしたパルメザンチーズのほろ苦さも相俟って、定番の美味しさでした。
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 パスタは3種の中から本日のシェフのパスタをチョイス。この日は2種のショートパスタ・魚介クリームソースでした。エビ、イカ、パーナ貝等の魚介類を具材にしたクリームソースを2種のショートパスタに和えた一品。とても美味しかったです。スプーンで底に残ったソースまで平らげました。フォッカッチャ等のパンも付いていました。
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 レストランからの眺め。角度によってはチッタデッラの建物以外視界に入らないので、雰囲気は上々川崎とは思えない… 
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 食後の飲物。私は紅茶、夫はトマトジュースを頼みました。フツーに美味しかったです。
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 オープン間もない(3月18日(金))せいか、サラダを出し忘れたり、レモンティーを頼んだのにミルクを出して来たりと、スタッフの小さなポカはありましたが、全般的に味は美味しく、コスパは良いと思いました。また機会があれば利用しようと思います。それまでに新米スタッフが仕事に慣れてくれると良いのですが…

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2016/3/22

近所のコブシが満開♪  散歩の記録

 今日の関東はポカポカ陽気でしたね。スプリング・コートを着ていたら、少し歩いただけで汗ばむような暖かさでした。

 外出からの帰り、ふと上を見上げると、雲ひとつない澄んだ青空が広がり、その青空を背景に近所のコブシの花が満開で、無数の花が一斉に太陽の方向を向いているような賑やかさでした
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 桜に比べると地味だけれど、コブシはコブシで、白い花弁の根本が薄紅を引いたようなピンク色を帯び、清楚で可憐です。
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 誰かがかいがいしく世話をしているわけでもないのに、季節が巡るとちゃんと花を咲かせてくれる街路樹のコブシ。自然の営みの尊さを感じます。
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 いつも私達の目を楽しませてくれて、ありがとう!

2016/3/20

石丸由佳オルガン・リサイタル  日々のよしなしごと

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 今日は夫婦でオルガン・リサイタルを聴きに、横浜みなとみらいホールへ行って来ました。国際コンクールでの優勝経験もある新進気鋭のオルガニスト、石丸由佳さんの演奏によるバッハ・オルガン名曲選。

 清新さ溢れる軽やかなタッチのバッハでした。石丸さんが留学前に1年間弾いていたと言う横浜みなとみらい大ホールのシンボル的存在であるパイプオルガン「ルーシー」も、自身のポテンシャルを十二分に生かしてくれる石丸さんの演奏に喜んでいたのではないでしょうか?

 特にプログラム最初の「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」は、その音域の広さで壮大な宇宙空間が眼前に広がるような感覚でした。時代の趨勢なのか、聴き馴染んだカール・リヒター版よりテンポが速いですが(ヘルムート・ドイチェさんの演奏でもそう感じました←改めてカール・リヒター演奏を聴いてみたら、リヒター演奏も軽快なテンポでした。私の中で印象の記憶がいつの間にか書き換えられていたようです生で聴く音はやっぱり迫力がありますね。

 また機会を見つけて、夫婦で気軽にコンサートホールで音楽を聴きたいなと思います。

 そう言えば、私は音楽も美術もバロックが好きだなあ…音楽は「音の強弱や高低」、絵画は「画面の明暗」のコントラストが鮮やかな印象。メリハリのあるところに惹かれるんでしょうか?バロックの時代の空気が、そうしたコントラスト鮮やかな芸術を生み出したのでしょうね。

 芸術は図らずもそれが生まれた時代を反映するもの。現代の芸術は、今の時代をどう映し出しているのでしょうか?

        その名の通り、ステージの奥で光輝く"ルーシー(Lucy)"
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2016/3/16

駅前の地下街で  日々のよしなしごと

 この1年ほど、駅前の地下街が全面リニューアル工事を行っており、今日がリニューアル・グランド・オープンの日でした。

 昼時の地下街はごった返すと言うほどでもなく、そこそこの混雑を見せていました。

 私の前を歩いていた老夫婦に突然、ひとりの年配男性が駆け寄り、「応援しています。頑張って下さい」と言いながら、手に握りしめていたお金を手渡そうとしました。

 男性に丁寧に対応する老婦人。前にいた老夫婦は拉致被害者家族の横田夫妻でした。

 件の男性は横田夫妻を偶然お見かけして、心から応援したくて、突拍子もない行動に出たのだと思いますが、私には「頑張って」と言う言葉が引っ掛かりました。

 件の男性に全く悪気はないのだろうけれど、拉致されたお嬢さんを取り返すべく、これまで何十年にも渡って奮闘して来られた横田夫妻に、これ以上何を頑張れと言うのでしょう。ご夫妻はもう十分頑張って来られました。

 他人の私がとやかく言える話でないのは重々承知の上で申し上げるならば、出来ることなら、その重荷をそろそろ下ろして差し上げたいぐらいです(←"重荷"と書くと語弊があるでしょうか?しかし、特にここ数年は疲労の色も濃く、苦渋の表情を浮かべておられることが多い)

