2015/10/27
10月に見た展覧会 文化・芸術(展覧会&講演会)
10月は英国旅行から戻った後、美術館のSGTや友人との会食や映画鑑賞等、予定が立て込んでいて結構忙しい毎日でした。そんな中、4つの展覧会に行って来ました。
1.東京都文京区の永青文庫で開催中の展覧会「春画」展

永青文庫は肥後細川家代々ゆかりの文物を所蔵した博物館で、現在は細川家第18代当主の細川 護熙氏(元首相、陶芸家)が理事長を務めておられます。
今回の展覧会は2013〜14年にかけて大英博物館で開催された「春画展」が好評を博したのを受けて、「発祥の地である日本でも、庶民文化が花開いた江戸時代を中心とした春画を一堂に会した展覧会を」との主旨で開催に至ったもの。
春画が性風俗を扱った作品だけに、猥褻と芸術の線引きの難しさが敬遠されたのか、主だった美術館からは会場の提供を断られたらしく、今回、細川氏の英断?で永青文庫での開催が決まったようです。
永青文庫「春画展」公式サイト
私は美術館でのギャラリートークの帰りに展覧会に一人で行ったのですが、初めて行く場所で土地に不慣れであったせいか、公式サイトに「最寄駅の有楽町線江戸川橋駅から徒歩15分」と書かれていたところを25分位かかってしまいました。
日差しも強く、最後の上り坂もきつかった。正門に辿りついた時にはヘトヘト状態でした
(帰りは帰りでギフトショップ裏手の公園経由で帰ったら、これが工事中でかなりの迂回を余儀なくされ、行きよりも余計に時間がかかってしまいました
)。
写真は永青文庫入口です。

折りしも前日、この春画展に関する記事がヤフーニュースに掲載された影響なのか、入館前から長蛇の列でした。館内も元々広くない各展示室は多くの人でごった返していました。作品によっては二重三重に人が群がり、なかなか見ることができませんでした。
前日に読んだニュース記事では若い女性の来館者が多いとのことでしたが、私が見たところ、この日は年配の男女やご夫婦連れが多かったように思います。素朴な疑問として、特に年配の方々は春画にどんな感想を抱いたのでしょう?若い女性連れは作品の前で率直に感想を述べ合っているのに、年配の方々は終始無言の上に無表情なので、内心どう思っているのかが気になりました。
写真は土産に買い求めたクリアファイルと絵葉書です。離れのギフトショップで、「こんな物使えないわよね」と言う女性の声を尻目に、クリアファイルを買ってしまった私。外で誰かに見せびらかすわけでもなく、自宅で使う物なので別に差し支えはないかと。とにかく各々の絵(抜粋)の色彩が美しく、その鮮やかさに目を奪われました。
予算が許せばカタログもと思ったのですが、価格がカタログとしては破格の4,000円、その上、形も変型判で分厚く、これでは置き場所にも困るかなと、あえなく撤回
今回の春画展を見ての率直な感想は、男女の絡み(なんと3Pまで!)や局部や陰毛が赤裸々に描かれている春画は、実にあっけらかんとした明治以前の日本人の性意識を描いて、殊更、性を隠微なものとして扱う現代との違いが際立っていました。そこがとても興味深い。
もちろん、大名家に伝わる春画には、姫君の興し入れの際の床あしらいの指南書としての役割があったのだとは思いますが、庶民向けの春画に関しては、やはり嗜好品としての意味合いが強かったのでしょう。
しかし、あまりにも性行為をあけすけと描いており、しかもルネサンス期から近世に至る西洋絵画のように人体解剖までして人間の骨格や体型をリアルに描いているわけでもないので、(当時の人々はともかく)現代を生きる私には、その描写にエロチシズムはあまり感じられませんでした。
さらに、春画で描かれている世界観は、身分差も、貧富の差も、美醜の差も関係なく、全ての人間が共有するもの。殿様であれ、町の若衆であれ、持っている物は同じ、お姫様であれ、町娘であれ、やることに大差はないのだと、春画は人間の本質の一端を描いているに過ぎないことにも気づかされます。
そして、全ての展示室を見終わる頃には、「よくもまあこれだけ多くの春画を、有名無名に関わらず多くの絵師が描いたものだわ。それだけ需要も多かったのかもしれないけれど、これだけ一度に大量に見せられると、さすがに飽きるわ」と思ったのでした。尤も、こっそり1枚だけ「あなたに差し上げます」と誰かに差し出されたら、また印象は違ったのかもしれませんが…
写真の幟(のぼり)の、決定的場面を見せない絵の方が却って見る者の想像を掻き立て、エロチシズムを感じさせてしまうという皮肉。
絵葉書の葛飾北斎のオオダコと女性が絡み合う絵に至っては、なんでも描いてしまう「画狂」北斎の真骨頂とも言え、隠微さよりも寧ろ"おかしみ"を感じて、「おいおい北斎よ。こんな絵まで描くんかい?」とツッコミを入れたくなりました(笑)。
一方で、有名な絵師の絵には、客の需要に応えて生々しい男女の絡みを描きながらも、美しく見せる構図の工夫や、着物や帯の文様の緻密な描きこみ、そして、あくまでも女性を優美に描く拘りに、一流絵師としての矜持を感じました。
ともあれ、今回の展覧会は、「春画」も日本美術史に堂々と名を連ねる絵画の一ジャンルとして正当に評価される、またとない機会になったと思います。
2.東京都目黒区の目黒雅叙園で開催されていた「假屋崎 省吾の世界展」

今年で16回目を数えると言う、華道家、假屋崎 省吾氏の作品展「假屋崎 省吾の世界展」を見に、結婚式場で有名な目黒雅叙園の百段階段へ行って来ました。
今回は日本人と日本在住外国人の混成グループでの鑑賞。目黒駅前で待ち合わせをしていたら思いがけず知人に遭遇し、声をかけられました。彼女も友人と同作品展に向かうのだとか。
私は目黒雅叙園自体、今回が初めてでしたが、目黒駅前から急な坂を下って5分ほどで到着。写真は目黒雅叙園の正面玄関。歴史ある結婚式場だけあって、車寄せの上に大きく張り出した屋根が威風堂々とした佇まいです。

かねてから興味のあった作品展ですが、これまでなかなか行く機会に恵まれず、今回、漸く知人からのお誘いで見ることが出来ました。Yさんに感謝!
残念ながら、展示室内は撮影禁止です。やはり著作権保護の問題もあるし、作者からすれば、カメラ撮影に時間を費やすのではなく、肉眼でじっくり作品を見て欲しいものでしょう。ただし、倍の入場料の夕刻に行われる「トワイライト見学」なら、フラッシュなしの撮影が許されているようです(既に作品展は25日(日)に終了しています)。
会場入り口には假屋崎氏の友人知人、仕事関係の方々から贈られた沢山の花が…下手(しもて)には胡蝶蘭の鉢植えがズラリと並んでいました。
ここでふと思ったのですが、「華道家に花を贈る時、贈る側も結構緊張するんじゃないか?」。予算もそれなりにかけないと失礼に当たるのでは?とか、センスが悪いと恥ずかしいとか、いろいろ気を揉みそうですね。そう考えると、胡蝶蘭はお値段的にはOKかもしれませんが、上段の彩り鮮やかな咲き乱れぶりに比べたら無難過ぎて(誰が贈っても個性の出しようがない)、正直つまらないですね。自分のセンスに自信がないのか、ビジネスライクな付き合いで"お義理"で贈っているだけなのか、それとも何か特別な意味でもあるのか…

当初、百段階段と聞いて、私のような体力のない人間が果たして上れるのかと恐れ慄いたのですが、実際は、数段上って右手の展示室へ、の繰り返しで、苦もなく上れました。ただし、杖をついた方には階段の上り下りは大変でしょうし、車椅子利用者は最初から入場できない旨の断り書きが公式サイトにありました。
さて、いよいよ鑑賞です。入り口の手前で靴を脱ぎ、ビニールの下足袋に入れて、いざ展示室へ。
悲しいかな、生け花の経験が皆無で、園芸の経験も殆どない私は、花の名前をあまり知りません。展示作品の前には一応キャプションが置かれていて、作品で使用された花の名前が記されているのですが、ただ列記されているだけなので、どの名前がどの花を指すのかが分かりづらいと言えば分かりづらい。
今回、同行したメンバーもほぼ全員が私と似たり寄ったりの状況。そこで「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」とばかりに、どうしても分からない時には、たまたま側にいた見知らぬ方に伺って、教えていただきました。教えていただいた名前を同行の知人がすぐさまスマホで検索。その繰り返しで、どうにか名前を確認することが出来ました
百段階段は昭和5年頃に建てられた物らしく、各部屋がその時代に活躍した画家の絵で彩られているという趣向です。空白恐怖症とも言うべき執念で、壁と言う壁、天井という天井すべてに彩色が施され、絵が描かれています。障子の桟も各部屋それぞれに意匠が凝らされ、過剰なまでに装飾がなされている。
絢爛豪華な假屋崎氏の作品と、キッチュとも評される百段階段各室の設えとが、調和と言うより、互いの美意識を主張し合い、美しさを競い合っているかのような迫力がありました。
最後の部屋には「Kokedo」と称する若手作家の苔の作品があり、作者自ら作品の傍らに立ち、鑑賞者に解説していました。こうした展覧会で作品が取り上げられるということは、これからの若手にとって、どれだけ飛躍のチャンスになることか?若手に世に出る機会を与える假屋崎氏の先達としての気遣いに、若手作家の解説を聞きながら、私は内心感銘を受けていたのでした。
私達一行が入場した時よりも会場が一層混雑の様相を見せて来たところで、タイミング良く全ての部屋を見終わり、滑りはしないかと靴下履きの足元を心配しながら一気に99段(なぜか百段ではなく99段)を降りてギフトショップへ。
写真は今回買い求めたクリアファイル。1,200円也。混雑するレジで、スタッフに(アレ持って来て、コレ持って来てと)無理難題を吹っかけている?年配の女性客がいましたが、假屋崎氏のお弟子さんと思われるスタッフは忍耐強く対応していました。いやはや、お弟子さんの教育も行き届いていますね。
レジコーナーの隅にはなんと
假屋崎氏ご本人が座っていらして、入場者が購入した花器等の土産品にせっせとサインをしておられました。
私は知人に促されるまま恐る恐るクリアファイルを差し出し、假屋崎氏にサインをしていただいたのでした。「素晴らしい展覧会でした。ありがとうございました」とお礼を述べたのですが、氏は視線をクリアファイルに落したまま2度頷かれただけでした。そもそも1,200円ぽっちの商品にサインして貰おうと言う方がずうずうしかったのかもしれません。ともかく、恐れ多くもサインをいただき、感謝の気持ちはお伝えできたので、私としては満足。
同行していたカナダ人の知人はカレンダーにサインしていただいたそうですが、假屋崎氏は英語で彼女に話しかけられたのだそうです。

その後は会場入り口付近で今回のメンバー全員で記念撮影をしてから目黒雅叙園を出発。駅近くのカフェで、ひとしきりこの日の感想を語り合った後、それぞれ家路につきました。
1.東京都文京区の永青文庫で開催中の展覧会「春画」展

永青文庫は肥後細川家代々ゆかりの文物を所蔵した博物館で、現在は細川家第18代当主の細川 護熙氏(元首相、陶芸家)が理事長を務めておられます。
今回の展覧会は2013〜14年にかけて大英博物館で開催された「春画展」が好評を博したのを受けて、「発祥の地である日本でも、庶民文化が花開いた江戸時代を中心とした春画を一堂に会した展覧会を」との主旨で開催に至ったもの。
春画が性風俗を扱った作品だけに、猥褻と芸術の線引きの難しさが敬遠されたのか、主だった美術館からは会場の提供を断られたらしく、今回、細川氏の英断?で永青文庫での開催が決まったようです。

私は美術館でのギャラリートークの帰りに展覧会に一人で行ったのですが、初めて行く場所で土地に不慣れであったせいか、公式サイトに「最寄駅の有楽町線江戸川橋駅から徒歩15分」と書かれていたところを25分位かかってしまいました。
日差しも強く、最後の上り坂もきつかった。正門に辿りついた時にはヘトヘト状態でした


