2015/3/26

息子の大学院学位記授与式(卒業式)  家族のことつれづれ

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 晴れ渡る空の下、本日、息子の大学院学位記授与式(卒業式)が行われたキャンパスでは、桜の花がほころんでいました。今年、初めて見る桜です。

 あまりに綺麗なので、夢中になってシャッターを切りました。おいおい…

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 葉のないイチョウの木も青空によく映えます。

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 そうそう、本日の主役はこの人でしたね。満面の笑みでピースサインです。
 春休みもなく、夏休みもなく、冬休みもなく、6年間よく頑張りました。
 修士号取得おめでとう

 いよいよ4月からは社会人。
 私も子育てに(まあ、成人してから4年も経ってはいるけれど)一区切りつけました。

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 授与された学位記。
 息子は文科省が推進する医工連携研究プロジェクトに参加していたので、
 その特別コース修了証書も併せて授与されました。
 ふたつの大学を行き来して多忙を極めた学生生活でしたが、
 堂々と胸を張れる充実した学生生活だったと思います。

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 帰りにカフェで食べた、この時期限定「桜のレアチーズケーキ」。
 ほんのり桜餅の風味。旬を味わうなり…
 
 しかし、これだけ食い意地張っていて、痩せるわけない…か

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2015/3/26

まずは身近なところから  はなこ的考察―良いこと探し

もちろん私は時折軽率な発言をしたり、判断を誤ったりと、
けっして完璧な人間ではないけれど、
ひとりのオトナとして、子ども達の未来の為に、
より良い社会を築きたいと思っている。

これは別に大げさなことではなく、
自分のせめて半径1m以内に、
常に目配りを欠かさず、心を砕くことだと思う。
必要とあれば、自分の良心に照らして正しいと思うことを
行動に移すことだと思う。

別に人に褒められようと思ってやるものでもなく、
目の前にもし困っている人がいたら、できる限り手助けする。
ごくごく当たり前のこと。
ただ、それでもアクションを起こす前に、
自分の内では羞恥心との葛藤がある。
それは単に自分が自意識過剰なだけなのかもしれないけれど。


■昨日はバスで、杖をついた年配女性に席を譲った。
駅までは我が家からバス便なのだけれど、
住宅街の狭い道を縫うように走る路線なので、
少し小さめのバスである。

しかも、私の住む街も住民の高齢化が進み、お年寄りが多い。
そのせいか通勤時間帯を過ぎた日中のバスには、
お年寄りの乗客が多い。
だから数席の優先席はすぐに埋まってしまう。

それで入り口に近い、比較的前方の席に座ることの多い私は、
自ずと途中から乗って来たお年寄りに席を譲ることになる。

別に悪いことをするわけでもないのに、
いざ席を譲るとなると、ちょっと声をかけるのを躊躇う。
自意識過剰ゆえの羞恥心との闘いである。

しかし、実際近年はバスの発進時や急停車で
立っているお年寄りが転倒して骨折という事故も少なくないので、
「何より優先すべきはお年寄りの安全だろう」と
臆病な自分に言い聞かせて、お年寄りに声をかける。
離れて暮らす母親のことを想いながら。

昨日も、そんな日常のひとコマだった。
しかし、いつもとちょっと違ったのは、
運転手が間髪を入れず「席をお譲りいただき、ありがとうございます。」
と言ったことだった。マイク越しだから、バスの車内中に響き渡った。

別に悪いことをしたわけでもないのに、
恥ずかしさで耳がみるみる熱くなるのを感じた。

駅前の終点まで来て、バスを降りる際には、
席を譲った年配女性からも丁寧な御礼の言葉をいただいた。
当たり前のことをしただけなのに。
感謝されたくてやっているわけではないので、何だか気恥ずかしい。
しかし、同時に心がほんわかと温かくなるのを感じた。


■春休み期間中の今、映画館は
下は幼児から上は高校生までの子ども達で溢れかえっている。
親子連れはまだしも、小学生だけ、中学生だけ、
と子どもだけで来ているグループは、
残念ながら行儀の悪い子が多い。

映画の最中絶え間なくおしゃべりしたり、
せわしなく動いて、前の座席の背もたれを蹴ったり、
映画が終わった後は食い散らかして(大量のポップコーンが床に散乱)
片付けもせずに帰ったり…
これこそ、「親の顔が見たい」ものだ。
いくら仲良しグループで来て、気持ちが高ぶっているからと言って、
この行儀の悪さは度を超している。

少なくとも我が家の場合、
自分の周りに落ちているポップコーンは拾えるだけ拾って、
座席周りをきれいにしてから帰っているぞ。
息子にも幼い頃から、そう躾けて来た。

昨日などは映画館が貸し出している毛布が2枚、
これ見よがしに通路に投げ捨てられてもいた。
私の前を歩いていたふたりの小学生の女の子も、これには驚いていた。
暫くふたりの様子を見ていたけれど、拾いあげると言う発想はないようなので、
私は「こんなことしちゃダメだよね」と言いながら、
その"うち捨てられた2枚の毛布"を拾い上げた。
ふたりの女の子は少し恥ずかしげに頷いた。

結局、他人の不始末の尻ぬぐいをしているわけだけれど、
これこそ公徳心の問題だろう。
みんなで使う場所は、みんなできれいにする。
もちろん、この場合、映画館だから、
片付けや掃除は映画館スタッフの仕事ではあるのだけれど、
どう見ても非常識な事態を、見て見ぬふりをするのもどうなんだろう?

スタッフも上映直後の劇場の汚れ具合を見て、
一部観客のマナーの悪さに、さぞかしガッカリしていることだろう。

尤も過去の地下鉄サリン事件のようなこともあるから、
公徳心にかられてやたらめったら拾うことも、現実には難しい。

自分で拾うのが嫌なら、スタッフに声をかけると言う選択肢もある。
実際、私は女子トイレがあまりにも汚い(男子が見たら幻滅するような光景)時など、
近くのスタッフに声をかけ、その旨伝えている。
スタッフもすぐさま対応してくれる。

それにしても、映画館に子守りをさせる前に、
親は子どもに最低限の躾けをするべきではないか?
このままでは日本の将来が思いやられる。
他人に注意される前に、まず親が、
我が子に「公共の場でどう振る舞うべきか」教えるべきではないのか?
子どもの教育の責任の多くは、あくまでもその親が担うべきだと思う。

これもまた、"自分の半径1m以内に心を砕くこと"なのだと思う。



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