 「頑張って」「頑張れ」と言う言葉は、時に人を追い詰めます。
 
 懸命な努力にも関わらず、思うような結果が出ない人への言葉かけは、本当に難しいものです。

 私ならせいぜい「どうぞ、お身体をお大事になさって下さい」としか言えないかもしれない。 

2016/3/14

『カラヴァッジョ展』に行って来ました♪  文化・芸術(展覧会&講演会)

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 昨日は家族3人で久しぶりに上野に行って、国立西洋美術館で開催中の『カラヴァッジョ展』を見て来ました。

 なお、青字の部分は、担当学芸員による3/23(水)の館内スタッフ向けレクチャーを受講後に加筆したものです。

 日伊国交樹立150周年を記念してイタリア政府の全面的協力の下、世界で60点程しか現存しない真筆の内の11点が、今回の展覧会に出品されています。

 カラヴァッジョの正式名はミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)(1571-1610)。彼はミラノ生まれですが、幼少期にミラノ近郊のカラヴァッジョに移り住んでいるので、そこで戸籍登録をしたのでしょうか?レオナルドを筆頭にイタリア人画家の名前は、ダ(da;イタリア語で"〜出身"を意味する。英語の"from"に相当)の後に出身地名が表記されることが多いですね。

 カラヴァッジョは史実が伝えるところによれば(今回は彼の人となりを伝える当時の貴重な史料も6点展示)、なかなか気性が激しく素行も不良だったらしく、度々警察沙汰を起こして、ついにはローマで殺人を犯して逃亡の末、38歳でナポリからローマへ向かう途中で客死と、波乱の人生を歩んだ人物です。

 この為、生涯を通じて画才を高く評価されながらも弟子を取ることはなく、彼に私淑し追従する画家を数多く生み出しています。そうしたカラヴァッジョの追従者達は「カラヴァジェスキ(模倣者)」と呼ばれ、カラヴァッジョ亡き後も彼の画風を継承発展させました。今回の展覧会は、カラヴァッジョ作品と同主題、或は関連する主題のカラヴァジェスキの作品も併せて展示して、17世紀初頭に20年間に渡って盛り上がりを見せた芸術運動カラヴァジェズムの全貌を展観する内容となっています。

 全展示数が50数点と数は多くないので(まさに"選りすぐり"と言う感じ。ひとつとして"場違いな作品"はありません!)、1点1点を丁寧に見て回っても、それほど疲れることなく鑑賞できました。鳴り物入りでの開催だけに混雑が心配でしたが、日曜の午後でも鑑賞にストレスを感じるような混雑ではなく快適でした。春休みに入る前、さらに桜の開花時期の前であったことも、混雑回避には良かったのかもしれません。

 今回の私のお気に入りの一点は、カラヴァッジョの代名詞とも言える"ドラマチックな明暗表現"が見事な≪エマオの晩餐≫(1606)

 当初左上に描いていた窓を塗りつぶして真っ暗な空間にしたことで、明暗(Chiaroscuro;キアロスクーロ)のコントラストがより鮮やかになり、暗がりの中に浮かび上がる個々の人物造形に深みが加わった作品です。日本画の空間表現を思い起こさせる大胆に取られた漆黒の空間は、光に照らされて浮かび上がる人物ひとりひとりの表情を際立たせ、作品の静謐な世界に劇的な効果をもたらし、見終わった後に深い余韻を残すものとなっています(おそらく、"間"を重視する日本人ならなおさら、そこに様々な意味を読み取るのではないでしょうか?)

 今回見た限りでは、他のカラヴァッジョ作品で、これだけ明暗のコントラスト効果が出ている作品はなく、鮮やかな明暗のコントラストが、いかにもドラマチックなバロック絵画の典型とも言えるような画風で、「バロック絵画の始祖」とも言われるカラヴァッジョらしい作品だと思います。

 学芸員によれば、「本作制作時、既に彼は逃亡中の身であり、行く先々で絵を描いては売って糊口を凌いでいた状況で、ローマ時代のような「依頼を受けて作画する」落ち着いた制作環境にはなかったと推察される。この為、≪果物籠〜≫のように対象物を緻密に描く時間的余裕もなく、比較的素早い筆致で描いたのでは」とのこと。また、「自宅に招き入れた人物が復活したキリストであることを、彼の指の動きで察知した人々の驚きの瞬間を、大げさな身振り手振りなどなく、食卓にはパンのみとモチーフや色味を絞り込む等、抑制された表現で描いたことで、静謐な作品世界を構築した」と評価。

 そうだとすれば、止むに止まれぬ事情で生まれた描法が思わぬ劇的効果をもたらし、カラヴァッジョを明暗表現の巧者足らしめたと言えるのではないでしょうか?
 
