2015/2/26

はとバス810円ツアーに参加しました!  国内旅行(旅の記録と話題)

 
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 先日、当ブログでもご紹介した「はとバス810円ツアー」に、先週の土曜日、家族3人で参加しました。はとバスの都内観光をできるだけ多くの方にご紹介しようと企画された2日間限定のツアー。午前8時半、正午、午後3時半の3回、各5台?、ほぼ満席の盛況ぶりで、土曜日だけでも延べ約600人が参加したようです。

 東京タワーの展望台観覧料が900円。この時点でツアー代金を超えているのですが、これ以外にも東京国際フォーラム内にある「あいだみつお美術館」の招待券もいただいたので、はとバス社が採算を度外視して実施した、かなりお得なツアーだったようです。ただし、下車観光は東京タワー展望台のみで、殆ど車窓から東京の街並みを見るだけの2時間のミニツアー。

 見慣れた街でも、バスの車窓から見る風景は視点が違って、また面白いものです。

 バスは東京駅丸の内南口近くを出発。まずは皇居前を通過します。松林が見事!
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 お堀に周囲のビル群が映りこんで美しい…
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 逆光でシルエットだけが浮かび上がった、桜田門警視庁ビルと国会議事堂
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 六本木の東京ミッドタウン。私にはサントリー美術館で馴染み深い。
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 クリックすると元のサイズで表示します 30分ほどで芝にある東京タワーに到着。

 東京タワーは開業1958年。今年で57歳になります。

 てっぺんの避雷針までの高さは333メートル。パリのエッフェル塔の320メートルを僅か10メートル超えた、高度経済成長期の日本が意地で造り上げた、日本を代表するランドマークタワーです。重さは4,000トンで、エッフェル塔の7,000トンを大幅に下回る軽量化を実現したのも、日本建築界の自慢のひとつ。当時の日本は、海外に必死に追いつき追い越そうと、本当に頑張っていたのだなあと思う。その象徴とも言える東京タワー。

 建築物としては、どこか未来的な?シンプルな構造の東京スカイツリーより、組み合わさった鉄骨の幾何学的な美しさが際立つ東京タワーの方に、私は惹かれます。

 こちらは、日本が勝手にライバル視、否、目標にしていたフランス、パリのエッフェル塔。先達だけあって、威風堂々とした佇まい。
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 地上から高さ150メートルの位置にある大展望台からの眺めです。地上に近い空は色が濁っていて、やっぱり都会の空気はあまりキレイじゃないのでしょうね。普段暮らしていると、もう慣れてしまったのか、そのことをすっかり忘れています。

 中央付近にある一際高いビルは、昨年開業し、新たなランドマークタワーの仲間入りをした、虎ノ門ヒルズのようです。
 
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クリックすると元のサイズで表示します 東京タワーの展望台から、東京スカイツリーを遠望してみる。澱んだ空気の中に、ぼんやりと見えています。634(ムサシ)メートルと、東京タワーの約2倍の高さはある東京スカイツリーも、芝から見ると見下ろす形に。地球は丸いんだなと改めて実感。634メートルの高さだから、遠方にあっても見える、とも言えますが…

 実は私、未だにスカイツリーの展望台に上ったことがありません。一方、息子は海外から短期留学生が来る度に案内しているので、数回は訪れています。今回のツアーでも、ガイドさんが盛んにスカイツリーの展望台を薦めていました。その節は是非、「はとバスツアー」をご利用下さい、と。遅まきながら、今年中には上ってみたいですね。

クリックすると元のサイズで表示します 4時頃、展望台に上ったのですが、中は多くの観光客で賑わっていました。最近の円安効果で日本旅行ブームと言うこともあってか、アジア諸国からの観光客も大勢いて、中国語、韓国語、マレー語等が飛び交っていました。

 東京タワーの模型と共に来場記念撮影するコーナーもあって、撮影を待つ行列も出来ていました。4時半頃には終了しましたが…

 展望室には飲食できるカフェもあるのですが、ほぼ満席状態で、ツアーで滞在時間も限られている身では利用も叶いません。もちろん観光地価格で、メニューは軒並み値段がお高め。

