2015/11/28

2015年11月27日(金)の風景  日々のよしなしごと

 冬季に入ると、我が家の玄関先から遠くに富士山が望めるのですが、特に昨日の朝は雨の翌日と言うこともあって、前日の雨で空気中の塵芥が洗い流され、さらに雲ひとつない快晴と言う好天も合わさって、素晴らしい眺めでした。

 我が家のヘッポコカメラの写真では、肉眼で目にした感動を百分の一も伝えられないのが残念です。我が家は街中の中層階なので、余計な物が写り込んでしまうのも玉に瑕ではありますが(住み始めた当初は、無粋な貯水タンクもなかった…)、それでも思わず手を合わせて拝みたくなるほど、神々しい富士の姿です。手前の黒い山影は神奈川の恵みの水脈、丹沢山系ですね。
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 上野公園内の並木道。高くそびえたつ常緑のクスノキと黄葉したイチョウのコントラストが美しいです。その間を行き交う人々の表情も心なしか和らいで、上野の秋を楽しんでいるように見えます。私もその場にいられることに感謝しつつ、上野の過ぎ行く秋を満喫しています。
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2015/11/28

「肉筆浮世絵ー美の競艶展」(上野の森美術館)  文化・芸術(展覧会&講演会)

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 昨日は上野のボランティア先の美術館で小学生を対象にギャラリートークを行った後、仲良しの同僚のMさんと駅舎2階に古くからある蕎麦処「ぶんか亭」で昼食を取り、その後は、Mさんも絶賛されていた上野の森美術館で開催中の「シカゴ・ウェストン・コレクション 肉筆浮世絵ー美の競艶展」を、ひとりで見て来ました。

「肉筆浮世絵ー美の競艶展」公式サイト

クリックすると元のサイズで表示します 米シカゴ在住の個人収集家の浮世絵肉筆画コレクション約130点を一堂に会した今回の展覧会。その充実ぶりには驚きました。

 江戸初期から明治にかけての50人を超える絵師の美人画を中心に見て行くのですが、肉筆画の美しさに改めて驚かされました(他に「京・奈良名所図屏風」や「江戸」鳥瞰図」と言った風景画?等もあります)

 数多く流通した版画に対して、大名や豪商から注文を受けて描かれることもあった1点ものの肉筆画は、画家がその画才のありったけを注いだ渾身の作とも言えます。

 そこに描かれた女性の艶かしさ、着物の文様の美しさ、そして時代風俗の面白さ等、本当に見ごたえがありました。

 さらに作品によっては、肉筆画の持つ佇まいに合わせたかのように見事な刺繍が施された表装の美しさに目を奪われました(それに比べて額装の味気ないこと)。しかし、展覧会の公式カタログでは、その表装は省かれ肉筆画のみが印刷されていて、正直言って物足りなさを感じました。掛け軸の肉筆画は表装と一体となってこそ、その美しさが際立つのだと再認識した次第です。

 今回展示された数ある美人画の中では勝川春章葛飾北斎が出色で、春章の髪の毛や簾の一本一本まで精緻に描かれた丹精な筆致と、北斎の薄墨で早描きながらも的確に女性の姿態を捉えた見事な形態描写に感嘆しました。
 
 他に定番の喜多川歌麿と、「お前さんは幕末のジェームズ・アンソールかい?」と突っ込みを入れたくなるような奇天烈な河鍋暁斎、さらには着物の粋と艶やかさを、その鮮やかな色遣いと迷いのない大胆な線描で見事に表現した東川堂里風の美人画が印象的でした。

 最も気に入った作品は勝川春章の「浅妻舟図」でしが、残念ながら売店でその絵葉書は販売されていませんでした。代わりに同じ春章の「美人按文図」(画像の左下の絵葉書)の絵葉書を購入しました。

 因みに画像の右端の大判の葉書は、葛飾北斎の「美人愛猫図」です。北斎の作品では、薄墨で軽やかな筆致の女性の後姿が印象的な「大原女図」が個人的には一番気に入ったのですが、これも絵葉書がなく、展覧会でイチオシの作品らしい「美人愛猫図」の絵葉書を代わりに購入しました。

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 来日した海外の浮世絵コレクションを見る度に思うことですが、どうしてこれだけの素晴らしい作品群が、生まれ故郷の日本にないのか、と言うこと。かつてそう嘆いて8、000点もの浮世絵を海外で買い付けたのが国立西洋美術館の常設コレクションの礎を築いた松方幸次郎氏で、その浮世絵コレクションは現在、東京国立博物館に収蔵されています。

 「肉筆浮世絵ー美の競艶展」、オススメです!


2015/11/27

今日も上野…  携帯電話から投稿

ロダン作「カレーの市民」が、
黄金色のイチョウを光背に、
神々しささえ湛えています。

上野の秋、
日本の四季、
私は大好きだなあ…

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2015/11/23

またまた当選!  携帯電話から投稿

先日、「おしゃべりテッド」の当選をご報告したばかりですが、
今回は「わたしに出会うまでの1600キロ」のキャンペーンで、
公式サイトにレビューを投稿した人の中から抽選で5人に当たる
「オリジナル・ヘッドライト」が当選しました!

さらに昨日は、映画の帰りに昼食を取ったレストラン街の抽選会で
500円の商品券が当たりました!