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 因みに夫は≪ナルキッソス≫、息子は≪キリストの降誕≫が最も気に入ったと言っていました。

 学芸員によれば「この時期のカラヴァッジョの明暗のコントラスト鮮やかな作品の特徴は、"光源"を敢えて描かないことにあった。しかし、イタリア以外の遠方の国々(オランダやフランス)の追従者にはそこまでの情報が伝わらなかったのか、フランスのラトゥール<彼はフランスのロレーヌ地方暮らしで世間の流行に疎く、当時としては時代遅れの画家であったらしい。彼がイタリアに赴いたと言う記録もなく、北方のオランダを通じてカラヴァッジョを知った可能性がある>をはじめ、その作品にはろうそく等の光源がはっきりと描かれている。」とのこと。

 2014年に新たに真筆と確認され、今回が母国イタリアに先駆けて世界初公開と言う≪法悦のマグダラのマリア≫は、その表情、ポーズが従来の抑制的なマグダラのマリア像とは趣を異にしており(私の目には官能的に映った)、さらにマグダラのマリアを象徴するアトリビュートの香油壺も描かれていない(学芸員によれば、「マグダラのマリアであっても常に香油壺が描かれるわけではなく、彼女にまつわるエピソードの中でも、彼女の「悔悛」「懺悔」のエピソードで描かれるケースが多いとのこと。「法悦」はその後の彼女のエピソードにあたり、既に過去の罪は購われているので、過去の罪の象徴である香油壺は必ずしも描かれない」らしい。聖書をもっと読み込まないとダメですね)等、その独特の表現には興味深いものがありました。個人蔵なので今回を逃すと、日本で見られる機会はもうないかもしれませんね。

 解説には、逃亡中のカラヴァッジョがローマ・カトリックに媚びて恩赦を目論んで描いたとあり、マグダラのマリアをテーマに選んだのは、カラヴァッジョが、かつて娼婦であった(←これも諸説あり、元は裕福な出の女性の転落した姿の象徴で、娼婦とは断言できないとも)マグダラのマリアの罪と自身の罪を重ねて、罪人の救済を描いたのではないかとの推察でした。しかも彼が死ぬまで手元に置いていた作品とも言われ(学芸員によれば、「殺人の罪で逃亡を続けていた彼が本作を携えてローマに向かっていたのは、許しを請うためだったのか、或は絵と引き換えに既に恩赦の約束を取り付けていたのか、その点は定かではないけれど、とにかく彼を取り巻く状況に何らかの変化があったのではと推察できる」とのこと)、レオナルドの≪モナ・リザ≫と同様に、画家にとって特別な思い入れのある作品だったと言う意味でも注目される作品と言えるでしょう(うろ覚えなので詳細は是非会場でご確認を)

 十数点にも及ぶ追従者らによる模作が遺されていたにも関わらず、その所在は2014年に再発見されるまで明らかでなかった本作ですが、優れて特徴的な人物描写(頬を伝う一筋の涙、赤い上唇と黒い下唇の描き分け、腹部の衣文の見事さ等)と、ローマの有力枢機卿に手渡す旨の書簡も作品と共に遺されていたのが決め手となって、ミーナ・グレゴーリ女史(ロベルト・ロンギ美術史財団代表)をはじめとする複数の有力研究者らによって真作と認められたようです。

 なお、カラヴァッジョ作品の真贋判定の難しさとして、「模倣者、追従者の多さ」があるとの話でした。例えば、現存数の少なさでは際立ったフェルメールの場合、彼の活動範囲がオランダのデルフトに限られ、デルフト以外では当時無名に近かったので、彼の追従者は殆どおらず、真贋の判定で最も鍵となるのは使われた顔料がフェルメールの時代のものか否か。しかし、同時代に模倣者、追従者の多いカラヴァッジョとなると、まず顔料は決め手にはならず、より細かな検証が必要になるとのことでした。



 個人的には劇的な明暗表現と言う意味では、オランダのレンブラントも、オランダにおけるカラヴァッジェスキの拠点であったユトレヒトで、カラヴァッジョの画法に触れ、影響を受けたのではと推察するので、1点ぐらい展示されていたら、面白かっただろうなあと思いました。

 因みに、レンブラントが若かりし頃も、ヨーロッパの画家達の間ではイタリア詣でが盛んだったのですが、コンスタン・ハイエンスの熱心な勧めにも従わず、レンブラントはイタリアには一度も渡航しませんでした。しかし、イタリアのアンニバレ・カラッチの絵やドイツのデューラーの版画を収集するなど、他の画家の表現研究には余念のなかった人なので、何らかの形でカラヴァッジョ或はカラバジェスキの作品も目にして、彼の卓越した表現から何かを学びとっていたのではないかと思うのです  (←レンブラントの師、ピーテル・ラストマンは19歳からの5年間、イタリアに留学した時にカラヴァッジョの影響を受け、オランダへ帰国後は明暗のコントラスト鮮やかな作風に変化したと言われている。よって、レンブラントはラストマンからカラヴァッジョ的明暗表現を学んだと考えられる)

 なにぶん貴重なオールドマスター揃いなので、会場内の照明が暗く、目の悪い私にはよく見えない部分もあり、その点が少し残念でした。さらに夫が不満を述べていたのは、いつものことながら各展示室移動でアップダウンの多いこと。年配者には階段を使わずスクリーンで仕切られた所から移動可の配慮もあったようですが、一般の来館者にもアップダウンの多さは不評のようです。後発の国立新美術館は床が全面フラットでストレスフリーなだけに、国立西洋美術館の企画展示室の移動の煩わしさは、どうにかならないものかと思います。