写真は永青文庫入口です。

折りしも前日、この春画展に関する記事がヤフーニュースに掲載された影響なのか、入館前から長蛇の列でした。館内も元々広くない各展示室は多くの人でごった返していました。作品によっては二重三重に人が群がり、なかなか見ることができませんでした。
前日に読んだニュース記事では若い女性の来館者が多いとのことでしたが、私が見たところ、この日は年配の男女やご夫婦連れが多かったように思います。素朴な疑問として、特に年配の方々は春画にどんな感想を抱いたのでしょう?若い女性連れは作品の前で率直に感想を述べ合っているのに、年配の方々は終始無言の上に無表情なので、内心どう思っているのかが気になりました。
写真は土産に買い求めたクリアファイルと絵葉書です。離れのギフトショップで、「こんな物使えないわよね」と言う女性の声を尻目に、クリアファイルを買ってしまった私。外で誰かに見せびらかすわけでもなく、自宅で使う物なので別に差し支えはないかと。とにかく各々の絵(抜粋)の色彩が美しく、その鮮やかさに目を奪われました。
予算が許せばカタログもと思ったのですが、価格がカタログとしては破格の4,000円、その上、形も変型判で分厚く、これでは置き場所にも困るかなと、あえなく撤回



もちろん、大名家に伝わる春画には、姫君の興し入れの際の床あしらいの指南書としての役割があったのだとは思いますが、庶民向けの春画に関しては、やはり嗜好品としての意味合いが強かったのでしょう。
しかし、あまりにも性行為をあけすけと描いており、しかもルネサンス期から近世に至る西洋絵画のように人体解剖までして人間の骨格や体型をリアルに描いているわけでもないので、(当時の人々はともかく)現代を生きる私には、その描写にエロチシズムはあまり感じられませんでした。
さらに、春画で描かれている世界観は、身分差も、貧富の差も、美醜の差も関係なく、全ての人間が共有するもの。殿様であれ、町の若衆であれ、持っている物は同じ、お姫様であれ、町娘であれ、やることに大差はないのだと、春画は人間の本質の一端を描いているに過ぎないことにも気づかされます。
そして、全ての展示室を見終わる頃には、「よくもまあこれだけ多くの春画を、有名無名に関わらず多くの絵師が描いたものだわ。それだけ需要も多かったのかもしれないけれど、これだけ一度に大量に見せられると、さすがに飽きるわ」と思ったのでした。尤も、こっそり1枚だけ「あなたに差し上げます」と誰かに差し出されたら、また印象は違ったのかもしれませんが…
写真の幟(のぼり)の、決定的場面を見せない絵の方が却って見る者の想像を掻き立て、エロチシズムを感じさせてしまうという皮肉。
絵葉書の葛飾北斎のオオダコと女性が絡み合う絵に至っては、なんでも描いてしまう「画狂」北斎の真骨頂とも言え、隠微さよりも寧ろ"おかしみ"を感じて、「おいおい北斎よ。こんな絵まで描くんかい?」とツッコミを入れたくなりました(笑)。
一方で、有名な絵師の絵には、客の需要に応えて生々しい男女の絡みを描きながらも、美しく見せる構図の工夫や、着物や帯の文様の緻密な描きこみ、そして、あくまでも女性を優美に描く拘りに、一流絵師としての矜持を感じました。
ともあれ、今回の展覧会は、「春画」も日本美術史に堂々と名を連ねる絵画の一ジャンルとして正当に評価される、またとない機会になったと思います。
2.東京都目黒区の目黒雅叙園で開催されていた「假屋崎 省吾の世界展」

今年で16回目を数えると言う、華道家、假屋崎 省吾氏の作品展「假屋崎 省吾の世界展」を見に、結婚式場で有名な目黒雅叙園の百段階段へ行って来ました。
今回は日本人と日本在住外国人の混成グループでの鑑賞。目黒駅前で待ち合わせをしていたら思いがけず知人に遭遇し、声をかけられました。彼女も友人と同作品展に向かうのだとか。
私は目黒雅叙園自体、今回が初めてでしたが、目黒駅前から急な坂を下って5分ほどで到着。写真は目黒雅叙園の正面玄関。歴史ある結婚式場だけあって、車寄せの上に大きく張り出した屋根が威風堂々とした佇まいです。

かねてから興味のあった作品展ですが、これまでなかなか行く機会に恵まれず、今回、漸く知人からのお誘いで見ることが出来ました。Yさんに感謝!
残念ながら、展示室内は撮影禁止です。やはり著作権保護の問題もあるし、作者からすれば、カメラ撮影に時間を費やすのではなく、肉眼でじっくり作品を見て欲しいものでしょう。ただし、倍の入場料の夕刻に行われる「トワイライト見学」なら、フラッシュなしの撮影が許されているようです(既に作品展は25日(日)に終了しています)。
会場入り口には假屋崎氏の友人知人、仕事関係の方々から贈られた沢山の花が…下手(しもて)には胡蝶蘭の鉢植えがズラリと並んでいました。
ここでふと思ったのですが、「華道家に花を贈る時、贈る側も結構緊張するんじゃないか?」。予算もそれなりにかけないと失礼に当たるのでは?とか、センスが悪いと恥ずかしいとか、いろいろ気を揉みそうですね。そう考えると、胡蝶蘭はお値段的にはOKかもしれませんが、上段の彩り鮮やかな咲き乱れぶりに比べたら無難過ぎて(誰が贈っても個性の出しようがない)、正直つまらないですね。自分のセンスに自信がないのか、ビジネスライクな付き合いで"お義理"で贈っているだけなのか、それとも何か特別な意味でもあるのか…

当初、百段階段と聞いて、私のような体力のない人間が果たして上れるのかと恐れ慄いたのですが、実際は、数段上って右手の展示室へ、の繰り返しで、苦もなく上れました。ただし、杖をついた方には階段の上り下りは大変でしょうし、車椅子利用者は最初から入場できない旨の断り書きが公式サイトにありました。
さて、いよいよ鑑賞です。入り口の手前で靴を脱ぎ、ビニールの下足袋に入れて、いざ展示室へ。
悲しいかな、生け花の経験が皆無で、園芸の経験も殆どない私は、花の名前をあまり知りません。展示作品の前には一応キャプションが置かれていて、作品で使用された花の名前が記されているのですが、ただ列記されているだけなので、どの名前がどの花を指すのかが分かりづらいと言えば分かりづらい。
今回、同行したメンバーもほぼ全員が私と似たり寄ったりの状況。そこで「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」とばかりに、どうしても分からない時には、たまたま側にいた見知らぬ方に伺って、教えていただきました。教えていただいた名前を同行の知人がすぐさまスマホで検索。その繰り返しで、どうにか名前を確認することが出来ました

百段階段は昭和5年頃に建てられた物らしく、各部屋がその時代に活躍した画家の絵で彩られているという趣向です。空白恐怖症とも言うべき執念で、壁と言う壁、天井という天井すべてに彩色が施され、絵が描かれています。障子の桟も各部屋それぞれに意匠が凝らされ、過剰なまでに装飾がなされている。
絢爛豪華な假屋崎氏の作品と、キッチュとも評される百段階段各室の設えとが、調和と言うより、互いの美意識を主張し合い、美しさを競い合っているかのような迫力がありました。
最後の部屋には「Kokedo」と称する若手作家の苔の作品があり、作者自ら作品の傍らに立ち、鑑賞者に解説していました。こうした展覧会で作品が取り上げられるということは、これからの若手にとって、どれだけ飛躍のチャンスになることか?若手に世に出る機会を与える假屋崎氏の先達としての気遣いに、若手作家の解説を聞きながら、私は内心感銘を受けていたのでした。
私達一行が入場した時よりも会場が一層混雑の様相を見せて来たところで、タイミング良く全ての部屋を見終わり、滑りはしないかと靴下履きの足元を心配しながら一気に99段(なぜか百段ではなく99段)を降りてギフトショップへ。
写真は今回買い求めたクリアファイル。1,200円也。混雑するレジで、スタッフに(アレ持って来て、コレ持って来てと)無理難題を吹っかけている?年配の女性客がいましたが、假屋崎氏のお弟子さんと思われるスタッフは忍耐強く対応していました。いやはや、お弟子さんの教育も行き届いていますね。
レジコーナーの隅にはなんと

私は知人に促されるまま恐る恐るクリアファイルを差し出し、假屋崎氏にサインをしていただいたのでした。「素晴らしい展覧会でした。ありがとうございました」とお礼を述べたのですが、氏は視線をクリアファイルに落したまま2度頷かれただけでした。そもそも1,200円ぽっちの商品にサインして貰おうと言う方がずうずうしかったのかもしれません。ともかく、恐れ多くもサインをいただき、感謝の気持ちはお伝えできたので、私としては満足。
同行していたカナダ人の知人はカレンダーにサインしていただいたそうですが、假屋崎氏は英語で彼女に話しかけられたのだそうです。

その後は会場入り口付近で今回のメンバー全員で記念撮影をしてから目黒雅叙園を出発。駅近くのカフェで、ひとしきりこの日の感想を語り合った後、それぞれ家路につきました。
2015/10/26
英国旅行4日目 英国旅行(2010年春&2015初秋)

旅行4日目、いよいよ終盤です。観光地巡りはこの日が最終日。ホテルを出発して162kmの道のりを、最初の訪問地であるコッツウォルズ地方で最も古い村カッスルクーム(Castle Combe)目指して行きました(写真はバースのバルトニー橋)。

2時間半ほどでカッスルクームの駐車場に到着。ここから村へは15分ほど徒歩で坂を下ります(写真は駐車場付近にあった看板)。
添乗員さんからも、坂道の往復が少し大変だとの話があり、ツアーメンバーでもご年配で脚力に不安のある方は、バスの中で待機されることになりました。
私自身、住んでいる地域は平坦地で坂が全然無く、普段の生活で坂道を歩く機会は殆どないので、行きはまだしも帰りの上り坂を上れるのか一抹の不安を覚えました(ただし、こうしたケースでは文句を言いながらも夫がいつも手を引いてくれるので、どうにかクリアできます

立派な茅葺屋根のお宅。

生垣も見上げるような高さ。辺り一帯には霧がかかっていました。

昔の水汲み場。私の地元にも、私が子どもの頃にはまだ似たような施設が残っていました。何だか懐かしい…

豊かな緑に包まれて…空気がヒンヤリとして、清澄で美味しい…

村の中心地に到着。こじんまりとして静かです。ちょうど日曜日の午前中。村の皆さんは教会のミサに参加されているのでしょうか?歩いているのは殆ど観光客?

左手に見える三角屋根が広場の中心にある東屋。古色蒼然としています。右奥に見える塔は聖アンドリュー教会(St. Andrew's Church )。


もちろん、最近建てられた家もあることにはあるらしいのですが、村の景観を損なわないよう、見た目は伝統的な造りにしているそうです。
パブも村の中心地にふたつあるのみ。本当に静かな村です。
下の写真のように、自宅前に自家製のケーキを陳列して販売しているお宅もあるようです。添乗員さんがキャロット・ケーキをひとつ購入して、後でツアーメンバーに振舞って下さったのですが、まさにホームメード・ケーキと言う感じで、素朴な味わいでした。添乗員さん、ごちそうさまでした。


民家の玄関先にたわわに実った葡萄。「えっ?玄関に葡萄?」と思わず二度見



下の写真は暫く歩いて、通りを反対側から見たところ。いやあ、本当に絵になりますね。
添乗員さんの話では、右手にある建物のひとつが、今では冬の寝具として当たり前に使われている毛布を発明したブランケット(Blanket)兄弟が住んでいた家なんだそうです。昔からひざ掛けサイズの羊毛製の寝具はあったそうなのですが、ブランケット兄弟が今日あるようなサイズの物を売り出して、世界的に広く普及したのだとか。
改めてウィキで調べてみたら、「14世紀頃、英国ブリストル(Bristol)在住であったフランドル人(今のベルギーやオランダ辺りでフランス語圏の出身者。フランドルは元々織物業が盛んな地域)のThomas Blanket(Blanquette←フランス語表記)が創始者」とありました。ブリストルとカッスルクームは地理的に近いので、カッスルクームに住んでいたこともあるのかもしれませんね。山(丘?)間にあって冬季は寒そうですから、ここで全身を覆うような毛布が発明されたのも納得です。

村と駐車場の往復を含めて1時間程度でカッスルクーム観光は終了。この後カッスルクームから1時間足らずで、次の訪問地、市街全体が世界遺産に登録されているバース(Bath)に到着しました。
まずは当地の代表的な建築物ロイヤル・クレッセント(The Royal Crescent)です。クレッセントは三日月を意味し、三日月のような美しい弧を描いたこの建物は1767〜74年にかけてジョン・ウッド(John Wood)父子が手がけたものです。
バース近郊で採れる乳白色の石を使い、114本のイオニア式円柱が並ぶ、パッラーディオ様式のその姿は壮観です。ウッド父子はバースを拠点に活躍した建築家で、郵便事業で財を成した大富豪ラルフ・アレンをパトロンにウッド父子の都市計画のもと、今日のバースの街並みが作られたのだそうです。
ロイヤル・クレッセントの中には、建物が作られたジョージ王朝時代の生活を今に伝える博物館、ナンバー・ワン・ロイヤル・クレッセント(No.1 Royal Crescent)やバース屈指の高級ホテル、ロイヤル・クレッセント・ホテル(The Royal Crescent Hotel)もあるようです。しかし、私達ツアーは時間が限られているので、前庭でフォト・ストップのみ