こんなチマチマした物で運を使って良いのかしらと思いつつも、
久しぶりの当たり続きに、ちょっと嬉しいはなこです


【追記】

なんと当選した『ヘッドライト』、
単4電池3個を装着してスイッチを入れれば点灯する仕様のはずですが…
点灯しません?!あれれれれ

電気技師の息子である夫が調べてみましたが、不良品のようです。
メールによる当選通知から配送まで1カ月半以上待たされて、
こんなオチが待っていたなんて…

くじ運が良いことに浮かれるな、と言うことでしょうか?

脱力すると言うか…これはもう「厄落とし」だと思って、
笑うしかないですね

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2015/11/18

テロの世紀  気になったニュース

 20世紀は「戦争の世紀」と言われたけれど、 21世紀は後に「テロの世紀」と言われるのだろうか?

 「国家」対「国家」ではなく、「思想」対「思想」、「宗教」対「宗教」の争いが国境を越えて展開する。顕在化した「価値観」の対立、「民族間」対立は、異質な者に対する寛容性の欠如(今の時代の空気?)から起きているのだろうか?

 さらには、これまで長きに渡って続いて来た「欧米中心主義」と言う国際社会の在り方に、異を唱える勢力の宣戦布告とも言えるのかもしれない

 正直、その印象が拭えないので「世界の連帯」と言う言葉には、どうしても違和感を覚えてしまう。今までにもテロは様々な国・場所で起きて来た。それなのに、なぜ、フランスで起きたら、「世界の連帯」を叫ぶのか?相手がISだからか?(もちろん、ISはイスラム教徒を装った、とんでもない極悪集団である。10月にはトルコのアンカラで、そのISメンバーの自爆テロにより100人近い死者が出たが、その時には「世界の連帯」の声は聞かれなかった。同じISが引き起こしたテロで、トルコとフランスの何が違うのか?)

 対テロ攻撃にしても、テロはボーダーレスに展開し、「聖戦<ジハード>」のスローガンの下、自爆も厭わぬ相手がゲリラ戦を仕掛けて来るのだから、従来の軍隊や警察の戦い方では対処できないのではないか?

 現在行われている空爆にどれだけの効果があると言うのか?降り注ぐ爆弾の下で、ゲリラ以上に"敵国民でもない"無辜の民が多く負傷し、死んでいるのではないか?ISの支配下にあるシリア・イラクの国民は二重三重の恐怖に喘いでいる。

 従来の「勝ち戦<イクサ>のセオリー」が通用しない時代。予測のつかないISの動き。

 いつなんどき、どこで起こるか分からない恐怖が世界を覆う。

 双方の戦いが激化すればするほど、「死の商人」の高笑いが聞こえて来るようで、心底腹が立つ。その「死の商人」とやらは、狡猾な個人かもしれないし、冷酷無比な組織かもしれない。或いは"人命より金"を尊ぶ企業や羊の皮を被った狼国家かもしれない。

 この不毛な戦いを終わらせる為に、世界中の良心と叡智を持った人々が集い、何か良案を出せないものか?それこそボーダーレスたるインターネットは、今こそその道具として役立てられないのだろうか?(現状はインターネットのボーダーレス性が、憎悪や対立感情の拡散等、世界をマイナスの方向へと導いているように見えて仕方がない)

 …と、極東の島国の片隅で、凡庸で無力な人間は思う。

 
 尤も、自分も人類の一員であることを棚に上げて冷めた見方をすれば、増え過ぎた「ヒト」と言う種が、本能的に総量調節をしているだけなのかな、とも思う。現状、人類は地球上でやりたい放題に母なる地球を痛めつけ、他の種の存在まで脅かしているのだから。これを機に人類社会が衰退の一途を辿ったとしても、自業自得な気がする。私達は、自分で自分の首を絞めているだけなのかもしれない。

2015/11/12

色づく上野公園  日々のよしなしごと

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 このところ、毎週のように通っている上野公園ですが、来る度に、公園の木々が色づいているのが分かります(最初に上野の秋を感じたのは、地面に大量に落ちた銀杏の饐<す>えた匂いでした)

 昨日もボランティア先の美術館でギャラリートークがあり、その帰りに東京都美術館で2度目(後期)のマルモッタン・モネ美術館展を見て来ました。

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 向かって一番右のポスターが、後期のみ展示の《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》(1877)、モネ37歳の時の作品です。

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 画面全体を覆う蒸気機関車の吐き出す煙が、往時のパリ近代化の勢いを感じさせます。サン=ラザール駅の開業は1837年で、パリにあるターミナル駅で最も古く、華やかな都心に立地しているので、印象派の画家達にとって格好の題材だったようです。モネもこのサン=ラザール駅を何度も描いています。

 フランスの鉄道網は当初、英国、ドイツ、ベルギー、米国と言った国々に遅れを取り、中小の鉄道会社が乱立した状態でしたが、1857年までに6つの大手に集約され、以後パリを中心に各地方へと放射線状に鉄道網が敷かれて行ったそうです。

 数多くの列車が、このサン=ラザール駅を起点に、次々と白煙を上げながら地方へと向かって行ったのでしょう。画面からは、当時の活気が伝わって来るようです。今にも汽笛が聞こえてきそうですね。

 作品を見るのに夢中になって会場を二巡したら、午前もギャラリートークで歩き通しだったこともあり、とうとう足の裏が痛くなったので、やむなく帰ることにしました。

 上野駅へと向かう道すがら見えて来たのは、やはり色づいた上野公園の木々でした。

 あまりに美しいので立ち止まって、何度もサイバーショットのシャッターを切りました。

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 しかし、その本来の美しさは、私の下手な写真では到底表現できないようです。

2015/11/4

英国旅行5日目  英国旅行(2010年春&2015初秋)