【今回来日しているカラヴァッジョ作品】日本初公開の作品が目白押しのようです(学芸員曰く、「"日本初公開"と言うフレーズは、ことマスコミが好むもの」確かに。マスコミはマスコミで、"話題性"="客寄せの手段"として、殊更このことをPRするのでしょう。とは言え、必ずしも全員が気軽に現地で作品を見られるとは限らない一般の来館者も、そう言ったことに興味を持つと言うか、有難味を感じるものかもしれません。「そもそも、それぞれの作品が単数或は複数で各地の展覧会に出展されているケースがある為、正確な数は言えないが、7点ぐらいだろう」とのこと)

@≪女占い師≫(1597) ローマ、カピトリーノ絵画館
 ※カラヴァッジョ26歳頃の作品ですが、既にその型破りな作風で、当時の人々の度胆を抜いたらしい(当時の絵画の位階では宗教画が最上位であり、最下位の風俗画をこの<大きい>サイズで描くこと、風俗画でありながら定石の背景を描かず、人物に焦点を絞ったシンプルな画面構成であったこと、さらに女占い師が手相見の振りをして男性の指輪をかすめ盗ろうというテーマの通俗性が、当時としては異例中の異例)

A≪トカゲに噛まれる少年≫(1596-97) フィレンツェ、ロベルト・ロンギ美術史財団
 ※「イテッ」と言う声が聞こえてきそう…(笑)。
  こうした五感を描いた作品についての解説が面白かったです(当時の有力者の依頼を受けて描いたであろう本作。人物のモデルは画家本人であると思われる。新進の貧しい画家にモデルを雇う余裕はなく、自身をモデルに描くのは当然の成り行きであった。少年なのに耳元に花を挿すなどホモセクシュアリティを暗示させるが、当時の富裕層<ローマ・カトリックは完全なる男社会>には、そうした嗜好をあからさまではないながらも容認する空気があったのではないか。こうした作品は寝室や個人の私室に飾られたと推察される。絵を売りたい画家としては、そうした需要に応えるべく描いただけで、本作は必ずしも画家本人の性的嗜好を示すものではない)
 
 本作の脇の展示史料「ピエトロパオロ・ペッレグリーニの証言」(1597)にはカラヴァッジョの風貌に関する記述があり、これが、本作のモデルが画家自身であることのエビデンスにもなっているとのこと。さらに、本史料は2011年に発見されたらしいのですが、この発見により従来の通説のカラヴァッジョの活動時期にも、再検証の必要が出て来たとのだとか。


B≪ナルキッソス≫(1599頃) ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館
 ※美青年の筆頭を飾ります。
  男性にしか興味がないから、これだけ男性を美しく描けたのか? (学芸員曰く、「水面に映り込んだ姿は、ナルキッソスの投影ながら非現実的なもの、イリュージョン(幻影)である。画家が絵を描くと言う行為も、それに近いものがあるのではないか?」)

C≪果物籠を持つ少年≫(1593-94) ローマ、ボルゲーゼ美術館
 ※今回の解説で、カラヴァッジョの本作における表現への拘りを知りました因みに、本作が最後まで出展がなかなか決まらなかった作品だそうです(古代ギリシャ時代の画家が同様のモチーフを描いた際に、その果物の描写のあまりの見事さに、鳥も勘違いして描かれた果物をついばもうとした。しかし、そのことに画家は喜ぶどころか、共に描いた少年の姿に鳥が警戒しなかったことに落胆した、と言うエピソードを意識して描いたと思われる作品。ここでカラヴァッジョは、敢えて果物籠にフォーカスしてこれを緻密かつ鮮明に描き、一方で、少年はソフトフォーカスのような比較的柔らかな筆致で描いている)。

D≪バッカス≫(1597-98) フィレンツェ、ウフィツィ美術館
 ※ほろ酔い加減でアンニュイな表情のバッカス。妙に艶めかしい(ローマ神話に登場する酒の神バッカス。その伝統的なモチーフの男神を、艶めかしく半身を露わにした若い青年の姿で描いている。やはり有力者の依頼を受けて描かれた作品で、神話画は当時の絵画の位階で宗教画と並んで最上位であったが、本作は個人的な嗜好品としてごくごく私的な部屋に飾られたものであろう)

E≪マッフェオ・バルベリーニの肖像≫(1596) 個人蔵
 ※カラヴァッジョによる肖像画は初めて見ました。興味深いです(≪女占い師≫に一年先立つ初期の作品だが、モデルは後にローマ教皇にまで上り詰めた人物である。カラヴァッジョは不思議と当時の有力者との繋がりが深く、彼の画才が早くから有力者の間でも認められていたことの証でもあるのだろう。同じ章で併せて展示されている同時代の画家バリオーネの自画像には、彼が画家であることを示す持物は何一つなく、彼は騎士団の衣装を纏っているが、これは当時の画家の社会的地位の低さを図らずも示しており、<画家としてよりも?>騎士団のメンバーとして認められたことを誇示したい、画家の複雑な心情が顕れている。因みに、このバリオーネにカラヴァッジョは、「悪口を言いふらされた」と名誉毀損で訴えられており、その時の裁判記録も史料として今回、展示されている。当時の画家の地位の低さを示すエピソードとして、学芸員は「スペインのベラスケスが宮廷画家として召し抱えられた際の初任給が床屋と同じであった」と紹介)