ロイヤル・クレッセントが大き過ぎて、私のカメラのフレームには到底収まりません。脳内で上下の写真を左右に繋げて下さい



違う角度から見たロイヤル・クレッセント。

ロイヤル・クレッセント近くにあった見事な花壇。


なぜか昼食の写真は下の一枚きりです。豆のスープが出たような気がするのですが、記憶が定かではありません。
写真の料理はコテージ・パイ(A Cottage Pie)と呼ばれる物で、やはり英国の伝統的な料理のひとつのようです。パイ生地に包まれたわけでもないのになぜパイ?と不思議だったのですが、帰国後調べてみたら、本来のコテージ・パイとは似ても似つかぬ料理だったようで、これもガッカリ料理のひとつに加えたいと思います。
コテージ・パイとは小麦粉の代わりにポテトをパイ生地に用いた、元々貧しい人々の為の食事がルーツらしく、その名の「コテージ」は貧しい人々が暮らす「Cottage=小屋」から来ているようです。一般に挽肉と野菜の煮込みをマッシュポテトのパイ生地で覆ってオーブンで焼く料理を指すようです。
バースで食べた料理は材料こそ同じような物を使っていましたが、手抜きもいいところ。ミートソースにマッシュポテトが申し訳程度に載っているだけ、と言う代物でした。参考までに本格的なコテージ・パイのリンクを下記に貼り付けておきます。
まあ、これも所詮格安ツアーなんだからと言ってしまえばそれまでですが…


食後は再び観光の為、バース市中心部へ。バース大聖堂(Bath Abbey)です。やはり巨大過ぎて、フレームに収まりません。
創建は757年と古く、973年にはここでイングランドを統一したエドガー王が戴冠式を行ったとされる由緒ある教会です。現存する大聖堂は、ローマ・カトリックと袂を分かったヘンリー8世が修道院解散を言い渡す直前の1499年に建てられ、1617年に漸く完成を見たゴシック様式建築だそうで、英国でも数少ない中世の教会建築を代表するものとなっているようです。堂々たる世界遺産と言えます。


大聖堂のすぐ傍に、古代ローマ遺跡を復元したローマン・バス(The Roman Bath)もあるので、常に大聖堂前の広場は観光客をはじめ多くの人々でごった返しています。今回そうした観光客からのチップを当て込んだ大道芸も見られました。以前同様の芸をイタリアのフィレツェでも見かけた覚えがあり、その時ほどのインパクトはありませんでした。とは言え、ずっと静止した状態を保つのは大変だと思います。緊張すると、すぐ背中が痒くなる私には絶対無理(笑)!

実はバースも20年以上前に、当時英国に駐在していた友人夫婦の案内で来たことがあります。覚えている限りでは、その時には大聖堂の中央のドアが開け放たれていて、中を自由に見学できました。聖堂内にパイプオルガンによる荘厳なミサ曲が響き渡り、感動したのを覚えています。
ところが、今回訪れたのはキリスト教徒にとって大事な祈りの日である日曜日。中央のドアは堅く閉ざされ、ミサの時間帯でなければ左側のドアから入ることも可能だったのですが(その際は受付で入場料代わりに5£の寄付をします。以前来た時には受付などなく、自由に入れたのですが…)、私達の自由行動の時間はあいにくミサが行われていた時間帯と重なってしまったので、中を見学することが出来ませんでした。とても残念です

まあ、すべて思い通りに行くとは限らないのが旅行なわけで…
ローマン・バス(The Roman Bath)です。

紀元前1世紀にローマ人によって建てられたと言うこの大浴場(これ以外にも諸説あります)。以後、数百年に渡り浴場として使われたらしいのですが、5世紀頃のローマ軍の撤退により荒廃し、最後は洪水で泥に埋もれてしまったそうです。それが18世紀以降、当地で数々の遺物が発掘されてからは復元が進み、現在は博物館として往時の様子を伝えています。アルプス以北で最も保存状態の良いローマ遺跡と言われているそうです。


博物館に隣接して、前出のジョン・ウッド父子によってパンプ・ルーム(Pump Room)と呼ばれる施設が18世紀初頭に建てられ、温泉目当てで当地を訪れた上流階級の社交場として大いに人気を博したそうですが、現在は誰もが利用できるカフェ・レストランになっています。その脇を偶然通ったのですが、ほぼ満席の賑わいでした。
博物館の入館料は14£(以前に比べてかなり値上がりした印象

この後、1時間の自由行動。ここでもツアーメンバーの殆どは添乗員さんと共に買い物へ。私達はまた別行動で、バースの街をブラブラ歩くことにしました。途中で海外駐在時代から馴染みのシューズ・ブランドECCOの店を見つけたので入ってみました。以前コメント欄にも書きましたが、夫は日本人離れした(長くて細め)足のサイズの持ち主なので、日本ではなかなか彼の足に合った靴がありません。今回は機会があれば彼の靴を買いたいと思っていたので、ECCOの店を見つけたのは正に渡りに船でした。
ECCOは日本でも営業展開していますが、日本で取り扱っているサイズは28cmまで。ネット通販で海外販売品を買うことも可能ですが、かなり高い価格設定となっています。今回はビジネス・シューズを120£で購入。30£以上の商品は空港で出国前に手続きすればTAX Refundが適用されるので、実質96£程度になるはずです。これは為替レートを勘案しても、妥当な価格です。もちろん、カードで購入です。

バルトニー橋を正面やや遠くに望むことができるベンチに腰掛け、昼下がりのバースで夫婦ふたりノンビリ過ごしました。公園、大好きなんですよね

冒頭と左の写真はそこから、バルトニー橋を撮ったものです。
調べたところでは、バルトニー橋はロイヤル・クレッセントとほぼ同時期に完成した橋で(と言う事は、この頃はバースが都市として大きく発展を遂げた時期だったのでしょう)、対岸の開発を進める為に、地元の大地主で政治家のウィリアム・バルトニー主導の下、イギリスの新古典主義建築の第一人者ロバート・アダムの設計で造られたアーチ橋とのこと。
上部には建物が据えられ、橋の両端は店舗が並んでいるので一見すると普通の商店街にしか見えず、離れて見ない限り橋とは分からないそうです。フィレンツェのベッキオ橋と同じ形態でしょうか?
かなり人気のある橋なのか、私達がベンチに腰掛けている間にも、橋を背景に記念撮影したり、橋そのものを撮る人が絶えませんでした。偶然辿りついた場所でしたが、確かにそこは景観美しいバルトニー橋を望む最高のポイントだったと思います。

12世紀前半にジェフリー・オブ・モンマスによってラテン語で記された偽史書『ブリタニア列王史』(←今では地域の伝承を織り交ぜたモンマスの創作とされていますが、18世紀頃までは信憑性のある歴史書と思われていたんだとか)の中の「当地に最初に風呂を作ったブリトン王、ブラドッドと彼のハンセン病に罹った豚たちが、当地の暖かい泥に浸ることで治癒した」と言うエピソードに基づいて作られたと思われる彫刻作品もありました。来歴を知らなければ、「何だ、これは?」な作品ですね(笑)。

この後、集合場所の大聖堂前広場に戻り、ツアー一行はバスで一路ロンドンへと向かいました。
宿泊先のロンドンのホテルへ向かう途中、ロンドン郊外のパブで夕食です。夕食を食べたパブ、キングズ・ヘッド(KINGS HEAD).

バーカウンター。

前菜の小エビのカクテルサラダ。濃厚なドレッシングの甘みが結構いけました。

メインディッシュのポークシュチュー、ガーリック・トースト添え。いつも自宅で作っているミネストローネのベーコンが、豚バラの角切り肉に替わっただけの味でした。普通に美味しかったのですが、メインにしては量的に少々物足りなかったように思います(昼食があまりにも侘しかったのでお腹がいつも以上に空いていたのかもしれません)。

デザートのなぜか"ベルギーワッフル"、アイスクリーム添え。これも美味しくいただけました。

バスで店を去る時に、わざわざ数人の人が外で見送ってくれました。店の人かと思ったら、偶然居合わせた地元の楽しい馴染み客のおじさん達だったそうです。かわいい…

思い返せば、今回の旅行では、どの場所でも出会う人すべてが誠実な態度で、親切に接して下さったのが印象的でした。それが旅行の楽しさを倍加させてくれたのだと思います。また、あえて書いてはいませんでしたが、食事の度に同席下さったツアーメンバーの方々のお人柄も、少々不味い料理さえ笑い話に変えてくれるような温かさがありました。ふと「旅は人なり」(旅の楽しさは人との出会い)と言う一文が思い出されました。
写真はロイヤル・クレッセントに程近い場所にある、(ラテン語が語源の)「サークル」と呼ばれる円形広場(英国<欧米?>には他に「スクエア」と呼ばれる四辻の方形広場があります)沿いに建つ集合住宅。広場の円形に沿って建物も湾曲しているんですね。手前のお宅は英国ではよく見られる半地下部分が、少し広めの前庭になっていて花々が美しいです。
一塊になっているツアーメンバーの視線の先には、ハリウッドの有名俳優ニコラス・ケイジの別宅があるらしい…有名人は有名税とは言え、衆目に晒されて大変です。おそらく、この日、彼はいなかったとは思いますが…

いよいよ英国滞在も残すところ後1日です。
2015/10/22
英国旅行3日目 英国旅行(2010年春&2015初秋)
英国旅行3日目です。旅行も中盤となりました。観光できるのも後3日かと思うとちょっと寂しいです。この日は朝からあいにくの曇り空。
バスでホテルを出発して1時間足らずで、この日の最初の訪問地ストラトフォード・アポン・エイヴォン(Stratford-upon-Avon)へ到着。
ここは英国の文豪ウィリアム・シェイクスピア(William・ Shakespeare)(1564-1616)が生まれ、そして亡くなった町です。その為、この町にはシェイクスピアゆかりの場所が幾つもあります。今回はその内の3か所を訪れました。
来年はシェイクスピア没後400年を迎えますが、きっと記念行事が目白押しなんでしょうね。
一方で、シェイクスピアは英文学史上最も偉大な作家でありながら、彼が残した数多くの戯曲以外、彼の生涯に関する確かな資料(手紙や日記も未だ発見されていない)が少ない為、謎の多い作家とも言われています。2011年には、彼の名を借りて時の政治を揶揄する、貴族出身のゴーストライターが存在した、と言う設定で映画も作られました。
映画:『もうひとりのシェイクスピア』←ストーリーは荒唐無稽ながら、時代設定は細部に至るまで丁寧に作り込まれており、結構楽しめました。
最初に訪れたのは彼が洗礼を受け、死後、埋葬されたホーリー・トリニティ教会(Holy Trinity Church;直訳すると聖三位一体教会)。13世紀に建てられたと言う歴史ある教会は、写真の木立の奥に静かに佇んでいました。
教会内のステンドグラス。美しいです。拡大部分は「キリスト磔刑」図ですが、キリストの足下で跪いて、キリストを見上げているのは、手元に赤い香油壺らしき物が描かれていることから、マグダラのマリアで、その左に見えるのは聖母マリアと、キリストの死後に聖母マリアの世話するよう言いつかった最も年少の弟子ヨハネ(赤いマント姿)でしょうか?一方、右には鍵を手にした弟子のペテロと、書物とペンを手にした弟子のマタイ?の姿も見えます。

主祭壇の前にあるシェイクスピアの墓標。左側の壁の上部には、シェイクスピアの死後、彼の友人達が贈ったと言う彼の胸像もありましたが、写真がピンボケでアップできず
ロンドンのウエストミンスター寺院(Westminster Abbey)もそうですが、高名な人物の墓は外の墓地ではなく教会内部の主祭壇の近くにあるんですね。やはり特別な存在として位置づけられているのでしょうね。

教会には信徒用の小集会室もありました。ここで聖書の勉強会などをするのでしょう。

次に訪れたのはシェイクスピアの生家(Shakespeare's Birthplace)…と言っても、今回はフォト・ストップで外観のみ。生家は町の中心地ヘンリー・ストリート(Heley St.)沿いにあります。周辺はいつも大勢の観光客で賑わっているようです。
今回のツアーには残念ながら入館料が含まれていないので、入館するならば個人で支払うことになるのですが、入館料がなんと15.90£
。為替レートのせいもありますが、日本円で3,000円ですよ。時間も限られているし、実は22年前に訪れた時に中も見学したので今回は見送りました。個人で訪れて時間もたっぷりあるのなら、それだけ払っても見るとは思いますが…

以前ここを訪れた時の楽しい思い出がひとつ。1歳半の息子を連れて中庭にいたところ、ロンドンから同じバスツアーに参加していた米国人の7歳の女の子(シャロンちゃん)が息子のことをいたく気に入って、「かわいい。すごくかわいい。ハグしたい。家に連れて帰りたい」とまで言いました。そして一緒に写真に納まっただけでなく、別れ際に息子へのプレゼントだと言って、その場で絵を描いてくれました。その絵は今でも写真と共にアルバムに収まっています。
あの時1歳半だった息子も今や24歳。シャロンちゃんは29歳位になっているのでしょうか?