 いよいよ英国滞在最終日。旅程では午前中は現地ガイドの解説による大英博物館の見学の後、ロンドン市内をハイライト観光、ローストビーフの昼食を挟んで、午後は自由行動となっていました。

 今回は午後のオプショナルツアーの「ウィンザー城観光」が無料キャンペーンと言うことで、私達を含む2組の夫婦以外のツアーメンバーは皆さん、オプショナルツアーに参加されたようです。

 私達は久しぶりのロンドンを夫婦水入らずで過ごしたかったので、添乗員さんに「離団届」を提出し、この日最初の訪問地、大英博物館(British Museum)に到着後、ツアーから離れました(「離団届」とはツアーから離れて単独行動する際に提出するもので、その旨申し出れば、添乗員さんから届出用紙をいただけます。用紙には離団時の行動予定を明記して添乗員さんに提出。離団中に起きたトラブルは基本的に自己責任となります)

 世界に名だたる大英博物館(British Museum)。Wikiに「世界最大の博物館の一つで、古今東西の美術品や書籍や略奪品など約800万点が収蔵されている(うち常設展示されているのは約15万点)。」と明記されているのが、何だかあまりにも直截的と言うか皮肉っぽくて笑えます。
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 大英博物館は、ロンドン市内の主だった公立博物館、美術館と同様に、入館料は基本的に無料です。その代わり、通常の博物館や美術館にあるような無料のパンフレットはありません。館内地図が2£、館内ガイド冊子が5£で売られています。さらに寄付という形で入館者に5£を募っています(もちろん、強制ではありません)

 大英博物館にはこれまで何度も訪れており、定番のコースはサラッと流して、今まで見逃していた「日本展示室」を今回は見ることにしました。

 まずは大英博物館の代名詞とも言えるロゼッタ・ストーン(Rosetta Stone)。23年前に初めて見た時には現在のようなガラスケースには収められておらず、剥き出しの状態で少し傾斜をつけて横倒しに展示されていました。

 写真は23年前のロゼッタストーン展示の様子。上から覗き込むようにして見ることが出来ました。この時、感動のあまり、ミュージアムショップで結構高価なレプリカを購入してしまいました。

 と言うのも、小学生の頃、フランス人のシャンポリオンが、このロゼッタス・トーンを解読した経緯を本で読んだことがあり、以来、ロゼッタ・ストーンをこの目で見ることが、私の数多くある夢の中のひとつだったのです(このロゼッタ・ストーンの解読が、エジプトの古文書で広く用いられていたヒエログリフ解読のきっかけとなり、エジプト考古学の発展に繋がったと言われています)
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 ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院のミケランジェロ作《ピエタ》も、27年前に初めて見た時には剥き出しの状態で寺院内に設置されていましたが、その後、残念なことに心ない人物によって疵つけられる事件が発生し、以来、ガラスケースに収められるようになってしまいました。

 展示品保護の為とは言え、ガラス(透明アクリル?)ケースに収められることによって、展示品と来館者との距離が広がったような失望感は拭えません。

 ロゼッタ・ストーンの前にはいつも大勢の人だかり。それだけに写真はまだしも、ビデオ撮影は後ろで待っている大勢の人々のことを考えて止めて欲しいところ。今回人迷惑なビデオ撮影をしていたのが日本人で(暫くロゼッタ・ストーンの前に陣取って動かず、後ろで待っている人々から軽蔑の眼差しで見られていた)、同じ日本人として凄く恥ずかしかった。
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 古代アッシリア遺跡を前に。
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 有名なアッシュールバニパル王の宮殿にあったと言われる《ライオン狩りのレリーフ》。ライオン狩りは王のスポーツで権威の象徴であったらしい。王の勇猛さをレリーフで表現したのでしょうね。
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 大英博物館の「日本」展示室。東洋の一国で、展示にこれだけのスペースが割かれているのは珍しいのではないでしょうか?極東の小さな島国に世界を刮目させる多様な文化と特異な歴史が存在していることを示しているようで、そこの出身者としては誇らしいと言うか何と言うか…。しかし、博物館の中でもかなり奥まった所にあるせいか、室内は閑散としていました。個人的には静かな環境で、じっくり見られて良かったですが…
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 河鍋暁斎の絵。彼の愛弟子であった英国人建築家ジョサイア・コンドルの著作のおかげもあって、故国で忘れ去られていた暁斎は、欧米での人気が逆輸入された形で、日本で再評価されるに至りました。
『河鍋暁斎美術館に行って来ました』
『河鍋暁斎美術館に行って来ました2』
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 海外によって、その価値や魅力が再認識されたと言う意味では、浮世絵も同様です。喜多川 歌麿の錦絵。発色が美しい。
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 縄文〜弥生時代の土器(レプリカ)と共に、手塚治虫の漫画『三つ目がとおる』が展示されていました。
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 キリシタン禁制令の高札。教科書で写真を見たことはありますが、実物は初めて目にします。
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クリックすると元のサイズで表示します 左の写真は百済観音のレプリカ。本物は法隆寺の宝物殿にありますね。日本室を入ってすぐに、この優美な観音像が出迎えてくれます

 百済観音について調べてみると、飛鳥時代の仏像であること以外に、作者の名前も、法隆寺以前の所在も不明の、謎めいた仏像なんですね。

 しかし、その痩身の優雅な佇まいは見惚れるほど美しいです。信仰の対象と言うにはあまりにも造形物として完成された美しさを持っています。

 「日本」展示室は2室から構成されており、奥の部屋には陶芸の人間国宝であった富本憲吉の作品や、水木しげるの漫画も展示されていました。因みに富本憲吉は英国留学経験もあるのですね。