F≪エマオの晩餐≫(1606) ミラノ、ブレラ美術館
G≪メドゥーサ≫(1597-97) 個人蔵
 ※本作にはウフィツイ美術館蔵も含め3つのバージョンが有るそうです(ウフィツィ美術館に同様のモチーフの作品があるが、本作には何度か描き直した試行錯誤の痕跡が見られることから、本作の方が先に描かれたものであろう。カラヴァッジョは何よりも他人に模倣されることを嫌い、弟子も取らなかったと言われるが、他の作品においても、ほぼ同じものが幾つか遺されていることから、その負けず嫌いな性格で、他人に真似されるぐらいなら、自ら自作のコピーを描こうとの意志が見て取れる)。
  支持体の盾の形状に沿って前に突き出たようなメデューサの顔は迫力があります(ところが、よく見てみると、影の描き方で、寧ろ凹版に描かれた印象を与える作品となっている。印刷された画像を見ると、それが瞭然である)
H≪洗礼者聖ヨハネ≫(1602) ローマ、コルシーニ宮国立古典美術館
 ※初見ですが、その美青年ぶりにビックリ (当時はまだ人物造形に絵画的加工を施すマニエリスムが主流であった中で、敢えて人物をありのままに、写実的に描こうとしたカラヴァッジョの感覚は革新的であった。まさに<アリストテレスの言う?>「芸術は自然を模倣する」を体現していた)洗礼者聖ヨハネを描きながら、聖ヨハネが身に纏っているのは、定番の獣の皮ではなく真紅の布と言うのが斬新彼が聖ヨハネであることを示すものは傾いた十字架ぐらいでしょうか。

I≪法悦のマグダラのマリア≫(1606) 個人蔵
J≪エッケ・ホモ≫(1605) ジェノヴァ、ストラーダ・ヌオーヴォ美術館ヴァンコ宮
 ※枢機卿の命で3人の画家が同主題を競作したのだとか。今回はその時のもう一人の画家の作品も展示。比較してみると面白いでしょう(よくよく解説を読んでみると、これは同モチーフの作品が併せて展示されている画家チゴリの甥が勝手に言いふらした話で、チゴリ作品がカラヴァッジョ作品の2年後に描かれているこから、現在では信憑性が乏しいとされているとか。しかし、チゴリ作品が実際に枢機卿の所有になっていることから、当初枢機卿がカラヴァッジョに依頼したが仕上がった作品が気に入らず、改めてチゴリに依頼した、と言う流れも考えられるとか)

2016/3/13

そろそろ周囲では結婚話が出て来た…  家族のことつれづれ

 帰省中の息子と久しぶりにいろいろ話をしている。

 今年のGWには、大学時代の友人の結婚式で福岡に行くらしい。その友人は同じ研究室仲間だけれど、学部卒で就職した人なので、社会人4年目で身を固めることになるわけだ。昨年大学院を修了し、入社一年目を無我夢中に過ごして、今は仕事のことで頭がいっぱいの息子とはエライ違いである。

 ここ数年、息子の周りの同世代では、結婚話がチラホラと聞こえて来た。2つ違いの従兄は息子の年齢で結婚しているし、高校の同級生も長い付き合いだった女性と昨年結婚、幼稚園からの幼馴染の女性は20歳で結婚して、もうすでに一児の母である。

 早々と結婚した人は、高卒で就職するなど社会人生活を早くスタートさせた人か、学生時代にすでに相手と出会っている人が多い(やはり子供は親の背中を見て育つものなので、親が早婚なら子も早婚、両親が学生時代に出会い、結婚に至った場合、子供も似たような経緯を辿るようだ)

 特に後者は、相手の職業や年収と言った「条件」など考えずに、「ひとりの異性として好き」と言う思いが先行しての結婚だから、男性が社会人になった時点で結婚に踏み切るケースが多いように思う。そうした結婚には勢いがある。一方、なまじ社会人になってしまうと、男女共に互いの気持ちがどうなのか以前に、相手の「結婚相手としての条件」が気になってしまい、結婚に二の足を踏んでしまいがちだろうか?