 展望室は二段構えになっていて、階下にある展望室には「ルックダウンウインドウ」があり、高さ145メートルから下を覗き込むことも出来ます。強化ガラスとは言え、おデブの私は乗るのが怖い…。小さなお子さん達が怖々しゃがんで、下を覗き込んでいる姿が可愛らしかった。その小さな脳みそで、どんなことを思ったのでしょう?このインパクトは強烈でしょうね。
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 西側の窓際にあった点字案内板。中央の山形の部分は富士山を意味するようです。山形の下に「富士山」とでも記しているのでしょうか。興味深いですね。考えてみれば、視覚障害者は展望台からの景色を眺めることは出来ないのです。点字案内板で主立った風景の位置を知るだけ。或いは、もしかしたら、視覚障害者は彼らなりのイメージを脳内で描いて、展望台観光を楽しんでいるのかもしれません。生憎この日、西の方角は全体的に霞んでいて、私達も富士山の姿を拝むことはできませんでしたが、図らずもこの点字案内板のおかげで、"運が良ければ富士山が見えるであろう位置"の見当をつけることができました。

 今では「富士見」などの地名のみが、かつての景観の名残を留める場所が幾つもある首都圏。ここまで高層ビルが林立すると、東京タワーの展望台からでさえ、裾広がりの稜線が美しい富士の全景を見るのは、至難の技になっているのかもしれませんね。
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 展望台観光を終えて、集合場所の駐車場がある2階へ。フロアには昔ながらの土産物店があります。何だかレトロな佇まい。ここは昔と全然変わっていないみたい。
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 約1時間近い東京タワー観光を終えて、バスは一路、湾岸地区へ。レインボーブリッジを通って、海側から東京の湾岸地区を望みます。東京タワーとはお別れ…やっぱり美しい姿形ですね。あ、あの部分に、ついさっきまで私達はいたんだと、ちょっと感激…
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 日も落ちかけ、夕闇が迫ります。前方にはレインボーブリッジ。
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 レインボーブリッジから、湾岸地区のビル群を遠望する。
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 首都高から見る、佃島高層マンション群。
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 首都高から見る、東京スカイツリー。ちょっとピンボケ(笑)。
 
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 午後3時半にスタートした810円ツアー。あっと言う間のゴールでしたが、短時間ながらも久しぶりに、家族3人水入らずで楽しめました(息子が修論の発表会も終わって、ちょうど一息ついたタイミングで実現した、家族3人揃っての久々のお出かけです・笑)。今度は、今回のツアーでいただいた「あいだみつお美術館」へ、家族3人で訪れようと思います。息子の巣立ちの日まで残り僅か。はとバスさん、楽しい企画をありがとう!


2015/2/25

ご近所にも春が来た♪  日々のよしなしごと

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 ご近所のあるお宅の庭先では、種々の木々が季節毎に花を咲かせてくれます。今日は白梅の花がほころんでいるのを見つけました。小ぶりで可憐な花。

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 人間の世界で何があろうと、季節は巡り、花は咲く。

2015/2/24

多摩川河川敷中一男子生徒殺害死体遺棄事件について思うこと  気になったニュース

未然に防げたはずなのに、結果的に防げなかった、悔やまれる事件

 遺体発見現場は、数年前に散歩したこともある遊歩道の近くのようだ。散歩した限りでは、休日の昼下がりには、人々がジョギングや散歩やスポーツを楽しむ長閑な雰囲気の場所と言う印象だった。ただし、散歩当時、川縁に個人が勝手に造ったと思われる違法桟橋が散見されたことには違和感を持ったのを覚えている。その入り口ドアにはことごとく役所による「退去勧告」の紙が貼られていた。

 国内外を問わず、日中と夜間では様相が一変する場所がある。多摩川河口に近い事件現場付近も、そういう場所なのだろう。夜間は街灯も少なく暗くて人通りも絶えた場所。不良グループがたむろするには格好の場所となる。

 防犯カメラに映った犯人と思しき数人の姿。現場付近で発見された物的証拠の数々。ここ数ヶ月の被害者が置かれていた状況。警察は被害者の交遊関係から容疑者の洗い出しを行っているようだが、身柄拘束は時間の問題だろう。

 ネットには既にこの事件に関して、虚実入り交じっているであろう様々な情報が飛び交っている。

 一連の流れを見ると、長崎の事件と同様に、どこかで被害を未然に防げたのではないかと言う疑問が拭えない。

 誰もが見て分かるほどの大怪我を顔に負った時点で。
 あれほど熱心に取り組んでいた部活をやめると言いだした時点で。
 不登校が1月も続いた時点で。
 夜間徘徊をするようになった時点で。
 友人に「殺されるかもしれない」とSOSを出した時点で。