その後1時間ほど町中の自由散策の時間に充てられました。ツアーメンバーの殆どは添乗員さんと共にマークス&スペンサーへ買い物に、夫と私は一行から離れて、22年ぶりに訪れた町をふたりで当てもなくぶらぶら。
私の記憶が正しければ、昔と同じ場所にローラ・アシュレイの店を発見(笑)。前回来た時にはここでブルーの花柄のブラウスを購入。今回はたまたま夏物のセールだったので、ブルー系の花柄とペイズリー柄がバランス良くミックスされたストールを3割引きで購入。早速後日、首元が冷える旅先で使いました。
エイヴォン川のほとりで。幾つもの遊覧船が停泊していました。

以前の設置場所(劇場)が火災に遭い、やむなくこの公園に移設されたらしい、シェイクスピアの戯曲に登場する人物の像と共に。夫の視線の先にはエイヴォン川が流れています。

たまたま近くにいらしたツアーメンバーのご主人が写真を撮って下さると仰ったので、珍しく夫婦で一緒に写真に納まりました。シェイクスピアの像を背景に。

この後バスでシェイクスピアの妻アン・ハサウエイの実家(Ann Hathaway's Cottage)へ移動…と言っても、ここも今回はフォト・ストップのみで、前回の訪問で内部は見学済みなので、これで良しとします。
アン・ハサウエイと言えば、米女優のアン・ハサウエイの顔がすぐさま浮かんでしまいます。最近もロバート・デニーロとの共演が話題になった『マイ・インターン(原題:The intern)』が、若き起業家女性と彼女を支えるシニア・インターンの関係を温かく描いて、とても面白かったです。
さて、アン・ハサウエイの実家は富裕な農家だったようで、実家の建物も立派な茅葺屋根で、内部には12室もあると言う堂々としたもの。内部の設え、家具も含め16世紀のテューダー様式を今に伝える文化財的価値の高い建物らしいです。父親が商人だったシェイクスピアの実家もそうですが、当時としてはかなり豪奢な造りであっただろうことから、町でも富裕な一族同士の結婚だったようですね。シェイクスピアの教養の高さも推して知るべしでしょうか?


この日の昼食は、道路を挟んで向かい側に立つレストランでアフタヌーンティー。
確かにお約束の3段になったティースタンドの上段にケーキ、中段にサンドイッチ、下段にはスコーンが載っているのですが、何だかイメージしていたのとは違います
サンドイッチのパンはパサパサだし、スコーンは冷え切って固くなっているし(だからクロテッドクリームがスコーンにうまく塗れない)、紅茶も冷めているし…私は出された物はできるだけ何でも残さずいただくよう心がけているのですが、これはさすがに食欲が失せて残してしまいました。
以前、ロンドン在住の友人に連れて行って貰ったハンプトンコート宮殿近くのカフェ?でいただいたアフタヌーンティーが見た目も味も、そして給仕のサービスも完璧だったので、どうしてもそれと比べてしまう。
今回のツアーはリーズナブルなツアーなので、そもそも期待する方が間違っているのですが、それにしても侘し過ぎました
何だか家畜扱いで餌を食べさせられているようで。初めてアフタヌーンティーを食べる人に、これがアフタヌーンティーだと思われては残念で仕方がありません。今回のツアーで最もガッカリな食事でした。
この後、再びバスで、英国人も憧れると言う、自然豊かで長閑な村々が点在するコッツウォルズ(Cotswolds)地方へ。コッツウォルズ地方には幾つものかわいらしい村がありますが、今回のツアーではこの日に2か所、翌日に1か所を訪ねました。
まず最初に訪れたのは、19世紀のアーツ&クラフツ運動で知られるデザイナーであり詩人のウィリアム・モリス(William Morris)が「イングランドで最も美しい村」と称えたバイブリー(Bibury)。
ここには有名なマスの養殖場(Trout Farm)があり、マス料理は村の名物料理なんだそうです。養殖場も有料で見学できるようですが、興味がないので見学しませんでした。誰でも入れる養殖場の売店にはマスの加工食品だけでなく、ウィリアム・モリスに因んだお土産も数多く売られていました。
興味深かったのは、英国各地から訪れているであろう車が、まるで自動車の見本市の様相を呈していたこと。大衆車からポルシェのような高級スポーツカーまで、国籍もドイツ、フランス、イタリア、米国、日本、韓国まで揃いも揃ったり。
ライダーもグループで来ていて、日本メーカーのSUZUKIを何台か見かけました。単純ですが、海外で日本製品を見かけると何だか誇らしいですね(笑)。漢字で「隼」と書かれたバイクの持ち主に(漢字の横に"HAYABUSA"と書かれているので読み方は知っている)、「この文字は鳥の名前で、英語では"Falcon"ですよ」と教えてあげると、「へぇー、そうなんだ。初めて知ったよ。」と喜ばれました。
バイブリーにあるホテル。外壁の蔦の葉の紅葉が美しい…

自然の風景にも素朴な味わいがあり癒されます…右の写真の葉は直径50cm位あり、俗名が「貧乏人の傘」なんだとか…

家並みが本当に素敵です。しかし、古い家を大事に守りながら住み続けるのは、それなりに苦労がありそうです。観光客が大挙訪れて、プライベートの領域にズカズカと踏み込まれるのも嫌でしょうね。あるお宅の玄関口には英語と日本語で「ここは私有地です。立ち入り禁止」と言う貼紙まで。何だか恥ずかしいと言うか申し訳ないというか…

その愛らしさ、美しさに思わずシャッターを切ってしまったけれど、これも迷惑なのかな…

この無造作な石垣にも風情を感じます…



次に向かったのはボートン・オン・ザ・ウォーター(Bourton-on-the-Water)。この村は10年前に息子と訪れた場所。当時から大勢の観光客で賑わっていました。

村の中心をウィンドラッシュ川が流れ、「コッツウォルズのベネツィア」とも呼ばれているそうです。訪れたのが土曜日の午後とあってか、川縁でのんびり過ごしている人の姿が多く見かけられました。
10年前はここで、息子と二人バザー巡りをしたのを覚えています。家庭で使われていた台所道具や骨董品を見ているだけで楽しかったですね。また、当時お土産を買った店も残っていて、中に入ってみたのですが、オーナーが替わってしまったのか、内装も雰囲気も全く変わっていました。息子にメールしたら、息子もそこでレトロなデザインの小型ラジオを買ったことを覚えており、「懐かしいなあ」と返信して来ました。
今回、ツアーメンバーの殆どは添乗員さんと共に村のミニチュアが展示されている施設モデルヴィレッジ(鬼怒川の東武ワールド・スクエアのようなもの)へと向かったのですが、ここでも夫と私は一行とは別行動で、しばし川縁を散策の後、中央広場に面したカフェに入り、スコーン&紅茶セットのクリームティー(Cream Tea)を食べました。移動中のバスの中で添乗員さんが、ボートン・オン・ザ・ウォーターはおいしいクリームティーの店が沢山あると紹介していたからです。
面白いカップの置き方。これだけでも何だかワクワクします…

さきほどのガッカリ・アフタヌーン・ティーの後のお口直しと言っては何ですが、ほかほかスコーンにクロテッドクリームもジャムもバッチリ載って、ほっぺたが落ちそうなほど美味でした
もちろん、紅茶も温か。スコーンも紅茶もやっぱり温かくなくちゃね
お値段も2人分で8.5ポンド(もっと安いお店もあったかもしれませんが…)とお手頃で、大満足で店を後にしたのでした(そして、ここでも若い子が楽しそうにキビキビと働いていたのでした
若い子が元気に働いている姿を見ると、見ているこちらも気持ちが明るくなります)。


団体ツアーとは言え、自由散策の時間は適度に放っておいてくれるので、こちらも自分のペースで過ごせて良かったです。カフェでのんびり過ごした後は集合場所の駐車場へ。この日の観光はこれで終わりで、6時過ぎにはホテルへ戻りました。
この日の夕食はホテルで。前菜は何か?のフライに少々の野菜。揚げたてだったので、おいしかったのは確か…食レポ写真も旅の疲れから雑になっています

メインはサーモンのバターソテーに温野菜添え。フツーにおいしかったです。この際、贅沢は言いません。

デザートはアイスクリーム3種。日本人にはちょっと量が多過ぎるかも。味は普通です。

前日から泊まっているホテルの部屋。前回のホテルよりは広いです。ホテルはバーミンガム市郊外にあり、モリソンと言うスーパー・マーケットやショッピングモールが隣接しており、ちょっとした買い物には便利でした。
夕食までに少し時間があったのでモリソンに行って、添乗員さんオススメのポテトチップスや紅茶を買いました。大量の商品を買い込んだお客でレジが混んでいたので、以前、テレビドラマの現代版『シャーロック・ホームズ』でワトソンが悪戦苦闘していた「自分でクレジットカードを使って清算する無人レジ」に挑戦してみました。
なんせ初めて使う機械。心配でしたが、ちゃんと店のスタッフが近くに控えていて、助けを求めればサポートしてくれます。なかなか面白い体験でした。しかし、何度も言いますが、為替レートで不利な日本人からすると、物価が高い(ポテトチップスのビッグパックが2£で、日本円で400円相当など…)!殆ど円換算で日本の倍の価格と考えて良いでしょう。

旅の3日目もこれにて終了。残すところあと2日です。

ここは英国の文豪ウィリアム・シェイクスピア(William・ Shakespeare)(1564-1616)が生まれ、そして亡くなった町です。その為、この町にはシェイクスピアゆかりの場所が幾つもあります。今回はその内の3か所を訪れました。
来年はシェイクスピア没後400年を迎えますが、きっと記念行事が目白押しなんでしょうね。
一方で、シェイクスピアは英文学史上最も偉大な作家でありながら、彼が残した数多くの戯曲以外、彼の生涯に関する確かな資料(手紙や日記も未だ発見されていない)が少ない為、謎の多い作家とも言われています。2011年には、彼の名を借りて時の政治を揶揄する、貴族出身のゴーストライターが存在した、と言う設定で映画も作られました。

最初に訪れたのは彼が洗礼を受け、死後、埋葬されたホーリー・トリニティ教会(Holy Trinity Church;直訳すると聖三位一体教会)。13世紀に建てられたと言う歴史ある教会は、写真の木立の奥に静かに佇んでいました。
教会内のステンドグラス。美しいです。拡大部分は「キリスト磔刑」図ですが、キリストの足下で跪いて、キリストを見上げているのは、手元に赤い香油壺らしき物が描かれていることから、マグダラのマリアで、その左に見えるのは聖母マリアと、キリストの死後に聖母マリアの世話するよう言いつかった最も年少の弟子ヨハネ(赤いマント姿)でしょうか?一方、右には鍵を手にした弟子のペテロと、書物とペンを手にした弟子のマタイ?の姿も見えます。


主祭壇の前にあるシェイクスピアの墓標。左側の壁の上部には、シェイクスピアの死後、彼の友人達が贈ったと言う彼の胸像もありましたが、写真がピンボケでアップできず

ロンドンのウエストミンスター寺院(Westminster Abbey)もそうですが、高名な人物の墓は外の墓地ではなく教会内部の主祭壇の近くにあるんですね。やはり特別な存在として位置づけられているのでしょうね。

教会には信徒用の小集会室もありました。ここで聖書の勉強会などをするのでしょう。

次に訪れたのはシェイクスピアの生家(Shakespeare's Birthplace)…と言っても、今回はフォト・ストップで外観のみ。生家は町の中心地ヘンリー・ストリート(Heley St.)沿いにあります。周辺はいつも大勢の観光客で賑わっているようです。
今回のツアーには残念ながら入館料が含まれていないので、入館するならば個人で支払うことになるのですが、入館料がなんと15.90£


以前ここを訪れた時の楽しい思い出がひとつ。1歳半の息子を連れて中庭にいたところ、ロンドンから同じバスツアーに参加していた米国人の7歳の女の子(シャロンちゃん)が息子のことをいたく気に入って、「かわいい。すごくかわいい。ハグしたい。家に連れて帰りたい」とまで言いました。そして一緒に写真に納まっただけでなく、別れ際に息子へのプレゼントだと言って、その場で絵を描いてくれました。その絵は今でも写真と共にアルバムに収まっています。
あの時1歳半だった息子も今や24歳。シャロンちゃんは29歳位になっているのでしょうか?