 今回、結婚式に招いてくれた友人は就職を機に福岡に移住した人らしく、結婚相手とは就職後、福岡で出会ったらしい。

 その友人の結婚式で、息子は友人代表のスピーチを頼まれたそうだ。子供時代の口下手な印象が未だ残っている親からしてみれば、これは意外である。そもそも学生時代、その友人が息子と特段仲の良い友人だった印象もない(話に何度も出てくる友人の名前は、さすがに覚えている)

 にも関わらず、息子が友人代表のスピーチに選ばれた理由を聞いて、周囲が息子に対して抱く印象を改めて知った。なんでもお相手のご実家がお寺さんで、まかり間違ってもふざけたスピーチはして欲しくないとのこと。だから、"友人の中で一番真面目"な息子に白羽の矢が立ったそうだ。ふーん、息子はそんなに"真面目"で通っているのか。ともあれ息子よ、せっかくご指名をいただいたのだから、学友の門出を心の籠ったスピーチで祝ってあげなくてはね。

 親の目には"頑固"で"変人"だけれど。その頑固で変人ゆえに、未だに彼女が出来ない息子である。ただし人として誠実なのは親も認めるところ。仕事一辺倒の近寄りがたい雰囲気で、今のところ女性には縁のない息子だけれど、いざ恋人が出来れば、恋人を守り大切にする男気はあると思う。彼の良さに気付く女性がいつか現れて欲しいなと思う。

 その為には、私のような息子溺愛母は身近にはいない方が良い。息子が就職を機に実家を出たことは、私自身としては一抹の寂しさがあるけれど、息子にとっては良かったと思う。

 最近、帰省する度に、一人の人間としての粗が目につくのか(つまり客観視しているということ)、私に容赦なく厳しい言葉を投げかける息子に、人間的成長(=親離れ)を感じて、親としては安堵している。

2016/3/12

テレビドラマ『第一容疑者』が抜群に面白い!  映画(今年公開の映画を中心に)

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 最近、BSイマジカで放映中の『第一容疑者(原題:Prime Suspect)』を見ていますが、これが抜群に面白い!個人的には、これまで数多見たサスペンスドラマの中で、ベスト3に入る作品でしょう。

 本作は、今や英国を代表する名女優として知られるヘレン・ミレンが46〜61歳の頃に主演を務めた、警察が舞台のテレビドラマ・シリーズ。

 完全なる男社会・階級社会である警察組織の中で、様々な困難に立ち向かい、次々と難事件を解決してゆく女性警部(のちに警視に昇格)ジェーン・テニスンの活躍を描いています。

 女性でキャリア志向ゆえに、それを快く思わない勢力から何度も理不尽な圧力と妨害に遭うテニスン。それでも、他の追随を許さない鋭い洞察力と、周囲との軋轢を物ともしない鋼の意志で、事件を解決へと導くその姿は、何とも小気味よく魅力的。一方、プライベートでは艶めかしい女としての一面も見せ、キャリアと出産の二者択一に悩む等、テニスンの生身の人間としての姿も描かれ、人物像に厚みがあります。

 そのヒロイン、テニスンを中年期に入ったヘレン・ミレンが卓越した技量で演じて、本当に見応えがあります。本作を通じて私はヘレン・ミレンの真の実力を知り、熱烈なファンになりました(調べてみたら、昨年<2015年>は彼女にとって、「女優業50周年」の記念すべき年だったのですね。また、彼女がロシア系英国人<父親がロシアからの亡命貴族>と言うのにも驚きました。ご主人は、『愛と青春の旅立ち』や『ホワイト・ナイツ』を手掛けたテイラー・ハックフォード監督)

 さらに脚本の徹底してリアリズムに拘った描写(実際、警察学校の教材としても採用されたそうです)と緻密な物語の構成が素晴らしく、外部からは窺い知れない警察内部の実態に驚きつつ、全く先の読めない息詰まる展開に最後まで片時も目が離せません。まさに脚本の力技にぐいぐい引っ張られる感じ。ドラマの肝は脚本であると、改めて思わされる良質なドラマです。

 本作の内容の濃密さに比べたら、日本の2時間ドラマなんてスカスカで薄っぺらいですね。一体何が、ここまでのレベルの違いを生むのでしょう?

 ところで、捜査するにあたり、被害者についての特徴を述べる際に、いちいち「上流」「中流」と階級の属性にまで言及するところに、階級社会である英国の文化的特性を感じました。こういった点が、「異文化理解の入り口」としての海外ドラマの面白さですね

 もしBSイマジカをご覧になれる環境にあるならば、是非、本作をご覧になってみてください。その完成度の高さに驚かれることと思います。そして、後年、本作の影響を受けたであろう作品の名前が次々と目に浮かぶはずです(米ドラマ『クローサー』『L&O 犯罪心理捜査班』等)

 以下のリンクで、放映スケジュールが分かります。リンク先にジャンプした後、放送スケジュールの「全て」を選択すると、4月11日(月)以降の再放送スケジュールを確認することもできます。

BSイマジカ・チャンネル『第一容疑者』放送スケジュール

【2016.03.14 追記】

 「第一容疑者」に関する以下のブログ記事がとても面白かったです。凄く読みが深くて、文章も巧いなあと思ったら、英国在住のプロの日本人ライターさんなんですね。ブレイディみかこさんという方です。

 特に、記事が書かれたのがヘレン・ミレンが『クィーン』で主演女優賞を総なめにした時期で、実在の人物を演じた『クィーン』での演技よりも、ジェーン・テニスンと言う架空の人物に実在感を与えた『第一容疑者』での演技の方が、彼女の「北島マヤ」ばりの役作りの巧みさでその実力を如実に示している、彼女の代表作は『クィーン』ではなく『第一容疑者』である、と指摘している点が印象的でした。