 被害者少年が置かれた過酷な状況から、少年を救い出すチャンスは何度もあったはずだ。親も学校も周囲の大人も、そして友人達も、彼を助けてあげられなかったことを心の底から悔いるべきだ。恥じるべきだ。私もこの社会を形成している大人のひとりとして、被害者に対して本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 さまざまな要因が重なっての今回の事件。大人の事情で未来ある子どもの命が犠牲になったとも言えると思う。

 ・被害者が川崎に移る前に一家で住んでいた島を知る地元の人の話によれば、物価も本土の1.5倍の島で、漁師として一家の生計を立てるのは容易ではなく、通常は定年退職後の趣味として漁に出て自家用の魚を調達する程度の人が殆どらしく、働き盛りが脱サラしてまで選ぶ仕事ではないらしい。それが事実なら、父親の「漁師になりたい」の一存で、結果的に7人家族の人生の歯車が狂ったとは言えないのだろうか?(少なくとも母親はそう思っているのではないか?神奈川から移住して来た身とは言え、両親の離婚によって泣く泣く7年間慣れ親しんだ島を離れ、恩師や友人達とも別れ、再上京したことが裏目に出て、本当に少年が気の毒だ)

 ・5人の子ども?を抱えたシングルマザーが元々縁もゆかりもない島で暮らす術はなく、実家を頼って上京したのは仕方ないとしても、祖父母もけっして経済的に余裕があるわけでもなく、中年で特殊技能や資格がない女性とあれば、仕事も選んではいられない。母親も母子家庭の家計を支えるのに必死で、仕事柄、夜勤で夜間も留守がちとなれば、ひとりひとりの子どもへの目配りも難しいのが実情だろう。貧すれば鈍するで、実質的にネグレクト状態になるのは十分あり得ることだ。

 昔は貧乏子沢山もけっして珍しいことではなく、ご近所同士の繋がりで、自分の子、他人の子関係なく子どもを守り育てる気風もあったが、今の社会は違うような気がする。私の家も貧しく、父親は病気や交通事故で入退院を繰り返し、母親は朝から晩まで働きづめで殆ど家におらず、子育ては放任に近かったが、周囲の人間関係に恵まれて、私や妹弟も誰ひとり道を踏み外さず、犯罪に巻き込まれることもなく済んだ。当時お世話になった方々には今でも本当に感謝している。

 果たして困窮し、孤立するこの母子家庭を、社会的セーフティネットで支えることはできなかったのだろうか?その意味で、今回の事件は「子どもの貧困」に関わる問題とも言える。 

 ・子どもを守り育てるのに、家庭や学校、地域、行政の連携は欠かせない。今回のケースでは、もっと早い時期に児童相談所や警察の出番があったはずだ。私には、被害者少年の周りにいた人間が、彼の置かれた緊迫した状況を軽視した結果が、今回の事件に繋がったように思えてならない。

 我が子を誰よりも守るべきは親の役目であるのは当然としても、被害者が「万引きを強要されて断ったら酷く殴られた。殺されるかも」と言った時に、友人がそのSOSを深刻に受け止めて、自分の親なり教師なりに相談することもできたのではないか?もし「まさか、本当に殺されるとは思わなかった」と言うのであれば、彼の置かれた状況が深刻と思えないほどの人権感覚の麻痺(=当該地域における、そうした状況の日常化)が疑われるし、困っている家庭や子どもに、ちょっとした目配りさえ出来ないほど、大人や子ども達に精神的な余裕のない状況(或いは他人への無関心?)こそが問題だと思う。

 遠い外国の話ならいざ知らず、自分の身近で起きている出来事である。もし自分が大人ならば「自分がよく知る子ども」、よく知らないにしても「同じコミュニティに住む子ども(もしかしたら我が子の同級生かもしれない)」、子どもなら「友達」の、"身"に起きている出来事である。その身を案じる優しさと、困っていれば手を差し伸べ、必要とあれば関係機関に働きかける勇気が、今、大人にも子どもにも必要なのではないか?(もちろん、自戒を込めての提言である。)