その後1時間ほど町中の自由散策の時間に充てられました。ツアーメンバーの殆どは添乗員さんと共にマークス&スペンサーへ買い物に、夫と私は一行から離れて、22年ぶりに訪れた町をふたりで当てもなくぶらぶら。
私の記憶が正しければ、昔と同じ場所にローラ・アシュレイの店を発見(笑)。前回来た時にはここでブルーの花柄のブラウスを購入。今回はたまたま夏物のセールだったので、ブルー系の花柄とペイズリー柄がバランス良くミックスされたストールを3割引きで購入。早速後日、首元が冷える旅先で使いました。
エイヴォン川のほとりで。幾つもの遊覧船が停泊していました。

以前の設置場所(劇場)が火災に遭い、やむなくこの公園に移設されたらしい、シェイクスピアの戯曲に登場する人物の像と共に。夫の視線の先にはエイヴォン川が流れています。

たまたま近くにいらしたツアーメンバーのご主人が写真を撮って下さると仰ったので、珍しく夫婦で一緒に写真に納まりました。シェイクスピアの像を背景に。

この後バスでシェイクスピアの妻アン・ハサウエイの実家(Ann Hathaway's Cottage)へ移動…と言っても、ここも今回はフォト・ストップのみで、前回の訪問で内部は見学済みなので、これで良しとします。
アン・ハサウエイと言えば、米女優のアン・ハサウエイの顔がすぐさま浮かんでしまいます。最近もロバート・デニーロとの共演が話題になった『マイ・インターン(原題:The intern)』が、若き起業家女性と彼女を支えるシニア・インターンの関係を温かく描いて、とても面白かったです。
さて、アン・ハサウエイの実家は富裕な農家だったようで、実家の建物も立派な茅葺屋根で、内部には12室もあると言う堂々としたもの。内部の設え、家具も含め16世紀のテューダー様式を今に伝える文化財的価値の高い建物らしいです。父親が商人だったシェイクスピアの実家もそうですが、当時としてはかなり豪奢な造りであっただろうことから、町でも富裕な一族同士の結婚だったようですね。シェイクスピアの教養の高さも推して知るべしでしょうか?


この日の昼食は、道路を挟んで向かい側に立つレストランでアフタヌーンティー。


サンドイッチのパンはパサパサだし、スコーンは冷え切って固くなっているし(だからクロテッドクリームがスコーンにうまく塗れない)、紅茶も冷めているし…私は出された物はできるだけ何でも残さずいただくよう心がけているのですが、これはさすがに食欲が失せて残してしまいました。
以前、ロンドン在住の友人に連れて行って貰ったハンプトンコート宮殿近くのカフェ?でいただいたアフタヌーンティーが見た目も味も、そして給仕のサービスも完璧だったので、どうしてもそれと比べてしまう。
今回のツアーはリーズナブルなツアーなので、そもそも期待する方が間違っているのですが、それにしても侘し過ぎました


まず最初に訪れたのは、19世紀のアーツ&クラフツ運動で知られるデザイナーであり詩人のウィリアム・モリス(William Morris)が「イングランドで最も美しい村」と称えたバイブリー(Bibury)。
ここには有名なマスの養殖場(Trout Farm)があり、マス料理は村の名物料理なんだそうです。養殖場も有料で見学できるようですが、興味がないので見学しませんでした。誰でも入れる養殖場の売店にはマスの加工食品だけでなく、ウィリアム・モリスに因んだお土産も数多く売られていました。
興味深かったのは、英国各地から訪れているであろう車が、まるで自動車の見本市の様相を呈していたこと。大衆車からポルシェのような高級スポーツカーまで、国籍もドイツ、フランス、イタリア、米国、日本、韓国まで揃いも揃ったり。
ライダーもグループで来ていて、日本メーカーのSUZUKIを何台か見かけました。単純ですが、海外で日本製品を見かけると何だか誇らしいですね(笑)。漢字で「隼」と書かれたバイクの持ち主に(漢字の横に"HAYABUSA"と書かれているので読み方は知っている)、「この文字は鳥の名前で、英語では"Falcon"ですよ」と教えてあげると、「へぇー、そうなんだ。初めて知ったよ。」と喜ばれました。
バイブリーにあるホテル。外壁の蔦の葉の紅葉が美しい…

自然の風景にも素朴な味わいがあり癒されます…右の写真の葉は直径50cm位あり、俗名が「貧乏人の傘」なんだとか…


家並みが本当に素敵です。しかし、古い家を大事に守りながら住み続けるのは、それなりに苦労がありそうです。観光客が大挙訪れて、プライベートの領域にズカズカと踏み込まれるのも嫌でしょうね。あるお宅の玄関口には英語と日本語で「ここは私有地です。立ち入り禁止」と言う貼紙まで。何だか恥ずかしいと言うか申し訳ないというか…

その愛らしさ、美しさに思わずシャッターを切ってしまったけれど、これも迷惑なのかな…

この無造作な石垣にも風情を感じます…



次に向かったのはボートン・オン・ザ・ウォーター(Bourton-on-the-Water)。この村は10年前に息子と訪れた場所。当時から大勢の観光客で賑わっていました。

村の中心をウィンドラッシュ川が流れ、「コッツウォルズのベネツィア」とも呼ばれているそうです。訪れたのが土曜日の午後とあってか、川縁でのんびり過ごしている人の姿が多く見かけられました。
10年前はここで、息子と二人バザー巡りをしたのを覚えています。家庭で使われていた台所道具や骨董品を見ているだけで楽しかったですね。また、当時お土産を買った店も残っていて、中に入ってみたのですが、オーナーが替わってしまったのか、内装も雰囲気も全く変わっていました。息子にメールしたら、息子もそこでレトロなデザインの小型ラジオを買ったことを覚えており、「懐かしいなあ」と返信して来ました。
今回、ツアーメンバーの殆どは添乗員さんと共に村のミニチュアが展示されている施設モデルヴィレッジ(鬼怒川の東武ワールド・スクエアのようなもの)へと向かったのですが、ここでも夫と私は一行とは別行動で、しばし川縁を散策の後、中央広場に面したカフェに入り、スコーン&紅茶セットのクリームティー(Cream Tea)を食べました。移動中のバスの中で添乗員さんが、ボートン・オン・ザ・ウォーターはおいしいクリームティーの店が沢山あると紹介していたからです。
面白いカップの置き方。これだけでも何だかワクワクします…


さきほどのガッカリ・アフタヌーン・ティーの後のお口直しと言っては何ですが、ほかほかスコーンにクロテッドクリームもジャムもバッチリ載って、ほっぺたが落ちそうなほど美味でした





団体ツアーとは言え、自由散策の時間は適度に放っておいてくれるので、こちらも自分のペースで過ごせて良かったです。カフェでのんびり過ごした後は集合場所の駐車場へ。この日の観光はこれで終わりで、6時過ぎにはホテルへ戻りました。
この日の夕食はホテルで。前菜は何か?のフライに少々の野菜。揚げたてだったので、おいしかったのは確か…食レポ写真も旅の疲れから雑になっています


メインはサーモンのバターソテーに温野菜添え。フツーにおいしかったです。この際、贅沢は言いません。

デザートはアイスクリーム3種。日本人にはちょっと量が多過ぎるかも。味は普通です。


夕食までに少し時間があったのでモリソンに行って、添乗員さんオススメのポテトチップスや紅茶を買いました。大量の商品を買い込んだお客でレジが混んでいたので、以前、テレビドラマの現代版『シャーロック・ホームズ』でワトソンが悪戦苦闘していた「自分でクレジットカードを使って清算する無人レジ」に挑戦してみました。
なんせ初めて使う機械。心配でしたが、ちゃんと店のスタッフが近くに控えていて、助けを求めればサポートしてくれます。なかなか面白い体験でした。しかし、何度も言いますが、為替レートで不利な日本人からすると、物価が高い(ポテトチップスのビッグパックが2£で、日本円で400円相当など…)!殆ど円換算で日本の倍の価格と考えて良いでしょう。

旅の3日目もこれにて終了。残すところあと2日です。
2015/10/17
英国旅行2日目 英国旅行(2010年春&2015初秋)
旅行2日目です。この日はちょっとタイトなスケジュール。1日で3カ所も巡ったのです。各々の場所が魅力的だっただけに、もう少しじっくり見たかったな、と言うのが正直な感想です。この「もう少し」が、再訪へのモチベーションになると思うのですが、今回ご一緒したツアーメンバーの中にも、「次回は個人で訪ねたいわね。いつかまた来られたら良いわね」と仰っている方が何人かおられました。私も同感です!
この日の最初の訪問地は
リヴァプール(Liverpool)
。あの20世紀のスーパーグループ、ビートルズ(The Beatles)が生まれた街です
私が英語に興味を持ったのも、中学時代、ほのかな恋心を抱いたクラスメイトが大のビートルズファンで、彼の影響で私もビートルズが好きになり、歌詞を必死に(笑)覚えたのがきっかけでした。
そして、夫もビートルズの大ファンで、彼の為にもかねがね訪れてみたいと思っていた場所でした!
ブリテン島西岸の小さな港町に過ぎなかったリヴァプールは、18世紀に入って米国のヴァージニア州や西インド諸島との交易により港湾都市として大きく発展し、大英帝国の発展にも寄与したと言われています。あの悲劇のタイタニック号もこの街で造られ、進水したのです。
『嵐が丘』のヒースクリフも、様々な国籍の様々な人種が行き交う19世紀のこの街で、キャサリンの父に拾われ、物語の舞台となる嵐が丘(Wuthering Heights)へ…
まずは英国国教会系の大聖堂としては世界最大と言われるリヴァプール大聖堂(Liverpool Cathedral)。巨大です…
敷地内からの撮影では、私のコンデジのフレームには到底納まりません
1904年に着工し、1978年に漸く完成したこの大聖堂の塔は101mの高さで、リヴァプールの街を一望できるそうです。

大聖堂の見事な祭壇彫刻。「キリスト磔刑」「最後の晩餐」など、福音書に記されたキリストの生涯から幾つかのエピソードが丹念に彫り込まれています。


次にビートルズゆかりのマシュー・ストリート(Mathew Street)へ。その一角にはファン垂涎の「ハード・デイズ・ナイト ホテル」が建っています。ホテル一階はビートルズ・ショップになっており、所狭しとグッズが陳列され、これまたファンにとっては堪らない場所になっています。

この店で、ビートルズの写真が刷り込まれたマグカップとマグネットを購入。夫には出来れば笑って欲しかった…緊張していたのか…

通り沿いにある、ビートルズが1961年2月9日、ライブ・デビューを飾ったキャバーンクラブ(Cavern Club)。と言ってもオリジナルは1973年に閉店しており、これは後年、元あった場所の隣に出来た新生キャバーン・クラブらしいです。

往年のキャバーン・クラブを紹介した記事がありました。『ビートルズ詳解』と言うサイトより。
キャバーン・クラブ開店

いかんせんフォト・ストップとも言うべき短い滞在だったので、外観を眺めただけの見学となりましたが、もし今後英国を訪ねる機会があれば、是非リヴァプールにも数日滞在して、ディープに楽しみたいですね。
リヴァプールは第二次世界大戦以降急速に廃れたらしいのですが、このビートルズの登場を契機に再び脚光を浴び、今では港湾地区(世界遺産)の再開発等で豊富な観光資源を有する観光スポットとして人気を集めているようです。
現地発着のツアーも多彩で、アルバート・ドック(Albert Dock)と呼ばれる港湾地区には、貿易都市として栄えたリヴァプールの歴史を今に伝えるマージーサイド海洋博物館や英国の現代アートを中心に展示するテート・ギャラリーに加えて、近年はビートルズ・ストーリーと言う施設も出来て、ファンならずとも楽しめる場所のようです。
夫はマシュー・ストリートに立つ若き日の、ちょっとふっくらとしたジョンと記念撮影です。
この後、次の訪問地への移動の途中で昼食を取りました。なかなか瀟洒なホテルのレストランでの昼食でした。
英国では団体客の場合も給仕がテーブルでまとめて飲み物の注文を取るのではなく、客がバーカウンターまで各自出向いて飲み物を買うシステムです。パブに倣った方式なんでしょうか?この方が注文も支払いもスムーズで時間もかからず合理的ですね。
今回、夫の為に地ビールを選んでみました。地ビールには珍しく飲み口軽やかなラガービールだったようです。
まずはサラダ。バルサミコ酢とオリーブで和えたグリーンサラダです。
レストランで出されるせいか、イギリス発祥のファースト・フード、フィッシュ&チップスも何だかおしゃれ(笑)。

