2015/4/28

地球という生命体の長い歴史の中で  はなこ的考察―良いこと探し

 先日のネパールで起きた大地震では、現時点で死者が4、000人を超えている。最近は2011年の東日本大震災をきっかけとして、日本でも火山活動が活発化したように見える。遠く南半球のチリでも度重なる火山噴火が話題になっているし、数年前にはアイスランドの火山噴火で、ヨーロッパ圏の航空機の運航が大混乱を来したことも記憶に新しい。

 自然災害と言う括りで考えるならば、地球温暖化や、それに伴う気候の変化で台風、サイクロン、トルネード、ハリケーンの強大化、海水面の上昇等もあって、その脅威は止まることを知らない。

 地球の表面を間借りしている人類にとっては、生存環境が脅かされる一大事である。

 その原因として、人類の経済活動における近代以降の化石燃料の多用や森林伐採等々による影響が指摘されて久しいけれど、果たしてそれだけなのだろうか?人類原因説はある意味、人類が自分自身を過大評価し過ぎているとは言えないか?

 私の指摘を待つまでもなく、もっと長いスパンで地球の変化を見るならば、現在はこの地球という生命体の長い歴史の中で、何度か周期的に訪れたであろう地殻と気候の変動期に差し掛かっているだけなのではないか?50億、100億年とも言われる長い地球の歴史において、人類の歴史などたかだか200万年程度である。人類なんて、この地球上で生まれては消えて行った数多の種のひとつでしかない。人類にとっての100年でさえ、地球にとっては、くしゃみの一瞬でしかないのかもしれない。

 地球上の種は全て、その都度、地球が提供する環境に適応できなければ、淘汰されるだけ。それだけの話ではないのか?そこで種のひとつに過ぎない人類がジタバタしても、今さらどうにもならないのではないか。「地球を救え」と嘯く"人類"と言う種にも、遅かれ早かれ、いつの日か必ず、終焉は訪れる。

 そういう視座で今の人類の状況を見ると、各地で起きている紛争やら、イスラム原理主義者によるテロやら、人種差別騒動やら、周辺国を不安に陥れる大国の覇権主義やら、諸々の混乱は、本当に馬鹿馬鹿しく思える。一体何をやっているんだろうね?そんなことをしている場合ではないのにね。

 それでは、人類はどうすべきなのか?(←まあ、こうした物言いはエラソーに思われるかもしれないけれど…)

 結局、明日、この世の終わりが来ても悔いが残らないよう、ひとりひとりが、自分の持ち場で、今日という日を精一杯生きるしかないのかもしれない。やりたいことがあれば明日に延ばさず、今日、行動に移すこと。誰かに何か伝えたいことがあれば、今日、躊躇うことなく伝えること。そして、今日と言う日の終わりに、今日の無事を感謝すること。ひとりひとりの人間が出来ることは、せいぜいそれぐらいではないだろうか?否、そうすることさえ、実はなかなか難しいのかもしれない。

 少なくとも私は、今日と言う日を、悔いのない1日にしようと思う。

クリックすると元のサイズで表示します



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