 今後は中国の国際社会における存在感が増すのに従い、大英博物館でも中国関連の展示物が増えて行くのでしょうね。それを予感させる達筆な「書」(寄贈品でした)が、「日本」展示室近くの部屋に展示されていました。

クリックすると元のサイズで表示します 今回、息子への土産に、添乗員さんから教えていただいた「ロゼッタ・ストーン型のUSBメモリ」を買い求めました。とてもユニークな形で、息子にも喜んで貰えました。

 確か12£(商品価格9.99£+VAT2£)でしたから、日本円に換算すると2,300円位になってしまいますが、話のネタとしても面白いし、土産物代までケチケチしていたら、それこそ侘しくなってしまいますよね。

 調べてみると、なんとアマゾンでも販売していて、3,150円の値がついていました。もしかして、アマゾンで手に入らない物なんて殆どないのではないか?恐るべしアマゾン…

 この後、地下鉄の最寄駅目指して大英博物館を後にしたのですが、ここで駅が見つからず、予想外に時間を費やしてしまいました。覚えている限りでは、昔は最寄の駅を見つけるのにそれほど苦労しなかったのに、今回はなぜ、そうなってしまったのか?実は高層ビルの建築工事で、駅がその背後に隠れて見えなくなっていたのです。意外な落とし穴でした。

 漸く駅を見つけ、地下鉄で次の目的地、トラファルガー広場(Trafalgar Sq.)に面したナショナルギャラリー(The National Gallery)へ。

クリックすると元のサイズで表示します この日はあいにくの天気で、地下鉄の駅から地上に出ると、傘を差さずにはいられない程の雨でした。その為、ナショナル・ギャラリーの外観は残念ながら撮影できず。

 代わりにナショナル・ギャラリーの玄関口から、正面のトラファルガー広場で一際目立つネルソン提督像を撮影しました。世界には歴史的英雄像が数多ありますが、これほど高い位置から人々を見下ろす英雄像は他にないのでは?大英帝国の威信のようなものを感じます。

 さて、ナショナル・ギャラリー訪問は、私達夫婦にとって、今回のロンドン観光の目玉とも言うべきものでした。本当はロンドンにあと1週間位はいたかった!行きたいところ、見たいものは沢山あったのですが、実質半日の自由時間では殆ど諦めざるを得ません。これも次回のお楽しみと言うことで、次の再訪までとっておきましょう

 ナショナル・ギャラリーにも既に何度も来ていますが、何度来ても飽きません。どちらかと言えば、大英博物館よりもナショナル・ギャラリーの方が好きなくらいです。ここも入館料無料なんて凄すぎます!(ここと比べてしまうから、地方の有料博物館の入館料がバカ高く思えてしまうのでしょう)

 最近読んだ本によれば、ライフネット生命の創業者でCEOの出口治明氏は、前職でロンドン駐在時、近くの事務所から毎日のようにここに通い詰めたことで職員と親しくなり、その職員の伝で、なんとナショナル・ギャラリーの理事長(館長?)と会食する機会を得たのだとか。これも入館料が無料で気軽に足を運べることと無関係ではないはずです。

 現地ガイドさんの話では、つい最近まで職員のストライキで、かなりの数の展示室がクローズになっていたらしいのですが、今回訪れた時にはストライキもなく、一部の部屋のみが工事でクローズしていただけでした。これは本当にラッキーでした

 15世紀にフランドルで活躍した画家ディーリック・バウツ《茨冠のキリスト像》。国立西洋美術館に、彼に近しい画家の作品があります。画風がそっくりです。
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【参考作品】国立西洋美術館にあるfollowerのキリスト像。しかし、こうして並べて見ると、バウツ作品に比べ身体のバランス(顔の大きさ、手の小ささ)の悪さが目に付きます。改めてバウツの巧さに気づかされます。
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 仕事柄?気になるのが、やっぱりギャラリートーク。これは一般成人向けのようです。
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 これもギャラリートークの様子。これは学生向けのようで、制服姿の賢そうな男の子達(おそらく中学生?)が、活発にトーカーと意見のやりとりをしていました。レンブラントの絵が見えます。
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 実は同時間帯に別の私服の高校生らしきグループを対象としたギャラリートークも見かけたのですが、こちらは生徒達からあまり意見も出ず、最後列の女の子に至ってはスマホをいじって遊んでいる等、鑑賞態度に大きな差が見られました。何処も学力差(ひとつには児童生徒を取り巻く環境の違いによって生じる学習意欲の差)の問題があるようです。