20年前にロンドンの街角で買って食べたフィッシュ&チップスはいかにもファースト・フードと言う感じで、写真の2倍ほどの大きさの揚げたて熱々の魚フライに目の前でビネガーソースをたっぷりかけられ、山盛りフライドポテトと共に無造作に紙に包まれたのを、路上でフーフー言いながら食べた覚えがあります。味付けもボリュームも豪快でした(笑)。
10年前にはロンドンのテート・モダンの最上階?のレストランで食べたのですが、今回と同様にナイフとフォークで食べました。しかし、魚フライのサイズはやはり特大で、ポテトも食べきれないほど山盛りでした(笑)。一応レストランだったので、お値段もそれなりに高く(サービス料も含まれていたと思いますが、息子のチーズバーガーと瓶入りの水も合わせて、日本円で5000円相当でした。尤も値段に関しては為替レートの問題ですかね?)、ちょっと驚いたのを覚えています。
それらからすると、今回のフィッシュ&チップスは量や味付け共にかなり日本人向けにアレンジされているように感じます。これが本場の味と言えるかどうかはともかく、とても美味しくいただけました。
デザートはフルーツのコンポート。フツーに美味しかったです。

そして次の訪問地、チェスター(Chester)です。
チェスターはその歴史がローマ時代まで遡る城砦都市で、今でも古い城壁に囲まれた中世の建築様式を留める旧市街の街並みが美しいことで知られているようです。
写真でも分かる通り、白壁に黒い梁の木組みの建物が端正で、イングランドで最も中世の面影を残す街と言われているそうです。ツアーメンバーの中からは「ドイツの街並みに似ているわ」との声も聞かれました。
私も街に足を踏み入れた途端、タイムスリップしたような感覚に襲われました。
しかし、ザ・クロスと呼ばれる地点を中心に東西南北に広がる目抜き通りロウズ(Raws)を歩いていると、伝統建築の中に骨董店に混じってイマドキのショップが軒を並べていて、新旧のコントラストが面白かったです。
この日は金曜日。週末の午後とあって、犬を連れて散歩中の人やベビーカーを押した若い母親、そして家族連れなど地元の人々と、私達のような国内外からの観光客とで、通りは賑わっていました。
骨董店で19世紀の素敵な版画を見つけたのですが、判断に迷って買うに至らず…ここももっとゆっくり見たかったな…

繊細な装飾が施された時計台。背景の晴れ上がった青空が、その美しさを一層際立たせています。

白い矢印の部分が、旧市街を取り囲む城壁です。本来なら幾つかのポイントから階段で城壁に上り旧市街を一望できるらしいのですが、現在は工事中で城壁の上を歩くことは叶いませんでした。残念

城壁の外側にあった郵便局前のポスト。何となく気になったのでパチリ
日本の赤い郵便ポストのルーツ?!


次は2日目最後の訪問地、世界遺産のポントカサステの水道橋(Pontcysyllte Aquadact)です。
Pontcysyllte Aquadact
バス移動は効率よく各地を回れるのが利点ですが、私達はバスに乗っているだけなので、いま一つ位置感覚が掴めないのがデメリットと言えるでしょうか?
ポントカサステは今回のツアーで唯一イングランドから離れて、ウェールズ地方に入った観光ポイントです。ウェールズでも北に位置するようで、チェスターからは1時間ほどで到着。
産業革命後、英国では石炭を運ぶ為に開発されたナローボート(A Narrow Boat;その名の通り幅は約2.1mと狭いですが、長さは短い物で5m、長い物は25mも!)が運河を通って、各地へと石炭を運んだと言われていますが、ウェールズ地方のような起伏の激しい地域では運河建設もままなりませんでした。そこで考案されたのが橋の上にボートを通す水道橋です。
係留されたナローボート。

中でもポントカサステの水道橋は「英国で最も長く高い水道橋」として知られ、全長約300m、高さ約38m(マンションだと14階建て程度の高さ
)を誇る、建造された1805年当時の土木技術の粋を集めた橋でした。
設計したのは英国の"土木の父"と呼ばれるトーマス・テルフォード(1757-1834)。彼は石工職から独学で土木、建築学を学び、産業革命期に数々の道路や橋を手がけ、後に初代英国土木学会会長となった人物です。
左の写真は、テルフォードの生誕250年を祝して建てられた記念碑のようです。
運河の横には船引き道があり、徒歩で渡れます。私は橋の向こう側まで行き着いたのですが、怖がりの夫は途中で引き返してしまいました。ここでも中国人の団体に遭遇。やっと人が行き交える程度の幅なのに道を譲ってくれない人もいて困りました。

橋からの眺め。絶景なり。

農場…かな?

遥か遠くに別の橋が見えます。

橋の向こう側に到着。橋桁を見てみます。

元来た道を戻ります。ひたすら300m歩きます。この橋を年間1万台以上のナローボートが通過するそうです。ボートを自ら運転して橋を渡るツアーもあるらしい。

無事?到着。何よりそのスケールの大きさに圧倒されたので、橋を往復した後は思わずホッとしました。ウェールズの雄大な自然と、産業革命期の英国の土木技術の高さを体感できて、素晴らしい経験でした。
おそらく私の拙い写真では、その時の感動の半分も伝えられないと思います。多くの方々に機会があれば、是非、足を運んでいただきたい場所です。

この日の夕食は、次の宿泊地で英国第二の都市バーミンガム(Birmingham)の中心街にあるレストランパブ、「バッカス・バー(Bacchus Bar)」にて。途中、交通渋滞に巻き込まれたり、道に迷ったり?で、予定より1時間半も遅れてスタート。

まずは野菜サラダ。

メインディッシュはローストチキンを濃厚なグレイビーソースで。胸肉のパサパサ感が…
…もう少し何とかならなかったのかしら?

デザートのアップルパイは美味でした。

ローストチキンの味はともかく、このレストランパブ、当地でも人気店らしく、週末の夜、足の踏み場もないほど大勢の人で賑わう店の雰囲気は最高でした(やはり、ここでも若いスタッフがキビキビと働く姿が印象的でした)。

この日は特別にジャズの生演奏も。現地の人の話では、サックス奏者が英国でも期待の若手で、今後世界的に有名になるだろうとのこと。そんな人の生演奏を間近で聴けたなんて、ちょっと得した気分です。高揚感がなせる業なのか、帰り際には言葉を交わした見知らぬ現地の人と、なぜかハイタッチして別れました(笑)。
以前、ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンと上原ひろみのデュオ・リサイタルを東京国際フォーラムの大ホールで聴いたことがあるのですが、ジャズはやっぱりパブやバーのような所で聴くものなんだなと思いました。場の雰囲気って大切ですね。

食事を終えて帰る道すがら、車窓から見えるパブはどの店も大勢の人で賑わっていました。思いがけず都市に住む英国人の週末の過ごし方を目撃できて、興味深かったです。




私が英語に興味を持ったのも、中学時代、ほのかな恋心を抱いたクラスメイトが大のビートルズファンで、彼の影響で私もビートルズが好きになり、歌詞を必死に(笑)覚えたのがきっかけでした。
そして、夫もビートルズの大ファンで、彼の為にもかねがね訪れてみたいと思っていた場所でした!
ブリテン島西岸の小さな港町に過ぎなかったリヴァプールは、18世紀に入って米国のヴァージニア州や西インド諸島との交易により港湾都市として大きく発展し、大英帝国の発展にも寄与したと言われています。あの悲劇のタイタニック号もこの街で造られ、進水したのです。
『嵐が丘』のヒースクリフも、様々な国籍の様々な人種が行き交う19世紀のこの街で、キャサリンの父に拾われ、物語の舞台となる嵐が丘(Wuthering Heights)へ…
まずは英国国教会系の大聖堂としては世界最大と言われるリヴァプール大聖堂(Liverpool Cathedral)。巨大です…



大聖堂の見事な祭壇彫刻。「キリスト磔刑」「最後の晩餐」など、福音書に記されたキリストの生涯から幾つかのエピソードが丹念に彫り込まれています。



次にビートルズゆかりのマシュー・ストリート(Mathew Street)へ。その一角にはファン垂涎の「ハード・デイズ・ナイト ホテル」が建っています。ホテル一階はビートルズ・ショップになっており、所狭しとグッズが陳列され、これまたファンにとっては堪らない場所になっています。

この店で、ビートルズの写真が刷り込まれたマグカップとマグネットを購入。夫には出来れば笑って欲しかった…緊張していたのか…

通り沿いにある、ビートルズが1961年2月9日、ライブ・デビューを飾ったキャバーンクラブ(Cavern Club)。と言ってもオリジナルは1973年に閉店しており、これは後年、元あった場所の隣に出来た新生キャバーン・クラブらしいです。

往年のキャバーン・クラブを紹介した記事がありました。『ビートルズ詳解』と言うサイトより。



リヴァプールは第二次世界大戦以降急速に廃れたらしいのですが、このビートルズの登場を契機に再び脚光を浴び、今では港湾地区(世界遺産)の再開発等で豊富な観光資源を有する観光スポットとして人気を集めているようです。
現地発着のツアーも多彩で、アルバート・ドック(Albert Dock)と呼ばれる港湾地区には、貿易都市として栄えたリヴァプールの歴史を今に伝えるマージーサイド海洋博物館や英国の現代アートを中心に展示するテート・ギャラリーに加えて、近年はビートルズ・ストーリーと言う施設も出来て、ファンならずとも楽しめる場所のようです。
夫はマシュー・ストリートに立つ若き日の、ちょっとふっくらとしたジョンと記念撮影です。
この後、次の訪問地への移動の途中で昼食を取りました。なかなか瀟洒なホテルのレストランでの昼食でした。

今回、夫の為に地ビールを選んでみました。地ビールには珍しく飲み口軽やかなラガービールだったようです。
まずはサラダ。バルサミコ酢とオリーブで和えたグリーンサラダです。
レストランで出されるせいか、イギリス発祥のファースト・フード、フィッシュ&チップスも何だかおしゃれ(笑)。

20年前にロンドンの街角で買って食べたフィッシュ&チップスはいかにもファースト・フードと言う感じで、写真の2倍ほどの大きさの揚げたて熱々の魚フライに目の前でビネガーソースをたっぷりかけられ、山盛りフライドポテトと共に無造作に紙に包まれたのを、路上でフーフー言いながら食べた覚えがあります。味付けもボリュームも豪快でした(笑)。
10年前にはロンドンのテート・モダンの最上階?のレストランで食べたのですが、今回と同様にナイフとフォークで食べました。しかし、魚フライのサイズはやはり特大で、ポテトも食べきれないほど山盛りでした(笑)。一応レストランだったので、お値段もそれなりに高く(サービス料も含まれていたと思いますが、息子のチーズバーガーと瓶入りの水も合わせて、日本円で5000円相当でした。尤も値段に関しては為替レートの問題ですかね?)、ちょっと驚いたのを覚えています。
それらからすると、今回のフィッシュ&チップスは量や味付け共にかなり日本人向けにアレンジされているように感じます。これが本場の味と言えるかどうかはともかく、とても美味しくいただけました。
デザートはフルーツのコンポート。フツーに美味しかったです。


チェスターはその歴史がローマ時代まで遡る城砦都市で、今でも古い城壁に囲まれた中世の建築様式を留める旧市街の街並みが美しいことで知られているようです。
写真でも分かる通り、白壁に黒い梁の木組みの建物が端正で、イングランドで最も中世の面影を残す街と言われているそうです。ツアーメンバーの中からは「ドイツの街並みに似ているわ」との声も聞かれました。
私も街に足を踏み入れた途端、タイムスリップしたような感覚に襲われました。
しかし、ザ・クロスと呼ばれる地点を中心に東西南北に広がる目抜き通りロウズ(Raws)を歩いていると、伝統建築の中に骨董店に混じってイマドキのショップが軒を並べていて、新旧のコントラストが面白かったです。
この日は金曜日。週末の午後とあって、犬を連れて散歩中の人やベビーカーを押した若い母親、そして家族連れなど地元の人々と、私達のような国内外からの観光客とで、通りは賑わっていました。
骨董店で19世紀の素敵な版画を見つけたのですが、判断に迷って買うに至らず…ここももっとゆっくり見たかったな…