 言わずもがな、行政側にもやるべきことはある。児童相談所の人員増と権限強化を速やかに図るべきだ(米ドラマを見ていると、日本の児童相談所に当たる児童保護局の権限の大きさと職員の毅然とした仕事ぶりが羨ましい。それだけ米国では児童生徒を巡る問題がより深刻と言うことなのかもしれないが、小泉政権以降、格差社会を是認する方向に日本が進んでいる現状を鑑みれば、子どもを取り巻く環境も、残念ながら確実に米国社会の後追いをしていると言えるのではないか?)。警察も防犯対策にもっと注力すべきだろう。

 児童生徒を巡る問題が社会問題化している今、学校・児童相談所・警察を横断的に繋ぐ新たな組織も必要なのではないか?立法府も、一部悪童が「20歳未満なら何をやっても構わない」と自分達に都合良く解釈しているとしか思えない「少年法」の在り方について、今一度考えるべきではないか?たとえ少年犯罪であっても、犯罪手口の悪辣度によって更生の余地の有無を判断し、場合によっては成人並みの刑罰を与えることも検討してはどうなのか?

 子どもを守れない社会に、未来はないと思う。


 最後に、亡くなられたU君のご冥福を、心よりお祈り致します。本当に腹立たしく、悲しい事件です。


【2015.03.03 追記】

 結局、犯人は当初から噂されていた、被害者と交遊関係のあった不良グループのようだ。地元でも有名な不良グループらしく、この不良グループが被害者をしばしば殴打していたのを見咎めた別のグループが、主犯格少年の自宅まで乗り込んだ一週間後、報復行為として今回の事件を起こしたらしい。乗り込んだグループに対してでなく、「チクった」として被害者個人に攻撃が及んだことは、犯人達の「強い者には弱く、弱い者には強く出る」卑劣さと情けなさを端的に示している。

 別のグループが主犯格少年の自宅に押しかけた時に、彼の父親が警察に通報し、警察も介入する騒ぎになったらしいが、その時の警察の対応がもう少し徹底したものであったなら防げた事件だったのかもしれない。今となっては何を言っても結果論でしかないのが悲しい。

 現在の「少年法」は、戦後の混乱期に、生き延びる為に窃盗等の犯罪に走った戦災孤児らの更生を念頭に置いての法律だと聞く。当時と現在とでは少年を取り巻く状況が大きく変化している。豊かな社会における少年による凶悪犯罪、更生に重きを置いた「少年法」を自分本位に解釈しての不良少年らの凶行。そうした状況を踏まえての「少年法」の見直しは、早急に図られるべきだと思う。或いは、現行の「少年法」が未熟な少年の保護・更生を念頭に置くならば、保護者の責任はもっと重く問われるべきだ。被害者遺族の粘り強い取り組みで法律を変えた事例として、道路交通法の「危険運転致死罪」の適用がすぐさま思い浮かぶが、人が何人も死ななければ動こうとしない政府の対応の鈍さも腹立たしい。

 また、防犯対策として、青少年を取り巻く環境の在り方について、今一度、家庭、学校、地域コミュニティ、行政(児童相談所等)、警察が真剣に考え、連係して直面する問題に取り組まなければならないと思う。特に子を持つ親は、我が子としっかり向き合う必要があるのではないか?

2015/2/23

"名画で読み解く"シリーズ  読書記録(本の感想)

クリックすると元のサイズで表示します 最近、中野京子さんに嵌っていて、彼女の"名画で読み解く"シリーズ(光文社新書)を立て続けに読んでいる。

 きっかけは中欧旅行から帰って来て以来、中欧を起点に600年の長きに渡りヨーロッパ全土で権勢を振るったハプスブルグ家について興味を覚え、その関連の著作を読み始めたからだ。その過程で中野さんの著書『名画で読み解く ハプスブルグ家12の物語』を知り、同シリーズの『ブルボン王朝12の物語』と続いて、現在は『ロマノフ家 12の物語』を読み始めたところだ。

 中野さんが一躍名を馳せたのは、意味深な女性の表情が印象的なジョルジュ・ド・ラ・トゥール作の《いかさま師》(ルーヴル美術館蔵)が装丁に採用されている『怖い絵』シリーズらしいが、私は周回遅れに嵌ったファンと言える。