「ヘレン・ミレンはPrime Suspect(邦題:第一容疑者)」(THE BRADY BLOG)

2016/3/10

『サウルの息子』(原題:SAUL FIA、ハンガリー、2015)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 本作は、ユダヤ人強制収容所で、ガス室送りとなった同朋の遺体処理等を担うゾンダー・コマンダーと呼ばれるユダヤ人雑役係のひとり、サウル・アウランダー(ルーリグ・ゲーザ)のある2日間の動静を描いた作品である。

 主人公のサウルは、ガス室で奇跡的に一命を取りとめながら、無慈悲にもナチスの医師によって殺害された少年を、なぜか自分の息子と思い込んでしまう(と私は解釈した)。そして、周囲の再三の警告も省みず、ユダヤ教の正式な葬送の儀式に則って埋葬したいと奔走する。

 ゾンダー・コマンダーであるサウルも、遠からず同朋と同じように「処分」される身だ。生死の狭間で狂気に走ったとしか思えないサウルの暴走に周囲も振り回されるが、「息子の埋葬」に取り憑かれたサウルは、周囲の困惑を一顧だにしない…


 通常、映画の本編が始まるとカーテンが左右に開いてスクリーンが大きくなるが、本作では逆にカーテンが中央に向かって寄り、スクリーンがほぼ正方形に近い形で狭まった。そこからして本作は閉塞感漂う雰囲気を醸し出して、私は息苦しさを感じた。

 画面は全編を通じてほぼ暗く、カメラはサウルや彼の周辺の人々の姿をクローズアップに近い形で追う。映し出される光景は、あたかもサウルの、或は彼の周辺の人物の目を通して見たかのように限定的で、例えば、サウルの背後に映り込んだ無残な遺体やガス室の床の血のりが、より一層陰惨な印象を残す。

 まるでサウルの置かれた極限状況を追体験しているかのような錯覚を覚えた。上映時間の107分凝視して見続けるのは、正直辛かった。これが想像の物語ではなく、今から70年以上前に実際に起きた出来事、人間が同じ人間に対して行った蛮行であることを、弥が上にも突きつけられたような気がした。


 私にとっての「ユダヤ人迫害」は、小学生の頃に読んだ「アンネの日記」が原点で、以後、ユダヤ人迫害をテーマとした様々な切り口の映像作品を見て来たけれど、見る度にいつも戦慄するのは、人間の同じ人間に対する冷酷さだ。

 何がどうしたらジェノサイドと言う思想に至るのか?

 日々刻々と伝えられるニュースを見る限り、世界の各地で、「政治体制」や「思想信条」や「民族主義」、そして「宗教」の下に、今も同様のことが行われている。

 ジェノサイドは、過去の、ナチスドイツだけの話ではない。


 第68回カンヌ国際映画祭グランプリ、米アカデミー賞外国語映画賞受賞作。

 (ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞)

2016/3/10

息子の帰省  家族のことつれづれ

 週末に息子が帰省することになりました。金曜深夜に帰って来て、日曜には北関東の自宅アパートに戻る慌ただしい日程ですが、私としては2カ月ぶりに息子と会えるのは嬉しいです。ハハハ…親バカですね

 なんでも今年の近日中に、入社後初めての海外出張をすることになり、就労ビザ申請の為にパスポートが必要らしく(米大使館に赴いて職員の面接を受けるらしい)、実家にあるパスポートを受け取るのが第一の目的のようです。ついでに、年末に切って以来、何の手入れもしていないボサボサ頭を行きつけの美容室で整えて貰うらしい。それならと、私の発案で日曜日には家族3人で、上野で今月始まったばかりの『カラヴァッジヨ展』を見ることにしました。そのまま上野駅から北関東に行けますからね。土曜の午後には映画も良いかな?

 いやいや…あまりいろいろ予定を詰めちゃうと、せっかくの帰省なのに、息子は実家でのんびりできなくて可哀想かな?自宅のベッド大好き人間だし…

 さて、1月の極寒の北海道出張にもびっくりした私ですが、今度は米国の現地法人になんと1カ月の出張なんだそうです。学生時代から、就職したら海外にもガンガン行きたいと、常々言っていた息子ですが、初の海外出張でいきなり1カ月の長丁場には本人も少し戸惑いぎみ。「何言ってるの?まだ配属されて右も左も分からないペーペーの新人なのに、こんな機会を与えられて…有り難いことじゃない。」と、息子の初の海外出張に、我が事のようにワクワクしている私は、弱気な息子を叱咤激励しました。

 先日、会社で受験したTOEICが800点に足りなかったと意気消沈していた息子ですが(学生時代に満点を取ったとか、周りが優秀過ぎる)、学部・院を通して海外からの留学生とは積極的に英語でコミュニケーションを取っていたので、英語に対する苦手意識はないようです。さらに理系と言うこともあって、学生時代、英語論文もかなり読み込んだらしく、こと技術英語に関しては心配していないらしい。心配なのは慣れない土地での生活。要は出張先の気候風土、食住環境等を知らないことへの不安と、知らない人と1月に渡って一緒に仕事をする緊張感なんでしょうね。経験が乏しい新人ならではの心配とも言えます。

