2015/9/30

これから遅めの夏休みで旅行です♪  携帯電話から投稿

こんにちは!

今日、これから夫婦で旅行に行って来ます。

暫くブログは更新できないかもしれません。

時間があれば、旅先からトライしてみます。

はなこ

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2015/9/22

今日もいろいろなことがあった…  日々のよしなしごと

 別に私の方で呼び寄せているわけではないけれど、バス停ではいろいろと気になる人と出会う(別に気にしなければ良いだけの話かもしれないが…)

 今日は、私と夫がバス停に到着すると、前に並んでいた若い男性が、健康増進法で禁煙が定められているはずのバス停で、堂々とタバコを吸っていた。

 後ろに並んで立つや否や、風下の私のところにはタバコの煙が漂っていて、鼻がムズムズするほどだった。

 バス停の看板には、かなりハッキリと朱字で禁煙と書いてある。明らかに確信犯の男性に向かって、私は「バス停は禁煙です」と、努めて冷静に言った。

 最初、男性は私を無視して、目も合わせようとしなかった。私はめげずに再び男性に向かって「バス停は禁煙です」と言った。

 件の男性は今度はチラッと私の方を見た。見たが相変わらずタバコを口に咥えたまま煙をくゆらせている。男性の傍らにいる彼女と思しき若い女性は、背中を向けたままだ。

 私はなおも食い下がって「バス停は禁煙です」と繰り返した。自分でも、まるで壊れたレコードみたいだなと思った。

 すると再び私の方に目を遣って、漸くバス停の端に備えられた空き缶でこしらえた灰皿に、タバコを捨てた。

 実は男性がタバコを捨てたこの灰皿も、バス停に面した地元の建設会社の社長さんが、バス停付近の路上に捨てられたタバコの吸殻を見るに見かねて設置されたものだ。バス会社から「健康増進法で禁煙と定められた場所だから、そもそも灰皿があってはならない」と撤去を言い渡され一度はその指示に従ったものの、一向にタバコの吸殻のポイ捨てが減らないので、やむなく再設置したという経緯がある。しかも毎朝、その社長さんはバス停付近を箒で掃いて、きれいにしていらっしゃるのだ。

 そういった事情を知っているだけに、バス停での喫煙を注意せずにはいられなかった。

 バス停のような不特定多数の人が利用する場所での喫煙は禁じられていること。喫煙の禁止の理由は、喫煙者の口から吐き出される副流煙が、発がん性物質をはじめ人体に有害な物質を数多く含んでおり、周囲の人間に受動喫煙の健康被害をもたらす恐れがあるからだということ。こういうことは、マトモな日本人なら、新聞やテレビやラジオのニュースで当然知っているはずである。

 推察するに、男性は彼女を訪ねて来た部外者らしく、それならば、地元の勝手を知っている彼女が彼氏の喫煙を止めるべきであろう。しかし、カップルは「割れ鍋に綴じ蓋」。似た者同士なので、残念ながら彼女も、バス停での禁煙がなぜダメなのかが分からないのだろう分からないから、彼のバス停での喫煙にも何とも思わないし、禁煙の注意書きを見ても、彼氏に注意しないのだろう。

 結局、私は女性、しかも「おばさん」ということで、件の男性には舐められ、壊れたレコードのように3度も同じ言葉を繰り返す羽目になったと思うので、私よりも、私と一緒にいた夫の方が男性を注意すべきだったのではないか?夫は長身で地声も大きく低く、威圧感がある。夫が注意した方がよりスムーズに聞き入れられたのではないか?そう夫を咎めると「僕が注意するより先に君がしていた」と言い返された。

 いやいや、そんなことはない。この点では夫は結構ヘタレである。自分に直接害が及ばなければ、明らかにルール違反でも見過ごすことがある(夫の名誉の為に一言書き添えるなら、以前、ドアの左右脇に5、6人並んで電車を待っていた人々が電車に乗ろうとした時に、降りる人の為に空けている真ん中から我勝ちに乗り込もうとした中年女性を、夫がその長い手で遮って阻止したこともある)


 話変わって。自動販売機で、夫が小さなペットボトル入りのお茶を買った。あいにく小銭がなかったので、千円札で支払った。私はまだ何を買うか決めかねていたので、とりあえず、おつりレバーを下げた。

 するとすぐに小銭がおつりの受け皿に落ちてきた。勢いよく落ちて来た。あれ?なかなか止まらない。じゃらじゃらじゃらと音を立てて、おつりにしては大量の硬貨が受け皿に向かって落ちている。

 終いには硬貨が縦横にギッシリと詰まって、おつりの受け皿のプラスチック製のフタが開かなくなってしまったおいおい、どういうことだよ?

 どうにかしてフタを開け、大量の硬貨を取り出して数えてみたら…
 
 100円硬貨4枚
  50円硬貨6枚
  10円硬貨17枚! 金額にして870円也。

 合計27枚の硬貨が、あの狭い空間にギュウギュウ詰め状態だったのだ。想像してみて欲しい。結構、笑える事態だと思う。

 それを傍らで見ていた夫。「あ、写真を撮れば良かったのに」と今更のように言う。「あ!そうだった。撮れば面白い絵だったのに」って言うか…言うの遅い!

 もしかして、自動販売機も、私のブログネタの提供に協力してくれているのだろうか?
 
 そんなこと、あるわけない!!