 中野さんの"名画で読み解く"シリーズは、描かれた絵画を切り口に(しかもカラー図版なのが嬉しい)、複雑多岐に入り組んだ複数の王朝の歴史を時に連係して、軽妙洒脱な文章で紐解いてくれているのが何よりの魅力だ。おそらく語り部として、数多ある史実から取捨選択する能力にも長けているのだろう。そして、テンポ良く言葉が紡ぎ出される彼女の巧みな表現にかかれば、歴史上の人物達があたかも今、リアルタイムに生きているかのように活き活きと目の前で動き出すのだ。たまに軽はずみとも取れる弾けた表現がなきにしもあらずだが、そこはご愛嬌。

 特に、戦争なき覇権で他国の王族と政略結婚を繰り返し、王朝の権威維持の為には濃厚な血族結婚も辞さなかったハプスブルグ家は、フランスのブルボン家とも浅からぬ縁がある。『ハプスブルグ家』と『ブルボン家』の二冊には、両著を行き来しながら読む楽しさもあった。

 また、過去に見たヨーロッパが舞台の歴史映画の数々が、本シリーズを読むことで、「王朝の栄枯盛衰を通して見るヨーロッパ史」と言う1本の筋に繋がったのも嬉しい。

 その意味では『ロマノフ家』は前2著とは些か趣きを異にする印象だ。本の冒頭に折り込まれた家系図を見ても、国外の王室とは英国王室との姻族関係が唯一あるのみで、基本的にロシア国内で自己完結しているのが特徴的だ。さて、どのような12の物語をこれから展開させて行くのか、中野女史の手腕をとくと拝見しよう。

 そして、『ロマノフ家』読了後も、『印象派で近代を読む』『「怖い絵」で人間を読む』『はじめてのルーヴル』(←ルーヴル美術館は既に数回訪れているのだが、中野さんがどのように解説しているのか興味があって購入。一昨年も6時間滞在したが、結局、半分見るのがやっとだった…)の3冊が控えており、私が中野ワールドに嵌る日々は暫く続く…

 下記の画像をクリックすると、amazonのサイトにジャンプします。




2015/2/14

今日はバレンタインデー♪  日々のよしなしごと

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 国内外のニュースを見ると、
 自分がいかに恵まれた環境にあるのかが分かる。 

 
 今、世界のどこかで苦難の中にある人々が、
 どうか穏やかな日常を取り戻せますように…

2015/2/10

はとバス体験ツアー  国内旅行(旅の記録と話題)

 お手軽に"はとバス都内ツアー"を体験できる2日間限りのコースをご紹介します。

 あくまでも"体験"ですので、「2時間半、主な観光スポットの車窓からの見学と、東京タワー展望台の下車観光」と言う内容ですが、810円とお手頃価格ですし、週末のレジャーに組み込んでみても良いかなと

 10時時点では、時間帯によっては、まだ十分空きがありました

¥810円で、はとバス体験ツアー

2015/2/5

評価軸もさまざま  はなこ的考察―良いこと探し

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 昨日、レディースデイを利用して、 (日本人俳優が多数出演しているが歴とした)台湾映画『KANO 1931 海の向こうの甲子園』を見て来た。

 これは、日本統治下の台湾・南部の弱小高校野球部が、ある日本人監督との出会いにより、劇的な成長を遂げて台湾代表として甲子園へ赴き、一大旋風を巻き起こした実話に基づく映画だ。

 Yahoo映画では現在、サイトユーザーから平均値で4.65ポイント(5点満点)と言う高い評価を得ている。ユーザーレビューを見ると、軒並み5ポイントの満点評価が付いている中で、たまに1ポイントや2ポイントと言う低評価も見られる。極端な低評価は何が原因なのだろうと読んでみると、例えば選手の成長過程の描き方が薄っぺらい、無駄な描写が多過ぎて長過ぎる(なんと上映時間は3時間5分もある!)など、ドラマツルギーの拙さに言及したものが多い。

 4年前の東日本大震災における台湾の国を挙げての巨額の支援や、WBCで見せたフェアプレイ精神、さらに本作全体を覆う日本&日本人礼讃のムードは、ここ数年のギクシャクした中韓関係にうんざりしている日本人から見れば面映ゆいほど心地良く、同じ近隣国ながら、日本に敵対心剥きだしの中韓に比べて、概ね親日的な台湾への相対的評価が高いものになるのは必然と言える。そのせいか、高評価を与えている人々のレビューは些か情緒的で、映画作品としての評価に大甘なところがあるのは否めない。

 とは言え、本作の高評価の背景には、作品としての完成度以外の別の評価軸の存在も見えるのだ。つまり、日本人の台湾人に対する贔屓目を差し引いても、本作には作品としての拙さを超えて人々の心に訴えかけるものがあった、と言うことではないのか?