繊細な装飾が施された時計台。背景の晴れ上がった青空が、その美しさを一層際立たせています。

白い矢印の部分が、旧市街を取り囲む城壁です。本来なら幾つかのポイントから階段で城壁に上り旧市街を一望できるらしいのですが、現在は工事中で城壁の上を歩くことは叶いませんでした。残念


城壁の外側にあった郵便局前のポスト。何となく気になったのでパチリ



次は2日目最後の訪問地、世界遺産のポントカサステの水道橋(Pontcysyllte Aquadact)です。

バス移動は効率よく各地を回れるのが利点ですが、私達はバスに乗っているだけなので、いま一つ位置感覚が掴めないのがデメリットと言えるでしょうか?
ポントカサステは今回のツアーで唯一イングランドから離れて、ウェールズ地方に入った観光ポイントです。ウェールズでも北に位置するようで、チェスターからは1時間ほどで到着。
産業革命後、英国では石炭を運ぶ為に開発されたナローボート(A Narrow Boat;その名の通り幅は約2.1mと狭いですが、長さは短い物で5m、長い物は25mも!)が運河を通って、各地へと石炭を運んだと言われていますが、ウェールズ地方のような起伏の激しい地域では運河建設もままなりませんでした。そこで考案されたのが橋の上にボートを通す水道橋です。
係留されたナローボート。



設計したのは英国の"土木の父"と呼ばれるトーマス・テルフォード(1757-1834)。彼は石工職から独学で土木、建築学を学び、産業革命期に数々の道路や橋を手がけ、後に初代英国土木学会会長となった人物です。
左の写真は、テルフォードの生誕250年を祝して建てられた記念碑のようです。
運河の横には船引き道があり、徒歩で渡れます。私は橋の向こう側まで行き着いたのですが、怖がりの夫は途中で引き返してしまいました。ここでも中国人の団体に遭遇。やっと人が行き交える程度の幅なのに道を譲ってくれない人もいて困りました。

橋からの眺め。絶景なり。

農場…かな?

遥か遠くに別の橋が見えます。

橋の向こう側に到着。橋桁を見てみます。

元来た道を戻ります。ひたすら300m歩きます。この橋を年間1万台以上のナローボートが通過するそうです。ボートを自ら運転して橋を渡るツアーもあるらしい。

無事?到着。何よりそのスケールの大きさに圧倒されたので、橋を往復した後は思わずホッとしました。ウェールズの雄大な自然と、産業革命期の英国の土木技術の高さを体感できて、素晴らしい経験でした。
おそらく私の拙い写真では、その時の感動の半分も伝えられないと思います。多くの方々に機会があれば、是非、足を運んでいただきたい場所です。

この日の夕食は、次の宿泊地で英国第二の都市バーミンガム(Birmingham)の中心街にあるレストランパブ、「バッカス・バー(Bacchus Bar)」にて。途中、交通渋滞に巻き込まれたり、道に迷ったり?で、予定より1時間半も遅れてスタート。

まずは野菜サラダ。

メインディッシュはローストチキンを濃厚なグレイビーソースで。胸肉のパサパサ感が…


デザートのアップルパイは美味でした。

ローストチキンの味はともかく、このレストランパブ、当地でも人気店らしく、週末の夜、足の踏み場もないほど大勢の人で賑わう店の雰囲気は最高でした(やはり、ここでも若いスタッフがキビキビと働く姿が印象的でした)。

この日は特別にジャズの生演奏も。現地の人の話では、サックス奏者が英国でも期待の若手で、今後世界的に有名になるだろうとのこと。そんな人の生演奏を間近で聴けたなんて、ちょっと得した気分です。高揚感がなせる業なのか、帰り際には言葉を交わした見知らぬ現地の人と、なぜかハイタッチして別れました(笑)。
以前、ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンと上原ひろみのデュオ・リサイタルを東京国際フォーラムの大ホールで聴いたことがあるのですが、ジャズはやっぱりパブやバーのような所で聴くものなんだなと思いました。場の雰囲気って大切ですね。

食事を終えて帰る道すがら、車窓から見えるパブはどの店も大勢の人で賑わっていました。思いがけず都市に住む英国人の週末の過ごし方を目撃できて、興味深かったです。
2015/10/16
おしゃべりテッド2が当選♪ 日々のよしなしごと
今日は朝から美術館だったのですが、
先ほど自宅に戻って来たら、
宅急便で写真のテッドが届きました。
ビックリです


いつも映画館に行く度に、
展示されていたコスプレ・テッドの身体を
撫で撫でしていたのですが(映画館の皆さん、ごめんなさい
)、
その止みがたいテッドへの愛情
が配給会社さんに通じたのか…?
これは映画「テッド2」公開記念で配給会社が企画した
「コスプレなオレあげちゃう!!キャンペーン」で当選したもの。
左手にあるボタンを押すと、卑猥な英語の台詞をしゃべります。
しかも台詞に合わせて口も動くので、本物のテッドみたいです。
体長も16インチ(約40cm)と結構大きいです(存在感あり過ぎ…
)。
それにしても、我が家はクマだらけです。
人間より圧倒的にクマの数が多い。
ハハハ…
先ほど自宅に戻って来たら、
宅急便で写真のテッドが届きました。
ビックリです



いつも映画館に行く度に、
展示されていたコスプレ・テッドの身体を
撫で撫でしていたのですが(映画館の皆さん、ごめんなさい

その止みがたいテッドへの愛情

これは映画「テッド2」公開記念で配給会社が企画した
「コスプレなオレあげちゃう!!キャンペーン」で当選したもの。
左手にあるボタンを押すと、卑猥な英語の台詞をしゃべります。
しかも台詞に合わせて口も動くので、本物のテッドみたいです。
体長も16インチ(約40cm)と結構大きいです(存在感あり過ぎ…

それにしても、我が家はクマだらけです。
人間より圧倒的にクマの数が多い。
ハハハ…

2015/10/13
英国旅行1日目 英国旅行(2010年春&2015初秋)
時差ボケも漸く解消しつつあるので、ここで旅行記をまとめたいと思います。このところ旅行記は写真の編集の段階で挫折してしまうことが多いので
、最後まで行き着けるのか正直不安なところですが、ぼちぼち写真をアップしつつ、書き留めて行こうと思います。
6泊8日の旅と言っても、現地での観光は実質5日間。今回はその1日目です。私達はマンチェスター郊外の住宅地に建つホテルに宿泊。最初に訪れたのが、寡作ながら強烈な印象を残す作品で、近代英文学史にその名を留めるブロンテ姉妹ゆかりの地ハワース(Haworth)です。
私個人は一昨年、英文学の講座を受講して『嵐が丘』が書かれた時代背景を学び、さらに旅行の直前には夫婦で2009年制作、トム・ハーディ主演のテレビドラマ『嵐が丘』を予習(復習?)がてら見て、そのイメージを頭に焼きつけつつ、当地に降り立ったのでした。
実は今から20年以上も前に初めて英国を訪れた時に、私達家族(当時息子は1歳半。私も20代の若さでした!)はエジンバラ(Edinburgh)のホテル(その時は身分不相応にも、当地の最高級ホテル、バルモラルホテルに宿泊
)からレンタカーで、カーナビもない時代ガイドブックの地図だけを頼りに当地に向かったのですが、なぜかさらに南のリーズ(Leeds)まで行ってしまい(その時、リーズの路上を、日本人女性らしきバックパッカーが一人とぼとぼと歩いていたのを今でも覚えています。自分も道に迷って疲れていたから、彼女にシンパシーを感じたのか…)、途中で車もエンストしてしまう等トラブル続きで、当地に着いた時にはブロンテ姉妹の博物館も閉館した後でした。
その無念を晴らすべく、今回このツアーに参加したのですが、いかんせん時間が限られていて、『嵐が丘』の舞台であるヒースの丘を見る余裕などなく、博物館とブロンテ姉妹の父が牧師を務めていたパリッシュ教会を見学するので精一杯でした。それでも満足です!ブロンテ姉妹には興味のない?ツアー一行から離れて、私達夫婦だけ入館料(一人7.5£)を払い、かつては牧師館で、姉妹も住んでいたと言う博物館を見学したのですが、その質素な佇まいと、姉妹ゆかりの品々に、シゃーロットとエミリ姉妹の人となりがわずかながらも理解できたような気がしました(館内は撮影禁止です)。
ブロンテ博物館(The Bronte Parsonage Museum)


ハワース・パリッシュ教会(Haworth Parish Church)

ブロンテ姉妹存命時の建築物は塔のみだそうですが、教会内にはブロンテ一族の没年月日を記した石版も残っています。石版の撮影を試みたのですが、結果はピンボケでアップできない状態。残念!
下の写真は、歴代の教会の牧師の名と着任の年が刻まれた金属板なのですが、ブロンテ姉妹の父であるパトリック・ブロンテ牧師の名前もしっかりと刻まれています。1820と言う数字もうっすらと見えます。
この教会は、その佇まいも、窓を彩るステンドグラスも素敵でした。ブロンテ姉妹ファンなら是非訪れてみたい場所ですね。

この後、ツアー一行は風光明媚な湖水地方(Lake District)へと向かいました。
こちらも私達にとっては約20年ぶりの再訪。中東駐在時、日本への帰国が決まって最後に訪れたのがこの場所でした。
その時は当地の家庭的なゲストハウスに3泊しました。当時は予約なしに訪れて、ツーリスト・インフォメーションで宿を紹介して貰うなど、観光地化の進んだ現在と比べると、かなりのんびりしたものでした。
今回、夏の観光シーズンを過ぎてもなお多くの観光客で賑わう当地の姿には、すこし驚きました
この分だと、夏はどれほどの人出なのやら…
左の写真はランチを食べたレストラン、The Lamplighter Dining-rooms Bar-Restaurant。古い石造りの建物が、雲ひとつない真っ青な空に映えます。
今回のツアーは幸いなことに、最終日のロンドンを除き、比較的天候に恵まれたツアーとなりました。英国は1日の内に四季があると言われますが、確かにバスでの移動中、曇天、にわか雨、霧と目まぐるしく天気が変わるのを目の当たりにしたのですが、なぜか降車時にはカラッと晴れ上がることが多かったように思います。
「この時期にこんなに安定した天候は珍しい。これも皆さんの日頃の行いが良いからだ」と、添乗員さんが繰り返し言われていましたが、果たして、どなたのおかげだったのでしょうか?
湖水地方到着はちょうどお昼どき。この日のランチは裏ごししたカボチャの素朴なスープとパンに、メインは鱒のソテー、グリーンサラダ添え。味が物足りない方には醤油を用意していますとの添乗員さんのお言葉でしたが、私は塩コショウで十分おししくいただけました。きちんと小骨の処理もされていて、昨年、スロバキアで食べた鱒よりずっと食べやすく、身も柔らかく美味しかったような気がします。
さらに今回ツアーを通して感じたのは、パンのおいしさ
どこの店のパンも美味でした。


スクランブルエッグや目玉焼き、ソーセージにカリカリベーコン、マッシュルームやトマトのソテー、そしてベイクドビーンズと言ったホットミールに、フレッシュジュース、ヨーグルト、ホリッジ、シリアル、トーストやパン、さらに食後にはミルクティーかコーヒーが付く、ボリューミィなイングリッシュ・ブレックファストを朝しっかり食べて来たので、ランチはこの程度の量で十分ですね。それでも若い子には物足りないかもしれないけれども…。
ランチの後は1時間程度の自由散策。あれこれ見学するには中途半端な時間なので、ピーターラビットのみやげ物屋さんを覗いたり、ちょっとお行儀は悪いですがアイスクリームを買って食べながら歩いて、集合場所の桟橋へ。そこから船に乗って約40分間のウィンダミア湖遊覧です。

下の写真は今回乗った船。100人位乗れるでしょうか?私達を含め殆どの乗客は時間通りに乗船したのですが、中国人ツアー客のグループが10分余り遅れて乗船。船のスタッフが急げと手招きしているのに、我関せずとばかりにゆっくり歩いて来るのには、待たされている客全員が呆れ&怒りモードでした
船も次のクルーズがあるので、どうも後半はスピードを上げて航行した模様。こちらはたっぷり遊覧を楽しみたかったのに、乗船時間は35分足らずに。約束の時間に遅れる人は、本当に他人の「時間泥棒」ですね。しかも、降りる時には人を押しのけて我先に降りるという有様。ここでまた彼らは、他の乗客から顰蹙を買ったのでした。