 自販機、よほどつり銭に困っていたんだろうね?しかし、瞬時に硬貨の組み合わせで、これだけ大量の小銭を用意できるのが凄い。凄いが、受け皿のキャパシティまで考えていないのが、ちょっとおバカである

 考えても仕方のないことだし、私が考えることでもないのだが、この後もし千円札で支払う人がいたら、この自販機はどう対応したのだろう?硬貨がどれだけの種類、総額幾ら残っているのか分からないが、まさか、10円硬貨87枚はあり得ないし、最終的には「つり銭切れ」と表示されるのだろうね。


 チネチッタの劇場内の椅子。パリ・オペラ座の椅子を作っている業者に作らせた1脚10万円もする椅子だと聞いたことがある。さすがに10年も経つと、さしもの椅子もクッションがヘタッて来たような気がする。

 それ以上に前から気になっていたのがドリンクホルダー。ここのドリンクホルダーは、なぜか二重底になっていて、下段は固定なのだがそこそこ大きめの楕円形の穴が開いている。その上に取り外しのきく、真ん中が直径2cmほど丸く刳り貫かれた円形の底板が載っていた。

 実は、その取り外しのきく上底板を失敬する輩が後を絶たなかった。その上底板のないドリンクホルダーでは、剥き出しになった楕円形の穴が仇となってドリンクの納まりが悪く、どうしても斜めに傾いてしまうのであった。年を追うごとに上底板がなくなっている椅子が増え、ドリンクホルダーの使い勝手の悪さが、利用者の不満の種となった。

 ところが、今日気づいたのだが、その問題のドリンクホルダーに新たな上底板が取り付けられていた。どうやら全ての椅子に取り付けられたようである。今度のは触ってみると従来品より少し厚めの板で、しかも接着剤でしっかり固定されている。これなら、もう大丈夫だろう。

 果たして、このことに気づいたのは、今日の利用者で、何人位いたのだろうか?それとも、そもそもそんなことに関心を持つ人間なんて、殆どいないのだろうか?何にしても、利用者としては、これで一安心である


 帰りのバスで。中学生と思しき少年が二人、途中から乗り込んできた。ひとりはまだ中学生の男の子のはずなのに耳には複数個のピアス、髪は茶色に染め、輪ゴムで髪を結わえている。しかも頭のてっぺんに。

 終点に近づくにつれ、座席に空きができると、二人で座っていたうちのひとりが、別の空いた席に移った。すると茶髪ピアスの少年は二人がけの座席に斜めに寝そべるように姿勢を崩した。

 すぐ後方に座っていた私は降りるために立ち上がるまで気づかなかったのだが、茶髪ピアス少年はあろうことか座席部分に土足で乗っていた。彼が降りた後に、誰かが座るであろう座席にである。注意しようにも後ろがつかえていたので注意する間もなかった。

 勉強やスポーツ、或いは一芸で目立つこともなく、こういうことでしか自分の存在感をアピールできない「構ってちゃん的心理」がなせる行動なのか(公共の場での、傍から見るとしょーもない迷惑行為は、大抵それが理由であろう)、或いは、親御さんの幼い時からの躾がなっていなかったのか、何とも残念な少年の行状であった。

 申し訳ないが、あの行きのバス停で出会ったカップルが仮にあのままの状態で結婚して、子どもを産み育てたら、こんな子どもに育つのだろうか、という考えがふと頭に浮かんだ。

 人は幼い頃から地道に地味なことを繰り返して行くことを疎かにしてはいけない。早寝早起き然り。挨拶然り、身体を清潔に保つこと然り、朝昼晩三食をきちんと取ること然り。掃除をすること然り。適度の歩行、運動すること然り。学校の宿題を済ませること然り。エトセトラ…

 特に子どもの頃は、そうして自分の中で忍耐を育てていかなければならない。そうして自分を律することを習慣づけなければならない。それが、将来、秩序を重んじる日本の社会でそつ無く生きて行く為の、ひとつの力になるのだと思う(まあ、敢えて社会と摩擦しながらわが道を貫く、険しい道のりの選択もあるにはあるのだろうけれど…)


 今日もいろいろなことがあった。そこから見えて来るものがあった。そして、何かしら学ぶことがあった。 
 
     自宅に戻ってから、ちょっと遅めのティータイム。温かい日本茶に不二家のミルクレープ。
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2015/9/22

『Dear ダニー 君へのうた』(原題:DANNY COLLINS、米、2014)  映画(今年公開の映画を中心に)

 今日は溜まったポイントを使って、チネチッタで再び映画鑑賞。

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 本作は、強欲な人間の手によって、本来受け取るべき主人公ダニー・コリンズのもとに届かなかった40年前のジョン・レノンからの手紙が、ダニーにもたらした人生の転機(奇跡?)を描く。

 実際にジョン・レノンからの手紙が30年数年ぶりにフォーク歌手のもとに届いたと言う実話から想を得て、ダニー・コリンズと言う架空の人物を主人公に創り上げた物語らしいが、実にハート・ウォーミングな仕上がりとなっている。


 何より主人公ダニーを演じるアル・パチーノが良い。老境に差し掛かった大スター、ダニー・コリンズを、老醜さえ魅力に変えて、時に軽妙に、時に哀愁を湛えて演じている。年齢を重ね、その顔に幾重にも皺を刻みながら、第一線で輝き続けるアル・パチーノ。彼自身が、その名を映画史に残すであろう大スターである。何歳になってもその類稀なる演技力と存在感で、映画ファンを楽しませて欲しい。

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 ダニー・コリンズ。自らのエンブレム"DC"を刻んだ豪邸やプライベートジェットにメルセデス・ベンツ社製高級スポーツカー、そして彼に群がる有象無象の取り巻き連。その華やかなスターとしての地位を得た代償に、彼が失ったものは少なくない。

 そのことをスターとして甘んじて受け入れていたはずのダニーだが、40年の時を経て彼のもとに届いたレノンの手紙が、彼が長らくその心の奥底に封印していたはずの、ひとりの人間としての情を呼び覚ますのだ。

 ここからの展開が面白い(展開が甘いと言う意見もあるかもしれないが、あくまでもレノンの手紙がもたらした"ミラクル"だから。まあ、テレビドラマ「LAW & ORDER」とは違うからね」)

クリックすると元のサイズで表示します ダニーは理由(わけ)あって住まいのあるLAから、ボストンバッグひとつだけを携え(でも、まあ、プライベート・ジェットで・笑)、東部のニュー・ジャージーへと旅立つ。そこでもダニーは相変わらずその型破りなスターとしての振る舞いで、スターの扱いには不慣れな地元の人々を振り回すのだが、彼の芯にある人としての優しさを知ると、誰もが彼のファンになってしまう。