 そこで、ひとつ思い出したことがある。先日見た『アナザースカイ』と言う番組での、歌手・中島美嘉の発言である。

クリックすると元のサイズで表示します 希代のファッショニスタであり(プロも絶賛のぶっ飛んだファッション・センス)、常にクール・ビューティな佇まいで、何となく近づき難い、謎めいた雰囲気を持った彼女。そんな彼女が、番組MC今田耕司の卓越したコミュニケーション能力の賜物か(今田氏は相手の懐に飛び込むのが上手く、誰もがその"今田マジック"で胸襟を開かずにはいられない)、番組では胸の内を赤裸々に明かした。

 「昔から、自分の歌は上手いとは思えない。自分の歌には自信がなかった。その代わり、"伝える"自信はあった。」

 彼女は「完治は難しい」と医者に宣告された耳の病によって歌が思うように歌えなくなり、2010年、逃げるようにNYへと旅立った。しかし、逃避先のNYで彼女が見たものは、「この先も病からは逃れられない」と言う現実だった。そして、歌手としては致命的な病を得てもなお、何かを発信しようとしている自分がいることに気付く。

 彼女は「1曲の歌には人を救う力がある」と信じている。この信念は何があろうと揺るがない、と言う。だからこそ、自分の心からの思いをファンに届けたいと、彼女は再びステージへと返り咲いたのだった。

 それまで公けにして来なかったであろう、自身の数年間の苦悩をひとしきり吐露した彼女は吹っ切れた表情を見せ、その目は真っ直ぐに未来を見据えているように見えた。直後のナレーションは、そんな彼女を「歌姫から表現者へ」と言う言葉で表現した。

 確かに彼女より歌唱力に勝る歌手は幾らでもいるのだろう。しかし、"唯一無二の表現者としての彼女"に代わる者はいない。ファンは"彼女の"歌が聴きたいのだ。

 映画人にしても、歌手にしても、画家・彫刻家・演奏家と言ったアーティストにしても、彼らは等しく「表現者」である(というよりアーティスト=表現者なんだろうか?)。各々に、人々へ伝えたい、訴えかけたいものがあり、それを伝える、訴えかける手段が違うだけだ。

 伝えたいものを人々に届けるためには、当然ながら伝えるための技術が必要である。しかし、技術もまた万能ではないのだ。技術だけ磨いてもダメなのだ。そこで息詰まっている表現者は、この世の中に大勢いるような気がする(最近では、ディズニーアニメ『アナ雪』の日本語版主題歌を巡る女優・松たか子と歌手・May.Jの優劣騒動?が記憶に新しい)

 
 優れた表現者は、その技術の稚拙さを超えて、自分の思いを、伝えたいものを、人々の"心"に届けることが出来るのだろう。その届いた思いが、人々を感動させる。そして、それが表現者の究極的に目指すところであり、最も難しいことでもある。もし、そうでないと言うならば、あらゆる表現活動は、表現者の単なる自己満足でしかない。

 その意味で、映画『KANO』の映画としての完成度はともかく、制作陣が映画を通して伝えたかったこと・思いは多くの人々の心に届き、映画サイトのユーザーレビューの高い評価に繋がったのではないか?

 映画の評価軸はけっしてひとつではないのだ。もちろん、賛否両論あって当然だ(多数派の意見が最大公約数的な似たり寄ったりの内容が多い中で、少数派のそれは個性的で興味深い内容が多いのも、また事実)

 参考までに、藤田令伊著『アート鑑賞、超入門!7つの視点』(集英社新書、2015)では、作品と鑑賞者の関係について、以下のように語っている。

 「アートとは多種多様な表現によって多種多様な価値観を発信するものなのに、見るにあたってはひとつの見方しか許されないというのでは、アートの存在意義自体が否定されかねません。

(中略)

 アート鑑賞は個人個人が主体的主観的に見て愉しめばよいものです。アート作品が作者ごとの多様な表現を披露し、多様な価値観を見る者に問うのと同じように、私達見る側もそれぞれの主観的な価値観と感受性で多様にアートを見てよいのです。