 レンブラントの自画像。若い頃から自画像を描き続け、自分自身と向き合い続けたレンブラント。遺された自画像群は、彼のその時々の心の在りようまで描出しているかのようです。
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 言わずと知れたモネ《睡蓮》。彼は自邸の日本庭園の睡蓮を春夏秋冬、明け方から夕暮れまで繰り返し描き、実に200枚以上の作品を遺しています。おかげで、私達は世界の主だった美術館で、彼の"とある瞬間の"《睡蓮》を見ることが出来るのです。
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 スーラの作品にも人だかり。点描画法による「明朗な色彩」(極力混色をしないので、絵の具本来の明度が保たれる)と「静的な趣」(逆に点描は"動き"を表現するのは不得手)。描かれているのは19世紀フランスの人々の休日のひとコマ(産業革命による新興ブルジョワ階級の台頭と鉄道の郊外への延伸による人々の休日の過ごし方の変化)。その視覚的心地よさに、人々は目を奪われるのでしょうか?
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 ゴッホはここでもやっぱり人気。
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 ゴッホの《蟹》。食べたいと言うより、いつまでも見ていたい。
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 ルノワールの《裸婦像》。その青みがかった色彩が目をひきました。まだ彼の裸婦像の最大の特徴とも言える過剰なまでの豊満さも見えず、薔薇色の肌でもなく、「青い果実」を感じさせる裸婦像です。
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 カラヴァッジオの作品もこんなに数多く(まだ別の部屋にも。そこはあいにくクローズ中でしたが)…1点ぐらい、日本の国立西洋美術館に分けて欲しいです。来年、その国立西洋美術館で『カラヴァッジオ展』が開催される予定なのですが、ここからも何点か来るのでしょうか?来ると良いな
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 実はこの日の朝、メインで使っていたサイバーショット携帯のカメラが不具合を起こして使えなくなり、やむなくコンデジを使ったのですが、不慣れなせいかピンボケ等の失敗が多く、ランチの写真も使えませんでした。

 ランチはツアーとは別行動だったので、ナショナル・ギャラリーのカフェでサンドイッチとミルクティーで簡単に済ませました。後でツアーメンバーに伺ったら、この日のランチのローストビーフもデザートも美味しかったそうで、食べてみたかったなとは思いましたが、限られた時間で自分が優先したかったのはナショナル・ギャラリーで絵を見ることだったので後悔はしていません。

 2年前パリのルーヴル美術館に行った時は6時間近い滞在でも、展示室の半分ほどしか見られなかったのですが(それだけ巨大)、今回は昼食も含め3時間半の滞在で、開いている展示室は全て見ることができました。特に気に入っている作品はじっくり見る余裕もありました。この日一番のメインイベントは無事終了!

クリックすると元のサイズで表示します この後は地下鉄でオックスフォード・サーカス(Oxford Circus)駅まで移動し、ロンドンきっての目抜き通りリージェント・ストリート(Regent st.)に出ました。

 そこからピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)まで歩きながら、適宜通り沿いの店に入って買い物をしました。

 最初に入ったのは、写真の中で赤いフラッグが2つ並んだ有名トイ・ストア"ハムレイズ(Hamlays)"です。この店も訪れたのは23年ぶり!懐かしさでいっぱいでした。以前は幼い息子の為でしたが、今回は自分の為に訪れました。

 お目当ては、この店オリジナルのテディベア。そして選んだのが以前にもブログに登場したパウロです。もうすっかり我が家の一員です。

 ハムレイズにはオリジナルのテディベアだけでも40種類?はあり、最も高価な物は地元のテディベア職人の年配女性が一から手作りした物で、価格も数万円相当はしたと記憶しています。

 私は手頃な価格(30£位)とかわいらしさで、我が家に新しく迎えいれるテディベアを丹念に選びました。工場で作られているであろう同じ商品でも顔の出来に大きな差があり、数ある中から出来るだけ整った顔立ちのかわいらしいテディベアを選び出しました。

 その様子を傍で見ていた若い黒人の店員さんが「新しい家族になるんだものね。一生懸命選ぶよね」と笑顔で話しかけて来ました。ここでも店員さんが楽しそうに働いていたのが印象的。

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 次いで、やはり久しぶりに"オースチン・リード本店(Austin Reed)"を訪れ、夫の秋冬物のジャケットを購入しました。

 ここではレジを担当していた若い女性が、私達が日本人と知ると、しきりにある言葉を繰り返すのですが、どうにも聞き取れない。それで彼女が紙に文字を書いて、漸く彼女が何を言いたかったのかが分かりました。

 彼女はブラジル人で、子どもの頃、本国で日本発祥の塾「KUMON」で算数を学んだ経験があるのだとか。そのおかげで彼女は大学を出て、ロンドンで仕事を得ることが出来たと言うのです。意外なところで、日本人であることに親しみを感じて貰えたことに、不思議な巡りあわせを感じました。

 今回のロンドン訪問では、ホテルのフロントでルーマニア人の若い女性が働いている等、仕事を求めて世界中から若い人々が集まっている国際都市ロンドンの姿を、目の当たりにしたように思います。

 最後は"フォートナム&メイソン本店(Fortnum & Mason)"に寄って、オリジナルのショートブレッドを買いました。ここもまた、店内のレストランで食事をした懐かしい場所です。

 写真はロンドンのフォートナム&メイソン本店で買った英国伝統のお菓子ショートブレッドとバーミンガムのスーパーマーケット、モリソンで買ったポテトチップス。どちらも美味しかったです
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 思い返せば、あっという間の自由時間でした。この後、オプショナルツアーに参加したツアーメンバーとピカデリー・サーカスで合流し、英国滞在最後の夕食を、すぐ近くの中華街でいただいたのでした。円卓を囲んでツアーメンバーとも話が弾み、料理の写真を撮るのも忘れてしまいました。ひととおりの中華のコースメニュ−で中々美味しく、ボリュームも十分でした。

 因みにオプショナルツアーのウィンザー城見学は、往復の移動で2時間余りを費やし、現地到着後も飛行機搭乗時並みのセキュリティ・チェックで入場に手間取り、20室近い部屋を現地ガイドに従って駆け足で見学したとかで、かなり疲れたと皆さん仰っていました。