 ダニーをニュー・ジャージーへと向かわせたのは果たして何なのか?彼はそこで何をしようとしているのか?これは映画を見てのお楽しみ。


クリックすると元のサイズで表示します 本作は、主人公ダニーの心情を言い当てたかのようなレノンの曲が、さまざまなシーンで効果的に使われており、レノンファンには堪らない作品だろう(実際レノンファンの私と夫が言うのだから間違いない・笑)

 また、台詞(日本語字幕と言うより英語)の一言一言がウィットとユーモアに富んでいて、印象的な言い回し、しゃれっ気たっぷりな会話のオチが楽しく、それに合わせての俳優陣の仕草もなんとも言えずチャーミングで、思わず真似したくなった。

 私が大好きな知的な演技派女優、アネット・ベニングも出演して、アル・パチーノと軽妙な掛け合いを見せているのが、これまた嬉しい!

 大人がしっぽり楽しめる映画です。

 監督・脚本:ダン・フォーゲルマン

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2015/9/21

『ぼくらの家路』(原題:JACK、独、2013)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 母に見捨てられた子どもは、早く大人になる。

 原題"JACK"は主人公の名。端的に言えば、6歳の弟マヌエルと共に母に見捨てられた10歳の少年ジャックの、母を捜して〜母と連絡が取れないことには、自宅アパートの部屋にさえ入れないのだ〜ベルリンの街を昼夜彷徨い歩いた3日間をメインに物語が展開する。

 奔放なシングルマザーの子育て放棄〜ネグレクト〜による子ども達の困窮を描いた映画と言えば、是枝裕和監督、柳楽優弥主演の『誰も知らない』(2004)が私は真っ先に思い出されるのだが、本作もまた、大都市ベルリンで誰からも顧みられることのない、親に捨てられた幼子2人の姿が、ドキュメンタリータッチで描かれている(演出の巧みさなのか、子役<イヴォ・ピッツカー>の巧さなのか、子役の立ち居振る舞い、表情の変化があまりにも自然で、演技しているようには見えなかった)

 大勢の人が行き交う大都市で、彼らの存在感の透明さが不思議でならなかった。大都市だからこそ、なのか?しかし、ここ日本では大阪の寝屋川市のような地方都市でさえ、深夜徘徊の子どもは誰にも顧みられることなく、陰惨な事件に巻き込まれてしまった…今や行き過ぎた個人主義による他者への無関心は、保護されるべき子どもに対してでさえ例外ではない。

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 親としての立場、ひとりの大人としての立場で見れば、幼子ジャックとマヌエルの母親の無責任さと周囲の大人の無関心に腹が立つのだが、それ以上に主人公ジャックの機知に富んだ聡明さと俊敏な身体能力と理不尽な攻撃に負けない心の強さが印象に残った。彼の優しさも、その心の強さに裏打ちされている。

 親はなくとも子は育つ。否、あんな親だからこそ、幼い弟マヌエルの為にもジャックはしっかりしなければならないのだ(とは言え、まだ幼さも残る)。仮にジャックひとりなら、ここまで強くなれただろうか?

 わずか10歳にして大人の不実と、世間で行き抜くことの厳しさを知ったジャック。その後の人生にも厳しさが伺える映画の結末に、ジャックとマヌエルの行く末を案じずにはいられなかった。このまま信頼できる大人と出会えなければ、ジャックの人生は危うい方向へと導かれてしまうのではないだろうか?

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 子を捨てた親は、いつか子に捨てられる。
 その時になって後悔しても遅すぎる。


監督:エドワード・ベルガー
脚本:エドワード・ベルガー、ネレ・ミュラー=シュテーフェン

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2015/9/20

MAX BRENNER CHOCOLATE BAR 広尾プラザ店  日々のよしなしごと

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 昨日は広尾にあるMAX BRENNER CHOCOLATE BARに行って来ました。と言っても、そこでは食べることより友人達と会うのがメインなので、ついついおしゃべりに夢中になり、店内の写真を撮るのを忘れてしまいました。

 それで、帰りに正面にあるバス停から撮ったのが上掲の写真。店の外観です。そう外観だけ。普段は週に2度も繁華街に出ることはないのですが、今回はたまたまですね。

MAX BRENNER CHOCOLATE BAR(口コミサイトRettyより)

 私は新しい情報には疎いので、大抵友人知人からグルメ情報は教えて貰います。今回の店は日本進出3店舗目だそうで、1号店の表参道ヒルズ店は連日込んでいるので、今回友人は比較的待たずに入れる広尾プラザ店を選んだのだとか。

 しかし、健康の為に甘いものは控えている?身には、ここのミルクシェイク、ボリューミィで甘かったかなおしゃべりに夢中になったとは言え、もったいないけれど半分近く残してしまいました。若い子ならペロリと平らげる量なんでしょうけれど。


 さて、都心に出る時には地下鉄を利用することが多いのですが、乗り換えが面倒なので、たまにバスを利用することがあります。今回も品川駅からバスで広尾まで行ってみました。地下鉄利用だと、品川で山の手線に乗り換え、恵比寿で日比谷線に乗り換えるのですが、バスなら1本で行けます。時間は読めないけれど、乗ってしまえば後は車窓からの眺めを楽しみがら目的地へ。コスト的にも少しお安くなり、JRと地下鉄の乗り換えが面倒だと思う人には、目的地まで直行できる便があるならオススメです。

 しかも今回のバス停広尾橋は広尾プラザの目の前。徒歩数秒で目的地に着き、地下鉄以上に便利でした
 
 ただし、バスは1時間に3本とか極端に運行本数が少なかったりするので(私の地元なんて日中でも6〜8分間隔で運行しているので、ちょっとビックリ。利用者数の違いですかね?富裕層の多く住む地域なので、バス利用者自体が少ないのかも。道を行き交う自家用車はほぼ全て外車でした)、予めネットで調べる必要があります。