 私自身は仕事で達成感を覚える間もなく寿退職をしてしまったので(そもそも選んだ職種が自分には向いていませんでした。適性がないと言うか、力不足と言うか…)、自分の努力次第で、目の前にいくらでも可能性が広がる息子の今の状況は羨ましい限りです。

 努力の甲斐あって(10才の時、その会社で働きたいと夢見てから苦節14年。特に学部、院時代は本当によく勉強したと思う)、自分の希望する道に進めたのは本当に幸せなことだし、そこで自分の可能性を広げるチャンスを早々に与えられるなんて幸運以外の何物でもない。息子にはこのチャンスを是非、生かして欲しいです。

 とは言え、親としての心配のレベルは(殆どの親御さんがそうだと思いますが)、息子の身体のこととか、息災のことばかり。いつも息子の無事を祈っています。

2016/3/10

人の振りみて、我が振り直さんばね♪  はなこ的考察―良いこと探し

 近所にある3つのシネコンにはそれぞれに長所短所があり、状況に応じて使い分けています。

 109シネマズはひとつの劇場に一般のシートに混じって、限られた数ながらエグゼクティブシートなる、前後のピッチが少しゆったり目でリクライニング機能と右側にミニテーブルの付いたシートがあり、会員なら通常価格で利用できる為、私も109に行く時はそのシートを利用することが多いです。特にひとりでレディースデイの時に行く時は、通常のシートより隣席との間隔が開いているので快適。

 しかし、当の109シネマズ。駅に直結したショッピングモールに併設しているせいか、とにかく利用客が多い。おそらく現在は近所のシネコンの中でトップの集客数だと思います。そうなると必ずしも映画好きの人ばかりが来るわけではないので、マナーの悪い客が比較的多いような気がします。トイレの使い方も汚い人が多いのか、或は利用客が多すぎて清掃が追い付かないのか、他のシネコンに比べるとトイレもあまりきれいではありません。

 昨日も、家族との軋轢がありながらも個人の生き方を貫いた女性の姿を描いた映画を109シネマズで見たのですが、なかなか感動的な作品なのに、隣席の人のマナーの悪さでテンションも急降下

 まず、映画が始まっても暫く外から持ち込んだお菓子の袋の開閉にガサガサと大きな音を立て、上映中には何度もスマホの画面を覗いて光害をまき散らし、揚句の果てに(エンドロールの途中にその人は退出したのですが)、場内が明るくなった時、私の目に飛び込んで来たのは、その人のシートに散らかったままのゴミと寒さ除けに映画館が貸し出しているブランケット。

 ブランケットは映画館の出入り口付近に返却ボックスがあるので、帰り際そこに返却するのがマナーです。その人はそこに返却しないどころか、畳むことさえせずにシートの上にとっ散らかしたまま帰っていたのでした。

 これには呆れを通り越して、悲しくなりました。私と同世代(ちょっと上?)の女性で、連れの方もいたのですが、いい年した大人がマナー違反を重ねて、それで平気でいられる神経が理解できません。連れの方も友人として注意しないのでしょうか?結局、「類は友を呼ぶ」だから、似た者同士で気にならないのかもしれませんね。

 これまでの経験を振り返っても、私より少し上の世代の女性のマナーの悪さが目立ちます。思い余って注意すると逆ギレされる始末(だから最近はもう注意するのも面倒臭くて我慢することが多い)。自分より年下に注意されるのが気にくわないのか、或は年齢を重ねてオバタリアン化(死語?若い人は知らないでしょうね)して、もう怖いものなしなのか?若い人の方がよっぽど素直で、悪意もない。まだ改善の余地があり、救いもあります。

 その人がもし人の親なら、いったい我が子をどのように育てたのだろうと、暗澹たる思いがしました。マナーは、大勢の人が帰属する社会の中で、互いが気持ち良く過ごす為に、個人が行うべき心遣いだと思うのですが、身勝手な人がいるものですね。そんな親のもとで育てられた人も、マナーの何たるかを知らずに育ったが為に、親同様に心ない行為で周囲の人に不快な思いをさせているのかもしれない。残念ながら、このような負の気風も、親がわが子に「自分の背中<生き様>を見せる」と言う"教育"によって連綿と受け継がれて行くのです。

 もちろん私とて清廉潔白、完全無欠な人間ではありませんから、自分でも気づかないうちに周囲の人に迷惑をかけているかもしれません。だからこそ、「他人を鏡に、常に自分の行為を省みることが大切」だなと胆に銘じています。

【蛇足】

 そう言えば、飛行機から降りる時、エコノミー席から上のクラスの通路を通ると、その散らかりようにビックリします。ブランケットなんて床に落ちているのはザラ。そもそもエコノミークラスは狭いから散らかしようがないのかもしれませんが、プレミアムエコノミーやビジネスクラスの散らかりようには、そのクラスの客の傲慢さの顕れ、或は謙虚さの欠如とでも言いますか、しばしば見られる映画館のエグゼクティブシートの客のマナーの悪さに通じるものがあるような気がします。 



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