 今回、限られた時間の中で、ウィンザー城までの移動に2時間以上費やすのがもったいないと思いましたし、せっかくロンドンに来ているのでナショナル・ギャラリーにも行きたい、買い物もしたいと言う思いが強く、ツアーから一時離れたのですが、私達夫婦にとってはこれが正解だったようです。

 英国最後の夜、3軒目のホテルの部屋にて。この日、ハムレイズで買ったパウロが新たに加わりました。このホテル、盗難防止策なのか、備品のことごとくがコードで部屋に繋げられていました
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 今回のツアーは所謂"弾丸ツアー"でしたが、それでも久しぶりに訪れる英国には新たな発見があり、いろいろ思うこともあり、私としては十分満足の行く旅となりました。次回はロンドンに是非、少なくとも1週間位は滞在したいですね。いつになるか分かりませんが…

 旅はやはり良いものですね。特に主婦にとっては旅に出ないと完全な休日はあり得ないので、今回の旅でかなり気分がリフレッシュできました。夫に感謝

 さらにもう一人感謝したい人が!10年前に、写真の1£コインを私にくれたインド系英国人のおじさん。息子との英国旅行で、最終日に夫への土産にウィスキーを買った空港の免税店の店主で、支払いを済ませた私に彼は1£を差し戻し、「これは私からのプレゼント。この1£が、きっとあなたを再び英国に導いてくれるよ」と言ってウィンクされたのです。心憎いプレゼントですよね

 以来、また英国に行けるようにとの願いを込めて、ずっと財布に入れていました。その間、財布が変わっても、小銭入れの中には常にこの1£を。願いって通じるものですね。

 こういう人との出会い、物との出会い。これも旅の醍醐味だと思うのです。次の旅ではどんな出会いがあるのか、想像するだけで胸がワクワクします。

 2005年発行の1£コイン。私と英国を繋ぐ大事な宝物
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(終わり)〜最後までお読み下さり、ありがとうございました。


2015/11/3

散歩日和♪サイクリング日和♪  散歩の記録

 昨日とはうって変わって、今日は朝から爽やかな秋晴れ。吹く風は頬に冷たく、まさに散歩日和、サイクリング日和♪ほどよく汗をかけそうです。

 そこで自宅から自転車で川崎大師まで行って来ました。首都圏には珍しく?近隣は自転車道が整備されているので、片道45分ほどかかりましたが、難なく川崎大師に到着できました。

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 川崎大師参道。飴の売り子さんの掛け声が、そこかしこに響き渡っていました。
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 川崎大師山門。
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 山門の提灯。巨大で迫力があります
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 境内。雲ひとつない空を背景に本堂が見えます。吹流しの配色が美しい…
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 七五三のお参りに来ているご家族が何組もおられました。ひとつの家族にカメラマンが何人もいたりして(父方の祖父母、母方の祖父母、両親の未婚の兄弟姉妹etc.)、イマドキの家族だなあと…

 子どもの健やかな成長を、休日に家族揃って祝える日本は平和だなあ…
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 本堂から五重塔を望む。祝日なので日の丸も掲揚されています。
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 折りしも境内では秋恒例の菊まつりが行われていました。写真は「大師富士」
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 旬のものを愛でて、心に栄養を
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 末広がりの松の枝に見立てた菊。
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 白菊。たおやかで品があります。
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 丹精込めて育て上げられた菊の花々。凛とした佇まい。
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 盆栽も!写真は「三保の松原」。奥に見えるのは富士山に見立てた石ですね。
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 見事な「千輪咲」。名人技ですね。
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 今回、息子の為に買ったお守り。健康を守る「身代わり守り」の中に「開運守り」も入れていただきました。同じ人に贈るのであれば、ひとつにまとめても良いのだそうです。
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 ひたすら真っ直ぐ伸びた自転車道。本当にシンプルな道筋で往復できました。
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 往復に要した時間は1時間半あまり。適度な有酸素運動で、心も身体もスッキリ今日はぐっすり眠れそうです。

2015/11/3

今、川崎大師に来ています。  携帯電話から投稿

今日は文化の日。
お天気が良いので、
自転車で川崎大師に来ました。

自転車道が整備されているので、
ここまで難なく来られました。

静岡の工場で研修中だった息子の
正式な配属先も決まり、
今日は息子の為にお守りを買いました。

両親は、
息子が新天地で
元気に大禍なく過ごして欲しいと、
心から願っています。

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2015/11/2

10月に見た展覧会(2)  文化・芸術(展覧会&講演会)

3.上野の東京都美術館で開催中の「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展〜「印象、日の出」から「睡蓮」まで」(前期)

 順序としては、こちらが一番先に見た展覧会でした。常に美術に関連した有益な情報を発信してくれるHさんのおかげで、前期(9/19〜10/18)・後期(10/20〜12/13)と2枚のチケットを事前に公式サイトで、かなりお得な価格で入手することが出来ました。この件に関してはHさんに感謝!

 なぜ、前期・後期とチケットを販売するのかと言えば、期間限定で展示される作品があるからです。

 前期は「印象派」と言うグループの名前の由来にもなった記念碑的作品《日の出、印象》(1872)、後期は《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》(1877)と、それぞれ期間限定で展示されます。両作品共、門外不出とは言わないまでも、滅多に貸し出されないマルモッタン・モネ美術館が誇るコレクションのひとつと言うことなのでしょうか?