 今回は初めて利用するバス停でちょっとしたハプニングがありました。これを逃したら20分待ちと言うバスがバス停に止まっていたので、たまたま前にいた人に続いて乗り込んだら、バス停に並んでいた人のひとりから一喝されました私と同じくらいの年齢の女性です。みんな並んで待っているのに、何割り込んでいるんだと。

 いや、これはうっかりミスでした。バス停によっては複数の路線が止まることもあるので、目の前にドアの開いたバスがあるのに立っておられる待ち行列の方々は、別のバスに乗られる方なのかと思ったんです。開いていたドアは後方でしたが、バスによって後ろ乗り、前降りもありますからね。

 私の前に乗られた方が思わず「今日、田舎から出て来たばかりで、事情が分からなかったんです。何もそんなに怒鳴らなくても」と反論したら、件の女性、私達を睨み付けて「余計な言い訳せずに"すみません"と一言言えば良いんだ。ただでさえ、こっちはイライラしているのに…」と反駁。

 女性の剣幕に、並んでいた他の人も「怖いねえ」と驚いていました。確かめもせずにうっかり乗り込んだこちらも悪いけれど、バス停を利用するのは何も常連さんばかりでもないし、初めて乗る人なんて不慣れで間違うことだってあるだろうに。ここは笑って「バスの発車はまだですよ。列の後ろに並んで待ってください」で済む話ではないでしょうか?イライラしているのはあくまでもその人自身の問題であって、大声で怒鳴るのは単なる八つ当たりにしか思えませんでした。

 世の中にはいろいろな人がいるのを改めて思い知らされた一件ですが、慌てん坊の自分を戒めると共に、苛立つ神経を持て余しているかに見える女性は、自らを殊更生き辛くしているのではないかと思ったのでした。心はできるだけ平静に保っていた方が、精神衛生上良いのは間違いありません。イライラしていると、却って心身共にトラブルを呼び込むものだと思います。

 ただし、私もこんなことで戸惑っているようでは、まだまだ世間知らずな、ひ弱な人間なのかもしれません。
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2015/9/16

今日のランチ〜友人達との定例ランチ  「食」についての話題

 今日は、友人2人といつものイタリアン・レストランで、定例のランチでした。

 3人は、息子が通った横浜の中高一貫校で保護者として出会い、かれこれ12年の付き合いですが、それぞれ自宅が東京都大田区、神奈川県川崎市、藤沢市と離れている上に、私以外の二人は普段働いているので、半年に一度の割合でランチを共にする仲です。大田区の友人とは、たまに一緒に映画を見に行ったりもします。

 頻繁に会えるわけではないので、毎回、互いの近況報告で盛り上がります。

 今年はMさんの一番上のお嬢さんが春に結婚。「花嫁の母」ってどんな気分なの?等と聞きながら、結婚式の時の写真を見せて貰いました。私なんていつ「花婿の母」になれるのか皆目見当もつかないので、嬉しさ半分、やっかみ半分(笑)で、彼女の話に聞き入りました。

 また、2番目のお嬢さんの学校の交換留学生制度で、今夏、カナダ(内陸部)から二人の女子高校生をホームステイに受け入れたらしいのですが、朝食のサラダで二人が野菜を殆ど食べないことにまず驚き(生のトマトを出したら、「トマトは生で食べない。炒めて食べるもの」と言われたそうな)、その後、自宅で何を振舞っても、たまに外食に連れ出しても、殆ど何も食べようとしない彼女達にかなり戸惑ったとのこと。「私の料理がよほど口に合わなかったのか?私の方がカルチャー・ショックだったわ」と苦笑いでした。

 一方、Kさんは、ご主人が途中2年間の帰任を挟んで総計6年間の単身赴任を終えて、漸く今年の4月に東京の自宅に戻って来られたとのこと。久しぶりに夫婦水入らずの生活はどう?と尋ねると、「やっぱり、料理作りに張り合いが出るわ。身体のことを考えて何を作ろうか考えたり…」とのこと。それから6年に及ぶ単身赴任の成果として、ご主人がアイロン掛けが上手くなり、ご自身のワイシャツのアイロン掛けもしてくれるので、肘の腱鞘炎に悩む彼女は大助かりなのだとか。

 さらに、これはお気の毒なことですが、今年の6月にお父さんが突然逝去され、それに係る様々な出来事〜葬儀から墓探しまで〜に、いろいろと考えさせられたそうです。特に、それまで何度も親類や友人知人の葬儀に立ち会っているのに、実の父親の死によって改めて「死」がより現実のものとして胸に迫って来たのだそう。彼女の話に、私も亡き父のことを思い出しました。

 暫く会わないうちに、それぞれの身にも様々なことが起きているのだなあと、改めて思いました。

 さて、行きつけの店は横浜駅東口を出てすぐの崎陽軒本店2階にある「イル・サッジオ("Il Saggio"は「賢人」?)」。南イタリア料理の店です。いつも私が一月前に電話で予約して、1日50食限定の「ボンジョルノ・セット("Buongiorno"は、イタリア語で通常「こんにちは」のことですが…)」を頼みます。これは月替わりで季節の料理を出してくれるので、毎回「今日はどんな料理が出るのか?」と楽しみです。

 今回は以下のようなメニューでした。様々な料理を少しずつ。いろいろ味わいたい欲張りな女性にはピッタリなメニューでしょうか?