前回の旅では湖上遊覧をしなかったので、私達は今回の遊覧をとても楽しみにしていました。午後4時過ぎから始まった湖上遊覧。湖上を渡る風は少し冷たかったけれど(添乗員さんからは事前に、この日の服装は冬仕様でと言われていました。寒がりの夫はダウンジャケットを着込んで…)、展望デッキに腰掛け、のんびり景色を眺めるのはとても気持ちの良いものでした。

湖岸には数多くのヨットが係留されていました。湖畔には別荘も多いようです。

楽しい遊覧ももうすぐ終わりです。湖畔の木々も徐々に色づいて、秋の気配を感じさせます。

この日の夕食はホテルで。写真を撮り忘れたのですが、ちょっとした前菜の後にビーフシチュー、ポテト添え。デザートはパン・プディング?私はペロリと平らげたのですが、同じテーブルの30代?と40代?の女性は、もうお腹いっぱいで食べきれないわと、ビーフシチューもプディングも3分の1ほど残していました。どこまでも食いしん坊な私?!味はそれほどおいしくもなく、かと言って不味くもなく、と言ったところ。


宿泊したホテルは本当に住宅街の中にあって、周囲の環境は閑静そのもの。緑豊かで空気が美味しい。住所としてはマンチェスター(Manchester)だけれど、マンチェスターと言えば、サッカーチームのマンチェスター・ユナイテッドと、そこに所属していたディビッド・ベッカムしか思い浮かびません。

ドアに貼られたホテルの間取り図を見ると、たまたま端の私達の部屋だけ他のツアーメンバーの部屋と比べ若干狭く、スーツケースを開けるスペースにも事欠いたのが残念でした。こればかりは運なので仕方ありません。
さて、今回もくまごろう兄弟の末っ子マシューを旅のお伴に。慣れない長旅にマシューもちょっとお疲れ気味です。

何だかんだ言って(些細なトラブルはどれも想定内)、初日を無事に、ブロンテ姉妹のゆかりの地を訪ねると言う所期の目的も達成して、満足のうちに終えたのでした。

6泊8日の旅と言っても、現地での観光は実質5日間。今回はその1日目です。私達はマンチェスター郊外の住宅地に建つホテルに宿泊。最初に訪れたのが、寡作ながら強烈な印象を残す作品で、近代英文学史にその名を留めるブロンテ姉妹ゆかりの地ハワース(Haworth)です。
私個人は一昨年、英文学の講座を受講して『嵐が丘』が書かれた時代背景を学び、さらに旅行の直前には夫婦で2009年制作、トム・ハーディ主演のテレビドラマ『嵐が丘』を予習(復習?)がてら見て、そのイメージを頭に焼きつけつつ、当地に降り立ったのでした。
実は今から20年以上も前に初めて英国を訪れた時に、私達家族(当時息子は1歳半。私も20代の若さでした!)はエジンバラ(Edinburgh)のホテル(その時は身分不相応にも、当地の最高級ホテル、バルモラルホテルに宿泊

その無念を晴らすべく、今回このツアーに参加したのですが、いかんせん時間が限られていて、『嵐が丘』の舞台であるヒースの丘を見る余裕などなく、博物館とブロンテ姉妹の父が牧師を務めていたパリッシュ教会を見学するので精一杯でした。それでも満足です!ブロンテ姉妹には興味のない?ツアー一行から離れて、私達夫婦だけ入館料(一人7.5£)を払い、かつては牧師館で、姉妹も住んでいたと言う博物館を見学したのですが、その質素な佇まいと、姉妹ゆかりの品々に、シゃーロットとエミリ姉妹の人となりがわずかながらも理解できたような気がしました(館内は撮影禁止です)。
ブロンテ博物館(The Bronte Parsonage Museum)


ハワース・パリッシュ教会(Haworth Parish Church)



下の写真は、歴代の教会の牧師の名と着任の年が刻まれた金属板なのですが、ブロンテ姉妹の父であるパトリック・ブロンテ牧師の名前もしっかりと刻まれています。1820と言う数字もうっすらと見えます。
この教会は、その佇まいも、窓を彩るステンドグラスも素敵でした。ブロンテ姉妹ファンなら是非訪れてみたい場所ですね。

この後、ツアー一行は風光明媚な湖水地方(Lake District)へと向かいました。

その時は当地の家庭的なゲストハウスに3泊しました。当時は予約なしに訪れて、ツーリスト・インフォメーションで宿を紹介して貰うなど、観光地化の進んだ現在と比べると、かなりのんびりしたものでした。
今回、夏の観光シーズンを過ぎてもなお多くの観光客で賑わう当地の姿には、すこし驚きました

左の写真はランチを食べたレストラン、The Lamplighter Dining-rooms Bar-Restaurant。古い石造りの建物が、雲ひとつない真っ青な空に映えます。
今回のツアーは幸いなことに、最終日のロンドンを除き、比較的天候に恵まれたツアーとなりました。英国は1日の内に四季があると言われますが、確かにバスでの移動中、曇天、にわか雨、霧と目まぐるしく天気が変わるのを目の当たりにしたのですが、なぜか降車時にはカラッと晴れ上がることが多かったように思います。
「この時期にこんなに安定した天候は珍しい。これも皆さんの日頃の行いが良いからだ」と、添乗員さんが繰り返し言われていましたが、果たして、どなたのおかげだったのでしょうか?
湖水地方到着はちょうどお昼どき。この日のランチは裏ごししたカボチャの素朴なスープとパンに、メインは鱒のソテー、グリーンサラダ添え。味が物足りない方には醤油を用意していますとの添乗員さんのお言葉でしたが、私は塩コショウで十分おししくいただけました。きちんと小骨の処理もされていて、昨年、スロバキアで食べた鱒よりずっと食べやすく、身も柔らかく美味しかったような気がします。
さらに今回ツアーを通して感じたのは、パンのおいしさ




ランチの後は1時間程度の自由散策。あれこれ見学するには中途半端な時間なので、ピーターラビットのみやげ物屋さんを覗いたり、ちょっとお行儀は悪いですがアイスクリームを買って食べながら歩いて、集合場所の桟橋へ。そこから船に乗って約40分間のウィンダミア湖遊覧です。

下の写真は今回乗った船。100人位乗れるでしょうか?私達を含め殆どの乗客は時間通りに乗船したのですが、中国人ツアー客のグループが10分余り遅れて乗船。船のスタッフが急げと手招きしているのに、我関せずとばかりにゆっくり歩いて来るのには、待たされている客全員が呆れ&怒りモードでした

船も次のクルーズがあるので、どうも後半はスピードを上げて航行した模様。こちらはたっぷり遊覧を楽しみたかったのに、乗船時間は35分足らずに。約束の時間に遅れる人は、本当に他人の「時間泥棒」ですね。しかも、降りる時には人を押しのけて我先に降りるという有様。ここでまた彼らは、他の乗客から顰蹙を買ったのでした。

前回の旅では湖上遊覧をしなかったので、私達は今回の遊覧をとても楽しみにしていました。午後4時過ぎから始まった湖上遊覧。湖上を渡る風は少し冷たかったけれど(添乗員さんからは事前に、この日の服装は冬仕様でと言われていました。寒がりの夫はダウンジャケットを着込んで…)、展望デッキに腰掛け、のんびり景色を眺めるのはとても気持ちの良いものでした。

湖岸には数多くのヨットが係留されていました。湖畔には別荘も多いようです。

楽しい遊覧ももうすぐ終わりです。湖畔の木々も徐々に色づいて、秋の気配を感じさせます。

この日の夕食はホテルで。写真を撮り忘れたのですが、ちょっとした前菜の後にビーフシチュー、ポテト添え。デザートはパン・プディング?私はペロリと平らげたのですが、同じテーブルの30代?と40代?の女性は、もうお腹いっぱいで食べきれないわと、ビーフシチューもプディングも3分の1ほど残していました。どこまでも食いしん坊な私?!味はそれほどおいしくもなく、かと言って不味くもなく、と言ったところ。


宿泊したホテルは本当に住宅街の中にあって、周囲の環境は閑静そのもの。緑豊かで空気が美味しい。住所としてはマンチェスター(Manchester)だけれど、マンチェスターと言えば、サッカーチームのマンチェスター・ユナイテッドと、そこに所属していたディビッド・ベッカムしか思い浮かびません。

ドアに貼られたホテルの間取り図を見ると、たまたま端の私達の部屋だけ他のツアーメンバーの部屋と比べ若干狭く、スーツケースを開けるスペースにも事欠いたのが残念でした。こればかりは運なので仕方ありません。
さて、今回もくまごろう兄弟の末っ子マシューを旅のお伴に。慣れない長旅にマシューもちょっとお疲れ気味です。

何だかんだ言って(些細なトラブルはどれも想定内)、初日を無事に、ブロンテ姉妹のゆかりの地を訪ねると言う所期の目的も達成して、満足のうちに終えたのでした。
2015/10/9
英国に行って来ました♪ 英国旅行(2010年春&2015初秋)

去る9月30日(水)から10月7日(水)まで、英国旅行に行って来ました。当初、夏休みはイタリア行きを考えていたのですが、私が好きなブロンテ姉妹ゆかりの地ハワースが訪問に組み込まれたツアーを見つけたので、行き先を英国へと変更しました。
私は約10年ぶり、夫はなんと約20年ぶりの英国再訪でしたが、特色ある地方と世界に冠たる大都市ロンドンの魅力はさすがで、さらにツアーメンバーにも恵まれ、とても楽しい旅行となりました。日本に戻って来て3日が経ちましたが、早くも次の再訪を考えています(笑)。とは言っても、いつのことになるのやら…
最終日の自由行動で、ロンドンのリージェント・ストリート等で買い物をしました。そのひとつが、写真のテディベア。今年で創業255年を数えるおもちゃ店ハムレイズ(Hamleys)のオリジナル商品で、帰国後、HPで調べてみたら"PECAN"と言う名前のベアでした。リボン、首から下げた合皮製のタグ、足の裏、そして、お尻の部分に"HAMLEYS"のロゴ。すごく可愛いです。
ハムレイズは、7階建てのビルの殆どが世界中のおもちゃで埋め尽くされているおもちゃの殿堂。時間の都合上、1階しか見られなかったのですが、テディベアのコーナーは店に入ってすぐ左手にあり、大小さまざまなベアが陳列されていました。その中から、大きさ、手触り、顔つき、そして価格で選りすぐったのが、栗色のベア。
帰国後、地方にいる息子にもその写真を送り、二人で相談して、3つの候補の中からパウロと名付けました。「パウロ」は現在私が読んでいる曽野綾子さんの著書『心に迫るパウロの言葉』に因んだもの。息子には何の先入観を与えずに3つの候補名を挙げたのですが、彼が私の希望通りの名前を選んでくれて良かった。
ハムレイズはとにかく楽しいところ。ちょっとしたテーマパークのようなノリで、子どもも大人も、そしてそこで働く店員さんも、とても楽しそう!今頃後悔しても遅いのですが、店内の様子を写真に収めておけば良かった…ちょっと慌しくて、写真を撮る余裕がなかったんですよね。
印象的だったのは、店員さんが皆さん生き生きと働いていたこと。私と夫がテディベアをじっくり真剣に品定めしていたところ、「おお、じっくり選んでいるんだね。これから大事な家族になるんだものね。」と陽気に話しかけて来ました。そしてレジへと案内しながら「今日はどうだい?」と聞くので「まあまあね」と応えたら、「この子に出会えたんだからHAPPYな日だよ」と返して来ました。とにかくノリが良い。心からの笑顔が素敵。きっと心から自分の仕事を楽しんでいるのでしょう。
宿泊したホテルのフロントの女性はルーマニア人、そして、ハムレイズの後に行ったオースチン・リード(AUSTIN REED)のレジの女性はブラジル人と、世界中から若者が仕事を求めてロンドンに来ているようです。憧れの街で仕事を得た自信からなのか、とにかく彼女達の笑顔が素敵でした。もしかしたら、ハムレイズの陽気な黒人青年の店員も海外出身なのかもしれません。
彼らに比べると、日本の若者はどうなんだろう?仕事場で、特に接客業で、心からの笑顔に出会ったことは殆どないような気がします。あまり仕事を楽しんでいるようには見えない。
とにかく、ロンドンで出会った若者達がキビキビと楽しげに働く姿が、強く印象に残っています。

日曜日の昼下がり。バース(Bath)のエイヴォン川沿いにある公園にて…