 特に《印象、日の出》は実に21年ぶりに東京に来たらしく、マルモッタン・モネ美術館からは貸し出しの条件として、本作品は他の作品とは別区画で単独展示して欲しいと言われたのだとか。

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 モネ32歳頃の作品で、今見れば何のことはない印象派の作品なのかもしれませんが、発表された当時の画壇では、その曖昧な形態描写と淡い色遣いで「未完成品」扱いされたほど、従来の絵画のセオリーを無視したセンセーショナルな作品でありました。

 実際、展示室で目の当たりにしても、薄暗い展示室の照明の下では私の目が悪いせいか、全体的にぼやけて見えました。ネットに上がっている画像群を見ても、かなり色彩の再現にバラツキが見られ、肉眼で見るのとは大きく印象が異なります。それほど繊細な色遣いで描かれた作品と言うことなのでしょう。

 おそらく照明によっても見え方がかなり変わるのかもしれません。国立西洋美術館でも、同じ作品が展示替えによって位置を変えただけで、照明の当たり具合(照射される角度)の変化で、思いがけない色が新たに浮かび上がって来たり、細部までクッキリ見えるようになったり、またはその逆だったりと、見え方が大きく変わるぐらいですから。

 また、2年前にパリのオルセー美術館で印象派絵画を見た時に感じたことですが、改装工事で壁の色が深い藍色に変わったことで、印象派絵画の色彩が一層光を帯びて華やいで見えたのが印象的でした。特にエドゥアール・マネ《草上の昼食》の美しかったこと!現在、国立西洋美術館のモネの部屋は白一色の壁ですが、これがオルセーと同様に藍色の壁だとしたら、モネの繊細な色遣いの作品群が、どんな風に変わって見えるのだろうと言う興味があります。


 《日の出、印象》は既成の価値観に抗い、絵画と言うジャンルに新たな地平を切り開いた作品として、美術史上特筆すべきものですが、個人的に好きか、印象に残るか、と聞かれれば、私は「それほどでも」と答えるでしょう。と言うのも、既に印象派が近代西洋絵画の一ジャンルとして広く認知されているので、その文脈の中では驚きがないからです。

 この日の展示室の鑑賞者の反応も、仰々しく列に並んで見た割には特にこれと言った感想はないようで、その価値を分かりかねて戸惑っているようにも見えました。結局、一般の鑑賞者には作品の歴史的価値は事実として理解はできるけれども、鑑賞の楽しみにはあまり関係がないということなのでしょうか?もちろん、美術史をより深く理解したいと言う人には必見の作品ではあります。

クリックすると元のサイズで表示します 写真は《白いクレマチス》(1887)。モネ47歳頃の作品で、既に創作拠点をパリ郊外のジヴェルニーに移した後に、自邸の庭で描いたものと思われます。

 キャンバス一面に白と緑を基調に柔らかな筆致で描かれたクレマチス。そのたおやかさに心が癒されます。モネのジヴェルニーにおける幸福で充実した日々が容易に想像できる作品です。

 本作品もまた、花のみをキャンバス全体に描いた大胆な構図が従来の花の描き方にはなかった点で、美術史上特筆すべきものであり、後年の、池の輪郭線さえなく、ただ水面に浮かぶ睡蓮と水面に映り込んだ周囲の景色を、色彩の競演(饗宴?)とも言うべき色遣いと、画家の手の動きさえ想像できるような筆触で描いた《睡蓮》の作品群に連なるものと言えます。

 今回の展覧会はモネ10代の最初期から80代の最晩年までの作品約90点を展示し、画家モネの生涯に渡る画業の軌跡を辿る構成となっています。これまで日本では何度もモネ展が開催されていますが、これほどまでに全年代の作品を網羅した展覧会は、私が記憶する限り、本展覧会がおそらく初めてと思われます。さすが"モネ"の名を冠している美術館だけのことはあります。見ごたえがあります。

 特に印象に残っているのは、モネが白内障を患って以後の最晩年の作品です。日本各地の美術館に数多くのモネの作品が収蔵されていますが、殆どが盛期の作品であり(最晩年の作品と言えるのは国立西洋美術館の《睡蓮》(1916)を含め3点ほど)、今後日本で、これだけの数の最晩年の作品を見られる機会は、もうないかもしれません。その意味でもオススメの展覧会です。

 ただし、平日でも入場まで30分待ちが珍しくないほど混雑しています。それでも見る価値のある展覧会だと思います。

クリックすると元のサイズで表示します 左の画像は《バラの小道 ジヴェルニー》(1920-22)。モネが80〜82歳にかけて描いた作品です。

 60歳の頃から徐々に視力の衰えを感じたモネでしたが、白内障と診断された後も、当時は現在ほど術後の治癒率が高くなく、失明の恐れもあった為、長らく手術を躊躇っていたそうです。

 この作品は、白内障を患ったモネが、白内障の影響で色彩の識別も困難な中で描いた作品と言われています。実際、モネの手術前と後の作品を比較して、白内障による色の識別能力の変化について言及した研究報告もあるようです。

 「高齢者に多い白内障では、濁った水晶体の中で短波長の光が吸収されてしまうので、赤や緑はよく見えるが、青(などの短波長の色)だけが暗くなって見にくくなる。(中略)白内障の目では景色に青味が失われているのが分かる。」「ユニーバーサルデザインにおける色覚バリアーフリーへの提言」(東京大学) 3ページ参照)

 睡蓮を200点以上も描いた執念で、モネはバラの小道を何点も描いています。色の識別もままならない中で、描き続けたバラの小道。この作品はジヴェルニーに移住後の充実した日々の中で描かれた透明感溢れる色彩と軽やかな筆触の作品群とは異なり、赤やオレンジ等の暖色系を基調に、ジョルジュ・ルオー作品を想起させるような厚塗りで丹念に色を塗り重ね、重厚感たっぷりに描いています。形態はもはや色の塊として描かれているのみ。目の衰えを補うかのように力強いタッチで描かれた本作にもまた、新たな表現に挑み続けるモネの画家としての執念を感じます。