 まずは"前菜"。その名も「秋の訪れ アンティパストの盛り合わせ」
 Antipasto misto

 食前の飲み物は3人共、アイス・ピーチティーをオーダー。

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クリックすると元のサイズで表示します 小海老と麦と豆のサラダ

 お酢(バルサミコ酢?)の酸味が程よく効いて、小海老や麦や豆のほんのりとした甘みが引き立つ味でした。






クリックすると元のサイズで表示します 全粒パンとマッシュルームのクロスティーニ(Crostini)

 イタリアのカナッペ(canape仏)ですね。前菜によく登場する料理のひとつで、一般にはパンの上にレバーペースト等を載せたりするようですが、今回はマッシュルームのペーストが載っていました。ほんのりレバーかウニのような風味もありました。





クリックすると元のサイズで表示します ハムとジャガイモとパスタのサラダ

 ごく普通のマヨネーズ味のサラダです。












 自家製のパンとフォカッチャ(Focaccia、Pizza型のパン)。おかわりOK。

 自家製だからいつも焼きたて!3人共、平たいピッツァ型のフォカッチャのパリパリとした食感が大好きで、お腹の膨らみ具合が気になりながらも、ついついおかわりしてしまいます。オリーブオイルを適宜つけて、いただきます。

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 (イタリアン・ソーセージ)サルシッチャと秋の味覚のオーブン焼き
Salsiccia al forno con funghi


 程よくスパイスの効いたソーセージに秋の味覚きのこ(しめじ)を添えて…。ソーセージは長さ7〜8cm程、直径2cm程で、表面はプリプリ、ザックリ切った断面は挽肉がジューシイで、しっかりと肉の味がしました。

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 (温かい)サツマイモのクリームスープ
Zuppa di patate dolce


 濃厚な甘みのサツマイモのスープ。芋ならではの舌触りが後を引きます。

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 本日のメインディッシュは魚と肉から、3人共、「イタリア産長期飼育豚」のフレーズに惹かれて肉をチョイス。

 イタリア産長期飼育豚"ドルチェポルコ"の柔らか煮込み
 モッツァレッラチーズのせ

Maiale "Dolceporco" in umido con mozzarella
 
 生ハム用に飼育された豚のバラ肉を、ビールやトマトでじっくり煮込んだ料理とのこと。ソースが程よく絡んだ肉は舌の上でとろけるような柔らかさ。その上に載ったモッツァレッラチーズの風味でさらにおいしく。肉料理に定番のマッシュポテトに、苦味の効いた小松菜を添えて。

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秋鮭のトマトクリームソース・スパゲティ
Spaghetti al pompdoro con crema e salmone
 
 秋鮭のほぐし身がたっぷりのトマトソース。少量ながら食べ応えあり。

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季節のおすすめデザートとお飲み物
Dolce e caffe

 満腹に近い状態でいただくデザート。これぐらい小ぶりのものを3種いただけるのが良いです。真ん中のプチチューが想像以上に濃厚な甘みでした。

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クリックすると元のサイズで表示します ベリーソースかけヨーグルトムース?













クリックすると元のサイズで表示します プチシュー?















クリックすると元のサイズで表示します ぶどうのシャーベット















 私が代表でこの店のポイントカードを持っており、今回はある程度溜まっていたポイントで代金から割引された上に、先日封書で届いたクーポンで飲み物も無料だったので、これだけの料理なのにサービス料込みで、ひとり2,500円弱の出費で済みました。店内の雰囲気、スタッフの細やかな心遣いのサービスも併せて考えれば、かなりリーズナブルだと思います。

 前回と同じく、屋内の吹き抜け空間に突き出た形のテラス席でいただいたのですが、開放感があって心地良かったです。開店して最初にテラス席に通されたのは、早々に予約した賜物なのかもしれません。また、店内には、品良くジャケットを着こなした年配の男性が奥様を伴ってゆったりとランチを楽しんでいる姿もあり、将来自分達もそうありたいねと3人で頷いたのでした。

 こうして半年に一度ランチを共に出来るのも、それぞれの家族が平穏無事だからこそ。そのことに感謝して、次回のランチでの再会を約束し、それぞれに家路についたのでした。

 私は帰りに横浜そごうの地下に寄り、長崎銘菓、福砂屋のカステラをお土産に買って帰りました。夫婦共に大好きなこのカステラ。卵や小麦粉の値上がりで、以前と比べるとかなり高価(←もちろん我が家的にです)になってしまったのが残念


 これだけ食べたのに(夕食も特に量を減らすこともなく普通に食べて)、翌朝恐る恐る体重を量ってみると、増えるどころか減っていました。さまざまな品目を使った料理を少量ずつ食べたのが良かったのかもしれませんね。

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2015/9/8


 最近、「親」と言う言葉が常に頭から離れない。

 こんなに不完全な人間ながらも自分は一端の「親」であるし、
 中学生が被害者となった夏休み期間中の痛ましい事件でも、
 世間では「親」のことが取り沙汰されたし、
 つい最近見たテレビ番組『開運!なんでも鑑定団』でも、
 今は亡き不肖の父「親」に、
 遺品を巡って未だに振り回される女性の姿を
 目の当たりにしたせいだろうか?

件の女性、小学生の時に新聞配達で得たわずかばかりの収入も、父親の借金の返済に充てられた言う。今回、「これは価値がある」との生前の父の言葉を信じて形見の陶器を出品したものの、結局、鑑定結果は二束三文で、最後の最後まで不肖の父に振り回された形だ。鑑定結果を知った時の、笑うに笑えない彼女の切ない表情が印象的だった。

 「親」とは一体、何なのだろう?
 「親」とは、子どもにとって、どんな存在なのだろう?
 
 「親」になるのに「資格」試験があるわけでもない。
 立派な人が(選ばれて)「親」になるわけでもない。
 「親」になったからと言って、
 皆が皆、即「親」としての自覚を持てるわけでもない。
 かと言って、経験を積めば、誰でも立派な「親」になれる保証もない。
 しかも、「親」だからと言って、
 誰もが無条件に我が子に愛情を注げるわけでもない。

 この世の「親」と言う立場にある人々のどれだけが、
 「親」としての「役割」「務め」を理解しているのだろう?
 「親」としての自分に悩んでいるのだろう?
 「親」としての自分に「自信」や「誇り」を持っているのだろう? 
 「親」としての「喜び」を感じているのだろう?
 「親」として満たされているのだろう?
 