 絵や彫刻が作家にとっての「作品」であるならば、鑑賞は見る側である私たちにとっての「作品」です。「作品」である以上、一人ひとりの主体性が反映されていなければ何の意味もありません。ほかの誰でもない「私が見る」ということが大事なのです。」(p.36-37)

 最後に、数多くのユーザーレビューの中に、在日台湾人のレビューがあった。その内容が印象的で、『KANO』と言う作品が台湾で製作されたことの意味とその重みを端的に語っておられたので、以下に付記(一部抜粋)しておきます。

 「(前略)台湾は昔からいろんな国に占領された島で、他国と比べたら、国意識はそんなに強くないが、他民族の良さを客観的に観察できるところは長所です。

 世界歴史と中国歴史を勉強している台湾人は、なぜか台湾歴史はあまり勉強しなかった。そしてKANOの監督は台湾の歴史文化を台湾人に伝えたい気持ちで(筆者注:2本の)映画を作ったら、皆全部大ヒットになり、台湾意識を彼の映画によってたびたび起こし、今台湾で最も影響力を持ってる監督です。

 その監督は、近代台湾の発展は日本とつながっていると感じているでしょう。彼の今までの台湾映画は全部日本とつながっています。

 最初の映画は日本統治時代、一人の台湾の女生徒と日本人の先生との純愛ストーリーで、次の映画セデック・バレは台湾のセデック族(蕃人)は、自由を求めて台湾を侵略した日本軍に抵抗して、最後に日本軍に殺された実話の内容でした。この映画は中国でも話題になって、日本はやはりひどいなという世論が出たが、三番目の映画KANO(筆者注:実際は本作では監督ではなくプロデューサーを務めている)ができた。今回逆転して、日本人の素晴らしい先生によって日本人、漢人、蕃人という最強チームが結成し、甲子園に進出した実話の映画だった。

 映画KANOの中に台湾を愛し、台湾の農産物の研究を進んでいる日本人がいて、台湾の発展に最も大きな影響を与えた嘉南大圳も日本人が作ってくれたという内容もあった。

 要は完璧な民族はない。嫌な歴史があれば感謝すべき歴史もある。そして民族の壁を忘れ、一緒に同じ目標を持って皆それぞれの長所を発揮し一緒に仲良く頑張れば、KANOみたいな素晴らしいチームが出てくると監督がこう伝えたいのではないかと私は思っています。



 
 事程左様に映画から幅広く興味・関心が喚起され、さまざまなことについて学び、考えさせられる。これだから、何をさておいても映画鑑賞は止められない(実は先週末、左足に怪我を負い、靴を履くのも辛い状況だったのですが、その痛みを押して映画館に行ったのでした単なる"映画バカ"ですね。ははは…)


2015/2/3

しゃっくりを止める方法  日々のよしなしごと

突然、しゃっくりが出始めた。

しゃっくりは、肺と胃の間にある横隔膜のけいれんが原因で起こると言われている。

オーソドックスな方法としては、鼻をつまみながら、コップ一杯の水を一気飲み、と言う方法があるのは知っているが、何となく今は水を飲みたくない。

夫がすぐさま"我が家のちびサス"ことネクサス5で、「しゃっくりを止める方法」を検索して、私に教えてくれた。言われるままに次々と試してみる。

@舌をつまんで数秒間引っ張ってみる
→効果なし

A腰を捻る
→これまた効果なし

B目を閉じて、頭の中で横隔膜の痙攣が治まるのを想像しながら、深呼吸する
→おいおい、これ本当なの?
 そもそも横隔膜を実際に見たことがないので、
 横隔膜の痙攣が治まる様なんて想像できない!
 これ、もしかしてネタなんじゃないの?
 …としゃっくりしながら疑念を抱きつつも、
 とにかく目を閉じて、テキトーな図を思い浮かべて、深呼吸してみる…
→やっぱり効果なし

C横隔膜辺りを手で押さえる
→うーん、どの辺りかね?この当たりかね?と胃の上の辺りを押さえてみる。
→特に効果なし

D何度も繰り返し唾を飲み込む
→おっしゃっくりが止まった。
 しかし、この方法に効果があったのか?
 或いは、先の4つの何れかの効果が今になって出たのか?
 はたまた、時間が経ったので自然に痙攣が治まったのか?

どれが最も効果が高かったのかは…結局、謎だ



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