 下の画像は日本で見られるモネの作品で最晩年の作品と言える、アサヒビール大山崎山荘美術館 所蔵の作品《日本の橋》(1918-24)。モネは1926年に86歳で亡くなっているので、亡くなる2年前に完成を見た作品と言えます。

 もはや形態は色彩の付属物としてすら感じられる、色彩が主役の作品でしょうか?白内障の手術を受け、色彩を再び取り戻したモネは、再び穏やかな筆致を取り戻し、柔らかな色彩の饗宴で、彼が愛したジヴェルニーの庭にある"日本の橋"を描いたのです。そして間違いなく彼の絵画は、抽象表現への扉を開いたのです。
 
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「マルモッタン・モネ美術館展公式サイト(東京都美術館) 

 写真は2年前に訪れたジヴェルニーのモネの自宅にある日本庭園。遠くに日本の橋が見えます。こうして見ると、橋に垂れ下がる枝垂れ柳と言い、靄のように橋に覆いかぶさる木々と言い、約100年前の絵と殆ど変わらない光景が目の前に広がっています。

 モネの作品を見ると言うことは、モネと言う画家の目を通して、私達はこの世界を見ていると言うことなのです。
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4.東京国立近代美術館所蔵品ギャラリー(4-3階)特集 藤田嗣治、全所蔵作品展示

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 最近は時々一緒にとっておきの映画を見に行く仲でもあるIさんから、企画展チケット『Re:play 1972/2015 「映像表現72」展、再演』をいただいたので、久しぶりに東京国立近代美術館(以下、東近美、竹橋)に、先日行って来ました。

 『Re:play 1972/2015 「映像表現72」展、再演』は、その名の通り、1972年に開催された映像展示の再演で、1972年当時の若手の作家らによる最先端の映像作品を、映像機器(←これ自体、骨董的価値あり?)も含めて展示すると言う形の展覧会だったようで、今回は43年後の作家へのインタビュー映像も交えての再演となっています。

 前衛アートの映像作品はあまり見る機会がないので、少し戸惑いながらの鑑賞?となりましたが、自分が小学生の頃に作られたらしい、当時としては斬新であったであろう作品を、43年の時を経て見ることの不思議さは、そう簡単には言い表せないものです。再演することの意味も含めて考えながら見る展示と言う感じでした。

 しかし、東近美は常設展がとにかく素晴らしく充実しているので、ガイドツアーも含め常設展を先に見て少し疲れていたせいもあり、企画展はサラッと見るに留めました。

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 今回、白眉だったのは、何と言っても東近美所蔵の藤田嗣治作品、全25点(+1点は京都国立近代美術館より)を、3、4階のフロア、約1,500uを使って一堂に会した特集展示です。

 エコール・ド・パリの画家として名を馳せた藤田が、太平洋戦争中に戦争画の大作を多数描いたことは知る人ぞ知る事実ですが、今回の特集では戦後70年を記念して、所蔵する戦争画もすべて展示しています。まだ戦禍に深刻さの見られない初期の明朗な作風から、敗戦の色濃い後期の重苦しい作風までの戦争画が時系列で展示され、その画風の変化が如実に見て取れるだけでなく、戦争画と言うジャンルにおいても、画家として貪欲に絵画表現の追及に注力した藤田の姿勢が、検証資料の展示によって詳らかにされている点が興味深かったです。

 今回の特集展示によって、「戦前世界の画壇の中心地であったパリで成功を収めた藤田が、戦争によって帰国を余儀なくされ、軍部の命令によって嫌々戦争画を描かされていた」と言う私の浅はかな思い込みは見事に覆されました。

 あの白磁を思わせる乳白色の肌の女性を描いてパリ画壇で認知された彼が、初期の作風はまだしも、中期の国威発揚画や、後期の目を背けたくなるような残酷な修羅場を描いたことに、私はどうしても違和感を禁じえなかった。国民の殆どが同じ方向を向いていた異様な時代の雰囲気の中で、彼も体制に従わずには生きながらえなかったのだと勝手に解釈して、その違和感に無理やり理由づけしていたのです。

 しかし、実際の藤田は過去の西洋絵画の名作をも参考にして、戦争の実相(その残酷さを告発すると言うより、純粋に画家として、極限状況の人間の姿を描くことに焦点を当てているように見えた)を描くことに夢中になっていたのです。それは文献資料として遺された彼の発言によっても明らかです。その結果、最後期の作品は狂気さえ帯びて、戦争の残酷さを率直に伝え、見る者を戦慄させる迫力に満ちています。

 戦後、その戦争画への積極的な参加により、画家仲間から戦争責任を問われた藤田は逃げるようにパリへと旅立ち、フランスへ帰化してしまいます。

 展示室で藤田の全ての作品を見終えてのち、私の目には藤田も、モネや北斎と同じく、描くことに自らの表現の追及に拘り続けた「画狂」に見えました。描きたいと言う欲求(欲望?)の前には遠慮も斟酌もへったくれもない、一人の愚かで、しかし真摯な画家の痕跡が、そこには確かにありました。

 『MOMAT コレクション 特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示。』公式サイト

 モネが愛したジヴェルニーの自宅のノルマンディー庭園(9月)
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