 おそらく、少なくとも子どもの立場から見て、この世に完璧な親(←注・親として完璧、とは言っていない)など存在しないのだろう。自分を産み、育ててくれた親は親として、また、ひとりの人間としても、何かしら欠点を抱えているものだと思う。

 その親との生まれた直後から始まる関わりが、否応なく人としての基本を形作る。その性格や価値観や他者との関わり方(他者との距離の置き方)、そして学習能力(机上の学問だけでなく生活全般における新たな事柄を、積極的に学ぼうとする意欲と習得する能力)を育てる。

 だから親自身に人としての能力が十分に備わっていないと、その親に育てられた子どもは、幼児期はともかく他者との関わりが一気に増える就学期に入ると、さまざまな面で苦労することになる。人並みの基本的な能力が身についていないからだ。

 そうした頼りない親のもとに生まれた子どもには、たったひとりでもいいから親以外の誰か大人(或いは年長の子ども。年長の兄姉に助けられた子どもも古今東西に多くいる)が、子どもの良き相談相手として身近にいて欲しいものだ。

 幸いなことに、神の配慮なのか、生存本能とも言うべきものか、子どもには生まれながらに備わった"自ら育つ能力"もあって、成長するに伴い、自らの欠損部分を自ら学習して補うことも出来るのだ。さらに不徳の親を反面教師に、自律的で思慮深い人間に育つ子どももいる。

 おそらく、そうした子どもには、"自ら育つ能力"にスィッチを入れてくれる、その子どもの為に親身になってくれる誰かが身近にいるのではないだろうか?今、こうしている間にも、世界のどこかで、親以外の誰かの愛情が、助けの必要な子どもにスィッチを入れてくれているのかもしれない。

 今、巷には「毒親」なる言葉があり、親の呪縛に大人になってもなお苦しむ人が手記も出版している。特に、ある分野の成功者として世間に知られた人物がそんな本を出しているのだから、弥が上にも注目を集める。

 しかし、その前提には「親はかくあるべき」と言う、親を徒に理想化した「親神話」が存在しているのではないか?所詮、親とて、ひとりの人間である。完璧であるはずがない。何かしら欠点を抱えて、自分のふがいなさに生真面目に苦悩しながら、或いは辟易しながらもどうすることもできずに、生きている人間に過ぎない。

 思うに、大人になるということは、親から自立するということは、そうした親を絶対視していた子ども時代から、不完全なひとりの人間として相対化して見られるようになると言うことではないだろうか?

 自分が親になって初めて自分の親の苦労を知ると言うのも、つまりはそういうことなのだと思う。けっして完璧とは言えない自分が曲がりなりにも人の親になり、今、子育てに四苦八苦している。その現状から、自分の親もかつてはそうだったのかもしれないと理解して、親の愛情に感謝する。親に対する思いは違っても、懸命に子育てした親のもとで育った人もまた、非力なひとりの人間として親を見ている。

 冒頭に登場した「何でも鑑定団」出演の女性にしても、最後の最後までどうしようもない父親だったのかもしれないが、その父親のもとで育った彼女が、今や大勢の人前に堂々と出られるような大人になっている(私は人を見る時に、生まれながらの造作より、生き様が映し出された人相を見る。彼女は穏やかな人相をしていて、好印象だった)。ひとつでも何かやましいことがあれば、こうした公の場には出られないはずだ。これは、ダメ親を克服した子どものひとつの姿である。彼女の今の在り方こそ、かつての親への反旗である。実は、世の中には、そんな人が大勢いる。

 自分の現在のふがいなさを、親のせいにしてはいけないのである。いい大人になってまで親への恨みつらみを心に抱えていては、いつまでも親から自立したとは言えないのである。それは自ら進んで親の呪縛に囚われていると言って良いのかもしれない。


 親は親で、親の最大の仕事は子どもを自立させることと弁えて、成人したら心を鬼にして突き放すぐらいの気構えがないと、子どもはいつまで経っても精神的にも経済的にも自立できないし、いい大人が罪を犯した時でさえ親の育て方が悪い、という世間一般の見方も変わらないだろう。
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2015/9/8

難民問題  はなこのMEMO

 ヨーロッパでは切迫した問題として、難民の受け入れをどうするかについて専ら取り沙汰されているが、本来ならもっと早くに難民を生み出さないよう、周辺諸国や国連の働きかけで中東アフリカの混乱を収拾させる等の根本的な解決が図られるべきだった。

 それが今に至るまで出来なかったのは、本来世界全体のスーパーバイザー組織としてあるべき国連が形骸化し(いい加減制度疲労して、単なる常任理事国の利益誘導の場と化しているし、加えて現事務総長は無能過ぎる)、機能不全に陥っているからであり、中東の金満産油国家が同じ宗教でありながら宗派の違い等を理由に、隣国の紛争に積極的に関与しようとしないからだ。

 かくて自国の内戦から逃れて中東アフリカからヨーロッパへとなだれ込む難民の数は増える一方だ。

 しかもヨーロッパへの難民が一気に増えた原因は、トルコ人組織による難民輸送が、ひとつのビジネスとして確立したからだとも言われている。内戦国の人間は自国にある自らの不動産を引き払い(内戦下でも不動産が売れるのが不思議。おそらく内戦を理由に買い叩かれるんだろうけれど)、売れるものは売れるだけ売って、ヨーロッパへの渡航費用を工面しているのだろう。

 そんな必死の思いで渡航を実行したのに、難民をただの金づるとしか見ていない仲介業者の杜撰な輸送方法によって、輸送船の転覆による溺死や、先のウィーンで発覚したようなコンテナ内で70人以上が窒息死と言う悲惨な事故も起きている。

 情報化社会で容易に他国の情報を仕入れることが出来る現代である。しかも、今難民としてヨーロッパに辿り着いている人々は、自国では比較的裕福で、教育レベルも高く、渡航費用を工面出来た人々だ。そんな彼らの大半はネットで得た情報をもとにドイツを目指す。一方、貧しい大多数の人々は仕方なく自国に留まったままか、近隣国国境にある難民キャンプに身を寄せているのである。

 さらにEU域内の移動の自由を認めたシェンゲン条約を利用してドイツに向かう難民が経由する国々でも、大量の難民が一度に押し寄せたことで、現地と様々な摩擦を生んでいる。

 EUの優等生ドイツは経済的に豊かであることと、大戦時のユダヤ人迫害で多数の難民を産んだ反省から、難民受け入れには積極的ではあるが、そのキャパシティにも限界がある。英国も当初の難民受け入れ拒否から一転して、最近2万人の受け入れを表明したが、同じEU域内でも経済的にまだ貧しい東ヨーロッパ諸国では難民受け入れに難色を示す国々が多く、EUはけっして一枚岩ではない。

 それほど広くない土地に大勢の民族がひしめきあい、経済格差の大きな国々がせめぎあうヨーロッパで、大量の難民を受け入れることにはそもそも無理がある。高邁な人権意識だけでは立ち行かない厳しい現実がある。当初移民は地元民が厭う仕事に安価な労働力として重宝されるが、地元民の中でも下層に位置する人間とは競争関係にあり、意欲に優る移民との競争に敗れた地元の下層民は、反社会勢力(ドイツなら排外主義のネオナチ)として台頭する恐れもあるのだ。

 本来は自らの生まれた国で、同じ価値観の人々と共に暮らすことが、最も理に適った生き方のはず。難民が生まれる祖国の情況こそが問題なのだ。

 歴史を振り返れば、現在のヨーロッパの苦境は、かつての帝国主義時代、ヨーロッパ列強が中東アフリカを蹂躙したツケが回って来ただけとも言えるが、戦後石油利権に絡んで中東紛争に深く関与した米国も含め、当事者意識を持たざるを得ない国々は、今一度、中東アフリカの混乱の収拾策を、もっと真剣に探るべきではないのだろうか?

 それとも武器商人(兵器産業)の暗躍で密かに莫大な利益を得ている国があるからなのか、直接自国の利益にならないことには、どの国も積極的に関わりたくないのか?或いは、誰も自分の政権では、この混乱の責任を取りたくないということなのだろうか?

 日本も朝鮮半島の緊張や中国経済の先行き次第では、大量の難民が日本海や東シナ海を越えて押し寄せて来ないとも限らず、けっして他人事ではないのが怖いところだ。

 国連難民高等弁務官事務所からは、日本もシリア難民の受け入れを要請されているようだが(現時点で難民申請が受理されたのは3人のみらしい)、歴史的に関わりも薄い上、言葉、民族、宗教、生活習慣の壁が厚いと思う。特に宗教の問題はすごく繊細だ。一時的な避難だとしても、日本政府が態勢をきちんと整えてから受け入れないといろいろと問題が起きそうだ。もし政府に受け入れる考えがあるのなら、ヨーロッパに倣って今から準備していなければならないはず。実際のところ、どうなのだろう?

 高度情報化社会である21世紀の民族大移動は、豊かな社会への一極集中を招きかねないだけに、現時点では誰もその問題の解決策を見出せないでいる。
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2015/9/8

女神(ミューズ)たちの奏でる音楽にしばし浸る…  文化・芸術(展覧会&講演会)

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 日曜日にミューザ川崎で、「女神(ミューズ)たちの"愛のうた"」と題するリサイタルを聴いて来ました。

 出演はヴァイオリニストの千住真理子さん、ピアニストの仲道郁代さん、チェリストの長谷川陽子さんの三人です。

 私は弾ける楽器ひとつない、楽譜すらまともに読めない、まったくの音楽音痴?ですが、聴くのは大好き自宅にはクラッシクのアルバムだけでも30枚ばかり持っています。

 中でもお気に入りは、カール・ミュヒンガー指揮、シュトゥットガルト室内管弦楽団演奏のバッハ作『音楽のささげもの』、カール・リヒター演奏のバッハ作『トッカータとフーガ』、イ・ムジチ合奏団演奏のヴィヴァルディ作『調和の幻想』で、『調和の幻想』は携帯電話にも保存して、バスや電車で移動中に、それを聴きながら本を読んでいます。その優美なメロディは、周りの喧騒をかき消すのにうってつけです。

 近年はある友人の影響を受け、一時期、(さすがに予算の問題もあって劇場には足を運べないけれど)米メトロポリタン劇場のオペラの映画館上映に嵌って、よく見に行っていました。見た中ではイリーナ・ガランチャ主演の『カルメン』が最も印象に残っています。

クリックすると元のサイズで表示します 今回も生協でチケットを購入したので割安で買えたのですが、座席はなんと4階席で後方は壁、と言う席でした。演奏者は写真の通り、豆粒にしか見えません(かと言って、オペラグラスを持参するのも変だし、とにかく音響が大丈夫なのか心配でした結果的に音響はそれほど問題もなく、後方に誰も座っていないので気楽でした)

 以前、東京オペラシティで行われた千住真理子さんのリサイタルの時は、2階席ながら舞台袖に近く、ステージ上の彼女の表情はもちろん、二の腕の筋肉が躍動するのも目の当たりに出来ました。あれは感動的でした。

2009年の千住真理子さんリサイタルの感想

 生協で買うと、チケットが到着するまで座席がどの位置なのか分からないと言うのがトホホなところ。今やさまざまな会員サービスを利用すれば、一般販売より早く、良い席を、割安で確保できるのかもしれませんが、そうすれば欲深い私のこと、見たいものが多過ぎて収拾がつかなくなりそうです。だから、生協のチラシで運任せに、タイミングの合うリサイタルを買うだけに留めています。

 さて、今回のプログラムは以下の通り。

 @バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番より プレリュード(チェロ)
 Aショパン:序奏と華麗なるポロネーズ(チェロ+ピアノ)
 Bショパン:幻想即興曲
  ショパン:夜想曲第20番 レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ
  ショパン:12の練習曲より 第12番 革命 (以上すべてピアノ)
 Cマスネ:タイスの瞑想曲(ヴァイオリン+ピアノ)
 Dバッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番よりプレリュード
  (ヴァイオリン)
 Eイザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より 幻影(ヴァイオリン)
 
  【20分間の休憩】

 Fチャイコフスキー:ピアノ三重奏曲 イ短調 偉大な芸術家の思い出に
  (ヴァイオリン+チェロ+ピアノ)

 素人の私でも知っている有名な曲が殆どながら、「タイスの瞑想曲」以外は生演奏を聴くのは初めてだったので、とても楽しかったです。演奏前に曲について、演奏者が短い解説をして下さったのも、すごく鑑賞の助けになりました。配られたプログラムにも作曲家の柿沼唯氏による曲目解説があり、今、それを読みながら改めて演奏を思い出し、心地よい余韻に浸っています。

 三人のソロとデュオとトリオを取り混ぜたプログラムは、それぞれの個性を堪能できるだけでなく、三人のアンサンブルの美しさも存分に味あわせてくれました。また曲間の三人のやりとりも、三人の関係性が垣間見えて楽しかった。違うジャンルだからこそ、演奏家同士として、また良きライバルとしての程よい距離が保てるのかなと思いました(それにしても、演奏家も才色兼備ですね。三者三様に美しく魅力的でした)

 イザイと言う作曲家は知らなかったのですが、今回の曲は、彼がバッハを私淑し、その幻影を追いながら作った曲だと言う千住さんの解説に、なるほどと思いながら聴き入りました。演奏者の肉声で楽曲についての解説を聞いた後にその演奏を聴く、と言うのは、ただ自宅でアルバムを聴くのでは得られない感慨をもたらすようです。

 私は今回も、第一には千住さん目当てでチケットを購入したのですが、やはりストラディヴァリウス「デュランティ」の音色の素晴らしさには何度聴いても感動を覚えます。特に高音部の冴えが素晴らしい。

 その名器の潜在能力を引き出しているのが、ヴァイオリニスト千住さんの優れた演奏力と名器に注ぐ深い愛情なのでしょう。以前テレビ番組のインタビューで、千住さんはデュランティから片時も離れないと仰っていました。新幹線での単独移動の際もトイレにデュランティを携え、コンサート後も関係者との付き合いは極力断って外食せずにホテルに直行し、デュランティの無事を確認してから、食事はコンビニ弁当で済ませてしまうほど。千住さんの徹底ぶりに「デュランティが千住さんを選んだのかもしれませんね」「すべてはヴァイオリンの為に!」とテレビ司会者も感嘆していました。

 しかし、今回トリオで演奏したチャイコフスキーの楽曲で、千住さんが珍しく演奏の手を止めてしまいました。そして再度音の確認をするかのような仕草を見せました。ピアノの仲道さんも一瞬千住さんを見遣り怪訝な表情をされましたが、その後何事もなかったかのように演奏を再開しました。何が起きたのでしょう?40分以上の長丁場のトリオ演奏で、途中ご自分の演奏に納得の行かない部分があったんでしょうか?何にしても珍しいことです。

 千住家の家訓は「趣味は持つな」と言うことで、学問一途だった父親(工学者)の「ひとつの道を究めるなら趣味になど構ってはおれない」との教えを守り、一途にヴァイオリニストとしての生き方を貫く千住さんは、一般人とは違う次元で生きておられると思います。この記事を書くに当たり、久しぶりに録画しておいたインタビュー番組を見てみると、やはり美しい筋肉質な二の腕でした。あの二の腕が躍動し、デュランティから至高の音色が紡がれるのだなと、改めて感じ入ったのでした。

 奇しくも千住さんは私と同い年(だから何だと言われそうですが…同世代の第一線での活躍は励まされるものです。自分とはかけ離れ過ぎていて、嫉妬の対象にすらなりません)。今年は演奏家デビュー40周年とのことで、全国各地で精力的に演奏活動をされています。また近いうちにどこかで、その演奏を拝聴できたらなあ…
 
 この分だと、千住さんの追っかけになりそうです…

         何だか、今回の写真はどれもピンボケで…
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読んで参考になった記事:
 千住真理子考
 千住真理子考2
 「アンチの存在は人気がある証拠。」なるほど…

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2015/9/3

私の最新作?!  日々のよしなしごと

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 今日は秋季のワークショップの打ち合わせの為、美術館へ行きました。

 そのついでに、夏のワークショップが無事終了したことで用済みとなった、見本用に私が作ったラミネートうちわを持ち帰りました。それが上掲写真の2枚。

 参加費無料のワークショップ。なにぶん予算が限られている為、できる限り手元にある道具と過去のワークショップ等で余った材料を使い、このようなラミネート製のうちわを考案した企画立案者その豊かな創造力に拍手です

 ワークショップに参加された方々が、世界にひとつとないオリジナルのうちわを手土産に、満面の笑顔で帰られのが印象的でした。

 因みに私のうちわの創作に当たってのテーマは「なんちゃってキュビズム」。中央のロダンの《考える人》は、ふたつの角度から見た《考える人》像の合成になっています。わかるかな?

 
 さて、今日の打ち合わせは2時からだったので、仲良しのMさんと12時に駅の改札口で待ち合わせして、駅2階の和食店「ぶんか亭」で昼食をとりながらおしゃべりをしました。

 今日私が食べたのは温かい「鴨南蛮そば」。甘辛く煮付けて薄くスライスした鴨肉と白髪ネギを載せた温かい蕎麦に、柚子胡椒と大根おろしを加えていただきます。

 ここの蕎麦はハズレのない味なのですが、今日はついついおしゃべりに夢中になり、蕎麦がすっかりのびてしまいましたMさんとお昼をご一緒するのも久し振りだったのでついつい…

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 今回のラミネートうちわ。厚めのラミネートの間に、思い思いのデザインで材料を挟み込み、ラミネーターを使って熱で圧着させます。柄(え)はストロー(割り箸もあり)です。

 限られた材料なのに、4日間で650枚近い、個性豊かなデザインのうちわが出来上がりました

 みんな違って、みんな素晴らしい〜

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 来館者のどなたでも"予約なしで"参加できるワークショップとしては、クリスマス・シーズンのプログラムが控えています(只今、有志で着々と準備中)

 どうぞ、お楽しみに
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